aklib_story_淬火煙塵_11-8_停滞_戦闘後

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淬火煙塵_11-8_停滞_戦闘後

シージの指揮の下、自救軍が脱出に成功する。しかしブラッドブルードの大君がそのすぐ後をつけていた。


[サルカズ戦士] ――

[シージ] まだ追ってくるか。

[自救軍戦士] あ……あなたは先に行ってください。あなたのような身分の方が、俺たちのために危険を冒してはなりません……

[シージ] もし隊を率いているのがアラデルやクロヴィシアさんであっても、貴様はそう言うのか?

[自救軍戦士] ……あなたは違いますから。

[シージ] かがめ。

[自救軍戦士] え?

ハンマーがシージの手により半円を描くと、自救軍戦士の頭をかすめながら重く振り下ろされた。

レンガが砕ける音に伴って、壁に大きな穴が現れた。砕かれて凹んだレンガの中には、サルカズ術師のアーツユニットを持つ手も見える。

[シージ] ……私は違う、そうだな?

[自救軍戦士] あ……えと……

[シージ] ついてこい。戦場で人を待つのは慣れていない。

[シージ] ……まだ撒けないか。

[自救軍戦士] このサルカズたち厄介すぎます。

[シージ] 制服は同じだが、サディアン区のサルカズ兵は、素人集団のようなものだったな。

[シージ] こいつらは全く違う。

[自救軍戦士] ではどうしますか? 街を走り回って意味ありますか?

[シージ] 貴様は以前内勤勤めをしていたろう?

[自救軍戦士] え? は、はい。以前は会計士でしたが……それが?

[シージ] 外出する時は何を使っていた? 車か?

[自救軍戦士] えっ、そうですけど……

[シージ] 貴様はロンディニウムの路地が一般的にどれだけの広さか、ウェリントン通りの端から端まで走ってどれだけかかるか、区画ごとに下水道の入り口がどれだけあるかを知っているか?

[自救軍戦士] ……知りません。

[シージ] あいつらは知っている。

[自救軍戦士] 誰がですか?

[インドラ] ヴィーナ、こっちだ!

[サルカズ戦士] ターゲット発見!

[サルカズ戦士] まだ敵が隠れているぞ!

[モーガン] ……ヴィーナ、こっちこっち!

[シージ] セーフハウスの方から爆発音が聞こえた。

[シージ] 自救軍の動きが遅い。皆の撤退を援護しなければならない。

[モーガン] チッ、こっちの道に変えるよ!

[ダグザ] シージ!

[シージ] ダグザ、自救軍の様子はどうだ?

[ダグザ] クロヴィシア指揮官がほとんどの人を引き連れて撤退した。アラデルさんは……

[アラデル] ……んっ、私は平気。

[シージ] アラデル、負傷したのか。

[アラデル] 自分の面倒くらい見れるわ。

[アラデル] 殿下、あなたは戻ってくるべきではなかった。

[サルカズ戦士] 奴らは中に隠れている。

[サルカズ戦士] 滅ぼせ、全員殺して構わん。

[ダグザ] 僭越ながら言わせてもらおう、シージ、あなたはやはり……

[シージ] ……貴様も、私が戻ってくるべきではなかったと思っているのか?

[ダグザ] いや、常に最前線に立って敵を防ごうとすべきではない。

[ダグザ] 時には、私がそばに立つことを許していただきたく思う。

[シージ] いいだろう。来い、ダグザ。

[アラデル] ……

[シージ] アラデル、貴様は休んでいろ。

[アラデル] カンバーランド公爵の娘が、マンチェスター伯爵の娘に負けてられないでしょ。

[シージ] 私にとってはアラデルとダグザの方が親しみやすい。

[アラデル] じゃ、あなたの友人のアラデルとして、私も肩を並べさせてもらうわよ。

[シージ] そこの戦士、貴様は? まだ立てるか?

[自救軍戦士] 俺は……大丈夫です……

[シージ] なら武器をしっかり握れ、共に戦うぞ。

[シージ] ロンディニウム……この鋼鉄のジャングルは私たちのものだ。獲物は誰であるかをサルカズに知らしめてやる時だ。

[サルカズ戦士] 貴様の身分は貴様を救うことはできんぞ、アスラン。

[サルカズ戦士] 俺たちからすればそんなものはどうだっていい。

[サルカズ戦士] サルカズの明日はすでに来たんだ! 貴様らは、過去に葬られるべきだ。

[サルカズ戦士] 待て……

[サルカズ戦士] 総員警戒しろ、棚の裏に待ち伏せがいるぞ!

