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『女性自身』1993年6月22日号<善意が仇?! これが金箔張りの桐だんすだ>カラーグラビア 「注文した品と違います」と、小和田家に受け取ってもらえずに行方が宙に浮いた金箔張りだんす。製造元の社長はショックで体調を崩してしまったそうで、「金箔を張ったのはこちらの独断、耐久性や難燃性にすぐれているので」と“善意”を強調。でも1棹1千万円のこのたんす、引き取り手はあるのかな? |
1993年6月、小和田雅子が輿入れするための嫁入り道具として東宮仮御所に搬入される予定であったが、あまりに派手すぎると宮内庁からストップがかかり結局おじゃんになったもののこと。当時新聞雑誌のみならずTV番組でも大きく取り上げられ、その生番組最中に母小和田優美子が反論電話をかけてきたエピソードまで存在することから、小和田雅子を皇室に迎え入れるその結婚のけばけばしさ、いかがわしさを象徴するものとして世に広く印象付けられている。似たようなエピソードが纏わるものに「田崎真珠のネックレス」がある。
◆小和田家側が主張している内容 ・1993年2月に知人を通じ、石川県金沢市の『辰巳屋』に桐箪笥を注文 |
それにしても通気性の良さから着物類の保存に重用される桐箪笥に金箔を張り巡らしてしまうなど、金箔どころか見栄まで張って箪笥の機能性を低下させるだけとしか思われない頓珍漢な注文である。このような箪笥業界・着物業界の常識から考えて、金箔を貼りましょうという提案は少なくとも箪笥製作側からではないだろうと考えられている。
小和田家から注文を受けた『辰巳屋』にしても、社長自ら「私どもの第1号作品」とマスコミ前で豪語してしまう(後掲)など桐箪笥製作には素人と言ってもいいほどで、別にディスコ経営やら家具インテリアデザインに手を出していた会社ということである。桐箪笥を実際製作したのは新潟県加茂郡の老舗箪笥会社とのこと。
皇室、それも皇太子と結婚する娘のために、老舗でも何でもない会社へ機能度外視のキンキラキン派手派手箪笥を「たった100万円程度」で注文するなど、あまりに常識からかけ離れていると判ずる奥様が多い(桐箪笥は中位の程度でも100万円に軽く届いてしまうものが少なくない、最上級となると数百万円にもなる。もちろん金箔抜き)。
そういったことから金箔箪笥が作られてしまった経緯について以下のような仮説が立てられている。
1)『辰巳屋』が謝罪文を発表したように、辰巳屋だけが先走って金箔を貼らせた→しかしこの説だとよく確かめもせずに社に多大な損害を与えかねない判断をしたということになる 2)派手好みで箪笥の機能なんか全く無知な小和田家が注文した→但し当人は認めていないし、辰巳屋は謝罪文を発表しミスを全部かぶった形になっている |
謎に満ちた金箔箪笥は結局どうなってしまったのか、“「金箔タンス」は売却されてた!”と報じる女性誌はあるが、現在どうなっているか気になるところである。
pp.23-25より引用
冒頭掲載、小和田家からの注文を受けた辰巳屋がマスコミに出したお詫び文: 皇太子殿下・雅子様のご成婚を心からお慶び申し上げます。 |
「花嫁道具として、和服のひとそろえでも入れる桐タンスをと……。ひとつは真ん中に開きのあるもの、もうひとつは(段々の)※のついたものをと……」(※:字が潰れて不明)
穏やかな口調ながら、ひとつひとつのことがらを正確に伝えようと話すのは雅子さまの母・小和田優美子さん(55歳)。
6月3日大安のお日がらを選んだ東宮仮御所への“お嫁入り道具”搬入。
だが、お母さまの心づもりの嫁入りタンスは当日のどのトラックにも積み込まれなかった。雅子さまにとっても、ご両親にとっても悲しすぎる出来事。
「こんな話は聞いたことがありません」と、家具業界もあきれた“金箔タンス”大騒動。
母・優美子さんが話してくださった“お断り”までの真相はいったい――。
ことの発端は、今年の2月。電撃的な“ご婚約内定”発表(1月6日)後から1か月後あまりのこと。
雅子さまも東宮仮御所で皇太子殿下とデートを重ね、新しいライフ・スタートを切るための準備をおふたりでお考えになられていた時期。
小和田家でもまた、どこの家庭でもそうであるように、玄関先のマスコミの慌ただしさをよそに、初めて娘を嫁がせる親の喜びと寂しさが交錯する複雑な気持ちがこみ上げる時期でもあった――。
そんなとき、せめてもの娘への心遣いとして親が考えるのが、嫁入り道具。
中でも昔から娘を嫁がせる母親は、自分もまたそうであったように、大切な晴れ着をしまっておく和ダンスこそ、母と娘のかけがえのないきずなのひとつとして大切にしたという。
「2月に、知人の方にお願いして発注しました……」
という優美子さんもまた、そんな思いを込めて発注したのかもしれない……。
なのに、それから3か月あまりの先月31日。ご成婚の日まで8日後と迫った日に、突然、目を丸くするような報道が優美子さんのもとに届く。
<金箔の総桐ダンス、小和田家に納入>
<1さお1000万円のものが3さおも……>
しかも、ご丁寧なことに製造元の石川県金沢市八日町の家具店『辰巳屋』では、前日までにマスコミを呼んでの大撮影会!
