aklib_story_赤松林_大物

ページ名:aklib_story_赤松林_大物

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赤松林_「大物」

一本の電話を受けたせいで、突如一夜にして重大なポストについたマルキェヴィッチは、恐怖と不安を感じずにはいられなかった。しかし彼もついに、退路などないことを悟るのだった。


[職員] マルキェヴィッチ様!

[職員] こちらです! こちらへお越しください、マルキェヴィッチ様!

[マルキェヴィッチ] あっ、ここでしたか。

[マルキェヴィッチ] 大変お待たせしました。申し訳ありません、この辺の道にはあまり詳しくなくて。

[マルキェヴィッチ] 迎えに来ていただいてありがとうございます……

[職員] いえ……当然のことですので、お気になさらず。

[職員] こちらへどうぞ、会場はもう一つ向こうのエリアです。

[マルキェヴィッチ] わ、わかりました。

[マルキェヴィッチ] ……

[マルキェヴィッチ] あの……

[職員] 何ですか?

[マルキェヴィッチ] いえ、やっぱりいいです。何でもありません。

[マルキェヴィッチ] 今日はメジャー本戦前の座談会……ですよね?

[職員] はい。今日の会合は商業連合会の主催で、各代弁者様や企業代表の皆様が出席されます。座談会という名目ではございますが、あまり気を張らずともいい集まりですよ。

[マルキェヴィッチ] なるほど……

[職員] 事前に招待状が送られていると思います。そちらは入場の際に提示していただくだけで結構ですが、お持ちになっていますか?

[マルキェヴィッチ] も、もちろんです……持ってきています……

[マルキェヴィッチ] ……

[職員] あの……

[マルキェヴィッチ] は、はい。な、何でしょう?

[職員] すみません、あの……お手伝いは必要ですか?

[マルキェヴィッチ] えっと……何のことです?

[職員] 失礼致しました。ずっと上着を整えてらっしゃるので……

[職員] もし何か困ることがございましたら――あるいは私に手伝えることがございましたら、遠慮なくおっしゃってください。

[マルキェヴィッチ] あっ……服は問題ありません。えっとつまり、た、大したことではなくてですね、ただ……

[マルキェヴィッチ] ただ、まだあまり慣れていなくて……申し訳ありません。個人的な問題ですので、お気になさらず。

[職員] そうですか……

[職員] ……緊張されていらっしゃいます?

[マルキェヴィッチ] すみません。す、少しだけ。

[マルキェヴィッチ] 実はこういった座談会に正式に出席するのは初めてのことでして、どうにも……畏れ多いというか……

[職員] ……

[職員] そのように畏まる必要はございませんよ、代弁者マルキェヴィッチ様。

[職員] この座談会は商業連合会が呼びかけた集まりです。出席者の中で、商業連合会を代表する重要人物と言えるのは、あなたのような各代弁者なのですから……

[職員] どうぞ、お気兼ねなく参加なさってください。

[マルキェヴィッチ] ですが……私はそもそもこういった待遇を受ける器ではありません。私はただ……単なる偶然で……

[マルキェヴィッチ] きっと何かの手違いなんです。私は本来、ここにいるべきではない人間なんです……

[職員] それは……謙遜し過ぎというものですよ。

[マルキェヴィッチ] 私は――

[マルキェヴィッチ] すみません、電話が……

[職員] どうぞ。

[マルキェヴィッチ] はい、マルキェヴィッチです……

[マルキェヴィッチ] は、はい、問題ありません……

[マルキェヴィッチ] すべて順調です。何も不満はありません、大変感謝いたします。

[マルキェヴィッチ] いえ、とんでもありません! わざわざお迎えまでご用意いただき恐縮です。

[マルキェヴィッチ] いえ、そんな! こちらの方は非常に親切で、気に障るようなことは一切ありません。時間がかかっているのは、私が遅れてしまったせいでして……ど、どうか彼を叱らないでください……

[マルキェヴィッチ] 冗談? ……は、はい。もちろん冗談ですよね……

[マルキェヴィッチ] はい、まもなく着きます。

[マルキェヴィッチ] はい、では後ほど……

[マルキェヴィッチ] 申し訳ありません、お待たせしました。

[職員] ……いえいえ、お構いなく。

[マルキェヴィッチ] 先ほどの話ですが――

[マルキェヴィッチ] ――あっ!

