aklib_story_春分_独り寒山を見る

ページ名:aklib_story_春分_独り寒山を見る

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春分_独り寒山を見る

鉱石病末期患者であるドキュメンタリー映画監督は、その人生最後の時、カメラを持って未踏の地へと出発した。


感染日記:

今日、医者に行ってきた。心の中にあった大きな石が取れたみたいにほっとした気分になった。でもまさか本当に自分の身体に「石」ができたとは思わなかったけど。

小さい頃から病院に通い詰めだったけど、医者の口から最後の判決めいた診断が下された時、僕の心には何の実感も湧かなかった。

「生命の意義とは何か?」無数の映画や本が探求してきたそんなテーマは、もはや僕にとって意味をなくしてしまった。

けれど、最後に残された時間を使って、僕は本当の意味で自分だけの作品を完成させたい。

よく考えることがある。僕たちは知らず知らずのうちに、目の前に見える社会や、テレビの中で描かれる大地だけが全てだと思い込んでいないだろうか?

眩しく光るビルや、ネオンの輝く夜景を見慣れてしまっているけど、何もかもを包み込むほどに大きな移動都市が、実際はこの大地のほんの小さな一部分に過ぎないってことを忘れているんだ。

そして人なんて、取るに足らないほど小さい存在でしかないことも。

だから最後の作品は、ドキュメンタリーにしたい。

慣れた環境を抜け出し、できる限り遠くに行って、見たことのない景色を見に行くんだ。多くの人が目を向けない大地の片隅に、どんな人が住んでいるのか、彼らはどんな人生を歩んでいるのか、それを知りたい。

とは言え、一人でドキュメンタリーの撮影をするのはかなり大変だと思う……そんな遠くまで出かけるとなると、機材を運ぶだけでも骨が折れるだろうし。

はぁ、こんな細かいことばかり考えてどうするんだ? どんなに予想したって、旅の途中で鉱石病の急性発作を起こして、僕の人生も作品も、何もかも半端に終わるかもしれないんだし。

そんなことより、作品のタイトルを何にすべきかってことを考える方が有意義だ。

[信使] 合わせて、手紙三百三十七通に、荷物二十五個です。もう一度確認しますか?

[郵便局員] 数に問題はないが……そんなにたくさん運べるのかね?

[信使] どうってことありません。いつもと同じくらいの量ですから。

[信使] 今回はおよそ半月ほどの日程で、途中で西方の町にも寄らなくちゃならないんです。何でも急を要する荷物があるらしくて。

[郵便局員] 初春のこの時期は毎年忙しいし、あんたも大変だな。

[信使] いえいえ、仕事ですから。

[郵便局員] あのさ……実は……

[信使] どうしました? 何かあるなら仰ってください。

[郵便局員] 春だから、家族に服や体に良い食べ物をいくつか買ったんだ。もし手が空いてたらでいいんだが……

[信使] 水臭いですね。もちろん引き受けますよ。早く出してください。

[郵便局員] ありがとうな、信使の姐さん!

[信使] 姐さんだなんて。あなたの方が私より年上でしょうに……

[郵便局員] よいしょっと──

[信使] これが……いくつか?

[郵便局員] だから頼みにくかったんだよ……

[郵便局員] もし無理だったら……

[信使] いえ、大丈夫です。これだけたくさん荷物を積んでるんですから、大差ありませんよ。

[郵便局員] ありがとう!

[郵便局員] そうだ、もし俺の両親に会ったら、元気でやってるって伝えといてくれないか。来年の年越しには必ず帰るってな。

[信使] 了解、覚えておきます。

[信使] では出発しますね。

こんにちは、ちょっといいですか……?

[信使] えっと、私ですか?

そうです!

失礼ですけど……あなたはここの信使さんですか?

[信使] そうとも言えますね。この山間地帯の手紙や荷物の配達は、すべて私が請け負ってますから……

[信使] ところであなたは……?

申し遅れました。僕は映画監督でして……この地帯に関するドキュメンタリーを撮っているところなんです。

しばらくあなたについて行っても構いませんか? よろしければ、あなたを撮影する許可もいただけると嬉しいんですけど……

[信使] ……

あ……怪しい者じゃありませんから!

