筆者紹介

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筆者紹介

1988年彦根市出身。93年に神崎郡五個荘町へ転居し、言語形成期を過ごす。高校時代は彦根市に通学。大学時代は兵庫県西宮市で一人暮らししながら日本語学をかじる。卒業後は福井県人の多い会社に就職し、長浜市・米原市・彦根市などで勤務。その後、大阪市内の会社に転職。祖父母までの出自は以下のとおり。

(祖父)     (祖母)      (祖父)      (祖母)

193X京都府綾部町 193X福井県河野村  1933滋賀県豊郷村 1936滋賀県西甲良村

|_________|         |_________|

(父)                 (母)

1961京都府舞鶴市            1964滋賀県豊郷村

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(筆者)

1988滋賀県彦根市

筆者の自宅と母の実家、母方の親族宅は車で20分圏内にあり、母方の祖父母・親族と顔を合わせる機会は比較的多かった。一方、滋賀県暮らしが長くなった父の口語は少なくとも筆者の前ではアクセントを除いて舞鶴方言の特徴がほとんどなく、父方の祖父母とは年に数回会う程度だった。以上のことから、筆者の口語は滋賀県犬上郡農村部の方言を基盤とし、神崎郡の方言もいくらか混ざっているものと思われる。また、言語形成において母と祖母の影響が強かったことと、筆者自身が大人しい性格であることが作用して、筆者は男であるが表現がどちらかといえば女性的である(助詞「け」の不使用や二人称「あんた」など)。

小学校時代は、京阪式アクセント丸出しで教科書を朗読する同級生をおかしがるなど、やや共通語志向だった時期もあるが、徐々に地元の方言へのアイデンティティ意識を強め、大学時代には県外に出たこともあって伝統方言を強く意識するようになった。自身の口語から東京的な要素を減らそうとしたこともある(ウ音便の積極的使用や間投助詞「さ」の不使用など)。その一方で、核家族に生まれ育ち、地域行事への参加に消極的で、高校卒業以降は県外の人間と関わることが多いため、語彙の共通語化が存外著しく、アクセント内省が不安定で、地元の新方言もほとんど知らない。言語形成時点で複数の方言が混ざっていることもあり、きちんとした方言調査のインフォーマント(調査協力者)には不向きだろうなと認識している。

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