「道路元標」を含むwiki一覧 - 1ページ

浦和の小字 - 埼玉県の小字

仲町四丁目に鹿島台公園がある。 稲荷丸(いなりまる):埼玉会館のあたり。1937年に高砂町二~四丁目、(旧)仲町二・三丁目になった。浦和町の道路元標が設置されていた。岸ノ下(きしのした):1937年に(旧)岸町五~七丁目、高砂町三丁目になった。岸分宿(きしぶんじゅく、きしぶんしゅ

豊田本の小字 - 埼玉県の小字

った。道(みち):2018年に豊田本四丁目になった。池ノ上(いけのうえ):2002、2018年に豊田町二丁目、豊田本四丁目になった。大田村の道路元標があった。田成町(たなりまち):2018、2019年に豊田本四・五丁目になった。笹木町(ささぎまち):2018、2019年に豊田本四

片山の小字 - 埼玉県の小字

れている。腰巻(こしまき):1972年に道場一丁目、片山一丁目になった。中道(中通)(なかどおり):1972年に片山一丁目になった。片山村の道路元標があった。引坂(ひきさか):1972年に片山二丁目になった。前原(まえはら):1971、1972年に池田四・五丁目、片山二・三丁目に

大袋新田の小字 - 埼玉県の小字

丁目になった。高橋西(たかはしにし):2016年に藤倉一丁目になった。高橋(たかはし):現存。2016年に一部が藤倉一丁目になった。日東村の道路元標があった。高橋自治会がある。高橋後(たかはしうしろ):現存。狢ヶ谷戸(むじながやと):現存。1998、2016年に一部が日東町、藤倉

新倉の小字 - 埼玉県の小字

に新倉三丁目になった。諏訪越四ッ木線という都市計画道路がある。四ツ木遺跡がある。下井戸(したいど):1971年に新倉二丁目になった。新倉村の道路元標があった。新倉二丁目にバス停「下井戸」、 下井戸稲荷神社がある。峯前(みねまえ):1971年に新倉二丁目になった。峯前遺跡がある。長

笠幡の小字 - 埼玉県の小字

しもたなか):現存。南小畔川に架かる田中橋がある。 倉ヶ谷戸(くらがやと):現存。倉ヶ谷戸自治会がある。 本郷(ほんごう):現存。霞ヶ関村の道路元標があった。東田神(ひがしたがみ):現存。大字笠幡に田神公園がある。川向(かわむこう):現存。橋向(はしむこう):現存。登戸(のぼっと

大和田の小字 - 埼玉県の小字

。三本木通りがある。 岾下:1975年に大和田一・二丁目になった。岾上:大和田小学校のあたり。1975年に大和田一丁目になった。大和田町の道路元標があった。大和田一丁目に岾上の埋墓がある。松下:1975年に大和田一・二丁目になった。西浦:1975年に大和田三・四丁目になった。カ

小室の小字 - 埼玉県の小字

蔵塚(くらつか):現存。大瀬戸(おおせど):現存。石塚(いしづか):現存。三ッ合(みつあい):1909年に新設された小字か。現存。田面沢村の道路元標があった。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 埼玉県報 平成14年11月・ 旧新・新旧地番対

鯨井の小字 - 埼玉県の小字

んだ):現存。 猫田(ねこだ):現存。曲田(まがりた):現存。境堀(さかいぼり):現存。鳥田(からすだ):現存。後(うしろ):現存。名細村の道路元標があった。荒田(あらだ):現存。川原田(かわはらだ):現存。有泉(ありいずみ):現存。西原(にしはら):現存。大字鯨井に西原公園があ

志木の小字 - 埼玉県の小字

ラブ中野(コミュニティーセンター)がある。中野町内会がある。中野遺跡がある。 市場(いちば):1972年に本町一・二丁目になった。志木町の道路元標があった。本町二丁目にバス停「市場坂上」、史跡市場跡、本町一丁目に交差点「市場坂上」、市場なら山児童遊園地がある。市場町内会がある。

