御殿場線

ページ名:御殿場線

登録日:2013/03/06 Wed 14:16:53
更新日:2023/08/17 Thu 18:13:57NEW!
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御殿場線(ごでんばせん)は、神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市の御殿場駅を経由して沼津市の沼津駅を結ぶ、JR東海の鉄道路線(幹線)である。
路線記号はCBで、ラインカラーはダークグリーン



「ふじさん」号で使用される60000形「MSE」(写真は「メトロはこね」号として走行中のもの。町田駅撮影)
(出典:日本の旅・鉄道見聞録)


●目次


概要

開業当初から昭和時代初期まではれっきとした東海道本線の一員で複線運転も行われていたが、1934年12月1日に丹那トンネルが開通し、熱海経由になったことで御殿場線に改称になった。
しかし、実際には東海道本線の支線扱いすら受けない田舎のローカル線に降格したも同然で、戦時中には今まであった複線も単線になるなど、沿線は大きな打撃を被っている。
一方、JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)時代の1955年10月1日からは、片乗り入れではあるが新宿~御殿場間で小田急電鉄との直通運転が行われ、東京都と御殿場エリアを結ぶルートを形成するなど、東海道本線時代とは別の形で都心とつながるようになる。
当初は準急だったところを1968年10月1日からは連絡急行、JR化後の1991年3月16日には特急に順次昇格し、さらに両社の車両による相互直通運転かつ乗り入れ区間も御殿場から沼津まで延長されていたが、2012年3月17日のダイヤ改正で廃止され、再び片乗り入れで新宿~御殿場間運行に戻った。


国府津~沼津間の所要時間は東海道線と比ぶべくもないが、1992年6月28日に来宮駅構内で列車衝突事故が発生して熱海~三島間が運転見合わせになった際は東京発の「あさかぜ3号」などを含む寝台特急6本が当路線を経由して運行されており、やや遠回りとはいえ不通になったあちらのバイパスとしての役割を持つことから、事実上の支線であることに変わりはない。


歴史的経緯により沼津方面が下り・国府津方面が上りになっている。1987年4月1日の国鉄民営化後はJR東海の管轄になり、同社の在来線では最東端の路線にして、唯一神奈川県に乗り入れる路線でもある*1


松田駅付近には小田急小田原線とつながる単線の連絡線があり、特急ロマンスカー「ふじさん」号はこの線路を通って両線を直通する。
この連絡線は小田急や箱根登山鉄道が発注した新型車両の搬入にも使用されており、この際にJRの電気機関車が新松田駅まで乗り入れる。
両線はいずれも直流1500V電化であるが、変電所が異なることから電流の混触を防ぐために長さ10m程度のデッドセクション(無電区間)が設けられている。ただし、セクション内の架線は断路器を介して小田急側の木電線に接続されているため、必要に応じて小田急側の電源で加圧することも可能であり、万が一セクション内で列車が停止してしまった場合でも問題ない。この関係上、セクション内の通過中は車内灯・空調・案内表示器が一瞬消灯するが、かつて使用されていた371系ではインバータ付直流蛍光灯だったことから点灯していた。
新宿~東武日光・鬼怒川温泉間を運行する特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」が乗り入れる東武日光線の栗橋駅でも同様の構造になっている。


2010年3月13日からは御殿場~沼津間、2019年3月2日からは下曽我~足柄間、2021年3月13日からは国府津駅で「TOICA」が導入され、ICカードが使用可能になった。
ただし、東海道線はSuicaエリア・小田急線はPASMOエリアであることから定期券以外では各カードエリアをまたぐ利用はできない(「ふじさん」号の特例については後述)。



歴史

1889年2月1日の開業から昭和時代初期までは、東京と大阪を結ぶ大動脈「東海道本線」の一部分を形成していた*2。小田原~三島間は山岳地帯で当時はトンネルを開削する技術に乏しく、建設するのが困難だったため、現行の熱海経由ではなく今日の御殿場線を通るルートになっており、れっきとした主要路線であった。松田・山北・駿河小山(当時は駿河駅)・御殿場・裾野(当時は佐野駅)の途中5駅は開業当時からある最古参の面々である。
しかし、山越えは輸送上の大きなネックになっており、各列車には山越えのための補助機関車(補機)を下りは国府津駅・上りは沼津駅で連結し、途中の御殿場駅で解放する形を取っており、急行列車に連結していた食堂車は運転上の大きな足かせになるとして、国府津・沼津で補機と入れ替わる形で切り離し、山を登り終えてから再度連結せざるを得なかった。
1930年10月から東京~神戸間で運行が始まった特急「燕」号は1秒でも無駄な時間を減らすため、国府津・沼津での補機連結停車時間はたったの30秒に抑え、登坂し終えた御殿場付近を走行中に無停車で解放するという荒業を行っており、他の特急・急行・貨物列車でも同様の手法が取られていた。
それでも速度低下は避けられず、増解結の停車時間も含めてダイヤの足を引っ張っていたことや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、高速化にあたって不便な迂回を抜本的に解消すべく、1920年10月21日からは熱海線が建設され、国府津から小田原・真鶴・湯河原・熱海へと順次線路を伸ばしていった。
そして、1934年12月1日には難工事の末に丹那トンネルが完成し、熱海~沼津間が開通。これにより、東海道本線は熱海線を編入して熱海駅を経由した国府津~沼津間の短絡・平坦な電化されたルートになり、所要時間もコストも大幅に削減されることになった。
一方、既存の御殿場ルートは中央本線に対する辰野支線のような扱いになると思われたが、実際にはあちらとは違って東海道本線の支線扱いすら受けない全くの別路線に降格してしまい、三島駅は名前と駿豆鉄道(現:伊豆箱根鉄道)駿豆線との接続を奪われる形で「下土狩駅」に改称を余儀なくされるなど、沿線地域は経済面で大きな打撃を被った。
それでも「御殿場線」として心機一転再スタートしたものの*3、追い打ちをかけるように戦時中の1943年には「不要不急線」に認定され、今まであった複線も単線になってしまった*4。現在でも、随所に複線だった面影を見ることができる。


日本の大動脈から一ローカル線に成り下がった御殿場線だったが、かつては東海道本線の一員だったことを活かし、戦時中にあちらが爆撃を受けた際の迂回路線としての応用が構想され、大東急*5と相談が進められたものの実現には至らなかった。この構想は同社から分離・独立した小田急が引き継ぐことになり、駿豆鉄道との箱根をめぐる路線バス争いもあって御殿場方面への観光ルートにも注目し始めたことから、計画は次第に現実味を帯びていき、1955年10月1日に新松田~松田間の連絡線が完成したことによって新宿駅と御殿場駅を結ぶ、気動車による直通列車(特別準急)が誕生した。
これと同時期には普通列車の気動車化に合わせて多くの新駅が開業するなど、御殿場線は次第に地域輸送にも配慮されるようになっていく。1968年4月27日にはようやく国府津~御殿場間が電化され、東京~御殿場間を結ぶ急行「ごてんば」号の運行も始まったほか、7月1日には残る御殿場~沼津間も電化されてようやく全線電化になり、小田急との特別準急(後に連絡急行)「あさぎり」も気動車から電車に置き換えられた。しかし、前者は1985年3月14日のダイヤ改正で廃止されている。


