江頭2:47

ページ名:江頭2:47

雅子夫人が芸人・江頭2:50の遠い母方親戚であることは知る人ぞ知る話であるが、平成17年(2005年)12月23日天皇誕生日ご一家夕食会に発生した雅子2時間47分中座事件によって「江頭2:47」という卓越した称号がある一人のスレ住民により与えられた。

Part343-416 名前:可愛い奥様 :2006/01/25(水) 08:45:41 ID:zLAGACcb
とりあえず江頭2:47に改名せよ>雅子

本家の江頭2:50は時刻だが、江頭2:47は雅子がお祝い御膳を中座した時間の長さに由来するので「えがしら2じかん47ふん」と読む。
雅子夫人の天皇陛下を軽視している思考が露骨に現れた事件である。

それまで適応障害の皇太子妃を生温かくマンセーしてきた各雑誌もさすがにこの事件を大きく取り上げ、記録時間は取材記者それぞれ多少の計測誤差はあるものの、2時間50分近く雅子が天皇陛下に待ちぼうけを喰らわせたことが全国的に知られることになった。2時間47分という数字は『週刊文春』2006/1/19号<雅子さま「2時間47分中座」天皇ご一家が夕食会でまちぼうけ>による。また御所に戻ってきた折の雅子発言「どうも」で秋篠宮妃殿下に涙を流させるといった事件も合わせて発生している。
ちなみに、その翌日の24日、東宮一家は丸の内ミレナリオ見学ドライブに出かけるという、尋常ではない精神力を見せ付けている。

関連項目:【おむずかり】、【氷の団欒】、【ミレナリオ療法】、【翌日シリーズ
参考画像1:2005年11月27日 黒田夫妻の結婚を祝う茶会で、両陛下に礼をしない東宮夫妻4連結画像
        同茶会での天皇皇后両陛下にお辞儀拒否の徳仁雅子gif動画
参考画像2:遠縁とはいえ、血のつながりを窺わせる画像(左=江頭2:50/右=江頭2:47)

目次

平成17年(2005年)12月23日天皇誕生日夕食会での「江頭2:47」事件概要[]

2005年12月23日、天皇陛下72歳誕生日
天皇誕生日祝賀の儀(宮殿)≪雅子欠席≫
天皇誕生日一般参賀(宮殿ベランダ)≪雅子は全3回のうち初回1回のみ出席、2回欠席≫

18:30より皇居御所にて、両陛下・東宮夫妻・秋篠宮両殿下・黒田ご夫妻の顔ぶれにて「お祝い御膳」開始予定。未成年皇族は挨拶のみで食事には参加しない慣例。

眞子・佳子・愛子三内親王による天皇陛下へのご挨拶の後、敬宮愛子ちゃんが帰宅を嫌がって大騒ぎとなる(おむずかり)。

18:55、雅子が愛子を東宮御所へ連れ帰る。皇居御所と東宮御所は車で10分程度の距離である。

雅子、あろうことか東宮御所でそのまま夕食、愛子ちゃんを寝かしつけ。

その間、東宮職からの連絡が曖昧であったため、ご一家はなかなか食事も始められなかった。
結局雅子抜きで食事会は始まり、食事が終わった頃にようやく戻るとの連絡が入る。
※後に、友納尚子は“携帯電話で何度も連絡しようとしたが、樹木が生い茂った皇居は電波状況が悪くてつながらなかった”と擁護。

皇后陛下は15分ほど御所の外で待ったが雅子は、まだ戻らず。

2時間47分が経過した21:42、ようやく雅子が御所へ戻る。

気まずいだろうと雅子を気遣った秋篠宮妃・黒田夫人が廊下まで出迎えるも、雅子は「どうも」とだけ発して着席。

その場を目の当たりにして、ついに紀子妃が涙を流された。

2005年12月24日 東宮一家が丸の内ミレナリオとお台場イルミネーション見学ドライブお楽しみ≪週刊文春・週刊現代情報≫
2005年12月25日 雅子、大正天皇例祭を欠席【翌日シリーズ
2006年1月5日 天皇皇后両陛下との御所夕食会、愛子が三十七度台発熱でその看病を理由に雅子が当日ドタキャン、徳仁が単独参内。

