軍用鉄道宇品線跡

ページ名:軍用鉄道宇品線跡

軍用鉄道宇品線

軍用鉄道宇品線は広島駅と宇品港を結ぶ鉄道で、明治27年の日清戦争開戦を受けて建設された鉄道

日清戦争開戦にあたり広島市に大本営帝国議会が置かれ、宇品港が中国大陸への陸軍の輸送拠点になるなど広島市は事実上日本の首都となりました。

当時、鉄道は日清戦争開戦の明治27年までに山陽鉄道(現在の山陽本線)が広島駅まで開通しており「広島駅から宇品港まで鉄道をつなげれば人員や物資をそのまま船に積んで大陸まで輸送できる」という目的のため、全長5.9kmの鉄道をわずか16日の突貫工事で完成させました。

日清戦争終戦後も宇品港は陸軍の兵站拠点として使用されます。また『陸軍三支廠』(陸軍兵器支廠陸軍被服支廠陸軍糧秣支廠)が宇品線沿いに建設されたこともあって宇品線は引き続き陸軍の輸送インフラとして利用されます。

さらに、日清戦争後も日露戦争・日中戦争と戦争が続いたため引き続き海外への輸送需要は多く、人員や物資の輸送・輸入や復員などに活躍しました。

当初は陸軍省が管理する軍用鉄道でしたが、明治30年に民間鉄道会社に委託され旅客と貨物を運行します。その後、明治39年に国有化に戻されさらに大正4年に再び軍用鉄道に戻されました。

昭和5年に再び民間鉄道会社に委託され旅客業務も再開されますが、昭和12年に日中戦争が始まると3度目の国有化がされました。その後、太平洋戦争が始まると昼夜を問わず30分おきに列車が発車するなど軍用輸送がフル稼働状態となたっため、旅客業務は再度禁止されました。

昭和20年8月6日の原子爆弾投下の際は宇品線に被害はなく、南段原駅と宇品駅を往復し約3000人の負傷者を臨時救護所である宇品凱旋館似島金輪島へ搬送しました。

太平洋戦争終戦後も国鉄として運行を続けていましたが、戦後のモータリゼーションの発達によりバスや路面電車が宇品港に行くようになると利用客が大幅に減少し経営が悪化します。

昭和41年に慢性的な経営悪化を受け宇品ー上大河間の旅客列車が廃止されました。昭和47年には旅客業務を全廃止し1日1往復のみの貨物専用鉄道となりました。

しかし、陸軍のいなくなった宇品港は戦前のような大規模な物流拠点・輸出港ではなくなったため、鉄道による貨物輸送需要は大幅に減少しており昭和61年に廃線となりました。

広島駅0番乗り場跡

広島駅は明治27年に山陽鉄道(現在の山陽本線)の終点として作られました

現在はありませんが、かつては0番ホームが宇品線の乗り場として存在しました。

カープロード(安芸愛宕駅跡)

安芸愛宕(あきあたご)駅は広島駅と旧広島貨物駅(現在のマツダスタジアム)の間にあった駅

安芸愛宕駅は昭和6年に愛宕町停留場として作られ昭和12年に駅に昇格しました。太平洋戦争中の昭和18年に燃料事情の悪化により休止となりそのまま廃止となりました。

宇品線は路面電車のような利用を想定していたため駅間の距離が短く、安芸愛宕駅も広島駅からわずか400mの距離にある駅でした。

今日では広島駅からマツダスタジアムに行くための『カープロード』になっており、広島カープの看板がたくさんあります。

余談ですが、「開かずの踏切」こと愛宕踏切がこの近くにあります。

平和橋北詰(大須口駅跡)

大須口(おおすぐち)駅は猿候川にかかる平和橋の北側にあった駅

大須口駅は昭和5年に大須口停留場として作られ昭和12年に駅に昇格しました。太平洋戦争終戦後の昭和41年の旅客業務廃止に伴い廃止となりましたが、旧広島貨物駅への分岐線と信号機があったため全線廃線までは大須口信号場となりました。

なお、宇品線は現在の道路と同じくマツダスタジアム前で南に曲がり平和橋を渡って南に線路がありました。写真2枚目の奥に見えるのがマツダスタジアム(旧広島貨物駅)です。

段原平和橋南緑地(東段原駅跡)

東段原(ひがしだんばら)駅は平和橋の南側にあった駅

東段原駅は昭和6年に東段原停留場として作られ昭和12年に駅に昇格しました。太平洋戦争中の昭和18年に燃料事情の悪化により休止となりそのまま廃止となりました。

小さな緑地になっている場所が駅跡と思われますが、記念碑や説明板がないため詳細不明です。

段原南第五公園(南段原駅跡)

南段原(みなみだんばら)駅は現在の段原山崎町にあった駅

南段原駅は近くに広島女子商業学校があったことから昭和6年に女子商業前停留場場として作られました。昭和12年に南段原駅に改称しましたが、昭和47年の旅客業務廃止に伴い廃止となりました。

現在、駅跡は公園になっており線路等のモニュメントが残っています。

広島大学附属病院(比治山駅跡)

