騎兵第五連隊跡
広島駅の北西にある二葉の里にあります。
現在の鶴羽根神社前(広島東警察署)辺りから広島駅在来線ホームまでが騎兵第五連隊の駐屯地でした。
騎兵とは馬に騎乗してサーベルや小銃で戦闘を行う兵科で、高い機動力や攻撃力により偵察や伝令等も行います。
騎兵第五連隊は第五師団所属の部隊として明治23年に創設されました。創設当初は中隊でしたが富国強兵の時代であったため明治25年に大隊へ昇格し、明治29年には連隊に昇格します。
しかし、第一次世界大戦に戦車が登場すると、装甲も何も持たない馬に兵士が乗っただけの騎兵では戦車に対抗することができず、兵科としての地位は急激に下がりました。
第一次世界大戦後の軍縮では運用コストも高すぎるとされ、各地で縮小が進み騎兵第五連隊も大正11年に2個中隊に縮小されました。
太平洋戦争直前の昭和15年には『捜索第五連隊』と改称再編成され軽装甲車2個中隊・乗車兵2個中隊・通信小隊・整備小隊の構成となりました。
初陣は日清戦争で、その後北清事変・日露戦争・シベリア出兵・支那事変・太平洋戦争と参戦しました。特に太平洋戦争初戦のマレー半島の怒涛の快進撃は日本陸軍の語り草となりました。
太平洋戦争末期の昭和20年4月、海外へ遠征して空き家状態となっていた騎兵第五連隊駐屯地に『第二総軍司令部』が設置されます。
第二総軍司令部とは本土決戦に備えて東西日本が分断・通信不可となった場合、西日本の陸軍司令部として独自判断で戦争を継続するための司令部となるものでした。
約400名の軍人・動員学徒が勤務していましたが、昭和20年8月の原子爆弾投下により建物は焼失し多数の死傷者がでました。
太平洋戦争終戦後、跡地は官舎や住宅が建てられましたが近年の再開発により区画や道路もすべて敷き直されたため、現在は区画跡も残っていません。
唯一、記念碑でのみここに跡地があった事実を知ることができます。
東練兵場跡
騎兵第五連隊の東に隣接する形で東練兵場がありました。
東練兵場は明治23年に、双葉山のふもと約716330平方メートルを陸軍用地として買収し建設されました。
かなり大型の練兵場で兵士の訓練や演習・兵器献納式などのイベントに使われました。また、太平洋戦争終戦まで陸軍の飛行場がありました
「兵器献納式」とは国民の献金により兵器を購入し軍に納めることで日清戦争のころから行われていました。第五師団にも地元民の寄付により装甲車等が献納されました。
昭和20年8月の原子爆弾投下の際は、臨時救護所として使われ多くの被災者がここに避難してきました。東練兵場跡には被爆クスノキが残っており、被災者がこのクスノキの下で休んだといわれています。
東練兵場
東練兵場の写真(絵はがき)
備考 |
・記念碑は跡地ではなく跡地の北東に建っている ・跡地の面積は資料によって異なるが現在の広島駅の北西にあったのは間違いない ・被爆クスノキは東照宮入口前のシリブカ公園にある ・同じ戦争末期の西日本の独自行政機関として中国地方総監府があった ・比治山陸軍墓地に騎兵第五連隊の慰霊碑がある ・近くに二葉山砲台跡がある 3項目の写真は広島市公文書館デジタルギャラリーより引用 |
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住所 |
広島県広島市東区二葉の里3丁目3-1 |
駐車場 | なし |
トイレ | シリブカ公園にあり、近くの広島東照宮にあり |
竣工 | 明治23年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 基地跡、被爆遺構 |
アクセス |
・広島駅から徒歩10分 ・広島バス「東照宮入口」バス停から徒歩3分 ・広島バス「鶴羽根神社前」バス停から徒歩5分 |
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