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Part864-392 可愛い奥様 sage 2007/05/09(水) 10:30:16 ID:FQfsCGUw0
>>378
妃殿下は右も左も分からない皇室で、周りの人々の意見を真摯に求められました。
ご自分の着るドレスであっても、お好みのデザインやお色をご希望なさらず、
粛々と女官が用意したものに袖を通されたのです。
しかし、日頃から「エリート」「庶民の出」と冷たい目で見ていたお付の者達が
用意したドレスは、白のドレスでした。
泣く泣く着用された雅子様ですが、披露宴の会場で他のお妃様方との違いに大変驚かれ、
また他の出席者達からの嘲笑に耐え切れず、紀宮様の披露宴を抜け出しました。
そしてベッドに身を投げられ、ただただ、号泣されたのです。
それでも雅子様は、その罪をご自分でお被りになって、女官達を庇われたのです。
Part865-809 可愛い奥様 sage 2007/05/10(木) 12:53:09 ID:z2lGZOZK0
ここでは雅子さんが真似した!と推定されてるけど、
友脳や雅子擁護の人にかかったら
「重要な席で、同席相手と同じような服装を準備されるという嫌がらせが続いたのです。
そんなときも雅子様は負けるものかと無理に笑顔をおつくりになって・・・。
でもそういったことの繰り返しで雅子様は重要な式典に出席しようとすると
フラッシュバックを起こしてしまうようになったのです。(赤十字等欠席の言い訳にもなる)」
とか勝手に話を作りそうでイヤだ。
Part872-628 可愛い奥様 sage 2007/05/16(水) 14:22:54 ID:n+THLBhx0
>>578
友脳先生ならこう擁護されるかも。
「実は97年のミレナリオこそ雅子様がフラッシュ恐怖症になられた原因でした。
以前からカメラのフラッシュに苦手意識を持たれながらも
忍耐強く、周囲への気遣いを最優先される妃殿下は苦しみを押し隠し笑顔で耐えられておられました。
しかし、ある時雅子様がフラッシュが苦手だと知った側近が
ミレナリオに妃殿下をお連れしてフラッシュへの苦手意識克服するという
途方も無い荒療治を強引に推し進めたのです。
妃殿下はミレナリオ自体に恐怖を抱かれただけでなく
お忍びで人込みの中に行く事で国民や警備担当者にも多大な迷惑が掛かると頑なに拒否されました。
しかし、妃殿下は側近の自分を案じる心に打たれ、ついにその無謀な治療を承諾されてしまったのです。
ミレナリオ療法は結果的に失敗でした。
しかし、妃殿下は側近を庇い続け現在もフラッシュバックと闘いながらミレナリオ療法を続けられておられます。
こうしていつも妃殿下は周囲への気遣いの為にご自分を犠牲にしてしまわれるのです」
Part966-851 可愛い奥様 sage 2007/09/10(月) 14:36:00 ID:L/l7LUdT0
友脳風に考えてみた。
「ラクダと言えば、中東の動物である。
今までの雅子さまであれば、ラクダを見たとたんに、以前ご訪問された
中東の国々と、そこで行った華麗なる外交の光景を思い出し
フラッシュバックの発作に襲われていたことだろう。
だが、昨年のオランダでのご静養は、雅子さまに確かな自信を植え付けた。
ラクダを見た瞬間、確かに雅子さまは一瞬中東ご訪問を思い出し、発作を
起こしそうになったのだが、そこであえて踏みとどまり、ラクダへの騎乗をご所望なさったのだ。
ラクダに乗って、満面の笑みを浮かべる雅子さま。
それは、オランダ静養の甲斐あって、一つ一つ過去の心の傷を癒しつつ
ご回復への道を歩いて行く、すばらしい笑顔であった」
Part995-475 可愛い奥様 sage 2007/09/09(日) 12:10:30 ID:0AZOL28sO
友膿ファンなので文芸春秋が楽しみでならない。
「ご自分に厳しい雅子妃は祭祀のしきたりを完璧にこなそうとするあまり
緊張で硬直するようになってしまわれた。
ご自分を責める雅子さまを慰めたかのが動物とのふれあい。
愛犬や乗馬に癒された雅子さまは
家族の触れ合いの場である那須静養でも
やがて来る復帰の日にむけた鍛練を欠かさなかった。
人目を苦手とする雅子さまが自ら率先してメリーゴーランドに跨がられた時には
警備陣からも驚きの声があがったという。
雅子さまは魚をくわえた猫上でもラクダ上でもギャラリーへの笑みとお手振りをかかさなかった。
これこそ国民への雅子さまからのプレゼントではないだろうか。
雅子さまのご様子に早くも公務完全復帰をのぞむ声があがっているが
心ない人にはラクダのコブをなでまわすことでみずからを鼓舞していた雅子さまの繊細な御心が伝わらないのだ。
そこに雅子妃の悲劇がある」
くらいはかましてほしい。
Part1025-117 可愛い奥様 sage 2007/10/02(火) 17:26:36 ID:VKWRfUXv0
そういえば雅子様は冬の屋外の法事も負担なんだよね。
130 可愛い奥様 sage 2007/10/02(火) 17:35:06 ID:OXEN+NZi0
>>117
雅子様が冬の屋外行事をお避けになられたのは、
ワガママと多くから誤解されましたが、
決してそのようなものではありませんでした。
それは、冬の吹き荒ぶ空っ風で、万一皇太子様のおつむりに事故があっては、
と何事も皇太子様を一番にお考えになる雅子様のお心遣いでした。
自身がワガママと誹られる事も辞さず、
皇太子様のおつむりをお守りしようという、尊い自己犠牲だったのです。
Part1033-375 可愛い奥様 sage 2007/10/12(金) 09:55:27 ID:VgNSZvD+0
友脳風味に挑戦
愛子さまが東宮御所内で職員たちの挨拶に反応しないという記事が出た。
幼い子供に対してこのような記事を書く輩が居ることに腹立ちを憶えつつこの原稿を書いている。
大人顔負けの利発さをみせられる愛子さまは今、自分の立場、また周囲の、
自分や親である両殿下に対する態度などについて苦悩の連続なのだ。
将来の自分の立場がはっきりしないことについて両殿下が日々悩まれていることは
愛子さまが一番近くでご覧になっている。
そして東宮御所の女官や職員たちが、そんな両殿下、特に療養中の雅子さまについての
プライベートな情報をマスコミに流しているのではという不信感はご家族三人に広がり、未だぬぐいきれない。
平均よりもはるかに成長の早い愛子さまといえどまだ5歳、
そういったお苦しみが歪んだ形で現れてしまっているのが
「挨拶を返せない、そっぽを向く、無反応」という現状ではないだろうか。
幼い自分ではどうしようも出来ない、お父様お母様を守って差し上げられない、
そんな愛子さまの心の叫びが御用地内にこだましているような気がしてならない。
しかしそのお気持ちをひた隠しにして、同じく上辺では何事も無いようなふりで
接してくれる職員たちの世話を受ける愛子さま。
今日も、まだ寝ている「お母様」の部屋のドアを見やりながら、気遣うようにそっとした足取りで
皇太子さまや女官、養育係の待つダイニングルームへ向かう。
Part1037-362 可愛い奥様 sage 2007/10/16(火) 17:45:21 ID:LQva2ihk0
ブラジルの方が物理的に遠いけど、ブラジルには行かないのにスペインへは
行ったとなったらまずいでしょう。特に日系人のお祝いには行けないのに
遊びになら行けるって。
367 可愛い奥様 sage 2007/10/16(火) 17:51:15 ID:Qn94Ezos0
>>362
将来皇室を背負っていかなければならない愛子ちゃんに、
必要な経験をお与えになるために、
ご自分が誹られるのを覚悟の上で、雅子様はスペインに向われたのでした。
それは、決してご自分の楽しみのための浮ついたものではなく、
愛娘を、そして皇室の将来を思っての、尊い自己犠牲のお心から出た
スペイン行きだったのです。
Part1040-765 可愛い奥様 sage 2007/10/19(金) 22:26:58 ID:pzV69Qem0
>>740
雅子妃は、静養や私的外出の日には、比較的ストレスが少ないため、顔色も良く、体にも力が入る状態に
なれるのだが、大事な公務の日には、「最後まできちんとやり通さねば」という大きなプレッシャーが
知らず知らずのうちに体と心にのしかかるため、気がつくと頭痛、顔のこわばり、足のすくみといった
症状が出て、はなはだ不本意ながらも公務をドタキャンせざるを得ないことが、もう何度も続いたという。
『妃殿下は、本来ならば御自分が果たさなければならない公務を果たせないやるせなさ、未だ幼い悠仁さまを
抱えられた秋篠宮ご夫妻が公務を代行してくださっていることに対する申し訳なさから、毎日ご自分を責めて
おいでなのです。それでも、周囲に気を使われる方ですから、お部屋を一歩出れば、必死に笑顔を作ろうと
なさるのです』(東宮関係者)
そうして、思い通りにならぬ体に鞭を打ち、病気と格闘してこられた雅子妃だが、最近は那須静養、愛子様の
行事など、楽しさと安らぎを感じられる出来事が続き、また少しずつ病状に光が見えてきた矢先だった。
皇后陛下が、例年通りお誕生日回答文書を出されたのだが、そこに記されていた言葉は、これまでの厳しいながらも
温かさのこもった雅子妃への気遣いとは程遠いものだった。
『皇后様のお言葉は、まるで雅子様がそこにいらっしゃらないかのようでした。読み方によっては、もうこんな
人はうちの嫁ではありません、とでも言いたげな・・・あるいは、これを契機に奮起しなさい、という励ましの意味で
書かれたのかもしれません。でも、未だご病気の回復途上で、何よりも周囲の理解と支えとを必要としている時期の雅子様にとって、あのお言葉は苛酷だったのではないでしょうか』(ある皇室記者)
皇后様の発表文書に大変な衝撃を受けられた雅子妃は、そのまま部屋に閉じこもっておしまいになり、お誕生日の
夕食会にも顔を出されなかったと言う。
以上、友納先生風味にまとめてみました。
Part1049-234 可愛い奥様 sage 2007/10/30(火) 11:06:13 ID:G2PrmbENO
友脳女史なら
「面やつれした姿で国民に心配をかけまいと車中でそっと鏡をチェックされる妃殿下に
皇太子さまは力づけるように微笑まれました」
くらいはかますでしょう!
237 可愛い奥様 sage 2007/10/30(火) 11:21:51 ID:WRGr/DH00
友脳先生風に描写するとこんな感じ?
「愛子さまはお土産の藍染めスカーフを見て歓声を上げられ
「いつか愛子もこのスカーフを巻いて
お母様みたいに素敵なレディになれる日が来るかしら?」と可愛らしい様子でおっしゃいました。
「ええ、きっと」何度も力強く嬉しそうに頷く雅子さま。
皇太子様は側でその様子を優しく包み込むような眼差しで見守られているのでした」
245 可愛い奥様 sage 2007/10/30(火) 11:30:42 ID:vSRSEwBT0
>>237
>「ええ、きっと」何度も力強く嬉しそうに頷く雅子さま。
東宮御所の高い天井に、ふたりの高らかな笑い声が響き渡った。
きっと。きっと、ふたりで世界に輝きましょう。できるわね。ええ、きっと、お母様!
>皇太子様は側でその様子を優しく包み込むような眼差しで見守られているのでした」
このぐらい無意味なドラマチック修飾のごり押しがほしい。
とものーならできる。
Part1352-483 可愛い奥様 sage 2008/10/19(日) 23:45:40 ID:Nbvx6nmB0
友納風味1/2
「ああ、まただわ」。
午後11時45分。皇太子さまも愛子さまも就寝されてからだいぶ時間が経っている。
雅子妃は思い通りにならないご自分の体調を嘆きながら起き上がり、愛子さまを起こさないようにと注意を払いながらそっと部屋を出ていく。玄関から外へ。そして御用地の木々の間をさまよう―。
「『適応障害』といったって要するに怠け病だろう」。そういった意見が世間にあるのは雅子妃もご存知だ。そしてそれは宮中でも例外ではない。
雅子妃とて好きでこのようなご病気になられたわけでは無いのだ、それなのに、あたかも雅子妃が「やりたいことしかしない」かのように解釈され、メディアを介して偽りの情報が世間に広まる。これではご病状は悪化するばかりだ。
その証拠に、不眠の症状はいつにも増して酷くなっている。
484 可愛い奥様 sage 2008/10/19(日) 23:47:40 ID:Nbvx6nmB0
それを何とか解消出来ないものかと、雅子妃は日々、大野医師との
頻繁なカウンセリングを通して色々な方法を試している。深夜のご散策もその一つだ。
皇太子さまや愛子さまを伴っての、外での食事もそうだ。
実母・優美子さんや池田礼子さん一家が加わることもある。
寝る前にリラックスした時間を持つことが出来れば、そのまま快適に入眠出来る筈だと、
レストランでの滞在を延長することもしばしばだ。
それでも、冒頭のように良く眠れずに起き出してしまうこともある。それは、
いかに「公務完全復帰へのプレッシャー」が重くのしかかっているか、ということでもある。
しかし雅子妃はくじけることなく、ご自身の病気と闘っている。
そしてそれは、とりもなおさず「旧態依然とした皇室」との闘いでもあるのだ。
深夜のご散策のお伴をする警護官の一人は言った。
「妃殿下が歩きながら何かおっしゃっているのが時々聞こえます。『アイコ』『アイコ』と。
愛子さまのために頑張らなくてはとご自分に言い聞かせていらっしゃるのかもしれません。
こちらも辛い気持ちになります」
東の空が明らんでくる頃、雅子妃は今晩二本目のワインを飲み終え、ようやく床に就く。
一日も早く復帰したいと、雅子妃ご自身が一番熱心に願っていらっしゃるに違いない。
Part1383-151 可愛い奥様 sage 2008/11/10(月) 14:49:23 ID:22nL9kiv0
そしてカーティシーへの批判について、友脳が後日擁護するとしたら…w
「実は雅子さまは、適応障害の治療によっておこる体重の増加のため、
昨年の暮れくらいから、膝を痛めておられて、公務に出るのはさらにお辛い状態でした。
しかし、今回の歓迎行事は、短い時間と言う事もあり、その壊れそうなガラスの膝で、
カーティシーを何度もなさいました。
しかし、どうしても膝に負担がかかるので動作はゆっくりとはできず、優雅な所作とは
ならなかったことで、雅子さまに批判が集中したのは皮肉な結果でした」
Part2699-214 可愛い奥様 sage 2013/11/29(金) 12:13:44.60 ID:nXa2mcrh0
>>207
グッチも雅子の感覚では「ファッショニスタ・愛子さま」とマスコミが絶賛予定だったのよw
「この夏、祖父母である小和田夫妻から海外土産に春夏最新のグッチのバッグを贈られた愛子さまは
『グランパとグランマからもらったのよ!』と嬉しそうに自慢され、東宮御所内で片時も離さなかったという。
そんな愛子さまのご様子に、もう来年は中学生だし、愛子もそろそろ海外の一流ブランドに触れさせるべきと
お考えだった雅子さまも、良いきっかけになればと賛同され、プライベートな場所でだけ持つ事をお許しに。
一般ならプレゼントを子供は祖父母から贈られて当然であり、それを身に着け非難される事などない。
しかし、そんな愛子さまの純真なお心を知らぬマスコミから、心無いグッチ・バッシングを受け、
雅子さまは復調していたご体調が悪化し、バーキンを抱えて寝込まれてしまったという。」
友脳さん、期待してますw
Part2701-910 可愛い奥様 sage 2013/12/03(火) 21:38:32.79 ID:HZEu586R0
こんな記事が出そうw (★この記事はフィクションです)
《週刊売春 盗撮トモノー寄稿 皇室評論家小林氏も太鼓判を押す
雅子様も思わず聞き入った 愛子様の外交的卓見》
12月3日天皇陛下代行の皇太子に対し米国のバイデン副大統領が
表敬訪問のため東宮御所を訪れた。
この時皇太子妃雅子様のお姿が無かったことを国民の皆様は
不思議に思ったことだろう。
それにはこんな意外な出来事があったのだ。
優秀伝説[|学習院初等科のダントツの最優秀児
元女体盗撮カメラマンであり、フリージャーナリストを生業とする友納尚子(結婚後の本名は鈴木尚子?)のこと。御一行様スレでは「友脳」「友膿」と表記されることもある。現在小和田家&東宮家お抱えライターのようなものであり、雅子妃マンセー記事を生み出すことが主な仕事の一つであると見られる。
近年の目立つ活動として『週刊文春』でのプリババこと「ザ・プリンセス雅子妃物語」の執筆連載があり、「雅子妃の物語・伝記・正史w」を美談で埋め尽くし、不都合な事実は情報操作でもって黒歴史として葬り去るのが使命なのだろうと察せられる。
『週刊サンケイ』1983年2月24日号<「SEXYフォーカス」編集長と、日本女子大出身「男性研究家」の怪気炎オトコの“調教”には嫉妬心の刺激がいちばんヨ!> 友納尚子・田島尚子・小暮祐子座談記事の人物紹介より引用 友納尚子 21歳(司会)●『SEXYフォーカス』=女風呂、女子トイレなどの盗み撮り写真を集めた月刊誌=の編集長兼カメラマン。青山学院大学を3か月で中退、女子大生パブ、銀座クラブをへて自動販売機用のポルノ本ライターとなる。 |
『雅子妃の明日』文藝春秋2006年7月15日発行、奥付より引用 友納尚子(とものう・なおこ) 一九六一年生まれ。新聞・雑誌記者を経て二年前に独立。フリージャーナリストとなる。社会事件、北朝鮮問題など幅広いテーマで活躍している。本書はノンフィクション作品として、第一作目となる。 |
上記奥付では書かれていない情報を補足すると、昭和36年(1961年)4月生まれ、大阪出身の東京育ち、青山学院大学法学部中退である。
「本書=『雅子妃の明日』はノンフィクション作品として、第一作目」と言い張っているが、20年以上前の1982年に浜書房より出版された『アダルト写真術 覗き Part5』という女性の裸体をいかに隠し撮りするかということについての著書が存在する。フィクションとの断り書きはついていないため、これが友納尚子ノンフィクション作品としての“真の第一作目”と考えるのが妥当であろうと思われる。20年以上前のその当時は女体の隠し撮りカメラマンをやっていたことが、当時彼女自身が編集長を務め発行していた雑誌『セクシーフォーカス』等からも確認できる(後掲)。
また『雅子妃の明日』奥付にも記載があるように、何故か北朝鮮絡みの仕事もしているようである。雅子擁護派には「出身成分」「銃爆弾」といった北朝鮮にしかない単語を使う人間が存在しており、また大野裕医師も北朝鮮NGOと関わりがあると週刊誌記事に書かれるなど、偶然にしても北絡みが過ぎるところがある。是非友納尚子センセーにはこの謎も大いに解き明かしていただきたいものである。
更には朝鮮人従軍慰安婦強制連行を主張する記事も『セクシーフォーカス』時代に執筆しているなど、友納の背景には興味深いポイントが満載である。
週刊サンケイ1983年2月24日号「SEXYフォーカス」編集長と、日本女子大出身「男性研究家」の怪気炎オトコの“調教”には嫉妬心の刺激がいちばんヨ! 友納尚子(司会)・田島尚子・小暮祐子 マスコミ業界的には何の実績もないのに、いきなりの司会起用であるところが注目される。 |
漫画娯楽館1983年2月増刊号 Sexyフォーカス(東京三世社) 風俗ライター友納尚子責任編集 表紙・表紙裏前書き・目次 編集前記・オートカメラは生の人間が写る pp.12-14 ハワイ、ヤルパック6発7日コース女子大生OLたちのココマタの初夢とは!?【人種差別意識が露骨な記事】 pp.80-81 編集長ナオチャンマンvsさんまブラックデビルビショビショ光線をうけてみよ!!(明石家さんまと友納尚子の対面グラビア) |
写真時代1983年3月号(白夜書房)pp.99-103 女風呂を盗み撮りする21歳の美人カメラマン聞き手:岡部佳枝 |
セクシーフォーカス1983年4月創刊号~7月号(東京三世社) 僅か4号のみ発行しただけで7月号を最後に何故か「名物編集長」が突然降板、同誌から離れる。 1983年4月創刊号表紙・表紙裏前書き・目次 編集前記 人間の女が生んだ玉子をにぎりしめていた中年男首筋を走り抜ける早朝の風に取り残された大地の叫びを聞いた 1983年7月号表紙・目次 |
月刊マザーMAZAR1983年7月創刊号(群雄社)pp.97-99 異端の天才政治学者・小室直樹が、独身50年の性事哲学を開陳する!? 構成・梅林敏彦何故かセクシーフォーカス編集長友納尚子が急遽聞き役として隣席。小室氏と抱き合いキスする姿や、押し倒される姿を写真に撮らせ掲載。 |
スーパー変態マガジン 月刊Billy(ビリー) 1983年9月号世界に広げヨー へんたいのワッ!(新連載) なぎら健壱VS友納尚子 ビニ本は唄なんだ!! |
ビデオ・ザ・ワールド 1983年11月創刊号友納尚子の「新宿つれづれ日記」第1回 1984年1月第2号と4月第3号表紙・目次、友納尚子連載についての記録皆無 |
平凡パンチ1984年頃関わる。 |
ポップティーン1984年頃関わる。 |
GALS CITY(ギャルズシティ)1984年~1985年関わる。 |
週刊ゴング1984年5月24日創刊号~1985年頃までコラム「セクシープロレス」連載担当。 1984年内は毎週掲載だったが、1985年に入ってからは二宮清純「プロレス熱中時代」と隔週交代となる。 |
朝日ジャーナルAsahi Journal 1985年3月22日号今週はワタシ 団塊の世代の“思い入れアメーバ”が嫌い |
創-つくる-The Tsukuru 1985年8月号現代の“性”の実態を追う――“近親相姦”をアッケラカンと語る中・高生たち |
週刊現代1988年4月9日号にんげんドキュメント連載15永倉万治・連載10本若者文化の“人気語り部”は青春をアマレス、芝居、海外放浪で燃やして |
週刊文春2001年2月22日号総力取材三つの名前を持つ男織原城二 新聞がとても触れられぬ「過去」 |
文藝春秋2001年4月号冷血織原城二沈黙の取調室 |
週刊文春2002年10月17日号決定的証拠公開北朝鮮の嘘李恩恵拉致の夜 不審な交信記録―警察庁マル秘ファイル |
文藝春秋2002年12月号特集「拉致・核開発」深まる謎あなたの隣の北朝鮮工作員 |
週刊文春2003年1月23日号総力特集拉致事件懲りない人々拉致被害者第一号久米裕さん「捜査報告書」は26年前に握りつぶされた!―独占スクープ!国際指名手配・金世鎬捜査の闇 |
文藝春秋2004年4月号世田谷一家惨殺事件、お地蔵さんの謎 |
