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ストーリー
それは、しとしとと雨が降る夜だったーー
仄暗い路地裏のさらに奥で、
10歳にも満たない女の子が二人、
軒下で雨宿りをしていた。
ボロボロの服では寒さをしのげず、
青白い顔をしながらガタガタと震えている。
二人は抱き締め合ってなんとか耐えていた......。
シルヴィナとイザベラは、
故郷の村から逃げ出し、放浪の末、
ブライト王国の王都に辿り着いていた。
だが、ここにも彼女たちの居場所は
なかったのだった。
シルヴィナたちは休める場所を見つけるため、
広い王都をあてもなくさまよい続ける。
二人を受け入れてくれそうな場所に
ようやくたどり着いたが、
そこは王都のスラム地区だった。
ここは放浪者の溜まり場であると同時に、
法の及ばない場所でもある。
そこら中で暴力と犯罪が沸き起こっていたのだ。
それを目の当たりにした二人は、
一瞬、後ずさってしまう。
だが、スラム地区であれば、
衛兵に連れていかれることもなければ、
石を投げつけられることもない。
休める場所はここしかないと思い、
一歩踏み出したのだった......。
しかし、二人は別の場所で休むべきだった。
なぜなら、ここは奴隷商が蔓延る地区で、
放浪者は格好の餌食だったからだ。
絶対に奴隷商に見つかってはいけない......。
そう思いながら人目を避けて過ごしていたため、
食べ物を探すことすらできなかった。
それゆえ、シルヴィナとイザベラは、
丸二日なにも食べていない状態が続いている。
このままでは自分達は長くは持たないだろうと
思ったシルヴィナは、
歯を食いしばって立ち上がり、
妹のために食べ物を探しに行こうと決意した。
しかし、飢えによるめまいでよろけ、
倒れそうになってしまう。
シルヴィナは心配する妹を制して、
壁を支えに体勢を立て直し、
再び歩き出そうとしたその時だったーー
鋭くかすれた男性の声が突然響いたのだった。
「兄貴、こっちにいました! 小娘が二人!
病気持ちでなけりゃ、いい値段になりますぜ!」
声のした方を見れば、三人の男性が角から現れ、
こちらへ向かって来た。
(しまった......見つかった!)
三人とも凶悪な顔つきをしていて、
そのうち二人の手にはロープと袋のようなものを
持っているのが見える。
シルヴィナは嫌な予感がした。
「へっへ。今日は本当にツイてるぜ!
こんなに早く良さそうな獲物が二匹も
見つかるなんてな。
こいつらを例の貴族の旦那に売ったら、
たんまり儲かりそうだ!」
先頭に立った兄貴と呼ばれた男は、
報酬がたんまりと入ったことを想像しているのか、
残酷で悪意に満ちた表情をしている。
シルヴィナは後悔の念に苛まれている。
自分が立ち上がりさえしなければ......。
もう一日早く動いていれば......。
だが、そんなことを考えてももう遅い。
この状況を打破するために、
袖口からナイフを取り出し、
奴隷商たちに向けたのだった。
身体が弱っているせいか、恐怖のせいか、
それとも両方か、
彼女の細い腕は小さく震えていた。
このナイフは、
村から逃げ出した時から、
ずっと袖の中に隠し持っていたものだ。
人々が妹に悪意を向け、
何かしらの行動を起こした時、
その手の者から妹を守るために使おうと
決めていたものだった。
奴隷商達はシルヴィナにナイフを向けられ、
一瞬たじろいだが、すぐに大声で笑い出した。
シルヴィナが持っていたナイフは、
少し先が曲がり錆びついて、
到底人を殺せるようなものではなかったのだ。
泥まみれの小さな手が、
男達の嘲笑によってさらに震えが増す。
しかし、その下品な笑い声は
馬の鳴き声によって中断されたのだったーー
華麗な馬車が一台、
ゆっくりと路地裏の入り口に止まった。
立派な衣装を身にまとった、
優雅な紳士が一人、中にいるのが見える。
馬車の覗き窓から
興味深げにこちらを眺めているようだった。
彼のような貴族から見れば、
奴隷商であろうと孤児であろうと、
ただの汚いうじ虫と同類なのだろう。
貴族という生き物のほとんどは、
虫けらどもが生きるためにもがいている姿を
上から見て楽しむのが日常なのだ。
「あ、兄貴、だだ、誰か来たようです......」
ガリガリに痩せた奴隷商が、
先頭の男にどもりながら話しかける。
どうやら突然の観客に戸惑っているようだった。
すると、先頭の男がその馬車を睨みつけ......。
「なにビビってんだ! ここは俺らの縄張りだ。
邪魔するやつなんかいやしねぇ!
