アヴェルダ

ページ名:アヴェルダ

ラスティーアンカーの港から吹き付ける潮風が、腐敗と塩気を運びながら水鬼号の甲板を駆け抜け、波の音を伝えていた。

アヴェルダは艦首に佇み、広大な海面を見据えていた。

彼女の足下に広がる水鬼号は、ラスティーアンカーで最も名高い海賊団——

『ブルーデーモン』の所有物だ。

この狡猾な無法者たちは商船を襲い、帝国海軍の包囲網を掻い潜り、戦利品を港へ運び込んで闇取引に流すのが得意だった。

だがアヴェルダの野心はそれだけに収まらない。

海賊の生存競争は単純極まりない――

狩るか、狩られるか。

今回の航海のターゲットは、ゴールドと香料を満載した商船だ。

異国の商船隊が定期的に往来するこの海域で、ブルーデーモンは嵐と闇に紛れ、密やかに戦利品を刈り取る海の影であった。

 

「キャプテン、前方に動きあり!」

船乗りの叫びにアヴェルダが望遠鏡を構えると、波を蹴立てる数隻の軍艦が迫っていた。

千帆艦隊——

ブライト王国の海の刃。

海賊が最も忌避する敵だ。

旗艦『火継丸』は海上要塞の如く、舷側に並んだ砲口が敵を撃滅する時を待つ。

その甲板に立つのは、帝国海軍提督にして彼女の仇敵・ゼロムが立っている。

一瞬、あの忌まわしい記憶が甦る。

 

アヴェルダは貧しい漁村で暮らしていた。

あの夜、千帆艦隊の海賊掃討作戦中、火継丸の砲撃が誤って村を直撃。

家族を失った彼女は、瓦礫の中を彷徨いながらラスティーアンカーへと辿り着いた。

犯罪と狂気が渦巻くこの港は、少女に慈悲など示さない。

最も汚れた場所で、虐げられながら長い歳月を耐え忍んだ。

だが彼女は決して沈淪しなかった。

港で戦利品を積んだ海賊船を見上げる度、ブルーデーモンの旗が風に翻るのを眺めていた。

この世界で弱者の嘆きなど無意味だ――

真の強者だけが、自分のものを奪い返せるのだ。

あの暴風雨の夜、彼女は長い髪を切り落とし、ぼろきれで性別を隠してラスティーアンカーの沖に停泊していた水鬼号に潜り込んだ。

船上では誰も彼女が何者かなど気にも留めず、最下層の水夫として荷物を担ぎ、甲板を磨き、最も汚く最も疲れる仕事をこなした。

彼女は決して不平を漏らさなかった。

海の上で、弱者に許される結末は二つだけ――

追放か、死だ。

彼女は観察し、学び、船上のあらゆるスキルを習得した。

格闘術さえも会得する。

その忍耐強さと果断さは水鬼号船長の賞賛を得て、副船長に昇格する。

そして千帆艦隊との遭遇戦で老船長が戦死した恐怖と混乱の中、アヴェルダは即座に指揮権を掌握し、残った乗組員を率いて包囲網を突破したのだ。

あの日、彼女の運命は水鬼号と共に塗り替えられた。

二度と、あの絶望の夜へ引き戻させはしない。

 

大砲の轟音が鳴り響き、千帆艦隊の攻撃は鋼鉄の奔流の如く迫り、水鬼号の退路を塞いだ。

「急げ! 転舵!」

甲板を駆け回る乗組員たち。

綱を引き締め、水鬼号は荒波の中で激しく揺れる。

この包囲に乗組員たちはパニック状態に陥った。

水鬼号は今回、全く新しい航路を選んだはずだ。

常識的に考えれば、帝国海軍がここで正確に待ち伏せしているはずがない。

まさか......

船に内通者でも?

「北西方向、海霧へ急げ!」

アヴェルダは素早く命令を下した。

舵取りが即座に帆を操作し、船体が急速に方向を変え、近くの霧の中へ突っ込んでいった。

火継丸の砲火が直ちに降り注ぎ、数発の斉射が海面に落ち、巨大な水柱を巻き起こしたが、水鬼号は千載一遇のチャンスを掴み、霧の中へ潜り込み、一時的に追撃から逃れた。

しかし、霧が視界を遮っていても、千帆艦隊は周囲を巡回し続け、獲物が隙を見せるのを待っている。

包囲網を突破できなければ、水鬼号は最終的に砲火の下で破壊されるだろう。

 

