鹿島の段々畑

ページ名:鹿島の段々畑

鹿島

鹿島は倉橋島の南東にある広島県最南端の有人島

呉駅から自動車で約2時間で行くことができる鹿島は全周9.2km、人口約300人という小さな島です。山口県の柱島と同じくらいの大きさですが、柱島と違って「本州とつながっている」という大きな利点があるため、島にしてはそれほど過疎化が進んでいません。

観光面では特に目立つものはありませんが、釣りの名所として有名で県内外から釣り客が訪れるほか、漁業も盛んに行われています。呉市内の居酒屋には鹿島にゆかりある店が多く、鹿島から魚を仕入れているお店も多数あるそうです。

鹿島の段々畑

宮ノ口集落にある鹿島唯一の観光地

鹿島は瀬戸内海の他の島と同じく、平地が少なく海岸線まで山が迫る急勾配な地形です。山が多いため地滑りが起こりやすい地質となっており島民たちは江戸時代からこのように石を積んで段々畑を作っています。

鹿島では潮風の影響により気温が高いことと、農業用水がほぼ無いため稲作ができません。そのため栽培できるのは野菜か柑橘類のみとなりますが、鹿島の主作物はジャガイモです。

かつては200段近い畑が山の頂まで続いており「耕して天に至る」といわれるほどの段々畑が作られていました。しかし、近年は後継者不足で耕作放棄地となっている畑が増えています。

ちなみに、同じ呉市の島である倉橋島南東部・大崎下島下蒲刈島も稲作に適さないためミカンの産地として有名ですが、同じような段々畑があります。

住宅の石垣

宮ノ口集落の住宅の石垣も段々畑と同じく手作業で積まれています。

現代人にとっては当たり前の光景ですが、江戸時代にこれを人の手で積むとなると途方も無い時間が必要だったと思われます。

詛之元の防波堤

島の中部にある詛之元港の防波堤

寄付金で作られたら記念碑がありますが、防波堤も段々畑と同じく石積みであることから江戸時代から戦前までに作られたものと思われます。

瀬戸口の防波堤

こちらは島の北部にある瀬戸口港の防波堤

太平洋戦争開戦の昭和16年6月竣工とあります。

電燈建設記念碑

電燈の建設を記念して作られた記念碑

こんな小さな島に電燈が作られたのは当時ビッグニュースだったのかも知れません。ちなみに、日本の電燈第1号は明治15年の東京銀座でした。

特攻艇を隠しておいたと思われる入り江

島の北部の瀬戸口にあります。

似島の特攻艇を隠しておく人工入り江に酷似しているので、ここも人工的に掘って太平洋戦争中は特攻艇を隠しておいた可能性があります。

左に設けられた階段のコンクリートの質からしても相当古そうですが詳細不明です。

鹿島大橋

鹿島と倉橋島をつなぐ橋

昭和50年竣工の全長340メートルのトラス橋です。

すでに開通していた音頭大橋のおかげで一気に本州ともつながりました。魚が有名な鹿島ですが、鹿島大橋ができたおかげで港にあがった魚を直接トラックで本州に運ぶことができるようになりました。

余談ですが、鹿島大橋のある鹿島と倉橋島の間の海峡の正式名称は『鹿老渡瀬戸(かろうとせと)』といいます。

 

備考

・倉橋島の桂浜温泉館から出るコミュニティバスの終点にある

・段々畑があるのは一番南の宮ノ口集落

・段々畑自体はバス停から徒歩5分程度のところにある

・電燈建設記念碑は北部の鹿島小学校跡にある

・島内には釣り客相手の民宿が数件ある

・全周9.2kmの島なので歩くのが好きなら半日程度ですべての集落を回れる

住所

広島県呉市倉橋町鹿島下19763

駐車場 なし
トイレ なし
竣工 不明
公開 常時
登山難易度
サイト

分類

観光地、記念碑、インフラ

アクセス

・呉市生活バス「宮ノ口」バス停から徒歩5分


段々畑

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詛之元の防波堤記念碑

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瀬戸口の防波堤記念碑

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電燈建設記念碑

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入り江

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