グズグズすんな、小娘達を捕まえろ!」
痩せた奴隷商は頷くと、持っていた袋を広げて、
シルヴィナに迫ってきた。
ここで自分が捕まってしまえば、
この先妹を守ることができない......。
シルヴィナは唇を噛みしめ、戦う覚悟を決める。
迫ってくる相手をじっと睨み付け、
ナイフを持つ手に力を込めようとしたが......。
降り続く雨の寒さに加え、
極度の飢えと緊張で震えが止まらなかった。
妹を守る使命と、迫りくる恐怖の狭間で
シルヴィナは必死に足を踏み出そうとするも、
動かない。
とうとうこの緊迫に耐えられず、
意識がふっと遠のき、よろめいてしまった。
それを好機と見た男は、
袋をシルヴィナの頭に被せようと振りかぶる。
遠のく意識の中で......。
シルヴィナは自分の使命を思い出す。
妹を......イザベラを守るのは自分しかいない。
すると、どこからかともなく
力が湧いて来るのを感じたシルヴィナは、
袋を被せられる直前、
目の前に向かってナイフを力一杯突き出したのだ。
奴隷商の視界は袋によって遮られ、
彼女の行動に気づくことはできず......。
男は右手に衝撃が走り、袋を手放したのだった。
何が起きたのかすぐには理解できなかったが、
自分の右手の甲から赤い液体が
だらだらと流れるのを見て、反撃されたと気づく。
その手は、骨が見えるほと深くえぐられていた。
悲痛な叫び声を上げながら男は逆上する。
シルヴィナは妹を守る一心で
ナイフを突き出したため、
なぜ男が悲鳴を上げているのかわからなかった。
そして......。
男は目の前で呆然としているシルヴィナを
力任せに殴ったのだ。
シルヴィナの弱りきった小さな身体は
吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたのだった。
「お姉ちゃん!」
姉が殴られるのを見てしまったイザベラは、
思わず物陰から飛び出して叫んだ。
シルヴィナの言うことを聞いて隠れていたが、
身体の奥底で暴走する力を抑えることが
できなくなり......。
イザベラの両目が怪しく光る......。
そして、一歩、また一歩と、
姉を殴り倒した憎い敵に近づいていく。
男は今までにない圧迫感と恐怖を感じ、
後退しようとしたその時ーー
ガリガリだった身体が更に細くなり、
みるみるうちに干からびていく。
悲鳴をあげることすらできないまま
ミイラのように骨と皮だけの死体となった。
残りの二人は目の前の恐ろしい光景に、
腰を抜かして座り込んでしまう。
しかしーー
馬車の中にいた貴族の紳士は、
まるで宝物を見つけたかのように興奮して
馬車を降り、路地裏に駆け込んだのだった。
そして、腰から細長く美しい剣を抜き、
あっさりと二人の奴隷商を斬り殺したのだ。
まるで邪魔な蔓でも切り払うかのように......。
シルヴィナは殴られた痛みをこらえて起き上がり、
ナイフを拾う。
震える足で妹を守るように立ち、
剣を持った男に警戒した。
貴族の男は真っ白なハンカチで、
刀身を染める血を拭き取ると
流麗な仕草で剣を鞘に収めた。
怪訝そうな顔で見つめるシルヴィナ達に、
男は右手を胸にあて、
腰を少し屈めて優雅な一礼をする。
「まずは自己紹介を。
私はベーダン男爵と申します。
君達の身には特別な力が備わっているようですね。
ぜひ君達を引き取らせていただきたいのですが、
いかがでしょう?」
一息にそこまで告げると、
男はシルヴィナの目を見て続けた。
「例えば君。
君は優秀な殺し屋になれる素質を持っています。
私なら才能を開花させるお手伝いを
することが可能です。
そうなれば、君は君自身の力で
妹さんを守ることができるでしょう。
私は一度馬車に戻り、君達の返事を待ちます。
これ以上服を濡らすと、
またメイドに叱られてしまいますから」
物腰柔らかなベーダン男爵は、
何事もなかったように馬車へと戻っていった。
シルヴィナは男爵の言ったことの全てを
理解したわけではなかったが、
彼に付いていけば妹を守ることができると思った。
ゆっくりとナイフを持った手を降ろし、
もう片方の手で妹の手を強く握ると、
冷たい雨が降る中、
馬車に向かってゆっくり歩きだしたのだったーー
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