aklib_story_狂人号_SN-10_儀礼広場_戦闘前

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狂人号_SN-10_儀礼広場_戦闘前

イベリアの眼に辿り着いたカルメンとケルシーは、戦いの中で命を落としたダリオの姿を目の当たりにした。彼の守り抜いた灯台は無事、そこにある。狂人号では、アマイアの献身で進化を遂げたシーボーンが新たなる「静謐」を引き起こし、船は今や沈もうとしていた。


[ケルシー] ……

[聖徒カルメン] 「イベリアの眼」――最後にこの地へ降り立ってから、随分と時が過ぎてしまったな。

[聖徒カルメン] 懲罰軍の数多の戦士たちがここで犠牲となった。シーボーンは我々の防衛線を突破し、数え切れないほどの技師たちが無念の死を遂げたのだ。

[聖徒カルメン] 最後に残った一隻の船が飲まれてしまう前に、我々はこの場をあとにした。当時の生存者は全体の一割にも満たぬものだった……

[聖徒カルメン] だが、見てくれ。ここには、今――

[聖徒カルメン] 灯火が燃えている!

カルメンの声は、いつになく少し震えていた。

ケルシーは黙って遠い岩礁の中央を眺めていた。大きな灯台が、真昼のように空を明るく照らしている。

[ケルシー] ……彼らの船が見当たりませんね。

[聖徒カルメン] それ自体は良い兆しと捉えてよかろう。探し物が見つかったことの表れだろうからな。

[聖徒カルメン] さあ、行こう。灯火が燃えている限り、我々もまた進み続けられるというものだ。

[恐魚] (扉を囲んで這いずりまわる音)

[ケルシー] ……Mon3tr。

[Mon3tr] (鋭い雄たけび)

[ケルシー] 扉の周りを片付けて、中へ入るぞ。

[聖徒カルメン] ……

焼け付く炎の熱。

恐魚たちは入口を取り囲み、周囲をうろつき回っている。

カルメンは遠くまでを見渡す。風の中で、炭化した忌まわしい怪物たちの死体が点々と連なっているのが目に入った。

[聖徒カルメン] 恐魚とは、恐れを知らぬものだという。

[ケルシー] ですが、奴らは利を得て害を避ける術を知っているものです。慎重に狩りを行う方法を、その本能が教えているのでしょう。

[聖徒カルメン] ……実際のところ、奴らは恐れを持っている。国家の何たるかを知らず、法律や道徳を気にも留めずにいようとも――

[聖徒カルメン] イベリアの大審問官を――そして、我々が文明の上に築き上げてきたすべてを恐れているのだ。

[聖徒カルメン] ――ダリオ!

[ケルシー] ……

ケルシーは何も言わなかった。

彼女には見えていた。発光する何かが広がる地面の上にある、奇妙な輪が。

焼け焦げた死骸は山のように積み重なり、そうした無数の同胞たちの死が、恐魚に新たな習性を芽生えさせ始めていた。

――「あの塔に近付いてはならない」。

かすかな炎が、未だそこに燃え続けている。それは業火のなれの果てだった。

砕ける波の如く恐魚が死んでいく前は、この地に火種などありはしなかった。

その炎の中心には、一人の男が立っている。灯りを掲げ、剣で身体を支えて、若かりし頃歩哨の訓練を受けていた時と同じように、微動だにしていなかった。

[言葉なきダリオ] ……

[聖徒カルメン] ……よくやってくれた、ダリオ。

[聖徒カルメン] どうか、安らかに……

カルメンの告げた別れに応えるように、ダリオの灯りが一瞬にして数多の恐魚を焼き尽くす。燃え盛る炎は、そうしてすでに息絶えた大審問官をも包み込んだ。

それでも、とうに濁った彼の双眸は、はるか彼方を見据えていた。

彫像の如く佇むダリオを前に、カルメンは長い黙祷を捧げる。

ケルシーはその哀悼を妨げることなく、ただ目に映るものを確かめていた。この場所には、狩人の痕跡がほとんど見受けられない。

大審問官はたった一人で、休むことなく、命尽きるまで恐魚と死闘を繰り広げていたのだ。

戦士が死を迎えた今でも、恐魚たちは依然、彼を恐れていた。その火は尽きることなどなく、灯りは光を絶やさない。

審問官は自らをある種の現象に変え、命を掛けて穢れなきイベリアの眼を守り抜いたのだ。

長い沈黙ののち、カルメンは顔を上げた。

この時、ケルシーは初めて、彼が重ねてきた歳月をその顔に見た。裁判所があらゆる手段で彼を延命させていたとしても、今ばかりはその瞳の中に隠しきれない疲労が滲んでいた。

彼はケルシーのほうを振り返り、それから再び、ゆっくりと炎の中に沈んでいくダリオへ目を向ける。

[聖徒カルメン] ダリオは、私の一番の弟子だった。

[ケルシー] ……かの戦士を弔い、死を悼むことのできる時間は3分ほどです。炎が消えれば、営巣の障害は消えたと見て、すぐにも恐魚が群がってくることでしょう。

[ケルシー] 加えて、あの少女の姿が見えません。となれば、少なくともダリオの弟子は生きているということになります。

[聖徒カルメン] ……この場には、より高位のシーボーンはいないのだろうか?