1987年4月1日の国鉄分割民営化後、御殿場線は神奈川県内を走る在来線としては唯一JR東海が受け持つことになり、JR東日本の路線になった東海道線の東京方面とは列車運行の分断が進められる。一方、1991年3月16日のダイヤ改正からは「あさぎり」が特急に昇格し、小田急とJRがそれぞれ新型車両を導入した上で運転区間も新宿~沼津間へと延長する相互直通運転が実現することになり、箱根や江の島に続く第3の観光特急としての役割も期待されるようになった。また、御殿場~裾野間の交換設備の新設によって普通列車の増発も行われたほか、1999年からはワンマン運転も行われている。
しかし、2012年3月17日のダイヤ改正をもって相互直通運転は終了し、特別準急・連絡急行時代と同じく小田急車の片乗り入れによる御殿場発着へと後退し、さらに2018年3月17日のダイヤ改正からは「あさぎり」号は「ふじさん」号に改称され、現在に至る。



運行形態

現在運行されている種別

  • [[特急ロマンスカー「ふじさん」>小田急ロマンスカー]]

小田急線と直通する有料・全席指定の特急ロマンスカー。松田駅を経由して新宿~御殿場間を毎日3往復が運行され、2022年3月12日のダイヤ改正までは土休日のみ4往復+不定期運行の臨時列車1往復(駿河小山通過)の計5往復が設定されていた。同駅で乗務員の交代が行われる。
御殿場線内の停車駅は松田と駿河小山で、後者には1・3・6号が停車する。小田急線内では途中新百合ヶ丘・相模大野・本厚木・秦野に停車する。
小田急60000形「MSE」による片乗り入れで、全列車が6両編成で運行される。車内販売は行われていないが、3号車には自動販売機が設置されており、飲み物の購入は可能。トイレ・洗面台は2・5号車、車いすスペースは5号車にある。2022年11月15日以降は小田急線内のホームドア設置計画の関係で御殿場線内でも4号車がドアカットされている。
片乗り入れという形ではあるが、関東の大手私鉄がJR東海の路線に乗り入れる唯一の事例。


前述の通り路線でエリアが異なるため、ICカードは小田急線と御殿場線にまたがる利用はできない。
ただし、松田駅は運賃計算上新松田駅と同一駅扱いになっていることから、窓口には当列車を利用する乗客専用のICカード処理機が備えられており、新松田駅入場・出場の処理を受けることで小田急線方面との利用でもICカード(紙の乗車券も可)を利用できる。



  • 普通

御殿場線内の各駅に停車。幹線ではあるが、基本的に全線通しの列車が毎時1本、御殿場~沼津間で運行される列車が毎時1~2本の運転と地方交通線や田舎のローカル線並みのダイヤになっており、神奈川県内より静岡県内の方が多く運行される。他にも国府津~山北・御殿場間の区間列車も運転されている。
一部列車はワンマン運転を行っている他、朝夜を中心に沼津から東海道線に直通して三島・静岡発着、富士発・浜松行きの直通運転も行っており、三島駅発着の列車については構造上沼津でスイッチバックを使用して運行される。
2012年3月17日のダイヤ改正までは東海道線の東京駅からの直通列車や、JR東日本の車両による運行も行われていた。



過去の主な種別

  • 特別準急

1955年10月1日より運行を開始した、「ふじさん」号の起源とも言える気動車による準急列車。当初は「銀嶺」「扶養」による1日2往復から始まり、1959年7月2日からは「長尾」「朝霧」も登場し、1日4往復になった。座席定員制ではあるが号車指定制になっており、座席の指定は行われなかった。
当初は松田にしか停車しなかったが、「長尾」「朝霧」の登場後は沿線自治体からの要望により、一部が山北・駿河小山に停車するようになった。なお、小田急線内は「スーパーはこね」よろしく無停車であった*6
車内販売は当時から行われており、全区間で小田急サービスビューロー(1957年からは小田急商事)の車内販売員が1~2名乗務していた。
1964年以降は沿線から乗り入れ区間を沼津駅まで延長してほしいという声もあったが、当時の御殿場線には御殿場~裾野間の約15㎞に渡って列車交換設備がなく、財政問題もあって国鉄時代には結局実現しないまま、御殿場線の電化で1968年6月30日をもって運行終了。気動車は関東鉄道に譲渡され、ロングシート・3扉化されて1988年9月の引退まで使用された。


ちなみに、直通運転の際は両社の境界駅で乗務員が交代するのが当たり前になっているが、当時は国鉄の考査に合格した小田急の乗務員が御殿場まで乗務しており、今ではかなりありえないことをやってのけていた。
これは、当時の御殿場線の列車は全て蒸気機関車牽引の客車で、御殿場線に気動車の乗務員はいなかったためであるという。
また、1959年5月1日から1986年11月1日までは、はるか西の九州にてJR日田彦山線で「あさぎり」という名の準急列車が運行されており、国鉄を走る同名の定期列車が全く別の場所で走ることになっていた*7



  • 急行「ごてんば」

1968年4月27日より運行開始。先行して国府津~御殿場間が電化されたことで、東京~御殿場間を結ぶ急行列車の運行が始まった。3.5往復(下り4本・上り3本)が運行され、土曜日運転の下り4号のみ全車、それ以外の列車は1両が指定席だった。
田町電車区が新前橋電車区から借り入れた165系による3両編成で、国府津以東は「東海」と併結して15両編成、または湘南急行「あまぎ」「はつしま」と併結して13両編成で運行された。これらは従来国府津を通過していたため、分割併合時分捻出の関係で東京~熱海間で運転時分の調整を行った。なお、湘南急行は1968年9月30日の愛称統一で「伊豆」に統一されている。
1970年10月1日からは全車自由席に変更され、1971年2月1日には下り3号・上り1号を定期列車に格上げする代わりに、下り4号を廃止して定期2往復・季節1往復の計3往復になり、併結列車も「東海」に統一される。
1973年10月のダイヤ改正からは上野~東京間の回送線が使用停止になったため*8、正式に田町電車区に転属。1980年10月1日には1往復が廃止されて1日2往復になるも、1981年10月1日からは167系4両編成に変更になり、「東海」と併結する東京~国府津間では在来線旅客列車最長の16両編成になった*9。このため、ホーム有効長の関係で一部の駅では後尾車両がドアカットされた。
しかし、所要時間が長かったことから乗客は定着せず、次第に東京都~御殿場間の優等列車は短時間で結べる連絡急行「あさぎり」が中心になっていき、1985年3月14日をもって運行を終了した。さよなら運転はその直前の日曜日である3月10日に167系8両編成で行われており、これ以降は現在に至るまで、国府津~松田間は臨時列車を除いて定期的な優等列車は運行されていない。
なお、1973年4月1日には東京駅の東北新幹線乗り入れに伴う構内工事のため、「東海」ともども下り2号が品川始発で運転されたこともある。


