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東宮家の中の人、徳仁・雅子・愛子がほとんど共にしないと報じられているもの。心凍るブリザード家庭としか思われないのだが、それでもなお一家円満を主張し続けているところが奇妙というか、必死すぎである。
結婚当初から雅子は徳仁と食卓を共にせず、雅子は朝寝、徳仁が朝食テーブルで一人ぼっち待ちぼうけを食らわされているといった報じ方もされているが、そもそも食卓すら共にしないブリザード夫婦が褥はいちゃいちゃ共にしているとは非常に考えにくいことから、この二人に子がなかなかできなかった理由はお察し下さい。
関連項目:【ケータリング】、【江頭2:47】、【氷の団欒】、【大食い雅子さま】
『噂の真相』1995年10月号 天皇家の存在理由が問われる「血の継承」連続線の危機事情
▲根強く囁かれる夫婦の不仲説
ところが、である。こうした危機的状況にもかかわらず、不思議なことに、当の宮内庁は何ら対策を講じようとはしていないのだ。
前出の記者がこう証言する。
「現代医学では不妊症はきちんとした治療さえすれば、かなりの確率で治るんです。ところが、宮内庁はそうした治療や検査はもちろん、専門家のカウンセリングさえやっていないんです。将来、天皇や皇后になる方に生殖機能の検査を受けさせるのはたしかに勇気がいることですが、コトは天皇制の存続に関わる問題ですからね。普通なら当然やるべきはずなのに、今の宮内庁にはそういうことを提案する雰囲気すらまったくない。いやそれどころか、内部では既に皇太子夫妻に『お世継』が生まれることを諦めているといったムードさえある」
実際、宮内庁職員の中には紀子が2人の女児を出産したことを受けて、「秋篠宮様と紀子様に頑張って貰うしかない」と露骨に口にする者もいるという。
いったい、この諦めムードの背景には何があるのか。女性週刊誌などは一切触れようとしないが、実をいうと、宮内庁内部をはじめ、皇室周辺では、ある噂が根強く囁かれているのである。それはズバリ、皇太子と雅子が子供を作るような夫婦関係にないのでは、という奥の院からもれ伝わってくる噂だ。
宮内庁関係者が周囲を気にしながらこう話す。
「新婚当初、ご夫妻は毎朝8時30分頃、東宮御所の2階にある寝室から1階にあるダイニングに降りてこられ、揃って仲良く朝食をおとりになっていたんです。ところが、昨年(=1994年)の夏くらいから先に皇太子殿下お一人で降りてこられ、30分から1時間してからようやく雅子さまがお見えになるようになった。それでもこの頃はまだ、殿下が雅子さまのいらっしゃるのを待って、お二人で食事なさっていたんですが、昨年の暮れくらいからでしょうか、殿下は雅子さまを待たずにお一人でさっさと朝食をおとりになるようになったというんです。そして殿下がいなくなった頃に、雅子さまが見えられ、やはり一人で朝食をとられるようです」
そして、こうしたことから、夫妻の身の回りの世話をしている内舎人達の間では、二人が一緒の寝室で夜を過ごしていないのではないか、という憶測まで流れているのだという。東宮御所には夫妻用に和室と洋室の二つの寝室があり、そこで別々に就寝しているのではないか、というのだ。
夫妻の仲睦まじさばかりを強調するTVのワイドショーや女性週刊誌の報道を目にしている者にとっては、にわかには信じがたい話だが、他にも二人の仲があまりうまくいっていないことを物語る噂は、かなり前から囁かれていた。
例えば昨年の6月、皇太子夫妻は結婚後、初めて二人揃って奥多摩に登山に出掛け、一部のマスコミが「雅子さまの愛情が籠もった手作りのオニギリで朝食を」とその仲睦まじさを報じたことがある。しかし実はこのオニギリ、雅子の「手作り」などではなく、宮内庁が出入りの業者から買い入れたものだったのである。
「宮内庁としてもこの時、雅子妃に手作り弁当を作ってもらい、マスコミにPRしたがっていたんですが、なぜかそれが実現しなかった。ある関係者がお二人の関係は手作り弁当というようなホノボノとしたものじゃないからな、と洩らしていました」(宮内庁記者)
また、皇太子の学習院時代の学友の一人は、こんな証言をする。
「正直いって、お二人があまりうまくいっていないんじゃないかという印象はあります。結婚当初は御所でお二人とテニスをすると必ず、その後にみんなでお茶やお酒を飲んだりしていたものですが、半年くらいたってからでしょうか、そういった席に雅子さまが顔を出されなくなった。また、我々の一人が殿下もお持ちのマウンテンバイクを雅子さまにプレゼントして、ご一緒にとお誘いしても、ほとんど断わられてしまう。殿下とのご様子を拝見しても、他人行儀というか、なにかギコチないですし。それと、雅子さまは我々のような皇族に近い人物を避けられているかのようです」
週刊文春2006年3月2日号皇太子と雅子さま夫婦別々の食卓東宮御所オクの奥
pp.26-27より引用
「雅子さまの朝は遅いようですね。朝食は皇太子と愛子さまがご一緒にとられたあと、雅子さまはお一人でとられることが多いと聞いています」(皇室関係者)
・・中略・・
雅子さまに比べて、皇太子の朝は早い。
「皇太子さまは時間がキチッとされていて、八時には御食堂にいらしているようですね。愛子さまは基本的に皇太子さまとご一緒。皇太子さまが地方公務などでいらっしゃらないときは、御養育係が愛子さまのお世話をされることもあるといいます」(同前)
雅子さまは皇太子さまと愛子さまが召し上がった後、テーブルに置かれたままの食事をお一人でとられる。
「雅子さまが御食堂に来られるのは十時を過ぎることもあるそうです。朝が遅いのは何も今に始まったことではありません。ご結婚間もない頃から毎日のように遅かったのです。 当初、職員たちは雅子さまのマイペースぶりに戸惑っていましたが、『外務省は時間が不規則なところだから、まだ規則的な生活にお慣れにならないのだろう』と納得していました。でもご夫婦で一緒に食事をされないことを訝る職員は多かったと思いますよ。両陛下は時間厳守で決まった時間にお二人で召し上がるそうです。だから御所で働いたことがある職員は驚いていました。『なるべく一緒に召し上がっていただきたいなあ』と言う者もいました」(元東宮職関係者)
皇太子ご夫妻は昼食も別々のことが多いという。
「昼はミートソースのパスタとかサンドイッチのようなさっと召し上がれるものばかりのようですね。時間は雅子さまのご都合に合わせて流動的で、その日によって早かったり遅かったり。雅子さまも最近は早くなって、とはいってもだいたい一時前後くらいでしょうか。皇居で乗馬をされる日は、お戻りになってからお食事されるので遅いですし、愛子さまは週二回、東京・青山の『こどもの城』に行かれますので、三殿下(=徳仁・雅子・愛子)がバラバラになることもしばしば。大膳はその都度、お作りするので大変みたいですよ」(宮内庁関係者)
・皇太子は雅子が一人で朝食をとらなくてもいいよう時間の許す限り待つが「今朝もお出ましにならないことも」が多く…
・愛子見送りも最近は週三日は皇太子
・雅子に代って愛子を風呂に入れることも
・雅子は実妹・池田礼子宅を訪問するだけでなく東宮御所によく呼ぶ
・正田家と比べてでしゃばり過ぎとの批判にも皇太子は雅子の治癒第一に許している
・識者コメントとして雅子は適応障害で睡眠のリズムが崩れているのでしょう、と
・紀子ちゃんが2ヶ月で公務復帰をしているのに雅子はいつまで…という声がある。
・夫妻での公務が前提だと雅子欠席が目立ち??の声が上がるのでハゲタとヒロシが相談をする。
・雅子は適応障害のため睡眠障害を起こして朝夜逆転しているのでいるのではないか
・ヒロシと大膳は待っている。公務でお忙しいけれど皇太子は出来る限り待っている、
・美智子皇后の文書の意味は「いつまでもこのままじゃ駄目よ」というふうにヒロシも理解しているはずだ。
・しかし皇太子の愛は変わらない。皇太子は自ら盾になり約束通り雅子をお守りしている。
愛ちゃんが入園当初は雅子が送り迎えしていたが、月日がたつにつれその回数がめっきり少なくなった。
「その代わり、皇太子さまが愛子さまの送り迎えをされているようです。多い時には週に3日くらい、皇太子さまが送り迎えをなさっているようです」(皇室記者)
(その直後に「学習院幼稚園では伝統的に母親が子どもの送り迎えをすることが慣習になっている」とも書かれている)
「皇太子さまとしては、雅子さまがひとりで朝食を召し上がることがないようご都合が許される限り、食卓で待たれているんです。」
