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遺塵の道を_WD-ST-1_パインリリー
突然の財務大臣ヴィッテの訪問で、療養所内が慌ただしくなった。ケルシーはこのまたとないチャンスを逃さなかった。彼女は大公に注射を打ち、罪人が旅立つまでの最後の時間を共に過ごすのだった。
十七年前
p.m. 2:44 天気/晴天
ウルサス中部 パインバレー療養所外
スゥー……フゥー……
スゥー……
フゥー……
スゥー……
[ヴィッテ] 友よ、具合はいかがですか?
[ヴィッテ] 起きてはいけません、寝ていなさい。私はあなたの顔を見に来ただけで、すぐに行かなければなりません。駄獣は止まれないのです。それに私に鞍をつけたのは私自身なのですから。
[ヴィッテ] いいえ、その必要はありません。当たり前でしょう。私は今でもあなたが知っているあの若者であり、財務大臣などという肩書きは意味を持たないのですから……
[ヴィッテ] 身分を誇示して何の意味がありましょうか。我々は皆、ウルサスの広大な大地のため、陛下が描かれる真に栄誉ある未来のために尽くしているのです。
[ヴィッテ] 我々は皆、陛下の民であります。この点を忘れ、いまだ暴力にまみれた過去に囚われて生きている人々は、いずれ時代に取り残されてしまうでしょう。
[ヴィッテ] ……話しすぎました、申し訳ありません。普段の政務のせいで、少なからず鬱憤がたまっていたようです。
[ヴィッテ] ご心配なさらず。私には同僚や有志の意気盛んな様子も、汚職に手を染めた佞臣たちの行いが、彼ら自身を蝕んでいる姿も見えています。我々は必ずや勝利するでしょう。
[ヴィッテ] 軍内部に蔓延るあの貴族たち……彼らとその取り巻きの害虫たちはすぐに陛下の足元の塵となるでしょう。そして我々はそれを陛下の歩む道から完全に排除するのです。
[ヴィッテ] ……そうです。
[ヴィッテ] ――帝国の議会はいわばこれから花開く途上の蕾です。
[ヴィッテ] 我々はあの頑迷で無知な貴族たちの手から、ウルサスの――陛下の所有物を取り返すのです。
[ヴィッテ] 旧時代の負の遺産を引き裂き、蹂躙し、跡形もなく滅するのです。ウルサスに新たな航路を切り開くため。友よ――我々がそれをやるのです。たとえ自らの命を削ってでも。
[ヴィッテ] ウルサスは変わらねばなりません。
[ケルシー] 今日?
[リリア] 元々の計画では来週でしたが……今日が絶好のチャンスです。
[リリア] 先ほど介護士長から聞いた話によると、財務大臣が来たことであの臆病者は明らかに動揺しているそうです。大臣が会おうとしなくても、彼は動くでしょう。
[ケルシー] 彼は恐れている。そしてその恐怖によって彼は隙を見せる。
[リリア] 急な会合が行われるとなれば、護衛隊は手が回らないでしょう。彼は普段より無防備な様子で我々の前に姿を現すことになる……
[リリア] ウルサスの要人がここに訪れるタイミングで、大公に手を下すことは非常に危険です。しかしそもそもこの場所には重要人物が多く、大公があの独立したエリアから出てくることも滅多にありません。
[ケルシー] だが、我々にはまだ十分な勝算がない。
[リリア] 確かに私にはまだ十分な勝算がありません。
[リリア] でもあなたにはあると信じています。
[リリア] 本当のところ、あなたならいつでも手を下せると信じています。
[ケルシー] ……
[リリア] まだ何か心配事でもあるのですか?