その後、1994年11月27日には御殿場線開業60周年を記念し、沼津~下曽我間でキハ82系気動車による記念列車が運行された。これは本来御殿場線とは無縁の車両であるが、ヘッドマークに「ごてんば」の文字を掲げて運行された。
そして、2016年2月27日・28日には臨時急行「富士山トレインごてんば号」が静岡駅~下曽我間で1日1往復運行された。停車駅は清水駅・富士駅・東田子の浦・沼津・御殿場・山北・松田で、身延線などで運行される373系が使用された。1~2号車のコンパートメント席は、前者が御殿場市のイメージガール「富士娘」などによる観光PR、後者が車内限定発売の鉄道グッズや御殿場の地ビール・おつまみ類の販売に使用された。
下曽我駅付近で開催されている「小田原梅まつり」や、28日に御殿場駅でスタートするさわやかウォーキング「~富士山ビュー~雪景色の富士 山眺望とウイスキー蒸溜所を訪ねて」に合わせた列車でもあり、後者は参加特典として先着 1000 名に「富士山バッジ」がプレゼントされた。
また、上り列車のみ、富士山が眺望できる東田子の浦駅の停車中(約12分間)にはホームで「富士娘」と記念撮影ができ、「乗車記念ボード」も用意されたほか、御殿場駅下車時にはマスコットキャラクター「ミクリン」のお出迎えと御殿場市や御殿場市観光協会によるお茶のサービスが、下曽我駅下車時には27日のみ「寿獅子舞」のお出迎えと曽我まつり実行委員会などによる梅干しの提供があった。
列車名に「ごてんば」が冠されるのは久しぶりのことであった。



  • 特別準急→連絡急行「あさぎり」

1968年7月1日より運行開始。残る御殿場~沼津間も電化されたことで、気動車に代わって5両編成に改造された小田急3000形ロマンスカー「SSE」が乗り入れを開始し、4種類あった列車愛称は「あさぎり」に統一された。いわゆるヨンサントオという同年10月1日のダイヤ改正からは準急という列車種別が急行に統合される形で廃止になったため、国鉄としては急行列車化し、小田急線内でも「連絡急行」扱いになるが特急列車並みの扱いはそのままだった*10
1978年10月2日のダイヤ改正より、それ以前は上下線関係なく1号からの連番だった列車番号が、下りは奇数・上りは偶数という現行のパターンになった。
途中停車駅は引き続き松田・山北・駿河小山の3駅。気動車時代と同じく小田急線内は無停車だったが、1971年10月1日からは新原町田(現:町田)にも停車するようになり、1984年2月1日からは本厚木も追加されたほか、1・6号のみ谷峨にも停車していた。
号車指定による座席定員制で小田急の乗務員が全区間常務する点は同じで、繁忙期や団体利用時には2編成を連結して5+5両編成の「重連運用」もあったが、この場合は同じ号車が2両ずつ存在してしまうことから、「A号車」「B号車」として区別した。
車内サービスは、森永エンゼルによって小田急線内の特急ロマンスカーと同様の「走る喫茶室」のシートサービスが行なわれている。


しかし、SSEは元々耐用年数10年で設計された車両になっており、1987年で車齢30年になるなどかなり老朽化が進んでいた。そもそもあえて既存車両の改造で間に合わせたのも、当時の国鉄では組合闘争が激しく「NSEが乗り入れてくれば反対する」という噂があったからであり、1980年代以降はLSEに置き換える案もあったものの、やはり先方の現場の反応などを考慮して、仕方なく運用していた。
その後、特急昇格・沼津延伸・相互直通運転のプランが固まったため、1991年3月15日をもってようやく運行を終了した。



  • 特急ロマンスカー「あさぎり」

1987年4月1日、国鉄は解体され、エリアごとにJR各社に民営化された。翌年7月には小田急が新たに発足したJR東海に対してSSEの更新に関する申し入れをし、さらに1989年10月には利用者増加によって富士岡駅と岩波駅に列車交換設備が新設されたこと、御殿場線沿線からも運転区間延長の要望が強くなっていたことから、老朽化したSSEを置き換える抜本的な構想が本格的に進められることになった。
その結果、連絡急行から特急へ昇格させ、運行区間も御殿場から沼津まで延伸するとともに、両社でそれぞれ新型車両を開発した上で相互直通運転を行う方針が決定。後継車両として小田急の20000形「RSE」と自社製の371系が導入され、1991年3月16日より運行を開始した。
沼津までの運転区間延長により、中伊豆・西伊豆への新たな観光ルートが設定されることも期待され、箱根や江の島に続く第3の観光特急として位置づけられた。
この方針により、編成・性能・定員・構造などはほぼ共通し、それ以外の点で独自の個性を出す設計になったため、7両編成で3・4号車を2階建て車両(ダブルデッカー)とし、2階にはグリーン席も設置された。
途中停車駅は町田・本厚木・松田・駿河小山・御殿場・裾野で、1・3・6・8号のみ駿河小山に停車していた。これ以降、山北と谷峨は現在に至るまで全て通過し、それまで全停車駅だった駿河小山にも通過列車が生じるようになっている。
基本的にRSEが1・4・5・8号を、371系が2・3・6・7号を担当するが、371系は1編成しか開発されていないため、検査時はRSEが全列車を担当していた。また、車両故障などの非常時では小田急線内を他のロマンスカー車両で代走し、御殿場線内は運休になることがあった。
一部列車は列車交換のために山北・谷峨・足柄で運転停車を行っており、特に谷峨駅では時間帯の関係で1号と2号が離合する光景が見られ、RSEの1号と371系の2号はもちろん、371系の検査中はRSE同士の「あさぎり」が行き違う光景も見られた。
その他、御殿場~沼津間のみ6号車は自由席になり*11、松田で乗務員が交代してそれぞれ自社の区間だけ乗務する形態に改められた。


シートサービスはグリーン席でのみ行なわれており*12、RSEによる1・4・5・8号では小田急レストランシステム6名、371系による2・3・6・7号ではジェイダイナー東海5名と、それぞれ自社のアテンダントが担当。各座席にはスチュワーデスコールボタンも備えられていた。
また、朝上りを走る2号のみモーニングセットが提供されており、運行開始当初はサンドイッチ・季節の果物・コーヒーの洋風セット、沼津駅の駅弁・緑茶・味噌汁の和風セットから選択でき、果物は車内でカットして盛りつけを行なっていたが、1994年頃からは洋風セットの果物と和風セットの味噌汁が省略され、その分価格も下げられていた。
これらの車内サービスは2011年3月11日まで行われている。


