芝の小字 - 埼玉県の小字
芝塚越田中」、塚越田中市営住宅、芝西一丁目に芝塚越公園、大字芝に芝田中広場がある。芝塚越町会、田中町会がある。 辻(つじ):現存。芝村の道路元標があった。大字芝に芝辻公園、芝辻児童遊園がある。辻町会がある。 宮根(みやね):現存。2007年に一部が芝宮根町になった。町名「芝
芝塚越田中」、塚越田中市営住宅、芝西一丁目に芝塚越公園、大字芝に芝田中広場がある。芝塚越町会、田中町会がある。 辻(つじ):現存。芝村の道路元標があった。大字芝に芝辻公園、芝辻児童遊園がある。辻町会がある。 宮根(みやね):現存。2007年に一部が芝宮根町になった。町名「芝
神戸村→神根村大字神戸→川口市大字神戸現在の地名:川口市大字神戸西谷(にしや):現存。雀田(すずめだ):現存。神根村の道路元標があった。神戸雀田遺跡がある。仲谷ツ(なかやつ):現存。東(ひがし):北方に二箇所飛び地がある。現存。神戸東遺跡がある。上ノ台(うえの
めい):1936年に上青木町三~五丁目、前川町二丁目になった。御嶽(みたけ):1936年に上青木町二~四丁目、前川町二丁目になった。青木村の道路元標があった。武永(ぶえい):1936年に上青木町一~三・五丁目になった。孫七(まごしち):1936年に上青木町一・五丁目になった。古川
現存。安行原三輪作遺跡がある。中郷(中郷耕地)(なかごうこうち):現存。安行原中郷遺跡がある。久保(久保耕地)(くぼこうち):現存。安行村の道路元標があった。大字安行原にバス停「安行原久保」がある。半縄(半縄耕地)(はんなわこうち):現存。安行半縄遺跡がある。小清水(小清水耕地)
年に元郷町一丁目になった。境(さかい):1937年に元郷町一丁目となった。合ノ谷(あしのたに):1937年に元郷町一丁目になった。南平柳村の道路元標があった。蔵後(くらのうしろ):1937年に元郷町一・三丁目になった。荒川(あらかわ):1937年に元郷町三丁目、領家町になった。上
旧)仲町三丁目になった。吉原(よしはら):1939年に仁志町一丁目になった。田中前(たなかまえ):1939年に北町二丁目になった。横曽根村の道路元標があった。八丁目(八町目)(はちちょうめ、はっちょうめ):西川口駅の周辺。1939年に仁志町二丁目になった。五丁(ごちょう):193
たま市大字中野林→さいたま市西区大字中野林現在の地名:さいたま市西区大字中野林山本(やまもと):現存。袋(ふくろ):現存。植水村の道路元標があった。新川に架かる袋橋、新袋橋がある。中野林袋遺跡がある。 中郷(なかごう):現存。大字飯田にバス停「中郷」がある。条敷(じょう
一丁目になった。寺下(てらした):1992年に春野一丁目になった。本村耕地(本村)(ほんむら):1986年に深作一~三丁目になった。春岡村の道路元標があった。観音寺下(かんおんじした):1986年に深作二丁目になった。深作二丁目に観音寺下(かんのんじした)公園がある。御手洗瀬(み
大ヶ谷戸耕地)(おおがやと):現存。大字東新井に大ヶ谷戸公園、大字御蔵に大ヶ谷戸北公園がある。 小山(小山耕地)(こやま):現存。片柳村の道路元標があった。原前(原前耕地)(はらまえ):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,50
存。大字東門前に谷中公園がある。寺下(てらした):現存。大字東門前に寺下公園がある。本村(ほんむら):現存。道際(みちきわ):現存。七里村の道路元標があった。原(はら):現存。上ノ宮(上野宮)(かみのみや):東北の飛び地。現存。大字風渡野に上ノ宮公園がある。上ノ宮遺跡がある。瓜ヶ
、(旧)金山町になった。町並(まちなみ):宿場があった日光御成道沿いの区域。1935年に(旧)本町一・二丁目、(旧)金山町になった。川口町の道路元標があった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市(旧川口町)新旧字区割対照図・ 埼玉県報 昭和10年4月
たこうち):1970年に旭町一・三・四丁目になった。中道西(中道西耕地)(なかみちにしこうち):1970年に旭町五・六丁目になった。新田村の道路元標があった。大塚(大塚耕地)(おおつかこうち):1970年に旭町五・六丁目になった。出茶屋(でちゃや):1970年に旭町一丁目になった
