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鍋山防空機銃砲台跡と鍋山防空砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

鍋山防空機銃砲台跡鍋山はかつて旧呉海軍工廠製鋼部(現日新製鋼呉製鉄所)の後ろにあった山ここには太平洋戦争中に呉海軍工廠防衛のための防空機銃砲台が作られ、昭和17年8月に『40mm連装機銃』1基が配備されました。その後、戦局の悪化と呉海軍工廠の後ろの山という位置的な重要性もあって、

海軍工廠西海岸応急防空砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

海軍工廠西海岸応急防空砲台跡海軍工廠西海岸応急防空砲台はかつて旧呉海軍工廠製鋼部(現日新製鋼呉製鉄所)の海岸線にあった応急防空砲台旧呉海軍工廠製鋼部のある半島の付け根部分の南西側海岸線に構築され、昭和20年1月に『四〇口径一〇式12cm高角砲』が5門が配備されました。通常、防空砲

坪の内町の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

坪の内町の防空壕跡国道487号線の坪ノ内交差点かつて、ここにコンクリート製の防空壕がありましたが、現在は残っていません。 備考 ・かつて国道487号線の坪の内交差点の北側に存在していた ・近くに宮原11丁目の防空壕跡がある 住所

工廠神社 - 呉市周辺の遺構まとめ

工廠神社(産業神社)串山にある神社工廠神社は太平洋戦争直前の昭和15年に、紀元二千六百年記念行事(天皇歴が始まって2600年目の祝典)の一環として寄付により建立されました。目前にある呉海軍工廠にまつわる神社のようですが詳細は不明です。また、産業神社という別名もありますがなぜ名称が

第11海軍航空廠白石隧道地下工場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

第11海軍航空廠白石隧道地下工場跡吉松山のふもとにある白石集落にあります。空襲が激しくなった太平洋戦争末期に第11海軍航空廠の航空機生産を継続するため、ここに地下工場が作られました。太平洋戦争末期の昭和19年12月に、本土空襲に備えて広海軍工廠と第11海軍航空廠では工場の分散疎開

音戸町戦没者慰霊碑(旧音戸防空砲台) - 呉市周辺の遺構まとめ

渡子峠倉橋島北部の音戸と渡子の間にある渡子峠(標高108m)ここには太平洋戦争末期の空襲に備えて呉鎮守府所属の音戸防空砲台が作られました。音戸防空砲台は太平洋戦争末期の昭和20年1月に竣工し『四〇口径一〇式12cm単装高角砲』が4門配備されました。昭和20年7月の第二次呉軍港空襲

広海軍工廠引き込み線跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

広海軍工廠引き込み線跡(西側)広海軍工廠引き込み線は広駅と広海軍工廠を結ぶ軍用貨物鉄道の線路引き込み線とは、主要な鉄道路線から分岐して工場や施設内に入るための線路のことです。工場内で製造された物資や機材の輸送や工場への原材料の供給などに使用されます。また、広海軍工廠のような軍需工

海上自衛隊呉補給所被服倉庫(旧呉鎮守府軍需部需品庫) - 呉市周辺の遺構まとめ

海上自衛隊呉補給所被服倉庫(旧呉鎮守府軍需部需品庫)海上自衛隊呉総監部の敷地内にある遺構旧呉鎮守府の時代からある被服倉庫で長さ35.5m幅8.2mの2階建てレンガ造りの倉庫です。当初は4棟ありましたが現在は3棟のみ現存しています。被服とは兵士たちの軍服・軍靴・軍帽・ベルト等の軍服

大和神社(奈良県) - 呉市周辺の遺構まとめ

大和神社(奈良県)大和神社(おおやまとじんじゃ)は奈良県天理市にある神社日本最古の神社として日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)が祀られています。呉市から遠く離れた奈良県の田舎にありますが、呉海軍工廠で建造された戦艦大和は奈良県の旧国名である『大和国』が起源で、大和神社

ジャパンマリンユナイテッド呉事業所新宮工作部(旧第11海軍航空廠兵器部新宮工場) - 呉市周辺の遺構まとめ

ジャパンマリンユナイテッド呉事業所新宮工作部(旧第11海軍航空廠兵器部新宮工場)呉湾を囲む造船工業地帯の西北部旧呉海軍工廠地帯から呉湾を挟んで反対側の新宮町にかつて第11海軍航空廠兵器部新宮工場がありました。第11海軍航空廠は広にある広海軍工廠の一部で太平洋戦争開戦の昭和16年に