文藝春秋 2004年7月号 核心証言 雅子妃その悲劇の全真相記事その1 / その2 / その3 / その4 【子供を産める身体】 |
文藝春秋2004年8月号雅子妃と愛子様その沈黙の全真相陰湿な噂や中傷報道の嘘。愛子さまは微笑みながらお歌を父と母に披露した―― |
週刊文春2004年8月12・19日合併号秘話初公開雅子さまが結婚を決意された日「決めたわ」――両親にも詳しく相談せず、自問自答の末、きっぱりと親友に打ち明けるまで。 |
週刊文春2004年12月30日・2005年1月6日新年特大号雅子さまと紀子さま「プリンセスの明暗」 |
文藝春秋2005年1月号サーヤのご結婚その全真相秋篠宮発言と雅子妃の孤独紀宮様ご結婚で変わる平成皇室の「人間模様」 |
文藝春秋2005年2月号伝わらぬご病状の実態皇太子と雅子妃 お二人だけの覚悟 |
週刊文春2005年3月3日号皇太子「人格否定発言」が封印されるまで会見で語られなかったご真意 |
文藝春秋 2006年3月号 「皇室不適応宣言」「離婚説」の全真相 雅子妃その悲痛なる決意記事その1 / その2 / その3 バッシング記事を目にした雅子妃は倒れられた 【ミレナリオ療法】【携帯電話】 |
文藝春秋 2006年4月号 紀子妃ご懐妊の衝撃、そして第二子計画 皇太子と雅子妃苦悩の決断記事その1 / その2 / その3 皇太子は緊張の面持ちで雅子妃に語りかけた―― 【スケート】【プラチナフルート】【長い目】 |
週刊文春2006年7月13日号東奔西走南船北馬徹底追及ワイド/君島十和子・森高千里がはまる「ドルトン式幼稚園」って何? |
文藝春秋 2006年10月号 オランダ静養の全真相 雅子妃「はじける笑顔」の裏側で記事その1 / その2 / その3 【オランダ静養】 |
週刊現代 2006年11月25日号雅子妃「私の本当の気持ち」―オランダ静養後の知られざる素顔ありがとう殿下、ありがとう愛子さま p.41より引用 11日に行われた宮中伝統行事「着袴の儀」では、愛らしい袴姿で碁盤の目の上にお立ちになった愛子さま。5歳をお迎えになるお祝いで、七五三のもとになったとも言われる。・・中略・・ (補足:2006年11月11日着袴の儀の)翌12日、愛子さまの内祝いのため、両陛下をはじめ皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、黒田ご夫妻が久しぶりに勢ぞろいされた。皇太子ご夫妻は両陛下のご理解とご配慮に心から感謝されたという。愛子さまはとても嬉しそうなご様子で、眞子さまや佳子さまとお過ごしになられた。 ※本号は2006年11月13日(月)発売、コンビニなどでは午前0時に並ぶところも珍しくない。発売前日12日内宴の様子を記事にすることは不可能であり、友納尚子は事実を確認せずに記事を書いたものと断定できる。 2011年11月3日、秋篠宮家悠仁親王殿下の「着袴の儀」「深曽木の儀」が行われたが、当日ニュースで碁盤を用いる「深曽木の儀」は男児のみで、礼宮(秋篠宮)以来41年ぶりと大きく報じられた。悠仁殿下が使われた碁盤は、伯父徳仁と父秋篠宮が使われたものとも説明され、内親王である紀宮については記載なし=女児は使用せずと改めて裏打ち。 後に友納尚子が『週刊文春』で長編連載した「ザ・プリンセス雅子妃物語」では、2006年11月11日東宮家愛子内親王着袴の儀そのものを全く記述せず、雅子妃の一人娘愛子内親王にとっての重要な宮中儀式を完全無視するという異様な事態となっている。 |
文藝春秋 2007年4月号 核心リポート 雅子妃その回復を阻むもの 公務直前によみがえる“過去の記憶”に苛まれて……記事その1 / その2 【負担】【フラッシュバック】【マサコズ・ワールド】 |
週刊文春 2007年6月21日号「皇太子手術」で眠れなくなった雅子さまの「不安」 |
文藝春秋 2007年10月号 皇室適応への最終目標 雅子妃が祭祀に復帰する日記事その1 / その2 【復帰】【ピッピとまり】【電車でGO!】【ご進講】【緊張】 |
週刊現代 2008年01月19日新春特別号 ニッポンこうなる/雅子さま「北京五輪ご訪問と公務完全復帰」は |
週刊朝日 2008年3月7日号誕生日会見でも収まらない 陛下と皇太子さま「積年の隔絶」 |
文藝春秋 2008年4月号 核心レポート雅子妃悲運と中傷の渦の中で―衝撃の長官発言が伝えられた時、お二人は…記事その1 / その2 / その3 |
週刊文春 2008年4月24日号<「お言葉が少ない」「笑わない」バッシング報道への苦悩 雅子さま「愛子さま育児日記」 学習院初等科ご入学までのご家族の「絆」友納尚子 ▼入学式での満面の笑みを引き出した雅子さま「魔法の言葉」▼愛子さまが雅子さまに贈った「絵手紙」▼可愛がる八匹のカメに「名前」をつける動物好き>表紙・目次 週刊文春 2008年4月24日号<学習院初等科ご入学までのご家族の「絆」>記事 |
週刊文春 2008年6月12日号雅子さま再び囁かれるご病状―「新聞は読めるようになったけれど…」皇太子ご夫妻の日常 |
週刊朝日2008年6月20日号皇太子夫妻ご成婚15年 雅子さまの病状を悪化させた「3つの過ち」 【産後の肥立ち(後掲)】【私、皇太子妃を辞めます】 |
文藝春秋2008年8月号 皇太子、雅子妃 両殿下への手紙―批判の嵐にさらされる東宮一家。 孤立無援の両殿下は今、何をなすべきか―― なぜ批判がやまないのか(友納尚子)記事その1 / その2 |
週刊文春2008年10月23日号 愛子さま初等科六カ月「全情報」 【愛子の(゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】【プール授業】 また初等科運動会について「妃殿下は朝から(九時ごろ)、運動会参加のため会場入りされていたと聞いてます」と友納は当文春記事に書くものの、『週刊現代』2008/11/1号と『週刊ポスト』2008/10/31号は「マスコミに許可された取材時間(13:40から30分程度)の直前に、外から入ってくる雅子妃を目撃」と記し、見事に真っ向食い違うことに。 |
文藝春秋2009年3月号 雅子妃が昭和天皇に祈った日―千代田と東宮の摩擦のなかで新たな一歩を |
文藝春秋 2009年5月号 平成皇室の行方 雅子妃すべての悲劇の始まり記事その1 / その2 / その3 【化学的流産(後掲)】 |
週刊文春2009年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号 皇太子と雅子さま病いと修羅を越えて 【化学的流産(後掲)】 |
週刊文春2009年8月13・20日号深層レポート「離婚・別居・廃太子」皇太子と雅子さまは何を思われたのか |
週刊朝日2009年10月30日号全真相「井の頭公園バラバラ殺人事件」容疑者が一人も浮上せず! |
週刊文春2009年12月17日号 深層レポート 皇太子殿下を守って差し上げたい 雅子妃の復活 これまで書けなかった全真相 ▼お誕生日ムードを吹っ飛ばした宮内庁長官発言 ▼治療回数は激減。ご進講は欠かさず出席 ▼愛子さま「ご出産」の産後の肥立ちが…… ▼「別居・離婚報道」をどう受け止められたか ▼皇太子、愛子さまに「待つといいことがたくさんありますね」 |
週刊文春 2010年1月14日号 雅子さまが医師団「病状公表」をタメらう理由 注:記事タイトル表記は原文ママ。「ためらう」は「躊躇う」であり、「タメらう」は平仮名が送り仮名と一致せずおかしなことになっている。 |
週刊文春 2010年2月18日号 「医師団発表」ではわからない雅子妃のジレンマ p.27より引用 雅子妃は先月二十七日から三日間連続で東宮御所でのご進講に出席されている。今月八日、九日もご進講とご接見に出られた。行事への連日のご参加は、昨年までほとんど見られなかったことだ。 ※本号は1週間前の木曜2月11日が建国記念日で祝日のため、繰上げで10日発売。雅子が記事発売前日9日接見に出席したなどと記事に書けるわけがないのは明らかである。 |
週刊文春 2010年3月18日号 深層スクープ吐き気と脅え。「お前」呼ばわりの暴言、首をしめられ、下駄箱では後ろから頭をつかまれた――。「暴力」はなぜ見過ごされたのか愛子さまいじめ 学習院の「崩壊」 小誌が掴んだ全情報 記事その1 / 記事その2 後掲「下駄箱」の節を参照のこと。 |
週刊文春 2010年3月18日号学習院よ、何サマのつもりだ-「愛子さまはご家庭で直していただかないと」(後掲) |
週刊文春 2010年6月17日号 『週刊新潮』に猛抗議!東宮で何が起こっているのか 雅子さまご結婚18年目の「正念場」「学校がもっと楽しければいいのにな」愛子さまの解消しない不安 「もはや区立しかない」の声も上がる悲惨な「転校先」選び p.150より引用 【愛子の(゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】 |
週刊文春 2010年8月5日号 愛子さま「おひとり下校」事件-雅子妃と東宮職が蒼ざめた 【ダッシュ】 |
週刊文春 2010年8月26日号総力取材 事件列島「噂の全真相」 初めての海水浴、東京湾花火…愛子さま夏休みのテーマは「外遊び」 |
週刊女性2010年11月2日号不登校騒動から7か月!雅子さまが実感された「ご成長」秘話 愛子さまご自宅で三角ベース中職員のズルに「スポーツマンシップに反します!」発言 p.39より引用 【愛子の(゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】 友納尚子が記述した「三角ベース」エピソードについて、翌週発売の『女性自身』2010/11/9号がそんな事実はまったくない、誤報だと記す。三角ベース話が捏造なら、それと関連する運動会後ビデオを見ながらの愛子発語も同様に捏造の可能性が高いと見て然るべきだろう。 |
週刊文春 2010年12月16日号 <深層レポート>雅子さまはなぜ治らないのか――ご静養からはや7年 |
文藝春秋2011年1月号 雅子妃は愛子さまを甘やかしているのか 週刊女性2010年11月2日号に続き、愛子が言ったされる「スポーツマンシップがありませんね」台詞再登場 |
文藝春秋2011年6月号 雅子妃、被災者とともに回復す-避難所訪問で被災者からの言葉に励まされた 【東日本大震災】 |
週刊文春 2011年10月13日号 完全ドキュメント 愛子さま早朝の涙! 19カ月ぶり「おひとり登校」全内幕 「校外学習」批判で急展開。皇太子、雅子妃に側近は何を告げたのか p.144より引用 <ツッコミどころ> |
週刊朝日2011年11月18日号愛子さまの病室で雅子さまが涙した「涙の理由」 |
文藝春秋2011年12月号 大型企画真相開封35アンタッチャブル事件史 宮内庁 雅子妃「ご懐妊の兆候」は一度ではなかった 【化学的流産(後掲)】【産後の肥立ち(後掲)】 |
文藝春秋2012年1月号 雅子「皇后」は公務に耐えられるのか 国民の間に広がる不安。真相をレポートする p.112より引用 【愛子の(゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】 |
週刊女性2011年12月20日号「48歳の雅子さま」へのご提言&お勧め愛子さまの誕生日写真でも「ご無理」を。早く安心できる環境が必要(友納尚子特別寄稿) |
週刊文春 2011年12月22日号天皇のお見舞い、校外学習…周囲の理解を得られない“八方塞がり” 雅子妃「悲痛なジレンマ」 |
文藝春秋2012年2月号 嗚呼同級生 1963年・雅子妃「雇均法が寄せるエール」 【ソフトボール部】 |
文藝春秋2012年6月号 雅子妃と愛子さま、批判に晒された二年-愛子さまは心からの感謝を |
週刊文春 2012年6月14日号ご成婚20年目ザ・プリンセス雅子妃物語 第1回初公開エピソードで綴る素顔幸せの黄色いワンピース |
週刊文春 2012年6月21日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第2回婚約会見のかすかな不安 【プリババ】、【たくあん】、【皇太子・小和田雅子婚約内定記者会見】、【言質】、【THE_WORLD_OF_SHINTO】 |
週刊文春 2012年6月28日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第3回我慢強く、聞き分けのいい子だった 【プリババ】、【錦鯉】、【御婚約晴れ姿、お扇子ド真ん中挿し事件】、【一足遅れのクリスマスカード】、【野村一成】、【浜尾実】 |
週刊文春 2012年7月12日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第4回ニューヨーク、初めてぶつかった壁 【プリババ】、【浴衣】 |
週刊文春 2012年7月19日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第5回帰国子女の憂鬱 |
週刊文春 2012年7月26日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第6回カメレオンとハツカネズミ |
週刊文春 2012年8月2日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第7回「生物クラブ」顧問の回想 |
週刊文春 2012年8月9日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第8回三番小和田雅子、背番号8 |
週刊文春 2012年8月30日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第9回新たなる旅立ち、再びアメリカへ 【プリババ】、【伝蓋】、【ソフトボール部】、【プッチー】、【1級位の実力】、【ナンシー雅子】、【ダーツ目】、【土川純代】 |
週刊文春 2012年9月6日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第10回ハイスクール、あだ名は「ブレーン(脳)」 |
週刊文春 2012年9月13日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第11回雅子さんと双子の妹たち 【プリババ】、【礼節姉妹】、【ペアルック】、【Madeleine】、【しょっちゅう会ってるシリーズ】、【学歴ロンダリング】 |
週刊文春 2012年9月20日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第12回雅子さんのハーバード「白熱教室」 |
週刊文春 2012年10月4日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第13回「父娘二代外交官」に取材殺到 |
週刊文春 2012年10月11日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第14回ひそかに推挙された「お妃候補」 |
週刊文春 2012年10月18日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第15回浩宮さまとの初めての出会い |
週刊文春 2012年10月25日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第16回記者の尾行が始まった |
週刊文春 2012年11月1日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第17回「お妃候補」を固辞した雅子さん |
週刊文春 2012年11月8日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第18回「“名刺を出しなさい”事件」の真相 |
週刊文春 2012年11月22日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第19回宮内庁も驚いた完全否定会見 |
週刊文春 2012年11月29日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第20回デスクに専門書とぬいぐるみを並べて |
週刊文春 2012年12月6日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第21回皇太子妃選定「極秘会議」 |
週刊文春 2012年12月13日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第22回皇太子と5年ぶりの再会 |
週刊文春 2012年12月20日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第23回鴨場のプロポーズ |
週刊文春 2012年12月27日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第24回「わたくしでよろしいのでしょうか」 【プリババ】、【ワゴン車】、【言質】、【土川純代】、【あだ名】、【小川東洲】、【一足遅れのクリスマスカード】、【ジョーズのテーマ】 |
週刊文春 2013年1月17日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第25回ご成婚 雅子さんのいちばん長い日<第一部完結> |
週刊文春 2013年2月7日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第26回「新皇太子妃」に差す影 |
週刊文春 2013年2月14日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第27回「居眠り事件」と皇室バッシング |
週刊文春 2013年2月21日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第28回長引く風邪と「懐妊説」 |
週刊文春 2013年2月28日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第29回皇太子の怒り、妃殿下の悩み |
週刊文春 2013年3月7日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第30回喜びと哀しみの中東訪問 |
週刊文春 2013年3月14日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第31回阪神大震災と「不妊」 【プリババ】、【死海】、【基礎体温】、【私の友達にそんなことを言う人は一人もいません】、【ふっくら】 |
週刊文春 2013年3月28日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第32回カレーライスと大江健三郎 【プリババ】、【ふっくら】、【籠の鳥】、【静養】 週刊文春同号巻末コーナー「読者より」にて<雅子さま、自分らしく輝いて>なる読者投稿掲載: |
週刊文春 2013年4月4日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第33回「初の単独会見」削られた二文字 |
週刊文春 2013年4月11日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第34回長官が尋ねた「お身体のこと」 |
週刊文春 2013年4月18日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第35回深まる溝と「ご懐妊デッドライン」 |
週刊文春 2013年4月25日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第36回長野オリンピックと「宅配ピザ」 |
週刊文春 2013年5月2・9日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第37回本格的な治療の始まり 【プリババ】、【堤治】、【ピッピとまり】、【クワガタクワガタ】、【プラチナフルート】、【ジョルダン】、【礼節姉妹】、【ベルギー訪問】 |
週刊文春 2013年5月16日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第38回朝日スクープ「懐妊の兆候」 |
週刊文春 2013年5月23日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第39回雅子さまの心を折った「厳しい叱責」 |
週刊文春 2013年6月6日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第40回37歳の岐路「わがまま批判」と「高齢出産」 |
週刊文春 2013年6月13日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第41回愛子さまご誕生までの全舞台裏 |
週刊文春 2013年6月20日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第42回愛子さま誕生「生まれてきてくれてありがとう」 【プリババ】、【雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【鍋料理特集】、【赤ちゃま】、【駅弁抱っこ】 |
週刊文春 2013年6月27日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第43回悲痛――高円宮さまの急逝 【プリババ】、【恒久子】、【10年目】、【外国行かせろ会見】、【雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】 |
文藝春秋2013年7月号 雅子妃オランダご訪問歓喜と批判の狭間で―オランダ王室元侍従長が明かした真実 |
週刊文春 2013年7月4日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第44回「第二子」への希望と絶望 |