同社の辰巳康之社長(34歳)も地元マスコミの取材に、
「私どもの第1号作品がこのような栄誉あるものとなって光栄だ。雅子さまにも、この金箔タンスのように、いつまでも雅やかで、お美しくいらしてほしい」
と、堂々と会見し、作品の完成に自信いっぱい!
タンスの名称も、臆することなく『金沢金箔箪笥“雅”』と名付けるほど。
確かにこの金箔タンス、製作日数も3か月かかっただけあって、大きさは間口120センチ、奥行き46.5センチ、高さ170センチ。
会津若松産の本柾目の高級桐を使用し、金箔も純度98%の金沢金箔を二重、ところによっては三重に貼りめぐらし、15センチ四方の金箔をナント、約1600枚も使用。
そして、取っ手などの金具はすべて銀の手彫りといった力の入れようなのだ。
しかも、そのタンスは雅子さまが自ら選んだという薄緑色の友禅染めのカバー(ゆたん)で覆われて納入というのだからビックリ!
それにしても、いくらお妃の嫁入り道具といっても誰が見ても目が回るほどのキンキラキン。仮にホントに注文されたものとしても使い勝手が不自由なことは自明のこと。
「事前連絡は何もなかったんです……。それで新聞などの報道で初めて知りまして……もう、それでびっくりしました」
そのときの驚きをどう表現したらよいのか、言葉を選びながらも静かに話される優美子さん。
しかも値段も、注文したのは1000万円の10分の1程度のもの。
「とても購入できるものではありません。普通、どこの家でもご用意される程度のものと考えていましたから……」
そこですぐ、優美子さんは『辰巳屋』の社長の方へ直接“お断り”の電話を。
「社長さんは、こんな大騒ぎになるとは思ってもみませんでした、といわれました。あちらもご好意でされたことでしょうから、あまりことを荒だてずにお話していきたいと思っております」
ことが結婚だけに花嫁道具が期日にそろわなかった苛立ちはあると思われるものの、
「ご好意でと思っておりますので……。新聞で実物のタンスを見たときはびっくりしましたが、今は何とも思っていません」
それよりも、テレビ局に優美子さんが電話をしたことからもわかるように、事実と違った報道に対して、悲しい思いがあったようだ。
そんな優美子さんの気持ちを察してか、宮内庁が次のようなコメントを発表。
「小和田家として、業者の好意から出たものとはいえ、あまりに華やかなものはいかがか、受け取りは控えたほうがとお考えになり、そのようにお答えになった。
小和田家では、今朝(6月1日)の報道を知り、テレビ局に事実関係とそれに基づく訂正の申し入れを雅子さまのお母さまが直接なさった」
結局、金箔タンスは、小和田家に入らぬまま、都内の倉庫に。意気軒昂、自信満々だった辰巳社長も雲隠れ。そして、6月2日付けで『辰巳屋』からお詫び状が関係者に届けられた。
<小和田家より有難いご注文をいただき、当社としても誠心誠意を傾け、製作いたしました。当地は金箔伝統工芸の地であり、桐箪笥に金箔を貼ることにより、一層、耐久性・難燃性に優れ、水や油にも強いという特色がありますので善意により独断で作らせていただきました。
また、金箔貼桐箪笥は、一部報道されているような高価なものではありません>
そして今後については、
「小和田家のご意向に従い、そのとおりにさせていただく所存であります」
と。それにしても、今回、マスコミも“勇み足”をしたわけで、優美子さんの胸中を察すると心痛い気もする。
「いままでも、いろいろと報道されてきたことで事実と違うものもありましたが、いちいち事を私のほうから荒げることはしませんでした。
ですが、今回のことはとても心が痛みましたので、私のほうからみなさんにお伝えしたということだけです……
でも、これもみなさんのご好意でのことなのでと、いまはありがたく思っています」
初めて娘を嫁がせる母の最後の願い。そも大切な大切な思いを込めた嫁入りタンス。
自分の手の届かないところで動いてしまった今回のハプニング。お妃の母としての責任からも、いや、ひとりの母としての責任からも心を痛めた優美子さん。
しかし、こんな母の娘を思いやる温かい気遣いが雅子さまにとっても、きっと大きな大きなプレゼントになったに違いない。
小さな囲み記事:“金箔前”はふるさと新潟産!!
