中野村聴音照射所跡
広島市と東広島市の市境にある標高514mの東中倉山(大谷山)
ここには太平洋戦争終戦まで呉鎮守府所属の防空施設である中野村聴音照射所がありました。
中野村聴音照射所は太平洋戦争開戦前の昭和16年に着工し、開戦後の昭和17年4月に竣工しました。ここには空中聴音機や探照灯、それに伴う兵舎等が建設されました。
空中聴音機とは敵機が襲来する際のエンジン音を捉えて索敵する兵器です。探照灯は敵機に直接光を投影して索敵する兵器で、レーダー技術の遅れた日本ではこの空中聴音機と探照灯が太平洋戦争終戦まで使用されました。
位置的にかなり山奥にありますが、兵舎や発電機に必要な水源が確保できる上に広島市と呉市への眺望が開けている事からここに作られました。
また、太平洋戦争末期には広島市に原爆を投下したB-29爆撃機エノラゲイ号を発見し呉鎮守府へ報告しています。
なお、「中野村」は場所を隠匿するために付けられたとなりの旧村名で地元の人からは「海軍山」と呼ばれていました。
聴音機跡
指令棟の北東側にあります。
ここに空中聴測機と要員3名がおり襲来する敵機のエンジン音を感知して索敵を行なっていました。
昭和20年8月6日には広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機エノラゲイ号の正確な高度を確認しました。また、原子爆弾投下直前に投下された自動計測装置まで確認しています。
発見後、ただちに呉鎮守府に報告しましたが2機(実際は観測機を含め3機)との報告だったため偵察と誤認されてしまい、空襲警報の発令が遅れ大きな被害が出てしまいました。
遺構としてはアンカーボルト付きのコンクリート基礎と石垣が残っています。
探照灯跡
探照灯の跡
アンカーボルト付きのコンクリート基礎と電線用の碍子が残っています。
管制機跡
管制機の跡
遺構は残っていません。
待避壕跡
待避壕とは一般的に防空砲台に作られる設備で高射砲等の爆風や爆音から兵士を守るための場所です。
石垣とコンクリートで作られた遺構が残っています。
貯水槽跡
大型の貯水槽跡が2つ残っています。
兵舎跡
待避豪や管制機から一段下がった場所にあります。
貯水槽跡
風呂場跡
便所跡
こちらは広島湾要塞時代の砲台によくあるレンガ造りの四角い便所です。
炊事場跡
炊事場跡です。水回りを一か所に集めているのが山中の砲台によくある造りです。
直流変電棟跡
遺構は残っていません。
司令棟
ノスタルジックな雰囲気のこの遺構は指揮と通信を行う建物です。
南側の2部屋が通信室でもう半分が司令室という造りで、他の遺構と同じくレンガを積んだものにモルタルを塗って作られています。
司令棟だけは鉄筋の入った屋根が残っており、登山道にあるため登山者の休憩所にもなっています。
屋外便所跡
司令棟の前にある小型の便所
太平洋戦争で使われた砲台や聴音所では司令棟のとなりに便所があるのものが多いです。
備考 |
・ルートは複数あるが遺構自体がかなり山奥にあるので長時間の登山が必要 ・瀬野駅から行くルートは往復約6時間30分歩くため飲料水、食料、地図等をしっかり準備し適時休憩を取るように ・瀬野駅から行く場合は途中の八世以山を越えて東中倉山に行くので体感的に山を2つ登ることになる ・北側の平原登山口から行くルートは登山自体は南より楽だが最寄りバス停から登山口まで徒歩38分かかるのでマイカー等が無い場合は八本松駅からタクシーを使った方がいい ・急斜面を登る場所もあるので最低でも登山用靴と手袋等は必須 ・同じB-29爆撃機エノラゲイ号を発見した防空監視哨として甲山防空監視哨跡と板城村聴音照射所跡がある ・瀬野駅の近くに瀬野機関区跡がある |
---|---|
住所 |
広島県広島市安芸区上瀬野町854-1 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 昭和17年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | かなり難しい |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡 |
アクセス |
・瀬野駅から徒歩約3時間10分 ・芸陽バス「七条」バス停から徒歩1時間40分 |
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