[ケルシー] ええ、今はまだ。

[聖徒カルメン] ならば、この程度の数は恐るるに足らんだろう。

[ケルシー] 私は、「今はまだ」と申し上げたはずです。

[ケルシー] この機にこそ、より根本的で永続的な解決策を講じなければなりません。ブレオガンの建造したこのイベリアの眼は、エーギルとの繋がりを確立するためのターミナルになりえるものですから。

[聖徒カルメン] それも、彼女らがあの船を見つけていればの話だが……

[聖徒カルメン] では、イベリアの眼を再起動させたのは誰なのだろうか? ダリオもあのエーギルたちも、ここに来たことはなかったと思うが。

[ケルシー] ……その人物は上にいるようですよ。

[ジョディ] や、やっとついた……

[ジョディ] はぁ……はぁ……せ、制御装置は無事、と……

[ジョディ] ううっ……つ、疲れた……

[Mon3tr] (興味深そうに低く唸る)

[ジョディ] わっ! う、わわっ……!?

[ジョディ] あ、あなたは――

[ケルシー] ……認めざるを得ないな。君は我々の想像以上によくやってくれたということを。

[ケルシー] 単独でイベリアの眼を再起動し、機能の三割を回復させるとは。

[ケルシー] このような状況の中、君一人で。

[ジョディ] え、ええと……あなたは、エリジウムさんの……あっ!

[ジョディ] し、審問官さんは!? あの人、下で命懸けで戦ってくださっていたんです! ぼ、僕では近づくことも、助けることもできなくて……制御装置を守るので精一杯だったんですが……

[聖徒カルメン] 彼は犠牲になった。

[ジョディ] っ、な……

[聖徒カルメン] だが、その犠牲は決して無意味なものではない。信念に命を賭すことは、彼という個人を存続させる行為なのだ。

[聖徒カルメン] ダリオは審問官として、イベリアの守護者として、英雄的な死を遂げた。それは、理想の中の彼自らを、永遠にイベリアの海岸へ留まらせてくれることだろう。

[聖徒カルメン] 少なくとも――若きエーギルよ。君は、彼の犠牲の意味を守り抜いてくれた。こうして、今まで諦めずに耐え抜いたのだからな。

[聖徒カルメン] 本当に、よくやった。

[ジョディ] ……だ、大審問官さんは……あの人と交わした言葉は、多くはありませんが……それでも……っ……

[ジョディ] ……そ、そうだ……グランファーロは……僕の故郷は、どうなったんでしょうか?

[聖徒カルメン] ……平時ならば、市民の質問一つ一つに答えはしないところだが。

[聖徒カルメン] しかし、今は……君を誤魔化すことなどするまい。グランファーロは間もなく、懲罰軍に接収される。市民はその管理下に入り、前線基地建設に貢献してもらうことになるだろう。

[聖徒カルメン] それと……ティアゴは命を落とした。異教徒の手によってな。

[ジョディ] ――え……

[ジョディ] そ、そんな……ティアゴおじさんが……!?

[聖徒カルメン] 彼は深海教徒の存在に気付いていながら、それを看過していた。その結果、懲罰軍の計画は妨害され、この場への支援にも遅れが生じてしまったのだ。

[聖徒カルメン] たとえ彼が逃亡を試みたとしても、見過ごすことはできなかっただろうな。

[ジョディ] ……

ジョディは床へとへたり込んだ。

疲労のあまり、身体に痺れすら感じる。ずっと張り詰めていた緊張の糸が、切れてしまったようだった。

[ジョディ] ……おじさんが……どうして……?

[ケルシー] ……Mon3tr、入口を守れ。

[Mon3tr] (嬉しそうに応じる)

[聖徒カルメン] ……「狂人号」が最後に現れた位置を確認することはできるかね?

[ジョディ] ……

[聖徒カルメン] ケルシー女史、見ていただけるかな。

[ケルシー] そう遠くはないようですね。加えて、直近の信号記録は48時間以内のものです。

[聖徒カルメン] なんと……

[聖徒カルメン] では、今までずっと信号を送り続けていたということか?