[シージ] 存外、鋭いな。

[モーガン] ほら、振り返りな、こっちだよ~。

[インドラ] 違ぇって、こっち見ろや。

[ダグザ] シージ、やるぞ!

[シージ] わかった。

[自救軍戦士] 危ない!

[サルカズ戦士] 見掛け倒しだし、くだらねぇ。

[サルカズ戦士] 遊びは終わりだ。貴様ら武器を下ろせ、楽に死にてぇならよ。

[サルカズ戦士] そうすりゃ、互いに手間が省けるってもんだろ。

[アラデル] ……ごめんね、油断したわ。

[シージ] 謝る必要はない。

サルカズはシージを見て、シージはアラデルを見ている。

彼女がゆっくりと両手を上げる。ゴンという音が鳴り、ハンマーが地面に落とされた。

彼女はアラデルに目配せした。アラデルがかすかに口角を上げる。

[サルカズ戦士] 待て……風? ここは室内だぞ……

[サルカズ戦士] これは…

[サルカズ戦士] …クソが、アーツだ! 反撃しろ!

[アラデル] ヴィーナ、受け取って!

[シージ] ああ。

[サルカズ戦士] うっ――!

[シージ] 大丈夫か?

[アラデル] 少なくとも気分は良いわ。

[サルカズ戦士] 倉庫が崩れる、ここを出るぞ! 外でこいつらを包囲する!

[インドラ] なんだよ、お前らの「セーフハウス」はあんま頑丈じゃねぇみてぇだな。

[アラデル] セーフハウスが永遠に崩れないお城だとは限らないのよ。

[アラデル] ――ついてきて、こっちよ。

[アラデル] 隠し通路は、建物が倒れて塞がれたはず。でも私たちも急いだ方がいいわ。

[アラデル] うっ……

[シージ] 傷の手当てをしなければならないな、アラデル。

[アラデル] だ、大丈夫よ……

[シージ] ダグザ、こっちの戦士を自救軍の基地まで送り届けてやれ、別行動をする。

[自救軍戦士] 殿……シージさん。

[自救軍戦士] あなたは立派なリーダーです。ハハ、次回は俺たち自救軍のすごさを見せてやりますから。

[自救軍戦士] 感謝します。

[モーガン] あんたはどこ行くの?

[シージ] アラデルの傷を放ってはおけない、近くで……

[シージ] 待て、この辺りは見覚えがある……

[アラデル] ヴィーナ、この小道を覚えていたのね。

[アラデル] あなたとあの生き物たちが、「諸王の息」を持って帰ってきたあの午後のことを。

[シージ] ……何だって?

[アラデル] ……何でもない、進みましょう。

[アラデル] ここが王宮から公爵邸に通じる道だと知ってる人は多くないわ。

[アラデル] ある方からの保証を得ているの。明日まで、カンバーランド公爵邸は安全よ。

[アラデル] この程度の傷を手当てするには十分。

[アラデル] ……ヴィーナ。

[シージ] 私がいるのがわかっていたのか?

[アラデル] 自分の部屋の外から聞こえるべき物音くらいわかるわ。

[アラデル] あなたがどんなに眺めようと、背中の傷が勝手に塞がることはないのよ、ヴィーナちゃん。

[アラデル] 薬の交換を手伝ってくれる?

[シージ] ……ああ。

[アラデル] うぅ……

[シージ] すまない、痛かったか?

[アラデル] 大丈夫、大した傷じゃないもの。ただようやく周りの目がなくなったから、思わずね。

[シージ] あんなに血を流していただろう……貴様はこれまでも多くの傷を受けてきたのか?