ここに来る途中で身分証を失くしちゃったみたいで、身元がわかる物もないんですけど……

見てください! このカバンには本当に撮影機材しか入ってませんから……

[信使] ドキュメンタリーって言いましたっけ?

はい。えーと……ドキュメンタリーというのは──

[信使] 意味は知ってますが……どうして私に声をかけたのです?

この山奥に住む人々の生活を記録したいんですけど、何ぶん土地に不案内なもので……その点、信使さんだったらきっと……

[信使] そういうことですか。

しばらくついて行く許可をくれるだけでいいんです。お仕事の邪魔はしないって約束しますから!

お礼は特にできないんですけど、もしよろしければエンドロールのスペシャルサンクスリストで、一番上にあなたのお名前を載せたりとか……

[信使] そういうことを気にしてるんじゃなくて……

[信使] まぁ……いいでしょう……

[信使] あなたが何を撮りたいのかはよく分かりませんが……

[信使] 日程に支障が出ない範囲であれば……

両親や、仲の良い友達数人には、簡単な別れの手紙を書いた。僕は口下手で、時間も差し迫ってるとはいえ、挨拶もせず行ってしまうことをどうか許してほしい、と。

父さんと母さんは、常に僕を安全な場所で大事に守ってくれた。二人の気持ちは分かるけど、どうしても行かなきゃならない理由があるんだ。

みんながこの作品を見て、僕の旅の意義を理解してくれたら嬉しいな。

自分自身の両脚で、人工の地面じゃなく、本物の大地を踏みしめた時、今まで味わったことのない興奮と喜びを感じたんだ。

この数ヶ月で見聞きしたことは、僕がこれまでの十数年の人生で得た経験を全部足しても敵わない価値がある。

僕はついに、綺麗に澄み渡る星空や、天災によって蹂躙された土地を目にした。荒野で一生懸命に働く馳道の施工隊や、東奔西走する天災信使を目の当たりにしたんだ。

無人の砂漠を踏破し、無音の氷河を渡り、穏やかで活気に満ちた村に辿り着いて──大晦日の夜、そこの親切な人たちに客としてもてなされ、自家製の米酒を振る舞ってもらった。

僕は正直、大衆に媚を売った軽薄なプロットにうんざりしてたんだ。いくらかの興行収入を上げて、ある程度の笑いや涙を誘った後、二度と話題にならないような物語はごめんだ。

作品ってのは、一度見ただけで捨てられるような消耗品じゃなく、残すべき価値と、相応の重みを兼ね備えてなければダメなんだ。

虚構の中になるべく「現実味のある」人物を捏造するくらいなら、この大地に生きる人々が正真正銘、「本当に生きている」姿を直接記録した方が、絶対にいいと思わないか?

ちょうど今みたいに、カメラが記録する一コマ一コマが、すべて意義のあるものなんだ。

遥か彼方の風景や、そこにいる数多の人々の生活を、僕はこの目で見届けたい。

残された時間は少ないけど、僕は今、本当の意味で「生きてる」って実感がある。

……でもそのせいで、最後の瞬間が訪れるのをより恐ろしく感じるようになった。

監督メモ:

星明かりと朝日が入れ変わろうかというまだ暗い時間帯。重たい荷物を担ぎ上げて、信使の一日が慌ただしく始まる。

こういう辺ぴな山間地帯では、荷物や手紙を運んだり、情報を伝達するのにも人の力が不可欠だ。

一人で険しい山奥を行けば、多くの困難に出くわす。このように、信使は毎日十数里もの山道を──

[信使] 数十里ですよ。

[信使] 十数里なんて距離じゃ山一つだって越えられやしません。ましてや手紙の配達なんてなおさらでしょう?