週刊文春 2013年7月11日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第45回涙が止まらない 【プリババ】、【礼節姉妹】、【ケータリング】、【林田英樹】、【湯浅利夫】 |
週刊文春 2013年7月18日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第46回「秋篠宮家に第三子を」発言の衝撃 【プリババ】、【湯浅利夫】、【林田英樹】、【私、皇太子妃を辞めます】、【しょっちゅう会ってるシリーズ】、【食卓】、【静養】、【運転免許証】 |
週刊文春 2013年7月25日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第47回「人格否定発言」初めて語られる真相 |
週刊文春 2013年8月1日号ザ・プリンセス雅子妃物語第48回雅子さまの「人格を否定」したのは誰か? 【プリババ】、【湯浅利夫】、【外国行かせろ会見】、【私、皇太子妃を辞めます】、【産後の肥立ち(後掲)】 |
週刊文春 2013年8月8日号ザ・プリンセス雅子妃物語第49回「人格否定発言」が火を付けた愛子さまバッシング |
週刊文春 2013年8月15日・22日号ザ・プリンセス雅子妃物語第50回秋篠宮から皇太子「人格否定発言」への苦言 |
週刊新潮2013年8月15日・22日号宮内庁の懸念は「雅子妃」連載執筆者に盗撮指南の著作 友納尚子の犯罪行為=盗撮指南著作が暴かれる事態に発展!! |
週刊文春 2013年9月5日号ザ・プリンセス雅子妃物語第51回天皇から皇太子夫妻への苦言 |
週刊文春 2013年9月12日号ザ・プリンセス雅子妃物語第52回皇太子はなぜ「謝罪会見」をしたか |
週刊文春 2013年9月19日号ザ・プリンセス雅子妃物語第53回「愛知万博」真夏の強行スケジュール 【プリババ】、【ロー・ノルトの詩】、【ドタキャン】、【しょっちゅう会ってるシリーズ】、【医師団見解】、【羽毛田信吾】、【マンモス療法】、【モリコロ無視】 |
週刊文春 2013年9月26日号ザ・プリンセス雅子妃物語第54回ついに公表された「東宮医師団の見解」 【プリババ】、【モリコロ無視】、【大きなジャンプ】、【準公務】、【お慎みの日】、【東宮職医師団】、【医師団見解】、【お医者様】、【ライフワーク】 |
週刊文春 2013年10月3日号ザ・プリンセス雅子妃物語第55回最初で最後のディズニーランド 【プリババ】、【TDR】、【東宮職医師団】、【医師団見解】、【選り好み】、【ご会釈】、【江頭2:47】、【同日シリーズ】、【携帯電話】、【礼節姉妹】、【しょっちゅう会ってるシリーズ】、【コンフェ拾い】 |
週刊文春 2013年10月10日号ザ・プリンセス雅子妃物語第56回「オランダ静養」をめぐる攻防 【プリババ】、【TDR】、【木乗せ】、【壁】、【国連大学】、【股間バッグ】、【野村一成】、【オランダ静養】、【東宮職医師団】 |
週刊文春 2013年10月17日号ザ・プリンセス雅子妃物語第57回「悠仁さまご誕生」急転する運命 【プリババ】、【オランダ静養】、【シャネル足】、【大野裕】、【ツボ押し】、【ドタキャン】、【長い目】、【やめろよ】、【準皇族】 |
週刊文春 2013年10月24日号ザ・プリンセス雅子妃物語第58回天皇「愛子に会えない」発言の波紋 |
週刊文春 2013年10月31日秋の特大号ザ・プリンセス雅子妃物語第59回問題の書「プリンセス・マサコ」 |
週刊文春 2013年11月7日号ザ・プリンセス雅子妃物語第60回天皇発言「私的に外国へ行ったことはない」 【プリババ】、【便本】、【不死鳥】、【礼節姉妹】、【電車でGO!】、【ロケ】、【オランダ静養】、【健康診断】、【ポ様】、【出前療法】 |
週刊文春 2013年11月14日号ザ・プリンセス雅子妃物語第61回「遊んでばかり」批判が高まる 【プリババ】、【遊び過ぎ】、【電車でGO!】、【静養】、【夏祭り】、【大食い雅子さま】、【八大行啓】、【ドタ出】、【ドタキャン】、【しょっちゅう会ってるシリーズ】、【ペアルック】、【外食】、【FDK】 |
週刊文春 2013年11月21日号ザ・プリンセス雅子妃物語第62回宮内庁幹部から皇太子への苦言 【プリババ】、【医師団見解】、【治療の一環】、【外食】、【小和田家おせち事件】、【八大行啓】、【ドタ出】、【ドタキャン】、【プライベート】、【節電節水】、【健康診断】 |
週刊文春 2013年11月28日号ザ・プリンセス雅子妃物語第63回「東宮への最終通告」の衝撃 【プリババ】、【静養】、【ドタキャン】、【ドタ出】、【同日シリーズ】、【ガッテシー】、【凸】、【東宮職医師団】、【健康診断】 |
週刊文春 2013年12月5日号ザ・プリンセス雅子妃物語第64回五年ぶりの宮中祭祀 |
週刊文春 2013年12月12日号ザ・プリンセス雅子妃物語第65回雅子妃が反対した「医師団の見解」 |
週刊文春 2013年12月19日号ザ・プリンセス雅子妃物語第66回愛子さまが学校に行かなくなった日 「不登校問題」への苦悩が初めて明らかに 【プリババ】、【不登校】、【病弱】、【ひざかけ】、【死海】、【ドタ出】、【医師団見解】、【負担】、【ライフワーク】、【給食】、【愛子さまが怖いと言ったら怖いんだ】 |
週刊文春 2013年12月26日号ザ・プリンセス雅子妃物語第67回「愛子さま不登校」学習院と東宮―食い違う説明 【プリババ】、【不登校】、【小山久子】、【野村一成】、【愛子さまが怖いと言ったら怖いんだ】 |
週刊文春 2014年1月2日・9日新年特大号 ザ・プリンセス雅子妃物語第68回愛子さま「登校お付き添い」の真実 【プリババ】、【不登校】、【給食】、【下品室】、【向精神薬】、【ダッシュ】、【お慎みの日】、【夏祭り】、【礼節姉妹】、【のび太君】、【スケート】、【同日シリーズ】、【八大行啓】、【かまぼこ事件】 |
週刊文春 2014年1月23日号ザ・プリンセス雅子妃物語第69回東日本大震災その時「東宮」は 【プリババ】、【東日本大震災】、【不登校】、【夏祭り】、【小山久子】、【ハクションさん】、【うっかり】、【愛子さまが怖いと言ったら怖いんだ】 |
週刊文春 2014年1月30日号ザ・プリンセス雅子妃物語第70回被災地で、言葉もなく |
週刊文春 2014年2月6日号ザ・プリンセス雅子妃物語第71回山中湖「校外学習」お付き添い 【プリババ】、【山中湖事件】、【不登校】、【治療の一環】、【野村一成】、【小町恭士】、【筒井美奈】、【霜鳥加奈】、【東日本大震災】、【かまぼこ事件】、【雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【長い目】、【KZD】、【ゴキブリ】 |
週刊文春 2014年2月13日号ザ・プリンセス雅子妃物語第72回異様な母子と呼ばれて 【プリババ】、【FDK】、【山中湖事件】、【ゆり】、【病弱】、【出前療法】、【東日本大震災】参考:週刊文春 2011年10月6日号<東宮大夫「大荒れ会見」をスッパ抜く!雅子さま愛子さま校外学習に宮内庁記者が「税金泥棒」「異様な母子」 >中吊り、記事 |
週刊文春 2014年2月20日号ザ・プリンセス雅子妃物語第73回 「東宮職医師団」のマスコミ批判 【プリババ】、【東宮職医師団】、【医師団見解】、【大野裕】、【同日シリーズ】、【礼節姉妹】、【しょっちゅう会ってるシリーズ】、【野村一成】、【マネジメント】、【カーテンシャー】 |
週刊文春 2014年2月27日号ザ・プリンセス雅子妃物語第74回治療九年、回復の兆しは |
週刊文春 2014年3月6日号ザ・プリンセス雅子妃物語第75回医師vs.医師、治療を巡る対立 |
AERAアエラ2014年3月10日号天皇、皇太子、秋篠宮3者懇で融和 |
週刊文春 2014年3月13日号ザ・プリンセス雅子妃物語第76回オランダ訪問「早く返事を」の謎 |
週刊文春 2014年3月20日号ザ・プリンセス雅子妃物語第77回被災地訪問とご回復の兆し |
週刊文春 2014年3月27日号55周年記念号ザ・プリンセス雅子妃物語第78回学習院で浮かべた涙 |
週刊文春 2014年4月3日号ザ・プリンセス雅子妃物語終章(=第79回、最終回)悲劇を乗り越えて明日へ 【プリババ】 |
AERAアエラ2014年9月29日号秋篠宮家の脱・学習院の教育方針-皇族も学びの場を選ぶ時代へ |
週刊文春 2014年10月30日号ザ・プリンセス雅子妃物語特別編愛子さまの「反抗期」と雅子さまの葛藤 【プリババ】、【左手】、【成績表】、【不登校】、【病弱】、【愛子の(゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】、【恒久子】、【食卓】、【モップ姫】、【胸倉掴み]】、【TDR】、【スライド】 |
週刊文春 2014年11月13日号雅子さま“復活の笑顔”-「晩餐会」直前に掛けた一本の電話(ジャーナリスト友納尚子 緊急寄稿) 【プリババ】、【オランダ静養】、【不登校】、【静養】、【引き馬】 |
AERAアエラ2014年12月29日・2015年1月5日合併号 復帰へ思い込めた雅子さまの言葉-相次ぐ公務と愛子さまの成長 dot.asahi.comトップ>AERA記事より、愛子さまの「こだわり」にみる「皇族としての意識の高さ」(更新 2015/1/ 7 07:00)にて内容確認できます。 |
正論 2015年4月号【連載第9回】インタビュー「雅子さまの真実」を求めて(ジャーナリスト 友納尚子) |
週刊文春 2015年4月23日号ザ・プリンセス雅子妃物語最新版 雅子さま「11年半ぶり園遊会」への期待高まる 【プリババ】 |
週刊女性2015年6月23日号 祝ご成婚22年 ジャーナリスト友納尚子特別寄稿 雅子さま(51)「宮中晩餐」連続ご出席の舞台裏 ネット記事掲載:友納尚子さん特別寄稿 雅子さま、『宮中晩餐』連続ご出席の舞台裏をレポート 2015年06月10日(水) 16時00分〈週刊女性6月23日号 |
週刊文春 2015年7月16日号ザ・プリンセス雅子妃物語特別編 雅子さま「トンガ訪問」ご夫婦の時間 【プリババ】 |
週刊文春 2015年11月26日号雅子さま「ワインレッドのスーツ」に秘められた「決意」 【決意】 |
FRIDAYフライデー2015年12月4日号 雅子妃「12年ぶりの園遊会」決断した「夫婦の会話」-現在のご体調は? |
文藝春秋 2016年新年特別号 皇太子の言葉で園遊会ご出席を決断した雅子妃 急激なご回復の理由 |
文藝春秋 2016年9月号 雅子妃がお元気になられた |
週刊新潮 2016年11月24日号初めて明かされる「愛子さま」不登校の全真相【不登校】 ▼「摂食障害」寸前までご自分を追い詰めた原因 |
FRIDAYフライデー2016年12月23日号 15歳の愛子さま「激ヤセ」と「6週間欠席」の真相-食事制限のワケ |
文藝春秋2017年新年特別号愛子さま長期欠席とダイエットの真相 |
週刊文春 2017年5月4・11日ゴールデンウィーク特大号<強い調子でご叱責 雅子さまと愛子さま“緊迫の食卓” ◆友納尚子 愛子内親王、小田野展丈東宮大夫、雅子妃【食卓】 |
文藝春秋 2017年10月号 愛子さまの食欲回復と大学選び |
週刊文春 2018年2月22日号雅子さまがお悩みになる愛子さまの進学先とお婿さま選び ◆ジャーナリスト・友納尚子/愛子内親王、眞子内親王、小室圭 |
週刊文春 2018年6月21日号ご成婚25年 雅子さまが明かした「眠れなかった夜」 |
週刊文春 2018年12月27日号 小室さん問題で皇室が揺れる中 雅子さま(55)V字快復、愛子さま東大より学習院大進学へ ◆雅子妃、皇太子、愛子内親王、小田野展丈東宮大夫 ▼同じ母として秋篠宮家紀子さまの“心痛をご理解” |
文藝春秋 2019年2月号 【総力特集】新しい皇室の覚悟 雅子妃「皇后」への決意 ご退位決定後に立てた「六つの目標」。美智子皇后に励まされ、強い意欲が生まれていた |
文藝春秋 2019年6月号 【総力特集】令和皇室に何を望むか 新天皇皇后「知られざる履歴書」 |
週刊文春 2019年8月15・22日号雅子さまが苦しんだ「殿下と愛子のことまで批判される」 ◆雅子皇后、天皇、トランプ大統領、愛子内親王 |
文藝春秋 2020年1月号◎即位の礼、大嘗祭……湧き上がる不安をどう克服したか 雅子皇后の「涙の秘密」 |
週刊文春 2020年1月2・9日号学習院大進学へ、愛子さま「帝王教育」を望まなかった雅子さま |
『アダルト写真術覗きPART5(ダイナミック・カメラレポート9)水中ピーピング』浜書房ダイナミックセラーズ新書1982年 |
『狼たちのいるメルヘン』1985年出版予定だったのが中断? 『朝日ジャーナルAsahi Journal』1985年3月22日号<今週はワタシ 団塊の世代の“思い入れアメーバ”が嫌い>筆者紹介欄より引用: とものうなおこ1961年生まれ。自販機本ライターを経て『セクシーフォーカス』編集長。83年フリー。近く『狼たちのいるメルヘン』(仮題)が出版される。 |
『雅子妃の明日』文藝春秋2006年7月15日 【ソフトボール部】【プッチー】【優秀伝説】【スティッキー】【愛子の(゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】 |
『雅子妃 悲運と中傷の中で』文春文庫2008年7月10日 AMAZON掲載 表紙、pp.9-17プロローグ部分 |
『ザ・プリンセス 雅子妃物語』文藝春秋2015年1月28日 【プリババ】 「皇太子妃を辞めなくてはなりませんね」 巻末によると再構成と大幅な加筆修正を行ったそうだが、 |
pp.12-14 ハワイ、ヤルパック6発7日コース女子大生OLたちのココマタの初夢とは!?
p.14より文章抜粋:
西洋人というのは
(私も留学生の男とキスまでは経験があるので言わせてもらうけど)体臭がスゴイ。あのニオイは風呂に入ってもとれない、体に浸みついてるニオイなのだ。少しイキがった女は黒人とセックスするのが最高よ、なんて言うけど、黒人の体臭というのも、吐き気を催すほどヒドイ。人種差別をするわけではないけど、黒人というのはスポーツをするかジャズをするために生まれてきたのであって、まかりまちがっても東洋人の女とやるために存在しているのではないのだ。
(中略)
ボーナスをはたいてハワイに行った彼女たち、幸運にも、金髪とベッドインできたとしても満足がいくような結果に終わった人って少ないんじゃないかな。でもかく言う私も、チャンスさえあったら青い目とお手あわせしたいのだけど……。
『写真時代』1983年(昭和58年)3月号pp.99-103女風呂を盗み撮りする21歳の美人カメラマン/友納尚子聞き手:岡部佳枝pp.99-103<女風呂を盗み撮りする21歳の美人カメラマン 友納尚子>
(入浴中・着替え中の画像一部を黒く削除、雑誌現物では画質が悪いもののボカシモザイク墨入れ一切なし)
pp.99-103より全文引用
えー、女の人のカメラマンも、最近ではめずらしくなくなってきました。コマーシャル写真を撮っている人、雑誌の写真を撮っている人、少女のヌードを撮っている人、女のヌードを撮っている人、男のヌードを撮っている人……いろんな女性カメラマンがいますが、女風呂を盗み撮りしている人、となると、ちょっと気になってインタビューしてみることになったのでした。会ってみると、ちょっぴり太目の21歳の美人、“えっ、この人が”とちょっと意外な感じがしたのでした。 ――まず、育ちからどうぞ。
「両親と兄がいる、ごく普通の家に生まれ、育ちました。学校は高校から大学までいっしょの、A女子大ですが、3ヶ月で中退しました」
――それで不良を。
「不良はしませんでした。親に養ってもらっているのが嫌で、早く独立したかったんですね。中退したあとは、ブラブラしたり、道端でお店出したり、パンクバンドやったり、タコ焼き屋のオッちゃんとお話ししたりしてました」
――おっちゃんと。
「ええ、あの頃、友達に飢えてて、面白い人と話したいと思ってたんです」
――さる業界と交わるきっかけなどを。
「友達の友達が『土曜漫画』(通称ドマン)にいまして、お金がないころ、“仕事くれ、仕事くれ”とあとくっついていまして、お昼ごはんおごってもらったりしてました。それで、ボチボチ、自販機本などの簡単な文章の仕事もらえるようになりました」
――この業界って狭いんですよね。で、今はどこか事務所か何かにいるんですか。
「石垣章さんのところにいます」
――石垣さんというと、『鏡の部屋』という写真集を出して、本誌でもインタビューしたことのある人でしょ。
「そーです。4ヶ月位前、ドマンで石垣さんを紹介していただきまして、“仕事も増えるし、カメラも教えてあげるから事務所に来ないか”ということになりまして」
――友納さんは本も出しましたよね。
「はい。『アダルト写真術・水中ピーピング』(ダイナミックセラーズ社)ですね」
――どういう本なんですか。
「隠し撮りのテクニックっていうか、写真と文章のそんな本です。始めは、何か女子大生の女の子がガチャガチャ書いたって本にしたいという事で私に話が来たんですけど、それだけじゃつまんないから、石垣さんと相談して、HOW TO物にしたんです」
――どういう隠し撮りなんですか。
「温泉、風呂屋、などですね。伊豆とか行って、あと風呂屋ですね。隠し撮りしたわけです」
――女の人が女の隠し撮りをしたっていうのは、初めてなんじゃないですか。よく、エロ本とか、女風呂とか出てますけど、男が撮ってる限り、やらせなんだから。
「そうですよね」
――この写真は、その本のあとで撮ったんでしょう。
「そうです。私は女に興味がありまして、(レズではない)撮るなら女の人でしたから、女風呂撮り始めたのは、けっこう面白いんじゃないかと思ったからなんです。
――男の人が想像するほど実際の女風呂って色っぽいとは思えないんだけど、こうして写真見てますと、けっこう面白いんですね。
「そうですか」
――一瞬、やらせじゃないかと思うぐらい、鮮明ですね。
「撮るのは、すごく苦労します。緊張で、ぎこちなくなったり、冷や汗ものですよ」
――それはそうでしょう。カメラは何を使ってるんですか。
「ニコノス(水中カメラ)、オリンパスのXA、XAII、あとフジカとかミノルタのをとっかえひっかえ」
――ストロボなんてたけないでしょ。
「もちろんです。フィルムは感度の高いのを使います。シャッターの音の小さいのとカメラも小さいのがいいですね」
――バレないですか。
「今のとこは。シャッターの音が恐ろしいんですよね。ほとんど音のないのを持っていきますけど、押すと100倍位大きく聞こえて、もうドキドキします」
――どうやって撮るのか、プロセスとテクニックなど、特別に教えてください。
「えーとね、風呂屋に入る前から手の中に持ってて、ふーんて感じで何となくオモチャにして遊んでるっていう風を装うんです。で、お金払って、脱衣所に行って、さり気なく、番台から見えにくい番所(場所の誤植か?)を狙って洋服脱ぎながら、パシャってやるのです」
――撮るときにレンズをのぞけないでしょ。
「だから、撮れそうな人を狙って見当でシャッターを切るんです」
――タイミングが難しそうですね。
「うまくあわせないと。相手が脱いでないと面白くないもんね」
――いよいよ、お風呂の中ですね。
「浴そうは大抵一番奥にあるでしょ。それでシャワーが並んでいる所が多いから、浴そうの一番近く、シャワーのある場所に陣取ります。石けん台に、まずカメラを置いて、その前に大きいシャンプーとリンスをドンと置いてカメラを隠しちゃうんです」
――気がつきませんか、隣りの人は。
「あんまりわかんないみたいですね。で、中年のオバさんなんか、ヒマみたいで、湯ぶねに入ってると、他の人をジロジロよく見てるんですよね。だから、湯ぶねに誰も入っていない時を狙って撮ります。隣りの人を撮る場合は相手がシャンプーしてる間がいいですね。あとは私もシャンプーしながら何か取るふりしてシャッター押したりするんです」
――テクニックが必要ですね。あと度胸。浴そうの中で撮ったんでしょ。あれは。
「浴そうに一番近いところにいるから、さっと折を見て、カメラといっしょに入っちゃうんです。最近の銭湯はゴボゴボ泡が出てるところが多いでしょ。だから案外わかんないみたい。人が入ってきたら、また撮るんです」
――大体、何分ぐらいお風呂に入ってるんですか。
「30分ぐらいかな。あんまり長くても怪しまれちゃうし、かえって、どこも洗わないのもまずい。ごく普通の銭湯に行く時と同じだから、お風呂出ると緊張してるせいか、すごく疲れちゃって」
――お風呂のハシゴは無理ですか。
「とってもそんな元気なくなっちゃう」
――出てからは。
「髪をかわかすでしょ。かわかす時にも手の中にカメラ持ってって、撮れれば撮ります。あと、私、すごく肩がこるんですよね。だから、電気あんま機にもかかります。あれ、すごく気持ちいいんで、5回ぐらい連続してかかっちゃうんです。撮りやすいのは、あんま機の所かな。たいてい脱衣所の隅にあるから人目につきにくいみたい」
――だいたい、一回お風呂屋さんに行って何枚ぐらい撮れるんですか。
「4~5枚ですね。それ以上はちょっと。始めたころは緊張しすぎで全然撮れないこともありましたから」
――どれぐらい通ってますか。
「50回は超えてると思いますよ」
――同じとこ行くわけにいかないでしょ。
「それが大変。下北沢行ったり、武蔵小金井の方行ったり、友だちから情報もらったり」
――どういう風呂屋がいいんですか。
「広い所がいいですね。あと番台なんですけど、お嫁さんはダメです。お嫁さんは、しっかり見てるから。おばあさんの番台がいいですね。TVがつけてあったり、編み物なんかしてるといいですよ」
――場所は。
「あんまり田舎はダメですね。街の中の風呂屋がいい」
――なんででしょうね。
「いろんな人が来るからじゃないでしょうか」
――時間は何時頃行くんですか。
「一番風呂がいいですね。あんまり混んじゃうと撮れないです。空いてる方がいいですね。あと、しまい風呂の時間帯とか」
――服装なんかは。
「ごく普通の。目立つのは良くないです。あくまでも近所からサンダル履きで来ましたっていうのがいいです。ジャージなんか着てるとカンジですね」
――あの、運動の、というか、独身男がよく着てるヤツ。
「そうそう」
――うーん、だけど、それ着て、サンダルはいて、お風呂の道具持って、電車に乗ってワザワザ行くのも大変よねえ。
「ホント、時々、自分でもあきれます」
――初めての風呂屋なんて、お、知らない娘だ、とか思われると変に監視されない?