[アラデル] 安心して、ほとんどがもう痛くなくなってるから。

[シージ] もし私の反応がもう少し速ければ……傷が増えることもなかったかもしれない。

[アラデル] さっきは、あの兵士たちの手から逃れるだけでも、十分大変だったでしょ。

[アラデル] それに、ここ最近はずっとお礼を言う機会が欲しかったの。

[アラデル] あなたは自救軍の大きな力となってくれた。それに、私のためにあの古い蒸気甲冑を守ってくれた。

[シージ] これは私がなすべきことだ、アラデル。私は……私は貴様がさらに多くのものを失うのを見たくない。

[アラデル] ……

[アラデル] ハハ。

[アラデル] そんなの何でもないことよ、ヴィーナ。ここ数年でとっくに理解したもの、大抵の物事は私たちの思い通りにいかないって。

[アラデル] でなきゃ、今この瞬間、私たちがこの薄暗い小部屋に隠れる必要なんてそもそもないし、こんな臭い包帯に囲まれてもいないわ。

[シージ] 私たちは……

[アラデル] 例えば私たちは……一緒に庭園に座って、お茶でも飲みながら詩や天気についておしゃべりするの。

[アラデル] そうだ、狩りに行くのもいいわね。今の季節、ロンディニウムの郊外にはたくさんの大角獣がいるのよ。走るのが速いくせに、人の群れに遭遇するとぽかんとするの。あなた狩りは好き?

[シージ] ……どうだろうな。

[アラデル] うん、実は私も忘れかけてるの。でも私が思うに、あなたはダンスが好きではないでしょう。社交シーズンの冗長なダンスパーティーは、少なくとも好みじゃないと思うわ。私も嫌いだけどね。

[アラデル] あんなドレスより、猟装の方がずっと動きやすいわよ。きつく締め上げなくちゃいけないし、パーティーで食欲がなくなっちゃう。

[シージ] ハハ、想像に難くないな。

[シージ] それに……

[アラデル] なに?

[シージ] きっと、猟装の方が貴様には似合っている。

[アラデル] ……ヴィーナ。

[シージ] ん?

[アラデル] 私たちは……もっといろんな場面で出会い、共に時間を過ごした記憶を持つはずだった。

[シージ] 運命は私たちの意思など顧みずに、美しくあるはずだった過去を、奪い去ってしまった。

[シージ] だが幸い、私たちにはまだ未来がある……

[アラデル] どうしたの? なんだか驚いてるみたいだけど。

[シージ] ……私が未来について語るなんてな。

[アラデル] あなたからしたら珍しいことなの?

[シージ] 逃亡の日々の中では、今後どうなるかなど、ほとんど考えたことがなかった。過去は全て夢の中にあり、そして未来は……未来は霧の中にある。私には何も見えないんだ。

[アラデル] ……ヴィーナ、それはあなたの欠点ではなく、長所よ。

[アラデル] 低俗な貴族たちは、明日について語ることが大好きだけど、ほとんどの人は今日の食卓に何が乗っているかの方が関心があるの。

[アラデル] それは日々の暮らしが彼らを麻痺させているのではなく、今この瞬間がどれだけ貴重なものであるかを、彼らが理解しているからよ。

[シージ] 今みたいにか?

[アラデル] そう……

[アラデル] 今みたいに。

[アラデル] エルシー。

[執事エルシー] おはようございます、アラデルお嬢様。荷物はすべてまとめてあります。

[アラデル] 蒸気甲冑……どうしてこれを?

[アラデル] 大きすぎて狙われるから、持っていくことはできないわ。

[執事エルシー] ……左様でございますか?

[執事エルシー] アレクサンドリナ殿下は、すでにお発ちになられたのですか?

[アラデル] ええ、彼女にはまだ任務があるから。

[執事エルシー] お嬢様、その傷……

[アラデル] もう大したことないわ、殿下のおかげよ。

[執事エルシー] ……お嬢様、そのように微笑んでおられるお顔を拝見するのは随分と久しゅうございます。

[アラデル] ハハ、戦争が目前まで迫っているのに、気楽すぎかしら?

[アラデル] 殿下たちと肩を並べて戦うなんて……確かに久しぶりの気分だわ。

[アラデル] 信頼を置ける人なんてね、ずっとずっと長い間、巡り合えてなかったの。

[執事エルシー] アレクサンドリナ殿下はこの甲冑を残してくださいました。私はただの執事ですが、いまだに恩を感じております。

[執事エルシー] これはカンバーランド家の栄光ですから。

[アラデル] 栄光……か……

[執事エルシー] この甲冑とお嬢様の偉大なるご先祖様……お嬢様は、幼い頃彼らとよくお話しをされていましたね。

[アラデル] 子供はすぐ幻想にふけるものよ。

[アラデル] でも、少なくともね。私は二十六年前にわかったの。これは英雄なんかじゃなくて、かさばるだけの壊れた鉄の塊だってね。

[アラデル] 私たちは変わった。でもこの甲冑は過去のままみたい。

[アラデル] あなたは……アレクサンドリナ殿下が好き?

