柱島
山口県岩国市の沖26㎞に浮かぶ小さな島
人口140人程度の小さな島ですが太平洋戦争中は南にある屋代島との間に日本海軍の錨泊地柱島泊地がありました。
当時は、海軍との交流もあったようで連合艦隊司令長官山本五十六も柱島を訪れたことがあります。
戦艦陸奥英霊之墓
南東の洲鼻(V字型の岬部分)にあります。
太平洋戦争中の昭和18年6月、柱島から南西沖約2kmの柱島泊地に警泊していた戦艦陸奥が謎の爆発を起こして沈没し乗組員1122名が犠牲になりました。
柱島には多くの遺体が漂着しましたが、戦艦陸奥の沈没は敵に気づかれないよう軍事機密として厳重に隠匿され、乗組員の遺体は続島で火葬されました。この慰霊碑は犠牲者を悼んだ柱島の人によって建立されました。
また、対岸の屋代島にも同じような慰霊碑があります。
柱島から見た柱島泊地
対岸に見えるのが屋代島です。
続島
柱島の南東にある小さな無人島
戦艦陸奥の沈没は敵に気づかれないように軍事機密として厳重に隠匿され、乗組員の遺体はここ続島で秘密裏に火葬されました。後に柱島の大工により葬儀のための祭壇が作られました。
余談ですが、続島が見える柱島南東端の岬は波がV字に交差する面白い場所でもあります。
柱島泊地見張所
柱島の最高峰「周防の小富士」こと金蔵山(標高283m)の山頂付近にあります。
太平洋戦争中に海軍が作ったレンガ造りの見張所です。
見張所と言ってもここから柱島泊地が見えるわけではなく、通信室や便所があることから司令棟か衛兵詰所かと思われます。
柱島泊地見張所(内部)
防空監視哨の司令棟をコンパクトにしたような造りです。同じく小部屋は通信室かと思われます。
通信室の屋根がきちんと現存してることや内側からイギリス積みのレンガが見れる貴重な遺構です。
柱島泊地見張所(レンガ)
使われているレンガは石や陶器が混じっていたりと純度の低い土で作られています。
戦前戦中に作られたコンクリートは不純物が混ざっているものをよく見ますが、レンガに入っているのはめずらしく何かの理由で急造したためかもしれません。
柱島泊地見張所(便所と貯水槽)
レンガ造りにモルタル塗りの貯水槽が2つあり見張所への登山道にあります。
井戸が近くにないところを見ると雨水を溜めておいて防火用水に使ったものと思われます。
便所は他の砲台跡などと同じく見張所の近くにあります。
貴船の峯
南部にある丘で、中世の忽那水軍時代に見張り台とのろし台がありました。
ここから柱島泊地を囲む柱島群島がよく見えます。
浦庄の浜桟橋跡
南東にある桟橋跡
海水浴場があった昭和の頃の遺構ですが利用客のマナーが悪く廃止となったそうです。橋脚のみ現存しており作られた年代は不明ですが恐らく戦後のものと思われます。
廃止の理由が悲しいですが、柱島の海はすごく綺麗なので今でも海水浴に来る人がいるかもしれません。
備考 |
・岩国港から旅客船で約45分かかる ・旅客船は非常に便数が少ないので帰りの便に注意 ・岩国港の最寄り駅は岩国駅か和木駅になるが、駅から岩国港に行くバスも便数が少ないため船とバスの時刻表を確認し計画を立てて行こう ・時間帯によっては和木駅から岩国港まで歩いた方が早い場合もある ・柱島には飲食店はないので食料は必要な分だけ持参すること(自動販売機はある) ・宿泊施設は数件あるが事前予約必須 ・集落は柱島港周辺しかなく奥に行くと人気がまったく無くなるので危険なところに行かないように ・戦艦陸奥英霊之墓は柱島港から徒歩23分程の南の海岸にある ・見張り所は金蔵山山頂にあるため片道40分ほど登山が必要 ・金蔵山は季節によって草藪がひどく入山できない事がある ・対岸の屋代島に戦艦陸奥の乗組員の遺品が展示されている陸奥記念館がある ・大津島の回天記念館に戦艦陸奥の第三砲塔の薬莢で作られた梵鐘がある ・呉市の海上保安大学校資料館に戦艦陸奥から回収した燃料が展示されている |
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住所 |
戦艦陸奥英霊之墓:山口県岩国市柱島491 柱島泊地見張所:山口県岩国市柱島1781 |
駐車場 | 岩国港にあり |
トイレ | 岩国港にあり、柱島港にあり |
竣工 | 平成4年/太平洋戦争中(?)/不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | 金蔵山:普通 |
サイト | |
分類 | 遺構、艦艇終焉の地、記念碑、しま山100選 |
アクセス | ・岩国港から旅客船で45分 |
戦艦陸奥英霊之墓
続島
柱島泊地見張所
浦庄の浜桟橋跡
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