ベーコックの歴史

ページ名:ベーコックの歴史

ベーコックの歴史

・三行で

1.商人たちが連合してヤノサト王国から独立した国だよ

2.一時期滅ぼされかけたけどなんやかんやあって勢力を拡大したよ

3.近年革命が起こってドナルド王2世が即位したよ

1.建国

ベーコックの建国はDT.歴36年である。この前年ヤノサト王国ニュヤックに対して課した新たな税に反発し、街の支配を二分していた赤の商家・青の商家二つの商家が合同して蜂起した。(第一次ベーコック独立戦争あるいはニュヤックの反乱)

 

当時から街に蓄えられていた莫大な富と北海帝国からの密かな支援を受けて反乱軍は瞬く間に西海岸からヤノサト王国の影響力を一掃、議会の選挙によって国王を決めるベーコック共和王国の建国を宣言し、初代国王にドナルド1世(赤の商家出身)を選出した。この時、王の選出を巡って散々揉めた二つの商家が妥協として定めた「国王は双方の家から交互に選出する」という暗黙の了解は近年の革命まで100年以上守られることになった。

2.発展期

独立宣言以降沿岸部を押さえるベーコック、内陸部を押さえるヤノサト王国と軍事的には事実上の休戦状態にあった両国だったが、東西交易路を巡る経済的な対立は根深く続いていた。

 

DT.70年(ベーコックは独立以来評議会への加盟まで独自歴を使用していたがこのページではDT歴に統一する)ついにヤノサト王国はベーコックを「世界秩序に対する敵」だと宣言し各国に討伐を呼びかけた。国内外のブルジョワ勢力の躍進に危機感を抱いていた近隣諸国は檄に応じ、北海帝国以外の全ての隣国が敵に回ることになった。(第二次ベーコック独立戦争あるいはニュヤック制裁戦争)

 

反ベーコック連合軍の結成に加え、抗戦か譲歩かを巡ってニュヤックでは内乱騒ぎも発生しベーコックの命運は尽きたかに見えた。この時舞台に登場したのが以前から前線で戦い、兵士の信望厚かった青年将軍スターフィールドである。徹底抗戦を唱えるスターフィールドはそのカリスマ性と鉄腕により独裁官に就任、赤黄の両商家の支持を取り付けると、流浪の凄腕傭兵オッチを三顧の礼で片腕として呼び寄せ、数度に渡る陸海の戦いで連合軍を徹底的に破った。

 

DT.75年、5年に渡る連合軍との戦いが北海帝国の仲介で終結し、ベーコックの世界評議会連合への加盟が承認されると、スターフィールドは対内的には強権によって国家体制の整備と自国産業の育成を急ぐ一方で、対外的には経済交流の活発化による友好関係の構築を目指した。この方策は成功し、安定した経済成長の中でスターフィールドは20年以上国王を凌ぐ独裁的な権力を握ることになる。

3.混迷期

スターフィールドの失脚は唐突だった。DT.98年ヤノサト王国の内乱に干渉するために自ら軍を率いて遠征を行なっている最中にスターフィールドが発作で倒れると、ニュヤックでそれまで燻っていた反スターフィールド派が決起し首都を制圧、国王を押さえた決起派はスターフィールドの独裁官からの解任を決議する。

 

この決起計画の首謀者ミスタディ(青の商家出身)は当初スターフィールドを名誉職に任命しその信望を借りた妥協による統治を図ったが、スターフィールドが自身の緊密な部下たちを引き連れ失踪したのを契機に強行路線に転換、国王を傀儡として圧政を引いた。

 

しかし経済政策の失敗によって国内に動揺が広がると、DT.105年遠くコーシェンに逃れ密かに力を蓄えていたスターフィールドが戻り、国内を二分する内乱が勃発した。

 

DT.107年に「鏡の間事件」によってミスタディが失脚、同年にスターフィールドも再度の発作で隠棲を余儀なくされてからも内乱は続いた。むしろ当事者二人が居なくなってから名文を無くした内乱は泥沼化する一方で、DT.110年の頃にはベーコック共和王国の権力が確実に及ぶのは首都ニュヤック近郊のみであった。

4.黄金期

この非常事態に当時の王チチン1世(青の商家出身)が遂に頼ったのが第二次独立戦争以降流浪の旅を再開していたオッチであった。召集に応じたオッチは国王から全権を託されると既存の身分にとらわれない実力主義に基づき、数多くの人材を抜擢、新たに編成した精鋭部隊を武器に瞬く間に秩序を回復していった。

 

就任1年でベーコックを粗方再統一したオッチの次の標的はベーコック東部に存在する中小国であった。これらの国家はヤノサト王国の内乱に乗じて独立したはいいものの、やがて国内で軍閥が割拠するか、もしくは典型的な独裁国家となっていた。

 