金沢市の辰巳屋製の金箔タンスから、二重、三重の金箔をはぐと、記事部分は桐箪笥の名産地、新潟県加茂郡南蒲田上町の老舗タンス店で作られていた。小和田家ゆかりの“新潟産”。もちろん素材の桐も新潟産や会津産。その老舗タンス店が辰巳屋から最終注文を受けたのは3月半ば。「それまでは総桐の可能性もありましたので、木ダンスの部分だけを作り、最終注文で金箔と決まりました。従業員総がかりで作業を進め、“一生のうちで出会うことのない慶事に巡りあっているのだから、一生懸命心をこめて”と一丸になりました。タンスは加茂と金沢の伝統工芸をマッチさせた新しい工芸だけに残念です」と、タンス店の従業員は肩を落とした――。
「加茂(桐箪笥)と金沢(金箔)の伝統工芸をマッチさせた新しい工芸」という表現からも、伝統的桐箪笥には到底ありえない仕様だということが読み取れるだろう。 |
pp.132-133より引用
全国民が一瞬息を飲み込んだ金箔の桐タンス。案の定、小和田家に受け取りを拒否されて宙に浮いたまま。それにしても「純金風呂」で名を売った温泉旅館じゃあるまいし、過剰拝金の納入業者の目論見はあっけなく潰れてしまった。
成金趣味を絵に画いたような金ピカのタンスが、既に小和田家に運び込まれたと一部では報道されたため、雅子さんのセンスを疑ったムキもなかったわけではない。
製作に当たった金沢市の家具メーカー「辰巳屋」の辰巳康之社長は、
「木目の粗い金箔を貼るのは大変で、他の業者と五年かけて共同開発した新しい工法を使った」
と、誇らしげに記者会見に臨み、最後に、
「雅子さんと一緒に輝いて欲しい」
と付け加えた。驚いたのは小和田家だった。すぐに、
「注文したものと違う」
と、受け取りを拒否。もっとも、発注から納入まで、小和田家と辰巳屋との間で微妙なやりとりがあったらしいが、騒動の直後、辰巳社長は、
「金箔は当方の善意でやったこと」と、弁明して姿を消してしまった。
宙に浮いてしまった金箔タンスは、一棹の大きさは高さ百七十六センチ、奥行四十六センチ、間口百二十一センチ。金箔は十五センチ四方のものを千五百枚使って何層も貼り重ね、一棹の値段は約一千万円という。
「いやいや、ハナからどうもおかしかった。理解できないことばかりでしたよ」
というのは同じ金沢市内の老舗タンス店の店主。
「そもそも、どうやって金箔を貼ったのか。新しい工法といってますが、普通金箔は漆の上に貼るもんです。だけど桐の上に漆を塗ったら桐は呼吸できなくなるから塗るわけがない。多分、特殊な接着剤で金箔を貼り付けたんでしょう。でも、そんなことをしたら桐の良さは台無しです。桐は湿気があれば膨れて目が詰まり、湿気を通さず、乾燥すれば水分が出てきて空気を吐き出す。だから桐タンスは良いといわれているんです。まあ、表面が割れるのは時間の問題でしょう。我々の常識では考えられない。桐タンスに対する冒涜ですよ」
金沢を選んだ謎
店主が続ける。
「だいたい、金沢の業者に桐タンスの注文が来たというのがおかしい。勿論、注文があれば手前どもも用意は出来ますよ。だけど、桐タンスといえば新潟です。それに小和田さんの実家は新潟なんだし、加茂に注文してまずい理由は何もないでしょう」
加茂というのは新潟県のほぼ中央、新潟市に近い人口三万五千人余の加茂市のこと。桐タンスの生産量と品質では日本一を誇っている。
加茂箪笥協同組合の理事の一人がいう。
「これまでも皇室関係者、宮内庁からの桐タンスのご注文は、高島屋や三越などを通されるのですが、ほとんどが加茂に来ることになるんです」
といっても今回、辰巳屋が桐タンスを発注した先は、やはり加茂だった。正確には加茂市の隣町田上町の茂野タンス店。工場長で通産省認定の伝統工芸師の小林雄蔵さん以下十名の職人が、精魂込めて作り上げたものだという。