宮原4丁目の民家の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

宮原4丁目の民家の防空壕跡宮原小学校の近くの更地にある防空壕跡詳細不明ですが2つあることから民家の防空壕跡と思われます。太平洋戦争中は各家庭に防空壕があり中に食料・水・炭(燃料)などの貴重品を入れておくことが一般的でした。また、緊急時には人も避難できるように作ってあるため、このよ

神原湯跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

神原湯跡神原湯はかつて宮原町にあった銭湯呉市は太平洋戦争終戦まで人口40万人の大都市でしたが、水源が限られていたため毎年夏になると水不足で断水するなど水道事情がよくありませんでした。貴重な水道水を無駄なく使うため呉市には昔から多くの銭湯があり市民に利用されていました。この神原湯は

第六潜水艇殉難者記念碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

第六潜水艇殉難者記念碑山口県岩国市装港にあります。明治39年に建造された『第六潜水艇』は潜水艦黎明期における初の国産潜水艇でしたが、お世辞にも性能が良いとは言えない艦艇でした。明治43年、岩国沖で半潜航訓練中に事故で浮上できない状態のまま乗組員14名全員が酸欠で死亡するという事故

賀北部隊原爆被災者救援之碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

賀北部隊原爆被災者救援之碑東広島市の西条中央公園にあります。『賀北部隊』は戦争末期に賀茂郡北部(現在の東広島市西条)にあった2個中隊約250名で結成された国土防衛隊です。広島市に原爆が投下された昭和20年8月6日に召集され翌7日に賀茂海軍衛生学校の看護練習生と共に救護に向かいまし

両城の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

両城の防空壕跡両城小学校の近くにあります。太平洋戦争後期の昭和19年以降は空襲に備えて呉市内にも各家ごとに防空壕が作られました。そうした家庭用防空壕とは別に、大通りや工場・学校・病院といったパブリックな場所の近くにも公共の防空壕が作られました。ここ両城にある防空壕は元々は海軍軍需

戦艦大和建造ドックの壁石 - 呉市周辺の遺構まとめ

戦艦大和建造ドックの壁石モニュメント呉市役所の前にあります。戦艦大和建造ドックの壁石でできたモニュメントですが、歴史の見える丘の造船船渠記念碑に比べるとコンパクトです。 備考 ・呉市役所の前にある ・同じ戦艦大和建造ドックの壁石でできた造船船渠記念碑が歴史

長浜の鉄塔 - 呉市周辺の遺構まとめ

長浜の鉄塔長浜集落の入江神社の前にあります。この鉄塔は空襲警報のサイレンを鳴らすのに使った鉄塔で錆ついていますが健在です。北に行けば旧広海軍工廠があるので、太平洋戦争末期の昭和20年3月と5月の広海軍工廠への大空襲では空襲警報のサイレンが鳴ったと思われます。また、呉市電の終点がこ

阿賀骸炭製造所ガス圧送室跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

広島ガス呉支店(延崎火力発電所跡)阿賀南にある現在の広島ガス呉支店明治43年に阿賀・警固屋・音戸の電灯電力を供給するため呉瓦斯株式会社が設立され、翌44年にここ延崎(現在の阿賀南)に火力発電所を建設し操業を開始しました。大正元年には広村・仁方町・川尻村まで供給を拡大し最盛期の大正

平和塔(旧日清戦争凱旋碑) - 呉市周辺の遺構まとめ

平和塔(旧日清戦争凱旋碑)御幸通りの始点である皆実町緑地にあります。日清戦争終戦後の明治29年に、ここに日清戦争戦勝を祝う記念碑『日清戦争凱旋碑』が作られました。この塔は高さ16mで頂部に獲物を狙う鷹の銅像が飾られており、御幸通りには戦勝を祝う凱旋門も作られました。その後、太平洋

