平郡島
平郡島(へいぐんとう)は山口県柳井市の南約20kmの伊予灘に浮かぶ人口約600人程の細長い島
平地が少ないため主な産業は漁業と牧畜で島内には牛が放牧されており木造建物が多く残っているのどかな島です。
駆逐艦梨慰霊碑
平郡島中部の高月鼻と風無鼻の間にあります。
駆逐艦梨は橘型駆逐艦の10番艦として、太平洋戦争末期の昭和20年3月に就役しました。
橘型駆逐艦は戦局悪化による戦力不足を補うため性能を落とす代わりに建造期間を短くした戦時急造型の駆逐艦で、梨も起工からわずか7ヵ月で就役した艦艇でした。
しかし、就役したのが戦争末期であったため他の艦艇同様燃料不足で訓練航海すら満足にできず、ここ平郡島沖で空襲を受け横転沈没しました。
この慰霊碑は駆逐艦梨の沈没地点を望む海辺に昭和62年に建立され毎年7月には慰霊祭が行われています。
他の慰霊碑と違って島民からの感謝の言葉が多く刻まれており、『平郡島史』にも沈没する艦から乗組員を島民が救助したという記述が残っています。
砲弾
慰霊碑の近くにある砲弾
駆逐艦梨のものなのかは不明です。
長深山沖(駆逐艦梨終焉の地)
昭和20年7月に駆逐艦梨は僚艦の駆逐艦萩と共に瀬戸内海で人間魚雷『回天』の目標艦になる等訓練を続けていました。
二艦は光沖、平生沖、牛島沖と移動しながら訓練を行っていましたがこの頃になると瀬戸内海の制空権も失われていたため米軍空母艦載機が断続的に襲来し、ここ平郡島の長深山沖に移動した際に再び米軍機の襲来を受けました。
僚艦の萩は逃れましたが梨は複数回に渡る攻撃を受け横転沈没し多数の死傷者がでました。太平洋戦争終戦の18日前のことでした。
目の前にあるのは掛津島という無人島で瀬戸内海特有の穏やかな海が広がっています。
ちなみに、沈没した駆逐艦梨ですが戦後の昭和29年に引き揚げられて海上自衛隊の護衛艦『わかば』として再就役し、昭和46年に退役するまで第二の人生を歩みました。
終戦までに沈んだ艦艇は大抵解体されたり、生き残った艦も戦勝国に賠償として引き渡される中で海上自衛隊の艦艇として戦後も活躍した梨は非常にめずらしい存在といえます。
備考 |
・平郡島の東西にある2つの集落を結ぶ県道155号線沿いにある ・フェリーは柳井港から1日2往復便あり平郡島まで約1時間40分かかる ・平郡島には東西に2つ港があるが慰霊碑が近いのは平郡東港 ・1日2便なので島に泊まりたくないなら始発で行って最終便で帰ることになる ・往便は10:10着で復便が14:00発なので島に滞在できるのは実質4時間弱くらい ・平郡東港から慰霊碑までは片道4km(徒歩1時間程)ある ・島内は公共交通機関、レンタカー等ないので往復2時間歩きたくないならマイカーか自転車の持ち込みは必須 ・島内には民宿が数件、食堂(お昼のみ営業)が1件、自動販売機が数個ある ・他にも蛇の池や五十谷三島など名所があるので興味があれば観光してみるいいかも ・江田島の海上自衛隊第1術科学校に護衛艦わかばの退役後の装備の一部が展示されている |
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住所 |
山口県柳井市平郡4836 |
駐車場 |
柳井港:不明 平郡島:なし |
トイレ |
柳井港:あり 平郡島:なし |
竣工 | - |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 艦艇終焉の地 |
アクセス |
・平郡航路フェリー「平郡東」港から徒歩1時間 ・平郡航路フェリー「平郡西」港から徒歩1時間40分 |
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