[ケルシー] ブレオガンがイベリア王族に手を貸し、灯台と艦隊を打ち立てるのに一役買ったのは、故郷との交流を取り戻させるためでもあったことでしょう。

[ケルシー] イベリアの眼もそうですが、「狂人号」のどこかにある発信装置もまた、エーギルの技術を遺憾なく発揮した逸物であると思えば、何ら不思議なことはありません。

[ケルシー] 無論、すべてはかの船がシーボーンによる破壊や恐魚による営巣を免れていればの話ですが。

カルメンは黙したまま、光の投じられたほうを目で追って、水平線の彼方を眺めていた。

肉眼では、とても「狂人号」の姿など捉えられはしない。海はあまりにも広大で、「そう遠くはない」というのは、これが陸でも悪い冗談としか思えないような距離だった。

聖徒の顔にはまたも疲労の色が見え、年相応の表情が伺える。無数の考えが頭をよぎったかのように、その唇がかすかに動いた。

[聖徒カルメン] ……アルフォンソ……ガルシア……トゥーレ……ジュリア……

[聖徒カルメン] まだ、そこにいるのか……?

[スカジ] ……隊長もグレイディーアも、奴を追って海へ向かったわ。

[スカジ] 私たちも加勢しないと。

[スペクター] ううん、やめときましょ。ここにいたほうが良いわ。海がなんだかざわついてるし、シーボーンの匂いも混じってる。もしかすると、あの一匹だけじゃないのかも。

[スペクター] ……

[スペクター] ねえスカジ、何か聞こえない?

[スカジ] いいえ……何も。

[スペクター] ……そう。

[アルフォンソ船長] 貴様ら、何をしでかしたのかわかっているんだろうな!

[アルフォンソ船長] 大体、どうやってここへ入った?

[アルフォンソ船長] この場所の鍵は俺の持っていた一つきりで、「穀潰し」が死んだあとこの手で海に投げ捨てた。それがもう五十年以上前の話だぞ!

[スカジ] これが船の動力設備だとしたら、鍵をかけておくなんて希望を捨てるようなものじゃないの?

[アルフォンソ船長] 「穀潰し」は最後の機関士だったんだ。奴の死を以て、船を修復できる人間はいなくなった。

[アルフォンソ船長] ましてやその時は……「シーボーン」に纏わり付かれて、身動きの取れない状況だったからな。我が船に、意志の弱い船員など必要ない。

[アルフォンソ船長] それより、質問に答えろ! 貴様らはここで何を見つけた?

[スペクター] ブレオガンに関するものよ。隊長は、彼の残した手がかりを元にしてイベリアに、ひいてはここに辿り着いたの。

[アルフォンソ船長] ……あの造船士を知っているのか?

[スペクター] 正直、私としてはあまり記憶に残ってなかったんだけどね。結局、私は「技術者」側の人間だし。ほら、芸術も一種の技術でしょ?

[スペクター] でも、エーギルに帰るために、同じエーギル人の手がかりを追ってみること自体は、ごく自然な――

[スペクター] ――あら? 何かしら、これ。

[アルフォンソ船長] 浅ましい連中め。ブレオガンの私物まで引っ張り出してくるとは……貴様らエーギルには、私的な空間を尊重する文化などないのか?

[スペクター] ……

[スカジ] 何が書かれているの?

[スペクター] ブレオガンが陸で見聞きした物事のようね。旅行記みたいなものだと思うわ。

[スカジ] じゃあ、第二隊長が探していたのはこれ?

[スペクター] さあ。本人に聞いてみたら?

[グレイディーア] ……それはほんの一部に過ぎないわ。

[アルフォンソ船長] ふん。その様子では成果なしか?

[ウルピアヌス] 奴は消えた。だが、追跡を断念した理由はある。

[ウルピアヌス] この付近に、別のシーボーンの痕跡を見つけた。

[ウルピアヌス] 匂いにつられてやってきた連中の鳴き声も聞こえている。

[ウルピアヌス] このままやり合っても構わんが、先にこの船の問題を解決するべきだろう。

[アルフォンソ船長] まだ俺の「イベリア」を諦めていないようだな。

[グレイディーア] エーギルに帰る手段も、エーギルの都市と連絡を取る手段も、この船にしかありませんもの。

[グレイディーア] 修理についてはご心配なく。ブレオガンの技術を少しかじっただけのイベリア人より、私のほうが少しはマシな腕前でしょうから。

[グレイディーア] 何より、私はこの機を逃すわけには参りませんの。たとえ武力を行使することになろうともね。

[スカジ] ……

[スペクター] ……

[アルフォンソ船長] 四対二、か。

[ガルシア副船長] (警戒するように唸る)――

[ウルピアヌス] ――いや、三対三だ。

[スカジ] ……隊長!?

