灯火管制塗装された木造住宅
『灯火管制』とは戦時中に夜間の電灯やろうそく等の明かりの使用を制限する制度のこと
灯火管制されていない都市は夜間上空から見ると位置がハッキリわかってしまうため、夜間の空襲を防ぐため日本以外の諸外国でも用いられました。
日本では日中戦争が始まった昭和12年に防空法が制定され昭和13年から灯火管制が始まりました。
灯火管制下では「建物の外に光をもらしてはならない」とされており、電球側面に塗料を塗り真下しか照らせない灯火管制用電球・黒い布で電灯のまわりを囲んだ防空電灯カバー等が一般家庭でも使用されました。また、カーテンも黒色と決められおり隙間も目貼りされ光がもれないよう工夫されました。
住宅以外の商店や工場ももちろん対象となり「灯火は3平方メートルあたり10燭の割合とする」などの厳しい規制がありました。(1燭=ロウソク1本分の明るさ)
この木造住宅も太平洋戦争末期の灯火管制の一環として空襲時に目立たないよう外壁を炭で黒く塗られています。また、住宅以外の大型の建物はコールタールで黒く塗られたものもあります。
建物以外も街灯や自動車のヘッドライトも対象となり布や綿を被せて輝度を落としたり、光が水平以上に上がらないように作られました。
しかし、太平洋戦争後期になると夜間でも精密爆撃が可能な高性能レーダーを搭載したB-29爆撃機が飛来するようになり、灯火管制による防空効果はほぼ無かったとされています。
※この建物は現存しません
備考 |
・この建物は現存しない ・灯火管制で黒く塗装された百貨店として広島市の福屋八丁堀本店がある ・防空法が制定された昭和12年に作られた防空監視哨として安芸津の三津防空監視哨跡がある ・近くに阿賀北の防空壕跡がある |
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住所 |
広島県呉市阿賀北7丁目24 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 遺構 |
アクセス |
・広島電鉄バス「原」バス停から徒歩すぐ |
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