「それが、あんな事になってしまって、皆ガックリしています。我々も、小林さんにはこの件については気の毒で触れないようにしています」
と、この理事はいう。小林工場長夫人は
「タンス職人は、頼まれたものを作るだけなんです。小和田さんのタンスも、辰巳屋さんが後で金箔を貼るというので、最後の色塗りをしない状態で仕上げて、あとは辰巳屋さんにお任せしただけの事です。納入されないと知った時は主人も“残念だ”とは言ってましたが、あれはもううちとしては終わったこととしか考えていないんです」
それにしても、不思議なのは小和田家と辰巳屋との関係である。金沢では、両者を仲介したのは地元の代議士だという説が一部に流れているのは事実だ。小和田氏が福田赳夫元首相の総理秘書官についていた時の官房副長官が森喜朗代議士だったから、というもの。もう一つは、
「仲介したのは東京の名門ホテルのお偉いさん。そのお偉いさんが石川出身で、タンスに金箔を貼った八千代化工の社長と仲が良い。八千代化工はホテルのエレベーターに合成箔を付ける仕事を請け負ったりしてますが、そのホテルを小和田さんが贔屓にしている関係で、ホテルが間を取りもったという話です」
と、金沢市内の消息通。
「だけど、辰巳屋も八千代化工もどちらも老舗というのはちょっと無理。辰巳屋も創業は大正ですが、今の社長は三代目。今の社長になってからは若者受けのする家具に方向転換しました。良く言えばやり手のアイデアマン。それだけに、現在の仕事と正反対の伝統の桐タンスの注文が来たと聞いた時は、不思議で仕方がなかったほどです」
八千代化工についても、金沢市内の同業者は、
「もともと真鍮箔の材料を作っていましたが、先代が亡くなってから真鍮箔や合成箔を使った内装業を始めた。銅と錫を混ぜ合わせると金と見間違えるので、ロビーやエレベーターの装飾に使う。でも、本金を扱っているという話はあまり聞きませんよね」
というわけで、地元では、
「ズブの素人が二人も揃ったものだから、とんでもないドジを仕出かした」
「テレビを呼んで記者会見するなんて売名行為」
と、過剰拝金に悪評紛々なのである。
pp.26-27より引用
小和田家の受け取り拒否で中に浮いた金箔たんす。詳しい経緯は依然ナゾだが、平成の珍事で一見落着とはいかないのが、納入業者の地元・金沢。「仲介者は大物政治家」の噂に加賀百万石の城下町は大揺れなのだ。
「えらいことになった。昔やったら切腹やわね」
金沢市内を走るタクシーの運転手がつぶやいた。町はご結婚祝いの提灯に加え、六月十二日から始まる「百万石まつり」の赤い提灯が軒先に飾り付けられ、慶祝ムードは高まるはず、だった。
が、そんな地元の空気を金箔たんす騒動が一変させた。金沢にある創業大正十三年の老舗家具店「辰巳屋」(辰巳康之社長)が、雅子さんの婚礼家具に金箔加工会社などと共同で開発した一さお一千万円の金ピカの桐だんす三さおが五月末、小和田家から「注文の品と違う」と突き返されてしまったからだ。
辰巳社長は、その後、行方をくらませたままで、六月二日になって一通の詫び文をマスコミに配った。
その中で、
「善意により独断で
いただきました。また、金箔たんすは、一部で報道されているような高価なものではありません」
などと釈明している。
詫び文はともかく、金沢では、金箔たんす納入の陰に地元選出の大物代議士X氏が介在、としきりなのだ。
六月三日夜、金沢市内のホテルで国会議員らも出席して開かれた実業家の出版記念パーティーの会場でも、金箔たんすがもっぱらの話題だった。出席予定者名簿に辰巳社長の名前があったからでもあるが、あちこちの人の輪から
「X先生が介在したらしい」
とのささやきが聞こえた。ご丁寧にも記者にもX氏の名前を耳打ちする人までいた。
噂の根拠はこうだ。