すみません、間違えました。そこのセリフは後で録り直します……

[信使] えーと……まだ歩けますか? 何ならそのカバンを運びますよ。

だ……大丈夫です……

まだ……歩けますから……

[信使] だけど今日はまだ村一つ分しか配達できていないんです。いつもの配達速度と比べるとかなり遅れているのですが……

申し訳ありません! 頑張ってついていきますから……

[信使] まぁ、あまり無理をしないでくださいね。

[信使] 見たところ、あなたは普段あまり運動してなさそうな感じですし、野外で倒れられでもしたら、そっちの方が面倒ですからね。ここで少し休んでいきましょうか。

[信使] ほら、水を飲んで。

[信使] それから、この包帯を足首に巻いておいてください。じゃないと、気づいたら足がぴくりとも動かない、なんてことになりかねませんからね。

あ……ありがとうございます……

本当にすみません……お仕事の邪魔はしないって約束したのに。

[信使] はは……見るからに都会育ちの生っ白い子が、この山道で私の足についてこれるだなんて、最初から信じてませんでしたよ。

[信使] そういえば、気になってたんです。その撮影機、ずっと回してるみたいだけど、一体何を撮ってるんですか?

それは……道中で見かけた景色や人物なんかを……

[信使] 映画なら私も少しは見たことありますけど、撮られてるのはどれも綺麗で壮大な風景とか、美人や男前の役者さんばかりでしたよ……

[信使] でも、ここには禿げ山くらいしかないでしょう? 撮る価値なんてあるんですか?

もちろんありますよ!

「リアル」でなければ「美」を論じる土俵にも立てないんです。巷に溢れている取り繕った美しさなんてものは、どこまでいったってただのペテンに過ぎないんですよ……

誰も知らない景色や、二度と戻らない時代の中に消えていったものたちを記録し、もっとたくさんの人に見てもらう……それ自体が、とっても意義のあることなんです!

[信使] うーん……

そうだ、いい機会ですし、この休憩時間に信使さんの取材をさせてもらってもいいですか?

[信使] 取材……?

いくつか質問するだけです。答えたくなかったら答えなくても結構ですから。

[信使] 別に構いませんが……取材ってことは、撮影機に向かって話すってことですよね……

信使さん、あなたはずっとこの山の辺りに住んでいるんですか?

[信使] ずっと……ってことはありませんね。学校に通っていた頃は何年か離れていました。卒業してからまた戻ってきたんです。

あなたご自身の観点から、この一帯を紹介してもらえますか?

[信使] 紹介するようなことなんてあったかな……

[信使] あなたも見てきたように、ごくごく平凡な山間地帯ですよ。割と辺ぴな場所で、人もそんなに住んでないし、外からの客もめったに来ないし……

[信使] 私が物心ついてからほとんど変わってませんね。最近あった目新しい出来事と言ったら、馳道が整備されたことくらいで。

ここに住む人々は、どうやって生計を立てているんですか?

[信使] 相当不作じゃなければ、収穫した作物だけで生きていけます。余分に穫れた物は、町で生活用品と交換してもらえますし。

[信使] この辺は乾燥していますが、一部の果物の栽培にはうってつけの気候なので。

[信使] 私は以前、商売に手を出したことがあったんですが、その時は村で採れた果物を街まで運んで売っていました。

[信使] まあ、輸送コストが全く釣り合わなくて、やめてしまいましたが。

ここに来る途中で見かけた村はどこも住民が少ないようで、寂しい雰囲気でしたけど。

[信使] そうですね。実はこの山に住む人たちも、何年も前から徐々に移動都市へと移住し始めてるんです。若者に続いて、子供や老人という順番でね。

[信使] この辺りは何も変わらないけど、移動都市が拡張していくスピードはものすごいでしょう? 街には働き口もたくさんあるし、若者が都会に移りたがるのも当然ですね。

[信使] 私の故郷の村なんて、一昨年にはついに私以外のみんなが村を離れました。

みんな移動都市に移ったんですか? じゃあどうしてあなたはここに残ったんです?

[信使] 仕方なかったんです。感染しちゃってたから。

......