[リリア] 私が解決します、たとえ――
[ケルシー] リリア。
[ケルシー] 私の最大の心配事は、この計画における君の生死についてだ。
[ケルシー] チェルノボーグの事故で……理想と熱意を持った若い科学者たちが犠牲となったことは認めなければならない。君が次の私の言葉をどう受け止めるかはわからないが――
[ケルシー] 彼らが死へと向かうのを知りながら、ただ眺めているのは心地いいものではなかった。それは今の君に対しても同じだ、リリア。
[リリア] ……
[リリア] ……私はやめるつもりはありません、ケルシー所長。
[ケルシー] この件が終われば、私はシラクーザへ行き、そしてヴィクトリアへ向かう。
[ケルシー] もしチェルノボーグでの計画を中止し、私と一緒に来るならば……君は死ぬ必要などないかもしれない。
[リリア] 裏切り者の靴底には、未だに夫の血がこびり付いています。彼の死を踏みつけて、あいつらはのうのうと生きている。私はそんな状態には耐えられません。たとえ一瞬であろうと。
[ケルシー] ……君は身勝手だな。
[リリア] 認めます。ですから、私の最も身勝手なお願いをどうか忘れないでください……
[リリア] 娘の面倒を見てやってください。もしあの子が望むなら、医学を教えてやってください。
[リリア] あなたなら、きっと生き残れるでしょう、ケルシー所長。
[ヴィッテ] 友よ。
[ヴィッテ] 今年の冬は冷えます。しかし春は例年通り暖かいでしょう。
[ヴィッテ] 我々が初めて出会ったあの日も春でしたね。あの激情に満ちた演説の中であなたは歓声を上げることも笑い声も上げることもしなかった。
[ヴィッテ] 我々はすぐに互いに気付きました。もちろん他にもたくさん人はいましたが。
[ヴィッテ] 侵略の成功を誇りに思う人間は誰もいません。歓声を上げる者は、先帝の栄光を仰ぎ見ているだけで、足元の大地がもはや他者の生存を許さぬほど痩せこけているのは目に入っていませんでした。
ヴィッテ、春は来たか?
[ヴィッテ] わかりません、友よ。ひょっとすると来たのかもしれません。
[ヴィッテ] 今年の春は少し早いそうです。しかし私の天災トランスポーターが言うには、北方の激しい天災の影響を受け、しばらくすると気温が下がるかもしれないとのことでした。
[ヴィッテ] また、冬に逆戻りするかもしれません。
我々は冬が嫌いだ、そうだろう?
[ヴィッテ] その通りです、友よ。しかし冬と言われて思い出しました。
[ヴィッテ] 私はそろそろ酒をやめるべきかもしれません……酒に頼って冬を乗り切るのは良くない。アルコールはただ感覚を麻痺させるだけで、たとえ痛みはなくとも傷は依然そこに存在するのですから。
[ヴィッテ] ですが、この冬も長くは続かないでしょう。
[ヴィッテ] ただの災難の余波にすぎません。
[リリア] これは……
[ケルシー] 永遠の眠りに就く薬だ。これが最も安全かつ有効な方法だ。遅効性だから、すぐに発覚することはないだろう。
[ケルシー] 逃げる手はずはすべて整っているのか?
[リリア] ええ、ここに来たその日から。
[ケルシー] 時間の余裕はあまりないかもしれないな。
[リリア] わかっています。しかし練習通りやれば十分余裕があるはず……
[ケルシー] いや。
[ケルシー] 我々は、この療養所をあまりに単純に考え過ぎている。
[ケルシー] 君の計画に変更の必要はない。あとのことは私に任せてくれ。
[リリア] 何に気付いたのですか?
[ケルシー] ……
[ケルシー] 潜伏させていたMon3trが敵の痕跡を発見した。大公が、他のウルサスの権力者とやり取りしていると聞いたことは?
[リリア] いえ、彼はここでずっとおとなしくしていました。
[ケルシー] ……
[リリア] Mon3tr……あなたが飼っているあの? あれが何を見つけたんですか?
[ケルシー] 詳しく伝えることはできない。我々の生存確率を大幅に下げるだけだからな。
[リリア] くっ……ウルサスはどんな手段を持っているの……?
[ケルシー] 恐れは隙を生む。この件を深追いしても、君の判断に悪影響を及ぼすだけだ。私を信じろ。
[リリア] ……はい。
[ケルシー] よし、そろそろ時間だ。
[ケルシー] カバンを持った金髪のフェリーンが見えるか? あれが大公お抱えの医師だ。
[リリア] ……はい。
[ヴィッテ] 大公一人ばかりで何ができるというのです?