週刊文春2007年7月19日号 東宮職員はカヤの外 雅子さま妹一家と「七夕会食6時間」
p.37より引用
だが、ある宮内庁関係者は「ご夫妻のプライベートは相変わらず、スレ違いが多いようです」と話す。
「朝昼だけでなく、夕食もほとんど一緒に取られないそうです。皇太子さまと愛子さまは夜七時過ぎにはテーブルにつかれるのだそうですが、妃殿下は早くても八時、遅ければ十時前後。東宮職も『なぜわざわざ時間をずらすのか、わからない』と首を傾げているそうです」
今でも必要がない限り、雅子さまは東宮御所の私室棟からお出にならないという。事務棟に勤務している職員との交流も少ない。
AERAアエラ 2007年12月31日・2008年1月7日合併増大号 <雅子さまへ20の質問状>
具体的に治療をしていますか(質問3、p.24より引用)
宮内庁関係者は言う。
「雅子さまは夜型。朝7時に散歩に出かける皇太子さまと生活のスタイルが違う。朝食もご一緒ではない日が多いようです」
愛子さまに幼稚園まで付き添うのは、ほとんど養育係というのが実態のようだ。
雅子さまの担当医は慶応大学保健管理センターの大野裕教授。週に1度のペースで東宮御所を訪れ、雅子さまと向き合っているとされる。ときには日付が変わるまで話し込む日もあるという。
悠仁さまのご誕生どう感じていますか(質問14、p26より引用)
天皇一家に誕生した41年ぶりの男子・悠仁さま。雅子さまは06年の誕生日の所感でこう述べた。
「愛子にも可愛らしいいとこが新たにできましたこともうれしく、今後のお健やかなご成長を心よりお祈りしております。
関係者によれば紀子さまの第3子ご懐妊で、雅子さまは心理的に不安定な時期もあった。担当医の大野教授と明け方まで話し合ったこともあったという。
週刊文春2008年6月12日号 雅子さま再び囁かれるご病状/ご成婚十五年小誌が掴んで書かなかった全情報
▼天皇ご一家夕食待ちぼうけ事件「紀子さまの涙」 ▼夫婦別々の食卓「雅子さまはお一人」 ▼天皇家と東宮家のすれ違い「愛子に会えない」ほか・オランダ前に倒宮一家が葉山へ、ということを千代田は文春の記事で始めて知った。→【ホタル鑑賞会】
・両陛下だけで過ごしたいという(千代田の意向)が(東宮事務職から)東宮夫婦へ伝わらなかったのか、盆の蛍狩りでの直談判となる。
盆はいつも帰り際に大事なことを話す。このときも帰り際に「雅子が挨拶に来たいと」。
美智子さまに「陛下は休まれていないのだから…」とやんわりたしなめられて引き下がった凡だが、そのことを伝えられた雅子はかなり落胆。
・今上としては「今までほとんど参内していないのに、いきなり挨拶に来られても…。その前に報告するべきことがあるのではないか」と
“かなり厳しい態度であったと聞いている”
・東宮職医師団見解について文春は宮内庁関係者から注意(深く見るように)を受けたことがある。
今まで公表された医師団の文書と今回のを見くらべてみると、その違いがはっきりするだろう。両陛下は東宮時代から病名等を公表されてきた。
医師の名前も明記してあるのに。あの文書は本当はもっと長かったが色々な人の手が入りあの長さに。
・待ちぼうけ事件は、この文書が出たことで逆に雅子が無理をしてしまったからだろう。
皇室初めてのお婿さんをもてなしたい両陛下だったが、戻ってきた雅子は「どうも」の一言のみ。
サーヤとの出会いのきっかけを作られた紀子さまはこらえきれずに泣き出してしまった。
雅子さま再び囁かれるご病状/「新聞は読めるようになったけれど…」皇太子ご夫妻の日常
ジャーナリスト・友納尚子/雅子妃、スペイン訪問、皇太子/ 週刊文春(2008/06/12)/頁:30
>5日のうちゲレンデにいらしたのは、トータルで2時間程度と聞いている
オランダ訪問の時に、皇太子夫妻が乗った車が130キロで飛ばしていたこと
友納の妄想記事で、愛ちゃんが美智子様のプレゼントに喜んで
「これ、ばばさまから頂いたのよ!嬉しいな」と職員に自慢したこと。
(どうでもいいけど、愛ちゃんが頂いたのよって敬語を使えるの?)
宮内庁関係者に「最近は1日にふたつの仕事ができるようになった」と、雅子がほめられていること(二つの仕事というのは、ご会釈と大使への接見)
なんかどうでもいいような情報がいっぱいだったよ。
○雅子のドタキャンは小和田一族に対しても度々あること。約束をしていても寸前に体調が優れないと側近が小和田家にキャンセルを伝える。
(これ本当なら精神病重い、嘘っぽいけど)
○奥滋賀スキーでも部屋で静養していた、実質滑ったのはトータルで二時間だけ。(嘘だろ)
○ナルは御所に上がっても大事な話は帰り際まで切り出せない。葉山で御一緒する予定も陛下にお伺いするまえにマスコミが報道、陛下周辺はびっくり。以下上のレポと一緒。
○スペイン行き断念に大きく影響したのは宮内庁幹部の声。
宮内庁幹部の後ろには千代田周辺・両陛下の考えがある。
「親しく交流しているスペインにだけ行くというのは好ましくない」
両陛下は妃の快癒を望んでいると同時に国民に申し訳ないというお気持ち。
○反対の声が大きかったのは事実だが、結果としてスペインは御病状を考えて無理だったのだ。
あとオランダで130キロ出して飛ばしたのはアイちゃんは留守番で二人で鑑賞系に出かけたときね。
愛ちゃんは乗ってないから御心配なく。
・雅子妃は産後の肥立ちが悪く体調が優れないことを訴えても、周囲には聞き入れてもらえなかった。
・外国訪問をすることがなかなか難しいという発言はなぜしたかというと外国訪問だけでなく
子供ができなかったから生活の自由がなかったという気持ちを述べたかったため。
・公園デビューが上手くいかなかったから「何をやっても上手くいかない」と自信を喪失した。
・帯状疱疹で入院したとき雅子は「これでやっと休むことが出来る」と話した。
・雅子は最近新聞を読むまでに回復している。
・皇太子夫妻は関心お高いテーマの書物や聴講したシンポジウムの内容から子育ての話まで、夜遅くまで話をしている。
「雅子さまは皇太子様と愛子さまが召し上がったあと、テーブルに置かれたままの食事をお一人でとられる」
「雅子さまが御食堂にこられるのは10時を過ぎることもあるそうです。朝が遅いのは何も今に始まったことじゃありません。ご結婚間もない頃から毎日のように遅かったのです」
「胡錦涛主席の宮中晩餐会を欠席された翌日に愛子さまの父母会に出席されたことが話題になりましたが、雅子さまは学校行事のように父兄仲間にお会いになる、お母様方とちょっとお茶でも飲むといったことは平気。どんなに人が沢山いてもお母様方の一人としてならば全くお元気で問題がない。
しかし妃殿下として公の場にご出席となるとどんな場所を訪れても当然一番高い地位の方として扱われる。周囲には取材陣もいる。
すると、妃殿下は短い時間なら我慢できるのだそうです。でも時間がたつにつれご緊張から頭痛がしたり息苦しくなったり目まいがする。
とてもその場にとどまることがお出来にならなくなるのだそうです(ある皇室関係者)」
あと東宮職員は言われたこと以外にやらないことに慣れている。
気を利かせてやると雅子にしかられるので言われたことだけ仕事しよう、となる。
と、みんながだんだんずるくなっていったそうです。
週刊朝日2008年6月20日号 友納尚子署名記事 皇太子夫妻ご成婚15年 雅子さまの病状を悪化させた「3つの過ち」1つ目の過ちとは、愛子が生まれた頃、産後の肥立ちがすぐれないという雅子の変化に気付かず、お疲れ雅子に東宮は真剣に向き合わなかった。2つ目は、人格否定の頃に具体的な治療がなされなかった。
3つ目の過ちは、宮内庁の一部から不満がメディアに流され続けたこと、その中には愛子さまはご挨拶ができないとか、一家の食事がバラバラだとかいうのも。確かに雅子は体調が悪くて朝起きられなかったり食卓を囲めないこともあった(スレ住民奥様ツッコミ:ならやっぱり本当のことだよね)、でも愛子に本を読み聞かせする時間を長くしたり皇太子と散歩されたり、とにかく一家が理解しているのでいいと思う(スレ住民奥様ツッコミ:マジかよ)
すべては皇太子夫妻に世継ぎがなかなかできなかったことが、皇室内で軋轢を生む原因になっていった。
「雅子妃はお世継ぎの重要性をわかっていないからほしがらないのではないでしょうか」と宮内庁職員の取材で聞いた。
だが夫妻はほしがらなかったのでは決してなく、恵まれなかったので、宮内庁幹部にそう伝えたが理解されなかった。
当時体を(不妊治療のため)診てもらったり問診されればその情報はすぐに幹部に上げられた(当然ですが何か?)