下笹目の小字 - 埼玉県の小字

た。笹目南町に南根木橋児童遊園地がある。山宮(やまみや):1983、1987年に美女木四丁目、笹目一・三~六丁目、笹目北町になった。笹目村の道路元標があった。笹目四丁目にバス停「山宮」、山宮公園、山宮北公園がある。笹目川に架かる山宮橋、山宮下橋がある。 柳坪(柳ヶ坪)(やなか

宗岡の小字 - 埼玉県の小字

読まれるようになったとのこと。下宗岡二丁目に交差点「後口」がある。五位戸(五井戸)(ごいど):1973年に中宗岡三・四丁目になった。宗岡村の道路元標があった。産財乙(乙三才)(さんざいおつ):宗岡土地改良区事業により大半が大半が大字宗岡字三才になった。残存区域は1973年に中宗岡

浜崎の小字 - 埼玉県の小字

、字高田に編入した。高堤(たかつつみ):現存。新河岸川通(しんかしとおり):現存。川袋(かわぶくろ):現存。谷島(やしま):現存。内間木村の道路元標があった。中道下(なかみちした):1997年に浜崎四丁目になった。中道・中道下遺跡がある。宮前(みやまえ):1974年に(旧)浜崎三

膝折の小字 - 埼玉県の小字

園がある。 北浦第一~四遺跡がある。宿(しゅく):宿場があった川越街道沿いの区域。1970年に膝折町一・二丁目、幸町二丁目になった。膝折村の道路元標があった。広沢原(ひろさわはら):朝霞高校のあたり。現存。1970年に一部が幸町二・三丁目になった。近隣の新倉、下新倉、白子、溝沼、

中福の小字 - 埼玉県の小字

存。大窪(おおくぼ):現存。松峯(松峰)(まつみね):現存。小窪(こくぼ):現存。萱野(かやの):現存。足ヶ窪(あしがくぼ):現存。福原村の道路元標があった。神明(しんめい):現存。中沢(なかざわ):現存。仲川(なかがわ):現存。町見(まちみ):現存。流山(ながれやま):現存。丑

今泉の小字 - 埼玉県の小字

arr;川越市大字今泉現在の地名:川越市大字今泉後谷(うしろや):現存。西河原(にしがわら):現存。屋敷廻(やしきまわり):現存。南古谷村の道路元標があった。東田(ひがしだ):現存。南田(みなみだ):現存。市道(いちみち)江川(えがわ):現存。谷田(やだ):現存。参考文献・ 川越

鳩ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

まちそえこうち):鳩ヶ谷宿の中心だった日光御成道沿いの区域。1967年に本町一~三丁目、坂下町一~四丁目、桜町一・六丁目になった。鳩ヶ谷町の道路元標があった。鳩ヶ谷字町添第1遺跡がある。参考資料・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鳩ヶ谷市の歴史 ~年表・文献・史料編~・

亀ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

大字亀ヶ谷→所沢市大字亀ヶ谷現在の地名:所沢市大字亀ヶ谷東原(ひがしはら):現存。東原遺跡がある。亀寿(かめじゅ):現存。柳瀬村の道路元標があった。谷里(たにさと):現存。宝玉(ほうぎょく):現存。大光(だいこう):現存。鎌倉(かまくら):1951年に大字新郷になった。

三ヶ島の小字 - 埼玉県の小字

ヶ島五丁目になった。板橋(いたばし):1978年に三ヶ島五丁目、堀ノ内になった。馬場(ばんば):1978年に三ヶ島五丁目になった。三ヶ島村の道路元標があった。寺山(てらやま):1978年に三ヶ島三・五丁目になった。砂川堀に架かる寺山橋がある。寺山遺跡がある。砂川北(すながわきた)

原島の小字 - 埼玉県の小字

。北草加、南草加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町になった。草加町の道路元標があった。丸野:明治14年の字届書には記載がない。1931年に草加町字西町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年

