広島第二陸軍病院跡
第二陸軍病院は広島城を囲む陸軍施設の一つ
広島市の陸軍病院の歴史は古く第五師団がまだ広島鎮台と呼ばれていた明治初期に『広島鎮台病院』として創設されました。
広島城周辺には第一と第二の2つの陸軍病院がありました。第一陸軍病院は現在の基町の辺りに、第二陸軍病院はここ旧太田川沿いにありました。
太平洋戦争末期の昭和20年8月の原爆投下当時は両院合わせて約1000人の患者が入院していましたが、爆心地から500mの近距離であったため職員や患者の多くが犠牲となりました。
病棟も全壊しましたがバラック小屋で臨時救護所を作って負傷者の治療したという記録が残っています。その名残か太平洋戦争終戦後もこの辺り一帯はバラック小屋に住む人々が多くおり、地元の人の話では「戦後しばらくは治安が悪かった」と言います。
昭和30年に陸軍病院の職員・患者を慰霊するため旧病院の表門石柱と庭石を使って慰霊碑が建立されました。この慰霊碑は被爆した庭石を積み重ね、その上に門柱を置いて作ったもので『廣島陸軍病院原爆慰霊碑』と刻印されています。
なお、後の調査により確認された被爆死した軍関係者の医師(軍医)は100人以上とされています。
広島第二陸軍病院臨時救護所
原子爆弾投下直後の広島第二陸軍病院臨時救護所の写真
説明板に展示されています。
生き残った職員が建物の廃材等をかき集めてバラック小屋を作り、多くの負傷者を治療しました。
広島鎮台病院時代の門柱
慰霊碑完成の22年後である昭和52年に、広島鎮台病院時代の門柱も発掘されここに移設されました。
赤十字のレリーフが病院の門柱であったことを伺わせます。
被爆樹木
広島第二陸軍病院の庭にあった樹木で昭和20年8月の原子爆弾で被爆しました。
1つは爆風で焼けた後も枝を伸ばして成長しましたが、昭和59年の台風により痛み始め被爆から43年後の昭和63年に枯れてしまいました。
もう1つは市営基町アパートの駐車場にあり爆風で焦げた痕が現在も残っています。
備考 |
・第一陸軍病院は現在の広島パセーラや広島市立中央図書館の辺りにあったが遺構や記念碑は残っていない ・被爆樹木は他にも広島平和記念公園や御幸橋等広島市内にいくつかある ・呉市にも軍属病院として呉鎮守府の旧呉海軍病院がある ・近くに輜重兵第5連隊跡と広島城(陸軍第五師団跡)がある |
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住所 |
広島県広島市中区基町22本川河岸緑地 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 被爆遺構、記念碑、軍属病院 |
アクセス |
・新白島駅から徒歩15分 ・広島交通バス「基町」バス停から徒歩10分 |
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