噫戦艦大和塔
国道487号沿いにある歴史の見える丘にあります。
眼前の戦艦大和建造ドックで建造された戦艦大和の記念塔で進水30周年を記念して昭和44年7月に建立されました。建立には戦艦大和の艦内神社である大和神社(奈良県)から、艦内神社と同じように御分霊されました。
記念塔には戦艦大和の性能や艦歴が記されており、実物大の戦艦大和と戦艦長門の徹甲弾が展示されています。
戦艦大和は昭和16年12月16日(真珠湾攻撃の8日後)に就役し、太平洋戦争末期の昭和20年4月7日(日本海軍最後の組織的戦闘といわれる坊ノ岬沖海戦)に戦没したため「戦艦大和の艦暦は太平洋戦争の歴史そのもの」といわれています。
また、戦艦大和の建造は非常に秘密裏に進められたため、呉海軍工廠の造船技術はもちろん呉市民の生活にも非常に影響を与えました。
『歴史の見える丘』という名称は「軍港都市から近代造船都市としての道を歩んだ明治以降の呉の歴史が一望できる場所」として昭和57年に制定されました。
造船船渠記念碑
戦艦大和建造ドックの壁石で作られたモニュメントです。
ドック自体は昭和46年に埋め立てられ現在は屋根付きの作業場になっていますが、埋立て以前のドックの壁石を記念に保存をしているモニュメントです。
壁石とドックに降りる階段を再現しています。
旧呉海軍工廠礎石記念塔
この記念碑は旧海軍工廠時代の定礎を集めて初代呉鎮守府のレンガに貼り合わせたものです。
明治時代の礎石は手彫りが主流なので現在では読めなくなっているものがほとんどですが、ここの礎石は一番古い「明治二十二年」がはっきりと読めることから当時としてもかなり高い技術で作られていることがわかります。
宮原地区風水害犠牲者慰霊碑
「1ヶ月遅れの神風」こと枕崎台風による犠牲者の慰霊碑
当時の人の話では台風自体は近年のものと大差はかったらしいですが、終戦直後ということもあり家屋や橋などのインフラがほとんど木造で、家屋はバラックの物も多く戦争で摩耗したことも災いして多くの死傷者を出したそうです。
備考 |
・丘というより道という感じの公園 ・澤原為綱翁之像については旧澤原家住宅(三ツ蔵)のページで紹介 ・戦艦大和建造ドックの壁石は呉市役所前とJMU敷地内にもある ・同じ呉市の大崎下島に同名の公園がある ・戦艦大和の艦内神社として大和神社(奈良県)がある ・近くに戦艦大和建造ドック跡と東郷平八郎邸跡と東郷坂と萬願寺がある |
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住所 |
広島県呉市宮原5丁目1-1 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 昭和57年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 記念碑、日本遺産 |
アクセス |
・呉駅から徒歩25分 ・広島電鉄バス「子規句碑前」バス停から徒歩すぐ |
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