下富の小字 - 埼玉県の小字

すみがだい):現存。駿河台(するがだい):現存。大字下富に交差点「下富駿河台」がある。駿河台遺跡がある。月見原(つきみはら):現存。富岡村の道路元標があった。武野(たけの):現存。武野台自治会がある。雪見原(ゆきみはら):現存。大字下富にバス停「雪見ヶ原」、雪見原西公園、雪見原東

下谷塚(谷塚町)の小字 - 埼玉県の小字

塚二丁目に谷塚西沼田公園がある。東地総田耕地(東地総田)(ひがしちそうだ):現存。2011年に一部が谷塚一丁目、瀬崎一丁目になった。谷塚村の道路元標があった。東地総田遺跡がある。西地総田耕地(西地総田)(にしちそうだ):現存。西地総田遺跡がある。谷際(やぎわ):現存。谷塚町やぎわ

山口の小字 - 埼玉県の小字

。大字山口に桜淵公園がある。薬師前(やくしまえ):現存。児泉(ちごいずみ):現存。大字山口に児泉公園がある。城上(しろがみ):現存。山口村の道路元標があった。大字山口に城上公園がある。城上陸橋がある。城上遺跡、城上第二遺跡がある。猿久保(さるくぼ):現存。東(ひがし):現存。20

北野の小字 - 埼玉県の小字

かまる):2004年に小手指南四・五丁目になった。梅田(うめだ):2004、2005年に小手指南二丁目、小手指元町二丁目になった。小手指村の道路元標があった。小手指南二丁目に梅田公園がある。宮東(みやひがし):北野天神社の東に位置する。2004、2005年に小手指南二丁目、小手指

北田島の小字 - 埼玉県の小字

現存。1966年に一部が御成町、氷川町になった。向田町(むかいだまち):現存。東田町(ひがしだまち):現存。寺町(てらまち):現存。芳野村の道路元標があった。矢崎町(やざきまち):現存。根ヶ羅ミ町(根ヶ羅三町)(ねがらみまち):現存。デジタル化後の登記情報では根ヶ羅三町になってい

山田の小字 - 埼玉県の小字

みやしたまち):大字府川との境界に現存。西町(にしまち):現存。1908年に新設された小字。1963年に一部が石原町二丁目になった。山田村の道路元標があった。大字山田に山田西町児童遊園、山田西町第2児童遊園がある。山田西町自治会がある。東町(ひがしまち):現存。1908年に新設さ

上老袋の小字 - 埼玉県の小字

;芳野村大字上老袋→川越市大字上老袋現在の地名:川越市大字上老袋前通(まえどおり):現存。隣接する中老袋にも字蓮沼がある。植木村の道路元標があった。蓮沼(はすぬま):現存。山ノ下(やまのした):1914年に大字上老袋字台通下に編入した。台通上(だいどおりかみ):現存。台

所沢の小字 - 埼玉県の小字

吉町、寿町になった。府中道西(ふちゅうどうにし):1968年に日吉町になった。江戸道西(えどみちにし):1968年に日吉町になった。所沢町の道路元標があった。江戸道東(えどみちひがし):所沢駅周辺の北部。1968、1986年に日吉町、くすのき台一・三丁目になった。長者久保(ちょう

久米の小字 - 埼玉県の小字

久米にある永源寺が由来。東(あずま):現存。東之上(東ノ上)(あずまのうえ):現存。東の上遺跡がある。宮ヶ谷戸(みやがやと):現存。吾妻村の道路元標があった。天王前(てんのうまえ):現存。竹ノ花(たけのはな):現存。1993年に一部が松が丘一丁目になった。竹ノ花遺跡がある。原田(

上戸田の小字 - 埼玉県の小字

(ほそあい):1970年に上戸田一~三・五丁目になった。前谷(まえや):1970年に下戸田一・二丁目、上戸田一~三・五丁目になった。戸田村の道路元標があった。前谷遺跡がある。曲尺手(かねのて):1968年に川岸三丁目、本町二~五丁目、南町になった。南町に曲尺手遊園地がある。JR埼