[職員] 足元の段差にお気を付けください、マルキェヴィッチ様。

[職員] 四番通路から上がりますので、ついてきてください。

[マルキェヴィッチ] あっ、は、はい。すみません。

[マルキェヴィッチ] ……

[マルキェヴィッチ] ……

[職員] ……

[職員] 座談会会場は前方にございます。まっすぐ進んでいただき、招待状を受付の職員にお渡しいただければ大丈夫です。

[マルキェヴィッチ] はい、わかりました……ありがとうございます。

[職員] では私はこれで――

[マルキェヴィッチ] ま、待ってください!

[職員] ……何でしょう、マルキェヴィッチ様。

[マルキェヴィッチ] じ、実は先ほど私が言おうとしたのは……私は大物などではないということです……

[マルキェヴィッチ] ですから敬語で話さなくても大丈夫です。つまりマルキェヴィッチと呼んでいただいて構いませんので。

[職員] ……

[職員] それは……さすがに不適切ではないかと。

[職員] あなたは商業連合会の代弁者です。私は連合会の職員として、あなたの仕事やあなた自身を心から尊敬しています……

[マルキェヴィッチ] ……もしそれが理由なのであれば、私は尊敬には値しません。

[マルキェヴィッチ] 私はまだ、代弁者としてまともな仕事をしたことがありませんし、もしかしたら今日の会合を経て、私が代弁者に不適格であると判断されるかもしれません……

[マルキェヴィッチ] 今電話で解雇を告げられたとしても、不思議とは思いません……

[職員] ……考え過ぎですよ。

[職員] 商業連合会があなたを代弁者に任命したのには、きっとそれなりの根拠があってのことです……あなたの能力が認められたのですよ。

[マルキェヴィッチ] 能力が……認められた?

[マルキェヴィッチ] ……

[重厚な男の声] 私が鳴らしたのは代弁者の番号であり、君が電話に出た。

[重厚な男の声] つまり、君が代弁者だ。

[マルキェヴィッチ] ……そうとは思えません。

[マルキェヴィッチ] ……強いて理由をあげるのなら、すべてはチャルニー様の気まぐれによるものとしか……

[マルキェヴィッチ] あの時居合わせたのが、たまたま私だったというだけで……

[職員] 申し訳ありません、今何とおっしゃいましたか?

[マルキェヴィッチ] ……

[マルキェヴィッチ] いえ、何も……

[職員] ……

[職員] 実は……

[マルキェヴィッチ] 何ですか?

[職員] マルキェヴィッチ様……私は、以前にもあなたにお会いしたことがあります。昔、あるプロジェクトで偶然あなたと仕事をしました。

[マルキェヴィッチ] あ……

[職員] 随分と昔のことですから、覚えていらっしゃらないのも当然です。一緒に仕事をしたのも短期間だけですし。

[マルキェヴィッチ] ……ジェラード班長。

[職員] 私を覚えていらっしゃったのですか? ……非常に光栄です。

[マルキェヴィッチ] お会いした時から気づいていました……しかし、おっしゃる通り、随分と昔のことですから、言うべきかどうか迷っていたんです。

[マルキェヴィッチ] あれはたしか、騎士団の新人採用でしたか……私とあなたは同じリストを担当していましたね。

[職員] ええ、その通りです。

[マルキェヴィッチ] ……当時私たちが連絡を担当した騎士を覚えていらっしゃいますか?

[職員] それは……申し訳ありません、あまり覚えていません。

[マルキェヴィッチ] あれは数名の感染者騎士の方々でした……

[職員] そうでした。感染者の連中でしたね。

[マルキェヴィッチ] あの……彼らをそう呼ぶのはお止めください……

[マルキェヴィッチ] あの方たちはただ、不幸にも感染してしまっただけなのですから。

[職員] もちろんです、非常に不幸なことです……

[職員] しかしあなたと出会えた彼らは幸運です。正規の騎士団に加入できるなんて、あの感染者の……騎士たちにとっては、願ってもないことですからね。

[マルキェヴィッチ] それに関しては……

[マルキェヴィッチ] 恐らくあなたの記憶違いです。実際には、私たちはあの時の仕事を終わらせていません。

[職員] ……え? 待ってください、たしか……

[職員] たしか……焔尾騎士や、遠牙騎士たちを勧誘したあの時ですよね?

