大平山公園(大平山砲台跡)
大平山(おおひらやま)はとびしま海道の一つである下蒲刈島(しもかまがりじま)にある標高275mの山
江戸時代から朝鮮通信使の寄港地として栄えた下蒲刈島ですが、太平洋戦争前は呉鎮守府より呉軍港要塞地帯に指定され地図から消される事もありました。
太平洋戦争直前の昭和15年に呉防衛のため島の最高峰である大平山に防空砲台が作られました。また、島内の大下と地蔵峠にも聴音照射所が作られ、地元の向国民学校の高等科の児童が砲台建設のため軍役奉仕に動員されました。
太平山砲台には『四〇口径八九式12.7cm連装高角砲』4門が配備されましたが、戦時中に移設になったのか終戦時の記録では2門に減ってます。
太平洋戦争終戦後は、平成6年に公園として整備され現在でも砲台跡の遺構が残っています。
余談ですが、安芸灘諸島の中でもっとも標高が高いのは大崎下島の一峰寺山(449.3m)ですが、戦前は5島をつなぐとびしま海道の橋はなかったため本州に最も近い下蒲刈島に作られたのではないかと思われます。
砲台床
山頂にある四〇口径八九式12.7cm連装高角砲の砲台床
中央に指揮所がありそれを囲むように3つの砲台床がありますが、内1つは完全に森に呑まれているため形を確認できるのは2つです。
砲弾置き場
内側の土塁はコンクリート製のため砲弾置き場も武骨な印象を受けます。
昭和時代に作られた砲台で等間隔で同じ大きさの砲弾置き場が作られているのはめずらしいです。
土塁
土塁の外側は石垣で組まれています。
外側が石垣で内側がコンクリートというのは戦前戦中の砲台でよくある造りですが、平坦地の面積が足りないせいか大きく外側に張り出しており、断崖絶壁のようになっている所もあります。
指揮所
山頂の中央に位置する指揮所
中央に指揮所があり指揮所を囲むように砲台床があるという造りです。
元々ここまで深さがあったのか公園にする際に掘り下げたのか不明ですが、現在は雨水用の池になっているようです。
コンクリートの法面補強も公園にする際に付けられたものと思われます。
テニスコート(兵舎跡)
兵舎があった場所は取り壊されてテニスコートになっています。
太平山からの展望
下蒲刈島の最高峰であるため周囲に視界を遮るものはありません。
瀬戸内海をはじめとなりの上蒲刈島、安芸川尻の造船所の辺りまで見えます。
陽光桜
大平山公園には陽光という桜が植えられています。
太平洋戦争中に愛媛県の農業科の教師が、出征する生徒たちに「無事に桜の下に帰ってこい」と送り出しました。しかし、出征した生徒の多くは帰ってこなかったため、自責の念に苦しんだ教師が平和と慰霊の意味を込めて作ったのが陽光桜です。
昭和56年に桜としては全国で初めて品種登録され、平成27年に公開された映画『陽光桜 YOKO THE CHERRY BLOSSOM』をはじめ他にも映画や楽曲のモデルにもなりました。
備考 |
・最寄りのバス停は「下蒲刈中学校」「塩浜新開」どちらでも降りてもあまり変わらないが「下蒲刈中学校」の方が少しだけ近い ・山頂までの道はすべて舗装道路なので自動車でも行くことができるが何度か分岐があるので地図が無いと迷うかも ・最寄りのバス停から往復2時間かかるが道中公園内含めて水場や自動販売機はないため徒歩で行く場合は飲料水を持参した方がいい ・他の砲台跡公園とちがって砲台床に植林しているため季節によっては草藪がひどくて入れない ・山頂は植林のためか眺めがイマイチなので展望を撮るなら道中の安芸灘大橋が見える辺りがオススメ ・自動車で行く場合は安芸灘大橋は有料になる ・同じ下蒲刈島に蘭島閣美術館や松濤園等の観光地があるので興味があればついでに観光してもいいかも ・近くに女猫の瀬戸がある |
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住所 |
広島県呉市下蒲刈町下島2927-3 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |
竣工 | 昭和15年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | やや易しい |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡 |
アクセス |
・さんようバス「下蒲刈中学校」バス停から徒歩1時間 ・さんようバス「塩浜新開」バス停から徒歩1時間 |
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