[ヴィッテ] 現状に満足し安穏と暮らす者を見なさい……あの片目の総督が陛下の前に跪いた瞬間から、彼はもはや脅威ではなくなりました。
[ヴィッテ] 彼は賢く、保身の術に長けています。一部の……身勝手で頑固な、ウルサスの残り少ない戦力を浪費してでも反乱の余波を根絶しようとする者たちとは違ってね。
[ヴィッテ] 心が痛みます……私は軍や政府のトップではありませんが、祖国の生産力が停滞し上向かない現状、そして経済や人々の暮らしが日に日に悪化するのを見るたび、私は深い悲しみを覚えるのです。
陛下はあの風見鶏たちをお許しになったのか? 奴らは、きっかけさえあればまた、陛下やウルサスよりも自分の利益を優先するぞ。
[ヴィッテ] 陛下は慈悲深いのですよ。我々が耐え難いのは、しばらく鳴りを潜めるであろう小狡い貴族数名を許すことより、内部抗争が長引くことです。
[ヴィッテ] なんとしても帝国に仇なす雑草を根絶やしにして、害虫を駆除しなければなりません。なんとしても種を蒔いて、春を迎える頃には新芽が芽吹くよう整えなければなりません。
[ヴィッテ] そのため私は長らく努力をしてきました……大言めいたことを吐くのをお許しください。常ならばこのようなことを口にしませんが、今だけは……あぁ陛下! 私は今の自分を大いに誇りに思います。
[ヴィッテ] 友よ、ご安心なさい。犠牲者たちが成し遂げられなかったことは、生きている者が懸命に引き継ぐのです。
[ヴィッテ] 陛下がウルサスに新たな未来をもたらします。頑固な貴族たちや、祖国の最も暗い場所に潜む怪物、歪んだ邪神にいたるまで、たとえ何者であろうと――我々の皇帝の前にひれ伏すでしょう。
[ヴィッテ] 私の責務は、ただそれを確実なものにすること。
[ケルシー] ……
[ウルサス将校] 待て。
[ウルサス将校] 介護士長から聞いていないのか? 現在この場所はワーニャ大公がご使用中だ。誰も近づくことはできん。
[リリア] 私は本日の当直医師です。大公のお加減を診るために参りました。これは私の社員証です。
[ウルサス将校] ……新人か?
[リリア] はい。
[ウルサス将校] 喜べ、今日は休めるぞ。ワーニャ大公の診察は、彼お抱えの医師が担当する。これは暗黙のルールだ。
[ウルサス将校] 新人ということに免じ、見なかったことにしておいてやる。だが、これ以上この廊下をうろつくようであれば、ただじゃ済まないぞ。
[ウルサス将校] さっさと消えろ。せっかくの休暇だ、どこかよそへ行って過ごせ。
[ウルサス将校] ――俺だ。何でもない、療養所の当直医師だ。すぐ追い返す……
[ウルサス将校] なに……? あのヤブ医者がいないだと……?
[ウルサス将校] だがリスクが……うーむ……財務大臣も来てるしな……わかった。
[ウルサス将校] お前ら二人、待て。
[リリア] はい。
[リリア] 何かあったんですか?