「それにはね、初めての所では、一番初めにパンティを買うんです。愛想よくして、一番高いのを買うんですよね。あけて、かわいいとかやってると、番台の人も『似合うわよ』とか言ってくれれば大丈夫なんです。この人は安心だと思わせることですね。お金使えばいいんですよ。いろいろ買ったり飲んだり」
――けっこう工夫が必要ですね。
「そーです」
――顔見知りになったとことかありますか。
「新宿に一軒あるんですよ。前に一度撮影で使わせてもらった所で、行くと、私がこういう写真を撮るのを知ってて“いいから、撮りなよ”とか言ってくれるんです。そこはやりやすいですね」
――何か変な人見たことないですか。
「あんまりないですよ。刺青入れてる人がいたくらい。ホステスさんが、ちょっといるかな」
――妊婦は。
「ないですねえ」
――臨月真近(原文ママ)のお腹ってすごいんですよね、重そうで、よく実ってる。
「撮ってみたいですねえ」
――今、友納さんは雑誌を作ってるんでしょ。
「創刊号のは終りました。『セクシー・フォーカス』(東京三世社)っていいます」
――女の子4人くらいで編集したんでしょ。
「そうですけど、実質いろいろ動いていたのは私一人になっちゃいましたけど」
――その本でも友納さんの写真が見られるんでしょ。
「はい。いろいろ撮りましたから、ぜひ見てください」
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20080901-403516.html
女がスーパー銭湯の女湯盗撮、全裸で御用
岐阜県警大垣署は8月31日、大垣市内のスーパー銭湯の女湯や更衣室で盗撮したとして、県迷惑防止条例違反の疑いで、滋賀県愛荘町の専門学校生大塚真理子容疑者(20)を逮捕した。ビデオカメラを隠した化粧ポーチを持って浴室内を行き来する同容疑者を不審に思った入浴客が取り押さえ、従業員が110番通報した。同署では、同容疑者に盗撮させたグループがあるとみて背後関係を調べている。
女湯に盗撮カメラマンとして潜入した女が逮捕された。調べでは、大塚容疑者は30日午後1時42分から午後3時11分までの89分にわたり、大垣市内のスーパー銭湯の女湯脱衣所や浴室内で、入浴客を盗撮した疑い。同容疑者は「知人の男女3人と(計4人で)一緒に銭湯に来た」などと供述。1台の自家用車で来店しており、大垣署は同行の女性1人から事情を聴取。男性2人からも事情を聴く方針で捜査している。
大垣署や同店関係者によると、大塚容疑者はシャンプーなどを入れるかごに、家庭用ビデオカメラを仕込んだ黒い化粧ポーチを隠して女湯に潜入。シャワー台の上に置いたかごの向きを変えたり、かごを持って洗い場や湯船の入浴客のそばを行き来していたという。
午後3時ごろ、入浴中の40代の女性が大塚容疑者の不審な行動に気づき、周囲の入浴客にひそかに相談。洗い場のイスに座った同容疑者の周囲に陣取ると、偶然を装いつつも数回にわたり、シャワーのお湯で問題のかごをねらい打ちした。ポーチにお湯がかかるたびに同容疑者が動揺するため、女性たちが「あなた何しているの」と問い詰めて、ビデオカメラを発見した。
知らせを受けた従業員が女湯に直行し、全裸のまま入浴客に取り囲まれていた大塚容疑者のビデオカメラを確認。再生すると、女湯の脱衣所や洗い場、湯船にいる入浴客が多数映っており、110番通報した。目撃者によると、同容疑者は「長い黒髪の普通の女の子」。女性から「私にもあなたと同じくらいの娘がいるのよ。こんなことしてちゃだめよ」などと声をかけられ、無言で何度もうなずいていたという。
盗撮ビデオ販売業者や、業者に盗撮映像を売りさばきたい男が、盗撮要員の女に浴場を潜入撮影させ、摘発されるケースは少なくない。大塚容疑者の背後に、盗撮映像を扱うグループがいる可能性もあり、大垣署では共犯がいるとみて、犯行動機などについて詳しく調べている。
[2008年9月1日9時18分 紙面から]
http://www.asahi.com/national/update/0907/NGY200809060006.html?ref=fresheye
スーパー銭湯で女湯盗撮、男女3容疑者を逮捕 岐阜
2008年9月7日0時20分
岐阜県警大垣署は5日、浴場の女性を盗撮したとして、いずれも無職の滋賀県彦根市戸賀町、北川康徳(35)と同県近江八幡市池田本町、外村丈二(23)の両容疑者を岐阜県迷惑行為防止条例違反(ひわいな行為の禁止)の疑いで逮捕したと発表した。
調べでは、北川、外村両容疑者は8月30日午後、遊び仲間の滋賀県愛荘町円城寺、専門学校生大塚真理子容疑者(20)=同容疑で逮捕=と共謀し、大垣市内のスーパー銭湯で、大塚容疑者が浴場や更衣室にいた女性らを約1時間半にわたってビデオカメラで盗撮した疑い。
同署によると、3人は撮影方法などを相談した上で、銭湯に入る前に大塚容疑者にカメラを渡した。大塚容疑者はシャンプーなどと一緒にカメラをかごに入れていたが、不審な動きに女性客が気づいた。北川、外村両容疑者は、スーパー銭湯入り口付近にいたが、騒ぎに気付いて逃走していた。
『セクシーフォーカス』1983年4月創刊号表紙・表紙裏前書き・目次
1983年4月創刊号pp.14-17編集長友納尚子潜入撮影オバンもいればジョシダイセイもいるこれが本物女風呂
(黒色削除部分は原本ではボカシモザイク墨入れ一切なしでそのまま誌面掲載公開)
pp.16-17より全文引用
わたしたちは、自分たちの肉体の美しさを忘れてしまったのではないでしょうか?
なぜそんなに自分を恥じたりするのかわかりません。彩色した肉体は、所有しているすべてをあらわしただけなのに、一方では拒食症などという病気にかかる若い女性が多いと聞きます。
でも裸になればただの人と、人は言いますが、この世に男性がいる限りこういった女性の美しさへの願望は尽きることを知らないのかもしれません。
世見(原文ママ)では“ブリッ子”などという言葉までつくられたぐらいの今の若い女性。
おフロ屋にはそういった、女が男を意識するような特別につくられた意識がまるでないので、実は同性同士でホットしているのです(原文ママ)。
男風呂っていうのは今だに前をタオルで隠したり、手で隠したり、ひどいのになると海水パンツをはいてはいる男の人がいるって話だけど、これは女性にとって信じられないことです。
女風呂では、中年女性も若い女性もみ~んな堂々としています。
中年女性はあまりにあまりに堂々としすぎていて、女性でも目をふさいでしまいたくなるような光景がたまにあります。
例えば、脱衣所にあるアンマ機に、まっ裸のまま腰かけて、機械を作動させるのです。いつの間にか股の間が開き、あられもない姿となるわけです。
また、風呂あがりに、タオルで股をゴシゴシふいているという姿もよく目にします。
若い女性はっていうと、こちらも中年女性とたいして変わりないですねェ。
男性から言わせれば、現代の女性は性の自由化がすすんで、フリー・セックスを楽しむぐらいだから、まるで恥じらいがなくなってしまったのダ、などとバカな論理を並べてみたいのはやまやまでしょうが、そうではないのです。
私が思うに、それは、小学校のリンカイ学校に原因があるのです。
リンカイ学校のというのは、初めて親元を離れ、クラスのみんなで外泊する旅行ですが、そのとき当然、家族以外の人に初めて肌をさらすことになるのです。
“アタシあれだから、今日はお風呂に入れないの”とウソを申しましても、女同士の間というのはそんなになまやさしいものではありません。
とたんに仲間はずれにされるのがおちです。
また、風呂場で両手を胸を隠そうものなら、“ねェ、あの娘たらサ、そんなに大きくもない胸なのに隠したりしてバカみたいねェ”と、ヒソヒソ内緒話し(原文ママ)をされるのです。
第1日目から仲間はずれにされてしまっては、あとの2泊は1人ぼっちで過ごさなくちゃいけないわ、それなら思いきって、と隠すことをやめて仲間入りということになるのです。
これは男なんかにわからない女の集団の恐ろしさなのです。
“ブリッ子”という言葉そのもの自体が女同士のインケンな関係を物語っているのです。
年がいけばいくで、男を意識しなくちゃいけないし、ホント女ってやすまる場所がないんですねェ。
(PHOTO 友納尚子)
『セクシーフォーカス』1983年4月創刊号表紙・表紙裏前書き・目次
1983年4月創刊号pp.26-27聖なる河ガンジスも一滴の雪解水から大流をつくり 少女の小さなワレメは母なる大地のキレツを濡らす
(黒く削除されている少女の体は全裸、原本では下腹部もボカシモザイク墨入れ一切なしでそのまま誌面掲載公開。推定年齢およそ10歳)
pp.26-27より全文引用
聖なる河ガンジス。ガンジス河はインドの人びとの心である。生活のすべてである。
彼らはこの河の水を飲み、食事をつくり、この河の水で水浴びし、衣類を洗う。体からの排泄物さえこの河に流す。ガンジスには、全能の浄化作用があるかのように信じられている。
河のある肥沃なデルタ地帯には、文明が発達し、栄える。インドとて例外ではない。過去、世界の4大文明の栄えた土地であり、釈迦の生まれた国でもある。地球の人類発生起源の土地ともいわれる。
しかし、今のインドは苦しい。今だに厳しいカスト制度にとらわれる。インドでは、日本の金で1万円もあれば1ヶ月暮らせるという。上流ぐらいのホテルにとまっても5万円から1万円で1ヶ月を送ることができる。富豪は莫大なほどの金持ちだが、インド人の中のわずかひと握りにも満たない。
インドを旅した人からこういう話をきいたことがある。「金持ちのインド人は意地悪で冷たい。でも、貧乏なインド人は考えられないほど純粋でやさしい。こちらが心を開きさえすれば、彼らの純粋な心が、自分の中にどんどん流れてくる」
インドを支えるのは、一握りの富豪ではなく、この貧しいけれどひた向きな、全く純粋な人々なのである。
小さな子供が笑う。赤ン坊が笑う。これは、今までは世界平和を讃え、それを象徴する世界共通の言葉であった。しかし今、子供や赤ン坊の笑顔は戒めの言葉に変わってしまった。だが、それも今や消えようとしている。子供たちの笑顔はなんとも老かいで、無表情なものへと変貌をとげようとしている。
高校ではじまった校内暴力は中学にまで手を延した。中学では、女生徒が女の先生を袋叩きにし、教師は携帯していたナイフで男子生徒を刺した。
男たちの憧れ、永遠の少女=処女も、日本ではもう生れないかもしれない。汚れなき永遠の少女の面影は、もう、学校へも行っていない幼女たちにしか残っていないのかもしれない。
カメラは、聖なる大地インドへ行って、その生命の源をなす聖なる命の河ガンジスで、神様の笑顔を持ったイノセント、限りなく純粋な少女を見た──。
少女のふっくらしたワレメは、汚い性の悪魔の手の及ぶものではない。聖なる河ガンジスの豊かな水で潤い、守られている。少女のワレメは、セックスの匂いはしない。それは、ただ単純に母の形、母になるための形を模倣している。
ワレメというのは、男根を受け入れるためのものではない。本来、子供が出てくるための通路であり、門である。男根に長さがあるのは、精液を少しでも生命の育まれる部屋、子宮へ近づけるためである。そのための輸送用の銃身的パイプにすぎない。
あどけなく笑う少女を見たら、そしてそのワレメを見てしまったら、生産のない生殖行為は色を失う。生命の誕生、生命の誕生の壮絶な神秘を感じずにはいられないだろう。
もし、世の中がこれほどまでに性に走り性に乱れなかったら、男たちは少女を性の対象とはしなかったであろう。性はいつまでも生の讃歌として性典カーマ・スートラのように謳歌されたであろう。
ごちゃごちゃ書いてますがどう見てもインド人少女を利用したロリータポルノです。 セクシーフォーカス4月創刊号当記事に記名はありませんが、『写真時代』1983年3月号友納インタビューにおける |
『セクシーフォーカス』1983年5月号表紙・表紙裏前書き・目次
pp.8-11友納尚子の大日本売春史 40年ぶりに日の目を見た兵士たちのプライベート写真
pp.8-11より全文引用
仮小屋へ、毎日のように番号札を買った兵士たちが一列に立ち並ぶ。まるで、公衆便所のごとく扱われていた従軍慰安婦。当時、相手にする客は一日200人~300人。ちなみに、現在トルコでは一日28人を相手にするのが最高だというから、その数の凄さは想像を絶すると思う。
それこそ、ただ目をつぶって股をひろげるということが女にとって、どれほど屈辱的なことか──。
それは、旧日本軍=天皇の軍隊が中国で慰安所を作ったことから始まった。
日中戦争の拡大とともに、皇軍兵士による中国女性へのおびただしい強姦や輪姦が表面化した。
梅毒と呼ばれる性病が、日本軍のなかにひろがり、戦線を離脱する兵士も多数でてきた。
そこで、軍部が考えた兵士たちの強姦防止と、性病予防対策というのが、従軍慰安婦=売春婦の組織化だったのである。
日本の、いちばん南にあった九州からただ単に住んでいると理由だけで、「性の防波堤」にされた何人もの女性。
その中に、たまたま朝鮮人の女性がまじっていたのがきっかけで、日本女性よりも体力があることを知った軍部。
いや、それだけではなく、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮である。
貧しい人たちが、その貧しさに正比例して、その被害をもろに受けたといっても過言ではない。
さっそく、関東軍は朝鮮総督府に強制的な命令を出し、警察の巡査が、「慰安婦狩り」へと出たのである。
私服の刑事、あるいは憲兵が恐喝をして田舎の家をまわり、ウソを言っては未婚の女性を駆り立てたという。
男が徴兵にひっぱられていることを見て、女は処女を捧げてまでもそれを女の徴用だと思ったのかも知れない。
しかし、従軍慰安婦としての仕事は、男たちの身のまわりの世話ではなく、性の欲求のはけ口を受け止める役目だったのだ。
時には、その屈辱的な毎日が絶えられず(原文ママ)、逃げだすことが何回もあった。
が、その度に捕まえられ、なぐる、ける、のもの凄いリンチにあい、結局は泣きわめいてあきらめる他なかったらしい。
性の自由化が進んでいる現代からは、全く信じられない事である。自らの意志に反して、体を捧げるということの重大さをもう一度確認したい。それは、いくら時代が変わろうとも変わらないものではないだろうか?
そんな慰安婦たちの気持ちをなおさら逆立てたのは、日本の陸軍大佐からの感謝状である。「あなたは身をもって、皇軍に協力したから感謝状をやる」しかもそれから日本軍の支配下にあった祖国朝鮮が解放されたにもかかわらず、彼女たちは再び沖縄で、今度は米軍によって「慰安婦」にさせられた。
一日に信じられないほどの客を相手にした彼女たちは、過労、性病、戦火などで望郷の思いを抱いたまま、戦地で空しく朽ち果てていった。彼女たちがモノとして扱われ稼いだ外貨が、外国からの大砲や軍艦に化けた日本の歴史的事実。そこには女たちの底知れぬ悲しみがあった。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28780.html
[インタビュー]「慰安婦の真実を知らせる、それが正義だから」
登録 : 2017.10.25 00:04 修正 : 2017.10.26 13:22
マイク・ホンダ前米下院議員-ラッセル・ロイ社会正義教育財団事務局長
「立証資料が不十分という安倍政権
それ自身が道徳的指導力の不在を証明
米国社会にきちんと知らせることに注力
カリフォルニアで講義始め成果」
「長期にわたり日本政府のロビーに振り回された米国
韓国人の怒りがよくわかっていなかった」
マイク・ホンダ前米下院議員(右)とラッセル・ロイ米サンフランシスコ社会正義教育財団事務局長が15日午後、ソウル市孔徳洞のハンギョレ新聞社の会議室で日本軍「慰安婦」問題と関連して話をしている=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社
「安倍政権の政策ないし安倍首相の発言自体が、反知性の証拠だと考える。(立証)資料がないと言っているが、日本政府が体系的に女性を動員し誘拐したという資料が明確にあるので、日本政府が責任を負わなければならない。だから河野談話まで出たのではないか。証拠が不十分なのではなく、現在の日本政府に道徳的指導力がないためではないか」
日本軍「慰安婦」動員に強制性はなかったという安倍晋三首相と日本政府の主張に、マイク・ホンダ前米下院議員(76)は「話にもならない」と指摘した。その場に同席した米サンフランシスコ地域の市民団体である社会正義教育財団のラッセル・ロイ事務局長(62)は、彼の話に「同意する」としてこのように受け答えた。
「資料がないということは事実でない。問題の一つは、その資料が中国語、日本語、韓国語で書かれているため米国社会にきちんと知らせられずにいるということだ。だから私たちの財団では、『慰安婦』関連事実を米国社会にきちんと知らせることを教育活動として優先している」
ホンダ前議員は、米国カリフォルニア地域で彼とともに教育・少数者権益、そして日本軍「慰安婦」に関する米国社会の正しい認識を向上させるための活動を行っているロイ事務局長や、彼らと共に2013年ロサンゼルス郡内の小都市グレンデールの慰安婦少女像建設を主導したイ・チャンヨプ・グレンデール都市開発委員長とともに15日、ハンギョレ新聞社を訪れた。
ホンダ前議員は来年3月からサンフランシスコ教育統合区で10年生を対象に慰安婦問題を教えることになったが、これは「米国で初めて」だとし、その重要性を強調した。「米国で慰安婦問題を学校の講義内容に含めるのは、カリフォルニア州が初めてだが、講義要綱や生徒教育指導案がなく、一線の教師たちがとても困惑している。現在、講義教材を私たちが開発し、モデル講義までした状態だ」。この講義教材の開発を社会正義教育財団(代表ソン・ソンスク)が受け持っている。財団は今年9月サンフランシスコ慰安婦記念碑建立を主導した「慰安婦連帯正義」も支援している。
普段から「慰安婦」関連の仕事に自身が先頭に立ってきた理由を「それが正しいことだから」と話してきたホンダ前議員は、「母方の祖父である岸信介、彼の弟(佐藤栄作)までが首相を務めた安倍の場合、日本政治史が彼の個人史と重なっているので、個人的な感情を歴史問題に移入しているのではないかと思う」と話した。彼は「慰安婦と関連して言葉の言い換えに終始していて、きわめて嘘に長けた政治家と見ざるをえない」という安倍首相に対して「(新しい変化を主導できる)日本の皇太子が慰安婦問題の慎重で責任ある解決」を提案すれば、効果があるのではないかと思うとも話した。
サンフランシスコ市長と米上院情報委員長などを歴任したダイアン・ファインスタインの補佐官として20年余り仕事をしてきた中国系米国人のロイ事務局長は、慰安婦問題に対する日本政府の誤った対処は、1980年代から本格化したと指摘した。「その時から日本政府は数百万ドルを米国の学者、研究者相手のロビー活動に注ぎ込んだ。大多数の白人はその事実をよく知らないので、事実に基づいた研究の成果と日本政府の主張の間で混乱を来している。慰安婦問題に関する真実を米国民に知らせる努力を妨害しようとする日本政府のばらまきとロビー工作にどのように効果的に対処するか、それが問題だ」。
2001年に60歳で連邦下院に初めて進出した後、昨年11月までシリコンバレー17地区と15地区で民主党連邦下院議員(任期2年)として8選を記録したホンダ前議員は、2007年9月に米下院の日本軍慰安婦決議を主導したことで韓国でも広く知られた。九州、熊本には、今も彼の母親の弟、父親の妹が暮らしている。慰安婦関連活動のために「私たち一家の親戚たちは何も言わなかったけれど、別の日本人からは多くの不平や抗議を受けた」と彼は話した。
第2次大戦の時、米国政府の日系人強制隔離措置で被害にあった家族の一員である彼は「米国の政界にはきわめて長く執拗な反アジア情緒がある」と話した。「成長過程で主流白人が持つアジア系に対する偏見や差別的態度が、結局多数が少数を分離して支配しようと考えたやり方ではないかと考えた。少数者である私たちは、政権に忠誠を尽くすのではなく、憲法に忠誠をつくす。憲法に保障された政治活動の自由がとても重要だ。米国は良い国だが、完ぺきな国ではない。それで憲法が保障する権利を実現し保護するために政治活動に熱心に参加してきた」。慰安婦関連活動もその延長線上にある。
ロイ事務局長は日本と韓国に別々の基準を適用する米国の政策をも批判した。「米国が持つ二種類の定規のために、韓国が不公平な待遇を受けていることは事実だ。米国人は韓国人がなぜ怒るのか、日本人が内心狙っているものが何かを知らない。そうした面で、米国は韓国と日本を操り人形のように操縦し、政治・経済的利益を企てていると見るべきではないだろうか」。ホンダ前議員は「慰安婦合意で勝者は日本だけ」と話した。
整理ハン・スンドン先任記者、チョ・ヘジョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2017-10-24 20:33
http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/815868.html 訳J.S(2500字)
『セクシーフォーカス』1983年6月号表紙・表紙裏前書き・目次
pp.12-13 終戦から19日目 性のハケ口まで気くばりしてしまう日本的発想とRAA
pp.12-13より全文引用
東京大空襲のため、衣食住の貧困に悩んでいた女性たちにとって、“新日本女性”の募集広告や、銀座の街頭に掲げられた大看板は、眼をそばだたせるものだった。
「RAA」と称する、「特殊慰安施設協会」。建国三千年、いまだかつて政府が慰安所を設立するということは未曽有のことだった。
と、いうのも、一般民が続々と強姦にあい、警視庁から“女の防波堤”をつくれという指令がでた為である。
今でこそ、内外タイムスなどの新聞に性を対象とした商売の広告が、掲載されているが、当時の新聞の一面にこういった広告が掲載されることは、まさに信じられないことだった。
いわば、性の処理場としてつくられた慰安所。当然、そこで働くこととなった慰安婦に要求されたのは、客の量をこなすことだったという。男に対する肉体の手練を、一から教えこまれたという。しかし、開店当時、40名いた女を翌日は100名に増やしたが、それでも続々と押しかける米兵の欲求は満たすことができなかった。慰安婦は、食事をとる時間もつくってもらえずに、足をひろげ仕事をしながら食事をしていたという。
“お国のために”という大義名分で狩りあつめられて(原文ママ)、泣いて暮らした女の数も増えていった。
野獣のように荒れくれた兵隊の姿は、まさに“怪物”の姿そのものであったことだろう。
「RAA」が、進駐軍の“性の防波堤”として、大きな役割りを果たしたということは事実である。
しかし、それ以上にたくさんの問題を残し、多くの女性を悲しませた。
「RAA」をつくることによって、犠牲になった素人娘。貧困がゆえに応募してきた女性の大半が処女だったという。
また、「RAA」をつくった為に多発した淋病、梅毒などののせ胃病の蔓延である。性病も、兵士とともに、日本に進駐したということになる。
翌年、3月10日。
「RAA」所属の施設に、立入り禁止の標識が立ち崩壊する。
ところが「RAA」が崩壊したというのは、性病の蔓延だけではなかったのである。
「RAA」と称するこの企画は、大規模なもので、慰安所をはじめゴルフ場まで含めたものにするつもりで発足したのだったが、政府の援助金が途中で打ち切られてからというもの、今後の体制立直しまで資金が回らなかったのだ。
「RAA」が解散されてからというもの元・慰安婦たちは、街娼や赤線に散っていったという。それでも散るに散れなかった応募でやってきた素人娘たちは、“お国のためなら”と心で泣いて、異国の男にスマイルで清らかな肉体を捧げたのである。ポツダム宣言が行われたさなか、政府の“気くばり”など皮肉なものである。
一度ふんでしまった道なればと、流れていく女もあれば、過去をひたすら隠しながら生きている女もいるだろう。
戦争によって、花びらをむしり取られた当時の女たちの哀しみは、今も放浪している。
『セクシーフォーカス』1983年6月号表紙・表紙裏前書き・目次
pp.16-17 午前8時50分かけ込み出勤の内側で見せたOLたちの大胆な姿と女たちの世界
pp.16-17より引用
私、小さい頃「女」が嫌いだった。女の人も、自分が女の子であることも厭だった。今でこそ、まんじゃらじゃないと思っているけど、それでも、時折のぞいてしまうワン・シーンは、再び私に女嫌いを呼びおこさせてしまう。
例えば、デパートのトイレ。その前に女性のトイレは、なぜああも長いか疑問であるが――。お化粧なおしに、ではない。個別の部屋に入っている時間が長いのだ。その間、3回も4回も水を流す人もいる。いったい何をシテルンダロウ!
