電信第二連隊跡

ページ名:電信第二連隊跡

電信第二連隊跡

比治山の南にあります。

陸軍通信隊は通称「軍通(ぐんつう)」と呼ばれ軍司令部と師団司令部、もしくは連隊間の通信を担う部隊です。

通信といっても現在の電話のようなものは無く、電気信号のON/OFFで・(トン)とー(ツー)を組み合わせて48文字を作り送信します。受信側は送られてくる信号音を通信士が聞き、紙に書いて文字にするというもので1分間に100文字程度を送信することができました。

電信第二連隊は陸軍第五師団所属部隊として大正11年創設されました。当時、電信連隊は東京と広島にしかなく大阪から西側は広島の第二連隊の管轄でした。

創設当初は広島県豊田郡忠海町にあり、翌大正12年に起こった関東大震災の際は災害救助と電信インフラの復旧のため45日間関東地方に派遣されたと記録が残っています。

その後、太平洋戦争前までにここ広島市の比治山下に移駐していました。

太平洋戦争中期の昭和18年4月、電信第二連隊は佐賀県佐賀市に移駐していきました。戦争末期は194補充部隊とよばれ民間の通信士をなども召集され補充や徴兵として戦地へ送られました。

佐賀市へ移転後の跡地については記録がありませんが、太平洋戦争終戦後は電信隊から引き継いだ土地を電電公社が利用していたものと思われます。現在もこの地区には電電公社の後身であるNTT西日本の建物や敷地が残っています。

また、南に空襲を受けた際の火災の延焼を防ぐため建物を取り壊して空き地にしていた建物疎開の空白地(現在の国道2号線)がありました。

 

備考

・比治山下公園の西側の比治山と国道2号線の間がかつての駐屯地

比治山陸軍墓地に電信第二連隊を含めた「電信兵」の慰霊碑がある

・関東大震災の災害救助に派遣された他部隊として同じ第五師団所属の工兵第五大隊がある

・近くに比治山陸軍墓地広島陸軍被服支廠跡広島大学医学資料館(旧広島陸軍兵器支廠)広島要塞砲兵連隊跡がある

住所

広島県広島市南区比治山本町11-37

駐車場 なし
トイレ 近くの比治山下公園にあり
竣工 不明
公開 常時
登山難易度
サイト

分類 遺構
アクセス

・広島電鉄バス「大学病院入口」バス停から徒歩3分

・広島電鉄バス「出汐町」バス停から徒歩5分

・広島電鉄バス、JRバス「南区役所前」バス停から徒歩8分


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