[ウルサス将校] 事情が変わった。……ついてこい。
[ウルサス将校] いいか? お前らが何に気付こうが、それはすべて大公の持病だ。騒ぎ立てるなよ。
[ウルサス将校] ちゃんと大公の世話をして、日が暮れたらすぐに戻れ。大公の休息の邪魔はするな。
[ウルサス将校] 無事に済めば褒美がもらえる。手厚い褒美だ。お前らのような……貧乏人が何年も愉快に暮らすには十分だろうな。
[リリア] 感謝いたします。このような機会をいただいて大変光栄です……ケルシー、お礼を言いなさい。
[ケルシー] あ……はい、ありがとうございます。
[ウルサス将校] ……フンッ、田舎者が。ヘマするんじゃないぞ。
[リリア] はい。気を付けます。
[ウルサス将校] ……
[ウルサス将校] 待て。
[ウルサス将校] 部屋に入れるのは一人だけという決まりだ。そこは今回も例外じゃない。でなきゃ大公に咎められる。
[ウルサス将校] その使用人に行かせろ。
[リリア] ――ですが医師は私です。
[ウルサス将校] 大公が服用する薬はこっちで用意する。お前はここで待っていればいい。何かあった時にだけ入れ。
[リリア] そんな――
[ウルサス将校] お前の仕事はここで三時間突っ立って、命令を待つことだと言ってるんだ。
[ウルサス将校] それからお前、お前は十分以内に出てこい。
[ウルサス将校] それを超えれば、中で何が起きてようが命はないと思え。
[ウルサス将校] 来い、使用人。ボディチェックをする。
[ケルシー] ……かしこまりました。
[ケルシー] ……
[ケルシー] ……大公閣下。
光が届かない部屋の隅に、座ったまま寝ているような老人がいる。 彼はピクリとも動かず、静かに呼吸をしながら遠くを眺めている。
[ワーニャ公爵] ……医者か?
[ケルシー] いえ、ただの使用人でございます。
[ワーニャ公爵] そうか……さぁ、こっちへ来なさい。
[ケルシー] ……かしこまりました。
[ワーニャ公爵] 君はウルサス人か?
[ケルシー] いえ。
[ワーニャ公爵] そこで屈んで、私に顔を触らせてくれ。
[ケルシー] ……はい。
[ワーニャ公爵] うむ……ヴァルポ、いやフェリーンか? 可愛い種族だ。
[ケルシー] 目が……視えないのですか?
[ワーニャ公爵] そうだ、先月からな。
[ワーニャ公爵] 私はもう死ぬ。今日か、明日か……だから君が来たところで意味はないのだよ、若者よ。
[ケルシー] ……
[ワーニャ公爵] 彼らは医者が入ることを許さない。私を殺したいのだ。
[ケルシー] 抗議なさらないのですか? あなたは大公なのですよ。
[ワーニャ公爵] だからだよ。私はウルサスに逆らえない、もう受け入れたのだ。
[ワーニャ公爵] 今日の天気はどうだ? 日差しが暖かくなっていくのを感じるよ。
[ケルシー] 雲一つありません、大公閣下。
[ワーニャ公爵] あぁ……雲一つない、か。もうずっとそんな日々が続いている。
[ケルシー] ……絶望を感じますか?
[ワーニャ公爵] 絶望……? 絶望は最初の一瞬だけだ。私たちは長い人生の中で常に何かしらの感情にとらわれている。だがそのほとんどは人を絶望させるものでもなく、人生を喜びで満たすものでもない。
[ワーニャ公爵] 狭間だ、我々は大抵高くもなく低くもないところでほどほどに生きているのだ、若者よ。それを麻痺状態と揶揄する者もいれば、自業自得と見なす者もいる。生き方は己次第であろうとな。
[ワーニャ公爵] ……うむ。確かに気候は穏やかになったな、風も以前ほど身にしみない。
[ワーニャ公爵] 誰が君を寄越したのかな? 若者よ?
[ケルシー] もうお気づきでいらっしゃるのですね。
[ワーニャ公爵] 君の方も驚かないようだな。私のような何も成し遂げられず、最後には罪を被って人身御供として蹴り出されるような老人には、見下すのが普通だと思っていたが。
[ケルシー] 私はこれまでに、どんな人間だろうと見下したことはありません。ましてやあなたはウルサスの大公ですから。
[ワーニャ公爵] 君は真実を告げるようなことはしないだろうな……無理もない。なら私が当ててみるとしよう。
[ワーニャ公爵] 財務大臣か? いや違うな……彼は今回の件とは何の関係もない。こんな出過ぎた真似をするような手腕もない。もし彼の考えであるならば……むしろその方が有難いくらいだが。
[ワーニャ公爵] では、師兵団内のあの害虫どもか? あの臆病な老いぼれども……いやそれも違う。あいつらならもっと単純な方法をとるはず……
[ワーニャ公爵] もう一度当ててみよう。若者よ、誰が君を寄越したか……
[ワーニャ公爵] ……
[ワーニャ公爵] まだそこにいるか、若者よ?
