広島電鉄動力車操縦者養成所(旧広島電気軌道千田町発電所)
広島電気軌道千田町発電所は広島電気軌道(現在の広島電鉄)が路面電車事業を開業する際に建てた発電所です。
現在の路面電車は電力会社から電気が供給されていますが、当初は広島電気軌道が自社で発電を行っていました。
ここには大正元年にボイラー2基を備える石炭焚きの発電所と、タービン式交流発電機2基を備えた変電所が建てられました。向かって左側が旧発電所でイギリス積みのレンガに大きめの窓枠は花崗岩で作られています。
また、現在はなくなっていますが旧発電所には高い煙突がありました。発電所の前は川があったため、発電用の石炭は船で運び込まれていました。
昭和9年に老朽化と能力低下を理由に発電が廃止されます。以降、電力は広島電軌(現在の中国電力)から供給を受けますが、発電所は変電所へ改装されそのまま2棟とも使用されました。
昭和20年8月の原子爆弾投下の際は、爆風でレンガ壁が変形するなど被害が出ましたが倒壊は免れました。原子爆弾投下からたった3日間で路面電車の運行が再開できたのは、この変電所が健在だったからといわれています。
太平洋戦争終戦後の昭和33年以降は、右側の旧変電所は白い防水塗装がされたため一見するとレンガ造りの遺構に見えなくなりました。
現在、旧発電所は路面電車運転士の教育施設となっています。
旧変電所内部
内部は半地下の造りになっています。
広島電鉄千田車庫
路面電車車庫と旧発電所は同じ敷地内にあるため、車庫からも旧発電所を見ることができます。
後ろに見えるのが旧発電所です。
広島電鉄本社
旧発電所の反対側(電車通り)にある広島電鉄本社
原子爆弾投下時の社屋は木造であったため半壊し、修理工場や車庫では多くの職員が建物の下敷きになって亡くなりました。
2枚目は案内板に展示されている原子爆弾投下直後の写真です。
被爆電車650形654号車
650形電車は太平洋戦争中の昭和17年10月に製造された木製内装の路面電車
この654号車は、昭和20年8月6日の原爆投下時江波付近を走行中に被爆し大破しました。人手や物資が限られる中で修復は進まず、半年後の昭和21年2月にようやく修復され運行を再開しました。
その後、ワンマン化や低床化などの改造をされ実に60年間広島の街を走り続けましたが、平成18年6月に退役となりました。
被爆電車650形652号車
650形電車は太平洋戦争中の昭和17年10月に製造された木製内装の路面電車
この652号車は昭和20年8月6日の原爆投下時に宇品付近を走行中に被爆しました。幸いにも損害は軽微で被爆3日後には運転を再開し、焼け野原と化した広島市の市民を勇気づけました。
現在もこの652号車を含めて2両の被爆車両が広島市内を運行しています。
備考 |
・被爆電車650形654号車は広島市交通科学館に展示されている ・旧変電所、車庫とも敷地内には入れない ・車庫の敷地内に被爆死した職員の慰霊碑があるが公開されていないため見学することはできない ・毎年6月に行われる広島電鉄路面電車まつりで公開される可能性がある ・被爆電車は朝の通勤ラッシュ時のみ運行される ・呉市にも路面電車の変電所として呉市電車庫跡・変電所跡がある ・近くに御幸橋がある 2項目の写真はarch-hiroshimaよりクリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて引用 |
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住所 |
旧変電所:広島県広島市中区東千田町2丁目9-57 広島市交通科学館:広島市安佐南区長楽寺2-12-2 |
駐車場 | なし |
トイレ | 近くの平野公園にあり |
竣工 | 大正元年 |
公開 |
旧変電所:限定(特別公開のみ) 広島市交通科学館:常時(休館日あり) |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | インフラ、被爆遺構 |
アクセス |
旧変電所 ・広島電鉄路面電車「広電本社前」電停から徒歩すぐ ・広島バス「広電本社前」バス停から徒歩すぐ 広島市交通科学館 ・アストラムライン「長楽寺駅」から徒歩5分 |
旧変電所
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広島市交通科学館
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