[ウルピアヌス] そう焦るのはよせ、グレイディーア。

[ウルピアヌス] 俺の言ったことを忘れてくれるな。

[グレイディーア] ……あなたの言うそれは、エーギルへの帰還を諦める理由にはなりえなくてよ。

[ウルピアヌス] ――お前はエーギルの現状を知らんだろうし、伝えておこう。

[ウルピアヌス] シーボーンは、巣や生息地が脅かされない限り、自ら都市に攻め入ることなどしない。虐殺と破壊の裏では常に、堕落したエーギル人が糸を引いている。

[ウルピアヌス] 奴らは俺たちを死んだものと思い込み、こちらとあちらの繋がりは途絶えた。そして、俺たちの身体には、シーボーンの血が流れている。

[ウルピアヌス] この長きにわたる戦いに、貴重な好機が訪れているんだ。

[グレイディーア] けれど、その堕落した人々は、あのゴミクズたちと無関係ではないのでしょう? それを放っておけば、シーボーンの領土は無秩序に拡大し続けるわよ。海のすべてを飲み込むまでね。

[ウルピアヌス] 確かに、それもまた問題の一つではある。

[ウルピアヌス] だが、こうした二つの問題は、お前が故郷に帰って軍を再編成し、再び出征すれば解決するようなものではない。

[ウルピアヌス] 真の解決を望むのなら、考え方を変えるべきだ。

[グレイディーア] だからあの下等生物に耳を傾け、同行し、彼らを知ろうとしたとでも言いたいようね。

[ウルピアヌス] 奴らは俺たちを同族だと呼ぶが、俺たちは奴らについて多くを知らない。現状では、情報不足だ。

[ウルピアヌス] 俺には、あの時見たものすら理解できていない。奴らの神々について答えを得るまでは、何を為そうとも徒労でしかないんだ。

[スカジ] 隊長、一体どういうつもりなの……!?

[スカジ] あなたが……あなたと、シーボーンが……私たちの味方でいるなんてこと、どう証明するっていうの? どうして、そんな……

[スペクター] ……シーボーンから何かを得られると思っていた狩人たちは、みんな消えていったのよ。

[スペクター] もちろん、あなたのほうがよっぽどよく知ってるでしょうけどね。

[スカジ] 奴らは囁いて……あるいは、共鳴して……頭の中まで入り込んでくるけど、それはあなた自身の考えじゃないのよ!

[ウルピアヌス] ……スカジ。

[ウルピアヌス] お前の言うそれも……また、問題の一つではある。具体的な話は、グレイディーアから伝えさせよう。

[ウルピアヌス] ――さて、船長。三人を船から下ろすとしようか。

[アルフォンソ船長] いいだろう、望むところだ。

[グレイディーア] ……そう。残念だわ。

[スカジ/スペクター] ……

沈黙と静寂が訪れる。長く離れていた狩人たちの再会はいつも、理想的とは言い難いものだ。

スカジとスペクターの胸に何かがよぎる。副船長は躊躇っており、その傷はまだ痛みを訴えていた。

まさに一触即発の状況下――

静けさだけが耳に届く。

それは「静かすぎる」ほどだった。

一体どうしたことだろうか? 波や風、そしてシーボーンに壊された船体が軋む音までも――

すべてが遠ざかりつつあるのだ。

[審問官アイリーニ] ちょっと、あなたたち……!

[審問官アイリーニ] こ、この船、動いてるわよ!

[アルフォンソ船長] 戯言はよせ、旧イベリア人。この船はもう何年も……

[審問官アイリーニ] 違うの、聞いて! 本当に本当よ、何かが船を押し続けてるの! もしかしたら……私たちがあのシーボーンを追いかけていた時からずっと押されてたのかもしれないわ……!

[審問官アイリーニ] それと……さっきから、その……

[審問官アイリーニ] 静かすぎると思わない?

[ロシナンテ] シュゥウ……

[最後の騎士] 同類ガ、集結しタ。箱を乗セ、遠ザかっテいく。

[最後の騎士] 追ウと、しヨう……我ら、共ニ。嵐の果テを、見ツけだスのだ。

[ロシナンテ] (従順に頷く)

[最後の騎士] 波ガ、消えゆク。

[最後の騎士] 静寂ガ、近付いテ、いル。

[アルフォンソ船長] ……音が消えた。長く聞こえ続けていた、あの波の音すらも……

[アルフォンソ船長] 何もかも、あの日と同じだ……

[ガルシア副船長] (苦しげに身をかがめる)

[アルフォンソ船長] ガルシア! ――ぐっ……手が、震える……! クソッ、狩りに使わん腕ならば、とうに切り落としていたというのに……!