[ケルシー] ここにおります。
[ワーニャ公爵] ……陛下か? 陛下が私に……この愚かで傲慢な者に、自らの愚行に対する代償を払えと?
[ワーニャ公爵] あぁ、あの晩見たのは恐ろしい夢などではなかったのだ……
[ワーニャ公爵] 君は両目を失った感覚が想像できるか? 暗闇の中で、歪んだ何かがうごめくのを感じる……恐ろしい異様感だ。
[ケルシー] つまり、失明しても恐怖は覆い隠せないと?
[ワーニャ公爵] そうだ……あれは近衛兵の気配だった。若者よ、あの晩、陛下の利刃は私の喉元からほんのわずかな距離まで迫っていた――
[ヴィッテ] 何ですか? 果物ナイフ? 私がやりますよ。
[ヴィッテ] スケジュールは詰まっていますが、旧友のためにリンゴをむいてやる時間すら取れないなんて、あまりにも寂しいではありませんか。
財務大臣にそんな雑用はさせられない。
[ヴィッテ] はは、私を皮肉っているのですか?
本心だよ。財務大臣が扱うべきはナイフなどではない。 君はほかのことに専念すべきだ。
[ヴィッテ] 大げさですね、友よ。リンゴをむくだけではありませんか。まさか何かの迷信の話でもするのですか?
[ヴィッテ] ご覧なさい、療養所の果物は新鮮です。これもあなたの回復に役立つことでしょう。
ヴィッテ、我が友よ、ナイフを貸してくれ。 体が錆付かないよう、少しは自分で動いた方がいいかもしれない。
[ヴィッテ] あなたはまだ弱っている、手を切ってしまいかねません。
ウルサスの将校が、果物ナイフを扱う力すらないと言いたいのか?
[ヴィッテ] いえ、そのようなことは……
[ヴィッテ] ふぅ……わかりました、友よ。ナイフをお渡しします。くれぐれもお気を付けて――
[ヴィッテ] ――!
[ヴィッテ] そんな――何をしてるんですか!? 誰か医師を!
[ヴィッテ] なぜそんなことを――自分の指を切り落とすなんて――待っていてください、すぐ医師を呼んできます!
ぐ――ヴィッテ! 騒ぐな、想像していたほどの痛みではない…… 幸か不幸か痛みには慣れているからな。 そう慌てるな、まずは私の話を聞いてくれ。
見るがいい、ヴィッテ…… 私は戦火の中で右手の爪をなくした。 カジミエーシュ人に親指を削ぎ落され、極東の殺し屋に人差し指の半分を奪われた。
私は常々不公平だと思っていた。 ヴィッテよ、私の右手はナイフを持つ側の手という理由だけで、このような目に遭ってきたのだ。
そして今、私は左手の人差し指を切り落とした。 これで両手とも不完全になり、公平になった。
[ヴィッテ] 何のために……そんなことを……!?
教えてくれヴィッテ。 ウルサスの戦争は……私がこの人生において誇りに思っていた栄誉の傷痕は、本当に栄誉だと言えるのか?
いや、答えなどいらない。そんなものは重要ではない。 この血を滴らせる真新しい切り口を見ろ。これは私の意志でできた傷だ。 私を病魔から目覚めさせ、再び君と話すことを可能にした。
ヴィッテ、君はサンクト・グリファーブルクへ戻る。そうだろ? 君は遅かれ早かれ、あの偉大なる都市へと戻る。
だったら私の体の一部も持って行ってくれ。 私の肉体は戦いの中で嫌というほどバラバラに損傷した。 だが唯一この人差し指だけは、自分の意志で切り離されたものなのだ。
私に子供はいない。だがこの指が……愚かだと笑ってくれ、この指だけが、唯一私から生まれ落ちた我が血肉なのだ。
これをサンクト・グリファーブルクへ持ち帰り、君の庭園に、あるいは道端の花壇でもいい、サンクト・グリファーブルクの土の中に還らせてくれ。
頼む! 私をサンクト・グリファーブルクに連れて行ってくれ! 私の血肉をウルサスと一つにさせてくれ……我らが何代にもわたり守ってきた、ウルサスの中心に連れて帰ってくれ!