話戻って、用の済んだ人たちは、鏡の前にベッタリとはりつく。座頭市のような目をしてアイシャドーを塗り付け、口を思いきり横に曲げて口紅を引く。鏡の前は百面相だらけ。手を洗いたくとも洗えず「ちょっとすいません(原文ママ)。手を洗わせてください」と声をかけ、やっとの思いで洗面所にすき間をあけてもらう。
それでも洗面所の回りは、彼女たちの化粧品入れが並び、水がはねとばぬようにと気を使う(原文ママ)。あるいは、やっと使えた洗面台、髪の毛がウジャウジャとおびただしい数、散乱していることもある。
以前、デパートでバイトをしたことがある。デパートの場合、外出は禁止で社食を使用という規則のことが多い。社食へ行くと、お化粧メイッパイの女たちが、あらわに片ひざを組み、煙を吐き散らす。ある者は、男性の目など何のその、手鏡片手に、厚塗り装備に予念(原文ママ)がない。彼女たちの去ったテーブルの上に残されるのは、ティッシュのゴミと口元が真っ赤になったゾッ」とするばかりのクシャクシャタバコ。灰がそこら辺中散らばる。
女の園は噂話で充満する。ハンバーガーショップで聞こえてしまうブリッコたちの会話。コテンパンのコキオロシ。周りの友達の話から、その店にいる人々の批評。決して上げない。下げるだけ。顔はブリッコ忘れて百鬼夜行。
忘れてならない更衣室。クラブの部室。銭湯。会社のロッカールーム。ただしこの場合は慣習上ふたつに分かれる。後ろを向いてコソコソ着替える。あるいは人目気にせずパッパッと着がえる。少数の者をのぞいて、彼女たちは慣習に合わせ右へ習えする。
彼女たちの視線はきびしい。ひとり着がえる振りをしつつも、他人へ目が行く。最近、あの人下着がハデになった。コロンを吹くようになった。背中がシミだらけなのよ。キスマークがあった。男の前の女、女だけの女、かくも大きな隔たりがある。おそろしき二重性よ。
『セクシーフォーカス』1983年6月号表紙・表紙裏前書き・目次
pp.48-49 時間ですよ~で、裸になったセントウ的な女の入浴学と小走りの構図!?
pp.48-49より全文引用
230円を払って、カゴをとりあげ脱ぎはじめる。
銭湯も閉店まじか(原文ママ)ともなると、異色な顔ぶれがあつまる。
水商売の仕事を今、終えたばかりの女性や、最終電車ぎりぎりで帰ってきたヤリマン女子大生、口のうるさい地元のオバサンなあんてのがほとんど。
ここで、女同士のガンの飛ばしあいがはじまるのダ。
“なにヨ、あの女。銭湯にくるときまで化粧おとさないでくるバカいないわヨ。いったいどこの店で働いてる女かしら?あの不細工な顔からして、小岩のスナックってかんじね”
と新宿のキャバレーあたりで働いていそうなお姉さんが答える。そりゃそうよね、銀座のクラブで働いているような女は、マンションに住んでいそうな感じがするもの。何も好きこのんで、銭湯通いなんて考えられないわよね。
銭湯での女の戦いは、脱衣場からはじまって、洗い場にいたるまで遠々(原文ママ)と繰り返される。
洗い場のなかでも、あんたの体に浴びたお湯がひっかかっただの、ババアだとおもって鏡ごしにアタシの体をみてバカみしてるだのと、てんやわんや。
ホント、仮面をはずした女の素顔とやらは恐ろしいものねェ。
画像を見れば『セクシーフォーカス』同年4月創刊号<編集長友納尚子潜入撮影オバンもいればジョシダイセイもいるこれが本物女風呂>で掲載されている女湯盗撮画像と天井が同じであり、同一銭湯(おそらく新宿の「福の湯」)で撮影されたものだと分かる。 当6月号には担当者署名がないが、4月号に名前が出ている友納尚子によるものと判断できる。 |
pp.37-38より引用
光が差せば影ができ、「ケ」があればこそ「ハレ」もある。世界は正邪、聖俗の混在で成り立つ。良い悪いの話ではなく、そういうものなのだ。したがって、皇族方がおられれば、盗撮で禄を食む者も存在する。
ロイヤルベビー誕生に沸く英国。翻って、日本の皇室の現状はどうか。
「7月28日、雅子さまは、愛子さまが参加された、静岡県沼津市で行われた学習院初等科6年生の遠泳行事を見に行かれました」
と、「雅子妃問題」について説明するのは、大手メディアの皇室担当記者。
「ご公務への復帰がままならないなか、私的なイベントには足を運ばれる。しかも、28日は朝9時半に出発し、お戻りが夜9時45分。猛暑の中でこのハードスケジュールをこなせるのであれば、ご公務も……。8月20日には、懸案の被災地訪問が内定していますが、当日まで予断を許しません」
そんな妃殿下にとって心強い人物がいるという。
「ジャーナリストの友納尚子さんです。彼女は雅子さまのご実家の小和田家と近しいとされ、妃殿下寄りの記事を書きますからね」
こう声を潜めるのは、ある皇室関係者だ。1961年生まれの彼女は現在、『週刊文春』で「ザ・プリンセス雅子妃物語」(2012年6月14日号~)なる連載を執筆中で、そこでは、
<雅子妃が車窓から見せられた笑みからは、いつもと変わらないご様子にも見えたが、それは悲しみを押し隠しおられたに過ぎない>
<「第二子への期待」は、もはや恐怖であったと言っても過言ではないだろう。そのような非人間的な扱いに耐えられなかったとしても、それはけっして雅子妃のせいにできはしない>
と、雅子妃の思いが“見事”に掬われている。
他方、先の記者は友納氏に関するこんな話を続ける。
「最近、宮内庁関係者から、彼女が以前出した本を渡されました。友納さんは盗撮カメラマンをやっていたらしく、その本のタイトルは『アダルト写真術 覗きPART V 水中ピーピング』……」
<バッチリ撮れちゃう>
早速、1982年刊行の彼女の著作を見てみると、友納氏自身が銭湯で盗撮したアンダーヘアも露わな一般女性の写真などとともに、
<番台に赤外線カメラを仕掛ける>
<女ばかりの世界なので安心して一生懸命大切なところに石けんの泡を付けて洗っているのを、タオルからレンズを覗かせて、パシャ。足を組み変えた時もチャンスね。泡の中で、黒い恥毛が、モゾモゾしてるのが、バッチリ撮れちゃう>
等々、微に入り細を穿った盗撮指南が綴られている。
「今、この本が宮内庁で出回っています。雅子さまのことで気を揉む職員たちが、“親・雅子妃派”の友納さんの過去にも目を光らせ始めたわけです。彼女の連載が『人格否定発言』にまつわる部分に差し掛かっていて、宮内庁への批判的トーンが目に付くため、友納さんに対する敵視が強まっているんでしょう」(前出関係者)
宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏は
「友納さんといえば、日本一、雅子妃殿下の個人情報に詳しいとの評価が定着しているジャーナリスト。そういった立場の方が、犯罪を助長するような仕事をやっていたというのは、いかがなものでしょうか」
最後に友納氏本人の弁。
「過去のそのことと皇室の取材は別です」
お濠の中を“盗撮的”に覗き見ているわけでは努々ないということのようだ。
盗撮カメラマンから皇室に強い敏腕ジャーナリストへ。これも清濁併せ呑んだ華麗なる転身か。
友納本人の弁「過去のそのことと皇室の取材は別です」 赤の他人がやったことで自分とは無関係と言い張るのではなく、過去に自分がやったことであると一応認めているようです。 |
『文藝春秋』2007年4月号にて友納尚子が提唱している、雅子夫人の復帰を阻んでいるもののこと。
「お世継ぎ問題の頃、皇太子とスキーに出かけた際に、寒いところは身体が冷えてよくない、遊んでばかりでお世継ぎのことを考えようとしない、と宮内庁から酷くとがめられた」ことがあり、その嫌な記憶がフラッシュバックとなって雅子を苦しめているということらしい。
『文藝春秋』2007年4月号<核心リポート 雅子妃 その回復を阻むもの>p.192より引用、一部太字処理を施している 昨年のオランダでのご静養以降、十月には三年ぶりに泊りがけの行啓をされ、今年に入って勤労奉仕団への御会釈もされるなど、雅子妃は、着実に公務復帰に向けて歩んできた。 |
フラッシュバックときたら通常は災害や虐待や犯罪被害など深刻な状況に遭遇した人間に起こると相場が決まっているようなものだが、雅子夫人の場合は「皇太子妃なのに子供を作らないでスキーして遊んでいるのを怒られたから」という、とても精神的健康度が高い人物とは思われないワケワカメな主張である。
友納尚子が平成21年(2009年)になって新説として主張しだしたものに、平成12年(2000年)7月25日に雅子が「化学的流産」のために香淳皇后斂葬の儀を欠席、がある。従来この欠席理由については古川清東宮大夫(当時)が発表した「夏バテのようなもの」が世に広く知られているが、それに対する随分と遅れてやってきた反論と思われる。
「化学的流産 chemical abortion」という医学用語を提示されると、事情をよく知らない人間はさぞや恐ろしげな印象を受けるかもしれないが、これは単に卵子が受精したけれども子宮内着床には至らず、子宮内粘膜が剥がれ落ち共に体外へ排出されるだけのことであり、肉体的には通常の月経とさほど変るところはない(通常月経より症状が重くなるという説もあるが、個人差が大きく通常と変らないこともある)。
参考:All About> 健康・医療「化学的流産? 多くの人に起きうる生化学的妊娠とは」執筆者:藤東淳也より引用 生化学的妊娠とは(化学的流産とは) |
女性が出産に至らないパターンをごく大雑把に分類すると次の三通りとなる。
1999年12月に報じられた雅子妃流産(【ベルギー訪問】参照)は3)、そして友納尚子が主張するところの2000年7月25日雅子斂葬の儀欠席理由が2)に該当することになる。
一般的な夜の夫婦生活を送っているだけならば1)と2)の区別は当然困難なわけで、「2)化学的流産である!!」と欠席理由として言い切っているということは、雅子夫人の卵巣から採取し体外で人工受精させた卵子を子宮内に戻すという不妊治療が施されていると大々的に宣伝しているも同然であることにも注目されたい。スレ住民奥様方の声としては「不妊治療の辛さを率直に訴えれば共感も得られるだろうに、化学的流産とか、要するに生理のようなもので皇太后の斂葬の儀を欠席するって何???」という見方が多い。
「夏バテのようなもの」に対する反論を提出するのにざっと8年以上かけているわけであるが、この論がどこまで説得力を持って世に受け入れられるかが今後の見物である。
参考:【夏バテのようなもの】、【堤治】、【ゴーゴーダンス】
『文藝春秋』2009年5月号 雅子妃すべての悲劇の始まり
pp.202-203より引用
「斂葬の儀」欠席の真相
平成十二年七月二十五日、香淳皇后の本葬にあたる「斂葬の儀」に雅子妃がご欠席された。
東宮大夫はご欠席の理由について、
「暑い日が続いておりお疲れが溜まっている。お体を大切にしていただくという見地から出席をお取りやめになった」と発表した。
前年の暮れ、雅子妃は稽留流産という悲しい経験をしたばかりだった。当然、宮内記者から御懐妊の可能性について質問があったが、大夫は、
「昨年末のようなこと(ご懐妊)が今回の背景にあるというようなことは全くありません。お疲れの集積であることは間違いないことで、推測をたくましくされないようよろしくお願い致します」と断言した。
「斂葬の儀」とは文京区・豊島岡墓地で両陛下と皇太子、各宮家の皇族方、政官関係者、各国駐日大使など千百人が参列する重要な儀式である。
皇室関係者からは「皇室の大事な儀式を疲れくらいで欠席するとはとんでもない。せめて棺のお見送りには出られなかったのか」「両陛下のお悲しみを考えれば、皇太子妃としての自覚がないとしか言いようがない」と非難されたのだった。
当時、私の取材でも「お疲れが溜まっているというのは表向きの理由で、実は引きこもりのような感じになっておられる。側で仕える者にも何も話されないし部屋から出てこられない」「理由はわからないが、うつ病のようなふさぎ込む感じだ」と話す東宮職がいた。
今に至るまで、雅子妃が皇室になじめない、わがままだ、祭祀を重んじていないといった批判の根拠として、しばしばこの「斂葬の儀」の欠席事件が語られているのである。
だが、事実は違った。ご欠席の理由は、ご懐妊の可能性があったため医者に無理をしないよう止められていたのだ。
「妊娠初期の特徴のひとつとして、体温が上がっておられたため熱っぽい感じだったといわれています。しかし、まだ妊娠五週目にも入らず胎嚢が確認されていない段階で、公表することもできない。このためお身体の大事をとられたんです」(元宮内庁関係者)
その後も遠方への公務などを控えられたが、結果的に胎嚢が発見されず、化学的流産になったという。
「おそらくご自身も、妊娠したかもしれないという身体の変化はさほどお感じにならなかったのではないでしょうか。稽留流産は胎児の成長が止まって体内に留まっているので処置が必要ですが、化学的流産はごく初期なので自然に流れてしまう。珍しいことではなく、特に原因もないといいますか、前年暮れの残念な結果につづき妃殿下は深いお悲しみだったため、お言葉も控えられていたのでしょう」(同前)
雅子妃は十二月のお誕生日会見で、当時のことをこう延べられている。
「(体調を崩したのは)その時一時的なことでございましたけれども、日程の変更などがありましたことなどから、一部で誤解を生じてしまったように思いますけれども、その後は体調も戻り、お陰様ですっかり元気にしております」
正式検査の前の段階で、朝日新聞に「懐妊の兆候」とスクープされたばかりだけに、雅子妃の御身体を考えて事実を伏せたのは理解できなくはない。
だが、私は今回あえて、この「斂葬の儀」ご欠席の裏にあったご懐妊の可能性について書こうと決意した。それは、皇太子ご夫妻がご自身では決して反論されないことを盾にとって、「お世継ぎへの自覚がなかった」という歪んだ情報を流し続けることは許されないと考えるからだ。こうしたご懐妊の可能性を示す出来事は稽留流産の前後にあったが、両殿下はお世継ぎ誕生を信じて、公務を緩やかにするなど調整しながら御懐妊にむけた積極的な体制を組んできた。当時の宮内庁幹部もそれを認識していたはずである。
『週刊文春』2009年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号 皇太子と雅子さま病いと修羅を越えて
p.46より引用
流産から約八ヵ月後、雅子妃は香淳皇后の本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席された。古川清東宮大夫(当時)は「夏バテのような状態」と理由を発表したが、
「夏バテくらいで大切な本葬を休むとは、と批判され、雅子妃には決定的なダメージになった。後々まで、皇室をわかっていない、祭祀を軽んじていると批判される元となりました」(宮内庁記者)
だがこの時も実は、体温の上昇などごく初期の懐妊の兆候が見られたため、両陛下のお許しを得て欠席されたのだった。結果的に胎嚢が確認されず、胎児が育たない化学的流産となったが、度重なるショックな出来事に、落胆は大きかった。
部屋で一人泣き続ける雅子妃の背中をさすり、皇太子はある決意をされた。
「雅子妃を守らなくてはいけない」
皇太子は側近にこう話されたという。悲しんでばかりいられない状況をご夫妻は理解されており、再び検査にのぞまれ、公務を緩やかにするなど、懐妊に向けた体制を組まれた。
平成十三年、愛子内親王が誕生された。検査を受け始めてから四年。振り返ればご結婚生活の半分近くを治療に費やしてこられたことになる。「生まれてきてくれてありがとう、という気持ちになった」と雅子妃は会見で涙されたが、それは重い言葉だった。
『文春新書742 皇太子と雅子妃の運命 平成皇室大論争』なる保阪正康、香山リカ、福田和也、友納尚子、斎藤環、櫻井よしこ、岩井克己、佐藤愛子、茂木健一郎、猪瀬直樹、御厨貴ほか17人のアンソロジーが文藝春秋から2010年2月20日発行される。→表紙宣伝広告 内容は全て過去『文藝春秋』本誌掲載記事の再録で、序文や結論や編者名はなし。但しスレにて突っ込まれていたトンデモ擁護を含む含む文は除外されているとPart1729-688奥様ご報告。 |
『文藝春秋』2011年12月号<大型企画真相開封35 宮内庁 雅子妃「ご懐妊の兆候」は一度ではなかった>
pp.267-268より引用
最初に光明が差し込んだのは、一九九九年十二月三日、ベルギー皇太子の結婚式に参列するため皇太子殿下と出発する朝のことだった。実はご出発の前にご懐妊の可能性があることが分かったのだ。予想外だった。だが、あくまでも「可能性」で確認がとれたわけではなかった。侍医も判断を出せずにいたと言われている。
雅子妃が突然の欠席となれば非礼にあたる。両殿下はご出発されるまで行くべきか行かざるべきかを悩んでいたという。東宮職の幹部も焦っていた。出発まで時間が無い。宮内庁幹部を通じて両陛下に報告し情報が漏れないよう外務省には知らせなかったという。
皇太子ご夫妻は、いつもと変わらない笑顔で旅立った。雅子妃の体調に慎重を期するため通常は同行しない侍医が同行していた。
高さ六センチの青いハイヒールを履かれていたので、宮内記者たちも妊娠の兆候があるなら、そんな靴を履くはずはないと考えていたという。
真相はこのハイヒールを履いたのは、結婚式に参列する衣装に替えるまでの時間がなかったからだった。一般人とはちがって、皇族の結婚式の衣装やそれに合わせた帽子、バッグなどの小物を揃えるまでには時間が要る。訪問国に失礼の内容念を入れるからだという。
七日、両殿下は無事にベルギーから帰国された。そして雅子妃は十三日に宮内庁病院で超音波による検査を受けられた。この日、ご懐妊が確認できれば宮内庁は発表する予定だった。だが、直前の十日朝刊で、朝日新聞が「雅子さま、懐妊の兆候」と大々的に報道した。十三日夜、宮内庁は検査結果をご懐妊と「発表できる段階にない」と発表。後に稽留流産されたことは周知のとおりである。
だが、ご懐妊の可能性は宮内庁関係者によれば「幾度もあった」という。
二〇〇〇年七月、雅子妃が皇太后の本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席されたときだ。
前日の臨時会見で古川清・東宮大夫(当時)は「雅子妃は暑さで御疲れがたまり、夏バテのような状態」と説明した。
皇室の儀式に皇太子妃が「夏バテ」で欠席するとなれば前代未聞のことだ。宮内記者やマスコミから猛烈な批判が飛び出した。実相は「夏バテ」などではなかった。東宮関係者が語る。
「この時も雅子妃にご懐妊の可能性があったといいます。ベルギーご訪問の時よりもその兆しは強く体調が思わしくなかったそうです。真夏という季節もあり、度重なる検査や治療で酷くお疲れになって、起き上がれなかったのです。事前に儀式を欠席したい、という意向を宮内庁側に伝えたところ理解されなかった。この対応に雅子妃は精神的にも孤独感を持たれて、この頃から以前のような肉声会見はおろか笑顔まで消えていったのです」
当時の東宮職の幹部の想像力の無さが露呈された事態でもあった。
『週刊文春』2013年5月23日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第39回雅子さまの心を折った「厳しい叱責」【プリババ】
pp.40-41より引用
六月十六日、皇太后陛下(香淳皇后)が九十七歳で崩御された。
七月二十五日、本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われる予定だった。ところが前日になって、雅子妃のご欠席が突然発表されたのだ。
「斂葬の儀」は文京区・豊島岡墓地で両陛下と皇太子、各宮家の皇族方、政官関係者、各国駐日大使など千百人が参列する大葬儀の中心的な儀式である。
古川大夫はご欠席の理由について、「暑い日が続いてお疲れが溜まっている。お体を大切にして頂くという見地から出席をお取り止めになった」と発表した。
宮内記者からご懐妊の可能性について質問されると、
「昨年末のようなこと(ご懐妊)が今回の背景にあるというようなことはまったくありません。お疲れの集積であることは間違いないことで、推測をたくましくされないようよろしくお願い致します」
と断言した。
「お疲れ」という表現が波紋を呼んだ。皇室関係者からは「皇室の大切な儀式をお疲れぐらいで欠席するとはとんでもない。せめて棺のお見送りにはでられなかったのか」「両陛下のお悲しみを考えれば、皇太子妃としての自覚がないとしか言いようがない」と非難されたのだった。
この一件は雅子妃バッシングのもととなっている。雅子妃が皇室に馴染んでいない、祭祀を重んじていないといった批判の根拠として、この「斂葬の儀」のご欠席が持ち出されるのである。
だが「お疲れが溜まっている」ということの事実は、軽いものではなかった。実はご欠席の本当の理由は、ご懐妊の可能性があったためだった。主治医に無理をしないよう止められていたのである。
「妊娠初期の特徴の一つとして、体温が上がっておられたため熱っぽい感じだったといわれています。しかし、まだ初期段階で胎嚢が確認されていないため公表するまでもなかった。このためお身体の大事をとられたんです」(宮内庁関係者)
その後ご懐妊には至らなかった。
さらにこの前後に、雅子妃にとって、適応障害というご病気に繋がる過去の暗い記憶となっているある出来事があった。
「この頃も雅子妃はお子さまが欲しいと希望をもっておられたし、妃殿下としてのお務めを立派にこなされたいという気持ちが強かったのです。しかし、そのお務めについても千代田側から強く叱責されて、八方ふさがりのような状態になってしまったのです」(元東宮職)
それは「皇后陛下からごく簡単なアドバイスを受けた」(週刊新潮/二〇一三年五月二・九日号)だけでも、雅子妃が「自分だけが咎められたのだと解釈なさり、ショックを受けてしまいました」(同前)という我慢が足りないというものでもなかった。
「しきたりに関するやりとりならば納得がいくのですが、その時のご気分による感情的なものがよくあるといいます。雅子妃が注意されたことを悪くとるため注意をすることもできないと受取っている元千代田幹部もいるようですが、決してそんなことはないのです。もう少し雅子妃をやさしく受け入れることはできないものでしょうか」(宮内庁関係者)
雅子妃は自信をなくされていった。頑張ろうとすると打ち砕かれ、また這い上がろうとすると叱咤される。どうして良いのか分からなかった。
その年の十二月の誕生日会見で、雅子妃は当時のことをこう述べられている。
「(体調を崩したのは)その時一時的なことでございましたけれども、日程の変更などがありましたことから、一部で誤解が生じてしまったように思いますけれども、その後は体調も戻り、お陰様ですっかり元気にしております」
微笑んでおられたが、心は折れそうになっていたのだった。