高野、字明徳になった。中道(なかみち):1954年に大字瓦曽根字富士、大字登戸字街道、大字蒲生字分田(編入)、字明徳、字西になった。蒲生村の道路元標があった。分田(訳田)(わけだ):1954、1967年に大字登戸字街道、大字蒲生字明徳、字西、蒲生寿町になった。五町目(五丁目)(ご
・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道の五街道の基点として架かっている。現在は国道1・4・6・14・15・17・20号線の基点であり、日本国道路元標もここに位置する。「東京まで(から)○km」の東京とはここのこと。1911年以降は建て替えては無く、あの関東大震災や東京大空襲を耐え
町になった。隣接する持田にも字六反沼がある。押出し(押出)(おしだし):1962、1975年に壱里山町、押上町になった。前(まえ):太井村の道路元標があった。1975、1980年に門井町一丁目、押上町、棚田町一丁目になった。棚田町一丁目に字前公園がある。壱里山(いちりやま):19
(編入)、字天神(編入)になった。下島間(しもしまま):現存。1991年に一部が大字上池守字平成になった。畑通(はたどおり):現存。星宮村の道路元標があった。堀向通(ほりむかいどおり):現存。1991年に一部が大字上池守字平成になった。天神町(てんじんちょう):現存。1991年に
):現存。長田(ながた):現存。五反田(ごたんだ):現存。内土手(うちどて):現存。寺浦(てらうら):現存。寺前(てらまえ):現存。太田村の道路元標があった。天王前(てんのうまえ):現存。広島(ひろしま):現存。中土手下(なかどてした):現存。井堀内(いほりうち):現存。中土手上
:現存。里前(さとまえ):現存。熊野(くまの):現存。高橋(たかはし):現存。横町(よこまち):現存。天袋(あまのふくろ):現存。北河原村の道路元標があった。中野(なかの):現存。陣場(じんば):現存。立野(たての):現存。下野(しもの):現存。野分(のぶん):現存。西川原(にし
大字佐谷田→(一部)熊谷市佐谷田現在の地名:熊谷市問屋町、佐谷田西河内(にしごうち):現存。不動堂(ふどうどう):現存。佐谷田村の道路元標があった。前方(まえかた):現存。佐谷田に交差点「前方」、バス停「佐谷田前方」がある。 飯塚(いいづか):現存。山神(やまじん):現
:現存。境松通(さかいまつどおり):現存。諏訪通(すわどおり):現存。片原通(かたはらどおり):現存。稲荷通(いなりどおり):現存。埼玉村の道路元標があった。稲荷通遺跡がある。天神原(てんじんはら):現存。杉原通(すぎはらどおり):現存。大字埼玉に杉原会館がある。杉原通遺跡がある
か):現存。三丁堀田(さんちょうほった):1978、1982年に大字須加字久保内、字高畑、字高田に編入した。高畑(たかはた):現存。須加村の道路元標があった。埼玉用水路に架かる高橋橋がある。大稲荷(おおいなり):現存。大稲荷1・2号墳がある。梅ノ木(うめのき):現存。小稲荷(こい
かごう):現存。中郷自治会がある。中郷古墳がある。松寿庵(しょうじゅあん):現存。中上(なかがみ):現存。下郷(しもごう):現存。大麻生村の道路元標があった。下郷遺跡がある。柊木(ひいらぎ):現存。神田(しんでん):現存。四反田(したんだ):現存。中郷前(なかごうまえ):現存。上
974年に一部が長野二・三丁目になった。神明遺跡がある。堀ノ内(堀内)(ほりのうち):1974、1990年に長野三・四丁目になった。長野村の道路元標があった。長野四丁目に堀の内公園、堀の内会館がある。原(はら):現存。1990年に一部が長野四丁目になった。白山(はくさん):現存。
がある。前原島(まえはらじま):現存。北ノ道(北之道)(きたのどう):現存。今泉(いまいずみ):現存。隣接する柿沼にも字今泉がある。大幡村の道路元標があった。三島(みしま):現存。市ノ井(いちのい):現存。1991年に一部が大原二丁目になった。原島に原島市ノ井子供広場がある。中ノ