『週刊文春』2006年1月19日号<むずかる愛子さまを連れて…雅子さま「2時間47分中座」天皇ご一家が天皇誕生日夕食会で待ちぼうけ>pp.28-30より全文引用[]

十二月九日に発表された「東宮職医師団の見解」で、皇室という環境が病気の原因だとされた雅子さま。その波紋が収まらない二週間後の天皇誕生日、御所で異例の事態が起きていた。雅子さまが誕生日をお祝いする特別の夕食会を三時間近くも中座されたというのだ。

 昨年十二月二十三日、天皇陛下は七十二歳のお誕生日を迎えられた。
 だが、その日に「陛下に対して大変なご無礼があった」ことは、数少ない関係者にしか知られていない。
「御所で愛子さまが帰りたくないとおむずかりになって、夜のお祝い御膳が遅れたのです。まだ四歳の愛子さまのなさったこととはいえ、大変なご無礼だったと御所では受け止められています。眞子さまも佳子さまもこのようなことは一度もなかったといいますからね。天皇皇后もさすがにご不快な様子だったと聞いています」(宮内庁担当記者)
 この日、天皇は早朝からお忙しかった。宮中三殿で行われる「天長祭の儀」のあと、一般参賀はじめ宮中のお祝い行事が夕方までびっしりと組まれてたからだ。例年のこととはいえ、皇族・旧皇族はじめ、総理大臣ら三権の長、宮内庁職員、各国大使、ご進講者などが入れ替わり立ち替わりお祝いに参殿した。
 この日最後の祝賀行事である「ご進講者とのお茶会」が始まったのは夕方五時。作家の阿川弘之氏や元駐米大使の松永信雄氏ら三十名ほどの出席者が引き上げたのは六時前のことだった。このお茶会が終われば、あとは天皇ご一家だけによるお祝い行事を残すばかりである。
「六時に愛子さま、眞子さま、佳子さまら三人の内親王殿下が赤坂から皇居に参殿されて、お子さま方だけで天皇陛下にお祝いのご挨拶をされました。愛子さまはまだお小さいですが、御所の一室で『おめでとうございます』と陛下と向き合って挨拶されたはずですよ」(同前)
 六時半からは「お祝い御膳」が始まる予定だった。
「お祝い御膳」とは、天皇皇后の誕生日と正月三が日にしか供されない、天皇家でも特別な夕食会のことだ。
 皇室における食事全般を担当する大膳課関係者は次のように解説する。
「『お祝い御膳』は本膳と二の膳に分かれています。本膳は御膾から始まって、御煮物、御漬物、御本汁、御飯。二の膳は御肴、御精進、御焼物(おめでたい『浜焼姿小鯛』、二の汁。いずれも季節の食材をふんだんに使っており、手間をかけて作っています。御所といえどもふだんは一汁三菜が基本ですから、お祝い御膳は品数が多いのです。
 本膳と二の膳はそれぞれ朱塗りの丸盆に載せられて供されます。この丸盆もお祝い御膳にしか使われない特別なものです。お出しするタイミングはほぼ同時。御食堂のテーブルには二つの丸盆がお一人ずつに並ぶことになります」
 昨年の天皇誕生日は、天皇皇后、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻に加えて、初めて黒田夫妻が参加するご予定だった。お祝い御膳は私的な集まりとはいえ、格式の高いお食事会のため、ふだんお使いになっている「御食堂」ではなく、毎年、「来賓用御食堂」が使われ、幼少のお子さま方は参加されないことになっている。
 異変が起きたのは、三人の内親王殿下のご挨拶が終わった直後のことだった。
「愛子さまが、お母さまの雅子さまが残るなら自分も残るといって、すねてしまわれたそうです。お付きの女官と出仕がなだめて『帰りましょう』と言っても言うことを聞かず、大騒ぎになりました」(宮内庁関係者)
 ご一家にとって大事なお食事会なのに、周囲がなだめすかしても、愛子さまはますますむずかるばかり。いつしかお祝い御膳が始まるはずの六時半は過ぎてしまっていた。
「雅子さまは女官か出仕に愛子さまをお送りさせようとなさっていたのですが、愛子さまがどうしても言うことを聞かない。そこで雅子さまが愛子さまをお連れになって、いったん東宮御所にお戻りになることになったのです」(同前)
 雅子さまが愛子さまをお連れして、御所を出発されたのは六時五十五分。皇太子はお残りになった。だが、関係者によると、七時を過ぎてもお祝い御膳が始まる様子はなかったという。
「雅子さまが御所にお戻りになるご予定だったので、天皇ご一家がお待ちしていたのだと聞いています。
 御所ではお食事会のとき、ご一家が御席にお着きになられると『ご着席』という連絡が職員たちに伝えられることになっています。ご着席になれば、御所のなかで職員が皇族方に鉢合わせすることがありません。職員たちも自由に動き回ることができるため、そういった連絡をするのが慣例になっているんです。ところが『ご着席』の連絡がいつまでたってもありませんでした」(前出・宮内庁担当記者)
 異常事態はまだ続いた。雅子さまがお戻りにならなかったのだ。
 