蕨の小字 - 埼玉県の小字

、南町、錦町前谷(まえや):蕨宿の中心だった旧中山道沿いの区域を含む。1966年に中央五丁目、北町二丁目、錦町一・二・四丁目になった。蕨町の道路元標があった。錦町一丁目に前谷公園がある。旭町前谷線、 錦町前谷線という都市計画道路がある。松原(まつはら):1966年に北町三丁目、錦

大沢の小字 - 埼玉県の小字

谷一・二丁目になった。皿沼(さらぬま):1965年に北越谷一・二・四丁目になった。辻(つじ):1965年に北越谷二・四丁目になった。大沢町の道路元標があった。飯御免(いいごめん):現存。1996年に一部が東大沢一丁目になった。宮後(みやうしろ):1965年に大沢三丁目になった。内

並木の小字 - 埼玉県の小字

):1959年に三橋一丁目になった。三橋一丁目に三橋三島公園がある。前(前耕地)(まえこうち):1959年に三橋一・二丁目になった。三橋村の道路元標があった。倉前:西大宮病院、三橋中学校のあたり。明治14年の字届書には記載がない。1959年に三橋一丁目になった。宮田(みやた):並

大宮の小字 - 埼玉県の小字

955~1957年に吉敷町一・二丁目、下町一~三丁目、仲町一~三丁目、高鼻町一丁目、大門町一~三丁目、宮町一・二丁目、錦町になった。大宮町の道路元標があった。下原耕地(しもはら):南方の飛び地。飛地組替により北袋村に編入した。油田:稲荷台の西方。油田(元加茂宮分)の「元加茂宮分」

土呂の小字 - 埼玉県の小字

西縁の東側。1958、1961年に土呂町、砂町一丁目になった。稲荷(いなり):1958、1971年に土呂町、土呂町一丁目になった。大砂土村の道路元標があった。神明(しんめい):1958、1971年に土呂町、土呂町二丁目になった。土呂町二丁目に現存する神明社が由来。土呂町二丁目に神

代山の小字 - 埼玉県の小字

いたま市緑区大字代山現在の地名:さいたま市緑区大字代山六本木(ろくほんき):現存。代山六本木遺跡がある。宮ノ台(みやのだい):現存。野田村の道路元標があった。八幡谷ツ(はちまんやつ):現存。後谷ツ(うしろやつ):現存。坂口台(さかくちだい):現存。御猟台(御猟ヶ台)(ごりょうがた

加茂宮の小字 - 埼玉県の小字

野町一丁目、宮原町二・四丁目になった。吉野町一丁目に松原公園がある。領家:1973、1976年に宮原町四丁目、吉野町二丁目になった。宮原村の道路元標があった。宮原町四丁目に領家中央公園、領家北公園、領家南公園がある。 鍛冶:1972、1973、1976年に宮原町三・四丁目になっ

与野の小字 - 埼玉県の小字

た。与野耕地整理に伴い消滅した。西(にし):1981、1982年に円阿弥一丁目、桜丘二丁目、八王子三丁目、本町西一~四丁目になった。与野町の道路元標があった。宮前(みやまえ):1981、1982年に上峰二丁目、桜丘一丁目、本町西一丁目になった。桜丘一丁目に宮前住宅がある。桜丘一丁

大門の小字 - 埼玉県の小字

架かる鶴巻陸橋がある。鶴巻遺跡、鶴巻西遺跡、鶴巻南遺跡がある。東裏(ひがしうら):現存。1992年に一部が東大門一・二丁目になった。大門村の道路元標があった。大字大門に大門東裏公園がある。東裏遺跡、東裏西遺跡、東裏南遺跡がある。 外町(とちょう):1992年に東大門一~三丁目にな