(文中一部敬称略・次号はお休みします)
2010年2月20日に発行された『文春新書742 皇太子と雅子妃の運命 平成皇室大論争』(文藝春秋)で「化学的流産」が掲載されなかったのを境に、以降の友納尚子記事からこの単語は使用されなくなっていることが分かる。
1999年12月3-7日雅子が妊娠初期の身でありながら夫妻でのベルギー訪問を強行し、同月末に稽留流産となった件につき、友納尚子は週刊文春連載の「ザ・プリンセス雅子妃物語」にて言い訳記事を書いているのだが、朝日新聞が雅子の妊娠兆候をスクープした1999年12月10日について、雅子が妊娠二週目だったとお粗末な主張をしてしまっている。
これが基本であり、経産婦であれば当然頭に入っているはずの知識である。友納尚子が主張する「1999年12月10日当時、雅子は妊娠二週目だった」説に基づき、2週0日~6日の幅をとると、妊娠0週0日=最終月経開始日は11月20-26日に相当するはずである。月経は通常5日間前後続くので、仮に5日間と仮定すると月経終了が11月24-30日。月経中また終了直後には排卵は起こらず、妊娠を示す基礎体温の高温期継続開始は月経終了より十数日も後である。しかしながら同じ記事に、雅子が「妊娠しているかもしれない」と判断した基礎体温計測は「1999年11月下旬」に行われたと記されており、思いっきり時系列が矛盾する形になっている。
雅子が妊娠初期でありながら飲酒付きベルギー訪問を強行した件について友納は随分と熱心に擁護主張を繰り広げるのだが、「こんな妊娠のごく初期にスクープするなんて朝日新聞はひどい!」との演出を目論んだのか蛇足的な誤りを犯してしまったことで、記事全体が信用ならない胡散臭いものになってしまっている。
こんな矛盾しまくりの妊娠週数計算をしてしまうような友納尚子が「化学的流産」を主張したところで、ますます当てにならないと感じるのも無理ないだろう。
『週刊文春』2013年5月16日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第38回朝日スクープ「懐妊の兆候」
pp.42-45より全文引用
眠りの浅い朝の目覚めだった。どことなく身体の調子がいつもと違っているようだった。
不安と期待が入り混じる気持ちで、日課となっている基礎体温を測られる。このところ平熱より少し高い体温が続いていた。何度も測り直されたそうだが、結果は同じだった。
「妊娠しているかもしれない」
雅子妃殿下は喜びから興奮した様子で女官を呼ばれた。一九九九年(平成十一年)十一月下旬の層雲が広がる日だった。
連絡を受けた古川清東宮大夫(当時=以下同)は、寝癖の付いた髪のまま東宮御所に駆け付けた。その後に皇太子ご夫妻の医療問題の責任者である川口政行東宮侍医長の乗った車が、スピードを上げて東宮御所の門をくぐり抜けたのだった。
その年から坂本正一東大名誉教授(御用掛)の紹介で医療チームに加わった愛育病院の岡井崇産婦人科部長(東大助教授)も駆け付けた。そして東宮御所の二階私室で簡単な検査が行われた。その結果告げられたのは、
「妊娠しているかどうかはまだはっきりとは分からない」
ということだった。
すぐに東宮御所では会議が開かれた。出席したのは古川大夫、川口東宮侍医長、坂本御用掛、岡井医師、そして医療チームの中心的な存在である堤治東大教授らだった。。
問題は、ベルギーのフィリップ王子とマチルダさんの挙式に出席するためのベルギーご訪問が間近に迫っていたことだった。会議の席上、堤教授は妊娠がはっきりしていない段階であっても、極寒のベルギーに行くことには消極的だったといわれている。古川大夫は悩んでいた。出発の当時、皇孫の誕生に宮内庁が「治療=人為的な方法」を取っているということが表沙汰になれば、思わぬ問題が起こるかもしれないと危惧されていた。このことは、たとえ話が洩れたとしても、決して認めるわけにはいかなかった。確かに、今でこそ「不妊治療」は当たり前のように使われている言葉であり、広く認知された治療行為だが、当時はそうではなかった。
皇太子殿下はベルギー訪問に意欲的だったという。皇太子は高校生のころからフィリップ王子と親交があった。「ぜひとも結婚式に参列してほしい」と直接に電話をもらったともいわれるほどの仲だった。
そんなベルギー行きは、正式に閣議でも了承されて、ご訪問の返事をしたばかり。東宮御所での会議は結論が出ないまま、翌日、鎌倉節長官も出席して二回目の会議が開かれた。この時、医師からあらゆる説明がなされたというが、前回同様、結論は出ないままだった。十二月三日のご出発を目前にした最終幹部会だった。ここで医師たちの多数意見として、お身体には影響ないという意見が出され、ご訪問がついに決まったのだった。
後に、「海外訪問に意欲的な雅子妃がベルギー訪問を強行された」というふうに書かれたことがあったが、事実はこうした経過だった。雅子妃自身、ご懐妊されているかどうか分からず、宮内庁と医師の判断に委ねるしかなかった。
雅子妃は複雑なお気持ちだったという。待ち望んでいたご懐妊の兆しと、親交深い海外王室の重大な行事への出席。同時のタイミングでなければという思いが過ったことだろう。
「宮内庁の渡邉允侍従長は、天皇皇后両陛下にこのことを報告されて、帰国された後の十三日に、詳細な検査を宮内庁病院で受けていただくことが決まっていたようです。妃殿下のご希望から超音波検査などは女医の安達知子東京女子医大助教授が行うことになった。安達助教授は、坂本御用掛が務める『母子愛育会センター』の勤務医で、精密な検査が行われる予定でした」(宮内記者)
十二月三日、ベルギーへのご出発当日。雅子妃のご体調の変化はさほど大きなものではなく、いつもとお変わりない様子だった。渡航には川口東宮侍医長が同行するなど、東宮職は雅子妃のお身体を気遣い緊張が解けなかったといわれている。
ご夫妻は無事にベルギーに到着された。雅子妃はフィリップ王子の挙式にロイヤルブルーの正装姿だった。帽子、靴、バッグも同じペイズリー柄。実は和服も検討されたという。
<当日は真冬の零下の寒さで、しかも式場の教会内は正門が開け放たれていた上に、暖房も臨時のもので震えるような寒さであった。風邪をひかれることが何よりも心配だったので、結局洋服で行かれることになった><当初お召しのスーツは深紅のものを予定されていた。ところが実際に教会に到着されたときは、目の覚めるようなブルーのスーツに変わっていた。それは、雅子妃のとっさのご判断だったことを後から知った。式場に行かれる前、妃殿下はテレビに映し出されていた教会の模様を御覧になっていて、式場に深紅の絨毯が敷き詰められていることを御覧になった。同色のスーツではと思われた妃殿下は即座に鮮やかなブルーのスーツに変えられることを決断された>(文藝春秋/二〇〇二年一月号)
とベルギー大使の兵頭長雄氏は記している。
ブラッセル宮殿の午餐会では、雅子妃は各国の招待客と英語で会話をされて終始、笑顔だったという。
翌日には、ファーが襟に付いたコートとブーツ姿で出迎えたベルギー市民の前にお姿を見せ、兵頭大使の案内でデュルビュイというアルデンヌ地方の山村を訪ねられたのだった。
兵頭さんのエピソードが続く。
<両殿下にはベルギでは公式行事以外にはできるだけリラックスしていただきたいと思案した。例えば、ブラッセルのレストランに家内とお忍びでご案内し、たまにはと思いメニュー選びの楽しみを味わっていただいたりした。お二人の睦まじいメニュー選びが続く中で「私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分けます」と申し上げたところ、「それはいい」と言われて幾種類かのベルギー料理を仲良く分け合って楽しまれた>
お二人が仲睦まじく楽しまれている様子が良く分かる。と同時に、普段は食事のメニューひとつを取ってみても、自由に選んで召し上がることもできない環境におられることが浮かんだ。
ベルギー訪問は無事に終わった。
七日、帰国された雅子妃は軽い鼻かぜをひかれたようだったが、ご懐妊の可能性を示す陽性反応は続いていた。翌日、皇居内の賢所に帰国の報告をされる予定だったが、前日に予定が中止となった。
古川東宮大夫は会見でこの理由について、「地方へのご訪問やベルギー訪問が続いて、お疲れがでたので」と語った。
同日夜、御所で天皇皇后両陛下との夕食会が予定されていたのだが、雅子妃はご欠席されて皇太子お一人のご出席となった。
九日は雅子妃の三十六歳の誕生日だった。両陛下からの祝辞を受ける行事には参加されたが、宮内庁職員とのお祝いの席はご欠席された。祝賀行事の大幅な縮小に一部のマスコミは「風邪」だけではないという異変を感じ取っていた。
「この年の秋に、宮内庁病院へご懐妊検査で使う器具が運ばれたことや、鎌倉長官の任期が翌々年三月までと迫って来ていたので、彼は必ず与えられたお世継ぎ誕生という職務を果たすことだろうと思っていました。そこに九月のドイツ行きがお取り止めになって、ベルギー行きで侍医長が同行したとなれば、何かが起こっているのではないか、と取材を重ねたのです」(宮内記者)
十二月十日、午前三時。新聞各紙は東京都心部に配達される最終版の紙面交換で、朝日新聞が一面のトップ記事にスクープを掲載していることが分かると騒然とした。
タイトルは、
「雅子さま 懐妊の兆候」
「近く詳細な検査」
雅子妃の顔写真付の記事は五段抜きの大きさだった。記事によれば、
<皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候がみられることが九日、明らかになった。近く宮内庁病院で詳細な検査が行われる模様だ。妊娠の兆候は、すでに天皇、皇后両陛下にも内々に報告されている>
朝日新聞に抜かれた各社が、必死で後追い取材に追われた。
このときのスクープ合戦では、NHK、共同通信社、朝日新聞社が情報を掴んでいたとされる。朝日新聞以外の二社が当初報道しなかったのは、ご懐妊をはっきりさせる十二月十三日の検査結果を待っていたからとも、情報が詰め切れなかったとも言われた。
午前六時、目黒区南の小和田邸前には、ご婚約以来の多くの報道陣がズラリと並んで、小和田夫妻のコメントを待った。
午前七時過ぎ。インターフォンを鳴らした記者に対して、母親の優美子さんが、「全然知らないので、何も申し上げられません。びっくりしております」と驚いた様子で答えたという。
午前八時半になると、父親の恆氏が玄関から出てきた。しかし、マスコミに対して険しい表情で、「何も聞いておりません」と繰り返したのだった。
ご懐妊に対する喜びは見えず、先走った報道への困惑が覗いた。待機する報道陣の前に優美子さんが出てきたのは、愛犬・ショコラの散歩をするためだった。
詰め寄る記者たちに、
「本当だったら嬉しいんですが、もし違っていたら、妃殿下がおかわいそう……」
正式な発表があるまでは、そっとしておいて欲しいと涙を見せた。
だが一度燃え上がった炎は消すことができなかった。各社は取材班に応援の記者を投入、午前中には新聞は号外を出して、テレビ局はご夫妻の歩みを紹介する特番を放映したのだった。
一気に日本中が慶事の喜びに包まれて、まさに待望のお世継ぎの誕生を待つばかりのムードとなったのだ。ところが、この日午前十時からの会見に現れた古川東宮大夫の表情は実に厳しいものだったという。
「ご懐妊と判断できる段階にありません。ベルギーからご帰国後の日程の変更は、すべて風邪によるものであります」
と言い、つわりがあると報道されていることについても、
「そういった兆候は拝見していない」
と真っ向から否定した。尿検査や血液検査についても、
「なさっておられません」
と強い口調だった。情報が漏れたことへの怒りは収まらない様子で、今後の検査についても、
「しかるべき時期にしかるべき御検査をお受けになることは考えられる」
そして、最後に「ひとつ付け加えたい」として、
「両殿下はこのような記事が流れたことについて、大変ショックを受けられているということです。大変なプレッシャーを受けておられる」
と語った。
大変なショック――皇太子が大夫を通じて感情を明らかにした表現をされたのは異例のことだった。行き過ぎた報道に対して、国民にも訴えかけたかったのだろうといわれた。
だが、スクープを抜かれた各紙は後追い報道に邁進し、「兆候」抜きでご懐妊と断定的に書く社まであった。
皇太子ご夫妻が朝日スクープ記事を知ったのは、この日の朝のことだった。皇太子から雅子妃に記事の内容が伝えられたという。
「雅子妃は医学的な判断を待たない段階での報道にとても傷ついておられました。皇室内での自分の存在に悩まれているところに、やっとの思いでご懐妊の兆しがあった。まだ不安定な状態で、発表できるような段階ではないのに公になってしまい、マスコミ報道に不信感を抱かれておられました」(東宮職)
後から考えると、雅子妃はこの時妊娠二週目だったと思われる。美智子皇后のときは、黒木従達侍従が「おめでたの模様」と紹介して、妊娠四ヵ月で発表。民間出身のお妃の初のご出産ということで取材も白熱したが、各社一斉に報道していることから報道協定のようなものがあったといわれている。九一年の紀子妃の初めてのご懐妊の時は、妊娠二ヵ月での発表だった。雅子妃の場合はご懐妊が差し迫った問題とされていたとはいえ、「本格的な治療に入られたばかりのタイミングで時期尚早だった」(宮内庁職員)という声もあり、報道のあり方が問われた。
十三日午後四時三十五分、東宮御所から雅子妃を後部座席に乗せた専用車が宮内庁病院に向って出発した。窓が白いレースのカーテンで覆われていたためご表情を窺い知ることはできなかったが、後は正式発表を待つだけだった。マスコミは固唾をのんでいたが、いっこうに発表のないまま時間が過ぎていく。
午後九時半過ぎ。記者会見に臨んだ古川大夫は、「ご懐妊なさっていると発表出来る段階ではない」と表情は硬かった。
「医師の総合的判断として、完全な意味でのご懐妊を確認するに至らなかった。明確に確認できないだけだ」
そして、再度検査する意向を明らかにしたのだった。
雅子妃は公的行事をご欠席するなど外出を控えられていたが、二十三日の皇居・宮殿で行われた一般参賀にご出席、国民に手を振られていた。
十二月三十日、宮内庁病院で二度目の検査を受けた雅子妃。その日の十時過ぎに発表があった。
「稽留流産」――。
それは、妊娠初期の段階で胎児が育たずに亡くなってしまい、子宮内に残ったままになっている状態だった。検査は五分で終了して、流産の手術処置がほどこされたのだった。
「このご喪失は、雅子さまの心に大きな衝撃を与えました。しかも、皇室の中からお慰めの言葉をかけられることは一切なかったというのです。ご自分は存在を認めてもらっていないのではないかと悩まれるようになったのです」(宮内庁関係者)
大晦日の明け方から、小雨が降り続いていた。同日朝にご退院された雅子妃は東宮御所の自室に戻られて、しばらく出てこられることはなかった。
(文中一部敬称略・以下次号)
友納尚子の主張には、「雅子サマは産後の肥立ちが悪かった」ため体調を崩し公務を休むきっかけとなったという説がある。これは複数雑誌にてしつこいほど繰り返し記事で書き立てられている。
「産後の肥立ちが悪い」とは、出産で多大に体力を消耗した母親の体調が回復せず、直後から始まる授乳育児家事労働等々に肉体が追いつかず、医療が発達していなかった時代には命を失うことも珍しくなかった現象である。「肥」という漢字が示すとおり、出産を終えた母親の肉付きが体調のバロメーターとなっている。一般に出産後体調が回復せず痩せてげっそりやつれている状態を「肥立ちが悪い」というのだが、現在も画像映像で確認できる2001年12月1日愛子出産後の雅子の姿は「産後の肥立ちが悪い」とはまるで程遠い、むっちりと肉がつきまくった様子である(後掲)。
愛子は粉ミルク育児だったため授乳は不要(っていうか楽するためと、喫煙飲酒を楽しむための粉ミルク選択か?)、仕事も家事も子育ても、東宮家職員によるサポートが日本一充実している雅子の環境は、基本的に家族しか助けてくれる人間がいない一般人母親とは比べものにならないほど恵まれていると断言できる。友納氏におかれては、下手な嘘を吐き続けるのも程々にした方がよいと思われるお粗末さである。
参照:【ふっくら】、【ブザー】
『週刊文春』2008年4月24日号 雅子さま「お言葉が少ない」「笑わない」バッシング報道への苦悩「愛子さま育児日記」(ジャーナリスト友納尚子)
pp.24-25より引用
雅子妃の涙――。それは愛子さまが生まれてからの決して平坦とはいえなかったご自身の境遇と重ね合わせたものだったのかもしれない。
雅子妃がご病気となったきっかけは、いわゆるお世継ぎ問題と産後の肥立ちが悪いことが重なったことだった。出産直後にはすぐ第二子へのプレッシャーがかかってきた。身体の変調を訴えたが、公務が調整されることもなかった。
昼間、体を起こしていることが困難になり、どうにか愛子さまの面倒を見ながら、壁によりかかられていることもあったという。
そして愛子さまが二歳になられた直後の〇四年一月、ご公務を休み本格的な静養に入られた。雅子妃はご出産後の記者会見で「生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」と涙ぐまれたが、その愛子さまの育児すら困難な状況になっていた。
さらにこの頃、愛子さまにかかわる「バッシング報道」が始まったことにも雅子妃は心を痛めていた。
〇四年五月に、イギリスの高級紙『タイムズ』が「うつ病のプリンセス」と題した記事で、「雅子妃は囚人のようなものだ」と報じ、「愛子さまが自閉症だという噂もある」と、まったくのデタラメを報じたのだ。この記事を紹介する形で、国内メディアも続いた。「雅子さまだけではない『愛子さまも危ない!』という閉ざされた宮内庁への『危惧』」(週刊新潮)、「『タイムズ』が報じた愛子内親王に関する心配ごと」(週刊現代)などである。宮内庁担当記者によれば、愛子さまについて、「笑わない」「声を聞いたことがない」という噂は雅子妃のご静養以前から出ていたという。こうした心ない噂に、雅子妃は「自分のことを言われるよりつらい」と語っていたという。
『週刊文春』2008年6月12日号 「新聞は読めるようになったけれど」…皇太子ご夫妻の日常(ジャーナリスト友納尚子)
p.31より引用
九九年、念願のご懐妊の兆候があったが、残念ながら稽留流産となってしまう。そして二〇〇一年、待望の第一子愛子さまがご誕生された。
雅子妃は産後の肥立ちが悪く、体調がすぐれないことを訴えても、周囲にはなかなか聞き入れてもらえなかったという。雅子妃と職員との間に、少しずつ気持ちのズレが生じていくようになっていった。
『週刊朝日』2008年6月20日号皇太子夫妻ご成婚15年 雅子さまの病状を悪化させた「3つの過ち」(ジャーナリスト友納尚子)
p.24より引用
2001年、待望の愛子内親王がご誕生された。雅子妃は産後の肥立ちが悪かった。出産後はホルモンの分泌量が急激に変化し、出産した女性の約半数が経験するという。
雅子妃もお疲れが残り、涙が急に溢れてきたこともあったようだ。
2ヵ月後、ご公務に復帰されたが、ご体調は優れなくなるばかりだった。愛子さまが内親王だったため周囲から喜ばれていないように感じられ、不安を募らせていかれたという。
『週刊文春』2009年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号 皇太子と雅子さま病いと修羅を越えて(ジャーナリスト友納尚子)
pp.46-47より引用
愛子さま誕生の数日後から、お一人生まれたのだから次は親王を、と第二子の誕生を期待する声がかけられた。皇太子ご夫妻も応えたいと思われただろうが、治療の苦難が頭をよぎり、すぐには、と躊躇されたという。
雅子妃は産後の肥立ちもすぐれず、心身ともに疲れきっていた。ベッドから起き上がれないことが多く、情緒も不安定で急に泣き出したり、急に自信をなくして底なしの不安に襲われ、皇太子にとめどなく訴えられることもあったという。
『週刊文春』2009年12月17日号 深層レポート 皇太子殿下を守って差し上げたい 雅子妃の復活 これまで書けなかった全真相(ジャーナリスト友納尚子)
▼お誕生日ムードを吹っ飛ばした宮内庁長官発言 ▼治療回数は激減。ご進講は欠かさず出席 ▼愛子さま「ご出産」の産後の肥立ちが…… ▼「別居・離婚報道」をどう受け止められたか ▼皇太子、愛子さまに「待つといいことがたくさんありますね」
pp.25-26より引用
雅子妃が久しぶりにお出ましになったのは、十月の学習院初等科の運動会だった。インフルエンザで延期されたため愛子さまは首を長くして待っておられたという。ご夫妻は、愛子さまのダンスやリレー選手として走る姿を嬉しそうにご覧になっていた。
愛子さまも赤坂御用地で、バトンの受け渡しやダンスなどを一生懸命に練習なさっていたことを思い出されたことだろう。
雅子妃のお誕生日の文書のなかでは、
「愛子が学校生活を楽しみながら成長してきてくれていることを何よりもうれしく、ありがたく思っております」
と述べられている。
東宮御所内にも犬のゆり、かめ、ハムスターなどがいる。愛子さまはそれぞれに名前をつけ、できるかげりお世話をされている。
「愛子さまは『ああ、忙しい。忙しい』と言いながら、ご自分のことをなさっています」(宮内庁関係者)
実は愛子さまをご出産された後の産後の肥立ちが悪いことが適応障害の原因の引き金だったのだが、今は愛子さまの存在こそがご回復に繋がっている。
『文藝春秋』2011年12月号 大型企画真相開封35アンタッチャブル事件史 宮内庁/雅子妃「ご懐妊の兆候」は一度ではなかった―友納尚子
pp.268-269より引用
(補足:2007年7月香淳皇后斂葬の儀を夏バテのようなもので欠席事件の)一週間後の岐阜でのインターハイ開会式では、少し痩せられたもののお元気な姿を見せられた。だが、東宮御所に戻られると「食欲もなく泣いておられたのか瞼が腫れている事がよくありました」(東宮職関係者)という。
取材を重ねるうちに皇太子ご夫妻が沈黙しつつ悲痛に耐えておられているのが伝わってきた。
雅子妃の様子を当時の東宮職は「ご気分が沈みがちでお部屋にこもりがちという状態です」という。理由は「ご懐妊の情報が朝日新聞にリークされたことで、宮内庁幹部に不信感をお持ちになっている」というものだった。
だが、その後、雅子妃は不信感を持ち続ける気力さえなくなっていく。愛子内親王ご誕生の産後の肥立ちが悪いことが引き金となって「適応障害」が深刻化していったのだが、お元気そうに見える時もあるので、東宮職員ですら、これがご病気だと気付かなかったという。まさしく精神疾患の難しさがあったのだが雅子妃は適切な治療を受けられなかったことから「妃殿下としての自信をなくされていた」(元東宮職)という。