――ヴィッテよ!
[ウルサス将校] ……
[リリア] ……
[ウルサス将校] 今日はどうしてこんなに人が行ったり来たりしてるんだ? チッ、行儀の悪いバカどもが。
[ウルサス将校] ちょっと様子を見てくる。お前はここを動くな。
[リリア] わかりました。
[リリア] (ケルシー所長の方はどうなってるの……?)
[リリア] (くっ、時間がない。)
[ウルサス将校] おい、お前! 早く116号宿舎に行け。
[リリア] えっ? ですが私の助手がまだ――
[ウルサス将校] どうせこっちは使用人一人いれば十分なんだ、医師は必要ない。
[ウルサス将校] こいつは財務大臣の要求なんだ。陛下のお気に入りの機嫌を損ねてみろ、俺たちじゃ責任を負いきれんぞ!
[ウルサス将校] 早く行け! 絞首刑になりたいのか!?
[リリア] は、はい。申し訳ありません。すぐに参ります……
[リリア] (ケルシー所長……! 急いで!)
[ワーニャ公爵] 若者よ、ここへ座りなさい。名は何という?
[ケルシー] ケルシーです。
[ワーニャ公爵] ……それは偽名でもコードネームでもない、そうだな?
[ワーニャ公爵] 私にはわかる……その名乗り方から、わかるぞ。君はその名を愛しているかね、ケルシー。
[ケルシー] どうでしょう。
[ケルシー] 時間がありません、大公閣下。これ以上遅くなれば、あなたの護衛がここに入ってきます。
[ワーニャ公爵] ほう……どうやら私は自分を殺しに来た刺客に対し、猶予を与えてやらねばならないらしい……
[ワーニャ公爵] ふむ。通信機は確かこの辺に……
[ケルシー] ここです。
[ワーニャ公爵] ハッ、用心深い殺し屋よ、いつの間に掠め取っていたのだ?
[ワーニャ公爵] それを渡してくれないか。
[ケルシー] ……どうぞ。
[ワーニャ公爵] 信用してくれてありがとう、若者よ。しかし、これほどの余裕……君を送り込んだのは誰であろうと、きっと君は大物になる。
[ワーニャ公爵] ああ、護衛長か。今、ここにいる療養所の使用人だが……私と同郷らしいのだよ。彼女ともう少し話がしたい。命令するまで、邪魔をしないでくれ。
[ワーニャ公爵] 侵入者は命令違反と見なす、わかったな。
[ワーニャ公爵] ……これでよし。
[ケルシー] ……あなたの故郷はどちらですか?
[ワーニャ公爵] パインバレーの反対側だ。
[ワーニャ公爵] 君が私を信用するのは、すべての手はずが整っているからかな? たとえ今、護衛たちが部屋に押し入っても、君は無事逃げられる、そういうことか?
[ケルシー] 聞いたところで私は答えません。
[ワーニャ公爵] ……もしかしたら君は近衛兵ではないのかもしれんな。君に歪んだ恐ろしさはない。それに、そうだ。近衛兵が自分たちの仕事を他人に任せるだろうか?
[ワーニャ公爵] 彼らはウルサスで最も冷徹な監視者だ……相当の人物でなければ、近衛兵にとっては相手にする価値がない。
[ワーニャ公爵] 参った。私の負けだ、若者よ。私では君の正体を見抜けない。
[ワーニャ公爵] 君はなぜここに来た?
[ケルシー] ……職責を果たすために。
[ワーニャ公爵] ケルシー、私は苦しみながら死ぬのか?