福田内閣時代、X代議士は官房副長官を務めており、ちょうどその時、雅子さんの父親の恒氏は総理大臣秘書官だった。おまけにX代議士系といわれる[#content_5">地元新聞の幹部の子弟である記者が雅子さんの東大時代の同級生]という偶然も重なり、噂が噂を呼んでいる。
「宮内庁の事前助言必要だった」
老舗とはいえ、三代目の現社長になって店内にカフェバーふうの喫茶室まで設けたこともあり、女性店員もハウスマヌカンのようないでたちで、典雅な皇室からは、およそかけはなれたイメージの家具店なのである。
金沢の桐たんすメーカーも一様に首をかしげる。
「そもそも桐には耐久性・難燃性があり、木目も細かく水をはじく。金箔なんて張ったら台無しだ。桐を知らない人がやったにちがいない」
さらに、同社は市内に約三十ある家具工芸業者の中で規模は中位以下で、「もともとは家具の修理や小売の店で、自前の工場もない」(地元業者の話)。「そんなところになぜ小和田家が注文したか」という疑問が消えないのだ。
辰巳社長と年齢も近く、地元仲介役の一人ではと取りざたされているX代議士の元地元秘書の県議は、
「迷惑な話だ」
と前置き、噂を否定する。
「確かに辰巳社長は知ってます。でも、私は一切関係ないですよ。もし、代議士が間にはいっていたとしたら、あんなミスは起きないはず。辰巳社長がかわいそうだ」
X代議士の地元事務所も、
「いま先生は外国出張中。定期連絡が入るから、報告でもしておきましょうかね」
と一笑に付す。接点は浮かび上がってこない。
しかし、それにしても不思議でならないのが、小和田家の婚礼家具の調達方法だ。
「家具の注文はデパートに来るかと期待していたんですが、今回は問屋も通さず、メーカー直ですから異例です」(三越百貨店)
小和田家の周辺からも、
「なんであんな縁もないところに頼んだんだ」
と、いぶかる声が漏れてくる。どうやら金箔たんす以外にも三面鏡なので似たケースがあるようなのだ。
こうした独自の調達が可能なのは、政官界に多彩なルートを持つ小和田ファミリーなればこそ、ともいえそうだ。宮内庁関係者が、背景をこう説明する。
「お嫁入り道具の注文は、業者がそれがお妃のものだと知ると、どうしてもハッスルし、利用しようとする。だから普通はわからないようにする。今回はそれがちゃんとできていなかった。雅子さんのお父さんは外務事務次官ですから、いろいろお付き合いがあるでしょうが、東宮の事務方が事前にアドバイスすべきだったでしょうね」
「開かれた皇室」を実現するためにも、宮内庁にもこの際、金箔たんす納入のいきさつを明らかにしてほしいものだ。
Part1391-179 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 22:22:41 ID:c9mrEAg/0
>171
金箔が特産品の金沢の老舗が納入したってことで
地元の新聞には一面カラー写真で紹介されてた。
でも何故か「金箔のような派手な物は困る」と固辞されたってことで、
先走って清貧がモットーの皇室に下品な金箔押しつけた
業者プギャーみたいな顛末になっていた。
実は森元首相が仲介して責任を業者に押しつけたという噂もあった。
結局、本当は誰のアイデアでどういう経緯があったのか分からない。
191 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 22:48:04 ID:4opUikBB0
金箔ダンスの記事、初めて見た。
「OWD家では100万程度の品を注文したはずが・・」とあるが、
妃殿下の御輿入れのタンスが100万とは安すぎでしょ?
それとも「100万円しか支払わないけど、皇室にふさわしい商品を納めて頂戴、
意味わかってるわね?」とかって注文したのかな?