高木の小字 - 埼玉県の小字

(ねがいと):現存。2017年に一部が西大宮二丁目になった。稲荷前(いなりまえ):現存。2017年に一部が西大宮一~三丁目になった。指扇村の道路元標があった。高木稲荷前遺跡がある。稲荷下(いなりした):2017年に西大宮二・三丁目になった。高木稲荷下遺跡がある。亀田(かめだ):現

(浦和領)辻の小字 - 埼玉県の小字

る。原田:明治14年の字届書には記載がない。1968年に大字辻字砂田に編入した。山口(やまぐち):1980年に辻二・三丁目になった。六辻村の道路元標があった。辻三丁目に山口第一・第二公園がある。 曲戸(まがりと):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字

太田窪の小字 - 埼玉県の小字

停「本村」がある。太田窪本村遺跡、太田窪本村東遺跡がある。善前北(ぜんまえきた):現存。1967年に一部が太田窪四・五丁目になった。谷田村の道路元標があった。善前第一自治会がある。善前北遺跡がある。 新田(しんでん):現存。1967年に一部が太田窪五丁目になった。大字太田窪に太田

西堀の小字 - 埼玉県の小字

水路がある。鴻沼川に架かる合野谷橋と合野谷歩道橋がある。 里(さと):1986、1988年に田島四丁目、西堀三・六・七丁目になった。土合村の道路元標があった。西堀里自治会がある。 桜田(さくらた):浦和工業高校のあたり。1988年に西堀四・五丁目になった。町名「桜田(さくらだ)」

五関の小字 - 埼玉県の小字

五関 →さいたま市大字五関→さいたま市桜区大字五関現在の地名:さいたま市桜区大字五関古貝戸(こかいと):現存。大久保村の道路元標があった。古貝戸遺跡がある。高畑(たかはたけ):大久保中学校のあたり。現存。中島(なかしま):現存。大字五関にバス停「中島」がある。

大間木の小字 - 埼玉県の小字

る。 会ノ谷(相ノ谷)(あいのや):現存。1985、2002、2019年に芝原三丁目、東浦和七~九丁目、大間木二丁目になった。尾間木村の道路元標があった。東浦和七丁目にバス停「会の谷」がある。会梅自治協力会がある。会ノ谷遺跡がある。 内谷(うちや):現存。2002年に一部

上加の小字 - 埼玉県の小字

r;さいたま市北区大字上加現在の地名:さいたま市北区日進町宮ノ腰(みやのこし):日進神社のあたり。1958年に日進町二丁目になった。日進村の道路元標があった。向原(向原下)(むかいはらした):1958年に日進町二丁目になった。番場(ばんば):1958年に日進町二丁目になった。日進

西遊馬の小字 - 埼玉県の小字

遊馬現在の地名:さいたま市西区湯木町、プラザ、大字西遊馬金山(かなやま):現存。隣接する佐知川にも字金山がある。宿(しゅく):現存。馬宮村の道路元標があった。宿東間自治会がある。西遊馬宿遺跡がある。氷川下(ひかわした):現存。田向(たむかい):現存。井戸尻(いどしり):現存。19

戸塚の小字 - 埼玉県の小字

塚東一丁目に戸塚杉本公園がある。伝右川に架かる杉本橋がある。 下ヶ戸(さげど):1984年に戸塚三丁目、戸塚東一~三丁目になった。戸塚村の道路元標があった。戸塚東二丁目に下ヶ戸公園がある。赤道(あかみち):1984年に戸塚三・五丁目、戸塚東三丁目になった。戸塚東三丁目に戸塚赤道

東本郷の小字 - 埼玉県の小字

用水東縁に架かる南前橋がある。本郷前(ほんごうまえ):現存。前(まえ):現存。宮脇(みやわき):現存。大字峯にバス停「宮脇」がある。新郷村の道路元標があった。合ノ谷(あいのや):現存。峯岸(みねぎし):現存。小原(こばら):現存。東本郷小原遺跡がある。曲輪(くるわ):現存。東本郷