[信使] 都市へ行っても生きていけないわけじゃないですが、よくよく考えてみると、私の取り柄なんて、この山の地理に詳しいってことくらいしかなかったんです。

[信使] 見知らぬ土地で一から生計を立てるより、自分の力の及ぶ範囲で、人のためにも自分のためにもなる仕事をする方がいいと思って……

[信使] それに私まで出ていっちゃったら、誰がここまで手紙を届けるっていうんです?

そのような生活をしていて、辛いと感じることはありますか?

何もかも不公平だと、不満に思ったことはないんですか?

[信使] 辛い?

[信使] 辛くない仕事なんてないですよ。自分が得意なことや、よく知っていることですから、むしろ馴染みやすいですね。

[信使] 不満とか、不公平とか言うのは……まぁ、そういう理屈っぽい話は大抵人によって捉え方も異なりますしね。やはり自分のことは自分で着実にこなしていくしかないんです。

[信使] あなたは、都市の外で暮らす人々というのは惨めな生活を送ってるものだって、思い込んでるんじゃありませんか?

[信使] ここでの生活は確かに平凡で単調ではありますが、外の人から同情されなきゃいけないほどひどい暮らしじゃないんですよ。

[信使] 不満などありません。自分の努力と引き換えに堅実な生活を手に入れるっていうことも、決して悪いものじゃない。

ええ、それはそうですけど……

でも、もしこの状態がずっと続けば、ここの遅れた環境はどう変化していけばいいんでしょうか?

[信使] 「変化」ですって?

[信使] ここの環境だって、毎日変化し続けてるでしょう?

[信使] 今日建てられた家は昨日のよりも頑丈になるはずだし、明日の作物は今日よりも少し大きく育っているはずなんです。

僕が言ってるのはそういう変化じゃありません!

それよりも、もっと俯瞰的な、構造的な変化のことであって──

人は自分が生まれた環境に制限されるべきじゃないと思うんです。どこに生まれても、資源や機会は皆平等に享受できるべきだと……

[信使] 理屈ではそうかもしれませんが……理屈を現実のものにするには、まずは具体的な行動から始めなきゃ。

[信使] あぁもうやめやめ。なんでここまで話が飛んだんでしたっけ。キリがないです。

ええと、この話題がお嫌でしたら、あなた自身のことを話してみてください!

[信使] 私自身のこと? 話すようなことなんてないと思いますが……

信使として働く中で、後悔したこととか、将来への希望とか、配達の途中で一番忘れられない出来事とか、何かありませんか?

[信使] 忘れられない出来事……

[信使] ……撮影機を止めてくれれば、教えても構いませんけど。

ええ、分かりました!

[信使] 一度、とんでもなく緊急の配達がありましてね。山道を連日連夜、急いで駆け抜けなきゃいけなかったんです。

[信使] その時、大雨が降ってきて、道を挟んだ両側の山が泥でぬかるんでしまい、山の上から岩がたくさん転がり落ちてきて……

まさかあなたはその時に感染したとか──

[信使] そうじゃありません……

[信使] 大きな岩が、荷物目掛けて落っこちてきましてね。その時はすごく慌ててたから、自分でもなぜだか分からないけど、角を使って岩を押しのけようとして……

[信使] それで……左の角がぽっきりと……

プッ──

[信使] 今笑いました?

ごめんなさい! バカにしてるわけじゃなくて──

[信使] いいですよ、笑いたきゃ笑ってください。さっきまでのしかめっ面よりはずっとマシですし……

[信使] 自分でもおかしいって思いますしね。それ以来、折れた角をずっと持ち歩いてるんです。今後はくれぐれも雨の日の夜に道を急いだりしないようにって……

[信使] それと、医者にまたくっつけてもらう機会があればってね……

[信使] 一人で配達していると、バカなこともたくさんやらかすし、面白いこともたくさんあります……

[信使] ただ、行きも帰りも常に一人きりだから、誰かに話す機会がないんですけどね……

今がその良い機会じゃないですか。他にも何かあるなら、遠慮せず話してくださいよ。

……それに配達する時は、実は必ずしも「一人きり」じゃないってそう思ったことはありませんか?