今は愛子さまのご成長こそが希望に繋がっている。雅子妃の単独会見が再び開かれることを待ち望みたい。
『週刊文春』2013年8月1日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第48回 雅子さまの「人格を否定」したのは誰か? 友納尚子
p.40より引用
ご懐妊までの治療は想像以上のもので、ご流産という悲しみも乗り越えられてきた。雅子妃は心身共に疲れ切っていたのだった。
そんななか香淳皇后の葬儀の斂葬の儀を前にして、皇室のしきたりと伝統について必要以上に叱咤されたこともあったといわれた。そうした経緯を見れば、ようやく敬宮愛子内親王をご出産されたときには、会見で「生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」と述べられ、涙を見せられたのも自然なことだった。
ご誕生されたお子さまが内親王であったことから、皇統の問題は残されたままだった。
「雅子妃も第二子を考えておられたことがあったそうです。産後の肥立ちが引き金となって、精神的な病となってしまわれた。お身体の異変を感じたのは他ならぬ雅子妃ご自身だったのです」(東宮職)
『文藝春秋』2011年12月号までは一貫して友納尚子自身の主張として「産後の肥立ちが悪かった」と書かれているが、『週刊文春』2013年8月1日号での友納連載記事プリババこと「ザ・プリンセス雅子妃物語」では「東宮職」の弁による伝聞調に何故かトーンダウンしている。 |
2001年12月8日宮内庁病院を退院、般若顔と非常に危なっかしい手つきで愛子を抱く雅子
2002年1月1日新年発表画像(右端の皇太子が切れてます)雅子の甲の肉に注目【甲の肉】
2002年1月30日アムステルダムで行われるオランダのウィレム・アレクサンダー王太子の結婚式に出席する夫徳仁を東宮御所車寄にて見送る、出産後2ヵ月経過した雅子。「産後の肥立ちが悪い」どころか、まるで妊娠後期のマタニティ仕様っぽいジャケットをまだ着用している(よみうり写真館)
2002年3月1日東宮御所庭園にて、首がまだ座ってないような愛子ちゃんの頭の支えが不安な抱っこをする東宮一家の画像
2002年3月13日同上「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」、酷い歯並びで大口開けて笑う雅子
2002年4月2日愛子誕生を語る記者会見にて雅子による「生まれたての子供」「生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」微妙日本語発言がなされる
2002年4月16日皇居宮殿「連翠」でソルトレークシティー五輪入賞者らを招いた茶会、スピードスケート男子500M銀メダリスト清水宏保選手(左端)と歓談される天皇陛下。その奥に見える雅子は、愛子出産後既に4ヶ月以上経過しているのだが、まだ妊娠継続中としか見えないでっぷりした胴回りをしている(よみうり写真館)
2002年4月27日新潟県全国みどりの愛護つどい式典壇上の夫妻、スーツの上からでも身体の肉付きが分かる雅子
2002年東宮御所にて撮影された一家三人。ソファーで脇に座っていた愛子ちゃんを抱き上げ、膝にのせる雅子。そのがさつな動きにハラハラしているかのような徳仁。横から見た雅子の身体の肉付きが実に丸々としている。友納尚子による「産後の肥立ちが悪かった」という主張を裏切る姿
2002年7月20日両陛下のチェコ・ポーランド・オーストリア・ハンガリーご訪問からの帰国を迎える夫妻、淡いグリーンのフェミニンなスーツが全然似合っておらず残念なことになっている雅子
2002年7月25日白い豹柄地紋・皇室では考えられないアニマル模様スーツ姿の雅子
2002年8月25日須崎御用邸静養へ、愛子を抱っこしている丸々とよく肉が付いた雅子と徳仁
2002年8月26日天皇ご一家の須崎御用邸静養にて“REVE DE FEMME”=「女の夢」プルオーバー姿ですっかりおばちゃん風味の雅子と、抱っこされている愛子と美智子さま【女の夢】
2002年8月26日同上美智子さまと雅子と愛子の別画像、雅子の下っ腹がまるまるとしているのが光線の具合でよく分かる。
2002年8月29日今度は那須御用邸静養、那須塩原駅にて愛子を抱く、むっちりと太った姿の雅子。なおこの前日から夫妻は栃木県での「全国農業青年交換大会」に出席しており、そこに愛子が「一人旅」で合流した
2002年9月5日那須御用邸静養からの帰京の那須塩原駅にて、ボサボサの髪、ダブダブの黄色いシャツの上からも胸より腹が出っ張っていることがわかる。右手で籐かごのバッグを持ったまま愛子ちゃんのお尻を掴んで抱っこし、左手でお手振りしている雅子
2002年9月5日那須御用邸静養からの帰京の東京駅にて、愛子を抱いている黄色いアッパッパのような服の雅子
2002年10月28日御料牧場静養にて、牛と触れ合う愛子と雅子
2002年12月14日ニュージーランドのクライストチャーチにある国際南極センターを訪問の二人、当センターに当時の写真が残る
2003年1月1日新年ご一家画像。玩具がいっぱい置かれた床に座る愛子と雅子、そして同じく床に乙女座りで写真に収まる皇太子
2003年4月葉山御用邸静養、散歩で芝生の上にて大口開けて戯れる雅子と愛子
2003年5月23日新宿区立みなみもと町公園にて、鳩に餌をやる徳仁と、愛子の手を引いている雅子横からのアングル(よみうり写真館)
2003年5月30日東宮一家、東宮御所の庭にて
2003年6月23日インドネシア・メガワティ大統領訪日式典の皇太子夫妻と秋篠宮両殿下、そして小泉首相
2003年7月14日公園デビュー時期、滑り台で愛子を遊ばせるときまで手つなぎを忘れず肩を脱臼させそうな雅子、横からのシルエットが丸々している。
2003年8月7日那須塩原駅前、左手人差し指をおしゃぶりしている愛子を腹の肉の上に乗せて抱いている雅子と、傍らで笑っている徳仁。「産後の肥立ちが悪い」主張を裏切る、サマージャケットアームホールがぱんぱんになるほど肉が付き捲っている雅子の二の腕
2003年8月18日那須静養の帰り、雅子に抱きつく様子が全く無い愛子(週刊女性2003/9/2号<愛子さま、おウマさんとは会えなかったけど――元気になって、ホッ!>8月那須静養で愛子が風邪気味胃腸炎を併発したため、牧場散策を中止したとのこと)
2003年8月25日一旦の帰京後またも那須静養、宮内庁高根沢御料牧場での皇太子一家、何故か厳しい表情で遠くを見る雅子【静養】
2003年9月2日同上「トゥームレイダー2」チャリティー試写会にて、アンジェリーナ・ジョリーと握手するのに顔でなく胸元に視線がいってる皇太子と、でっぷりした背中と腰周りの雅子
2003年9月4日小和田家里帰り画像、小和田祖父母の方を指差す愛子
2003年10月26日迎賓館にてメキシコのビセンテ大統領夫妻来日歓迎式典、紫色スーツ姿の雅子を横のアングルから見た姿が余りに丸々しすぎており、まるで薩摩芋の「農林1号」だとの感想多し。
2003年10月26日愛知県行啓、大股で歩く紫色スーツ姿の雅子
2003年10月30日雅子が最後に出席した園遊会、ぱっつんぱっつんでドスコイな和服胴回りに注目
2003年11月8日第3回全国障害者スポーツ大会開会式のため静岡県袋井市を訪問、雅子が着用している紫色スーツがまるで綿入れのごとくパンパンになってしまう丸々とした体型である。
2003年11月17日夫婦ツーショットでの雅子40歳誕生日(12/9)発表用写真を撮影、雅子の豹柄アニマルプリントスカーフに注目
2003年12月3日帯状疱疹で宮内庁病院に向かう雅子と付き添いの皇太子
2004年1月1日新年ご一家画像、中央に無表情な愛子と、それを相手するために床に座るはめになった秋篠宮内親王姉妹という構図
2004年9月24日自閉症疑惑を「事実無根で不本意」と完全否定にかかった発表で合わせて公表された画像、青山・こどもの城に通うなどして始めた雅子と愛子のリトミック光景画像【不本意】
2004年11月20日雅子母方祖母・江頭寿々子死去で小和田家弔問する皇太子一家。愛子の左手が変な角度でだらんとしつつ人差し指だけが少し立っている
2004年12月9日愛子誕生日用と一緒に撮影されたストライプパンツスーツ姿の雅子単独画像
2005年1月1日新年発表天皇ご一家映像。かなり大きな体格の愛子ちゃんが雅子の膝の上に抱かれている
…以上、雅子の「産後の肥立ち」が悪かったことを示すような画像は1枚たりとも見つけることはできなかった。→【マコオタ画像集(雅子関係)04】
存在するなら是非ご教示いただきたいものである。
『女性自身』2009年2月17日号<雅子さま(45)焦らないで!皇太子さま(48)“激やせ”の重圧の傍で―>HPより
同上『女性自身』2009年2月17日号<雅子さま(45)焦らないで!皇太子さま(48)“激やせ”の重圧の傍で―>記事タイトル部分
上記女性自身は2009年2月3日発売なのであるが……
2009年2月14日ベトナム南部地方都市ミートー訪問、メコン川で2階建て木造船に乗り視察の徳仁。つい先日『女性自身』2009/2/17号で記事にされた「激やせ」が嘘だとしか思われないようなたぷたぷした胴回りをしている
御一行様スレでは【江頭2:47】事件として有名な、平成17年(2005年)12月23日天皇誕生日ご一家夕食会に発生した雅子2時間47分中座事件について、友納尚子は「何度も携帯電話をかけて連絡をとろうと試みたが、樹木が生い茂った皇居は電波状況が悪かったので連絡できなかった」説を主張している。詳しくは【携帯電話】の項を参照されたい。
『文藝春秋』2006年3月号 友納尚子<雅子妃 その悲痛なる決意>
p.114より引用
天皇誕生日の夕食会で雅子妃が待ちぼうけさせたという記事がある(「週刊文春」06年1月19日号)。雅子妃がむずかる愛子さまを連れ帰り、天皇陛下はじめご一家は二時間四十七分もお待ちになったが、雅子妃だけ東宮御所で愛子さまと食事を済ませてから戻られた、というものだった。確かに適切な連絡をとらずにご一家を待たせた雅子妃の行動に弁解の余地はない。
「天皇誕生日の『お祝い御膳』は格式の高い席であるため、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまや幼少の愛子さまは列席できません。愛子さまは説明されれば聞き分けられるのですが、このときは事前によく知らされなかったので、ご両親と離れ一人だけ女官に連れ帰られることに不安を覚えて、そうとうむずかられた。そこで天皇皇后両陛下のご承諾のもと、雅子妃が夕食会を中座して、東宮御所にお連れになりました」(東宮職員) なぜ、連絡がうまくつながらなかったのか。東宮御所の私的なゾーンである「オク」には職員も立ち入ることはない。雅子妃はそこで愛子さまを落ち着かせながら、皇居に残った東宮職員に、あらかじめ定められた連絡順にしたがって、何度も携帯電話をかけ、もう少し時間がかかる旨を告げようとした。しかし樹木が生い茂った皇居は電波状況が悪く結局連絡が取れないまま、急いで皇居に戻られたという。
下駄箱とは、元盗撮カメラマンのフリージャーナリスト友納尚子が主張する、学習院初等科で敬宮愛子ちゃんがいじめを受けているという記事内容に登場するアイテム。
友納尚子の主張によると、「愛子ちゃんは昇降口で突然後頭部を掴まれただけではなく、そのまま下駄箱の中に頭を押し込まれそうになった」とのことで、当該記事を掲載した週刊文春発売当初から「嘘くさ~」というスレ住民奥様方の声が多数上がっていたのだが、後日、学習院初等科玄関口に安全管理システムサービスを提供したという日立システムのWebページにその玄関口・下駄箱画像が掲載されていて明らかになったことにより、「こんな小さくて蓋付きの下駄箱にどうやって頭を押し込めるんだ???」とますますその信憑性が眉唾物になっている。
参照:【不登校】、【敬宮愛子ちゃん】、【愛子さまが怖いと言ったら怖いんだ】
p.156より引用
先週号の「愛子さまいじめ 学習院の『崩壊』」という記事で、愛子さまが受けた乱暴行為が単なる子供同士のいさかいなどではなかったことを明らかにした。問題の男子児童に首を絞められそうになったり、突然後ろから後頭部を摑まれたりしたことなどが、長期欠席の原因だったのだ。
(補足:2010年3月)五日の会見で東宮大夫は「乱暴な行為」の内容を明かさなかった。それは「乱暴を受けたことを訴えることが目的ではなかった」(東宮職関係者)ためだ。
だが、学習院側は会見で「直接の暴力行為やいじめはなかった」と断言した。さらに、学習院トップの波多野敬雄院長は『週刊朝日』(三月十九日号)で、こうも語っていたのだ。
「わんぱく坊主を見て怖がっちゃうような環境で育てられているわけですから、それは学校が直すというよりも、ご家庭で直していただかないといけない。それに合わせて、愛子さまが登校できるようにこちらも努力していきます」
さらに波多野院長は「いろんな経験をなさるのは愛子さまにとって悪いことではない」とも語っているが、問題は、乱暴な行為ではなく、愛子さまの敏感さにあると言わんばかりだ。しかし、愛子さまは恐怖感から腹痛や嘔吐まで起こしていたのだ。それでも「悪いことではない」というつもりか。
乱暴行為を受けたのは愛子さまだけではない。多数の児童が被害を受けている。なかには恐怖のあまり欠席や転校をした児童や、「先生の目が届かない登下校のときは、乱暴な子たちを避けて、時間帯をずらしている」(同級生の父兄)児童までいた。校内では有名なトラブルに対しても、学習院は対応策をとらなかったのだ。
学習院に猛省を促すためにも、先週号で明かさなかった事実に触れよう。愛子さまは昇降口で突然後頭部を摑まれただけではない。そのまま下駄箱の中に頭を押し込まれそうになったのである。
http://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/system/2008/pr080729.html
学習院初等科が児童の登下校を確認する
日立システムの「登下校映像配信安全管理システム」を導入株式会社日立システムアンドサービス
2008年7月29日
学習院初等科(所在地:東京都新宿区)は、株式会社日立システムアンドサービス(本社:東京都港区、執行役社長:三好 崇司/以下、日立システム)が提供する「登下校映像配信安全管理システム」を導入し、9月8日から運用を開始します。このシステムは、児童が登下校の際、ICカードをカードリーダにかざすことにより、保護者の携帯電話に児童の登下校時の画像をメール配信し、児童の安全確認を実現するものです。
学習院初等科は、これまでも児童の安全対策として、緊急時に保護者への一斉連絡が可能なシステムなどを導入していますが、近年の凶悪犯罪の増加に伴う、更なる安全意識の高まりに対応するため、日立システムの「登下校映像配信安全管理システム」を導入することとしました。
・・後略・・
上記Webページのスクリーンショット(学習院初等科玄関口画像あり)
Part1782-237 可愛い奥様 sage 2010/03/27(土) 01:47:48 ID:LgN/ROur0
学習院現保護者も元保護者も怒ってる。
一見とぼけてるけど初等科の下駄箱のサイズを聞くと噴出してくる。
ああ、読んでるんだな~と。
下駄箱は2段に分かれていてそれぞれ上履き・下履きがぎりぎり入るサイズ
そんなところにどうやって頭が入るの!
苛められたなんてウソ
逆よ逆!
みんなどれだけ我慢してきたか
それをあんな出鱈目書かせて!
男の子は連続して2ケタ流出、40人切る事態
おじぎの綺麗さが売りだったのがgdgdで
2年前くらいまでは
「雅子様は御病気で愛子様はあんなで皇太子様おかわいそう」
だったのが、がらりと変わった。
241 可愛い奥様 sage 2010/03/27(土) 01:52:15 ID:LgN/ROur0
↑40人は切らなかった。40人台ですね
ごめんなさいは言うもん
294 可愛い奥様 sage 2010/03/27(土) 03:23:26 ID:imG8JTtj0
スキーから帰ったら修羅場が待っている。
愛子様乱暴者で確定(自閉症とは聞かなかった。でもキレやすく本当に乱暴らしい)。
彼らの居場所がない。
Part2339-84 可愛い奥様 sage 2012/05/10(木) 14:42:46.72 ID:9u4gsuQfO
お昼に文藝春秋立ち読みしましたが貧血おこしてたおれそうでした。
まだ下駄箱に頭を突っ込まれそうだったと言い張っているし。
宮内庁と学習院にはお知らせするべきと感じました。
232 可愛い奥様 sage 2012/05/10(木) 19:36:50.73 ID:2cbPJBhc0
文藝春秋立ち読みした
今までの言い訳を全部、微に入り細に入り改めて説明
そこですごく引っかかったのが、乱暴男児の親のついてのくだり
ウロなんで大まかな意味としてですが、子供は親の前ではいい顔をするから
当事者の親は自分の子供事だと認識もせず、他人事のように会話してたという部分
すっごい名指しつるし上げしてると思うんですが、わかっててやってるんだろうか
保護者達たくさんの人がもう忘れたい事件?だというのに、今もなおはっきり非難してる
これは問題にしてもいいんじゃないでしょうか
672 可愛い奥様 sage 2012/05/11(金) 12:14:37.68 ID:tgQJUhlC0
文春トモノー確認してきたけど、下駄箱の件、「髪を」つっこまれかけたことになっていた。
2010年の週刊文春では、確かに「頭」だったのに。
トモノーもここ見て修正してるの? どんなに小さくても髪の毛の入らない下駄箱は無いと。
679 可愛い奥様 sage 2012/05/11(金) 12:20:18.36 ID:CubCmyMN0
文春友脳で、具体的に書かれている、愛子さんの口から伝えられたといわれる「愛子さんが受けたイジメ」
・すれ違いざまに大声を出されたり首をしめられそうになった
・靴を履きかえようとする愛子さまの髪を後ろから摑んで、下駄箱に突っ込もうとした
・決められた時間で給食を終えられなかった愛子様を囃仕立てたので、その後給食が喉を通らないようになってしまった
以上です。
「下駄箱」の件は、何を、何処を下駄箱に突っ込もうとしたか、これだけではよくわかりませんね。
あの、お尻のあたりまで伸ばしていた髪の毛を下駄箱に突っ込もうとした、とも読めます。
それならあり得ると思います。だって、異様だったもの、あの髪の毛は。
でも、突っ込んではいないんですよね。
もう一つ、「イジメ騒動」きっかけとなった「愛子さんの異変」
・風邪をひいて侍医の診察を受けたとき、「学校へ行くと食欲がなくて給食が食べられないから、今日はお休みするの」と侍医に話した
955 可愛い奥様 sage 2012/05/11(金) 17:37:52.65 ID:PLrqYYKd0
スレ立て、テンプレ乙です。
文藝春秋、図書館でチラ見してきたよ。
驚いたのは、山中湖後の記者会見の記者から質問で「皇室の尊厳もくそもない極めつけの茶番」
なんて言葉が出たということ。
こんなこと言わせるような行動自体、重大な事故だと思う。
102 名前:レポその1 投稿日: 2012/05/11(金) 00:44:39 ID:8v4KBMHg
レポと言うほどではありませんが・・・
文藝春秋2012年6月号
雅子妃と愛子さま批判に晒された二年 友納尚子
・愛子さんに異変が見られたのは2010年2月、風邪を引いて侍医の診察を受けた時に 「学校に行くと食欲がなくて給食が食べられないので休みたい」と訴える。
・いじめ会見の前日に、野村東宮大夫から波多野院長に会見内容を伝えていた。「この時、波多野院長は『もっと強く言ったほうがいい』と、野村大夫にハッパをかけていたほどだった」(宮内記者)
しかし週刊誌には「腕白坊主を怖がるのを直すのは家庭でやってほしい」と答え、東宮との溝が深まることに。
・雅子妃が愛子さんに付き添うようになった理由は「自ら状況を確認したい」「我が子を客観視して捉えたい」から。
・学校医と東宮の侍医は以前から連絡を取り合っていたが、雅子妃はそのルートとは別に、皇太子と専門書を読んだり、子供の心の病にも詳しい大野医師らに相談した。
続きます。
103 名前:レポその2 投稿日: 2012/05/11(金) 01:33:12 ID:8v4KBMHg
102の続きです。
・皇太子ご夫妻が考えた「ご登校復帰」のプログラムは次のようなものらしい。
「楽しい経験をたくさんする」
「普通の子供たちと多く関わる」
「目標を持って、達成感を味わう」
「共同作業の中から新しい発見をする」
・愛子さんは元気な時もあるが、心の傷は深かった。「特に暗い顔をしていらっしゃるという印象はないようです。そういえばいつもより口数が少なかったな、という程度だそうですが、朝になると一変していて、学校に行きたがらないご様子で、その理由もおっしゃられる。雅子さまがなだめ説得されるうちに時間が経過し、登校が遅くなってしまうそうです。」(元東宮職員)
・4年生になると管弦楽部に入部したが、朝練はいつも皇太子が付き添う。
・山中湖校外学習では、一泊12万に対し「実はもう少し安いホテルを考えていたのですが、学習院が『宮様と同じホテルがいいでしょう』と提案したことで決めたのです。」(東宮関係者)
・東宮職はマスコミとの間にいらぬ誤解が生じないように、語るべきものは語り、時には国民の目線を皇太子夫妻の伝えるべき。
・〆は最近愛子さんは、母が子を助けるという内容の本を説明しながら、「私もお母様に助けてもらったから。ありがとう、ね」といったらしい。
ものすごく雑なレポですみません。
108 名前:可愛い奥様@避難所生活[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 11:13:18 ID:8v4KBMHg
IDが変わっているかもしれませんが102,103です。
追加レポみたいなもの&感想を。
・愛子さんは現在給食は他の児童と一緒に食べていて、「乱暴な男児」とは仲良くしている。
・愛子さんの同級生の母親「乱暴な児童は主管や親など大人の前と、子供たちの前では態度は全然違う。当の母親もまさか自分の子供が暴れているとは知らず、『乱暴するなんていやねえ。困ったものだわ。』というほどでした。」
・三月八日雅子妃に手を引かれ、愛子さんは登校。仲良し三人組のお友達の励ましもあって登校できた。
・愛子さんが不登校になってから、学習院と東宮との話合いはあったが、「乱暴な児童」に対する指導は行われず。
気になったこと
・「乱暴な児童」と仲良くしているならバレー部への転部希望事件はなんだったの?
