ラッシィーアの歴史

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ラッシィーアの歴史

 

ラッシィーア連邦の建国はDT.126年であり大陸の他の国と比較的して新興国といえる。

・三行で

1.元々多くの部族と商人たちの植民都市が争っていた土地だったよ

2.外部からきたラッシィーア狂男爵が統一したよ

3.その死後グルジアーン大統領が独裁統治してるよ

1.部族と植民者

建国以前、この地域はピャクブと呼ばれており多数の部族が村ごとに別れ住んでいた。重要な問題は2年に1度の祝祭と同時に開催される部族会議で審議され、祭りの終わりに催される神誓いの儀によって決議の遵守を互いに約束していた。

 

DT.50年以降北方より来た商人の一行が沿岸部に都市を築き始めると、しばらくは交易を行う友好的な関係であったが文化の違いにより次第に関係は悪化、DT.78年に部族会議は聖戦の開始を決議することとなった。部族連合の兵によっていくつかの植民都市が焼き討ちされると、植民都市側も聖戦に対抗しモシクワを中心とした都市連合を設立、傭兵を呼び寄せて防備を固めた。

 

戦況が膠着状態になると、部族の中にも交易や略奪によって得た宝物から北方の文化を受け入れ始めたものも現れた。こうした部族は次第に部族の長を実力主義で選ぶようになり、部族会議の決議も無視するようになったため、保守的な部族との対立を招いた。

 

DT.90年代以降紛争の様相は変化し、都市連合に協力する部族や、都市連合から離反し部族会議に協力する傭兵団などが現れ、混沌とした情勢が長く続いた。こうした中で植民都市の住民と沿岸部の部族の間で混血が進み独自の文化が形成されるに至った。

2.狂男爵時代

DT.105年、転機は北方より現れた。当時内乱中のベーコックを転戦していたラッシィーア狂男爵はベーコック内での闘争に勝ち目のないことを悟ると、今まで未開の地と見られてきた南方へと目を向けた。

上陸した時僅か300余名の勢力でしかなかった狂男爵は、北方より持ち込んだ財宝や最新装備、硬軟織り混ぜた説得工作などによって瞬く間に一大勢力へと成長した。永らく続く紛争に嫌気がさした人民は一つの統一された国家を望んでいた。そしてDT108年、ついに最後の抵抗拠点となっていたモシクワに入城しピャクブ全ての植民都市・部族による連合国家の樹立を宣言した。

 

狂男爵はモシクワを正式に首都に設定し、各都市各部族の代表者からなる元老院を設置し統治にあたったが、地方勢力はあくまでに内戦終結のため便宜的に支持しただけで自分たちの権益を譲ろうとはしなかった。こうした地方勢力への対抗として狂男爵は北方の内乱によって生じた難民を積極的に受け入れ、紛争中に全滅した部族の土地を与え植民都市を創設していった。こうして確固とした支持基盤を確立した狂男爵は方々で起こる反乱に悩まされながらも、ある時は買収、ある時は徹底弾圧と手法を使い分け、国家における自身の影響力が及ぶ範囲を広げていった。

 

しかし難民の受け入れは一方で狂男爵に試練をもたらすことにもなった。DT.115年、ベーコックは亡命した政治犯の引き渡しを求め侵攻を開始、狂男爵軍は緒戦で大敗を喫し、一時はモシクワを失う大損害を被った。こうした苦境はベーコックに協力する部族を生む一方で残った都市・部族が一つの国家であるという連帯感を生じさせることとなった。

DT.117年以降狂男爵軍は反攻に転じ各地でベーコック軍を撃破、失地の回復に成功する。こうして外敵を退けた狂男爵はいよいよ全土を真の意味で統一するかに見えた。

3.グルジアーンの権力掌握

DT.121年、狂男爵はベーコック軍の侵入に呼応して反乱を起こし未だ抵抗を続けていた小部族を討伐する最中に流れ矢に当たり戦死した。動揺する討伐軍の中から現れ、動揺を鎮めたのがグルジアーンであった。彼は一兵卒からの叩き上げで狂男爵の信任を受け軍の高官にまで登り詰めてた人物である。グルジアーンは討伐軍を支配下に置くと狂男爵の死を隠しモシクワに凱旋、直ちにに首都を封鎖し戒厳令を敷いた。こうして後継者レースのライバルを出し抜いたグルジアーンは元老院から新設の大統領職に任命され、狂男爵の権限を引き継いだ。

 

大統領に就任したグルジアーンは当初融和政策による統治を推し進めているのように装った。後継者レースの政敵も既存の地位を保証し、反乱を起こしていた各部族の罪を不問にして早期決着を図った。こうして時間を稼ぐ間に軍の支持を確実のものとし、側近からなる秘密警察組織を拡充させていた。

4.大粛清から現代

大統領に就任してから4年経ったDT.126年、グルジアーンはこれまでただ「連邦」とのみ呼ばれていた国名を正式に「ラッシィーア連邦」と定め、新しい国名を祝う盛大な祝祭を首都で開催し、国内の有力者を招いた。これが以前から企てていた大粛清の始まりであった。大宴会の最中に突入した秘密警察は狂男爵の統一以降に反乱を起こした経験のある部族有力者全てを含む政敵リストに載った人物を殺害し、それら部族にも軍の部隊を送り制圧、その後に徹底的な弾圧をおこなった。

何度か続いた粛清によって反抗を完全に抑えつけたグルジアーンは国中に密告制度を設け国民に相互監視をさせた。こうして独裁的な権力を手中に収めたグルジアーンは20年以上に渡って国のトップに君臨し、強硬な「近代化政策」を推し進めている。しかし近年内陸部において古代社会への回帰を訴える秘密結社が部族社会を中心に浸透しているらしい。今後のラッシィーア情勢に注目である。