動詞の否定形は関西方言らしく「ん」と「へん」を併用する。「ん」と「へん」の使い分けに明確な線引きはできないが、筆者の傾向としては、「ん」ははっきり否定する場合や連語的な表現(後述)で使うことが多い一方、「へん」は「ん」と比べれば相対的に優しい表現で、語尾を上げて勧誘表現に使う場合は「へん」を使う頻度が高くなる。もっとも、「{ある=」のように「へん」しか付かない動詞や、「[要る=」「[知る=」「[お'る(居る)」のように「へん」を付けることが少ない動詞もある。
否定形の前にくる動詞の活用形はおおむね京都と同じで、「ん」の場合でも「へん」の場合でも基本的に古語の「ぬ」の未然形と変わらないが、上一段活用動詞では「へん」が「ひん」に変化し、また一段活用動詞で語幹が一拍の場合は「へん」「ひん」の前が長音化する。「[する=」「{来る=」は「せーへん」「こーへん」を多用し、「しーひん」「きーひん」および「けーへん」の使用頻度は低い。なお、紀伊半島由来とされる「やん」は、「する」の否定形「しやん」という形に限って筆者の周囲でも広まりつつある(2010年代後半時点)。以上をまとめると、下のようになる。
- 五段:[わか]らへん(=分からない)、{たた}へん(=立たない)
- 下一段:[す]てへん(=捨てない)、{たべ}へん(=食べない)、[ね]ーへん(=寝ない)
- 上一段:[た]りひん(=足りない)、{おき}ひん(=起きない)、[い]ーひん(=居ない)
- する:[せ]ーへん、[し]ーひん
- 来る:[こ]ーへん、[き]ーひん、[け]ーへん
「ん」のアクセントは基本的に無核だが、語幹が二拍以上の動詞の場合、「ん」から二つ後ろの拍にアクセントの下がり目が来ることがある。特定の動詞で、よりはっきりと否定する際に起こりやすいように感じる。一見「へん」「ひん」のアクセントに寄せているようにも思えるが、動詞が低起式の場合には違ってくるので(上の「たたへん」と下の「たたん」に注目)、また違う現象であろう。京言葉を取り上げたこちらのサイトでは、近世における2類動詞のアクセントの名残としている。
- [わからん]←→[わか]らん(=分からない)
- [や]くに{たたん}←→[や]くに[た]たん(=役に立たない)
「へん」「ひん」はそれ単体で独立したアクセントを持ち、語幹との間にアクセントの切れ目があるのではないか、と思えることがある。例えば、「誰も食べへんがな(=誰も食べないってば)」は「だれもたべへんがな」のように発音され、「食べへん」という一語のなかにアクセントの変化が2度現れる。
否定の過去形には「んかった」と「へんかった」(上一段活用動詞の場合は「ひんかった」)を使う。祖父母は「なんだ」を主に使っていた。母は「んかった」「へんかった」とともに「へんだ」(上一段動詞の場合は「ひんだ」)を使うこともある。
- [いかん]かった、[い]か{へん}かった(=行かなかった。以下同)
- [いか]なんだ
- [い]かへんだ
不可能を表す際には「[行]けへん」「{読め}へん」のような形を使い、「[行か]れへん」「{読ま}れへん」のような形を使うのは大阪方面の人と会話していて釣られた時ぐらいである。「[よー行かん]」(=とてもじゃないが行くことはできない)のような「能う+~ん」も使うが、使用頻度はあまり高くない。
共通語の否定形「ない」には連用形「なく」があり、関西各地の若年層で「なく」を変形させた「んく」が広まっているが、筆者は使わないようにしている。
「行けなくなる」のように否定形の後ろに動詞が続く場合には「んよ'うに」「へんよ'うに」を使う。「ありえなくない?」のように否定形の後ろに形容詞「ない」が続く場合には「んこ'とない」「へんこ'とない」または「ん'の(と)ちゃう」「へん'の(と)ちゃう」を使う。
「仕事が終わらなくて、まだ帰れない」のように否定文を「て」で後ろの文と繋ぐ場合、筆者は「ん'かって」または「へん'かって」という形を主に使う。もっとも、このような場面では、無理に一つの文にせず二文にするか、「[仕事が終わらんさ]かい、{まだ} [帰]れへん」のように理由を表す接続助詞を使って文を繋ぐことのほうが多い。
「行かなくて(も)良い」「言わなくても分かる」のような表現には「'んで(も)」を使い、理解語彙として「いで(も)」や「んかて」も存在する。
- {りょこー}[いけんよ]ーに {なった}わ、[い]け{へん}[よ]ーに {なった}わ(=旅行に行けなくなったよ)
- {ありえんこ}と{ない}、{あり}え{へんこ}と{ない}(=ありえなくない?)
- {ありえん}のちゃう、{あり}え{へん}のちゃう(=ありえなくない?ありえないんじゃない?)
- [しごとがおわらん]かって、{まだ}[かえ]れ{へん}(=仕事が終わらなくて、まだ帰れない)
- [いか]んで(も){ええ}(=行かなくて(も)良い)
- [いわ]んでも[わかる](=言わなくても分かる)
- [いわんで]も、[いわ]ん[で]も、とも発音する。
共通語の「なくては」「なければ」に相当する表現には「'な」と「んと=」があるが、「ならん」または「なん」(=ならない)が後ろに続く場合は「'ん」となる(あかん ならん参照)。
- [ゆーてくれ]な[わからん]がな、[ゆーてくれんと][わからん]がな(=言ってくれなければわからないじゃないか)
- [いか]な[あかん]、[いかんと][あかん](=行かなければいけない)
- [いか]んならん、[いか]んなん(=行かなければならない)
- [いか]ん[な]らん、とも発音する。
「行かん←→行かない」のように「ん」と「ない」は互換性があるように見えるが、共通語の「ないで」という形は単純に「んで」に置き換えることはできない。「サボってないで、勉強しなさい」のように「ないで」と言う場面では「'んと」と言う。先ほど説明した「なければ」という意味の「んと」とはアクセントが違う。「こっちに来ないで」のような禁止表現には「んといて=」と言う(禁止参照)。
- [サボって]んと、[べんきょーし](=サボッてないで、勉強しなさい)
- [ほんなこ]と[いわ]んと、[おしえて]ーな(=そんなこと言わないで、教えてよ)
- {こっち}[こんといて](=こっちに来ないで)
- [こ]ん[といて]、とも発音する。
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