問題は上がることではなく、上がっていることが雅子に分かってしまい、プライバシーが保たれないことで雅子が不信感を持つようになったこと(ワケワカラナス)。
雅子は産後の肥立ちが悪かった(友脳これで三度目)
東宮職幹部が夫妻と真剣に向き合っていなかったことが、病気(=適応障害)を長引かせた一つ目の過ち。
雅子が「私、皇太子妃辞めます」と突然電話を切ったとして離婚説に結び付けられたメディア記事だが、
重要なのは体調が悪くスケジュール調整を強く訴えたのに理解してもらえなかった背景である(じゃあ「皇太子妃辞めます」発言は友脳センセも認めてるってことだ)
04年皇太子の「人格否定発言」は、雅子の早急な治療体制整備を訴えたものだったのに具体的な治療が遅れた、これが2つ目の過ち。
3つ目の過ちは、宮内庁の一部から不満がメディアに流され続けたこと、その中には愛子さまはご挨拶ができないとか、一家の食事がバラバラだとかいうのも。
確かに雅子は体調が悪くて朝起きられなかったり食卓を囲めないこともあった(ならやっぱり本当のことだよね)、
でも愛子さまに本を読み聞かせする時間を長くしたり、皇太子と散歩されたり、とにかく一家が理解しているのでいいと思う(マジかよ)
行動療法の乗馬や国連大学聴講や、今年5月に4年半ぶり勤労奉仕団へのご会釈をされており(去年の高校生へのご会釈が友脳の中でなかったことにされてるけど)、同じ病気を持つ患者の励みになるのでは。
〆:そんな自然体で過ごせることが夫妻が15年間に培ったものだろう(15年の成果がそのレベルって擁護にもなってませんがな)
週刊文春2010年6月3日号 雅子さまと愛子さま 「母子密着」20人の証言 いまも「学校をやめたい」
▼一時限目は「欠席」12時45分下校の「午前中登校」 ▼「教室」の片隅で見守る雅子さま ▼東宮御所でのご昼食はなぜか「別々の食卓」 ▼遠足も写生も……行事はすべてご欠席 ▼「仮病の税金ドロボー」とまで言う学習院の悪ガキ
p.155より引用
もちろん“特別扱い”ではないかという声もある。
「子どもたちも、やはり気にしています。例えば、休み時間でも、以前は愛子さまは鉄棒がお好きで、上級生に逆上がりを教わる場面があったようですが、雅子さまとご一緒だと、どうしても周りの子は近寄りにくくなる。給食も愛子さまは、みんなと同じ三年生食堂ではなく、別の部屋で召し上がっていると聞きました」(前出とは別の父兄)
もっとも五月に入ってからは、給食を召し上がらずにお帰りになることがほとんどだ。
「御所に戻られて、お食事されるのですが、雅子さまとごいっしょに食べられるわけではなく、それぞれが別の時間にご昼食を召し上がられるそうです」(別の宮内庁関係者)
・1頁の記事。愛子は6/4欠席。この日は研修で他校の教職員が多数来校し、授業を参観したため。
・10時半頃登校し、お昼頃下校の日々が続く。勉強について繰り返し記者から質問があるが 東宮大夫は「(徳仁夫妻を含む)職員が対応している」
・食事を共にしないとの一部報道について「結婚後、そのような記事が出たのは雅子が低血圧のため」←(食事を共にしないことは否定していない)
・「夫妻が不仲と言うことではない」と前置きした上で「徳仁はそろそろ愛子を一人で登下校させても良いのではないかと考えているが、雅子は自分が付き添わないと、と考えている」(元東宮職関係者)
・雅子は大野裕医師に相談に乗ってもらっており、「関係者の話をまとめると、どう批判をされても気にはしない、というお気持ちのようですね」(←原文ママではないです)
〆は忘れました、済みません。
女性自身2010年6月22日号 美智子さま涙…愛子さま「ひとりぼっちの食卓」雅子さまへ「涙のご提言」!
・6/3、院は「お弁当の日」だったが、愛子は昼食を取らずに下校。
・雅子は夜が遅く、愛子も学校へ行きたくない気持ちからか朝は起きてくるのが遅れがち。
(以下太字)それぞれの都合で食事を取っている(ここまで)
・5/30、徳仁一家、秋篠宮家に声を掛けられたのは皇后様。遅れながらも雅子母子が来たことをお喜び。
・また、紀宮さまが突き飛ばされたりなどのいじめを受けたエピを織り込みながら、皇后様は雅子に「愛子との二人旅」を提案される。
・雅子の誕生祝い食事会にはおそらく黒田清子さんも出席されると思うので「皇太子家の内親王」の苦悩を知る彼女に支えになって欲しい。(大意)
〆は忘れました、済みません。
週刊文春2010年6月10日号 皇太子と雅子さま「不穏な距離」 愛子さま問題で浮上した“三食別々”の食卓]
p.138より引用
会見の後、皇太子ご夫妻は、「愛子の欠席で国民の皆様にご心配をかけ、わたしたちも心を痛めております」とコメントを発表した。だが、愛子さま問題は、お二人のご意見に一定の「距離」があることを浮き彫りにした。
「実は、東宮御所の中でも、ご夫妻の『距離』が心配されているようです。
たとえば、お食事はご一家がお揃いになるいい機会ですが、東宮御所でお三方がお揃いになることはあまりないそうです。愛子さまと皇太子殿下は、たまにご一緒されることもあるけれど、お三方が別々の時間にとられることが多いと聞いています。妃殿下は朝も夜も時間は遅めで、夕食は十時近くになることもあるそうです。
愛子さまは、学校に行きたくないというお気持ちのせいか、朝はなかなか起きられないようですし、ご一家の人知れぬご苦労は続いていると聞きました」(学習院関係者)
週刊文春2010年6月17日号 友納尚子署名記事 「週刊新潮」に猛抗議!東宮で何が起こっているのか 雅子さまご結婚18年目の「正念場」 「学校がもっと楽しければいいのにな」愛子さまの解消しない不安、“不登校会見”を事前に打ち合わせた学習院の裏切り。「もはや区立しかない」の声も上がる悲惨な「転校先」再び……
p.151より引用
給食は一階にある貴賓室で、雅子妃と一緒に召し上がられる。昼過ぎに御所に戻られ、給食を召し上がらなかったときなどは、愛子さまと雅子妃は別々に食卓に着かれる時もある。これは今に始まったことではなく、雅子妃がご病気になられてからは、皇太子と愛子さまのお二人で食事をされることも少なくない。
THEMISテーミス2010年7月号 紀子さまご懐妊情報も皇太子ご一家「廃太子論」再浮上の理由-雅子さまと愛子さまの“同伴登校”や公共施設の“貸し切り状態”に批判も
p.35より引用
一般的に子どもの“心の問題”には、家庭の雰囲気が大きく影響するといわれる。だとしたら、皇太子ご一家のことが気になるのだが…。
「実はお三方が別々にお食事されることも多いのです。雅子さまはご病気になられてから朝も夜も、食事は遅めにとられます。毎日登校されるようになってからは御所に戻られるとお疲れが出て、すぐに自室でお休みになることもあり、愛子さまが一人ぼっちでお昼ご飯を食べられることも多いようです」(宮内庁関係者)
女性セブン2011年7月28日号 食の不安が叫ばれるなか 皇太子妃雅子さま愛子さまの食卓-復活していた3人の朝食
・4月に発生した焼肉酒屋えびすの集団食中毒事件後も食中毒は全国で頻発している。加えて危惧されるのは、食材や食品への放射能汚染。
・東日本大震災による影響は、皇族方の食卓にも少なからず及んでいるようだ。
・栃木県にある御料牧場は、宮内庁の施設として、馬、乳牛、豚、鶏、きじなどの飼育や各種食材の生産を行なっている。
主な生産品は乳製品、肉加工品、そして24種類の野菜。これらは皇族方が利用される食材として、週に2回、定期便で宮内庁に届けられてきた。
・だが震災後、その生産が滞っているものもあるという。
「生産の諸施設に被害があり、中でも牛乳製生産工場のラインが全壊したそうで、牛乳、乳製品の生産がストップしており、生産再開にはもうしばらく時間がかかるようです。野菜、肉類などについては、放射能汚染の問題も懸念されますから、栃木県の検査基準をクリアした上で出荷されています」(宮内庁関係者)
・皇族方の食生活については一般にはあまり知られていないが、両陛下や皇太子一家の日々の食事を賄っているのは宮内庁大膳課だ。
「ここには和食、洋食、お菓子と、それぞれ専門のプロがいて献立を決めています。お食事は何より健康のバロメーターとなりますから、何を召し上がられたかを、大膳課の職員が侍医に報告しています」(前出・宮内庁関係者)
・日常の献立だが、両陛下も皇太子一家も、朝食は洋食(パン、オートミールなど)がほとんどで、昼食はカレーライスや麺類等の軽食。夕食も特別なものではなく、旬の食材を生かしたメニューが提供される。
・ちなみに雅子さまは普段コーヒーは飲まれず、紅茶党だという。
・「ご高齢だということもあり、両陛下は塩分控えめのお食事を心がけていらっしゃいます。また安全面を考慮され、皇族方は基本的に刺身などの“生もの”はほとんど召し上がられません。昭和天皇の時代は、献立に刺身はめったに上られなかったようで、その慣習が続いているようです」(皇室関係者)