雅子さまは愛子さまとお食事
「雅子さまは愛子さまが落ち着かれたら御所にお戻りになるはずだったのに、なかなか戻られませんでした。そこで御所から東宮御所へ問い合わせの連絡を入れたのですが、東宮御所からの回答は『すぐに戻るのか、戻らないのか』はっきりせず、要領を得ないものだったと聞いています」(皇室関係者)
 その間、御所の厨房で準備していた大膳課の職員は大混乱だったはずだ。お祝い御膳のスケジュールがずれることなど、これまであった例がないからだ。
「料理人にとって一番残念なのは、タイミングがずれることなんですね。やはりおいしく召し上がっていただきたいですから、火に掛ける料理の時間はご着席の時間から逆算して決めています。御飯の炊き上がりもそう。御所では、何時間も前に炊き上げて保温するなんてことはありませんからね」(前出・大膳課関係者)
 御所で多くの関係者が気を揉んでいる間、東宮御所に戻られていた雅子さまは何をなさっていたのか。
 事情を知る関係者がこう話す。
「雅子さまは愛子さまと東宮御所でお食事を召し上がっていたそうです。そのあと愛子さまが寝つかれるまで一緒に寝室にいらして、それから御所に向かわれたのです」(東宮関係者)
 天皇ご一家が何時まで御膳に手をつけられないまま、雅子さまのお戻りをお待ちになっていたのかは定かでない。結局、雅子さまがお戻りになったのは、御所を出てから二時間四十七分後の九時四十二分だった。
 ある皇室関係者が肩を落としてこう語る。
「何と言っても天皇陛下のお誕生日です。たとえオクの私的なお食事会ではあっても、天皇皇后両陛下がいらして、皇太子殿下はじめご一家が御揃いになって『おめでとうございます』とお祝いを申し上げるわけですから、陛下をお待たせするようなことは絶対にあってはならないことです。
 それに、今回は初めて黒田さんをお迎えになってのお祝い御膳です。両陛下のお気持ちとしては、ご一家の結束を強めるため特別な意味がおありになったと思います。黒田さんはご一家のことをよくご存知だといっても、初めてのお祝い御膳への出席です。両陛下としてはとてもお辛いお誕生日だったと、お察し申し上げます」
 女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範改正がまさに始まろうとしている中で、天皇皇后は愛子さまのご成長を大変ご心配されているご様子だという。
 