これに合わせて路線バスによる二次交通も整備され、東海バスでは中伊豆・西伊豆方面に直通する特急バス「スーパーロマンス号」の運行が始まり、このために開発された車両は、正面から見て右側をRSE・左側を371系の塗装で塗り分けられているというユニークなデザインだった。
当時のバブル景気を背景に利用者数は好調で、御殿場線沿線に点在するゴルフ場利用の乗客で満席になることも多かった。また、東海道線に直通して静岡駅までの延伸を求める声もあったようだが、JR東海は「新宿~静岡間では3時間以上の所要時間になってしまい、新幹線との差が大きすぎる」と否定的だった。


しかし、バブル崩壊による景気の低迷とともに駿東地域でのリゾート開発が頓挫したことや、東伊豆や中伊豆と違って西伊豆には鉄道路線がなく、道路交通を含めても高速で移動できる手段に恵まれない状況もあって観光地としての西伊豆自体の知名度もそれほど高くならなかったことなどの状況により、特に御殿場~沼津間の利用が低調になっていった。
こうした背景も踏まえ、2012年3月17日のダイヤ改正をもって相互直通運転は終了し、引退したRSEと371系に代わって60000形「MSE」が登場。同時に、気動車・SSE時代と同じく御殿場発着の片乗り入れ形式に戻ることになり、2階建て車両・グリーン席と御殿場線内に設けられていた自由席も廃止された。
小田急線内の途中停車駅も変更され、新たに新百合ヶ丘・相模大野・秦野が加わったが町田は通過駅になり、当然裾野と沼津も除外された。代わりに分割併合が可能な車両になったことで、土休日の11号・12号は新宿~相模大野間で小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅発着の「えのしま」号と併結して運行された。


そして、2018年3月17日のダイヤ改正より「ふじさん」に改称されることになったため、連絡急行時代から長く続いてきた「あさぎり」の名は役割を終えた*13
しかし、MSE運行開始10周年を記念して、同年12月2日に団体臨時列車「メトロあさぎり」号が運行され、1日限りの復活を果たした。初となる綾瀬駅始発で*14、御殿場までノンストップで運行した。すなわち、今までありそうでなかった、千代田線・小田急線・御殿場線の3路線全てを通る列車になった*15



車両

御殿場線は急勾配のある区間が続く路線だが、他社線からの乗り入れ車両については特に入線に必須な設備は求められていない。


現行車両


(出典:Wikipedia)


▼313系2300番台・2350番台・2500番台・2600番台・3000番台・3100番台
御殿場線の主力車両。東海道線や身延線でおなじみ。
2両編成と3両編成があり、2両編成は2本連結して2+2編成で運行されることもある。
一部列車はワンマン運転。トイレも備えられている。




(出典:Wikipedia)


▼211系5000番台・6000番台
朝と夜の時間帯のみ、313系と併結して運用される。2両編成と3両編成がある。
トイレは備えられていない。




(出典:Wikipedia)


▼小田急60000形「MSE」
特急ロマンスカー「ふじさん」号で使用される。元々は東京メトロ千代田線に直通する日本初の地下鉄特急として開発された車両だったが、RSEと371系の引退を受け、2012年3月17日のダイヤ改正より乗り入れを開始。6両編成。ミュージックホーンを搭載しているが、御殿場線内ではJR東海の規定により使用されることはない。
JRの路線で小田急の車両が見られるのはなかなか斬新だったが、2016年3月26日からはJR東日本のE233系2000番台が小田急線への乗り入れを開始した。



過去の主な車両

▼小田急キハ5000形・5100形気動車
小田急初の気動車で、「ふじさん」の起源である特別準急「銀嶺」「扶養」「長尾」「朝霧」を運行していた。後に登場した5100形は5000形と比べて一部の仕様が変更されている。
御殿場線の電化により、乗り入れ車両として5両編成に短縮されたSSEが登場することになったため、1968年6月30日をもって運行を終了。関東鉄道に売却され、ロングシート・3扉化などの改造を経て同年12月より常総線で運行を開始し、1988年9月まで使用された。
前述の通り、当時は乗務員交代を行わずに小田急の乗務員が全区間搭乗しており、SSEになってからも同様で、相互直通運転になるまで続いていた。




(出典:Wikipedia)


▼165系・167系
御殿場線が電化されたことで、1968年4月27日より東京~御殿場間を結ぶ急行「ごてんば」として使用。当初は165系による3両編成で、田町電車区が新前橋電車区から借り入れる形になっており、国府津以東は「東海」または湘南急行「あまぎ」「はつしま」(後に「伊豆」)と併結して運行されたが、湘南急行は1968年9月30日の愛称統一で「伊豆」に統一され、1971年2月1日以降は併結列車が「東海」のみになる。
1973年10月のダイヤ改正からは上野~東京間の回送線が使用停止になったことで正式に田町電車区に転属。1981年10月1日からは167系4両編成による運行になり、「東海」と併結する東京~国府津間では在来線最長の16両編成になったため、ホーム有効長の関係で一部の駅では後尾車両がドアカットされた。
しかし、連絡急行「あさぎり」には及ばなかったからか、1985年3月14日をもって「ごてんば」は運行を終了。「東海」12両による運行は続き、1996年3月16日のダイヤ改正からは特急に昇格したものの、次第に編成や運行区間が短くなっていき、2007年3月18日で「東海」も廃止になった。




(出典:Wikipedia)


▼小田急3000形「SSE」
小田急初のロマンスカー。元々は8両編成の「SE」だったが、御殿場線の電化によって直通運転を行うために5両編成の「SSE」に改造され、特別準急(後に連絡急行)「あさぎり」として1968年7月1日より乗り入れを開始。狭軌鉄道における世界最高速度を達成し、新幹線にもその技術が受け継がれた鉄道史上の名車である。第1回ブルーリボン賞受賞車両*16
気動車時代に引き続き、号車指定による座席定員制で小田急の乗務員が全区間常務する点は同じで、繁忙期や団体利用時には2編成を連結して5+5両編成の「重連運用」もあった*17
しかし、元々耐用年数10年で設計されており、1987年で車齢30年になるなどかなり老朽化が進んでいたが、当時の国鉄側の現場の反応などを考慮して、仕方なく運用していた。
1987年4月1日のJR化後は特急昇格・沼津延伸とともに両社でそれぞれ新型車両を開発するという方針が決まり、置き換え車両として小田急のRSE・自社製の371系が登場したことで、1991年3月15日にようやく引退を迎えた*18




(出典:Wikipedia)