・スープ類は、両陛下や皇太子一家が食事をされる食堂に、大膳課の料理人が常時、準備してお出しする。
「この準備があると、急なお客様にも対応できるわけです。あの震災の夜、雅子さまのお心遣いで、学習院初等科に東宮職からコンソメスープが届けられましたが、そのときも迅速に対応することができました」(前出・宮内庁関係者)
・両陛下や皇太子一家のお食事は、基本的には大膳課が任されているが、美智子さまや雅子さまも自らお料理をなさることがある。
‘96年2月の皇太子の誕生日会見でも料理に話題が及び、
皇太子「(雅子さまの手料理を)おいしく食べました」
雅子さん「得意料理はあまり…。何をやっても時間がかかり、恥ずかしいです」
皇太子「忙しい中、よくやってくれていると思います」
・家庭料理に腕をふるわれる雅子さまの姿を彷彿とさせるが、昨年11月の学習院初等科の初等科祭でも、雅子さまは愛子さまのために心をこめてお弁当作りされていた。
「愛子さまは、黄色いひよこの模様がついたお弁当箱をお持ちでした。小さく三角形に切ったサンドイッチが、正方形になるように入れられていて、おかずは唐揚げとウインナ、それにミニトマトでした。愛子さまはウインナが大好物のようで、とても嬉しそうでしたね。愛子さまはお友達と一緒にお弁当を広げて、それは楽しそうに召し上がっていらっしゃいました」(学習院関係者)
・かつて雅子さまも、周囲を驚かせるこんな場面があった。
愛子さまが学習院幼稚園の年長の頃、学習院大学構内にあるラウンジでママ友たちとお茶を飲みながら、愛子さまも帰りを待たれていた日のことだ。
「そのラウンジでは10種類ほどの焼きたてパンを売っていました。雅子さまは店員さんに、“これは中に何がはいっているんですか?”と質問したり、その答えを聞いて“あらっ、おいしそう”と目を細められたりと、時間をかけてパンを選ばれ、トレイに載せて自らレジに行かれ、お買いになったんです。びっくりしました」(別の学習院関係者)
・雅子さまが選んだのは“メープルおさつ”という筒状のデニッシュ。
「パンを入れた袋を大事そうに持たれた雅子さまは、それはうれしそうにお帰りになられました。きっと愛子さまとおやつに召し上がるのかなと思うと、こちらも胸が温かくなりました」 (前出・学習院関係者)
ちょっとした買い物も、雅子さまにとっては心の緊張が解かれ、リフレッシュできるひとときなのかもしれない。
・そんな雅子さまだが、これまで、毎日の食生活で、周囲が気を揉む心配事があった。それは、朝食の時間になっても、食堂にお出ましにならない日が続かれていたことだ。
「日によって、雅子さまの体調には予測ができない波がおありで、思わしくないときは、朝、時間になってもなかなか起きられないことがありました。そのため、食堂では皇太子さまがお待ちになる朝も多かったんです。
しかし現在では、雅子さまはお目覚めもよろしいようで、毎朝、ご一家3人揃って食卓を囲まれているそうです」(前出・宮内庁関係者)
・実際、愛子さまの管弦楽部の早朝練習にも同伴されており、体力も回復されていることが伺える。
〆は、“食”こそが健康の源。今年は記録的猛暑だった昨年よりも厳しい夏となるかもしれないだけに、皇太子一家の食卓がさらに充実したものになることを願いたい。
週刊文春2012年2月16日号 雅子さま お付き添いがなくなった「新しい日常」 「給食の残り」を持ち帰らなくなった愛子さま
pp.148-149より引用
たしかに昨年の雅子さまは、我が子の不登校問題解決に形振り構わず専念された一年だったと言える。
ようやくそのお付き添いもなくなり、“通常の状態”に戻りつつある。
しかし、その結果、一月の雅子さまは部屋に籠もりがちだったという。
「暖房で御所内はとても暖かく、周りの職員は汗をかくほどだそうです。雅子さまは、最近まで愛子さまとご一緒に初等科で昼食を取られていたわけですが、御所で召し上がるようになったいまでは時間もまちまち。殿下は定時に召し上がるそうですが、雅子さまは、特に朝と昼がずいぶん遅くなることもあるようで、夫婦別々の食事が多いのだそうです。無理に合わせなくてもいいように皇太子殿下は心遣いをされていて、殿下自らコーヒーを淹れて差し上げることもあるとか。食後のデザートを付き合われることもあるそうです」(皇室担当記者)
雅子さまが東宮御所にいらっしゃる時間が長くなり、職員たちは「妃殿下の顔色を窺いながら働く毎日に戻りました」(東宮職関係者)という。
ニュース速報+板:【皇室】 雅子さま「離婚計画」が浮上…女性自身報じる
250 名無しさん@12周年 sage 2011/12/06(火) 17:13:36.73 ID:pLYLIBFC0
ちょいちょい来てた某有名フレンチに今年は一度も来てないらしい。
もう二人で向かい合って食事も出来ない関係なんだろうな。
一緒にメシが食えない関係になったら、もうホントに終わり。
『文藝春秋』2012年7月号 皇太子と雅子妃の19年 ルポ 逃げない夫たち(藤吉雅春)
p.221より引用
ご体調に波のある雅子妃は、日によっては朝が遅いため、朝食、昼食は皇太子とは別の食事になる。しかし、皇太子は食事の時間は会わせられない分、デザートの時間だけでもと雅子妃に合わせられる。内舎人が月に一度、コーヒー豆を真空パックにするが、皇太子がそれを手ずから準備して雅子妃に入れられることもあるという。
夕食も家族が別々にならないように、雅子妃に合わせて午後九時頃に設定し、愛子さまにはおやつを用意され、それまでお待たせになることもあったようだ。雅子妃へのお気遣いだけでなく、愛子さまが「あれをしたい」「これをしたい」と言えば、皇太子は職員に電話をかけてお問い合わせになる。
甘やかしだと批判する声は皇太子の耳にも入っているだろう。それでも妻の病気、娘の不登校に心を砕かれているのだ。
『週刊新潮』2013年4月18日号両陛下はハラハラ 宮内庁は不快感 「オランダ王宮」ご招待を放置一カ月 「雅子さま」の昼夜逆転
東宮ご一家の夕食午後11時、雅子さまご就寝午前8時……。ご回復が期待された雅子さまの生活リズムは昼夜が完全に逆転した状態だという。オランダ国王即位式のご招待には、沈黙を守ったまま一月の時間が過ぎて行った。
週刊文春 2013年12月19日号<雅子さま50歳お誕生日「V字回復」の未来 「家族お揃いでご朝食」でも消えない不安とは>中吊り]
週刊文春 2013年12月19日号<雅子さま50歳お誕生日「V字回復」の未来 「家族お揃いでご朝食」でも消えない不安とは>記事
pp.36-37より引用
皇太子ご夫妻に仕える前出の東宮職関係者は、雅子さまのご快復を肌で感じているという。最近も驚いたことがあった。
「失礼を承知で申し上げますが、あの(原文2字傍点)雅子さまが最近では、皇太子殿下と愛子さまとご家族一緒にご朝食をお召し上がりになるのです。いつも殿下と愛子さまはご一緒です。しかし“昼夜逆転”のお暮らしでいらした妃殿下は遅れてお一人で召し上がるのが常でした。(三殿下揃っての朝食は)十一月の岩手ご訪問の後からですから、被災三県のご訪問を終えられて、ようやく安堵なさったのではないでしょうか」
Part2707-360 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 18:53:09.52 ID:xj/XnX+X0
週刊文春2013年12月19日号 早読みレポ その1
雅子さま50歳お誕生日「V字回復」の未来
「家族お揃いでご朝食」でも消えない不安とは。
・その日は雅子さまお一人で天皇皇后両陛下をはじめとする
ご親族方をお迎えになった。御快復を実感した。(東宮職関係者)
御内宴は皇太子ご不在のまま恙なく行われた。
・今年の誕生日所感と医師団見解は前日午後にずれ込む。
宮内庁記者をひやひやさせた。
・所感は満遍なく如才ない。雅子にとって最大イベントオランダ訪問
に饒舌なる「皇室外交」への思いが語られるかと思いきやそこはシンプル。
代わりに被災地への思いがたっぷりつづられている。
冒頭の「もう半世紀(略)」の振り返りに病気を客観的にとらえる余裕が見られる。
(宮内庁担当記者)
・近頃はメディアで雅子のV字回復が報じられる。読売,朝日,NHK。
・「あの雅子さまが皇太子殿下や愛子と一緒にご朝食。
三殿下そろっての朝食は11月岩手訪問の後から。被災地訪問が
終わって安堵されたのでは」(東宮職関係者)
・「二つの不安」がある。一つ目は「ご体調の波」。
いつ揺り戻しがくるかわからなくて怖い」(東宮職関係者の中のある者)
「オランダ訪問前は悪かった。被災地訪問もたびたびキャンセルされた。
ご公務が増えたといっても,不特定多数の人と話す園遊会や苦手と
される祭祀をなさっているわけではない」(ベテラン宮内庁記者)
・二つ目の不安は「海外志向の活動への依存」
(2013年雅子の国際関連の活動の一覧表あり!)
