中越国境紛争(1984年)

ページ名:中越国境紛争_1984年_

登録日:2012/09/13(木) 20:18:03
更新日:2023/11/20 Mon 12:30:24NEW!
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世界史 戦史 戦争 紛争 中国 ベトナム リベンジ 侵略 どうしてこうなった 1984年 中国勝利 多連装ロケット砲 関係改善? この項目は中央宣伝部に監視されてます 中越国境紛争



中越国境紛争


期間:1984年4月2日〜1984年7月14日


場所:中越国境地域のベトナム側領域


結果:中国の勝利(1989年まで中国軍が高地群を占領)


交戦勢力:中国人民解放軍vsベトナム人民軍


中越国境紛争とは、中越戦争以降に、中越国境の高地(中国名は老山と者陰山)を巡って勃発した紛争。


二つの高地群を中心に戦われたため中国では両山戦役と呼ばれている。



【背景】


中越戦争から5年後の、1984年。
先の戦争で大敗を喫した中国だったが、その教訓から人民解放軍の改革と近代化を進めていた。


鄧小平「あれから5年、人民解放軍の近代化も進んだ…そろそろ成果を見てみようじゃないか」


楊得志「そうですな、何より中国の威信回復と…雪辱を果たしたいですな」


鄧小平「…では、やるかね」


楊得志「やりましょう」



こうしてリベンジに燃える中国が目を付けたのが、中越国境地帯にある老山・者陰山高地だった。


ここは要所とされ両国が重要視していた地帯であり、先の戦争で一旦は中国側は占領するもベトナムが奪回、両山に強固な陣地の構築を進めていたのである。



【戦闘開始】


中国側の先制攻撃により開始されたこの国境紛争は主に、


●第一次 4月2日〜5月15日
●第二次 6月12日〜7月10日
●第三次 7月12日〜7月14日


の三次に渡り交戦が発生した。



1984年4月2日
老山のベトナム軍陣地に対する中国軍の大規模な砲撃によって交戦が開始、戦闘は4月27日まで続いた。


4月28日
人民解放軍2個師団が進撃を開始、18日後の5月15日に老山・者陰山の大部分を中国が制圧。


6月12日〜7月10日
ベトナム軍が反撃し、陣地防衛に当っていた人民解放軍2個中隊を全滅させたが、人民解放軍は多連装ロケット砲による面制圧で対抗。
双方に大量の死傷者を出して第二次戦闘は終止した。


7月12日〜7月14日
ベトナム軍の本格的な反撃を想定した人民解放軍は、再び大量の火砲や多連装ロケット砲を周囲に展開、ベトナム軍の侵入経路全てを攻撃範囲に定めて待機していた。


ベトナム軍は6個連隊を白兵戦のために準備し、ソ連軍顧問の指導の下に敵が占拠する陣地から500m下の麓に集結。
ベトナム軍の攻撃は午前5時に開始され、ベトナム兵は高地陣地を目指して斜面を這い登った。


これに対して人民解放軍は展開していた火砲・多連装ロケット砲を用いて徹底的に砲撃を加え反撃。


17時間後にベトナム軍は力尽き戦闘中止、第三次戦闘は終結したのだった。



【中国の勝因】


中越戦争での敗北を反省し、中国は軍の近代化に力を注いでいた。
また、二つの高地が中国側に露出した地形だったため、人民解放軍は緒戦で占領した地域を砲兵による徹底的な火力制圧で防衛することに成功した。


一方のベトナム軍は地形的に攻め側の不利にも関わらず、陣地奪回のため突撃を繰り返し犠牲者を増やしてしまった。


また、突撃してくるベトナム軍を制圧するために人民解放軍も大量の砲弾を使用したが、
兵站能力が貧弱だったため民間車両も徴用して何とか戦線を維持出来たとされる。



【戦後】


●中国
先の中越戦争の雪辱を果たした鄧小平ら中国共産党指導部は、この勝利を国威発揚のために大々的に宣伝した。


そのため中国人のなかには、「こっちの勝利した戦いこそが中越戦争」と思ってる人が多い。


●ベトナム
一転してボロ負けしてしまったベトナム側は、中国やカンボジアとの長年の戦争により厭戦機運が高まった。


また、親ソ連・対中強硬姿勢への疑問も噴出、後に親中派が指導部に返り咲く契機となった。


軍事面では、改革開放路線による経済蘇生と急激な近代化を進める中国人民解放軍と、長期にわたる経済不振に苦しむベトナム軍の間には、
徐々に力量差が表れ始める。


また中国人民解放軍は中越国境地帯においてベトナム相手に実戦訓練を実施、1988年頃まで小規模な交戦が発生した。


●中越関係改善
ソ連の衰退、中国の台頭と共にベトナムは中越関係の改善を模索し始める。


1989年に中越関係が修復に向かうと共に、中国は占領していた老山・者陰山高地から段階的に撤退を開始。


同年5月には撤退が完了した。


この国境地帯で起きた最後の衝突は、中国人建設労働者がベトナム領内に大挙して侵入、ベトナム当局と衝突したが双方軍の介入は起きなかった。


これを持って中越関係は一定の改善修復がなされたと見なされている。




めでたしめでたし。















なお、関係改善が開始された1989年の3月、ベトナム沖合の海洋利権確保をするため南沙諸島・西沙諸島への進出を図る中国は、
赤瓜礁海戦にて再度ベトナム軍と交戦し、これに勝利した。






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  • 陸で負けたが今度は海か…退役した海自の潜水艦とか偶然ベトナムに流れたりしないかな… -- 名無しさん (2014-09-21 20:49:43)
  • ただ、ぶっちゃけあんまり戦略的に意味ない山奪っただけなんだよねぇ -- 名無しさん (2015-12-29 21:16:09)
  • ということは、まさか、最近の漁船の某諸島近海への出没は、中国が日本に国境紛争仕掛ける前触れ!?Σ -- 名無しさん (2016-08-25 18:02:17)
  • 完全に侵略戦争じゃねえか。「今度は勝てそうだったから」で戦争したのか。 -- 名無しさん (2016-09-26 12:45:47)
  • その内尖閣はおろか沖縄本島の領海にすら入ってきそうだな… -- 名無しさん (2016-10-06 10:35:42)
  • どうでもいい憶測を削除 -- 名無しさん (2017-06-08 11:56:19)
  • 南沙諸島はそもそも色んな国の領有権主張が入り乱れてるから別にベトナムが正当かというと・・・ -- 名無しさん (2018-07-05 14:10:20)
  • 何故か中国軍のことをポっと出の成金軍団みたいに考えてる人らがいるけど実際には長らく軍の近代化に投資してきてるんだよな -- 名無しさん (2020-06-25 09:27:17)

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