▼115系
1979年9月から2007年2月13日までの主力車両。当初は4両編成だったが、1984年2月のダイヤ改正からは3両編成になった。
一部列車は3+3の6両編成で運行されたことも。




(出典:Wikipedia)


▼E231系1000番台
2012年3月17日のダイヤ改正まで乗り入れており、国府津~山北間の2往復*19には国府津車両センター所属の付属5両編成が使用された。




(出典:Wikipedia)


▼小田急20000形「RSE」
1991年3月16日より運行開始。特急昇格・沼津延伸とともに、老朽化を迎えながらも何とか生きながらえているSSEを置き換えるために登場した車両である。1992年ブルーリボン賞受賞車両。
自社製の371系とは姉妹車にあたり、同形式とは編成・定員・構造などで共通設計になったため、小田急伝統の展望室や連結構造は廃止され、代わって2階建て車両やグリーン席*20が設置されるなど、今までの車両とは全く異なる構造が話題になった。そのため、ロマンスカーでは初めて普通席とグリーン席の2クラス制料金になっていた。
371系とは違って高床構造(ハイデッカー)が採用されており、さらに4号車の1階にはセミコンパートメント席が設置されている。
7両編成2本が製造され、予備運用として「はこね」などの御殿場線に乗り入れない小田急線内運用も行われていたが、371系は1編成しか存在しないため、検査時は当形式が「あさぎり」全列車を代走していた。ただし、あくまで小田急の車両であることから371系で運用されていた「ホームライナー」に充当されたことはない。
しかし、御殿場~沼津間の利用者数の減少とバリアフリーには不向きなハイデッカー構造が災いし、2012年3月17日のダイヤ改正をもって371系ともども引退。
その後は富士急行に譲渡され、「フジサン特急」になって現在も活躍中。




(出典:Wikipedia)


▼371系
1991年3月16日より運行開始。特急昇格・沼津延伸とともに、老朽化を迎えながらも何とか生きながらえているSSEを置き換えるためにRSEとともに登場した、自社初の特急型車両。100系新幹線を思わせる塗装が特徴。
1編成7両のみが導入され、JRの特急用車両では東日本のE655系(1編成6両)に次いで少ない。1991年グッドデザイン商品選定車両。
姉妹車であるRSEと同様に編成・定員・構造などで共通設計になったため、7両編成で3・4号車をダブルデッカーとし、2階にグリーン席を設けた点は同じ。ただし、こちらはハイデッカー構造ではないので2号車はバリアフリー対応になっており、あちらの4号車1階にあったセミコンパートメント席は設けられていない。
前述の通り、車内サービスでは朝上りを走る2号のみモーニングセットが提供されていた。
RSEとは違って小田急線内運用はなかったが、静岡地区の「ホームライナー」としても使用されていた。運用は静岡→(ホームライナー沼津2号)→沼津→(あさぎり2号)→新宿→(あさぎり3号)→沼津→(あさぎり6号)→新宿→(あさぎり7号)→沼津→(回送)→三島→(ホームライナー浜松5号)→浜松→(ホームライナー静岡8号)→静岡というサイクル運用で、東は新宿から西は浜松まで、1日約700km以上もの長距離を走行しており、1編成しかない割にかなり酷使されていた。
ただし、土休日は「浜松5号」と「静岡8号」が運休になっていた関係上、「あさぎり7号」から三島に回送後は「ホームライナー静岡35号」で直接静岡に向かう運用になっており、浜松への乗り入れはなかった。また、2009年3月14日のダイヤ改正からは「浜松5号」が沼津発になったため、回送とはいえ三島駅への乗り入れが終了した。
「ホームライナー」運用ではグリーン席は締め切り扱いになっており、乗車することは不可能だった(通り抜けは可能)。
1編成しか製造されていないため、検査時はRSEが「あさぎり」全列車を代走していたが、あちらは「ホームライナー」には使われておらず、臨時の快速として165系や313系などといった一般車両で代走されていた。
2012年3月17日のダイヤ改正でRSEともども引退。その後は富士急行に譲渡され、「富士山ビュー特急」になって元RSEの「フジサン特急」とともに現在も活躍中。



駅一覧

全区間単線。全19駅、総距離60.2km。ただし、起終点は東海道線の所属であるため、御殿場線所属駅は17駅である。
国府津~谷峨間は神奈川県、駿河小山~沼津間は静岡県に所在。全駅が地上駅で、普通列車は各駅に停車する。相模金子・東山北・南御殿場・長泉なめり・大岡以外の駅では列車交換が可能。
主要駅以外は(夜間)無人駅や業務委託駅が多く、駅もかなり簡素な構造になっている。
以下、「ふじさん」号が停車する駅は青色で表示する(普通列車のみの駅は黒のまま)。



CB00 国府津こうづ
起点駅。東海道線はお乗り換え。当駅はJR東日本の管轄で、JR東海には属さないことから「CB00」という番号が付与されている。
JR東日本の国府津車両センターは当駅と下曽我の中間にあり、御殿場線の線路と出入庫線が併走する形になることから途中までは複線のように見える。
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームを持ち、御殿場線は基本的に3番線から発着するが、過去にE231系を使用した山北行き(日中時間帯の当駅始発と夜の東京駅からの直通)は2番線から発車していた。
東海道本線時代は「燕」や「櫻」といった当時の最速列車でさえも機関車連結のために停車していた主要駅だったが、熱海経由のルートが完成になったことでその役割を終え、さらにあちらは当初から電化されていたことから機関車を付け替える駅としての役割をも終えることになり、新・東海道本線と御殿場線が乗り入れる小さな接続駅になった。
また、313系をはじめとするJR東海の近郊型車両が乗り入れる最東端の駅でもある。
前述の通り、2021年3月13日からはTOICAエリアに編入されている。
2022年5月2日からは伊東駅や宇佐美駅でも使用されている「みかんの花咲く丘」の発車メロディが導入される*21。奇数番線は曲の前半・偶数番線は後半のメロディが採用され、両方聞くことで1つの曲が完成する仕組みになっている。



CB01 下曽我しもそが
JR東海管轄の在来線の駅では最も東にある駅*22。新幹線が乗り入れる小田原駅・新横浜駅を除き、同社のみの在来線駅では唯一関東地方の市に属する駅でもある*23。小田原駅は同じ市内でもかなり離れている。
島式ホーム1面2線を有し、駅員が配置されているが、夜間は無人駅になる。
上下両方の信号機が設置されており、沼津方面から来た列車は折り返しが可能。方向幕も用意されているが、当駅発着の定期列車はない*24
当初は「下曽我信号所」として1911年5月1日に開業し、1922年5月15日に駅に昇格した。松田や山北などの開業当時からある5駅を除けば下土狩の次に誕生した駅になっており、丹那トンネル開通以前の東海道本線時代からある古参駅のひとつに変わりはない。
この他、臨時の車扱貨物を取り扱うこともある。