海外ばかりに目が向いている雅子のベクトルを危惧する向きもある。
今年の雅子の公務に違和感があるというのは佐藤優。
「政治とカネに近すぎる。上級国家行政セミナーはJICAのODAの一つ。
当該国の政治体制を支持し財政支援をするが,人道的なことばかりではない。
“次代の皇后”がこういった方向を見据えているなら歯止めをかける議論が必要」
(佐藤優) 続きます。
366 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 18:57:02.85 ID:xj/XnX+X0
>>360
週刊文春2013年12月19日号 早読みレポ その2
雅子さま50歳お誕生日「V字回復」の未来
「家族お揃いでご朝食」でも消えない不安とは。
続きです。
・来年は国交樹立150周年を迎えるスイスや,OECDパリ大会など。
皇太子ご夫妻のお出ましの可能性が高い。
・今年はオランダ訪問の成功体験や久子様のスピーチで,
国際舞台での皇室の活躍を実感できる機会が多かった。
雅子様のモチベーションとなる海外公務の予定が決まらないときでも,
国内での公務に取り組めるかがポイントでしょう」(香山リカ)
・〆は「両寮生活は12月で11年目に突入した。
来年こそが正念場と言えるだろう」
以上です。
367 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 18:58:16.26 ID:xj/XnX+X0
>>366
×「両寮生活」
○「療養生活」
すみません。
947 可愛い奥様 sage 2013/12/12(木) 14:42:52.48 ID:PrsShKtD0
スレ立て乙です。
ブンスンの原文で面白かった表現を一部原文ママで
「失礼を承知で申し上げますが、あの(ここに傍点:レポ主注)雅子さまが
最近では、皇太子殿下と愛子さまとご家族一緒にご朝食をお召し上がりになるのです。」
傍点にワラタ。
それに朝食を家族で食べただけで褒めてもらえるなんて
ハードルが低くていいわね~。自分で作りもせず、
一緒にテーブルに着くだけで褒めてもらえる!
週刊文春2014年4月3日号<ザ・プリンセス雅子妃物語最終回悲劇を乗り越えて明日へ>記事【プリババ】
pp.40-42より引用
二○一四年(平成二十六年)三月十八日、関東地方に例年よりも遅い春一番が吹いた。東京・元赤坂の東宮御所がある赤坂御用地の木々は突風で大きく揺れていたが、気温は朝から温かい。春の柔らかな日差しが東宮御所に差し込んでいた。
この日は、敬宮愛子内親王殿下の学習院初等科の卒業式だった。二階のご自分の部屋で身支度をされた制服姿の愛子さまは、一階のリビングダイニングルームから静かに流れるクラシック音楽に招かれるように、階段を降りて来られた。
「おはよう」
テーブルクロスが掛かった丸い食卓テーブルに雅子妃殿下が座っておられ、愛子さまは声を掛けられた。雅子妃は振り返られて「あら、早いのね」と、愛子さまの緊張をほぐすように少しおどけられた。雅子妃はセーラー服姿の愛子さまをご覧になって、改めてそのご成長ぶりを感じられたといわれた。愛子さまを包み込むような笑顔で迎えられた一日の始まりだった。
愛子さまは愛猫の「人間ちゃん」の頭を撫でてから、洗面所で髪を後ろで束ねて整えられた。
皇太子殿下が二階の私室から降りて来られて、ソファーにゆったりと腰を掛けられた。昨日のベトナム国主席歓迎行事と国賓宮中晩餐会のお疲れも見せずに、身支度を済ませられた愛子さまに、やさしく話しかけられたという。愛子さまは、今日で終わってしまう初等科生活を惜しまれるようだったといわれた。ご一家は食卓で洋食の朝食を召し上がりながら、小学校生活の楽しい思い出を語り合ったそうだ。部屋には、時折、春の訪れを喜ぶような鳥のさえずりが聞こえていた。
(中略)
外出される際の華やかなイメージと異なり、東宮御所での暮らしは静寂に包まれている。時には、[一日中ほとんど誰とも話すことがないという。ところが一歩外に出ると、フラッシュを浴びせられ、人々に取り囲まれる。その落差に雅子妃が戸惑われたとしても自然なことだと思う。
週刊新潮2014年6月26日号<特大ワイド土砂降りを突っ走れ! 思い出のジュネーブも難しい 雅子さま23時ご夕食で正午起床の生活>中吊り
中吊り 記事
p.33より引用
すでに報じられた通り、雅子妃は現在、独特の“サイクル”にて日々を過ごされている。
「(補足:2013年4-5月に訪問した)オランダ以降、それまでの昼夜がひっくり返ったようなお暮らしは一旦改善されましたが、愛子さまが初等科を卒業された3月頃から、また元に戻ってしまわれた。現在では、ご夕食をとられるのが23時頃。殿下や愛子さまは先に終えられており、ようやく床に就かれるのが午前3~4時頃です。正午近くまで就寝され、その間愛子さまは7時には朝食を召し上がり、お出かけになるのです」(同)
学齢期の子供のある一般家庭では、なかなか見られない朝の光景であろう。
Part2796-767 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:22:43.89 ID:H24cieE40
新潮中吊りに禍々しいマサコ。キ印の笑顔。
思い出のジュネーブも難しい 雅子さま 23時ご夕食で正午起床の生活
特大ワイド「土砂降りを突っ走れ」
・両陛下 宮内庁が気を揉む酷暑の被災地ご訪問の日程
・信子さま お出ましが増えても女王との亀裂が修復できない
ttp://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
769 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:27:11.23 ID:8Nf88O4A0
>>767
数年前の文藝春秋には確か、「家族3人で夕食だけはとろうと、9時に食事」だった。
あれから更に2時間分悪化してるのか。
愛ちゃんはもう巻き込んでないだろうな。
770 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:27:13.59 ID:LncFxZTo0
世の中には23時夕食で、6時起床で働く人なんかザラにいるけどねえ
771 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:29:35.84 ID:8Nf88O4A0
後片付けを考えると、大膳の仕事が終るのは、日付けが変わるころでしょうね。
772 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:29:36.03 ID:98Xgcjua0
少なくても、愛子さんとは一回も食事を共にしないと言うことか。
正午起床だから。
773 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:30:33.62 ID:I7Pp7evx0
朝起きれないのはそれはそれで病気なんだから
ちゃんと直せばいいのに
775 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:31:24.22 ID:v6JMuuY80
>>772
愛子の為には、そっちの方がいいかも。悪影響だらけでしょ、雅子なんて。
しかし正午起床とはwだらけきった怠け者の腐れぶりに脱帽だわ。
776 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:32:07.97 ID:98Xgcjua0
あたりまえのことだけど、
朝から晩まで普通に仕事してれば正午に起床なんて絶対出来ないんだけどね。
777 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/18(水) 17:33:07.26 ID:IyyCEAZb0
>767
公務できるできない以前に、
こんな怠けた生活、皇室への適応障害でもなんでもないじゃない。
腹立たしい。
Part2797-17 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/19(木) 00:27:29.07 ID:PJaFoQMw0
> 土砂降りを突っ走れ/「雅子さま」23時ご夕食で正午起床の生活
> ◆ 雅子妃、皇太子、宮内庁、スイス国交樹立150周年事業
>
> 週刊新潮(2014/06/26), 頁:32
ダメな母親の典型ですな朝起きない、これじゃ愛子さん幼稚園から遅刻ばかりなのも
わかるwプリ婆の朝からクラッシックが流れる東宮御所の設定は何なんだ?