[アルフォンソ船長] ――これは一体何事だ!? 説明しろ、エーギル!

グレイディーアは答えず、ひそかに己の首へ触れた。

鱗が――彼女の身体にありながら、彼女ではないその部分が、何かと共鳴している。

[グレイディーア] シーボーンの気配も、海の匂いも、すべてが消えた……外の景色も妙に穏やかだわ。

[グレイディーア] まさか……

[アルフォンソ船長] っ、はあ……何が起きた……? なぜ、こうも重苦しく……

[アルフォンソ船長] ……待て。

[アルフォンソ船長] 何か聞こえないか?

[アルフォンソ船長] これは……

[審問官アイリーニ] ――「未曾有の凪が海を満たし、海岸には異様な光景が広がった。激しい引き潮と不規則な波が、災厄の訪れを告げていた。」

[審問官アイリーニ] 「その時、あらゆる音が消え去った。打ち寄せる波から、町の鐘楼まで、一切の音は静けさに飲まれた。」

人々の声も消えるまで。

風の音さえも静まるまで。

大いなる静謐が忍び寄る。

[審問官アイリーニ] そんな……裁判所の記録と同じだなんて! だったら、私たちは……新たな「静謐」に直面しているの……?

[スペクター] ……

[グレイディーア] サメ、どこへ行くつもり?

[スペクター] 上の状況を見てくるわ。

[ウルピアヌス] 同行しよう。

[スカジ] それなら、私も……

[ウルピアヌス] いいや。

[ウルピアヌス] お前はグレイディーアと共に、ここへ残れ。

[グレイディーア] ……

[ウルピアヌス] ……スカジ。

[スカジ] ……何?

[ウルピアヌス] 彼女のそばを離れるな。それと、一つだけ覚えておけ。

[ウルピアヌス] 今までも、そしてこれからも――お前は、俺たちの僚友だ。

[ウルピアヌス] 行くぞ、ローレンティーナ。

スペクターは空を見上げた。

暗雲は、いつの間にやら消え去っている。時間感覚を失っていた彼女は、そこでようやく満天の星空に気が付いた。

彼女には、ずっとあの声が聞こえていた。

彼女を呼ぶ、あの声が。

甲板を歩くスペクターのほうへ、ウルピアヌスが、一瞬ながらも心配そうな視線を向けた。

[スペクター] ……鼻が利くあなたや隊長だったら、今この瞬間もシーボーンの匂いを嗅ぎ取れるのかしら?

[ウルピアヌス] いや。今のこの場所は陸と変わりない。

[ウルピアヌス] ここは海の上だというのに、実に不快な感覚だ。

[ウルピアヌス] 俺は向こう側を見てくる。本当に船が海流に押されているかを確かめてこよう。

[スペクター] ……じゃあ、またあとでね。

[スペクター] ……綺麗な夜。

[スペクター] こんなに澄んだ星空を見るのは何年ぶりかしら。

[スペクター] 私、本当に色々忘れちゃってたのね。故郷を遠く離れて、人に利用されて……その挙げ句、命を救ってくれたのも、記憶を呼び覚ましてくれたのも、私が一番嫌いな部分だったなんて。

[スペクター] でも、自分が怪物だってことを受け入れるのは、思ってたよりは簡単ね。だって、それも個性の表れだと考えればいいんだもの。

[スペクター] ただ……一つだけ腑に落ちないのは、故郷のことね。

[スペクター] 今の私は、故郷に帰ってきたって言えるのかしら? 海の上もエーギルと呼べる? そもそも、ここはまだ私の故郷なのかしら?

[スペクター] グレイディーアが口にしなくても、気付いてはいるのよね。狩人同士の確執は今に始まったことじゃないけど――それならエーギルと私たちは? 海岸に取り残されてからもう随分経ってるじゃない。

[スペクター] ……ああ……また一つ思い出したわ。

[スペクター] 子供の頃、両親と祖父母に連れられて、海面まで上がって夜空を見たの。ちょうど今みたいな、瞬く星の海をね。あれは、一番綺麗な真珠晶洞だって敵わないほど美しい空だったわ。

[スペクター] こうして振り返ってみると、狩人になってからの私も、あてどなく故郷を離れては戻る、っていうのを繰り返してただけね。

[スペクター] ……ふふっ、ちょっとふるさとが恋しくなってきちゃった。

[スペクター] ――それで? 今度は私をどこへ連れて行くつもりなの?