[執事エルシー] 殿下はお優しい方です。あの方がお仲間にどのように接しているか見たことがあります。彼女たちは同じものを食べ、同じ部屋に住んでいます。

[執事エルシー] 殿下は大多数の貴族とは異って、お仲間を卑しい下僕と見なすことがなければ、見捨てることもありません。

[アラデル] ヴィクトリアは幸運ね。

[アラデル] 私たちの殿下は強い心を持っているわ。故郷を離れて、さまよい歩く程度の苦難では、彼女の実直さや誠実さを拭い去ることはできない。

[執事エルシー] ヴィクトリアの視点ではなく……お嬢様は? アラデルお嬢様、あなたはあの殿下をどう思われているのですか?

[アラデル] ……

[アラデル] 彼女には、明るい未来があってほしいわね。

[執事エルシー] ではお嬢様は……

[アラデル] 昨夜、また手紙を受け取ったわ。一日の内で二通よ。

[アラデル] 彼女は……焦っている。

[執事エルシー] ですが、あなたはもう殿下と再会されたのですよ!

[執事エルシー] 二十六年前のことをまだ覚えていらっしゃいますか? 殿下は「諸王の息」を携えここに来られました。あれはきっと何かの兆しに違いありません。もうすぐ実現するかものしれないのですよ!

[執事エルシー] 我々はこれだけ長く待ったんです、お嬢様……

「アラデル・カンバーランド。

いつの日か、お前は再びヴィーナと出会うであろう。」

[アラデル] あれは……

[アラデル] ……

[アラデル] エルシー、私はとっくの昔に待つのをやめてるのよ。

[アラデル] ジムが去ってどれだけ経ったかしら?

[執事エルシー] あの件があった翌年に、彼は職を辞してペニンシュラ郡へと帰りました。

[アラデル] ……二十五年。私たちの家には……もう二十五年庭師がいないわ。

[アラデル] 私は小さい頃から、あそこに生えている低木が好きだった。よく足を取られたけど、咲いた花は金色で、小さくて、とても綺麗だったわ。

[アラデル] ジムが去った後の、最初の冬に、庭に元から植えられたものは全部枯れてしまった。

[アラデル] お母様は人に頼んで新しい種を探し回ったわ。そこで初めて、あれはミノスで最も貴重な品種であることを知ったの。あの種を買うだけでも、一般家庭が五年生活するに十分なお金よ。

[執事エルシー] 低木を失ったとしても、お嬢様の庭園は美しいままですよ。

[アラデル] 私は頑張った、エルシー。私たちは頑張ったわ。庭園を美しく保つため、冬の凍える日も夏の暑い盛りも、あなたはここで休みなく働いていた。

[アラデル] でもあの貴重な種がなければ……私たちの庭園が、最も美しい姿に戻ることは二度とない。

[アラデル] お父様が亡くなってから五年目の新年に、私は彼女に手紙を差し出した。

[アラデル] 彼女の返信の中には、カンバーランド家ではとっくに買えなくなった花の種が入っていたわ。

[アラデル] ……

[アラデル] だからエルシー、私たちはただ……ずっとこうやって、生きてきたのよ。

[執事エルシー] 公爵様がここにいてくだされば……

[アラデル] ……彼女には問題を解決するための手段がたくさんあるわ。

[執事エルシー] 違いますお嬢様。私はあなたのお父上様のことを指して。

[アラデル] お父様……お父様。

[アラデル] お父様の声すら、もう思い出せなくなってきたわ。

[アラデル] この庭園に立っている時だけ、私は……私はどうにか思い出せるのかも。お父様がどうやって私の手を握り剣の振り方を教え、私を倒したと思ったら、抱きかかえて肩に乗っけてくれたことを……

[アラデル] ……

[アラデル] 何年も前に、私は残しておきたいと思ったのよ。エルシー、私はあらゆる手を尽くしたの。庭園に、甲冑……それにお父様の姿も。

[アラデル] だけど、「したい」というのは、嫌になるほど安くて簡単なの。

[アラデル] 小さい頃、蒸気騎士に「なりたい」と思っていたのは、今でも覚えてる。

[アラデル] ……

[アラデル] エルシー、時々、時々私は思う……

[アラデル] 大人になることは本当に残酷なことよね、違う?