34 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/19(木) 06:25:10.30 ID:miNe9F200
新潮によると、雅子は愛子が初等科を卒業した頃から昼夜逆転で23頃食事で3~4時過ぎに寝て正午に起きる生活とのこと
めちゃめちゃな生活送らせているくせに
「7月28日から一泊二日の日程で検討されている、ご一家の伊勢神宮参拝です。実現の暁には、愛子さまは初めて
雅子さまにとっても実に20年ぶりのお出ましとなる…」(記者)
「伊勢に関しては、殿下はお三方で行かれることを前提に進められておられます。妃殿下だけを残して愛子さまとお二人
で、という選択肢はお考えでなく、妃殿下の体調次第では、ご参拝そのものが流れてしまうかもしれません」(東宮職関係者)
徳仁は馬鹿なのか、鬼畜なのか分からなくなったw
239 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/19(木) 11:22:41.74 ID:2POzITeF0
新潮、ほんのチラ見
23時夕食、午前4時就寝、正午起床
学齢期の子供のいる家庭では、めったに見られない光景だろう
てなことが書いてありました
265 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/19(木) 12:01:52.12 ID:fcoZDcG30
>>34
新潮レポにちょっと補足。
・ナルのスイス行き会見。「ご訪問への意気込みとともに、同行が果たせなかった雅子妃の無念も、否応なく伝わってきたのだった」
・雅子の23時夕食の時にはナルアイは食べた後。朝食はアイは7時に食べて出かける。
・皇室ジャーナリストの山下晋司が
「代替わりまでに時間がないから、回復のために毎年外国で長期静養しろ。
それで駄目なら東宮職や医師が責任とって辞めればいい」
『週刊文春』2014年7月3日号<皇太子訪欧直後の「非常事態宣言」! 雅子さまと愛子さま 「登校拒否」再発と「23時の食卓」>
中吊り 記事
p.38より引用
23時のご夕餐で翌日は遅刻
・・中略・・
憂慮されているの雅子さまの“共鳴”だ。これまでもしばしば指摘されてきたが、雅子さまと愛子さまは“母子密着”と言われるほど近い関係にある。
「登校拒否の始まった十七日の夜、雅子さまと愛子さまはお二人で夕食を召し上がっています。時間は深夜、二十三時です。“昼夜逆転”生活を送られる雅子さまのリズムを心配されて、愛子さまが合わせられたのだと思います。しかし、十二歳の子供が食事をする時間ではない。実際に、翌朝愛子さまは学校を遅刻されています」(同前)
Part2801-306 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 22:33:01.34 ID:AIA4vgU60
週刊誌早読みレポです。詳細は本誌をご確認ください。
1/2
週刊文春(2014.07.03号)
雅子さまと愛子さま
「登校拒否」再発と「23時の食卓」
・桂宮さまの「斂葬の儀」が行われた6月17日、この日をきっかけに愛子さまは欠席・遅刻が始まった。
皇太子殿下の不在(スイス訪問)も影響しているのでは。
・学校側もピリピリムード。教職員に対して、愛子さまの学校生活を口外しないよう「箝口令」が厳しく敷かれている。
・「愛子さまはコミュニケーションがお上手ではない。初等科の卒業式もちゃんとご挨拶やお辞儀をなさらなかった。
環境の変化について行けないのでは。」(学習院関係者)
・「登下校時も“肌色のマスク”をつけている。積極的に新しい友だちを作ろうとしない。初等科からの友だちに対しては
ぶっきらぼうな態度も。自分の荷物を持たせて自分のしたいことを始めてしまったりする。」(同)
・オール学習院の集いでのこと。「お菓子を立ち食いし始めた。そのベタベタした包み紙を近くのスタッフに差し出し、
『これ』とたった一言。自分の鼻をかんだティッシュも『ごみ』とだけ言い、差し出した。引っ込み事案の裏返しかも。
スタッフは呆れ顔。」(その場にいたスタッフ)
続きます。
342 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 22:45:39.81 ID:AIA4vgU60
2/2
・「これまでのお休みも単なる風邪ではなく、むずかって休まれたことも。天皇皇后両陛下へのご挨拶にうかがう時など、
気が向かないことをさせようとすると、激しく癇癪をおこして嫌がるということもあった。」(東宮職関係者)
・他にも憂慮されているのは、愛子さまと雅子さまは“母子密着”という近い関係にあること。登校拒否の始まった17日の夜、
深夜23時にお二人は夕食をとられた。翌朝愛子さまは学校を遅刻した。」(同)
・「5月の菊栄親睦会でも、東宮ご一家は3人固まって、あまり招待客とは話をしていなかった。悠仁さまや佳子さまとは対照的。」(招待客の一人)
以上となります。〆は「ご一家にふたたび穏やかな日々が訪れるのを切に願うばかりだ。」です。
439 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 23:13:36.77 ID:AIA4vgU60
>>366
先ほど文春レポをアップした者です。
誌面でも「共鳴」と書かれておりました。
まさしく「共振」「共鳴」で、雅子さまの影響が愛子さまにも、ということのようです。
ただ、愛子さまは「雅子さまを心配されて(生活)リズムを合わせられた」とも書かれております。
463 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 23:21:24.31 ID:AIA4vgU60
すみません。文春レポした者です。
「きっかけ」というのは私が使用した言葉です。誤解を招いてしまって申し訳ございません。
「(斂葬の儀、この日を)境に、愛子さまのご欠席・遅刻が始まった。」とのことです。
436 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 23:13:09.59 ID:rLTEQ8Ny0
・「5月の菊栄親睦会でも、東宮ご一家は3人固まって、あまり招待客とは話をしていなかった。悠仁さまや佳子さまとは対照的。」(招待客の一人)
これは私も参加される方から聞いた事があります
特に雅子さんと愛子さんは常にぴったりくっついていて、皆様と交流するどころか、様子をうかがうのもはばかれる雰囲気だ、と
とにかく雅子さんが愛子さんを片時もお傍から離さない、と
491 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 23:32:05.67 ID:EX6Yio4F0
>>436そんなんだったら最初から出なければいいのに
佳子さま悠仁さまは積極的にお話されるのか
萌え
502 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/25(水) 23:37:31.90 ID:rLTEQ8Ny0
>>491
めったに出席されないようですよ
出席された時は、どうしても異様な緊張感が漂うようなので、雅子さんご本人もお辛いのでは、とその方はおっしゃっていました
中吊り 記事
pp.34-36より全文引用
激流下りのコースターでズブ濡れになった愛子さまは満面の笑みを浮かべられていた――。学校を遅刻・欠席がちの愛子さまは、ご体調から期末試験も2日間お休みになり、さらに終業式も欠席された。遊園地行きはさらにその2日前のこと。いま東宮で何が起きているのか?
最近、学習院のある保護者は、東京メトロ早稲田駅近くの馬場下町交差点で、たまたま愛子さまのご登校の車列に遭遇したという。
「時計を見ると、朝八時二十五分でした。あれ? と思いました。もう遅刻の時間だからです。学習院女子中等科の校舎は校門から遠く、大体八時十五分には門をくぐっていないと授業に間に合わない。のびのびとした校風ですが、遅刻や欠席には厳格な学校なので、八時に十分の予定を過ぎたら問答無用で遅刻としてカウントされるのです。
でも、子供たちは予鈴が鳴って着席してから一時限目が始まる八時二十五分前の五分間、この短い時間を使って、周囲の友達とお喋りをしたりコミュニケーションをとることで、徐々に仲良くなっていくんです。あれだけ遅刻ばかりされていたら、友達も出来にくいでしょうに……」
この春、学習院女子中等科に進学されたばかりの愛子さま(12)だが、そのご登校を巡って、いま東宮は“非常事態”とも呼べる状況下にある。
愛子さまは六月中旬から遅刻・欠席がちだ。登校される日も門をくぐられる時間はギリギリ。予鈴が鳴った後、顔を隠すようにマスクを着けられた愛子さまは、SPらを引き連れ、猛ダッシュで滑り込まれる。
この状況を知る関係者からは心配と不安の声が出ているが、小町恭士東宮大夫は宮内記者会を前に、ただ繰り返し「静かに見守っていただくようお願いする」と述べるばかり。その理由や愛子さまのご体調をまったく公表しないのだ。
お休みの原因は「ご体調」
本誌は愛子さまの健やかなるご成長を祈り、早く通常の状態に戻られるのを願うものである。愛子さまは一般の中学生ではない。その教育方針は、皇室の将来を左右する大問題だ。皇統の危機が叫ばれるなか、今後、女性天皇が容認されれば、愛子さまが天皇になる可能性も十分にある。
その大前提の上で愛子さまのご登校問題をどう考えるのか。皇室の内情に詳しい者ほど、「ただならぬ事態」だと見る向きも少なくなく、「軌道修正するなら今しかない」との声が上がっている。波紋は広がり、議論は周囲の大人たちの対応、特に皇太子ご夫妻が折に触れて主張されている“叱らない子育て”の教育方針の是非に及んでいる。
「宮内記者会は東宮職からの要請で愛子さまの登校風景の取材を控えていますが、七月十八日の定例会見では小町大夫が質問攻めに遭いました。普段、ご欠席状況や日にちは『私的な事』として公表を渋るのですが、この日は矢継ぎ早の質問に対し、愛子さまが七月四日に加え、七日の期末試験も欠席され、追試を受けられたと回答したのです」(宮内庁担当記者)
小町大夫はこう述べた。
「お休みになったことはございましたが、先生方と相談の上、期末試験後のお休み中に追試験をお受けになるため、二日ほど登校なさいました」
――お休みの原因は?