「あなたはどんな気持ちで自分の一生を振り返りますか?」

この旅で、僕はたくさんの人にこの質問を投げかけてきたけど、返ってきた答えはどれも似たようなものばかりだった。

まるで、人が一生の内に経験する紆余曲折の数々が、たった二言三言で要約できるものであるかのように。

あの信使は、山村の環境や、失われた故郷、自分自身の感染状況について……まるで食後の散歩中に見聞きしたことみたいに、淡々と話してくれた。

しかし僕には未だに想像もつかない。彼女の簡潔で穏やかな言葉の裏にはどれほどの苦労や悲しみ、そして本人すら気が付かないほどの無力感が潜んでいるのだろう。

そう、「現実」という名の巨大な怪物と相対した時、僕たちは皆、一様に無力なんだ。

そう言われてみると、僕自身はこの質問にどう答えるべきだろう?

僕はあとどれだけのことを、このカメラに記録できるだろうか。どれだけのことを成せるのだろうか?

僕はこの先まだ何かを残せるのだろうか?

[信使] この辺は荒れ林ですね……今晩はここで野営しましょうか。

配達の時は、夜になるとこんな形で休息を取るしかないんですか?

[信使] 普通は村で夜を明かすんですが、時々日没までに村に辿り着けないこともあるので、その時はこんな感じで我慢するしかありません。

[信使] あなたも運が悪いですね。初めて山道を歩くっていうのに、野宿で一夜を過ごさなきゃいけないなんて。

[信使] ですが、よくここまで持ちこたえましたね。てっきり早々に諦めるだろうと思ってたんですけど。

ははっ……前の僕だったら確かに諦めてたかもしれません。だけど今は、どうしても諦めるわけにはいかない理由があるので……

確かに信使さんのお仕事は、想像よりもずっと大変でしたけど。

[信使] どれだけ道が険しくても、行ったり来たりを何年も繰り返してれば慣れるもんですよ。

[信使] あなたにとっては、こんな経験は一回でこりごりでしょうけどね。

でも僕がここを去った後も、多くの人たちがこの隔絶された場所に閉じ込められたままなんですよね……

いつの日か、誰もがこんな生活をしなくて済むようになる時が来るかもしれない。僕はそういう風に考えているんです。

[信使] こんな生活……ですって?

ええ、もっとたくさんの人に状況を知ってもらえれば、この場所にも変化をもたらすことができるかもしれません。

[信使] よく分かりませんが、あなたはどうして、そんなにここを変えたいと言い続けるんです?

[信使] そんな簡単な言葉で、本当に何かを変えられるみたいに……

もちろん、僕一人の力には限界があります。僕ができるのはただ、より多くの人に呼び掛けて、関心を引き起こすことだけです。

もし、ここが他に比べて遅れている現状を変えられる可能性があるなら、皆さんが努力してみる価値は──

[信使] もういい。

え──?

[信使] あなたが一体どういう姿勢でそのドキュメンタリーとやらの撮影に臨んでるのか、未だによく分からないんですよ……

[信使] ここに住む人たちの生活を理解したいって言いますけど、あなたに一体何が分かるっていうんです?

[信使] ここの人たちがどうやって畑を耕してるのか、どの季節にどういう仕事をしなきゃならないのか、荒野でどうやって井戸を掘るのか、それ以前に、食料一斤の値段だって知らないでしょう?

[信使] あなたは何も分かっちゃいない。

確かに僕はまだまだ知らないことだらけですが、それでもこの目でここの現状を見てきたんです。

あなた自身も、何か変化をもたらしたいと仰ってましたよね?

[信使] ええ、確かにここの生活は貧しくて遅れてる……都会の豊かさには遠く及ばないでしょうね。

[信使] でも、たとえそうだとしても、ここの人たちは自分たちのやり方で精一杯頑張って生きてるんです。

[信使] ここの村の人たちのことを、本当に理解しようとしたことなんてないくせに、どうして私たちの生活を値踏みしたり、「変化」だなんて、できもしないことを言ったりするんですか?