宮内庁は「不手際」を認めた
 まだ四歳の愛子さまがおむずかりになるのはいたしかたないことだとしても、なぜ女官や出仕に送り返させなかったのかという疑問は残る。
 宮内庁の報道室にこの点について聞くと、その理由についてこう答えた。
<妃殿下は東宮女官や出仕にお送りさせようとなさったが、母親でなければ「難しい状況となったので、ご自分でご同伴になったものです>
 だが前出の宮内庁関係者は、首を傾げてこう言う。
「まだ四歳のお子様ですから、無理やりにでもお車にお乗せすればよかったのではないでしょうか……」
 もう一つの疑問は、雅子さまがなぜすぐに御所にお戻りにならなかったのかという点だ。
 報道室はこう回答した。
<妃殿下は宮様が東宮御所で落ち着かれ次第。御所にお戻りのご予定でしたが、東宮職の対応に不手際があったため、御所に適切な連絡ができず、ご迷惑をおかけすることになってしまったものです>
 元宮内庁担当記者で静岡福祉大学の高橋紘教授はこう嘆く。
「天皇誕生日の『お祝い御膳』はあくまでも祝賀行事の延長であって、単なる家族の会食とは意味合いがちがいます。愛子さまを連れて帰らなくてはならない状況だったとしても、できるだけ早く戻るべきでしょう。三十年間、皇室を見てきた者としては残念に思います。雅子さまにとって、両陛下はどのような重みの存在なのでしょうか」
 天皇誕生日の翌日、二十四日はクリスマスイブ。その夜、皇太子ご夫妻は[[丸の内のミレナリオを見にドライブ>ミレナリオ療法]をされたという。そして二十五日の大正天皇例祭の儀に雅子さまは欠席された。
 元旦の新年祝賀行事には一部ご出席されたものの、一月五日に予定されていた天皇皇后との夕食会は、三十七度台の熱がある愛子さまのご看病のため、当日になってキャンセルされ、皇太子が一人で参内されたという。

『週刊新潮』2006年1月26日号<激震走る「雅子妃と皇室」>[]

  • 『週刊新潮』2006年1月26日号<激震走る「雅子妃と皇室」>記事

p.31より引用
気に入らないと「ポイ捨て」愛子さまは大丈夫?
 愛子さまの存在は皇太子ご夫妻の心の拠り所だ。殿下そっくりの目元と愛くるしい表情。誰もを和ませる天真爛漫さである。その愛子さまもやんちゃ盛りで、ご機嫌が悪い時は、もらった物をその場で“ポイッ”と捨ててしまうこともおありとか。
 
 愛子さまは健やかに育っていらっしゃるのか。
 国民の心配の目は雅子妃に対してと同様、愛子さまにも注がれている。何かにつけて愛子さまのご様子が話題になるからである。
「1月5日に両陛下が皇太子、秋篠宮ご一家を招いて夕食会を開かれた時も、愛子さまがお風邪をひき、雅子妃は当日になってキャンセルされました。妃殿下はご自身の誕生日に12月9日に、両陛下を招いての夕食会を直前でキャンセルしていますから、それに続いてのことになりました」(宮内庁担当記者)
 12月23日の天皇誕生日の夕食会の際も、愛子さまがむずかったため、雅子妃は席を外して東宮に帰り、3時間近い“中座”をしたことも明らかになっている。
「この時は大混乱でした。お二人が東宮へ帰られた時、東宮職員は外で食事会をしていて、なかなか連絡がとれなかったのです」
 と宮内庁関係者がいう。
「おまけに雅子妃が一度、東宮の“奥”に入られれば、誰も声をお掛けすることができない。まして東宮には、雅子妃に進言できる侍従もいません。結局、妃殿下が御所に戻り、両陛下との夕食会が終わったのは夜10時を過ぎていました」
 宮中は、愛子さまがむずかっただけで、こんな事態に陥ってしまうのである。
 陛下のご学友で、元共同通信記者の橋本明氏がいう。
「これは女官も侍従も本来の仕事ができていないということであり、躾けも十分とは言えないということでしょう。私が聞いた話では、愛子さまは皇族のある方から贈り物をいただいた時、その場でポイッと放ってしまうこともあったそうです。残念なことです」
 宮内庁関係者によれば、
「一昨年、平成17年度の皇室カレンダーをご一家総出で撮影する際にも、むずかった愛子さまが渡された人形をポイッと捨ててしまうことがあった。ご気性は相当、お強いようです」
 果して、愛子さまは健全にお育ちなのか。ある児童精神科医によると、
「3、4歳は第1次反抗期で、自己主張の時期であり、思い通りにならないとむずかったり、癇癪を起こします。逆にこの時期に自己主張がない子の方が心配です。愛子さまは4歳児として健常発達だと思いますよ」