・養育専門の東宮女官だった小山さんのことが全く書かれていない。
・学習院の生徒の保護者のコメントが上記のもののみ。雅子妃擁護の記事だから批判的なコメントは載らないと思うけど、擁護のコメントも載っていない。
・学習院に通う児童たちを気遣う文章は一切なし。また雅子さんが他の児童を気遣ったという記述もない。ホント自分と愛子さんのことしか考えてないようです。
・東宮御所の夏祭りは毎年恒例だそうです。
・記事の内容とは関係ないが、文章も変。この記事は「雅子妃」「皇太子」「天皇」と書かれており、「殿下」「さま」といった敬称が略されている。なのに愛子さんは「愛子さま」。「愛子内親王」とか「敬宮」じゃないのか・・・
しかも最後に東宮夫妻のことを「両殿下」って書いてたり・・・
雑な追加レポですが以上です。
独特の耽美な文体と、事実を確認せず記事にする姿勢(週刊現代2006/11/25号参考)に、どこをどう見ても「産後の肥立ちが悪かった」とは言えない雅子をそうであると言い張る超眼力は、数多存在するフリージャーナリストの中でも特徴があると言える。
橋本明・西尾幹二両氏は『WiLL』2009年10月号対談記事で、野村一成東宮大夫にも存在を認知されていない程度の取材態度と、裏づけも薄弱なまま雅子擁護記事を書き散らすその姿勢から、友納尚子のジャーナリストとしての資質に強く疑念を投げかけている。『WiLL』編集長を務める花田紀凱氏は「雅子妃べったり」とも記している。
『WiLL』2009年10月号 雅子妃問題緊急対談 雅子妃のご病気と小和田王朝 橋本明・西尾幹二対談記事
pp.256-257より一箇所誤植を修正して引用
西尾 現在、雅子妃がご病気のため、皇太子ご夫妻が本来やられるべきことを、秋篠宮ご夫妻が代わりになさっているわけですが、その一方で雅子妃は私的な外出を自由気ままにやっている。つとめは逃げるが、お遊びは休まない。それが、一般国民の怒りを買っているわけです。
橋本 その通りです。
先ほどの野村東宮大夫と末綱前東宮侍従長との会食の折、私的外出についても話題に上がりました。東宮ご夫妻が高級フランス料理点(原文ママ)「ロオジエ」に行かれたことについて、野村東宮大夫ははっきり「知らなかった」と言っておられました。
『週刊文春』(八月十三日/二十日特大号)で友納尚子氏が、こう記している。
≪<この外出を東宮職のトップである野村一成東宮大夫が知らされていなかったことが判明した>とあり、<東宮職は記者以上に情報過疎になっている>と断定している。
だが、事実は違う。当時の取材でも、現在確認したところでも、東宮職幹部はもちろん多くの職員が知っていた。両殿下の外出は、警備など人を要するものだけに、勝手に出かけることなど有り得ないのだ。
こうした曖昧な情報に基づいて、推論を展開するのはいかがなものか。≫
とんでもない言い掛かりです。
その野村東宮大夫と末綱前東宮侍従長と会食した時に、私は野村東宮大夫に、「友納尚子とはどういう人ですか」と聞きました。すると野村東宮大夫は、「私は一度も会ったことがないんですよ。全然知らないんですよ」と言ってました。
これにはちょっと驚きました。野村東宮大夫にも会わないで、あれだけのことを書き散らすとはどういう神経なのか。ジャーナリストとして極めて未熟な方だと思います。
西尾 友納氏を重用し、繰り返し「雅子妃擁護記事」を書かせている文藝春秋が無責任です。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090808/bks0908080742005-n1.htm
【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(221)
2009.8.8 07:41
〈ご一家が青い空のもと、ゆっくり歩まれていくお姿を見届けていきたい〉
〈嗚呼、かくも永きにわたる「皇居」と「東宮」のすれ違い--。国民の不安と心配は募るばかりである〉
前者が『週刊文春』(8月13・20日 夏の特大号)、後者が『週刊新潮』(8月13・20日 夏季特大号)。
同じテーマで『文春』と『新潮』の結論部分がこれくらい違うことからも問題の複雑さが窺(うかが)い知れる。
天皇陛下のご学友、橋本明氏(元共同通信記者、ジャーナリスト)が新刊『平成皇室論』(朝日新聞出版)で「別居、離婚、廃太子までも議論すべき時」と問題提起した雅子妃問題。
ここに来て、一段と広がりを見せてきた。『WiLL』9月号の橋本氏の特別手記も大反響、賛否の投書、電話が殺到している(圧倒的に賛が多いが)。
『文春』は友納尚子さん(ジャーナリスト)寄稿の「深層リポート」で「『離婚・別居・廃太子』皇太子と雅子さまは何を思われたのか」。
〈今年に入り、雅子妃のご体調は、順調にご回復に向かって〉おり、橋本提言については〈橋本氏は、精神疾患に対する知識と理解が足りないのではないか〉とバッサリ。
で、冒頭にあげた結論に達するわけだが、雅子妃べったりが目に余る。
一方の『新潮』は「『皇居』『東宮』かくも永きすれ違い 『東宮』に閉じ籠られた『雅子さま』」。
一見、健やかな日々を過ごされているご一家だが、〈実は雅子さまの身辺は激変し、天皇家とのすれ違いが増す一方〉〈実を言えば、国民の目には見えない“奥の院”では、このところ、深刻な“異変”が起きている〉という。
細かいことだが橋本氏は「別居、離婚、廃太子」と言っている。『文春』が「離婚・別居・廃太子」と順番を変えたのは何か意図があるのか。(『WiLL』編集長)
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/091212/bks0912120846005-n1.htm
【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(239)
2009.12.12 08:44
・・省略、ラスト一文↓・・
『週刊文春』(12月17日号)のトップ「雅子妃の復活 これまで書けなかった全真相」は雅子妃べったり。読んでいてこそばゆい。(『WiLL』編集長)
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100313/bks1003130822003-n1.htm
【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(251)
2010.3.13 08:21
こういう結果は当然、予想されていた。なのに、なぜ敢(あ)えて公表に踏み切ったのか。
3月5日、野村一成東宮大夫は定例の会見で愛子さまが、今週ほとんど通学していない、原因は同学年の別の組に乱暴なことをする児童がおり云々(うんぬん)と発表した。
当然、ワイドショーや週刊誌、ネット論壇は大騒ぎ。
『週刊文春』(3月18日号)がグラビアとも11ページで「愛子さまいじめ 学習院の『崩壊』 小誌が掴んだ全情報」。『週刊新潮』(3月18日号)もグラビアとも14ページ。 「『愛子さま』不登校の全真相」。
『文春』はジャーナリスト、友納尚子さんの署名記事が中心で全体的には雅子妃寄り。
乱暴したといわれているA君のことを〈小4もド突いた小2で140センチの乱暴者〉とタイトルにまでしているが、これは行き過ぎ。
今回は『新潮』の方がバランスが取れている。
・・中略・・
『新潮』はやはり大人だ。(『WiLL』編集長)
『週刊文春』2011年12月1日号 林真理子連載エッセイ「夜ふけのなわとび」 1243 三さま
p.63より引用
そして皇室といえば究極のセレブ。それなのに聞こえてくるのは我ら庶民と変わりないようなご一家の不協和音ではないか。
雅子さまが天皇陛下のお見舞いにいらっしゃらないそうだ。どうしてなんだろうか。この間は皇后さまのお誕生日の宴を中座なさったという。ちょっと失礼ではないだろうかと、女性週刊誌のみならずいろんな週刊誌が書きたてている。その前は愛子さまの泊まりがけの課外授業に随いていらしたということで、週刊誌が軒並みバッシングといってもいい状態であった。
こういう時、必ずといっていいぐらい雅子さまを擁護するジャーナリストがいる。見たところ友納尚子さんは、雅子さまにものすごく近いところから情報をもらっているようだ。この人の動きがものすごく興味深い。週刊文春の常連であるが、「うーんこう書くか」と感心するぐらい雅子さまの肩を持つのだ。
何年か前、やはり皇居での水入らずの晩さん会を、雅子さまが三時間中座し、何の連絡もしなかったと大批判を浴びた。その時の、
「雅子さまはご連絡しようとしたが、皇居の深い緑にさえぎられて、携帯が通じなかった」
というのは、私の好きな友納記事(しかし私もよく憶えてるなア)。
しかし先々週号、さすがの週刊文春も雅子さまへの批判的な記事を書いた。するとその週友納さんは記事ごと「週刊朝日」に引越した。
「愛子さまが咳き込むのがかわいそうで、病室で泣いた」
という、なんだか意味のない内容であったが、私はこの「友納記事」の動きが面白くて仕方ない、そして雅子さまのためにも「友納記事」が増えてほしいと思う。なぜなら週刊誌が雅子さまをしょっと心配している時は、「友納記事」を大きく取り上げる。「友納記事」はマスコミにおける雅子さまのリトマス紙だ。
Part1342-40 可愛い奥様 sage 2008/10/08(水) 19:14:22 ID:8h16bcXS0
トモノーといえば・・・
最近あるジャーナリストと話していて偶然彼女の話題になりましたw
・昔彼女は文春の特派記者をしていて、そのときは事件ものをやっていた。
・妊娠してからあまり遠くに取材に行けないということで、今文春の編集長をしている島田氏に
「皇室もの」をやったらどう?と言われてやり始めた。
・ちょっと前に彼女と話したら「本当は事件ものもやりたいけれど、
皇室の記事ばかり書いているからそれしか仕事が来ない(笑)」って嘆いていた。
・彼女のソースは、その編集長からの情報。
(島田編集長の奥さんが家系上で皇室とつながっているらしいと他の人から聞いた)
けっこう爆弾でしょうか。
Part2499-320 可愛い奥様 sage 2013/01/10(木) 16:30:07.99 ID:L955Zqas0
法則で思い出したが、今朝の読売朝刊に殺人警官事件で週刊文春の名前が出ていた。
2年も前に真犯人から告白CDが送られていたが、
当時の編集長がソース保護をたてに、警察からの問い合わせにも応じなかったとか。
去年編集長が交代して、やっと警察に協力したらしい。
この編集長って、友脳を重用してた島田だよね。
Part1349-473 可愛い奥様 sage 2008/10/15(水) 20:11:52 ID:VxQANNQIO
友納は、千葉県知事やってて実は東京に住んでて、
千葉から血を吸い尽くして東京に財を築いた男の親戚。
476 可愛い奥様 sage 2008/10/15(水) 20:13:43 ID:Fa2tn5sU0
>>473
これ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E7%B4%8D%E6%AD%A6%E4%BA%BA
485 可愛い奥様 sage 2008/10/15(水) 20:19:05 ID:VxQANNQIO
>>476
それ!
成田、東京湾、ディズニーの旨いとこ取り
しかも自分は千葉に骨を埋めるつもりもない。
相当な悪
それの親戚だよ、友納。
Part1537-361 可愛い奥様 sage 2009/04/29(水) 12:57:34 ID:FVslsNsMO
その友納の事で思いついたことがあるから忘れないうちにカキコ。トンギリスマソ
チッソが千葉の京葉工業地帯に進出できたのは、友納知事のおかげでは?
あれだけの非道な会社が千葉に来る事がスムースにいくわけない。
宗教つながりじゃなくて企業誘致絡みじゃないかと思った。>小和田家(江頭)と友納
その時代の千葉県に詳しい奥様いらっしゃったら教えていただきたいです。
Part1862-828 可愛い奥様 sage 2010/07/04(日) 22:04:21 ID:A3tNwjif0
お抱え元エロライターについて以前に小耳に挟んでたことをひとつ。
身内の人間に関しての弱みのようなものがあり
引き替えにああいうことをやっている人物?
締切に対してギリ納品。校正なしで突っ込めるらしい?
Part2373-699 可愛い奥様 sage 2012/06/21(木) 10:17:25.06 ID:0HabLBnk0
>>690
「友 納」 という漢字を分解してみた。
「友」 => 大 ・ L 「納」 => 糸 ・ 内 ←これを再構成すると
大 内 糸 L => 大内糺 (おおうちただす)
「大内糺」が友納のアナグラム??だとしたら、
雅子を擁護している人物が、皇后陛下バッシングの張本人ということなりますが・・・。
*「?」 =「糺」 のつくり (音読:イン、部首:おつにょう
専用ブラウザでは表示されないのでアルファベットのLを代用しました)
720 可愛い奥様 sage 2012/06/21(木) 10:41:24.20 ID:1xFLtJao0
>>699
糺のつくりの「おつにょう」は文字通り「乙」ですので
友=大+乙と考えるとなるほどですね。
大内糺=友納・・
盲点でした!
Part1969-257 可愛い奥様 sage 2010/12/15(水) 15:03:42 ID:N0sVUY+40
友納さんも、東宮関係の記事を書かされるのはもういやみたいですよ。
他のテーマがやりたいと叫んでいるけど、どの編集者からも相手にされてないそうです。
276 可愛い奥様 sage 2010/12/15(水) 16:00:49 ID:N0sVUY+40
とにかく、友納さんに今、東宮記事以外の仕事がまわってこないのは本当。
なので、ネタ元にすがりつくしかない。
彼女も子もちで、生活がかかっているんでしょう。
まあ、将来を憂うんだったら盗撮本なんて出さなければよかったんですけどね。
Part2009-610 可愛い奥様 sage 2011/02/08(火) 23:03:39 ID:huD+Vrvl0
盗撮カメラマンについては
「あの人、もう色が付いちゃった。今から他方面でジャーナリストの仕事するのは難しいよ。
ここ数年皇室ものしかやってないでしょ、だから偏ったイメージが定着しちゃったんだよ。
本音は、別に皇室ものをやりたいわけでも無いんだけど仕事無かったから飛びついて、それがズルズルとここまで。
こうなるともうダメ。だから敏腕ジャーナリストは満遍なく多方面に渡って仕事するの」
もう雅子さんと一蓮托生か。
618 可愛い奥様 sage 2011/02/08(火) 23:09:32 ID:U5M7t1ku0
トモノウについては
どっかのオヤジと対談中にそのオヤジと激しくキスしながら倒れ込んでた写真
あれが気持ち悪くてしょうがなかった
なんであんな汚らしい女が皇室を語れるの
622 可愛い奥様 sage 2011/02/08(火) 23:12:09 ID:huD+Vrvl0
>>618
「仕事無いのー、何か斡旋してー」と触れ回っていたところに
誰もやりたがらない雅子妃の擁護係が回ってきた。
でもなんで仕事無かったのか聞きそびれた。子供いるから産休明けだったのか?
Part2668-275 可愛い奥様 sage 2013/10/07(月) 10:59:45.60 ID:CVodGgvw0
ロム専ですが、有田芳生のツイートに友納が登場してたので投下させて頂きます。
有田といえばやたらヘイトスピーチと騒ぎ立て、
反日893組織とつるんでいることで有名な人ですが・・
twitter.com/aritayoshifu/status/386705095317925888
六角弘さんの葬儀が終わり「週刊文春」に
「ザ・プリンセス雅子妃物語」を連載してい
る友納尚子さんと話をした。「雅子妃は米
焼酎Tがお好きで深夜まで飲む」などといっ
た噂の数々。その真偽を細かく聞いた。お
酒はほとんど飲まないなどデマの類ばかり
だった。宮内庁のメディア対策に問題がある。
277 可愛い奥様 sage 2013/10/07(月) 11:01:37.55 ID:CVodGgvw0
>>275
自己レス
2013年10月5日 - 21:10 のつぶやきです。
Part2741-460 可愛い奥様 sage 2014/02/26(水) 11:23:26.19 ID:SIWacp3R0
トモノーの旦那って毎日新聞だっけ?
469 可愛い奥様 sage 2014/02/26(水) 11:30:38.82 ID:89Gr6Aej0
>>460
産経
Part2893-978 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/11/17(月) 08:28:55.84 ID:COc6kzHh0
>>969
こんなの有ったよ↓
>友納尚子の夫は産経新聞記者。
>bluefox-hispeedbluefox-hispeed 2011/12/11 17:29
>すずきすずき 2011/12/11 20:27 追伸
>友納尚子の夫は鈴木裕一といい、
>若いころ社会部宮内庁担当を務め、その後社会部長になりました。
>現在は編集局長に次ぐポストである「編集局総務」という役職です。
Part2895-72 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/11/18(火) 15:07:11.77 ID:OKSKi6gp0
産経新聞社人事
2014.07.01
産経 国際書会人事 (1日)
会長代行 産経新聞東京本社事業局長鈴木裕一▽退任 関田伸雄
友納の夫と言われている人
産経ソウル支局長が拘束されているけど
オタクの社の人の連れがやっているねつ造記事&天皇陛下貶め記事の方が100倍ひどいから
79 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/11/18(火) 15:23:59.32 ID:K/iE2kio0
>>72
「産経国際書会」をググってみた。書道の団体で、毎年「高円宮賞」を久子が授与してると。
いろいろつながりが見えてきた。小川東洲の名前は役員にはないようだが。
Part2963-822 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/05/19(火) 09:41:13.48 ID:qclIzL6E0
徳仁さんの私的京都訪問も何をしているやらとあったけど
案の定、久子も頻繁に京都、兵庫、大阪に行っていたのは金稼ぎだったのね
それも悪徳商法並み
その久子をマンセーしている産経読売の気が知れないな
848 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/05/19(火) 10:04:45.09 ID:fIoCfEwD0
>>822
産経ね、トモノー亭主の鈴木がいるよね、読売も久子ベッタリだし
鈴木裕一 氏(すずき ゆういち)産経新聞社 業務企画統括
(元社会部1984年法政大学卒、産経新聞社入社。静岡支局、編集局整理部を経て、88年社会部。
主に司法、皇室、警視庁を担当。司法記者クラブ、社会部次長兼警視庁記者クラブキャップを歴任。
2007年産経新聞編集局社会部長、
09年2月産経新聞社「SANKEI EXPRESS」編集長。
10年7月産経新聞編集局次長兼「SANKEI EXPRESS」編集長。
11年10月編集局編集総務。
13年3月編集局編集総務兼産経デジタル事業開発。13年10月から現職。長)
Part2702-128 可愛い奥様 sage 2013/12/04(水) 10:08:29.41 ID:t+Pmmx3U0
前夜になり、体調の良かった雅子妃は副大統領との接見にお出ましになる事を決意された。
「出ると言ったら出るのです!」その一言に、東宮職は記者に雅子妃のお出ましを発表する。
記者たちは一斉に国内外へ配信し、ご夫妻での接見に向け、周囲は慌ただしく動き始める。
雅子妃のお出ましが決定し、外務省からの願い出を受けたアメリカ大使館は、
カウンターパートとして急きょケネディ大使の同席を決めた。これは異例の事だった。
それほどまでにアメリカは雅子妃のお出ましの重要性を理解し、期待が高いということを示していた。
接見当日、心臓の高鳴りを感じながら昼頃目覚めた雅子妃は、緊張と共に気持ちが引き締まる思いだったという。
「これがわたくしの公務完全復帰への第一歩なのだわ…」雅子妃はインド訪問中の皇后陛下の
名代を立派に務める事こそが立后への道と信じながら、決死の思いでベッドから起き上がられた。
普段のご公務よりも念入りにメイクをほどこし、ケネディ大使の好みを大使館へ問い合わせ、
特別に合わせられたキャロライナ・ヘレラ風の衣裳と、揃いの2連真珠でお支度が済んだ姿で、
緊張した面持ちのまま座り込んでいた。明け方に寝落ちするまで書いていた英語の台本を
自室にこもってひとり唱えていた雅子妃へ届いたのは、運命を変える知らせだった。
「副大統領への接見は陛下単独が慣例、よって名代の殿下も単独で行う」という千代田からの非情な通知。
それは皇室に雅子妃は不要だと言っているに等しく、療養中で繊細になられた雅子妃の心を折るには十分であった。
「公務を選り好みしている」「またドタ出、ドタキャンだ」と心無い憶測を呼んだが、事実は違っていた。
雅子妃の覚悟のお出ましは、旧弊な決まり事を押し付ける宮内庁の役人たちによって阻止されたのだ。
両陛下のお留守を狙った千代田の罠。まるで雅子妃のご回復や公務復帰を望んでいないかのような妨害にも思えた。
頑張ろうとすると打ちくだかれ、這い上がろうとすると叱咤されてどうしてよいかわからなくなったという。
雅子妃は顔色を失い、「大学はどちら?」と言うために用意されていた自らの卒業アルバムを広げ、
「Like you!! …Oh so fluffy!!」と取り乱され、アルバムを抱えて寝込まれてしまったという。
友脳さん、こんな感じで期待してますw
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広義では「東宮家雅子夫人に関する様々な問題事」を表す。この単語は『週刊新潮』2008年4月10日号<男の担任も「横ヤリ交代」 学習院初等科「愛子さまご入学」シフト>記事中にて「雅子さまマター」で登場し...
Part826スレッドのとある奥様(レス番号371・377・379)が、以前ここに書かれていた「迷惑外交武勇伝」という言葉が気に入ったとのことで、海外における雅子のgdgd振舞い事件を端的にまとめてく...