[マルキェヴィッチ] 思い出しましたか? そうです。当時の彼女たちは何試合かに勝利したばかり……あなたは、騎士団との契約には慎重を期すよう彼女たちに伝えるべきだと提案しましたね。

[マルキェヴィッチ] あの騎士たちはまだ若い女の子で、我々は彼女たちを騙すことなどできませんので。

[職員] ……

[職員] ……騎士団が感染者騎士に提示する条件には、理不尽な箇所がたくさんありました。表向きは理に適っているように見えますが……

[職員] しかし、普通はそれを契約前にわざわざ説明してあげる人はいません……

[マルキェヴィッチ] はい……普通ならそうです。

[マルキェヴィッチ] ただ、それは感染者騎士たちの将来に関わることです……

[職員] 将来に関しては誰も予想できません。

[職員] まさに……あなたがそうであるように。

[職員] もし事前にあなたの資料を確認していなければ、きっと私はあなただとわからなかったでしょう。

[マルキェヴィッチ] そうでしょうね……実は家を出る前に鏡を見たんです。同じタイミングで手を動かしたのでなければ、私自身ですら、映っているのが自分だとは思えませんでした。

[マルキェヴィッチ] ……ともかく、私を覚えていてくれたことに感謝します。

[職員] ……

[マルキェヴィッチ] 笑われてしまうかもしれませんが、実は今でもこのすべてが夢なのではないかと疑っているんです。

[マルキェヴィッチ] あまりにも非現実的すぎますので……

[職員] もし夢なら、きっといい夢に違いありません。

[マルキェヴィッチ] そ、そうでしょうか?

[職員] 違うのですか?

[マルキェヴィッチ] うーん……必ずしもそうではないかと……

[マルキェヴィッチ] 本当のことを言えば、やはり恐怖の方が大きいかもしれません。

[職員] 恐怖?

[職員] 何が怖いんです?

[マルキェヴィッチ] 多くの――とても多くのことがです。今の私は、眠りにつくことさえ難しい。自分が見ているこれが現実か否かにかかわらず、すべて私にとっては悪い夢なんです……他人には理解し難いでしょうが。

[職員] ……独特なお考えですね。

[マルキェヴィッチ] そ、そうでしょうか……

[職員] 何となくわかります。あなたは一夜にして上り詰めたのですから。

[職員] 普通の職員から突然、地位や権力を持った大物になったら……きっと私たちの誰もが、似たようなことを夢見るはずです。

[マルキェヴィッチ] 誰もが夢見る……たしかにそうです……

[職員] 何が悪いというんです? 夢が叶うなんてことは現実ではめったに起こりませんよ。

[職員] あなたは運が良かったんです、マルキェヴィッチ様。

[マルキェヴィッチ] しかし私は……そうあってほしくは……

[マルキェヴィッチ] ……

[マルキェヴィッチ] 分かりました……

[職員] お分かりいただけましたか? あなたの境遇は誰もが羨ましく思うものです。

[職員] 少なくとも私は――正直あなたがとても羨ましいです。

[マルキェヴィッチ] ……

[マルキェヴィッチ] おそらく……それです……

[職員] 何がですか?

[マルキェヴィッチ] ええと、それこそ私が怖いと感じる理由なのかもしれません。

[マルキェヴィッチ] すべてがあまりに突然……順調かつ当然のように起こりました。

[職員] ……

[マルキェヴィッチ] しかし数日前までは、私はこれから家賃を払っていけるかどうかを心配していました。騎士マリア・ニアールの説得に失敗し、減給の可能性が高かったからです。

[マルキェヴィッチ] チャルニー様に出会ったのもその時です……メジャーの予選期間は非常に多忙でしたが、私はただ使い走りをやっていただけです。

[職員] それから……?

[マルキェヴィッチ] それから私はある電話に出ました。

[職員] 電話?

[マルキェヴィッチ] 電話です。

[豪快な女の声] 今からあなたは、スウォマー食品の人間でも、ミェシュコの人間でもありません――あなたは商業連合会を代表する者であることを肝に銘じてください。

[企業職員] ちょっと待ってください……! 私は、こんな――

[豪快な女の声] 質疑は一切認められません。

[企業職員] わ……私は……

[企業職員] ……

[企業職員] いえ、わ、わかりました……

[豪快な女の声] それは良かったです。では、万事順調に進むようお祈りします。

[マルキェヴィッチ] ……本当は、私は何も理解できていないんです。

[マルキェヴィッチ] 私は今、頭の上からつま先までオーダーメイドの、いかにも「大物」らしいスーツを着ていますが、それで本当に私が大物になったというわけではありません……

[マルキェヴィッチ] 実際、このような服など私には全く似合わないと思っています。

[職員] ……そんなことはありません。大変お似合いですよ。

[職員] ……

[職員] こう申し上げると失礼かもしれませんが……以前一緒に仕事をした事実に免じて、お許しいただければと存じます。

[マルキェヴィッチ] 何ですか? どうぞおっしゃってください……

[職員] 一つご忠告です、マルキェヴィッチ様。

[職員] 今のようなお話はやはり、運命に愛された者として、そうではない私たちの前ではなさらない方がよろしいかと。

[マルキェヴィッチ] ……

[職員] 私はあなたのお気持ちを理解したいと強く思っています。ですが残念ながら……

[職員] それはできません。

[職員] 私を含め、あなたと立場を換わりたい者はたくさんいます。ですが残念なことに、私たちはそのような運を持ち合わせておりません。

[職員] ご理解いただけますか?