CB02 上大井かみおおい
1997年に無人駅化。相対式ホーム2面2線を有していて列車交換が可能で、下りのみ一部列車は2番線から発着する。
かつて駅員が日除けとして構内にひょうたんを栽培したところ、日本交通公社(現:JTB)刊の時刻表(1981年8月号)で表紙を飾り、ひょうたん駅として名を知られるようになった。
隣の相模金子ともども大井町にある貴重な駅で、あちらと違って町の名前を冠している。一方で、JR京浜東北線東急大井町線東京臨海高速鉄道りんかい線の「大井町駅」やJR湘南新宿ライン・横須賀線および相鉄・JR直通線の「西大井駅」、東京モノレール羽田空港線の「大井競馬場前駅」は、路線からも分かる通り遠く東に離れた東京都品川区の所在である。



CB03 相模金子さがみかねこ
単式ホーム1面1線で駅舎すらない小さな無人駅。当駅を挟む駅間距離は御殿場線内では数少ない2.0km未満になっており、最も短い*25
八高線にある同名の駅と被るのを避けるため、旧国名の「相模」を冠することになった。ちなみに、「相模」を含む駅はかつて多数存在したものの、名称変更や廃止によって年々減少してきており、残った大半も相模原市に所在するが、市外で「相模」を含むJRの駅は当駅が唯一の存在である*26



CB04 松田まつだ
松田町の中心駅。小田急線(新松田駅)はお乗り換え*27。途中駅では唯一の乗り換え駅にして、関東の大手私鉄とJR東海の在来線が接続する唯一の駅でもある*28
御殿場線の拠点駅のひとつで、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。駅長所在駅で、神奈川県内の下曽我~谷峨間の6駅を管理している。
開業当初は明治時代になって衰退していた町を再び活気づかせたものだが、1927年4月1日に小田急線が開通して新松田駅が誕生してからは急速に衰退していく。追い打ちをかけるように、丹那トンネルの完成によって1934年12月1日に熱海経由のルートが開通し、東海道本線は同区間経由に変更されて当駅を通る路線は単なる御殿場線という地方路線に降格される一方、逆に新たな東海道本線が通るようになった小田原につながる小田急線および新松田駅の重要性はさらに増し、それと比例するかのように当駅の地位は低下していった。
実際、新松田駅に近い南口はともかく北口駅前はやや寂れている。
さんかれあの聖地。


単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持ち、普通列車は島式の2・3番線ホームに入線する。「ふじさん」号は小田急線との連絡線につながる単式の1番線ホームに発着し、当駅で乗務員が交代する。前述の通り、駅窓口には「ふじさん」号の乗客専用のICカード処理機が設置されており、新松田駅入場・出場として処理される。
北口は1番線に隣接していて東山北方にあるが、2・3番線は国府津方に延びていて地下通路で線路をくぐった先に南口があり、道路を挟んだ向かい側に新松田駅北口が隣接している。よって、当駅南口と新松田駅北口の乗り換えは便利な一方、2つのホームは直接つながっていないため、階段の跨線橋が設けられている。
この構造により、北口と普通列車(2・3番線)との利用には必ず1番線を経由し、同様に新松田駅・南口と「ふじさん」号(1番線)との利用には必ず2・3番線を経由しなければならないため、多少なりとも時間がかかる。
南口には自動改札機があるが、北口は簡易改札機になっている。


小田急線との連絡線があり、「ふじさん」号はこの連絡線を経由して両線を直通する。前述の通り、この連絡線は1994年10月以降は小田急や箱根登山線の新型車両の甲種輸送時にも使用されており*29、この際に専用の資格を持つ小田急の運転士によるJRの電気機関車(EF65形)が新松田駅まで乗り入れる。
なお、小田急の車両を製造しているのは豊川駅発送の日本車輌製造、兵庫駅発送の川崎重工業、逗子駅発送の総合車両製作所だが、当駅よりはるか西から来る日本車輌製造と川崎重工業からの車両が沼津経由で入ってくるのは当然として、当駅より東にある総合車両製作所からの車両も、国府津ではなくわざわざ大回りして沼津から入ってくる。
また、下曽我と同じく臨時の車扱貨物を取り扱うこともある。



CB05 東山北ひがしやまきた
無人駅。単式ホーム1面1線であるが、山北高校の最寄り駅であることから、町の中心駅である隣の山北よりも利用者数が少し多い。
向原新駅設置期成同盟會の請願運動で開業に至った経緯があり、ホーム上に石碑が立っている。



CB06 山北やまきた
山北町の中心駅で、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。
東海道本線時代は下り列車に補機を連結する作業や石炭・水を供給する役割を担った拠点駅でもあり、補機の機関区が駅構内にあったことから、山間部ながらも鉄道の町として栄えていた。
しかし、丹那トンネルの完成後はやはり松田と同様にみるみる衰退していったのである。


島式ホーム1面2線の構造で当駅発着の普通列車が一部設定されている。気動車・SSE時代は特別準急→連絡急行の停車駅だったが、特急に昇格してからは普通列車のみ停車する。
当駅も無人駅になるはずだったが、地元のNPO法人に切符販売を委託する形で有人駅に復活!
駅裏手の機関区跡地には公園があり、かつて使用されたD52形機関車が静態保存されているが、2016年3月18日には当列車を動態化させる町の「奇跡の復活事業」の一環として試運転が行われた。
山北町は新たな観光資源としてSL動態化をめざしており、最終的には復帰も考えられているらしい。



CB07 谷峨やが
無人駅。相対式ホーム2面2線で、普通鉄道の駅としては神奈川県最西端の駅でもある*30。御殿場線内では最も利用者数が少ない。
元々は信号所だったが、1974年に駅に昇格。連絡急行時代の「あさぎり」号の一部列車が停車していたが、特急に昇格してからは普通列車のみ停車する。とはいえ、相互直通運転時代には時間帯の関係でRSEの1号と371系の2号が当駅で行き違う光景が見られており、371系の検査時はRSE同士による「あさぎり」の離合もあった。
鉄道唱歌第1集13番の「いでてはくぐるトンネルの 前後は山北・小山駅 今も忘れぬ鉄橋の」という歌詞は当駅付近の風景がモデルらしく、駅前にはその部分の歌碑が設置されている。



CB08 駿河小山するがおやま
当駅から静岡県に入る。県内最北端の駅で島式ホーム1面2線を有し、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。
全盛期は富士紡績の工場が操業を開始し、日本全国から集められた工男工女が当駅に降り立ったと言われるが、御殿場線への格下げ後はやはり他の駅と同様にみるみる衰退していった。
気動車時代からの「あさぎり」停車駅で、現在も「ふじさん」号の一部列車が停車する。2012年7月より無人駅になった。
駅名は「小山駅」から始まり、1912年7月1日の「駿河駅*31への改称を経て、1952年1月1日より両者を折衷する形で「駿河小山駅」になった。