地御前キラキラ公園(旧地御前村防空監視所) - 呉市周辺の遺構まとめ

地御前キラキラ公園(旧地御前村防空監視所)地御前は日本三景の1つ安芸の宮島の北対岸にある街宮島街道沿いの街として史跡も多い地御前ですが太平洋戦争中に海軍の防空監視所がありました。地御前防空監視所は昭和17年4月に日本本土に初めて空襲があったことを受け、今後予想される大都市へを空襲

飛渡瀬第二応急防空砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

飛渡瀬第二応急防空砲台跡飛渡瀬第二防空砲台跡は太平洋戦争末期の昭和20年1月に作られた応急防空砲台標高77mの江南の高台にあり『八八式7.5cm野戦高射砲』3基が配備されていました。防空砲台にしては低すぎる山ですが、東の海沿いに海軍飛渡瀬燃料置場(後の海上自衛隊貯油所)があったた

飛渡瀬第一防空砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

仏ノ塔山林道秋月線沿いにある山標高205mと連峰になっている飛追山より高い山で、山頂に石仏像があるため仏ノ塔といわれています。ここには太平洋戦争中に呉港防衛のため呉鎮守府所属の防空砲台が作られました。飛渡瀬第一防空砲台は太平洋戦争末期の昭和19年11月に着工され、秋月型駆逐艦の主

秋月防空砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

秋月防空砲台跡秋月防空砲台跡は秋月港の後ろにある飛追山にあります。飛追山は標高170mと防空砲台を築くには低くまた江田島でも最も陸地が細いところです。しかし、西の江田島湾には海軍兵学校があり東の呉湾には呉海軍工廠があるという戦略的には重要な場所です。秋月防空砲台は太平洋戦争中期の

切串港の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

切串港の防空壕跡江田島北東端の切串港にも防空壕跡が2つ残っています。となりは海上自衛隊呉弾薬整備補給所と中国化薬(自衛隊の弾薬を作っている会社)です。 備考 ・切串港(さくら海運)の近くに2つある ・同じ名前の港が江田島に2つあるので注意(呉ポートピアパー

古鷹山 - 呉市周辺の遺構まとめ

古鷹山古鷹山は江田島の中央に位置する標高394mの山明治21年に江田島海軍兵学校が開校すると兵学校のすぐ北にあるということもあり、生徒の登山訓練に使われ心身鍛錬の場として使われました。明治時代の小説『坂の上の雲』で有名な広瀬武夫も在学中に100回以上登ったという逸話も残っています

特攻艦隊留魂碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

野島沖(戦艦大和最後の停泊地)山口県防府市江泊山の沖合い太平洋戦争末期の昭和20年4月5日、沖縄に向かうため呉を出港した戦艦大和以下10隻からなる特攻艦隊が翌6日に停泊した場所がここ野島沖です。艦隊は当初、佐世保へ寄港し沖縄に向かう予定でした。しかし佐世保近海に米軍艦隊がいるとい

柿浦峠の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

柿浦峠の防空壕跡柿浦峠にある防空壕跡レンガ造りの焼却炉・門柱・井戸が残っていることから何かの建物があり、その附属施設としての防空壕と思われますが詳細不明です。 備考 ・県道300号線沿いにある ・柿浦峠バス停の目の前にあるので注意していればすぐ見つかる

時報塔 - 呉市周辺の遺構まとめ

時報塔時報塔(じほうとう)は旧志和堀村(現在の東広島市志和町志和堀)にある鐘楼時報塔は大正11年に志和堀村の在郷軍人会が定時励行を推奨するために建設しました。当時は、前々年の大正9年に日本初の時報を記念した『時の記念日』が制定され、文部省や財政会からも時間に対する生活改善を求める

三高山砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

三高山三高山は江田島北西部にある山ここには明治33年に陸軍が外国艦隊迎撃のために築いた広島湾要塞の1つ、三高山砲台跡があります。三高山砲台は広島湾要塞の要として江田島と宮島の間にある那沙美瀬戸防衛ために作られました。明治34年に三高山の標高385mの尾根に着工し、総面積約6万坪の

大野陸軍病院水害死没者供養塔 - 呉市周辺の遺構まとめ

大野陸軍病院跡大野陸軍病院は廿日市市宮浜温泉にあった陸軍の軍属病院大野陸軍病院は元々は『日本赤十字大野診療所』として開業しました。約500床を持つ2階建ての病棟が建てられ、当時「不治の病」と言われた結核患者のための民間病院として作られたため郊外に位置しています。開業後間もない昭和