僕は……

[信使] あなたの言う「心配」って言葉は、結局のところ上から目線の同情ですよ。

[信使] 道案内はもう必要ありませんよね。私もそのドキュメンタリーとやらの撮影に付き合うのはもうごめんです。さよなら。

ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったんです!

待ってください──

[信使] もう私につきまとわないで!

[カシャ] ウィンドチャイム姉さん、このビデオカメラ、何とか直してみたんだけど……どうかな、中のデータ消えちゃってたりしない?

[ウィンドチャイム] ……うん、大丈夫。ありがとう。

[カシャ] そのカメラ、確か去年出た最新モデルだよ。あたしの給料半年分とほぼ同じ値段でさぁ。すっごく欲しくてずっと悩んでたんだけど、結局お金がもったいなくて買えなかったんだ。

[カシャ] でもそれ、何でこんなボロボロになっちゃったの? 持ち主の人、扱いがちょっと乱暴過ぎなんじゃないかな……

[ウィンドチャイム] そ、そういうわけじゃなくて……

[カシャ] で、どんな映像が撮ってあったの?

[ウィンドチャイム] ……

[ウィンドチャイム] 風景が……少しね……

[マルベリー] ウィンドチャイムさん、あなたの検査結果が出ましたよ。

[ウィンドチャイム] どうも。

[マルベリー] えっと、今すぐ確認したいなら、私は席を外しても構いません──

[ウィンドチャイム] そこまで悪い状態じゃないでしょう。そんな緊張されたら、こっちがびっくりしちゃいますよ。

[マルベリー] 私は専門家じゃありませんけど、あまり楽観的な数値とは言えないと思いますよ……

[マルベリー] これから配達をする時には、きちんと防護措置を取らないとダメですからね。

[ウィンドチャイム] はい、ありがとうございます。

[ウィンドチャイム] このロドスって場所のことを教えてくれたり……それから、あの村でのことも。

[ウィンドチャイム] 本当に、色々と助かりました。

[マルベリー] 私が現地に着いた時は、単なる突発的な自然災害だと思ってましたけど……まさか災害の裏にあんな事件が潜んでいたなんて……

[マルベリー] ただ、心残りなのは、もし私があと少しでも早く到着していれば、もしかしたら……

[ウィンドチャイム] そんなこと言わないでください。仮定の話をして後悔しても意味はありません。

[ウィンドチャイム] こういう事態に直面した時、人は誰しも無力なものです。

[ウィンドチャイム] マルベリーさん……あの土石流に巻き込まれて亡くなった人は……

[マルベリー] すみません……「春乾」本部に連絡を取って、直近で報告のあった失踪者のリストと照合してはいますが、条件に合致する人はいないみたいで。

[ウィンドチャイム] そうですか……

[マルベリー] 今のところは手がかりもかなり少ないですからね。名前も不明で、身分証明もなく、どこから来たのかも分からないんじゃ……

[マルベリー] そうだ、その撮影機の映像から、もっと情報を得られませんか? 手がかりさえもっとあれば……

[ウィンドチャイム] 彼も……感染者でした……

[ウィンドチャイム] それ以外には何も……

[マルベリー] でもそれだけじゃ……

[ウィンドチャイム] 大丈夫、私はまだ探し続けるつもりですから。

[ウィンドチャイム] きっと彼は旅の途中で、何か手がかりを残しているはず……

そう、あれだけ長い道を歩いてきて、多くの人を見てきたあなたのことだ。そんな人が、何も残していないはずはないでしょう。

あなたが旅して、見てきた山や川、美しい景色のどこかに、必ず痕跡が残っている。

[マルベリー] そうそう、ウィンドチャイムさん。私、近々また謀善村に行く予定があるんです。

[マルベリー] あそこの土石流防護設備の再建工事が完了したはずなので、検査をしに行かないといけなくて……

[ウィンドチャイム] ちょうどよかった。私も一緒に行きます。

[賑やかな人だかり] ちょっと! 俺のは? 俺宛ての手紙があっただろ?

[賑やかな人だかり] 押すな! 押すなって! 俺宛ての手紙があるのが見えたんだよ!