CB09 足柄あしがら
島式ホーム1面2線の無人駅。東海道本線時代は信号場だったが、御殿場線降格の際に住民運動をして駅に昇格した。
御殿場間は6.6kmと御殿場線内では最も長く、標高も330m~455mとアップダウンが激しい。
なお、同名の駅が存在するが、あちらは神奈川県であるため乗り換え駅でも何でもなく、徒歩にして6時間以上かかる。「足柄」は箱根の枕詞を意味しており、同じエリアを指す広域地名を名乗る同名の駅が全く別の県に存在する珍しい例。
一応、神奈川県と静岡県の県境には足柄山(金時山)や足柄峠があり、周辺の地名はそこから由来しているので決して無関係ではない。また、両駅は松田・新松田駅から数えて共に5駅目、新宿駅からもちょうど46駅目で、特急ロマンスカー終点の1つ手前の駅でもあるという奇妙な偶然もある。



CB10 御殿場ごてんば
御殿場市の中心駅で、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。
上りは単式ホーム1面1線、下りは島式ホーム1面2線を有する2面3線の駅。駅長所在駅で、駿河小山~富士岡間の4駅を管理している。
「ふじさん」号の終着駅で、当駅発着の普通列車もある。相互直通運転時代は途中駅だったが、2012年3月17日のダイヤ改正をもって、気動車・SSE時代と同じく再び終着駅になった。
富士山のふもとだけあって多くの登山客でにぎわっており、標高455mと御殿場線内では最も高く、河口湖や箱根方面へ向かうバスも多い。
かつては「御殿場馬車鉄道」という馬車鉄道の停留所があった。東海道本線時代は当駅で補機の連結・切り離しを行っていた拠点駅でもあった。


ちなみに、よりによって開業日の午前3時頃に大火事が発生して多大な被害が出てしまったため、本当は華やかに行われるはずの開業式が泣く泣く質素なものにならざるを得なかったとか*32



CB11 南御殿場みなみごてんば
単式ホーム1面1線。地方中核都市駅の隣駅というジンクスを見事に踏んで、簡素な待合室しか置かれていない無人駅。



CB12 富士岡ふじおか
名前の通り富士山がよく見える駅。島式ホーム1面2線の業務委託駅で、夜間は無人駅になる。
陸上自衛隊東富士演習場・駒門駐屯地の最寄り駅。かつては陸軍重砲兵学校富士分教場だったからか、1944年8月1日に「富士岡信号所」から駅に昇格してからは軍関係者しか利用できなかったが、11月10日からは一般客の利用も始まった。
また、1968年7月1日の電化まではスイッチバック構造の駅でもあり、現在でもその跡が見られるほか、1989年10月からは列車交換設備が導入されている。



CB13 岩波いわなみ
裾野市と御殿場市の境界付近にある島式ホーム1面2線の駅。業務委託駅で、夜間は無人駅になる。
電化前は富士岡ともどもスイッチバックの駅で、1944年12月8日に「岩浪信号所」が駅に昇格する形で設置された。
1969年7月から1982年11月まではトヨタ自動車専用線があり、鉄道による自動車の輸送が行われていた。
1989年10月より、やはり富士岡ともども列車交換設備が導入されている。



CB14 裾野すその
裾野市の中心駅で、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。島式ホーム1面2線で駅長所在駅でもあり、岩波~大岡間の4駅を管理している。
開業当初は「佐野駅」だったが、大阪府の南海電気鉄道空港線*33および栃木県のJR両毛線・東武佐野線にも同名の駅があるということで、1915年7月15日に「裾野駅」に改称した*34
1991年3月16日のダイヤ改正からは「あさぎり」号が沼津まで相互直通運転を開始したため停車駅だったが、2012年3月17日のダイヤ改正をもって沼津までの乗り入れは終了したため、現在は普通列車のみの駅である。



CB15 長泉ながいずみなめり
開業は2002年9月7日と御殿場線では最も新しい駅で、唯一ひらがなが入る駅でもある*35。1988年から始まった新駅誘致活動が実を結び、開業に至った。
単式ホーム1面1線で、ICカードのチャージどころか自動券売機すら設置されていない無人駅。
静岡県立静岡がんセンターの最寄り駅でもある。



CB16 下土狩しもとがり
島式ホーム1面2線の業務委託駅で、夜間は無人駅になる。
開業は1898年6月15日で、当初からある松田・山北・駿河小山・御殿場・裾野の5駅の次に誕生した駅であり、丹那トンネル開通以前の東海道本線時代からある古参駅のひとつでもある、初代「三島駅」。
豆相鉄道(現:伊豆急行鉄道)駿豆線との乗り換え駅としてにぎわっていたが、熱海経由の新線が完成を控えた1934年10月1日に改称を余儀なくされ、開通した12月1日には駿豆線も取り上げられてしまった…。
当駅付近で新幹線と交差する。



CB17 大岡おおおか
単式ホーム1面1線の業務委託駅で、夜間は無人駅になる。太平洋戦争中に軍需工場への通勤者輸送を目的に開設された仮乗降場を前身としており、戦後の1946年1月15日に駅に昇格した。
1997年から2005年の間は1日平均乗車人員が1000人を切っていたが、現在は回復している。



CB18 沼津ぬまづ
終点駅。東海道線はお乗り換えで、一部列車は直通して三島・静岡発着、富士発・浜松着で運行される。
静岡県東部の中心都市・沼津市の代表駅。島式ホーム3面6線で、御殿場線は基本的に5・6番線から発着するが、三島駅からの直通は3番線である。東京方面からのJR東日本の車両が乗り入れる最西端の駅でもある。
標高は7mと御殿場線内では最も低い。海沿いなので当たり前だが。
相互直通運転時代の「あさぎり」号の終着駅だったが、2012年3月17日のダイヤ改正をもって当駅への乗り入れは終了した。
ラブライブ!サンシャイン!!の聖地。東海バスの内浦地区方面の系統が集中する南口のバス8番乗り場はラブライブ仕様になっており、ラッピングバスも運行されている。



凡例
●…停車
▲…一部列車が停車
空欄…運行なし

駅番号駅名

接続路線標高
(m)
CB00国府津東海道線20
CB01下曽我24
CB02上大井35
CB03相模金子45
直通運転区間「ふじさん」号のみ、御殿場方面から小田急線新宿駅まで
(松田付近の連絡線を経由して直通)
CB04松田小田急小田原線(新松田駅)60
CB05東山北81
CB06山北107
CB07谷峨164
CB08駿河小山264
CB09足柄330
CB10御殿場445
CB11南御殿場416
CB12富士岡365
CB13岩波248
CB14裾野123
CB15長泉なめり76
CB16下土狩42
CB17大岡22
CB18沼津東海道線7
直通運転区間一部列車は沼津から東海道線三島駅・静岡駅・浜松駅まで
朝上りのみ、富士駅発御殿場行きの列車が1本あり


