関連人物
ストーリー
1、歴史の記録者
私の名前はエルボー——
祖父はブライト王国大聖堂で歴史を記述する
歴史家だった。
カタストロフとの戦争終結から
もう40年経っている。
今の平和な世の中も、
かつて神々と各種族の先人たちによる
大いなる犠牲との引き換えによるものだ。
これら英雄たちの輝かしい偉業を記録するのが
祖父の仕事だった。
祖父の言葉によれば、
偉大な功績を残した人たちは
夜空に輝く星々のように、
歴史という夜空に永遠と輝き続けるのだそうだ。
私はかつて祖父の手伝いとして
史料を整理したことがあった。
だがその時、書物の中にいくつか
おかしな記述漏れがあることに気づいた。
ーー......ブライト歴61年、冬。
人間とカタストロフの戦争は
もう30年もの間続いている。
ほかの種族たちの協力はあれど、
人間は未だにカタストロフに対し劣勢のままだ。
女神デューラはエスペリアを救うべく、
巨大な異空間を創り出し、
カタストロフたちを隔離しようとしていた。
ブライト王国の初代国王であるシレンは
各種族の連合軍を指揮して、
山々に侵入してきたカタストロフたちを退けた。
後に、女神デューラは破滅の深淵を作り、
大半のカタストロフを
封じ込めるのに成功した......ーー
以上の文章は、
祖父が整理した史料の内容を
引用したものであり、
戦争中である40年以上前にあった、
数々の英雄の事跡を記載したものだ。
ただ唯一......。
カタストロフに対抗し、多大な功績を上げた
ザフラエルに関する記述だけは
見つけることができなかった。
うっかりして記述漏れしていたとは
考えられない。
まるで、誰かが意図して
その記述を抹消したかのよう......。
祖父が他界してから、私は世界各地へと赴き、
ザフラエルに関する言い伝えや功績を
集めていたが、
まったくといっていいほど、成果がなかった。
私は祖父のかつての旧友である、
ブライト大聖堂の歴史家と聖職者にも接触した。
しかし彼らも同じく、
この事に関しては固く口を閉ざしたのだった。
欠けたパズルのピースは、
このままずっと歴史の中に
埋もれてしまうのではないかと考えていた。
ーーそう、あの人に会うまでは。
王国最西端には小さな町がある。
そこからさらに西へ進むと、
ひと気のない荒野が続いているという、
旅人が休息するにはうってつけの町だ。
私は短い冬の時期を、
この町の旅館で過ごしていた。
この旅館のロビーでは、
夜になると、芳醇な酒と
焼けた肉と香ばしい匂いが漂う。
私は日課のようにヴァイオリンを奏でながら
歌を歌っている。
私が歌うそのほとんどは、
ブライト王国の偉大なる王、シレンの物語だ。
あの戦争が終結してから、この偉大な英雄譚を
エスペリアの各地に広めている。
いつもより早く夜の帳が下りたある日ーー
この小さな旅館には、
初めての客がよく訪れる。
そのうちの1人である、
旅人であろう老人が私の向かい側に座った。
老人はしっかりと隠している。
わずかに白い髪だけが見えていた。
最初はあまり気に留めていなかったが、
私が演奏を終えると、酒を奢ってくれた。
そしてゆっくりと、
今まで聞いたことのない物語を
語ってくれたのだったーー
2、老人の話
語られた内容は、
ザフラエルに関する物語だった。
40年前のある日ーー
銀雪平原でシレンの率いる各種族の連合軍と
カタストロフとの間で
激しい遭遇戦が起きたそうだ。
この戦いに乗じて、
難攻不落と謳われた連合軍の拠点である
インディスト要塞を、
とあるカタストロフが襲撃したようで......。
「駐屯軍は致命的な打撃を受け、
主教のハイントも殺された......。
インディスト要塞が陥落すると、ザフラエルと
とあるカタストロフとの噂が
まるで疫病のように広まったんじゃ」
インディスト要塞陥落は
史料にも詳しく記録されていたが、
私はこのような噂が広まっていたことまでは
知らなかった。
「どのような噂だったんですか?」
旅館の隅に置かれていたろうそくの灯りが、
一瞬消えかかる。
そして、静かに蝋が1滴垂れ落ちていった。
「......ザフラエルは、
かつてこのカタストロフを
わざと見逃したという噂じゃ」
これを聞いて私は首を傾げた。
聖堂の記述によると、
ザフラエルは公正無私で
決して悪を許さない神であったとされる。
(そんな彼がどうしてカタストロフを......?)
