秋月防空砲台跡
秋月防空砲台跡は秋月港の後ろにある飛追山にあります。
飛追山は標高170mと防空砲台を築くには低くまた江田島でも最も陸地が細いところです。しかし、西の江田島湾には海軍兵学校があり東の呉湾には呉海軍工廠があるという戦略的には重要な場所です。
秋月防空砲台は太平洋戦争中期の昭和17年8月に起工しましたが、土木工事や兵器配備が当初の予定より大幅に遅れ竣工したのは約2年後の昭和19年7月でした。
さらに、配備されるはずの『四〇口径八九式12.7cm連装高角砲』3基も実際には2基しか配備されず普通科砲術訓練生用の砲台となりました。また、防空機銃砲台も併設工事されており25mm連装機銃が1門配備される予定でした。
秋月防空砲台は頂点の砲台床から山の傾斜に沿って四段階に分かれています。
一段目が高角砲や待避所など、二段目にレンガ造りの施設、三段目は貯水槽、一番下の四段目に兵舎がありました。
余談ですが、現在の林道秋月線が開通したのは戦後の昭和60年のことで戦時中は砲台に来るには登山をするしかありませんでした。
砲台床跡
一段目の遺構
砲台の頂点であるここに四〇口径八九式12.7cm連装高角砲の砲台床がありました。現在は携帯電話会社の基地局に転用されています。
砲台は基本的に山頂にあるので、他所も含めて砲台跡は大体公園か水道局の配水池になってますがここは携帯電話の基地局です。
連絡通路
一段目の遺構
砲台床(携帯電話会社の基地局)の北に他の遺構もあります。
砲台床と同じ高さなので当初は地続きになっていたと思われますが、現在は直接来れないので貯水槽跡から入って登ってくる必要があります。
平地に連絡通路を掘った跡の窪みが残っています。
円形の遺構
一段目の遺構
コンクリートブロックで円形に窪地を作ってある遺構
他の遺構にはないめずらしいものですが詳細不明です。
F字型のコンクリート製遺構
一段目の北端にある遺構
F字型のコンクリートで砲台床に近いので砲弾置き場かもしれませんが、詳細不明です。
コンクリート質が戦争中特有の小石混じりのコンクリートです。
待避所跡(?)
一段目の遺構
砲台床の近くにある縦長の窪地です。位置的に待避所と思われますが詳細不明です。
待避所とは高角砲発射の爆風と爆音から兵士を守るための場所です。
レンガ造りの施設跡
二段目の遺構
一段目の遺構から降りたところに平地があり、そこにあります。
窪地、レンガの破片、レンガ造りの基礎が残っており兵舎跡ではないかといわれています。
貯水槽跡
三段目の遺構
二段目よりさらに降った山中にレンガ造り貯水槽跡が2つ残っています。
秋月防空砲台跡の中で唯一完全に現存する遺構で、1つは大型でもう1つは小型のものです。
太平洋戦争中に作られたせいかレンガが独特の灰色をしており大きな石も混ざってます。戦時急造されたのが理由なのか不明です。
兵舎跡
四段目の遺構
三段目の貯水槽跡と四段目の間に林道から延びる脇道があり、その下の平坦地が兵舎跡です。
他の段落とくらべてかなり広くわかりやすい平坦地ですが遺構は残ってません。
兵舎から貯水槽への連絡通路
林道と反対側に兵舎から貯水槽へ続く道の跡が残っています。
当時は車道はないためここに兵舎から貯水槽に登る通路がありました。現在は風化によって崩れたせいか通路というより山肌という感じです。
備考 |
・港からかなり距離があるので現実的に見て港から徒歩で行くのは無理 ・マイカー等が無い場合は小用港でレンタルサイクルを借りた方がいい ・携帯電話会社の基地局から北に遺構があるので基地局を目印に探すといい ・林道沿いにあるのはNHKの電波塔でそこから分かれ道を10mくらい入ると携帯電話会社の基地局(砲台床)がある ・林道から直接見れるのは砲台床跡と兵舎跡でそれ以外は山に入らないと見えない ・一段目と二段目は直接林道から入れないため、貯水槽跡から山に入り山中を移動して行くことになる ・秋月と名前がついているが秋月港集落から直接登ることはできない ・同じ林道秋月線を南に行けば飛渡瀬第一防空砲台跡がある |
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住所 |
広島県江田島市江田島町7741 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 昭和19年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | やや難しい |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡 |
アクセス |
・小用港から徒歩45分 ・江田島バス「江田島図書館前」バス停から徒歩30分 |
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