古鷹山
古鷹山は江田島の中央に位置する標高394mの山
明治21年に江田島海軍兵学校が開校すると兵学校のすぐ北にあるということもあり、生徒の登山訓練に使われ心身鍛錬の場として使われました。
明治時代の小説『坂の上の雲』で有名な広瀬武夫も在学中に100回以上登ったという逸話も残っています。
昭和5年に天皇陛下が江田島海軍兵学校を行幸された際にこの古鷹山に登山される予定でしたが、雨天のため中止となりました。
また、標高399mのクマン岳と連峰になっておりクマン岳から古鷹山に縦走するルートも登山家の間では人気です。
戦後、昭和53年6月に広島県最悪の山林火災と呼ばれる江田島町林野火災が発生し、古鷹山を含む約1000ヘクタール(東京ドーム約210個分)が焼失したため全山灰と化しましたが、その後の植林事業と林道の整備により元の緑あふれる山へ返りました。
余談ですが、太平洋戦争で活躍し昭和17年のサボ島沖海戦にて戦没した巡洋艦古鷹はこの古鷹山から命名されました。
山頂と旭日旗
古鷹山には2つのピークがありますが394mピークの山頂と呼ばれるところが有名です。
現在でも海上自衛隊術科学校の生徒が登山するためか、旭日旗が置いてあるのも古鷹山ならではです。
方位盤
山頂にあります。
この方位盤は術科学校内にある八方園神社にあるもののレプリカです。空港や港によくある外国の方位を示すモニュメントと言った方がわかりやすいかもしれません。
八方園神社は旧海軍兵学校時代の昭和3年に作られた校内神社で昭和天皇の御大典を記念して作られました。しかし、太平洋戦争終戦後に進駐軍の手に渡るのを恐れて社は撤去され現在は方位盤のみが残っています。
「ロスアンゼルス」「ラングーン」あたりが旧海軍らしい書き方ですが、旧海軍兵学校の生徒達はこれを見てまだ見ぬ外国の都市に思いを馳せたといわれています。
また、戦前の海軍兵学校時代の生徒は親の訃報があったとしても郷里に帰ることは許されず、この方位盤の前で古郷の方角を見て親の冥福を祈ったとも伝えられています。
古鷹山から見る江田島湾
晴れた日には広島市、呉市、遠くは四国山地まで見渡せます。
ちなみに、地元の人は江田島湾のことを江田内(えだうち)と呼びます。
クマン岳への縦走ルート
クマン岳は古鷹山と稜線がつながっている連峰で標高は古鷹山より少し高い標高399mです。
登山家の間ではクマン岳へ登山し稜線からそのまま古鷹山へ登る縦走ルートが人気です。
古鷹源水
古鷹山の林道にあります。
古鷹山を水源とする川で下流に行くと長谷川となり切串地区を流れて広島湾にそそぎます。
江田島の水源として重宝され切串にダムと浄水施設もありましたが、近年は呉市経由で太田川から水道を引いています
また、古鷹山を水源とする奥小路浄水場(旧奥小路水源池)が古鷹山を挟んで反対側にあります。
備考 |
・登山ルートは4つあるが1番近いルートでも鎖場が4つある ・登山道はよく整備されており案内板もあるため道迷いの可能性は低いが鎖場があるので登山用靴と手袋は必須 ・登山口が複数あるので江田島市観光協会のサイトのトレイルマップで予め確認してから入山するように ・切串港ルートから行くと分岐点に海軍兵学校の五省が1つづつ書かれているので余裕があれば見るといいかも ・現役の自衛官さんもよく登っているので運が良ければ会えるかもしれない ・奥小路登山口の近くに海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)と奥小路浄水場(旧奥小路水源池)がある |
---|---|
住所 |
広島県江田島市江田島町7 |
駐車場 | 奥小路登山口にあり |
トイレ | 切串港、奥小路登山口にあり |
竣工 | - |
公開 | 常時 |
登山難易度 | やや難しい |
サイト | |
分類 | 基地跡、しま山100選 |
アクセス |
・切串港から徒歩1時間20分 ・奥小路登山口から徒歩1時間 |
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