だが、私は思ったことを口にせず、
そのまま老人の話を聞き続けることにした。
噂はどんどん広まり、
共に戦い、挑み、
命を落とした兵士たちの親族でさえ
ザフラエルを信用しなくなっていった。
それどころか、一部の者たちは
ザフラエルにインディスト要塞陥落の責任を
負わせようとしていたという。
「噂がどこから広まったのかはわからんが、
連合軍の人々は団結しなくなり、
次第に神に対して疑いを持つようになったんじゃ。
そして一度火がつくと、
その勢いは誰も止めることができぬ。
偉大なる王シレンもインディスト要塞の陥落で
12歳の息子マルスを失っていたんじゃが、
それでも王はザフラエルを信じて疑わなかった。
どうやらインディスト要塞を襲撃した
例のカタストロフは
ザフラエルの全てを知っていたようでな。
この機会を利用しようとしたんじゃ」
老人はここまで話すとしばらく口を閉ざした。
インディスト要塞陥落の記録には
このカタストロフの存在は記載されていない。
(いったい誰なのだろうか?)
思わず前のめりになり、老人の顔を伺った。
まだほんの少ししか話していないが、
私はこの老人の物語に興味津々だった。
「その後については知ってのとおり
『凍てつく谷』で最後の決戦じゃ。
これは連合軍最後の作戦じゃった。
カタストロフたちをすべて
『凍てつく谷』に誘い込み、
女神デューラが封印する。
この作戦にシレンは自ら囮となり、
カタストロフたちを誘い込んだんじゃ」
......熾烈な戦いだった。
数百にものぼる英雄たちの血で谷は赤く染まり、
カタストロフたちの怒号は谷中に広がった。
奴らは人間の兵士を切り裂き、
鎧ごと踏み潰していった。
カタストロフたちは、
これまでの数倍にも及ぶ力を使って
谷中のすべての出口を塞ぎ、
シレンと部下たちの退路を断った。
連合軍の部下全員が倒れ、
最後にシレンと2名の護衛のみが残った。
この時デューラが創り出した
破滅の深淵がついに完成し、
増援にたどり着いたザフラエルが
シレンを救出したのだ。
「シレンは自分の命を引き換えにして
人間に勝利をもたらそうとしたんじゃ。
だが、ザフラエルはシレンこそが
新生ブライト王国を導くにふさわしいと考えた」
ザフラエルが現れるところには
いつも例のカタストロフの姿がある。
しかし今回は、シレンに用があったようで......。
そのカタストロフは1匹の怨霊のような姿で
シレンを攻撃したという。
ザフラエルが攻撃を防ごうとしたが間に合わず、
シレンは重傷を負ってしまった。
偉大なる王シレンの生涯のことは
以前書籍で読んだことがある。
彼はカタストロフとの戦闘で
全身傷だらけになり、
さらには左目を失った
ということも書かれていたが、
彼がこのような目に遭っていたということは
どこにも記されていなかった。
老人は話を続けた......。
『凍てつく谷』の臨界点に近づいた
空間エネルギーは小規模の爆発を起こし始め、
破滅の深淵に近づくカタストロフは
どんどん引き込まれていった。
ザフラエルと、そのカタストロフは
破滅の深淵のすぐ近くで決戦を繰り広げていた。
ザフラエルの雷鳴が谷中に鳴り響けば、
カタストロフの刃は襲ってくる雷雲を
次々と切り裂いていく。
「目的は私なのだろう」
雷雲の中で叫ぶザフラエルの声は低く、
少し震えていたようだった。
「マルスは......まだ幼い子どもだった......」
「なら、オーウェンは?」
カタストロフの顔は怒りのあまり
少し歪んで見えた。
その目は残忍さと狂気が満ちている。
あれは激しい死闘だった。
雷霆の力を操る神と、
復讐の刃を手にしたカタストロフは
どちらも相手を本気で殺そうと思っていて、
互いに致命傷を負わせるような攻撃を
繰り返していた。
だが、カタストロフが単身で
神に敵うはずもなく......。
決定的な一撃を受けたカタストロフは、
膝から崩れ落ちた。
ザフラエルはカタストロフの前に立ちはだかる。
あとは手にしている、いかずちの槍で
カタストロフの胸を貫くのみ。
だが、ザフラエルはまたもや躊躇している。
すると、カタストロフの周りを飛んでいる
2つの怨霊が目の前の神を嘲笑い始めた。
「雷霆の神よ、見ろ......。
いったい誰がこいつをこのような化け物に
変えたんだ?