「ご体調」
――四日は「腹痛」ということだったが、七日は?
「私が伺っているのは『ご体調』です」
「戦慄迷宮」は2回ご体験
前出の宮内庁担当記者が続ける。
「曖昧な回答で、小町大夫は愛子さまのご様子を直には知らないように見えました。『宮さまは明日終業式ですが、どのようなイベントがあるのか』という質問にも、『伺っていないので』と答えるだけでした」
だがその(補足:2014年7月)十九日の終業式も、愛子さまは欠席されたのである。
「愛子さまが学校行事を欠席されることは初等科時代にもありました。雅子さまのお付き添い登校が行われていた頃、終業式や始業式を欠席し、ホームルームにだけ参加されるとか、学校への不安感から腹痛などを訴えられていたそうです。さかのぼれば幼稚園の二年間では累計一カ月弱も欠席されている。中学校という新しい環境の中でも同じことが起きているのかもしれません」(皇室担当記者)
実は終業式二日前の七月十七日、気温三十度と汗ばむ陽気となったこの日、愛子さまのお姿は、山梨県にある富士山を望む遊園地、富士急ハイランド(以下富士急)にあった。期末テスト後の休みを利用して、初等科時代のご学友(女子三人、男子三人)とお忍びの訪問をされていたのだ。
夏休み前にもかかわらず親子連れやカップル、また大勢の外国人学生でにぎわう富士急。その中でも愛子さまご一行が醸し出す雰囲気は、入場客や施設内スタッフの目を引かずにはいられなかった。
「『あっ、愛子さまだ!』とすぐに分かりました。周りでは暑いのにジャケットを脱がないおじさんなど、遊園地なのに笑顔が全くない“私服警官”が無線で連絡をとり合っていた。東宮侍従やスタッフなど、総勢二十人ほどが愛子さまの周りを離れずゾロゾロと移動していた」(入場客)
厳戒態勢のなか、一般客ともに順番待ちをする愛子さま。この日の服装は、袖に小さいリボンと裾に白い小花柄のフリルがついた紺色のTシャツにライトグレーのパンツ。白と水色のナイキスニーカー、バッグは白黒の水玉模様。右手首には透明のブレスレット。
十一時四十分、「とっとこハム太郎」の「ふわふわお空の大冒険」に乗られた愛子さま。雲をかたどったゴンドラでハム太郎との空中散歩を終えられると、手をぐるぐる振り回し大興奮のご様子だった。
時刻は十三時半。一行は二つのグループに分かれていた。愛子さまが男子二人とともに向かったのは、鬱蒼とした薄暗い森の中に佇むお化け屋敷系施設、「最強戦慄迷宮/暗黒病棟」。“日本一怖い”と評判のお化け屋敷で、リアルに再現された廃墟病院の暗闇の中、出口までの約一キロをひたすら進まなければならない。最大のウリはゾンビと化した本物の人間がどこから襲ってくるかわからない恐怖。怖がりの人は別売りのお守り(五百円)を購入すると、お化けの方が手加減してくれるというオプションもあるほどだ。
愛子さまはよほど気に入られたのだろう、
「最後のあれ、怖かったよねー!」
と脱出直後は興奮気味。有名なジェットコースター「FUJIYAMA」や「ドドンパ」「高飛車」といった絶叫マシンは苦手のご様子でお乗りにならなかったが、やはりお化け屋敷は大層お気に入りらしく、帰る時刻が迫ってきた十七時前、愛子さまが最後に選ばれたのは、本日二回目の「戦慄迷宮」だった。こうして愛子さまの“休日”は暮れていった――。
基本的に夕食は二十三時頃
富士急での思い出作りは、中学で再発してしまった登校問題を打開するために皇太子ご夫妻が考えた策だったのかもしれない。実は、東京ディズニーシー行きの計画もあったのだ。だが、これは直前で中止に。
「十日は台風八号が関東に接近した日。大事をとって中止することが千葉県警に伝えられました。実際には、その日には追試が予定されていたのです。警官を派遣する準備をしていた千葉県警も、追試のことは知らないようでした」(宮内庁関係者)
もちろん休みを利用してレジャーに行くこと自体は何の問題もない。ただ、心配されるのは、やはり愛子さまのご教育方針である。
ベテラン宮内庁担当記者は懸念を隠さない。
「皇太子と雅子妃は“ご褒美”にと、行楽を許されたのかもしれません。しかし、中学進学直後の期末テストを二日も休まれたというのは深刻に受け止めるべきではないでしょうか。
愛子さまは嫌だと思うとテコでも動かないようなご性格と伺っています。このままでは、成年皇族になられたときに、ご体調を理由に公務や会見を行わない、というようなことになるかもしれない。そうならないためにもいまこそ真剣に教育方針について考えるべきではないでしょうか。それは皇太子ご夫妻にしかできないことなのです」
東宮御所での愛子さまは、今も不規則な生活を続けられているという。
「このところは基本的に二十三時頃夕食を召し上がることが多く、その分、朝食を召し上がらないこともあるそうです。心配なのは“昼夜逆転”の雅子さまと生活リズムが益々似てきていること。両陛下が毎日決まった時間に起床、就寝をなさるのとは対照的です。
陛下は三歳から『公正無視』や『先憂後楽』といった帝王教育をお受けになったそうですが、高貴な身分の者が相応した重い責任を負うという“ノーブレス・オブリージュ”の思想を、皇太子殿下や雅子妃殿下は愛子さまにお伝えしているのでしょうか。『普通と分け隔てなく』ということは仰いますが……」(別の宮内庁関係者)
周囲の心配は皇太子ご夫妻の耳に届いているのか。
http://megalodon.jp/2014-0729-2039-06/mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140730k0000m040049000c.html
雅子さま:回復道半ば 日中の活動制限…外出公務今年1回
毎日新聞 2014年07月29日 20時04分(最終更新 07月29日 20時34分)
伊勢神宮内宮を参拝した皇太子ご一家=三重県伊勢市で2014年7月29日午後0時44分(代表撮影)
皇太子妃雅子さまが適応障害と診断されたことが公表されて30日で丸10年。雅子さまは帯状疱疹(たいじょうほうしん)が発端で長期療養に入り、2004年7月に病名が公表された。依然、体調に波がある状態が続いているが、29日は皇太子さま、長女愛子さまと伊勢神宮(三重県伊勢市)に参拝した。愛子さまにとっては初めて、雅子さま自身も20年ぶりの参拝で、宮内庁関係者は「今回の参拝が回復のきっかけになれば」と期待を寄せる。
雅子さまは03年12月に帯状疱疹で宮内庁病院に4日間入院し、療養に入った。07〜08年には3度の泊まりがけの公務をするなど回復の兆しが見えたが、長女愛子さまの通学不安問題などもあり、公務復帰が遠のいた。
昨年はウィレム・アレクサンダー国王の即位式出席のためオランダを公式訪問。帰国後は東日本大震災の被災地の東北3県を見舞い、岩手県には泊まりがけで訪れた。3年9カ月ぶりの宿泊を伴う地方公務で、「復調されるのでは」(宮内庁関係者)との声もあったが、今年に入って外出しての公務は1月に国立劇場であった東北の芸能を鑑賞した1回に限られる。宮内庁幹部は「ご病気の影響なのか、起床・就寝とも遅いため、日中のご活動が制限されてしまうのが実情」と話す。
ただ、8月1日は例年、皇太子さまが出席する高校総体の総合開会式が東京都調布市であり、体調がよければ雅子さまも同行するとみられる。10月にはオランダ国王夫妻が国賓として来日する方向で調整が進んでおり、歓迎行事などへの出席が期待される。【真鍋光之】
◇雅子さまを巡るこの10年
2003年12月 帯状疱疹を発症。療養へ
04年 3〜4月 長野県軽井沢町の親族の別荘に滞在
5月 皇太子さまが「人格否定発言」
7月 宮内庁が病名を「適応障害」と発表
06年 8月 一家でオランダに約2週間静養
10月 奈良県など訪問。療養後初の泊まりがけ公務
10年 3月 愛子さまの通学不安で雅子さまが連日付き添い
13年 4月 オランダ訪問。海外公式訪問は11年ぶり
6月 結婚20年
8〜11月 東北3県訪問
14年 4月 愛子さま学習院女子中等科入学
7月 ご一家で伊勢神宮参拝
週刊文春 2014年10月30日号<「セラピーが必要」と洩らされて…美智子さま80歳が憂慮される愛子さま「独りぼっちの特別授業」 先週の中間試験もご欠席 学習院は箝口令>
中吊り 記事
pp.27-28より引用
オクで起きているのがただならぬ事態であることを示すこんな証言もある。
「雅子さまは九月下旬頃から、学校がある月曜日から土曜日の朝は、普通の時間に起床され、朝七時台にご家族三人揃って朝食を召し上がるようになりました。長年続く“昼夜逆転”生活を改善されようとしているのです。まず朝きちんと起床され、朝食を召し上がって、さあ行ってらっしゃいと送り出すためでしょう。適応障害で療養中の雅子さまにとって、朝早く起きるのはお辛いことだそうですから、相当努力をなさっているのだと思います。何とかしなければ、というご決意を感じます」(別の東宮職関係者)
しかし、愛子さまの学校がない日は、雅子さまの起床は遅く、それは愛子さまも同じだという。
「職員の間では『今日も普段通りですね』と言い交わしあう、“普通”のリズムがあります。まず皇太子さまが八時から九時に朝食、十二時にご昼食を召し上がります。すると、十四時過ぎに雅子さまと愛子さまがご昼食をとられる。夜は二十二時に皇太子さまが夕食を始められ、雅子さまと愛子さまが二十三時頃に合流される。結局、職員が下がるのは午前一時です。これが“普通”です。
雅子さまの不規則な生活のリズムが、中学生の愛子さまにもシンクロしているのではないかと、つい心配になります」(同前)
Part2876-139 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/10/24(金) 18:01:44.78 ID:cC2LiDjC0
文春の記事が笑えたw
原文そのままで
「雅子さまは、九月下旬頃から学校がある月曜日から土曜日の朝は普通の時間に起床され、
朝七時台いご家族三人そろって朝食を召し上がれるようになりました(←wwwwwww)。
長年続く“昼夜逆転”生活を改善されようとしているのです。
朝食を召し上がってさあ行ってらっしゃいと送り出すためでしょう。
適応障害で療養中の雅子さまにとって朝早く起きるのはお辛いことだそうですから、相当努力をなさっているのだと思います。
何とかしなければ、というご決意を感じます(別の東宮関係者)」
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適応障害の患者は全員朝起きられないのですかwww?
