ナメクジたる生き方 一巻

目がないものは幸せである　　あなたには耳がある

親のないものは幸せである　　あなたには友が居る

悲しむものは幸せである　　　あなたは慰められる

ナメクジに生まれたものは　　詰んでる　　　　　　　　　　　　　　　　　（聖書：5ch　第六章引用）

 

 

 

私はナメクジである、理由も切欠も説得力のある説明もない

これを読んでいる君が何を考えるまでもなく、君として生まれ落ちて乳を飲んでいたのと同じことだ

私も気が付けば母なのか父なのか分からない両性具有の親が産み落とし

奇跡的に鳥にも食われず、塩も掛けられずに今日まで針に糸を通し続けるようにして生きてきた。

 

知らぬ人はいないだろうが、ナメクジというのは総じて虚弱生命体

知能は低く、醜く、力もなく、得意とできる何か特殊な能力などがあるわけでもない。

そんなだからモンスターに襲われる、馬に蹴られるという常人でも死ぬ事故はおろか

鳥につつかれる、潮風に当たる、強風が吹いて乾燥する、塩を掛けられる

といった、日常の中で誰でも体験しうる些細なダメージでもれっきとした死因となりかねない。

 

そんな私が辛うじてでも生きていられるのは、ひとえに警戒心がナメクジ一倍強かったからに他ならない

立ち向かうことはしなかった、かといって現実逃避もしなかった

立ち向かえば死ぬし、現実逃避をすれば何だかんだで結局死ぬ

無謀になれず、かといって諦めもしない、私は齢２０にして悟りを開いていた。

 

この頃から私には、私に塩を掛けてくる人間にどういった特徴があるのか、何故か理解することができた

これは私に対してナメクジとして生きていくという過酷な運命を強いた神が与えた最後の恩情であったのかもしれない。

なんにせよ、そう言った特異体質のお陰で判明したのは、農家・料理人・清掃員

といった職業についている人間は、まるで何かに操られているかのように塩を投げてくることが分かった。

 

それゆえに農家が多い農地やそれに隣接する町はなるべく離れ、清掃員が入りびたる施設や料理人の居る

レストランなどには絶対に近づかないことを心掛けた

のどかな田園が　ゴミ一つ落ちていない景観が　腕のいい料理人の居る洒落た軽食屋が文字通り地獄絵図に

変わる、対して世間一般では避けられるスラムや山奥が私にとっては天国に他ならないのである。

 

とはいっても、それは安全を手にしたとは言い難い

結局のところ私は塩を掛けられなくなった所でようやくスタートラインの万歩後ろに辿りつけたに

過ぎないのだから。

 

下積み期間は非常に長かった、まず乗馬を覚え、魔法を覚え、弓術を覚えた

私の足は文字通りナメクジだが、馬を駆れば人よりも機敏に動くことが出来る

最初は老いた老馬を買い、そこら辺の駄馬を手懐け、今は知る人ぞ知る名馬に乗っている

自慢に聞こえるかもしれないが、いや取り繕うのはやめよう、まったくもって自慢だ

私は名馬を買えるほどに裕福に成りあがった

魅力も交渉能力も乏しい中で、私は交渉術を磨き上げ、弓と魔法と、馬術を鍛えて一般人には負けぬようになった、今では上級魔物であっても大抵勝てる。

 

とはいっても孤独はいかんともしがたい、私が乗っている馬は慰めにはなっても

やはり何と言うかもう少し、意思疎通がしたいものである

スラム街の面面はどいつもこいつも信用というものに値する連中ではないのだ

口ではナメクジ大名なんて呼んでいるが、きっと風になびく程度の札を積まれれば私に刃を突き立てるに違いない。

もっとも刃物で襲ってきても一射にして眉間を撃ちぬいてやるが。

 

そんな折である、私を付きまとう奴が現れたのは

私がいつものように馬を駆り、ヤノサト王国方面へと向かっていた

というのも変装ができるのでそこらの店に入るまでに塩を掛けられることはなくなり

町を散策することは私にとって特に危険ではなくなっていたのだ。

 