廃止信号場

  • 酒匂仮信号所…山北~谷峨間。国府津駅から約18.4km。1916年廃止。
  • 酒匂仮信号場…山北~谷峨間。国府津駅から約18.7km。廃止日は不明。
  • 相沢仮信号所…山北~谷峨間。国府津駅から約22.2km。1915年廃止。
  • 松沢仮信号所…駿河小山~足柄間。国府津駅から約26.4km。1915年廃止。
  • 竹ノ下仮信号所…駿河小山~足柄間。国府津駅から約28.3km。1915年廃止。
  • 神山信号所…富士岡~岩波間。国府津駅から約42.4km。1911年廃止。


追記・修正は「ふじさん」号に乗ってからお願い致します。



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  • 陸自の富士総合火力演習ではお世話になりました -- 名無しさん (2015-02-21 16:45:27)
  • あさぎりで沼津まdよく行ってた。今は行けないけど。 -- 名無しさん (2015-02-21 16:49:14)
  • 東海道線出来ちゃったからね・・・ -- 名無しさん (2015-06-06 09:31:03)
  • 『JRの路線で小田急の車両が見れるのは結構斬新』←普通に常磐線に小田急車両が進入するようになりました -- 名無しさん (2016-05-22 03:50:12)
  • あさぎりに371系を投入したついでに高速化工事をしてるからか313系が110キロで爆走できる模様 -- 名無しさん (2018-03-08 21:16:17)

#comment

*1 新幹線も含めれば東海道新幹線が小田原駅・新横浜駅、および東京都の品川駅・東京駅に乗り入れている。
*2 鉄道唱歌の歌詞は丹那トンネル開通前に発表されたため、国府津~沼津間は現在の御殿場線経由になっている。
*3 線名は「箱根支線」「箱根線」「函北線」「富士山線」などさまざまな候補があったが、せめてもということで御殿場町(現:御殿場市)の請願が大きかったとされる。
*4 線路は山陽本線横須賀線にリサイクルされている。ちなみに、国鉄時代は複線化率が非常に低く、戦後の1960年になってもその割合は全路線の12.7%にとどまっていた。
*5 現在の東急電鉄。これに加え、当時は小田急電鉄・京王電鉄京浜急行電鉄相模鉄道をはじめとする複数の大手私鉄やバス路線・陸運企業など、多くの運送会社を併合する一大企業だった。
*6 もっとも、当時の特急ロマンスカーは小田急線内無停車なのが一般的で、無停車列車が「スーパーはこね」として区別されるようになったのは1996年3月26日と比較的新しい。
*7 こちらは由布院の景観とされる朝霧にちなんだ命名。
*8 約42年経った2015年3月より、上野東京ラインとして再び陽の目を見ることになる。
*9 80系電車以降、15両編成に荷物電車を連結した16両編成が存在したものの、16両全車両が旅客車両というのは他に例がない。
*10 もちろん、前述した九州の「あさぎり」も同様に急行に昇格している。
*11 当初は全区間指定席だった。
*12 普通席は当初からワゴンサービスだった。
*13 小田急電鉄は愛称名変更について、「富士山方面へダイレクトな運行をわかりやすく、また、増加する訪日外国人旅行者にも移動手段として選択いただけるように」と説明している。「あさぎり」の由来である朝霧高原は富士宮市にあるため、富士山のふもとへのアクセス列車というコンセプトとはやや乖離している。
*14 今まで営業運転で北千住~綾瀬間を走行したことはなく、北綾瀬駅を経由して綾瀬検車区に入庫、あるいは綾瀬の留置線で待機か折り返し喜多見検車区まで送り込むための回送列車のみである。ちなみに、同区間は千代田線と常磐線の二重戸籍区間でもある。
*15 MSEはメトロ特急にも充当されているため、運用上は可能だったが臨時列車も含めて今まで運行例はなかった。
*16 正確にはこの車両を表彰するためにブルーリボン賞が設けられたと言う方が正しい。
*17 ただし、当然ながら東北・秋田新幹線のように連結しての運用が前提とはなっておらず、同じ車両が2両ずつ存在してしまうことから、併結時はそれぞれ「A号車」「B号車」と呼んで区別していた。
*18 さよなら運転が行われた3月8日は奇しくも、これまでの0系・100系とは大幅に異なるデザインになった300系新幹線の試乗会でもあり、新旧の節目と報じられた。
*19 2011年時点で下り2331M・2559Mと上り2520M・2558M。2331Mは東京駅からの直通で、国府津駅で前10両の沼津行きと切り離された。
*20 小田急線内運用では「スーパーシート」という独自の名称だったが、「あさぎり」運用では371系と同じくグリーン席と呼称された。
*21 作曲者の海沼實が伊東駅へ向かう列車の車窓から国府津付近のみかん畑の景色を見た際に曲のメロディが浮かび、到着までに曲が完成したことにちなむ。
*22 新幹線を含めると東京駅が最東端。ちなみに、最北端の駅は高山本線の杉原駅、最南端・最西端の駅は紀勢本線の鵜殿駅(新幹線を含めると最西端は新大阪駅)である。
*23 上大井から神奈川県内最西端の谷峨までは足柄上郡の町の所属。
*24 ただし、2010年2月にチリ地震が発生した際、津波警報が発表されたことで相模湾に近い国府津付近への入線が運転見合わせになったため、当駅で御殿場方面への折り返し運転が行われたことがある。
*25 上大井間は1.8km、松田間は1.9km。
*26 私鉄も含めれば大和市にある相鉄本線の相模大塚駅、南足柄市にある伊豆箱根鉄道大雄山線の相模沼田駅がある。ひらがな表記も含めれば海老名市にある相鉄本線のさがみ野駅もある。
*27 運賃計算上、同一駅になっている。
*28 新幹線も含めれば小田原駅・品川駅・東京駅も該当する。新横浜駅には私鉄路線自体乗り入れていない。
*29 1984年1月までは小田原駅に連絡線が設置されており、それ以降も1994年10月に松田駅~新松田駅に変わるまでは同駅で行われていた。
*30 鉄道以外を含めると箱根ロープウェイの桃源台駅が最西端である。
*31 当初は「六合駅」(ろくごうえき)になる予定だった。
*32 奇しくも、同日に開業した静岡駅周辺でも火災が発生し、1100軒が焼けてしまったらしい。
*33 1948年以降は「泉佐野駅」。
*34 改称時に「裾野」を名乗る市町村はなく、富士山の裾野にあるため、あるいは箱根山・愛鷹山の山間にあるため「裾野」になったらしい。周囲の町が裾野町(裾野市の前身)になったのは1952年になってからで、当駅に由来しているという。
*35 「なめり」は地名に由来し、漢字で「納米里」と書く。

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