これが神の言う正義なのか?」
「......オーウェンのことは、
悪かったと思っている」
ザフラエルは嘲笑を無視し、
怨念に満ちたカタストロフの両目を見て話す。
いつもの威厳ある声が、
少し枯れているようだった。
「もう一度、やり直せたとしても、
私たちは......きっと同じことを
繰り返していただろう......」
ポツリポツリと語りかけるように、
ザフラエルは言葉を紡いでいく。
そしてーー
「だが......ルクレティア。
君と私は......過ちの中に囚われている......。
共に......終わらせよう」
ザフラエルの手に持っていた槍が光り出す。
どうやら決意をしたようだった。
彼は後ろを向き、シレンに最後の別れを告げ、
カタストロフの前に向かっていった。
相手の刃が彼に振り下ろされたが、
彼は相手を両腕できつく抱きしめ、
共に破滅の深淵へと落ちていった......。
その直後ーー
空間エネルギーが大爆発を起こし、
『凍てつく谷』の大半が瞬時に破滅の深淵へと
吞み込まれていったのだったーー
「............」
物語を聞き終えても、
私は頭を殴られたようなショックが
全身を貫き続いていた。
少しばかり間を置いて、
私はゆっくりと口を開いた。
「あ......あなたの話が正しければ......。
もし......もし、ザフラエルがいなかったら、
偉大なる王シレンも......『凍てつく谷』で
戦死していた、と......?
このようなことが、どうして今まで、
隠されていたのです......?」
老人は私の質問には答えなかったが、
彼の視線の先には多くの祈りを捧げている
信者がいた。
ここ数十年間、
ブライト大聖堂の名声は
これまでとないものになっていて、
その影響力は王国の隅々まで行き渡っている。
ここのような辺境の町にも
多くのブライト教の信者が存在しているのだ。
「あんたの歌はとても澄んでいるのう......」
老人の声は少し恍惚としていた。
「ザフラエル......。
あいつはわしの会った中で
1番敬虔な信者だったよ。
彼もまた自身がやるべきことをやっただけ。
ザフラエルの功績は
本来なら人々に忘れ去られるべきではない......。
だが、聖堂の名誉は真っ白な燭台のような存在。
いかなる汚点もあってはならぬのじゃ。
神であるザフラエルは
人間を虐殺したカタストロフを見逃した。
だが、彼もどうすることもできなかった。
そのカタストロフはルクレティア......。
かつてはザフラエルの妻だった者なんじゃ」
テーブルの上のろうそくは燃え尽き、
老人も酒を飲み終えた。
彼はテーブルに銅貨を2枚置き、立ち上がった。
「待ってください!」
私はふとある問題に気づいた。
「あの時のことはシレン王と
2人の護衛のみ目撃したはず......。
どうしてあなたは
そこまで詳しく知っているのです?」
老人は何も言わず
ゆっくりと旅館の出口に向かっていく。
旅館のドアが開き、
朝日が差し込んでくるとーー
帽子に隠された老人の顔が見えたのだ。
その表情は、老人とは思えないぐらい凛々しく、
強靭な眼差しをしていた。
そして1番印象に残ったのは、
左頬から左目にかけての長い傷跡だったーー
3、後世の人たちへ
人はやがて年老いて行くが、
英雄の物語はいつまでも語り継がれる。
私に残された時間もそう長くはない。
身体の衰弱とともに、
私も旅を続けることができなくなっていった。
......ペンを手に取るも、
老人から聞いたザフラエルの物語と考察を
記録すべきか躊躇している。
このことは歴史書に記録されることは
ないだろう。
だが歴史に否定されても、夜空に輝く星のように
いつまでもどこかで輝き続けると
私は信じているーー
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