婚約期間では、何10万円もするコートを取っかえ引っかえしてたのにさ。
安物の洋食器といい、耐久消費財にお金をかけない家だね。
211 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 23:27:19 ID:M7aTs7HB0
金箔箪笥の記事初めて読んだ。
ババン嘘くせ~「ご好意でと思っておりますので・・新聞で見たときはびっくりしましたが・・・」
会津若松産の本柾目の高級桐
雅子さまが自ら選んだという薄緑色の友禅染のカバー(ゆたん)←ーー注文の打ち合わせがあったみたいw
金箔や銀の手彫り取っ手なしでも、ババンのいう「注文したのは1000万の10分の1」ではできませんでしょ。
それに一棹100万なんてちょっと余裕のある庶民の嫁入り道具ですわ。
そんなもの皇室どころか名家にも成金にも持っていけません、ましてや見栄っ張りの小和田様ですもの・・
ってか本気で会津若松産の本柾目桐で一棹100万で注文したんですかね、恥ずかし~やっぱ嘘でしょ。
214 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 23:33:06 ID:hGYpQIoB0
金箔ダンスの報道はよく覚えている。
初めは別に「派手で皇室に合わない!」って報道じゃなかった。
「雅子さんはこんな箪笥を作ったんです」って感じで報道されて、
見た瞬間、悪趣味だなと思った。
ワイドショーのコメンテーターの人も同じように思ったと思うが、
(今思うとモニョるという表現がよく合う反応)
それでも「素敵ですね」「さすが雅子さん」と大絶賛。
それから暫くして
「質素を重んずる皇室には合わない」
という声が出てきて、その後なぜか、
「業者が勝手に作った」という結論になっていた。
業者さんがショボーンって感じで
「申し訳ない」とインタビューに答えていた。
大学生の私でも
周りの評判が予想外に悪いので業者の責任にしたんだろうなと思った。
私が小和田家に不審を抱いた事柄だったからよく覚えている。
220 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 23:38:03 ID:CSR0DtPU0
確か朝のフジテレビのワイドショー放映中に、箪笥報道があった後、
番組の途中で、『雅子様のお母様から今お電話がありまして・・・』と
優美子さんの言い分説明していたよ。
司会者出演者はひきつっていた。
特に笠アナの表情は印象的だった。
224 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 23:43:37 ID:c5921HDX0
>>197
金箔箪笥、華美な装飾や価格などが批判されたように思ってらっしゃる?
桐の箪笥に金箔を貼るという「無知」が笑われたのですよ
本来、ムクで用いる素材ですので
但し汚れが付きやすいので洗いに出す必要があり
近年は注文されるかたは減ったようですけど
高温多湿の日本には着物を仕舞う最適の素材です
それをわざわざ金箔を貼るのは職人がやりたいことではないと思いますよ
232 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 23:52:13 ID:c9mrEAg/0
>224
あ、やっぱりそうですよね。
桐は湿気を吸ったり放出したりして箪笥の中の湿度を調整するとか、
古い箪笥は表面を削って塗り直すとか、
当時子供だった自分もそんな知識がぼんやりあったので
金箔箪笥の写真を見た時は「実際に使わないで飾っておく用なのかなあ???」と
思った記憶がある。誰のアイデアにしろ箪笥のプロの作り手が
それ使い物にならないからって教えるだろうから、飾り用なのかと考えたんだと思う。
233 可愛い奥様 sage 2008/11/16(日) 23:52:45 ID:hFnchU9V0
>>220
おぼろげにだけど、覚えてる。
午後3時くらいのワイドショーだったか、須田アナがかなり慌てた様子で
原稿を読み上げてた気がする。
私は当時入院中で、病室に一台しかないテレビを6人で見てて、
当時七十過ぎのお婆さんが
「こんな言い訳をわざわざテレビ局に電話して流させる家の娘が
皇室に入るなんて先が思いやられる」と怒っていた。
あのお婆さん、慧眼だったんだな。
241 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 00:00:20 ID:ur+VO9Ck0
>>232
はい、宣伝にしろ業者が作りたがるものではないです
ただし外国人ならやりかねませんがw
とにかく、ちゃんとしたお家のかたではありません
自分の無知を業者に押し付けたのが正解でしょう
かくいう私は総桐で前面だけ紫檀の箪笥で嫁入りしましたが
小和田さんの仰る価格ではできませんよ