[ケルシー] いいえ。薬はゆっくりと神経に作用して、あなたは眠るように静かに意識を落とし、そして永遠に目覚めることはありません。
[ワーニャ公爵] ……重病を患っている老人からすれば、それは天恵とも言えるな。
[ワーニャ公爵] 感謝しよう。
[ケルシー] ……
[ワーニャ公爵] そうだ……君は医者か? それとも科学者かね?
[ワーニャ公爵] 君には輝く両眼があるか? 指には薬の残り香があるのか?
[ワーニャ公爵] 君は――
[ワーニャ公爵] ――待ってくれ、まさか君は……チェルノボーグの件で来たのか?
[ワーニャ公爵] ケルシー……ケルシー……あの日、炎の中で死んだ所長も、そんな名ではなかったか?
[ケルシー] もしあなたが本当に犠牲者全員を覚えていたのなら、私はウルサスの掌から逃れられなかったかもしれません。
[ワーニャ公爵] あぁ、君は……君がケルシーなのか……
[ワーニャ公爵] なんということだ……君は秘密警察の目を欺いただけでなく、名前すら変えずに、ここに潜り込んだというのか……?
[ワーニャ公爵] 一体どうやって?
[ケルシー] 手段などいくらでもあるのですよ、大公閣下。
[ワーニャ公爵] 私の死を望む者もいれば、望まない者もいるが、私はてっきり……だが、もし君がただの科学者ならば、そんな簡単に……騙されるべきではないな。
[ワーニャ公爵] いや……それとも、誰かが君を買収したのか? 誰かが君の復讐心を利用し、私を死に追いやろうと?
[ケルシー] 何も言うつもりはありません、大公閣下。
[ケルシー] 今から、あなたに注射を打ちます。
[ワーニャ公爵] あぁ、君が私の死刑宣告をするのか。それはいい。今のこの苦しみよりもずっと楽かもしれない……
[ワーニャ公爵] うっ……
[ワーニャ公爵] ……
[ケルシー] 終わりました、閣下。
[ワーニャ公爵] ……私にはどれだけの時間が残っている?
[ケルシー] 十五分です、閣下。
[ワーニャ公爵] ……教えてくれ、若者よ。私の目の前にある景色はどうなってる?
[ケルシー] 芽吹きの時を迎え、陽射しがいっぱいに注がれ、大地はたくさんの希望に満ちています。
[ワーニャ公爵] 美しいか?
[ケルシー] 美しく雄大な景色です。しかしその美しさはウルサスにとってごくありふれたものです。
[ワーニャ公爵] ……フッ、若者は口がうまいな……どれほどのウルサス人が、この景色を見られるのだろうか?
[ワーニャ公爵] そうだ、花……私の花は? 私が蒔いた種は……芽を出したか? 蕾を膨らませたか? この盲いた両目は、とうとう蕾が綻ぶ姿を映すことはなかった……
[ケルシー] ……残念ながら、今のところは。
[ケルシー] 帝国の冬は、観賞用の植物を育てるには寒すぎるようです。
[ワーニャ公爵] あぁ……ここではあの花を咲かせられないのか?
[ケルシー] この長い冬が続く地に、一体何を植えたんです?
[ワーニャ公爵] 若い頃に……私はカジミエーシュとの戦争に参加した。君は戦争を経験したことがあるか、ケルシー?