濃霧の中、水鬼号は一時の静けさを取り戻した。

アヴェルダが航海図を見下ろすと、異常な印に気づいた。

彼女はすぐには指摘せず、ゆっくりと船員たちを見回し、最後にアドルフに目を留めた――

この元船長の古参部下で、普段は冷静な男が、今や目をさまよわせ、何かを隠しているようだった。

「アドルフ、昨夜の当直中に、変な光を見なかったか?」

アヴェルダは平然と尋ねた。

アドルフは一瞬固まり、額に冷や汗を浮かべた。

「い、いいえ。甲板の上の光なんて見てません......」

アヴェルダは突然軽く笑った。

「面白い......私はまだどこの光とは言っていないのだが」

空気が一瞬凍りついた。

船員たちが互いの顔を見合わせ、危険なオーラを感じ取った。

「昨夜、誰かが甲板で微かな光を目撃している。まるで遠距離信号のようだったそうだ」

アヴェルダは一旦言葉を切った。

「ちょうどお前が夜勤だったな」

「確かに昨夜は当直でしたが、信号なんて見てません!」

アドルフは歯を食いしばって主張した。

アヴェルダはこれ以上言葉を費やすのをやめ、船員に航海図を広げるよう合図した。

少し黄ばんだ跡のある箇所を指差し、

「では、この改竄された印は何だ?」

全員の視線がその跡に集中した。

それは元の航路とほぼ重なっていたが、航海記録の最後のページに微かな引っかき傷が一本追加されていた――

まるで誰かが修正を試み、それを隠そうとした形跡のようだった。

アヴェルダは眉を少し上げて言った。

「海図に触れるのは私と舵取り、そして......」

彼女の視線がゆっくりとアドルフに落ちた。

昨夜の信号光と航海日誌の欠落。

全てが繋がった。

そしてアドルフこそが、昨夜唯一甲板に残って当直していた人物だった。

アドルフの冷や汗が額から滴り落ち、指先で袖を握り締め、もはや弁明もできなかった。

船員たちは目配せし、一斉にアドルフに飛びかかり、彼を甲板に強く押さえつけた。

「まだ言い逃れするつもりか? ゼロムに航路を売ったところで、奴がお前を生かすと思うのか!?」

アドルフは歯ぎしりしながら言った。

「女の分際で! 何が水鬼号の戦士長だ? 元船長が存命なら......」

これまでアヴェルダの地位を疑う声は絶えなかった。

謀略で這い上がったとか、運だけで生き延びたとか、海底のグレイヴボーンに霊魂を売ったとか......

だがそんなことはどうでもよい。

『水鬼号』では、死人に発言権はないのだ。

夜風が甲板を吹き抜け、アドルフは引きずり出された。

次の瞬間、ミストの中に水音が響く。

 

夜の帳の中、アヴェルダは再び艦首に立ち、千帆艦隊はまだミストの外を巡回していた。

選択を迫られ――

このまま隠れ続け、発見されるのを待つか?

それとも一縷の望みをかけて背水の陣で挑むか?

彼女は甲板の乗組員たちを見つめ、その目は揺るぎなく、断固としていた。

「総員、命令」

「帆を下ろし、角度を調整して、順風に乗る準備をしろ」

彼女は冷静に風向きを分析した。

「砲手は待機。ミストを抜けたら、奴らに挨拶の一発をくれてやれ」

次の瞬間、水鬼号は加速し始めた。

まるで潜伏していた巨獣のように、ミストの縁へと突っ込む。

「信号弾を燃焼させろ!」

号令と共に、火光が天を突き上げた。

千帆艦隊は水鬼号の動きに気づき、艦船は素早く進路を変え、砲口を向け直した......

しかし、もう遅かった。

「南東へ、全速力!」

船員たちが歯を食いしばって帆を調整する中、水鬼号は手綱を解かれた野獣のように大波を切り裂き、疾走していった。

ついに夜明け頃、千帆艦隊の姿は遠く水平線の彼方に完全に振り切られた。

 

夜が明け、嵐が徐々に収まり、海面は静けさを取り戻した。

船員たちは忙しく帆の調整や甲板の片付けをしていたが、彼らの視線は一様に船首に立つ人影に注がれていた。

アヴェルダはまだそこに立ち、遠くを見つめていた。

かつては疑問視されていたかもしれないが、今や彼らは彼女の決断力、果断さ、そして知恵を目の当たりにし、もはや船長としての適性を疑う者はいなかった。

水鬼号の支配は強固となったが、アヴェルダのターゲットは更に先を見据えている。

嵐はまだ、終わっていない。

そしてこの海は、やがて真の覇者を迎えることになるだろう。

 

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