そうして幾刻か走っていると、急に大雨に降られてしまった

雨が降ればナメクジの血は騒ぐが、私の命より…命の次に大切な駿馬が濡れては大変だ

風邪でもひかれれば足止めになる、こういう時は素直に少しのロスを取ってデカいミスを避けるべきなのだ。

 

私は雷を伴って降りしきる雨を横目に、携帯式の魔法拡張型テントと屋根付きの馬屋を取り出して魔法を込める

手のひらサイズのミニチェアだった家は大きくなり、ちょっとした小屋ほどの大きさになった

これも普通の家ならば何軒も建つほどの金を投じて作り上げた、魔力を込める事によって大きさを調節できる

ログハウス型のテントだ、これには愛馬と共に幾度も助けられた。

 

テント内で荷物を乾かしながら備え付けの椅子に座っていると、急な眠気を覚えた

窓から外を見る。

まだ土砂降りだ、これはもうしばらくは降りやまないだろう

馬も疲れているようだし寝ても損はないだろう、どうせ起きていても雨がやむまでは動けない

そうして私は誘われるようにベッドに横たわると、自分でも聞こえるような寝息を立てて寝入った。

 

ふと妙な青臭さを覚えて目を覚ます

頬にくすぐったさを覚えて身を捩るが、何かは私の頬をくすぐり続けた

目を開けるとそこには、見覚えのない少女がそこに立って頬を舐めていた。

 

慌てて立ち上がるが、依然として舌を出して私を舐めようとしてくる見覚えのない少女…いや、知っている

こいつは鬼百合・またはそれに似た鬼百合もどきだ

こうして眠っている生き物を小さい舌と唾液代わりに分泌される消化液で舐めとり溶かして捕食する性質がある

もっとも虚弱生物のナメクジである私すら溶かせないのでは酸の濃度はお察しだろう

実際小さな昆虫を主に捕食していて、しかもカブトムシのように大きくて硬い甲虫は溶かせずに捨ててしまうという。

 

そもそも私を捕食しようとする（こいつに限っては絶対できないが）生き物は入れないように結界を張ったはずだが

なぜ入れているのだろうか？術式は問題ないはずだが

そうして今先ほどまでやられていたことを思い出す、なるほど…結界にすら脅威とみなされていないのか。

（何で果敢にも私を捕食しようとしたんだこいつは）

 

とはいえここに居られると面倒なので私は威嚇行為として力を見せた

一般的に覇気とか威圧感とか言われてるあれだ、不必要な戦闘をしないための警告行動

お前より強いんだという事を見せつける事によって相手を退散させる我々が畜生だったころからの知恵だ

私のそれは猛獣の牙を抜き百戦錬磨の武士共をも退散させる程、当然目の前の小娘も私を恐れて腰を抜かす。

 

これでいい、さてもうひと眠り…

しようとしたところを何かが私の視界を掠めたので咄嗟に魔法で跳ね返してしまった

そして自分が相手に反射したものが鬼百合の花の一部であることに気が付いてハッとした。

 

鬼百合という魔物にはある生態があり、それはプロポーズの時に自分の花を投げつけるという物で

それを受け取らなければ拒否、相手に花を返せば承諾という事になる

その際返ってくるまでの速度が早ければ早い程プロポーズに対しての本気度が強いという事になっているらしいが

私のこれはどうだろう、投げてからコンマ数秒、常人には目視できないほどの速度で返した花

あろうことか鬼百合の掌に収まっている、奴にとってはさぞ熱烈な恋文に見えたことだろう。

こいつの目の輝きようを見ればどういう風に伝わったのかありありと分かる

 

（野生においては強さこそ最も誇るべき要素であり、異性に対しての強力なアピールポイントとなり得る by高名な動物学者）

どこかで見た動物学者の一言を頭で反芻しながら。

ああ、こいつは例によって私に一生付きまとってくるんだろうなぁ、そう思った。

 

 

第一巻　完