気遣いで雅子を迎えに出向いた秋篠宮妃殿下と黒田清子さんに向かって雅子一言「どうも」、秋篠宮妃殿下落涙事件[]

単なる中座だけでなく、気遣いの出迎えをしていた秋篠宮妃殿下と黒田清子さんに向かって「   ど   う   も   」の一言で済ませ着席するとは、一般人レベルで考えても常識に欠けるトンデモ振る舞いである。

p.24より引用
 今回のご懐妊の一方を聞いたある皇室関係者は、紀子さまが昨年末の天皇誕生日に涙をお流しになった一件を思い浮かべたという。
 その日、天皇ご一家は「お祝い御膳」を中座された雅子さまをお待ちになったまま、緊張した夜をお過ごしになっていた。
「あの日は夕方六時半からご一家と黒田夫妻がお揃いで、天皇陛下の七二歳のお誕生日をお祝いするご予定でした。ところが愛子さまがむずかられて、雅子さまが一緒に東宮御所に戻られてしまった。すぐお戻りになる予定だったので、お箸もつけずに待たれていたのですが、東宮御所から何の連絡もないまま時間が過ぎていった。御所から連絡を入れても東宮職の返事が曖昧で、状況がよくわからなかったそうです。結局、雅子さまがご不在のままご夕食は始まりました。天皇陛下もさすがにご不快の様子で、せっかくのお祝いのお席も雰囲気がすっかり冷めてしまわれたといいます」(皇室関係者)
 御夕食を終えられた後、雅子さまのご到着をお待ちになっているところへ、ようやくお戻りになると連絡が入ったのだという。
「両陛下はじっとお待ちでしたがすでに二時間以上が過ぎていました。連絡が入った後、皇后さまは長い御廊下を歩いて玄関までお迎えに出られたそうです。そこで十五分ほどお待ちになったのですが、なかなかお車がご到着にならないので、皇后さまは御食堂にお戻りになられました。
 しかし、ご一家が揃って席についたままお待ちになっていては雅子さまも気まずいだろうと、紀子さまと黒田清子さんがそろって御廊下に出てお迎えすることにしたといいます。御廊下から一緒にお話をしながら入れば、お気楽だろうと気配りされたのです。それなのに、戻られた雅子さまは『どうも』と軽く会釈をされただけで席に着かれてしまわれたといいます。
 その場の状況を目の当たりにされて、紀子さまは思わず泣き出されてしまった。この日のお祝い御膳はとりわけ重い意味があったからでしょう。天皇陛下がご病気の中でお誕生日をお迎えになる意味は非常に大きいですし、秋篠宮ご夫妻が縁結びをされた黒田夫妻が初めて出席するお祝い御膳でもあったからです。紀子さまのお気持ちには格別のものがおありだったと思います」(同前)
 紀子さまのご妊娠はそれからまもなくのことだ。
 
p.29より引用
 昨年から今年にかけて、天皇ご一家の行事で皇太子ご夫妻の“遅刻”や“欠席”が相次いだ。
 九月十一日、紀子さまのお誕生日の夕食会にご夫妻が四十五分遅刻。
 十二月九日、雅子さまご自身のお誕生日夕食会の突然の中止。
 十二月二十三日、天皇のお誕生日の夕食会に雅子さまが二時間四十七分の中座。
 一月五日、天皇皇后との夕食会を雅子さまが欠席。
「両陛下と秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻の親密さがどんどん深まるばかりで、皇太子ご夫妻がますます孤立していくように見えるのが心配でした」(皇室関係者)

『文藝春秋』2006年3月号友納尚子による噴飯物の「携帯電話の電波状況が悪かった」説[]