大野鉱山跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

大野鉱山跡大野鉱山は太平洋戦争中に廿日市市高見山にあった鉱山高見川の岩原の花崗岩に鉱脈があり川沿いの山を掘ることで鉱山としました。主な採掘はタングステンでしたが少量の金・銀・銅・鉄も採掘されていました。太平洋戦争開戦の昭和16年に軍の管理下で開山されましたが、日中戦争が始まった昭

騎兵第五連隊跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

騎兵第五連隊跡広島駅の北西にある二葉の里にあります。現在の鶴羽根神社前(広島東警察署)辺りから広島駅在来線ホームまでが騎兵第五連隊の駐屯地でした。騎兵とは馬に騎乗してサーベルや小銃で戦闘を行う兵科で、高い機動力や攻撃力により偵察や伝令等も行います。騎兵第五連隊は第五師団所属の部隊

大那沙美島砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

大奈佐美島(大那沙美島砲台跡)大奈佐美島(おおなさびじま)は広島湾にある無人島明治時代は『大那沙美島』という表記でしたが、現在は大奈佐美島と表記されるのが一般的です。ここには明治33年に陸軍が外国艦隊迎撃のために築いた広島湾要塞の1つ、大那沙美島砲台がありました。大奈佐美島は宮島

海軍第三門跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

海軍第三門跡海軍第三門は呉海軍工廠造船部船渠の裏にあった市街地と呉海軍工廠の境界の衛門太平洋戦争終戦まで呉鎮守府や呉海軍工廠は軍用地であり市民は立入禁止でした。また、市街地と軍用地は塀で仕切られており現在と異なり自由に出入りすることはできませんでした。この海軍第三門は市街地と軍用

逓信省装荷用ケーブルハット跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

逓信省装荷用ケーブルハット跡西国街道跡の一つ、苦の坂峠にあります。逓信省(ていしんしょう)とは明治時代に作られた通信や運輸を管轄する政府の省庁で、現在のNTT(旧電信電話株式会社)と郵便局を合わせたような事業を行っていました。日本に電話が初めて登場したのは明治23年の東京-横浜間

沖美町の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

沖美町の防空壕跡沖美町高祖にある防空壕跡県道36号線沿いに防空壕跡が残っています。入口は3つあり中でつながっているものと思われます。また、入口はかなりていねいにレンガで組まれいて中央の入口には伝声管らしきものもあります。太平洋戦争末期に作られた防空壕は、物質不足のため斜面に穴を掘

西本浦町の道標 - 呉市周辺の遺構まとめ

西本浦町の道標西本浦町と東本浦町と東雲町の境界にある道標『広島県庁(廣島縣廟)』『広島駅(廣島驛)』などの旧漢字の地名が並ぶ中『重砲兵聯隊廣島被服支廠』という文字が見られますが、恐らく広島陸軍被服支廠のことかと思われます。広島市は原爆による破壊と戦後の再開発により街並みや通りの名

鹿川水源地 - 呉市周辺の遺構まとめ

鹿川水源地鹿川(かのかわ)水源地は能美島の小鹿川にある水源地で『江田島海軍水道』の1つ明治26年に開校した海軍兵学校の水源地として初めに奥小路水源地が作られました。しかし、生徒数の増加や海軍兵学校の規模拡大を受けて水源地の追加増築が必要となりました。そこで海軍は、昭和16年に能美

兵士壮行式場跡の碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

兵士壮行式場跡の碑(蓮華寺跡)黒瀬川にかかる蓮華橋と蓮華寺ここは明治・大正・昭和の三代に渡って若者が軍隊に入営する際の壮行式の場でした。また二度の大戦では召集令を受けて出征する兵士の見送り場でした。見送りには国防婦人会や退役軍人・小学生など地域の住民が参加し、日の丸を振りながら万

横路中学校(旧第11航空廠横路工員宿舎) - 呉市周辺の遺構まとめ

横路中学校(旧第11航空廠横路工員宿舎)横路(よころ)工員宿舎は黒瀬川沿いにあった第11海軍航空廠の工員寄宿舎現在は横路中学校となっていますが太平洋戦争終戦まで第11海軍航空廠の寄宿舎がありました。詳細は不明ですが、太平洋戦争中は広の街は工廠・工員宿舎・工員訓練所関連の建物がほと