比治山(ひじやま)駅は広島大学附属病院前にあった駅

元々ここには広島陸軍兵器支廠があった関係で明治36年に比治山簡易停車場が作られました。しかし、大正8年の旅客業務廃止に伴い廃止となりました。

その後、昭和7年に兵器支廠前停留場として再開業し昭和12年に比治山駅と改称します。太平洋戦争が始まると昭和18年に燃料事情の悪化により休止となりました。

太平洋戦争終戦後広島陸軍兵器支廠跡地に広島県庁や警察学校が移転してきたため、休止していた比治山駅を上大河(かみおおこう)駅と改称し昭和22年に再再開業します。しかし、広島県庁が基町へ移転すると利用客が減少し昭和47年の旅客業務廃止で廃止となりました。

最終的に「3回開業して、4回名前を付けられ、他駅から名前を譲れられ、3回廃駅となった」というめずらしい駅となりました。

上大河駅跡

上大河駅は広島陸軍被服支廠前にあった駅

上大河駅は昭和5年に被服支廠前停留場として作られ昭和12年に上大河駅に改称しました。その後、太平洋戦争終戦後の昭和22年に廃止となりました。

非常に紛らわしいですが、上記の旧比治山駅が昭和22年から開業したため旧比治山駅に名前を譲る形で廃止となりました。旧比治山駅との距離は国道2号線を挟んでほぼ目の前です。

ポッポ広場(下大河駅跡)

下大河(しもおおこう)駅は現在の西旭町にあった駅

下大河駅は昭和6年に大河停車場として作られ昭和12年に駅に昇格しました。下大河駅は宇品線で唯一列車の行き違いができる駅でした。

太平洋戦争終戦後も周辺に高校が多いことから利用客は多くいましたが、バスなど他の公共交通機関の発達により利用客が減少し昭和41年の旅客業務廃止に伴い廃止となりました。

現在は西旭町集会所と記念広場となっています。

丹那駅跡

丹那(たんな)駅は現在の広島南警察署前にあった駅

丹那駅は昭和5年に丹那停留場として作られ昭和12年に駅に昇格しました。昭和41年の旅客業務廃止に伴い廃止となりました。

広島南警察署から宇品波止場公園までの海岸通りが宇品線の線路跡で現在でも倉庫会社が残っています。

丹那駅

丹那駅の写真

案内板に展示されています。

下丹那駅跡

下丹那(しもたんな)駅はマツダ自動車工場の辺りにある駅

元々はこの近辺に紡績工場が誘致されため、紡績工場の社名をとって人絹裏停留場として昭和9年に作られました。

その後昭和12年に駅に昇格しましたが、太平洋戦争中の昭和18年に燃料事情の悪化により休止となりそのまま廃止となりました。

宇品駅跡

宇品駅宇品波止場公園の近くにあった駅で宇品線の終着駅

明治27年の軍用鉄道宇品線開始から昭和61年の国鉄宇品線廃線まで存続した唯一の駅で、当時の山陽本線の列車がそのまま入構できる長さとするためホームの長さは日本一長い563mのホームが作られました。ホーム上には陸軍糧秣支廠の倉庫も作られました。

ここで荷役された物資や乗り入れた兵隊は陸軍桟橋を通って海外に輸送されます。また、陸軍では民間からの買い付けも行っていたため、駅の南側には陸軍相手に商売をする民間の倉庫会社や海運会社の倉庫も多数ありました。

昭和61年の廃線後もホーム上の倉庫だけは民間企業が使用していましたが、平成9年の広島南道路建設に伴いすべて取り壊されました。

現在は跡地に倉庫の壁の一部を使ったモニュメントが残っています。

宇品駅

戦後の宇品駅の写真

宇品駅跡の説明板に展示されています。

軍用鉄道宇品線のモニュメント

宇品波止場公園にある軍用鉄道宇品線のモニュメント

戦前は「富国強兵のシンボル」として、戦後は「原爆で焼け野原となった広島市の復興のシンボル」として、実に92年間宇品線は走り続けました。

廃線から21年経った平成19年に、かつての宇品線を語り継ぐため線路跡にあたる道路が「ポッポ通り」と名付けられました。

軍用鉄道宇品線

明治中期ころの宇品線と戦後のディーゼル車の写真

宇品波止場公園と下丹那駅跡に展示されています。

 

備考

宇品駅ホーム上の倉庫については宇品駅陸軍糧秣支廠倉庫跡のページで紹介

・線路跡は全長約6kmあるのですべて見るにはマイカーや自転車が無いと厳しいかも

・現存する遺構は南段原駅跡と丹那駅跡と宇品駅跡だけなので遺構だけ見たいのならこの3つだけでいいかも

・広島駅に近づくほど住宅街や繫華街になるので線路跡の雰囲気を味わいたいなら下大河駅跡から宇品駅跡の間だけ見てもいいかも

・ポッポ通りの愛称の道路は下大河駅跡から丹那駅跡までの道路がそれでこの間は線路跡でもある

・民間会社の倉庫はリノベーションされて宇品デポルトピアとなっているので興味があれば観光してもいいかも

似島にも軍用鉄道宇品線のプラットフォームの一部が残っている

・同じ軍用鉄道として広島市と呉市を結ぶ呉線がある

住所

駐車場 宇品波止場公園にあり(有料)
トイレ 宇品波止場公園にあり
竣工 明治27年
公開 常時
登山難易度
サイト

分類 インフラ
アクセス


南段原駅跡

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比治山駅跡

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被服支廠前駅跡

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下大河駅跡

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丹那駅跡

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下丹那駅跡

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宇品駅跡

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