[ケルシー] ……
[ワーニャ公爵] 戦場は混乱を極めた。最初の砲撃音の十数分後には、隊列と戦術はその意味を失った。
[ワーニャ公爵] 私は数名の騎士と戦って、足を負傷し、頭をハンマーで殴られた。ヘルメットを脱ぎ捨て、死に物狂いで這いずり……そのまま花畑にたどり着き――
[ワーニャ公爵] そこで私は気を失った。その後援軍に救助されたが、混濁する意識の中で目にした、あの花の姿だけは覚えている。
[ケルシー] ……パインリリーですね。
[ワーニャ公爵] そうだ……戦争が終わった後、私は人に頼んで辺境からその花の種を持ち帰ってもらったのだ。私はその花のカジミエーシュの学名が嫌いでね、新たな名前で呼んでいた。
[ワーニャ公爵] 私はその花が好きだ。私の都市ではそれを街のシンボルとした。ウルサスの土地は……カジミエーシュよりもその花を育てるのに適している。
[ワーニャ公爵] ……私の妻も……それを育てていたよ。心を込めてね。
[ワーニャ公爵] だが……ここでは、土から芽を出すことはなかった。
[ケルシー] 春が来るにはまだ早いですよ、大公閣下。
[ワーニャ公爵] あぁ……そうだ。私が愛するウルサスの土地は、様々な希望を孕み生み出す場所だ……きっとそうだろう。
[ケルシー] しかし、ウルサスは貧民や感染者で溢れてもいます。
[ワーニャ公爵] ウルサスが犯したであろう様々な悪行を否定はしない。それでも、大地がすべてを包容する……あぁ、少し疲れたな……
[ケルシー] それは説得力のある言い訳ではないように思えます。
[ワーニャ公爵] 言い訳? 違うぞ、若者よ……私は許しを得ようなどと考えたことはないし、必要としてもいない……
[ワーニャ公爵] ただ、最期の瞬間になって私は……ようやくわかった……意味とは……実は何もかも……
[ワーニャ公爵] パインリリー……
[ワーニャ公爵] もう一度……君の姿を見たかった……
[ワーニャ公爵] ……行きなさい、若者よ。
[ワーニャ公爵] 陽射しが……暖かい。再び……光を取り戻したかのようだ……
[ワーニャ公爵] フー……
[ケルシー] 人生の最後に自身を許す資格などあなたにはないかもしれません。しかし――
[ケルシー] (ウルサス語)どうかウルサスがあなたを忘れ去りますように、大公閣下。
[ワーニャ公爵] (ウルサス語)……ウルサス……私の……
[ワーニャ公爵] ……祖国。
[ケルシー] ……大公閣下がお休みになられました。
[ウルサス将校] ……報告の必要はない。我々は命令を受けている、三十分経たないと中に入れない。
[ウルサス将校] お前、大公と同郷だそうだな?
[ウルサス将校] お前たち若い女がこぞってここの療養所で仕事しようとするのは、お偉方に取り入るためだと聞いた。そうだろう?
[ウルサス将校] これで満足したか? いつまでそこにつっ立っている気だ。俺にお前の靴でも磨けってか?
[ケルシー] いえ、そんな……申し訳ございません。すぐに立ち去りますので……
[ウルサス将校] チッ、クズが……
[リリア] ……果物ナイフは錆びつきやすく、感染症を引き起こすこともありますが、我々が細心の注意を払って見守りますので、どうかご安心ください。
[ヴィッテ] ……わかりました、よろしくお願いします。
[ヴィッテ] 友人が頭に血を上らせたせいで、かなりの時間を費やしてしまったようです……
[ヴィッテ] 彼が医務室から出てきたら、こう伝えていただけますか。「あなたが我々の心に炎を点しました、あなたの友イスラーム・ヴィッテを信じてください」と。
[ヴィッテ] では、私はトランスポーターと共に出発せねばなりませんので。
[リリア] お気を付けて。
[ケルシー] ……
[ヴィッテ] ……
[リリア] (ケルシー所長――!)
[ケルシー] (すぐにここを去ろう。)
[ケルシー] (あの金魚のフンのような官僚どもは、財務大臣に畏縮している。これは我々にとって絶好の機会だ。)
[リリア] (あ……あいつは死んだんですか?)
[ケルシー] (効果が出る時間が予想よりも短かった。もともと彼の体は限界を迎えていたのだろう。)
[リリア] (あいつの死を利用したい連中が大勢いるはずです。奴らの争いが私たちにとって好機になるかもしれません。)
[ケルシー] (行こう。)
[リリア] ケルシー所長――
[リリア] ありがとうございます。
[リリア] 私のために……私のために、すべてを終わらせてくれて。
[ケルシー] まだ終わっていない。
[ケルシー] ウルサスがどんな姿に変わろうと……我々はいつかまたこの帝国に向き合う日が来るかもしれない。
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