壮麗な星空の下、その生物は静かにスペクターを見下ろしていた。

そこに一切の音はなかった。船が波を割る音も、潮風の唸り声も、すべてがそれの囁きにかき消されていたのだ。

水に漂うようにして空中にぷかりと浮いたそれは、月の光と星明かりとに口づけて、その触手をひらひらと美しくなびかせていた。

[シーボーン] どこへ向かうこともない。果てなき海では、どこへ行こうと同じことだ、ローレンティーナ。

[スペクター] そう。あなたの歌声、ずっと聞こえてたわよ、アマイア。

[シーボーン] それは、鱗のない同胞、あのリーベリ、イベリア人の名だ。

[シーボーン] 私に捕食される間、彼女は私の頭を優しく撫でながら、色々な話を聞かせてくれた。それを聞いている時間は、凍り付いた塵の如く、刹那の永遠の中にあった。

[シーボーン] もはや言葉が出なくなり、その骨までもが小さき同胞に分解されてしまうまで。彼女は、私に十分な栄養と時間を与え、すべてを教えてくれた。

[スペクター] 一体いつから食べ物の死を悼むほど殊勝になったわけ?

[シーボーン] これは彼女の要求だ。私は従っているにすぎない。こうした感情に意味があるのなら、試行することに問題はない。

[シーボーン] イシャームラはどこだ? グレイディーアはどうしている? それに……ウルピアヌスは?

[シーボーン] あなたの同胞たちは、海へ帰る準備を終えたのか?

[スペクター] ……それが、ちょっと意見が割れちゃってるのよね。

[シーボーン] 何故だ? 故郷は目前に見えている。大群も待っている。

[シーボーン] ローレンティーナ。あなたは故郷が恋しいはずだ。アマイアがそう教えてくれた。あなたは、彼女が接触したエーギル人の中でも、望郷の念が非常に強い部類だと。

[シーボーン] こちらへ来い。

[シーボーン] 抱擁を交わそう。私が、あなたを故郷に帰す。

[スペクター] 私、生きてるシーボーンに素手で触ったことないのよね。死んでるやつのほうが好みなの。

[シーボーン] あなたが愛する、無機物を特定の形状に削る行為のように。あなた自身の生存には、貢献しないとしてもか?

[スペクター] 「生存」ねえ。あなたたちって、ほかに欲しいものないの?

[シーボーン] 欲しい。求めるもの? あなたが故郷へ帰りたいと願うようにか?

[シーボーン] 種の生存。より多くの生存。大群の生存。

[シーボーン] 幾万の生命は総体を成す。生命とは、無秩序なものではない。

シーボーンが甲板へふわりと降り立つ。

スペクターは微笑んだ。

[スペクター] とっても優雅な立ち姿ね。喋り方もちょっと似たみたいだけど、そういうのもアマイアに教わったの?

[シーボーン] 彼女の要求だ。彼女を刻み込んでほしいと。

[スペクター] だったら、彼女への貸しもあなたが払ってくれる?

[シーボーン] ……ああ。それもアマイアが死ぬ前に託した内容の一つだ。あなたの生命は私が処理する。あなたの望みも叶えよう。

[シーボーン] アマイアはあなたに感謝していた。そして、あなたを助けるべきだと言っていた。あなたのお陰で、彼女らの事業は新たな段階へと進んだのだ。「科学」も、「理想」も、大きく進歩した。

[シーボーン] イシャームラの話をしてもいい。あなたたちをエーギルへ連れ帰ってもいい。一族の居場所や近況を教えてもいい。あなたたちの一族の中で、我々に加わった者を教えてもいい。

[シーボーン] アマイアは、絶対にあなたを助けてほしいと言った。そうすれば、あなたは同胞たちを受け入れると言った。

[スペクター] ……ふっ。

[スペクター] それなら、まずは……

[スペクター] 歌うのをやめてくれる? 故郷の風の音が聞きたいの。

[シーボーン] 了解した。

瞬間、スペクターの耳に風と波とが帰ってきた。

甲板に打ち寄せる波の音が初めに聞こえたその時――ウルピアヌスの巨大な刃が、シーボーンの頭に振り降ろされる。

[ウルピアヌス] 死ぬがいい。

[ウルピアヌス] ――ッ! 防がれたか――ぐっ……!

[スペクター] ウルピアヌス!

