会話の中の人物に対してのみ使う助動詞で、「はる」と違って話し相手に対しては使わない。「やる」は好意的に感じる目下の動作について話す際に使う。対象を子供扱いしているニュアンスがあり、通常目上には使わない。共通語には訳すことができない表現。「よる」は憎たらしく感じる動作について話す際に使い、目上に使う場合は軽侮・不満・嫌悪の気持ちが強く出る。共通語の「やがる」に近いが、「やがる」ほどはきつくない。さほど不快度が高くなくても軽い気持ちで使うこともあり(特に目下の動作を指す場合)、人によっては否定的な感情を伴わずに多用することもあるが、筆者の感覚では品のない印象を受ける。
例えば、高校野球中継を見ていて「いい球を投げるなぁ」と言う時、投げているのが母校の投手で温かく見守る感情が加われば「ええ球投げやるなぁ」、贔屓のチームをキリキリ舞いにしているような投手で「憎たらしい奴め」または「悔しいけどあいつにはかなわんわー」という感情が加われば「ええ球投げよるなぁ」となる。
「やる」は人やペットなど生き物に対してしか使わないのに対して、「よる」は自分が不愉快だと感じた物事なら、生き物に限らず何に対しても使える。例えば、雨が降ってきて鬱陶しいなぁという時に「あー、雨降ってきょった」と言う。この用法は男性に多いと思われる。
「やる」と「よる」は共に動詞の連用形に接続する。先の例文にもあるが、「来る+よる」は「きょおる」となることが多く、同様に「する+よる」も「しょおる」となることが多い。また「居る+よる」は基本的に「よおる」となる。「やる」にそのような変化はない。「〜ている」に添加する場合、「やる」はそのまま「〜てやる」となるが、「よる」は「〜てよる」ではなく「〜とる」または「〜とおる」となり「〜ておる」の変化形と同じになる。
神戸以西の方言では「よる」と「とる」で時制の区別があるが、筆者の方言にそのような使い分けはない。例えば筆者の方言で「死による」「死んどる」と言う場合、前者はまだ息のある状態、後者は既に死体の状態を表し、一見時制の区別があるようにも思えるが、共通語に置き換えると単に「死ぬ」「死んでいる」と言っているのであり、「よる」が時制を左右しているわけではない。神戸以西の方言で見られる「死によった(=死にかけた)」のような用法がなく、また自分の動作に対して「よる」を使わないのも、筆者の「よる」が純粋に待遇の助動詞であることを示している。
行く | 起きる | 食べる | する | 来る | 居る | している | |
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終止形 |
 ̄いき\やる  ̄いき\よる |
_おき\やる _おき\よる |
_たべ\やる _たべ\よる |
 ̄し\やる  ̄し\よる  ̄しょ\おる |
 ̄き\やる  ̄き\よる  ̄きょ\おる |
 ̄い\やる  ̄い\よる  ̄よ\おる |
 ̄して\やる  ̄しと\る  ̄しと\おる |
否定形1 |
 ̄いき\やらへん  ̄いきよ\らへん |
_おき\やらへん _おきよ\らへん |
_たべ\やらへん _おきよ\らへん |
 ̄し\やらへん  ̄しよ\らへん  ̄しょお\らへん |
 ̄き\やらへん  ̄きよ\らへん  ̄きょお\らへん |
 ̄い\やらへん  ̄いよ\らへん  ̄よお\らへん |
 ̄して\やらへん  ̄しと\らへん |
否定形2 |
 ̄いきや\らん  ̄いきよ\らん |
_おきや\らん _おきよ\らん |
_たべや\らん _たべよ\らん |
 ̄しや\らん  ̄しよ\らん  ̄しょお\らん |
 ̄きや\らん  ̄きよ\らん  ̄きょお\らん |
 ̄いや\らん  ̄いよ\らん  ̄よお\らん |
 ̄してや\らん  ̄しと\らん |
過去形 |
 ̄いき\やった  ̄いき\よった |
_おき\やった _おき\よった |
_たべ\やった _たべ\よった |
 ̄し\やった  ̄し\よった  ̄しょっ\た  ̄しょ\おった |
 ̄き\やった  ̄き\よった  ̄きょっ\た  ̄きょ\おった |
 ̄い\やった  ̄い\よった  ̄よ\おった |
 ̄して\やった  ̄しとっ\た |
ます形 | 敬体には「いきやるんです」「いきよるんです」のような形を使う | ||||||
命令形 | 存在しない |
藤井組制作の滋賀ご当地アニメ作品。「しょーらん」「きょーらん」「よーらん」が取り上げられている。なお「やーれん」は湖北寄りの言い方で、筆者は「やあらん」と言う(ある やある参照)。
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