野島沖(戦艦大和最後の停泊地)
山口県防府市江泊山の沖合い
太平洋戦争末期の昭和20年4月5日、沖縄に向かうため呉を出港した戦艦大和以下10隻からなる特攻艦隊が翌6日に停泊した場所がここ野島沖です。
艦隊は当初、佐世保へ寄港し沖縄に向かう予定でした。しかし佐世保近海に米軍艦隊がいるという情報を受け急遽ここ野島沖に停泊し翌日に沖縄に向けて出撃しました。
しかし、呉を出港した時からすにで米軍の高々度偵察機により特攻艦隊の動向は察知されており、鹿児島県坊之岬沖で米軍機500機余の攻撃を受け、戦艦大和を含む6隻の艦艇は沈没し3728名の将兵が戦死しました。
最後の停泊地となったここ野島沖では決戦のため可燃物等は陸揚げされ、乗組員たちが家族に宛てた遺書が郵送されました。また、3月に海軍兵学校を卒業したばかりの若い士官候補生には「戦後の日本ために残れ」と退艦命令が出されました。
4月7日、最後の抜錨をした戦艦大和は徳山海軍燃料廠で給油を終え沖縄に向かいました。
特攻艦隊留魂碑
特攻艦隊が停泊した野島沖を見渡せる江泊山の林道に、慰霊の留魂碑が建立されています。
また、奇しくもここは同じ海軍の人間魚雷『回天』の訓練水域でもありました。沖合い14kmに見える大津島には人間魚雷『回天』の訓練基地と工場があり、訓練基地からも沖縄に向かう戦艦大和が見えたという記録が残っています。
戦艦大和と人間魚雷『回天』という「大きさは違えど同じ特攻隊として若い命が散っていった」という悲劇を忘れないため、戦死した回天特攻隊員もここも合祀されています。
また、他の慰霊碑は『慰霊碑』『記念碑』『戦没之碑』等の名前が一般的ですが、特攻艦隊の碑は『留魂(りゅうこん)碑』というめずらしい名称が使われています。留魂とは「死んだ後にも魂魄を留め、天皇陛下や国を守りたい」という意味が込められています。
備考 |
・林道小浜線沿いにある ・集落から離れており案内板もほとんどないためかなりわかりにくい ・最寄りの富海駅は無人駅でバス等の公共交通機関はなくタクシーもいないため、マイカー等がない人は頑張って歩くしかない ・富海駅から片道徒歩1時間10分かかる ・街灯も無く人気がまったくない場所なので夜間は行かない方がいいかも ・富海駅からの道中に有形文化財である末田の登り窯があるので興味があれば観光してもいいかも ・呉市の長迫公園(旧海軍墓地)に特攻艦隊に参加した戦艦大和や巡洋艦矢矧などの慰霊碑がある ・同じ留魂碑という名称の碑として広島県江田島市の軍艦榛名出雲戦没者留魂碑がある ・沖に大津島があるが角度的に写真を撮るのは難しいかも |
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住所 |
山口県防府市江泊385-1 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 艦艇終焉の地 |
アクセス |
・富海駅から徒歩1時間10分 ・防府駅から徒歩1時間30分 |
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