東方進出の名目としてオッチは同時期に湧き上がっていた世界的な自由化の流れに着目し、有名無実と化していた議会に自らの子飼いを大量に送り込んだ後に権限を譲渡、自身は新たに議会を代表する宰相に就任することとなった。こうして名目的には民主化を実行したのの、実際の権限は依然としてオッチのままであったが、「民主的な国家が無秩序や弾圧に苦しむ隣国の人民を救う」という大義名分を得たベーコックは精力的な東方進出により6年の内に既存の国土に匹敵する面積の新領土を獲得した。

 

しかしながら周辺国は当然反発し、事あるごとに軍事・経済の両面から抵抗を試みた。軍事的な衝突の数々には毎回勝利したベーコックでだったが、度重なる紛争による疲弊は深刻なまでに国家全体を覆っていった。また、新たに獲得した領土は面積こそ広いものの過酷な地形が多く、その統治コストも領土からの税収に見合うものではないことがほとんどであった。こうした負担も国際貿易の増加に伴う好景気の間は支えられていたがヒヤシンスバブルの破綻により、経済不況に転じるとそれまでの歪みが各地で表に現れ始めた。こうした中でオッチによって任命された議員の中でも赤青両商家出身の議員と共謀し、公に政策批判を行う者も現れた。

 

DT.117年、ついに議会や両商家からの圧力を庇いきれなくなったチチン1世は対ラッセィーア遠征の戦勝報告のために謁見したオッチに対して任期満了による宰相の勇退と名誉職への昇格を打診、オッチは無言で了承し、議会へ後任の選出を委託した。

5.衰退期

オッチが一線から退いた後は短命政権が続いた。新政権のマチミットは対外方針を一新し善隣外交を推進、その甲斐あって世界商人協会本部の誘致に成功するも、経済政策は失敗に終わり辞任を余儀なくされる。その後の各政権もオッチの残した機構が次々と時代遅れとなり硬直化していく中で各方面でじわじわと後退を続け、その影響力を失っていくこととなった。

 

こうした中で急速に影響力を伸ばしたのが既存秩序の否定と真なる多数派のための政治を訴えるドナルドであった。ドナルドは既得権益の解体を声高に主張し、民衆の大きな喝采を得ていたが、チチン1世の存命時には国王自身の徹底的な無視もあって実際に権力を得るところまでは行かなかった。

 

DT.130年にチチン1世が薨去すると王バーマー(赤色出身)が議会に選出され即位した。新王は万人に愛される国王を目指し、和解を目指してドナルドに代表される新興勢力との対話も積極的に行ったが、このことは結果としてドナルドを有力な政治勢力の一つと国中に認めさせることになった。

6.革命

その後もドナルドは勢力の拡大を続け、DT.135年には議会によって宰相に選出される。これは議会において青の商家に押されていた赤の商家の協力があってのことであった。彼らはドナルドを名目上の宰相に押さえ込むつもりだったがドナルドは一枚上手だった。得意の演説によって赤の商家の若手衆の心をガッチリ掴み扇動することに成功、既存の赤の商家の幹部を失脚させ、赤の商家自体を自らに忠誠を誓う支持基盤に変えてしまったのである。

 

こうして民間、議会両面の多数派を押さえたドナルドは遂に国王への攻撃を開始する。国王が主宰する建国100年祭の予算が不当に高く、その大半が国外に流れて国王の隠し資産になっていると中傷したのである。これは事実無根なものであったが、当時日照りによる食糧価格高騰に不満を持っていた国民は国王へ憤怒を募らせた。

 

そしてついに破局が訪れた。DT.137年、議会に入ったドナルドに向かって暴漢が剣を持って斬りかかり、ボディーガード一人が犠牲となった。暴漢はその場で殺害されたが、ドナルドは即座に国王の刺客だと断定し、自らの親衛隊を王宮に突入させ国王を拘束した。同時に軍の若手将校を呼び集め、高級将校を含む国王支持者と思わしき人物の予防拘禁を指示した。不意をつかれた国王やその一派はなす術もなく屈服し、ほぼ無血のまま革命の第一弾は終わった。

 

国王やその支持者の裁判は議会で行われたが周囲をドナルドの親衛隊が取り囲む異様な雰囲気の中で開催され、国王は僅か3票差で死刑が確定した。

革命と国王の処刑という衝撃的なニュースはすぐに世界へと広まり、北海帝国やヤノサト王国では干渉戦争が計画されたが、互いの条件が折り合わず頓挫、事実上黙認の形となった。

7.現在

革命の後、ドナルドはベーコックの初代国王の意思を継ぐという意図を込めドナルド2世として盛大な即位式を行った。(他国はドナルドをベーコックの代表とは認めているが国王とは認めていない)

現在は数度の粛清の結果、国内に表立った反抗を示すものはおらず、ドナルド2世とそれを支えるヨーダに代表されるネオセブン計8人による最高幹部会議が統治機構を掌握している。

 

ドナルドに反対する人々は国内外に存在するがその中でも「青の商家派」「赤の商家旧主流派」「スターフィールド系ジャマーン派」「オッチ派(現在フローストの私邸に軟禁状態)」などの派閥に別れ、統一した行動は取れていない。