『文藝春秋』2006年3月号 友納尚子<雅子妃 その悲痛なる決意>
p.114より引用
 天皇誕生日の夕食会で雅子妃が待ちぼうけさせたという記事がある(「週刊文春」06年1月19日号)。雅子妃がむずかる愛子さまを連れ帰り、天皇陛下はじめご一家は二時間四十七分もお待ちになったが、雅子妃だけ東宮御所で愛子さまと食事を済ませてから戻られた、というものだった。確かに適切な連絡をとらずにご一家を待たせた雅子妃の行動に弁解の余地はない。
「天皇誕生日の『お祝い御膳』は格式の高い席であるため、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまや幼少の愛子さまは列席できません。愛子さまは説明されれば聞き分けられるのですが、このときは事前によく知らされなかったので、ご両親と離れ一人だけ女官に連れ帰られることに不安を覚えて、そうとうむずかられた。そこで天皇皇后両陛下のご承諾のもと、雅子妃が夕食会を中座して、東宮御所にお連れになりました」(東宮職員) なぜ、連絡がうまくつながらなかったのか。東宮御所の私的なゾーンである「オク」には職員も立ち入ることはない。雅子妃はそこで愛子さまを落ち着かせながら、皇居に残った東宮職員に、あらかじめ定められた連絡順にしたがって、何度も携帯電話をかけ、もう少し時間がかかる旨を告げようとした。しかし樹木が生い茂った皇居は電波状況が悪く結局連絡が取れないまま、急いで皇居に戻られたという。

『文藝春秋』2016年1月号<大型企画 当事者と目撃者が振り返る日本を変えた平成51大事件 ■16年 人格否定発言 今も残る皇太子夫妻の説明責任(岩井克己)>で記された新情報雅子語録:「四口食べさせたら戻りますから」[]

Part3046-38 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/12/10(木) 11:41:25.99 ID:7hZUWmXo0
文藝春秋、「人格否定発言 今も残る皇太子夫妻の説明責任   岩井克己」立ち読み。

細かい新情報として、人格否定発言の頃、
・秋篠宮邸での内祝で天皇陛下がマサに話しかけても「恐れ入ります」とさえぎって紀子様弟と話し続けた。
・2:47事件の時マサは激しくむずかる愛子様に「四口食べさせたら戻りますから」と言って出てったまま連絡無しの待ちぼうけ。
なんてことがあったそうです。
それにしても、なぜ四口?

おまけ:大川興業所属のエガちゃんこと江頭2:50、1993年6月9日徳仁雅子結婚パレードでチョコボール星人に扮したその見開き写真に、創価学会の三色旗が写り込んでた事件[]

Part2364-303 可愛い奥様 sage 2012/06/09(土) 00:05:55.76 ID:zpI86MDv0
押し入れから出てきた大川興業の大川総裁の本に面白い写真があったのでうpしてみた
h ttp://pita.st/n/bmvwx035

同画像を連結まとめた2枚のマコオタ保存リンク
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1339195175548.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1339195203345.jpg

携帯で撮ったので画質はご容赦
見れるかな?

307 可愛い奥様 sage 2012/06/09(土) 00:12:41.91 ID:BzsQmNc90
>>303
おもいっきり三色旗がー

308 可愛い奥様 sage 2012/06/09(土) 00:13:23.67 ID:Hst5fo9Z0
>>303
おおぅ旗が・・

315 303 sage 2012/06/09(土) 00:36:33.66 ID:67dGw9Gr0
>>305>>307-308
見れましたか!良かった
エガちゃんがチョコボール星人に紛してナルマサの誤成婚パレードに現れる写真ですw
江頭と江頭が居合わせた瞬間があったんだなーと思いました
エガちゃんの左肩の三色旗は絶妙なアングルです

324 可愛い奥様 sage 2012/06/09(土) 01:01:58.25 ID:+DEc0rez0
>>303
またまたすごい写真を見つけましたね。
こういったちょっとした写真にも映るってことは
NHKカメラは避けてたとしても、かなりの数の旗が振られていたのでは。
小和田雅子の結婚を●がこんなに喜んでいたなんて!


325 可愛い奥様 sage 2012/06/09(土) 01:05:34.57 ID:+DEc0rez0
小和田は三色旗プリンセス

http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/e3c9442862f31135d9bc751f18093f61



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