[シーボーン] 今の一撃は、重い。海中の同胞たちが、意識を失った彼を出迎えてくれる。巣へと連れ帰り、時間をかけて彼を受容するだろう。

[シーボーン] そして、この浮かぶ箱。これは、海に適応できない同胞を収容していた。だが彼らの多くは死に、残った者は、一族に加わることを拒絶した。

[シーボーン] ゆえに、もはや不要だ。

スペクターにはその動きをはっきりと捉えることはできなかった。しかし、まるで道を塞いでいる邪魔な箱でもどかすかのように、それは巨大な艦砲を一瞬で消し飛ばした。

数秒の静寂ののち、はるか遠くで巨大な水しぶきが上がり、吹き飛んだ鋳造物の行方を知らせてくる。

[スペクター] (あいつ、どうやってあんな大砲を……尻尾でも使ったの!?)

[スペクター] っ、いけない――

彼女には、それを視認することは叶わない。

ウルピアヌスが容易く退けられたことに動揺したか、あるいは金属の砲台が切断される音に気を取られたか――その一撃は命中し、スペクターは甲板に叩きつけられた。

彼女には完全に、捉え切れていないのだ。

[シーボーン] さあ。海へ帰ろう。

[シーボーン] 捕食も、交流も、進化も、すべては海へ帰るもの。

[審問官アイリーニ] 待ちなさい!

[アルフォンソ船長] 怪物め、この船をバラバラにしたいと見える!

[アルフォンソ船長] ――ガルシア!!

[ガルシア副船長] グオオオッ――!

副船長はシーボーンに向かって突進した。

しかし、その動きは、優美なそれへと触れる前に、一瞬にして硬直した。

――「同胞」。あれは「同胞」だ。

なぜ、「同族」を攻撃しなければならないのだろうか?

[ガルシア副船長] グ、ゥッ――!?

[シーボーン] 似て非なるものよ。あなたは多くの同胞を捕食してきた。同胞たちは飢えている。あなたは、彼らを育むべきだ。

[シーボーン] 血族の養分となれ。

[アルフォンソ船長] ガルシアッ!!

[アルフォンソ船長] 俺の副船長に何をした!?

[アルフォンソ船長] ――ぐっ……!

[アルフォンソ船長] ごほっ……クソッ!

[ガルシア副船長] ……!

[アルフォンソ船長] 心配、するな……大、丈夫だ。げほっ……

[ガルシア副船長] ……

[ガルシア副船長] アルフォンソ……

[アルフォンソ船長] ――なっ……?

[アルフォンソ船長] ま……待て。ガルシア、お前――

[ガルシア副船長] アルフォンソ。

[ガルシア副船長] こノ、航海も……今日で……終ワる。

[ガルシア副船長] コこ数年……私ハ……怪物ノ、フリをしテいた。ソの方が、楽だっタんだ。

[ガルシア副船長] 私ニは、ワかっテいた。私ガ、死ねバ……あナたを、孤独に……死なセてしマう。そンナ、死ニ方――アなたにハ、似合ワなイ。

[ガルシア副船長] コの航海、も、今日デ、終ワり。

[ガルシア副船長] 私は……もハや。奴らニ、近しサを、感ジるんダ。

[アルフォンソ船長] 違う! そんなはずはない……!

[アルフォンソ船長] ガルシア! お前はまだ言葉を話せるし、意識だってあるだろう!

[ガルシア副船長] そレ、デも。

[ガルシア副船長] 時が、来タんだ。スタルティフィラは、ジきに、沈ム。光る海ニ、蝕マれ始メていルから。

[ガルシア副船長] 私は――

[ガルシア副船長] ――イベリア人トして、戦っテ死ぬ。絶対ニ、自分が、奴らト同ジ存在なドとは、認メない……!

[シーボーン] ……

シーボーンは身をかがめた。

それが一体、このイベリアで最も偉大な副船長に、どれほど似ているというのだろうか。

ガルシアは、頭上に戴いたきらめく王冠をその手で支えた。

[ガルシア副船長] (イベリア語)愛すル人よ……あなタの務メを……思イ、出して。

[アルフォンソ船長] ……

[ガルシア副船長] グオオオッ――

[シーボーン] ガルシア。あなたが抗っているものは、私ではない。

[ガルシア副船長] グ、ァアッ――

[シーボーン] あなたはその心の中の大群に抗っている。この船にありながら、海を渇望しているのだ。

[ガルシア副船長] グ――ガ、アア――

[シーボーン] だが、関係はない。

[シーボーン] 同胞の養分となれ。あるいは、受け入れ、同化せよ。

副船長の身体が貫かれ、辺りに血が飛び散った。

シーボーンは餌を投げ入れるように、ガルシアを海へ投げ捨てる。

そして、それは依然として、聖像の如く厳かに佇んでいた。

[審問官アイリーニ] な、に……? 今……何が起きたの?