[アラデル] とても運に恵まれた人でもない限り、私たちは最終的に疲れ果てた平凡な大人になるしかないの。

[アラデル] びくびくしながら慎重に歩いて、心にもないことを口にして、激しい浪の中でどうにか藁を数本掴んだら、二度とそれを手放せやしない。

[アラデル] エルシー、あなたは子供の頃、何になりたかったの? 落ちぶれた家の執事になることではないのは確かよね。

[執事エルシー] いいえ、お嬢様のおそばにいられて私は光栄です……

[アラデル] 嘘は嫌よ。

[執事エルシー] その……幼い頃は吟遊詩人のお話をたくさん聞いておりました……

[アラデル] あら、吟遊詩人エルシーさんね。

[執事エルシー] からかわないでください。

[アラデル] それに、大人になるというのは、子供の頃に掴めると思っていたあらゆる可能性の山を、少しずつ諦めて、すりつぶし、最終的に見る影もないものにしてしまうことよ。

[アラデル] そういう道のりを経て、私たちはここにたどり着いた。

[アラデル] 私に、カンバーランド家の栄光をとどめておくことができる? エルシー、そんなのとうの昔に無理よ。

[アラデル] 私はもう今のアラデルになってしまったの。

[執事エルシー] ……ですがお嬢様にだって、未来のアラデルがどこにいるかはわからない、そうでございますでしょう?

[アラデル] 未来……

[執事エルシー] 私は老いました、お嬢様。たとえ今楽器を握る機会が本当にあったとしても、心地よい曲を奏でることなどできません。

[執事エルシー] ですが、お嬢様、あなたは約束してくださいました。

[執事エルシー] もしかすると、あなたは子供の頃の戯言だと思っていらっしゃるかもしれません。

[執事エルシー] ですが私は今でも、あなたなら成し遂げられると信じております。

[執事エルシー] チャールズ・リンチ卿よりも偉大な、あなたのご先祖様よりも偉大な蒸気騎士なると。

[執事エルシー] お嬢様は、その姿を私に見せてくださるのですよね?

[アラデル] エルシー! もういいわ! 彼女が許すはず……

[執事エルシー] では、あなたはどうされたいのです、お嬢様?

[執事エルシー] あなたがいかような決定をされようと、私は変わらずお嬢様の味方です。

[アラデル] 私は――

[執事エルシー] 急かすつもりはございません。お嬢様は常に正しい決断ができますから。

[執事エルシー] お嬢様……もう一度この庭園を回ってきてもよろしいでしょうか。

[執事エルシー] たとえ過去の断片だとしても……これは私にとって最も大切なものなのです。

アラデルは言葉を継ごうとする素振りはみせたが、ついに口を開くことはなかった。

生まれた時からずっと一緒だったその女性が庭園の奥へと行くのを彼女は見ていた。彼女たちは最も苦しい歳月を共に過ごし、そして歳月によって想像したこともなかった姿へと変えられた。

アラデルもふと、このように笑っているエルシーを見たのは随分と久しぶりだと気付いた。

心の底から湧き上がる、久々の平穏を感じた。

もしまだ機会があるなら――

突然、アラデルの視界は遠くで跳ねるオレンジがかった赤色に吸い寄せられた。

その色は急速に拡大し、空気が熱くなっていくのを感じられる。

[アラデル] エルシー、早く――

瞬く間に、公爵邸全体が火の海へと変わった。

[レト中佐] ……大君殿。

[ブラッドブルードの大君] お静かに。

[ブラッドブルードの大君] この美しい光景を鑑賞する妨げです。

[ブラッドブルードの大君] かつての絢爛たる歴史が今まさに灰へと化す。貴族たちご自慢の邸宅が焼け焦げた骸となるのです。

[ブラッドブルードの大君] 数百年の時を費やして、丹念に彫刻を施したレンガが一つずつ剥がれ落ちる。大地各地から集め育てた草花がとぐろを巻いて死んでいく。

[レト中佐] ……私が受けた命は、これらの貴族を審査することです。

[ブラッドブルードの大君] なるほど、私の行為がご不満のようですね、「指揮官」。

[ブラッドブルードの大君] あなたはこの炎がお嫌いなのですか? 血液が煮え立ち、空気へと溶け込む音にご興味ないのですか?

[ブラッドブルードの大君] 「プツプツ、プツプツ」、耳を傾けてごらんなさい。その音色を味わうのですよ、レト、私の友人よ。

[ブラッドブルードの大君] 私は責務を全うし、一滴一滴の血を確認しているのですよ……

[レト中佐] ……

[レト中佐] あなたの審査に協力し……裏切り者を逃さないよう確保します。

[レト中佐] それが私の責務です。

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