原村兵士見送場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

原村兵士見送場跡の碑旧原村(現在の東広島市八本松町)の七ツ池公園にあります。太平洋戦争中に召集された原村出身の兵士が出征する際に、村の住民たちが七ツ池にある記念橋まで歩いて見送りをしました。その見送りの地に建てられたのが兵士見送場跡の碑です。見送りには国防婦人会や退役軍人・小学生

此彼堂(城家防空壕跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

此彼堂と彼岸堂三和町の和庄小学校近くにあります。昭和20年7月の第二次呉軍港空襲の際にここ城家防空壕で亡くなった人を供養するお堂です。第二次呉軍港空襲は市街地へ爆撃が最も大規模に行われた空襲で、呉市は火の海となり民間人だけでも約2000人が亡くなりました。ほとんどの人は防空壕に逃

航空母艦瑞鶴之碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

若桜友苑奈良県橿原市にある橿原神宮のとなりにあります。畝傍山のふともにある太平洋戦争戦没者を慰霊する霊苑。空母瑞鶴や予科練生の慰霊碑があります。航空母艦瑞鶴之碑空母瑞鶴は翔鶴型航空母艦の2番艦として太平洋戦争直前の昭和16年9月に就役しました。就役直後に太平洋戦争が開戦しましたが

八本松駅前の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

八本松駅前の防空壕跡八本松駅の北にあります。1つはレンガ造りの坑門が作られていることから防空壕であると思われます。もう1つは畑の中にあるため防空壕ではなく用具入れ、もしくは石垣の亀裂の可能性がありますが詳細不明です。レンガ造りの坑門のある防空壕は民家の裏にあるものが多いため、恐ら

満州高田開拓団殉難之碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

満州高田開拓団殉難之碑満州高田開拓団殉難之碑は、毛利元就の居城である吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)跡のふもと、郡山公園にあります。満州への開拓移民は、昭和11年に深刻な不況に見舞われた日本国内において国策として進められました。吉田郡からは、太平洋戦争末期の昭和19年から約3

青少年交流の家の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

青少年交流の家の防空壕跡江田島青少年交流の家にある防空壕跡2つあり、1つは天蓋が崩れて半野ざらしになっています。もう1つは壕口が大きく中から水音がするため内部が広そうです。作られた時期や用途は不明ですが、艦艇終焉の地の近くには防空壕跡が多く残っておりここにも標的艦摂津終焉の地があ

津久茂の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

津久茂の防空壕跡津久茂にある防空壕跡国道沿いに横穴式防空壕跡が2つ残っています。中はそこそこ広そうですが入口が埋められています。近くに海上自衛隊第11海上訓練指導隊がありますが、ここは太平洋戦争終戦後に埋め立てられた土地で戦前からある海軍施設の付属防空壕ではないようです。津久茂集

白岳山の境界標石 - 呉市周辺の遺構まとめ

白岳山登山口の境界標石白岳山の登山口にあります。境界標石とは民間地と軍用地の境界を示す石で日本各地に点在します。この標石には「海軍省」「呉要塞第三區地帯標」「大正十五年八月」と書かれています。第三區地帯とは「250間(約4km)先に国防に関する重要な防御営造物がある」という意味の

御幸橋 - 呉市周辺の遺構まとめ

御幸橋御幸橋は明治18年の宇品港築港にともない京橋川に架橋された橋当初は約255mの木造橋でその長さから「長橋」「川口橋」と呼ばれていましたが、明治天皇が行幸に使われたことから『御幸橋』と改称されました。御幸橋は日清戦争から太平洋戦争終戦まで陸軍の出征の道でした。陸軍の兵士達は広

津久茂(標的艦摂津終焉の地) - 呉市周辺の遺構まとめ

津久茂(標的艦摂津終焉の地)江田島湾の入口である津久茂の瀬戸の外側にあります。標的艦摂津は元々は河内型戦艦2番艦『戦艦摂津』として呉海軍工廠で建造され大正元年に就役しました。当初は弩級戦艦として就役しましたが、大正12年のワシントン海軍軍縮条約により戦艦としては退役となり武装を外