存在

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人や生物の存在を表す動詞として、西日本では「おる」が広く使われるが、筆者の方言では人のことを言う時は「いる=」(大阪風の「いてる=」も使う)、動物や虫のことを言う時は「お'る」という使い分けがある。「おる」を人に使うこともあるが、その人物に対して下に見る気持ちや侮る気持ち、苛立ちなどが込められることが多い。「おる」を人に対して(とりわけ目上の人物に対して)多用しているのを聞くと、筆者は「この人、きつい言い方しはるな」という印象を受ける。

筆者の方言では、会話の中で話題になっている人物の動作を表す際、動詞そのままではなく待遇の助動詞を添えることが共通語よりも多い。存在動詞も同じであり、会話の中の人物の存在を指す時には「いる」よりも「いはる」「いてはる」「やある」「いやる」「いよる」「よおる」といった形で言うことが多い(はるある やあるやる よるを参照)。方言研究で、京都や滋賀などでは「いる」は中立的な表現で「おる」は下向き(見下げ)の表現であると記述されることがあるが、実際には「いる」も完全に中立であるとは言いがたく、「やある」などと比べて「やや敬意に欠ける表現」という色が付いている(特に、会話の中で話題にしている人物に対して使う場面で)。「いる」で既にそういう印象があるということは・・・。一段落目の話に戻るが、「おる」が何故きつい言葉に聞こえるのか、その訳がお分かりいただけるかと思う。

なお、「いる」は様々な形で使われるのに対し、「おる」に「はる」や「よる」などは付かない。これは「おる」は何も足さなくても単体で待遇表現のように使われるからではないかと思う。ただし、自分や身内について謙譲語として使用したり、「おられる」を共通語の尊敬語として使用したりする例外はある。

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