[マルキェヴィッチ] 私は……

[マルキェヴィッチ] お察し致します……ただ……

[職員] あなたはたしかに多くの悩みを抱えているようです。恐れや不安、迷いも感じているかもしれません……しかし、あなたの心の内とは関係なく――

[職員] 実際あなたは今、そのように身なりを整え、招待状を持ち、正式に認められた商業連合会の代弁者としてこの建物の中を歩いている。

[職員] あらゆる人の目にはすでに、あなたが「大物」として映っているのです。あなたご自身がどうお考えでもね。

[職員] さあ、会場はこの先です。まっすぐ進んでください。私はここで失礼いたします――

[マルキェヴィッチ] 待ってください……!

[職員] 良い一日をお過ごしください。

[企業職員] マルキェヴィッチ様は起業された経験がおありだとか?

[マルキェヴィッチ] は、はい……以前友人と一緒に。ですが小さな会社ですよ……

[企業職員] きっと大いに成功なさったのでしょう?

[マルキェヴィッチ] いえ、そんなことは。滅相もないです。

[企業職員] 謙虚なお方ですね。もし機会があれば、ぜひ皆さんにお話をしていただきたいものです。

[企業職員] それと先ほどおっしゃっていた独立騎士の待遇問題ですが、大変考えさせられました……

[マルキェヴィッチ] ……ありがとうございます。

[企業職員] そうだ、まだ何かお飲みになりますか? 私が取って――

[マルキェヴィッチ] あ、危ない!

[企業職員] も、申し訳ございません! マルキェヴィッチ様、大変失礼いたしました!

[マルキェヴィッチ] 大丈夫です。何ともありませんから、どうかお気になさらず……

[企業職員] あぁ私は一体なんてことを、お召し物を汚してしまって――

[マルキェヴィッチ] 服? ……あっ。

[マルキェヴィッチ] お酒がかかってしまったようですね……

[企業職員] た、大変失礼いたしました!

[企業職員] 申し訳ございません、すぐにタオルをお持ちします!

[マルキェヴィッチ] い、いや平気です、大丈夫ですから。

[マルキェヴィッチ] あっ、ありがとうございます……

[企業職員] 動かないでください、すぐにお拭き致しますので――

[マルキェヴィッチ] 結構です……! じ、自分でやりますから!

[企業職員] 上着を脱いでいただけますか、マルキェヴィッチ様。こんな大きなシミをきれいに拭き取るのは難しいです。クリーニングに出すよう手配いたします。

[マルキェヴィッチ] 脱ぐ……?

[企業職員] あっ……もし必要であれば、弁償いたしますので……

[マルキェヴィッチ] ……

[企業職員] マルキェヴィッチ様? どうしました、マルキェヴィッチ様?

[マルキェヴィッチ] ひ、必要ありません……大丈夫です。このままで構いません、弁償などしなくていいです。

[企業職員] えっ? しかし……

[マルキェヴィッチ] 大丈夫、大丈夫ですので……お気遣いありがとうございます。

[マルキェヴィッチ] このままで結構です……申し訳ありません、少しぼんやりしてしまいました……

[企業職員] 誰にでもそういう時はありますよ。顔色があまりよろしくないですね……最近疲れがたまってらっしゃるのでは?

[企業職員] もしや、先ほどもお仕事について考えていらっしゃったとか?

[マルキェヴィッチ] それは……まぁ、そんなところです……

[マルキェヴィッチ] ……ある方からの忠告について考えていました。

[マルキェヴィッチ] 彼の言うことは正しいのかもしれません。たしかにほとんどの出来事は、私の心の内に関係なく……

[企業職員] ええと、それはどういった意味でしょうか……?

[マルキェヴィッチ] いえ、どうかお気になさらず、ただの独り言ですので……

[マルキェヴィッチ] ただ、そうですね……自分が「大物」になったとは未だに思えませんが……

[マルキェヴィッチ] 今の私はもう……この服を脱げなくなってしまったようです。

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