に受け継がれている。蔵場(くらば):現存。1971、1973年に一部が城西三・五丁目になった。宿通:1971年に城西四丁目になった。持田村の道路元標があった。牛塚:1971年に城南になった。参考文献・ 行田市字一覧表・ ゼンリンの住宅地図 行田市・川里村・南河原村 1970・ 埼
になった。相生(あいせい):現存。1967年に新設された小字。前内手(まえうちで):現存。1967年に一部が大字荒木字前田になった。荒木村の道路元標があった。音羽(おとば):現存。1967年に新設された小字。新堀(にいぼり):現存。町屋(まちや):現存。宿ノ内(しゅくのうち):現
和田村→星河村大字和田→忍町大字和田→行田市大字和田現在の地名:行田市大字和田森下(もりした):現存。星河村の道路元標があった。東屋敷(ひがしやしき):現存。両判(りょうばん):現存。隣接する斎条に字両半がある。北屋敷(きたやしき):現存。南屋敷(み
:現存。水押下(みずおししも):現存。水押下遺跡がある。稲荷木上(いなりぎかみ):現存。1992年に一部が玉井南一~三丁目になった。玉井村の道路元標があった。玉井南三丁目に玉井稲荷木第1公園、玉井南二丁目に玉井稲荷木第2公園がある。稲荷木上遺跡がある。 稲荷木下(いなりぎしも)
;(一部)熊谷市久下現在の地名:熊谷市久下下分(しもぶん):現存。1987年に一部が久下一~四丁目になった。上分(かみぶん):現存。久下村の道路元標があった。熊久(ゆうきゅう):現存。久下にバス停「久下熊久」、熊久公園がある。熊久自治会がある。 古城(ふるしろ):現存。鎮守(
rarr;(一部)熊谷市肥塚現在の地名:熊谷市円光、大原、箱田、中央、肥塚前田中(まえだなか):2001年に肥塚一・二丁目になった。肥塚村の道路元標があった。前田上(まえだかみ):1978、2001年に箱田二・六丁目になった。箱田境上(はこだざかいかみ)箱田境下(はこだざかいしも
前:現存。大字北永井にバス停「宮前」がある。宮前遺跡がある。吹上:現存。大字北永井にバス停「吹上」がある。中ノ原:現存。西詰:現存。三芳村の道路元標があった。桜並:現存。芝原:現存。大字北永井にバス停「芝原」がある。鶴ノ舞:現存。平野:現存。大字北永井にバス停「平野」、ひらの公園
越):現存。壱貫田(一〆田、一貫田):現存。2001年に一部がみどり野北、みどり野南になった。前田:現存。内ノ町:現存。市金:現存。南畑村の道路元標があった。葭原:現存。池ノ橋:現存。田中:現存。曽根:現存。ニノ坪:現存。2001年に一部がみどり野南になった。遠島:現存。虫喰:現
った。福岡中央土地改良区の行政文書では字飛地観音前、昭和47年の埼玉県告示では字観音前となっている。混在する福岡にも字観音前がある。福岡村の道路元標があった。土橋:福岡江川流域土地改良に伴い消滅した。慶鎮:福岡江川流域土地改良に伴い消滅した。石塚:福岡江川流域土地改良に伴い消滅し
津の森公園、鶴瀬東二丁目に谷津西公民館、谷津幼稚園がある。谷津遺跡がある。 扇田:1973年に鶴瀬東二丁目、羽沢二丁目になった。鶴瀬村の道路元標があった。権平川(暗渠)に架かる扇田橋がある。扇田商店会がある。柿沢:1973年に鶴瀬東一・二丁目になった。柿沢は七沢の一つ。権平:
国道7号(こくどう7ごう)は、東神都代田区の大路町交差点から京田県京田市央京区の広大路交差点に至る一級国道である。概要[]架空日本道路元標のある東神都代田区大路町を起点とし、町山市などを経由して終点の京田市に至る路線で、京神国道とも呼ばれている。高豚市から京田市までは第二京神道路
木裏:1978年に東みずほ台一・二丁目、水谷一丁目になった。小作:1978年に東みずほ台一丁目、水谷一・二丁目になった。京塚:現存。水谷村の道路元標があった。大字水子にバス停「京塚」がある。 東石井:現存。谷ッ合:現存。大字水子に谷ッ合公園がある。神明:現存。神明遺跡がある。岡ノ
称不明)に架かる横塚山橋がある。横塚遺跡がある。 後原(うしろはら):現存。中奈良に後原公会堂がある。東耕地(ひがしこうち):現存。奈良村の道路元標があった。馬場(ばんば):現存。大江指(おおえさし):現存。前内出(まえうちで):現存。西田(にしだ):現存。下ノ村(しものむら):
