国立病院機構呉医療センター(旧呉海軍病院)
呉医療センターは呉市市街地にある総合病院
元々は呉海軍病院といい呉鎮守府開庁の明治22年に海軍の病院として開院しました。
呉は軍港という土地柄、呉鎮守府や海軍工廠関係の病院が多く作られましたがこの呉海軍病院は最も古い軍属病院になります。
明治年間に起こった日清戦争、日露戦争では病床数不足のため軍政会議所や軍法会議所、呉水雷団の建物を臨時病棟として使用したこともありました。
明治33年に練習部(現在の看護学校)を併設開院し、大正14年には伝染病の防疫施設として呉海軍病院三ツ子島消毒所を開設します。
昭和16年に太平洋戦争が始まると患者疎開のため愛媛県松山市や島根県松江市等に分院を開設します。
昭和20年7月の第二次呉軍港空襲では、赤十字をつけた呉海軍病院も容赦なく攻撃され病棟が全焼し多数の死傷者が出るなど甚大な被害を受けます。しかし、医薬品などは近くの酒蔵に隠しており大部分は無事でした。
昭和20年8月に広島市に原子爆弾が投下された際は第11海軍航空廠と共に救護を派遣しました。
太平洋戦争終戦後は進駐してきたオーストラリア軍に建物が接収されます。また、呉海軍病院自体は海外からの引き揚げ事業支援のため大竹市の大竹潜水学校跡に移転し後の国立大竹病院へと派生しました。
接収から11年後の昭和31年にようやく接収解除となり国立呉病院と改称して再開院しました。
昭和38年に看護学校を併設し、平成16年に独立行政法人化され現在の呉医療センターとなりました。現在も呉市随一の高度医療拠点として救急ヘリコプター搬送も行う12階建ての総合病院となっています。
呉海軍病院跡の記念碑
元は海軍病院であったことを示す記念碑
海軍病院時代の階段
西側正面にある海軍病院時代の階段
呉海軍病院唯一の遺構です。
底栗車之塔(ちりしゃのとう)
底栗車「ちりしゃ」とは実験動物のこと
海軍病院時代には実験に使役された動物の慰霊碑を立て毎年慰霊祭を行っていました。
実験病舎は現在の病院とは別の場所にありましたが、紆余曲折の末に慰霊碑もここに移転されました。
旧呉海軍病院官舎
青山町の一角にあった海軍病院職員用の戸建て官舎
「海軍が建設した戸建て住宅」という非常にめずらしいものでした。
※この建物は現存しません
備考 |
・旧呉海軍病院官舎は解体されており現存しない ・海軍病院時代の階段と記念碑は入船山記念館の入口近くにある ・底栗車之塔は看護学校の裏にある ・呉駅から出るシャトルバスは通院者専用なので観光目的で乗らないように ・シャトルバス以外のバス停も目の前にあるが呉駅からだと歩いた方が早い ・同じ海軍軍属病院として呉共済病院(旧呉海軍共済病院)と三木谷医院(旧広海軍共済組合病院)と賀茂精神医療センター(旧海軍賀茂病院)があった ・近くに入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)と海上自衛隊呉教育隊(旧呉海兵団)と呉YWCAと呉水交社跡がある 5項目の写真はarch-hiroshimaよりクリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて引用 |
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住所 |
広島県呉市青山町3-1 |
駐車場 | なし(有料駐車場は通院者専用のため駐車不可)、となりの入船山公園に有料駐車場あり |
トイレ | 院内にあり、となりの入船山公園にあり |
竣工 | 明治22年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | https://kure.hosp.go.jp/ |
分類 | 遺構、記念碑、軍属病院 |
アクセス |
・呉駅から徒歩15分 ・広島電鉄バス「国立病院」バス停から徒歩すぐ |
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