253 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 00:30:06 ID:AAfq9RaU0
>241
記事を見ると、その業者の「第一号作品」と言ってるし、
タンス本体は新潟の会社の製作のようですし、
金箔貼らせたこの会社もよくわからない背景持ってそうです。
256 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 00:35:44 ID:qfotEkkY0
>>253
自分もその「第1号」というのは引っかかった。社長の年齢もやけに若すぎるし、老舗に頼んだという印象ないよね。
金沢では「辰巳屋」ってのはどういう位置にあった家具屋なのかな。
265 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 00:56:03 ID:AAfq9RaU0
>256
2005年2月の時点では、その社長、
(株)ピーピエム コーポレーション 取締役 で
「家具のデザインを中心としてインテリア、飲食店のコーディネートなど
多方面で活躍中の旬な経営者」
としてロータリークラブでスピーチしてる。
そのスピーチで金箔箪笥の件もネタにしてるのが議事録に残ってる。
273 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 01:17:50 ID:5svlMUbk0
辰己屋さん、昔は金沢市内でサムライというディスコを経営していた人なので
正直、金箔桐箪笥を作ったとき、
「まあ金沢といえば金箔だけど、成金趣味過ぎ。加賀本家も落ちたもんだねー」
って、分家筋の隣県民は思ったものです。
276 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 01:24:07 ID:FfZpfikL0
その辰巳屋さんだけど、高学歴俳優wの辰巳琢郎の親戚だって、
当時、ドッカの週刊誌に書いてあったな。
431 可愛い奥様 2008/11/17(月) 10:18:58 ID:yrTKk5d50
皇太子成婚時に金沢にいたけど、当時の新聞には
東大の同期(自民党の岡田直樹を含む)と金沢旅行した時の話満載でした。
近江町市場で、野菜だったか魚について市場のおじさんに「ねーちゃんみたい(に地黒)だな」といわれたとか、輪島塗の店主が小物を差し上げたみたいなことが書いてありました。
当時一般人だった雅子さんがなんで小物をただでもらえたのか不思議でした。
金箔タンスについては、金沢の伝統工芸を愛する方々からは失笑ものでした。
もっと注文するにふさわしい老舗はたくさんあったのに。
443 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 10:32:18 ID:ap27bk1H0
>>431
>当時一般人だった雅子さんがなんで小物をただでもらえたのか不思議でした
岡田直樹が北国新聞(本社金沢)の社長(現会長)の息子だからじゃないかな。
北国新聞社長といえば、地元では名士でしょ。
512 可愛い奥様 sage 2008/11/17(月) 11:37:45 ID:X28VYAUP0
>>443
岡田直樹は父親が北国新聞の社長に在職中に北国新聞に入社した経歴がある。
議員としての功績は知らないけど、誰かさんと同じで
新卒で現役社長の父親と同じ職場に入るメンタリティーの男って…
Part2916-495 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/01/11(日) 15:58:37.56 ID:NavcxS4j0
フジTVの須田アナが「今優美子さんから電話がありました。ご本人からです~~」
って時点で心底あきれたわよ。
金箪笥のことは早くから報道されていたんだから、ワイドショー大好きの優美子さんは箪笥のことを
知っていたでしょうになぜに「辰巳屋」さんに確認の連絡を入れなかったんでしょう?
配送当日になって受け取り拒否をテレビを使ってやらかす。
非常識も甚だしい行為ですよ。
私はあの時、「これは絶対基地外一家だ」と思いました。
玄関前のサツキの鉢植えにホースで水をかけに現れた時、報道陣に向けて散水するのではないかと
まじで思いましたよ。
和歌山ヒ素事件の真澄容疑者のような空気感を醸していましたよ。
『週刊女性 1993年3月3日増刊号永久保存版 皇太子さま貫かれた初恋 佳麗 雅子さんとご婚約』
p.104より全文引用
金沢で雅子さんを案内した時のこと
岡田直樹さん(北国新聞勤務)
東大法学部学士入学試験の時、前席にいたのが小和田さんでした。とても堅実で、語学には定評がありましたが「私は日本語も英語も語彙が少ないの」ととても謙虚なところのある人でした。