かわはら):現存。混在する西にも字下川原がある。沼向(ぬまむかい):2002年に吉羽三~五丁目になった。混在する西にも字沼向がある。太田村の道路元標があった。吉羽五丁目に沼向公園がある。 山下(やました):2002年に吉羽四・五丁目になった。混在する西にも字山下がある。吉羽四丁目
ヱ門脇(惣右ェ門脇)(そうえもんわき):現存。西谷(にしや):現存。1980年に一部が清久町になった。小ヶ原井(こがはらい):現存。清久村の道路元標があった。所久喜に小河原井集会場がある。十歩割(じゅうぶわり):1977年に河原井町になった。前沼田(まえぬまた):1977年に河原
):現存。本村(ほんむら):現存。堀間(ほりま):現存。藤井(ふじい):現存。深町(ふかまち):現存。新道下(しんみちした):現存。江面村の道路元標があった。大谷(おおや):現存。隣接する江面、下早見にも字大谷がある。区域を流れる大谷落とそれに架かる大谷落橋がある。沼田(ぬまた)
土腐になった。前(まえ):現存。1987年に一部が大字上中条字土腐になった。西之門(にしのかど):現存。竹之内(たけのうち):現存。中条村の道路元標があった。上中条にバス停「竹の内」がある。雷電(らいでん):現存。日向島(ひなたじま):現存。上中条に日向島農村広場がある。菱沼(ひ
た。友成(ともなり):1987年に別府三・五丁目になった。隣接する東別府にも字友成がある。出口(でぐち):現存。足利(たり):現存。別府村の道路元標があった。新田(しんでん):現存。天神(てんじん):現存。根岸(ねぎし):現存。参考文献・ 熊谷の地名と旧跡・ 埼玉県報 昭和62年
てんぱく):現存。宿裏(しゅくうら):現存。上之にバス停「宿裏」がある。宿裏自治会、旧宿裏自治会がある。 上宿(かみしゅく):現存。成田村の道路元標があった。上宿自治会がある。川通(かわどおり):現存。簗場(やなば):現存。清水尻(しみじり):現存。新星川に架かる清水尻橋がある。
市大字行田現在の地名:行田市行田上町壱丁目(上町一):1971、1976年に忍一丁目、行田になった。上町二:1976年に行田になった。忍町の道路元標があった。上町三:1976年に行田になった。下町一:1976年に行田になった。下町二:1976年に行田になった。八幡町:1976年に
四丁野(しちょうの):飛地組替により越ヶ谷町から編入したと思われる。1966年に宮本町一・二・四・五丁目、谷中町二~四丁目になった。出羽村の道路元標があった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市出羽土地改良区第一区 旧地形図・ 埼玉県報 昭和41年8月・ 行政文書 住居表示関係
後正善公園がある。正善第一・二自治会がある。 須賀(すか):1992年に一ノ割三丁目、備後東二・八丁目、備後西二~五丁目になった。武里村の道路元標があった。備後西五丁目に備後須賀稲荷神社、須賀会館、備後西三丁目に備後須賀第一ちびっ子広場、備後西四丁目に備後須賀第二ちびっ子広場が
;春日部市大字道順川戸→春日部市道順川戸現在の地名:春日部市道順川戸古隅田川縁付耕地(隅田川縁)(すみたかわべり):現存。豊春村の道路元標があった。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 春日部市遺跡地図
現存。1983年に一部が豊野町二丁目になった。沼廻遺跡がある。葛塚:現存。中道上:現存。1983年に一部が豊野町一・二丁目になった。豊野村の道路元標があった。三反田:現存。1983年に一部が豊野町一・二丁目になった。蒲沼:現存。1983年に一部が豊野町一・二丁目になった。中道下:
になった。八幡後(はちまんうしろ):1970年に川柳町二~五丁目になった。根郷(ねごう):1970年に川柳町二・四・五丁目になった。川柳村の道路元標があった。麦塚根郷自治会がある。大上手(おおうわて):1970年に川柳町二・三・五丁目になった。山谷後(さんやうしろ):1970年に
いたま市岩槻区東町、原町、大字柏崎下組(しもくみ):現存。倉浪(くらなみ):現存。九反田(くたんた):現存。中組(なかぐみ):現存。柏崎村の道路元標があった。柏崎中組遺跡がある。谷際(やきわ):現存。上組(かみくみ):現存。1991年に一部が原町になった。柏崎上組