[信使] 慌てないでください、手紙は逃げたりしませんから。順番に並んで一人ずつ取っていってくださいね……

[信使] 王(ワン)おじさん、泣かないでください。ここに手紙があるじゃないですか。手紙があるってことは良い知らせってことですよ!

[信使] 張(ジャン)おばさん、息子さんの大学合格の知らせですよね? あらら、そんなに顔がくしゃくしゃになるほど笑っちゃって……おめでとうございます!

......

こんな表情をする人々は今まで見たことがない。

みんなが信使さんを取り囲んで、今か今かと待ち望んでいるんだ。外にいる大切な人たちから届く、ほんの些細な知らせを。あの薄い紙一枚に書かれた文字に想いを馳せながら……

彼ら一人一人の顔には嘘偽りのない期待が、ひたむきな感情が浮かんでいた。その情熱的な想いが、カメラのレンズ越しに僕の方にまで伝わってくる。

決して多くを期待しているわけではないけど、彼らの抱える思いは尽きたりしない。

一人ひとりの人生なんてものは、どれも大した違いはないかもしれない。だって、いくら波瀾に満ちた人生であろうと、簡単にまとめてしまうことは可能だ。

生老病死、喜怒哀楽、離合集散。たった三言で済んでしまう。

[信使] あれ、何を撮ってるんですか?

二ヶ月も見ない内に、村の様子はすっかり変わったようだった。

農閑期にもかかわらず、村人たちは慌ただしそうにしている。村の空地にはまた井戸が増えたようだし、あぜ道には多くの人が集い、新しく備え付けた灌漑設備の動きを確かめている。

雫が一滴、彼女の頬にぽたりと落ちてきた。見上げると、村の入口にある槐の老木が、ちらほらと花を咲かせているのに気が付いた。初夏の暖かな風に揺られ、道行く人に向けてその首を振っている。

彼女はふと、誰かに言われたある言葉を思い出した。

「夜中に道を急いでいる時、空の星々や、道端の岩陰に隠れた花に目を向けることを忘れてやしないでしょうか?」

ウィンドチャイムは撮影機を持ち上げた。

[朗らかな少年] 準備はいい? スイッチを押すからね!

[おどおどした少年] 爆発したりしないよね……

[朗らかな少年] 三──二──

[朗らかな少年] 見て! 動いた!

[ウィンドチャイム] シャオピン、シャオアン? それは?

[朗らかな少年] トラクターだよ! 本で勉強して、廃棄されてた馳道建設用の道具で作ったんだ!

[おどおどした少年] 言い触らしちゃダメだからね。大人たちに知れたらまた怒られちゃうから!

[ウィンドチャイム] トラクターなんか作って、何をするつもりなの?

[朗らかな少年] 龍門に行くんだ!

[朗らかな少年] 俺たち、前々から大都市に行ってみたかったんだ。

[朗らかな少年] 噂じゃ、あそこには大きなショッピングモールとか、映画館とか、族長んちの庭くらいでっかいピアノなんかがあるんだって!

[おどおどした少年] 龍門がどんなに良いとこだとしても、結局は村に帰ってこなくちゃならないってのに……

[おどおどした少年] 最近は村も忙しいしさ。井戸を掘ったり、用水路の整備をしたり、移山廟も新しく建て直さないといけないし……

[おどおどした少年] 族長がいなくなってから、村では色んなことがありすぎて、みんなどうしていいか分からなくなってるじゃないか……

[朗らかな少年] そんなの目の前の些細なことじゃんか。もっと長い目で見なきゃ。俺たちがもうちょっと大きくなれば、自分のやりたいことができるようになるだろ?

[朗らかな少年] 信使の姉ちゃんは街へ行ったことがあるんでしょ。俺の言ってること間違ってると思う?

[ウィンドチャイム] んー……

[ウィンドチャイム] 見たことのない場所を、自分の目で確かめてみるのはいいことだと思うよ。

[ウィンドチャイム] そうだ、あなたたちの写真を撮ってあげる。

[ウィンドチャイム] 写真なら持ち歩けるから、村にいない時でも、それを見れば故郷を思い出せるでしょ。

[朗らかな少年] いいね! 俺たち二人が、江湖に旅立っていく記念ってことにしようぜ!

