中国憲兵隊司令部跡
中国憲兵隊司令部は広島市中心部の電車通りにあった陸軍の施設
憲兵とは、陸海軍の兵科の1つで軍隊内の犯罪調査や風紀の維持、軍隊内の反戦運動の取り締まり等を行う警察のような組織です。また、戦時下には民間人に対しても軍事機密の保持や防諜のための取り締まりを行います。
ここには昭和20年7月の第二次呉軍港空襲で撃墜された米軍機の乗員が捕虜として収容されていました。
昭和20年8月の原子爆弾投下では爆心地から至近距離であった司令部の建物は一瞬で倒壊しアメリカ兵捕虜12名が死亡しました。
収容されていたアメリカ兵は戦艦榛名によって撃墜されたB24爆撃機ロンサムレディ号の乗員7名、B24爆撃機タロア号の乗員3名、巡洋艦利根よって撃墜されたヘルダイバー爆撃機の乗員2名、上関空襲に参加していたF6F戦闘機の乗員1名の合計13名でした。ただし、B24爆撃機ロンサムレディ号の機長だけは尋問のため東京へ移送されていたため唯一の生存者となりました。
しかし、「アメリカの落とした原子爆弾でアメリカ兵が亡くなった」という話は地元広島市民の間でもあまり知られていません。
後年、B24爆撃機ロンサムレディ号の機長は広島市を訪れ、原爆ドームを訪問し戦艦榛名の元乗組員とも面会しています。
銘板と機長の来日を知らせる新聞
英語で書かれた銘板と機長の来日を知らせる新聞
銘板にはB24爆撃機ロンサムレディ号とB24爆撃機タロア号の乗員の写真が掲載されています。
備考 |
・路面電車通りから入った裏通りにある ・紙屋町(東)電停の北にある宝ビル(「ひろしましごと館」の看板が出ているビル)の裏口にある ・被爆死したアメリカ兵の人数や内訳は諸説あるアメリカ政府が公式に認めているのは10名である ・ヘルダイバー爆撃機の乗員2人も移送されて助かったという資料もあるがこちらも詳細不明 ・呉市の大和ミュージアムにB24爆撃機ロンサムレディ号とB24爆撃機タロア号の破片と銃弾が展示されている ・同じ趣旨の慰霊碑として倉橋島の米空軍勇士之碑がある ・呉市にも海軍の憲兵隊施設として呉憲兵隊跡がある ・近くに広島城(陸軍第五師団跡)と臨時帝国議会仮議事堂跡がある |
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住所 |
広島県広島市中区基町12-8 |
駐車場 | 近くの地下街にあり(有料) |
トイレ | 近くの地下街にあり |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 記念碑 |
アクセス |
・広島電鉄路面電車「紙屋町東」電停から徒歩2分 |
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