逓信省装荷用ケーブルハット跡
西国街道跡の一つ、苦の坂峠にあります。
逓信省(ていしんしょう)とは明治時代に作られた通信や運輸を管轄する政府の省庁で、現在のNTT(旧電信電話株式会社)と郵便局を合わせたような事業を行っていました。
日本に電話が初めて登場したのは明治23年の東京-横浜間で、通話料金もかなり高額であったため当初は一部の裕福層しか利用できませんでした。
その後、昭和に入ると電話も庶民の手の届くものとなり電話機も急速に普及しました。
昭和14年には東京から当時の満洲国の哈爾浜(ハルピン)まで約3000kmの電話網である「長距離市外電話」が敷設されました。
この電話網は特に一貫した計画として進められていたわけではないようです。しかし、大正時代から徐々に主要都市間や対馬海峡を電話網で接続した結果、昭和14年に東京-奉天、昭和15年に東京-新京間で通話が可能となりました。
この長距離市外電話の電話網には、50kmごとに通信電流が弱まるのを防ぐ『装荷用ケーブルハット』と呼ばれる中継所が設けられました。その1つがここ大竹市の苦の坂峠に残っています。
昭和初期特有の石混じりの鉄筋コンクリートと鮫肌のような外壁に2つ穴が空いているのが特徴で、中にどのような機器が置かれていたのか不明ですがインフラ施設らしからぬコンパクトな造りです。
この装荷用ケーブルハットは現在は全国でも数か所しか残っていない貴重な産業遺産です。現存する他所の装荷用ケーブルハットには入口に鉄扉が付いている物もあります。
余談ですが、明治23年頃の電話は直接相手に繋がるのではなく交換手と呼ばれる電話局職員と繋がり、相手の番号を言って交換手が繋ぎ初めて通話するというものでした。
大正12年の関東大震災の復旧で自動交換機が登場しましたが、日本の電話が完全に自動交換機に変わり交換手が不要となったのは戦後かなり経過した昭和54年のことでした。
逓信省マーク
現在の郵便局や郵便番号を表す「〒」マークは逓信省の頭文字であるカタカナの「テ」から来ています。
この装荷用ケーブルハット跡にも〒マークが付いていますが陶器で作られています。風化によって色が抜けてしまっていますが、元々赤い塗装がされた跡が確認できます。
日本各地に現存する装荷用ケーブルハット跡には赤レンガで作られた〒マークが入っているものもあります。
備考 |
・江戸時代の国道である西国街道の峠道にある ・岩国大竹線(県道1号線)沿いに「史跡 長州の役戦場苦の坂入口」の説明板があるのでそこが入口 ・入口がかなりわかりにくいので説明板を見落さないように ・峠道は登山というほどではないが車道ではないので運動用靴くらいは必要 ・大竹駅から出るコミュニティバスは西国街道跡を通るため遠回りになる、装荷用ケーブルハット跡だけ見たい場合は油見トンネルから行った方が早い ・小方から行くルートもあるが駅から遠すぎるため亀居城跡などが見たいわけでなければ大竹駅から行った方が近い ・近くに西国街道跡や明治維新役古戦場跡や木野の古い町並みがあるのでついでに観光するといいかも ・広島市に同じ逓信省が作った広島逓信病院旧外来棟がある |
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住所 |
広島県大竹市小方町小方68-4 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 昭和14年以前(?) |
公開 | 常時 |
登山難易度 | かなり易しい |
サイト |
- |
分類 | インフラ |
アクセス | ・大竹市コミュニティバス「上木野宮前」バス停より徒歩15分 |
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