[審問官アイリーニ] どうして、あんな簡単に――

[シーボーン] ……人類、同胞。両者の間を行き来する者。

[シーボーン] アマイアはあなたたちを正そうとしていた。ゆえに、私もそのようにする。私は同胞を、Ishar-mlaを、迎え入れるだけだ。

[シーボーン] 同胞の命を守り、大群のもとへ「帰群」する。

[グレイディーア] サメ。

[スカジ/スペクター] ――

軽快な足取りで、グレイディーアはその軽いかけ声を置き去りにしていく。

そんな一瞬の間に、彼女の後ろにいたスカジも、戦いに戻ったスペクターも反応し、シーボーンに向かって同時に武器を振り上げた。

最速であるグレイディーアが少し速度を遅らせれば、三人の連携はより完璧になっただろう。――しかし、彼女にはすでにその余裕がなくなっていた。

[シーボーン] ……

それは回避した。あるいは、前へと歩み出た。ただのそれだけで、攻撃を避けるには十分だったのだ。

それはただ、スカジを見ていた。

[シーボーン] 我々の中にも、あなたに会いたいと願う者が多くいる。Ishar-mla、イシャームラ。

[スカジ] ――!

[シーボーン] 一族があなたを待っている。我々はあなたを待っている。あなたの答えを心待ちにしている。

[グレイディーア] ――随分と偉そうな口を利いてくれたわね、ゴミ。

グレイディーアが矛を振り降ろす。だが、シーボーンはそれを避けなかった。あっさりと貫かれ、そのまま深い穴へと落ちていく。

[シーボーン] ……

[グレイディーア] 効いていないようね……あなたの身体に一体何が起きたのかしら?

[シーボーン] もうじき、多くの同胞が、それを望んだ同胞たちが、私と同じ高みへと到達することだろう。

[シーボーン] 我々は日々変化している。我々は総体である。グレイディーア、あなたはその中で最も強健なものの一つとなるだろう。

[スカジ] ……隊長は?

[スペクター] 海に叩き落とされちゃった。かなり痛そうだったわよ。

[スカジ] ……

[グレイディーア] 彼はまだ死なないわ。奴らの神ですら、ウルピアヌスを消化することは叶わなかったんですもの。

[グレイディーア] まずは目の前のことから片付けましょう。――奴の身体は変化しているわ。サルヴィエントのゴミ二体とは訳が違うようね。

[スペクター] カジキが敵を見下さずにきちんと警戒するなんて珍しいと思うんだけど、私の記憶が戻ってないからそう感じるだけかしら?

[スカジ] いいえ、実際珍しいことよ。こんなシーボーン自体、これまで見たことがないもの。アビサルハンターに三人がかりで攻撃されて、平然としていられるなんて。

[スペクター] そう? 私、まだ全然本気出してないんだけど。

[スカジ] それでも、こんな調子でやり合ってたら、船が持たないわよ。あれは前よりずっと強くなってるしね。

[アルフォンソ船長] ……先ほどの攻防で、すでに下層には火が回っている。

[アルフォンソ船長] 俺の船に、そしてガルシアに、よくもこんな真似をしてくれたな……後悔させてやるぞ、怪物。

[シーボーン] ……

[シーボーン] 同胞たちが、多くの同胞たちが、私に呼びかけてくる。海の繁栄と安寧を守ってくれと懇願している。

[シーボーン] 私を阻むのなら、あなたたちを捕食することになる。今一度願う。一族に回帰せよ。

[スペクター] ねえ、アマイア。

[シーボーン] ……そう呼びたいのなら、任せよう。

[スペクター] ええ、それじゃ遠慮なく。私ね、また一つ思い出したのよ。この札にきちんと書いておくべきだったんだけど――

[シーボーン] 何だ?

[スペクター] 彼女、私に命の借りがあるのよね。代わりに、あなたが返してくれない?

[シーボーン] 「借り」? あなたが一族へ回帰するのなら、約束しよう。

[スペクター] 交渉決裂ね。

[シーボーン] ……

シーボーンはそれに答えず――

静かにその場で身をかがめ、鋭い爪を剥き出しにした。

その瞬間、船体の受けたダメージが臨界点に達して、視界のすべてが揺れ動く。

[シーボーン] ……「分」、というのが、あなたたちが時間を捉える単位だと、アマイアが言っていた。

[シーボーン] 残りは10分だ。

[シーボーン] この箱は、同族に囲まれ、「沈没」する。

狩猟と捕食、生存と進化。

それらは、躊躇いなど知らない。

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