[朗らかな少年] 来いよシャオアン、このトラクターの上に乗って一緒に撮ろう。

[ウィンドチャイム] はい、こっち向いて笑ってー。

[ウィンドチャイム] 三──二──

もしあなたの最後の願いが、この旅路を終え、ドキュメンタリーを完成させることなら、私があなたの望みを全力で叶えてみせる。

あなたがこの映像を撮影していた意味が、今になってようやく分かったんだ。慣れ親しんだ場所にも、今まで気づかなかった景色があったんだね。

あの消えていった村のように、離れていった人々のように、彼らもいつかひっそりといなくなってしまうのだろう。でも彼らがそこにいたという証を残す手段はある。

たくさん話を聞かせてくれて、私の話を色々聞いてくれて、本当にありがとう。

そしてごめんなさい。まだあなたのことをきちんと理解できてすらいなかったのに。

また予想外の困難が起きた。取材対象とケンカ別れになってしまうなんて……それでも僕は、残された旅路を進まなければならない。

あの口論で、僕も色々と反省させられた。本の中の理論だけじゃ、彼女たちの生活のすべてを理解するには足りないのかもしれない。僕の「苦難」に対する理解は、まだまだ浅いものだった。

人生とは、始まりと終わりを定められた旅路だ。ぶつかりながら手探りで、前へ進んでいくしかない。

人それぞれに道は違うけれど、自分が絶対に手放したくない景色のために「運命」という奔流に立ち向かい、「現実」というとてつもなく大きな物と戦い続ける。

そういう戦いは「苦難」を生む源でもあるけど、また尊敬に値するものでもある。

だから僕の境遇や経験は実際のところ、ただの不運でしかなくて、それを「不幸」などとは到底呼べないんだと思う。でもそれを理解できたから、むしろ前より少しすっきりしたくらいだ。

ならば僕はこのまま、ひたむきに前へと進み続けよう。

そうだ。もしも、もう一度あの信使さんに会ったら、僕の方から彼女に謝らなきゃ。

いや、今言っておいた方がいいかな。

信使さん、こんにちは。

手元に紙やペンがないので、こんな形で「詫び状」を記録しておくことしかできないんですけど。

本当にすみませんでした、信使さん。あなたを不快にさせるようなことを言ってしまって。

弁解をさせてほしいんです。あの時の僕は決して上から目線で話すつもりではなくて、ただ全力で、口先だけじゃない「何か」を成し遂げたいと思っていただけなんです──あなたのように。

実は、僕はあなたのことを心から尊敬しています。あなたのその一貫した姿勢と、勇気は本当に凄いと思っています。

僕はまだ、あなたのように「リアル」に生きることはできません。ですがあなたのおかげで、少しだけ「リアル」に近付くことができたような気がします。

繰り返しになりますが、知らず知らずのうちに失礼なことを言ってしまってすみません。自分の認識不足に恥じ入るばかりです。

いつの日か、この不誠実な詫び状があなたの元に届きますように。

撮影者は──

[???] 痛てっ!

[むっとした顔の少年] おい! 何よそ見しながら歩いてるんだよ!

[好奇心旺盛な少年] それって、この機械で見たものが全部この中に記録されるっていうこと? ずーっと残るの?

うん、画面に収めたものなら、ずっと残り続けるんだ。

[好奇心旺盛な少年] じゃあ俺のことも記録できる?

できることはできるけど……

何か言いたいこととかあるの?

[意気揚々とした少年] えーと……俺の名はファン・シャオシー! この大地で一番すげー大侠客を目指してる男さ!

[意気揚々とした少年] 俺の名前をよーく覚えとけよ。そう遠くない内に、きっとどこかで耳にすることになるだろうからな。

うん、覚えとくよ。

[意気揚々とした少年] おっと、話なんかしてる場合じゃなかった。後ろからおっかない奴が追いかけてきてるんだ……

[意気揚々とした少年] もう行かなきゃ! またね!

ああ。

またね。

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