その年の秋、小和田さんが雙葉時代の友人と北陸を女ふたり旅をするということで、たまたま金沢に帰省しておりましたので、案内役をかってでたことがあります。この手紙は、その時、金沢の古美術商からプレゼントされた硯箱への礼状です。小和田さんの人柄を感じるとても温かい礼状に、受け取ったご主人も大変感激されておりました。
『女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて!』
p.116より全文引用
岡田直樹さん 雅子さま東大在学中の同級生、北國新聞社記者
わが国を代表する偉大な“外交官”への道は国民にとっても幸福な選択でした
平成5年1月6日の夜、通信社からの重大ニュースを伝えるチャイムが金沢の北國新聞社編集局に鳴り響いた。一瞬、記者たちは棒立ちとなり、口々にさけんだ。「そら来たぞ!」「ぶっ放しだ!」。皇太子さまと小和田雅子さまのご婚約に関する報道協定が解除されたのである。次の瞬間から編集局は戦闘状態となり、私は社会面の特ダネを書くためワープロにかじりついた。共に学び、
遊んだ女性が皇太子妃になり、やがては皇后になる。頭は興奮で熱かったが、一向に実感がわかない。何を書こうか、タイトルは前から決めてあった。「雅子さん、金沢の休日」というタイトルだけは……。
初めて雅子さまと出会ったのは昭和61年1月、東大法学部の学士入学試験会場だった。前の座席に黒っぽい服の美女がいて、英文が配られたとたんにペンを走らせ、少なからず私を脅かした。150人ばかり受験して合格者は3人。彼女、つまり雅子さまと私はそのなかにいた。
雅子さまはすぐに学内注視の的となった。なにせハーバードの優等卒業者であり、父君は外務省高官である。銀杏並木では、外交官志望の男子学生がゾロゾロと雅子さまについて歩く姿さえ見られた。最初は留学帰りのせいかメークも濃く、「ちょっとバタくさいかな」と思ったこともある。だが間もなく、内面はごく堅実で日本的な女性と分かった。祖母から書道を習ったという。借りたノートの文字は、驚くほど古風で美しかった。
雅子さまが幼なじみの女性と2人で金沢を訪れたのは、その年10月のことだった。外交官試験を突破したばかりの雅子さまは本当にリラックスして楽しそうだった。兼六園、武家屋敷、東の廓(くるわ)、近江町市場……。帰省中の私が案内し、1泊2日のほとんどを歩いて観光した。市場のすし屋さんでは日本海の幸を満喫した。真っ白なバイ貝を見た雅子さまは思わず声を上げた。
「まあ、かわいい!」
店の主人がすかさず言った。
「お嬢さん、あんたのほうがかわいいって。ちょっと色黒いけどな」
市内の美術商にも案内した。輪島塗や九谷焼の名品をゆったりと鑑賞し、薄茶を一服。店主は金ぱくのすずり箱を雅子さまに贈った。3000円相当のささやかなお土産に対し、後日、便せん3枚にも及ぶ優雅な礼状が届いた。「美しい街並に美味しい料理のある金沢はとても素敵な所と強い印象を受けました」「日本の美しさに改めて感激する旅となり、まだ余韻に浸っている状態でございます」。私とて同じこと。その後、尾瀬や木曽街道にも同行したが、やはり金沢での2日間が印象に残る。
いつだったか、雅子さまに質問したことがある。「一生独身で通すんですか?」と。返事は忘れもしない。
「仕事は続けたいけど、一生独りとなると考えてしまうわね。だれか支えてくれないとだめかもしれない」
スーパーウーマンの言葉としては、やや意外な感じがした。が、いまとなってはすべて納得がいく。「雅子さまを全力で守り通す」と言う頼もしい男性がいたのである。雅子さまは外務省でのキャリアこそ捨てたが、今後はわが国を代表する偉大な「外交官」となるのだ。雅子さまにとっては、仕事と家庭を両立させる唯一の道であったかと思う。同時にわれわれ国民にとっても、このうえなく、幸福な選択だった。遠くより謹んでお祝いを申し上げたい。
なお、この岡田直樹氏案内による小和田雅子と伝蓋旧友の金沢旅行エピソードであるが、東宮家内また何十年も前の小和田家内のやたら些細なことまで細かすぎる描写ができることでお馴染みの友納尚子の週刊文春連載「ザ・プリンセス雅子妃物語」記事では完全に無視されている。友納が意図的に取り上げなかったのか、気になるところである。 |
p.104より画像引用
迎えて頂き、お茶も有難く
頂戴致しました 本当に可愛らしい
硯箱をお土産に頂きどうも有難うござい
ました.金沢の素敵な想い出にさせて頂きます
さすが「味覚の金沢」と
しいお料理には本当に感激致しました.美しい
街並に美味しいお料理のある金沢はとても
素敵な所と強い印象を受けました.
その後私共は能登半島を二日でまわり
とても楽しい旅行になりました.日本の美しさに
改めて感激する旅となり、東京に帰って参り
ました今もまだ余韻に浸っている状態でござい
ます.また機会があれば是非北陸の方に
旅をしたいと思っております.
十月一日
小和田雅子
伊藤御一同様
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