飯も作らないくせに、朝飯を食ったら褒められるわが国の皇太子妃。
国民にとって、これ何の罰ゲーム?状態。
週刊ポスト 2014年11月14日号<皇太子一家「深夜のお出かけ」で愛子内親王「大遅刻の日々」再び>記事
p.44より引用
前出の皇室記者が「一家の平日スケジュール」を紹介する。
「皇太子さまは午前6時起床。雅子さまも7時前には起床され、愛子さまのお弁当を作られたりする。愛子さまは午前7時頃に起床され、時間に余裕があれば愛犬の散歩をしたり猫の世話をした後、8時前後に皇宮護衛官の運転する車で学習院に向かわれます」
しかし、学校のない週末は完全に「夜型」にシフトしていると前出の東宮関係者が明かす。
「ご一家の週末のタイムスケジュールは皇太子さまが朝8時から9時の間に朝食、正午に昼食をおひとりで召し上がる。午後2時過ぎに雅子さまと愛子さまがふたり揃って昼食をとられる。夕食はさらに遅く、雅子さまと愛子さまは深夜11時から召し上がることも珍しくありません。ご一家のお食事の時間がずれるため、係は一日中仕度に追われます。職員がすべての仕事を終える頃にはとうに日付が変わっています」
先の(補足:10月26日日本橋高島屋デパート閉店後の夜8時半過ぎに東宮一家が訪問した特別展「天皇皇后両陛下の80年―信頼の絆をひろげて」)展覧会スケジュールもこのためだと前出の宮内庁関係者がいう。
「仮に週末の朝にご一家が参加する行事の予定を組めば、当日キャンセルとなりかねない。宮内庁としてはそんな事態は避けたい。そこで今回は閉店後のスケジュールとなった」
だとすれば、展覧会の日も帰宅後に食事をとったのかもしれない。ならば就寝は未明になったはずだ。
http://www.gruri.jp/article/2015/07150845/
赤道を越えてトンガご訪問「雅子さま」の部屋から見えた「豚の潮干狩り」
南半球は本格的な冬を待つ季節である。とはいえ、かの地の温度計は20度前後を示し、やや湿り気を含んだ柔らかな風が肌を撫でる。そしてホテルの部屋から見えるのは名物「豚の潮干狩り」――。今月2日から6日まで、皇太子さまと共にトンガを訪問された雅子さま(51)。現地では、スケジュール通りの公務をこなされたうえで、想定外の行事にお出ましになったのである。
***
雅子さまの海外公務は、オランダ新国王の即位式などに出席された2013年春以来のことである。宮内庁担当記者が言う。
「当初の予定によると、雅子さまが出席されるのは、4日の『国王戴冠式』と、それに続く昼食会のみとなっていました。そして、その“メインイベント”以外の行事には、皇太子さまがおひとりで臨まれる段取りだったのです」
それが、戴冠式を終えた翌5日午後、在トンガ日本大使館で、おふたり揃って在留邦人らと懇談されたのである。
「皇太子さまがホテルを発たれる直前になって突如、“妃殿下も同行される”ことが明かされたのです」(同)
在留邦人の関係者がこれを受ける。
「そういったお出ましが可能になったのは、こちらでのゆったりとした時間があったからではないでしょうか。ご夫妻と職員10名は、全16室のプライベートなホテルに宿泊。海まではわずか1分で、オーシャンビューの部屋からは、観光客に人気の『豚の潮干狩り』が見物できる。放し飼いの豚が、干潮時に浜辺へやってきて貝をほじくって食べるのですが、なかなか微笑ましい光景なのです」
■国民は直に触れたい
次に、雅子さまの病状を東宮職関係者が解説する。
「オランダご訪問前後の妃殿下は、朝8時ごろに床につかれ、お目覚めは正午過ぎと、昼夜逆転した状態でした。現在はそれが若干ながら改善されており、しぜん体調も良くなられている。それに加えて最近は、雅子さまの方から主治医の大野裕さんに電話する頻度がぐっと減ったようです。実際、彼はこの訪問に同行していないのです」
その一方で、さる宮内庁関係者はこんな見方をする。
「何を以て回復とするか。ひとつは、皇居や赤坂御用地へ掃除にやってきている勤労奉仕の方々に対し、機会を見つけてお声掛けされること。そしてもうひとつが、国内の泊り公務に継続して出られること。国民には、“次の皇后がどういう方なのか直(じか)に触れたい”という気持ちが強くある。今後、その要求にお応えになれるかどうかが鍵となります」
「さらに言えば……」として、こう言葉を継ぐ。
「天皇皇后両陛下は東宮時代からそういうことをおやりになってきた。だから、国民の支持を得ているのです」
トンガは、世界で最も早く朝を迎える国である。今回の訪問が、完治という夜明けを迎えるきっかけとなるや否や――。
「ワイド特集 天地の狭間のドタバタ劇」より
週刊新潮 2015年7月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです。
pp.30-31より引用
皇太子は早朝定時にご朝食。
愛子さまはおやつの後お昼寝。
そして23時、雅子さまは赤坂御用地を懐中電灯片手に歩き、三笠山の芝に腰を下ろし、ひとり夜空を眺める日々──。
この日の朝は雨だった。冬のコートを羽織っても肌寒い花冷えの中、雅子さまは拝礼の準備のため誰よりも早く半蔵門を通られた。
「雅子さまは宮中三殿にほど近い『潔斎所』でお身体を清められました。装束にお召し替えになる前、湯殿に腰まで浸かって上からかけ湯をする潔斎がお苦手だと聞いたことがあります」(宮内庁関係者)
四月三日に執り行われた、初代天皇とされる神武天皇の没後二千六百年の式年祭。朝八時半頃に半蔵門をお一人で通過された雅子さまのご表情は強張って、お顔の色も優れないようだった。雅子さまが宮中祭祀に臨まれるのは実に七年ぶり。最後にお出ましになったのは、二〇〇九年、昭和天皇二十年式年祭。病気療養中の雅子さまにとっては最もハードルが高く見える宮中祭祀だが、今回ばかりは避けられない事情があった。
「今年は大正五年以来、百年に一度の式年祭でした。この日、天皇皇后両陛下は奈良県橿原市の神武天皇陵で厳かに拝礼されました。随従皇族として秋篠宮ご夫妻も同行されています。
皇太子ご夫妻は遠く奈良にいらっしゃる両陛下に代わって、両陛下のご名代として拝礼されたのです。歴代天皇や皇族の霊が祀られている皇居・皇霊殿での祭祀は皇太子ご夫妻にお任せする他ないという状況でした」(宮内庁担当記者)
儀式が始まる十時に合わせ、車両が次々に半蔵門を通過。菅義偉官房長官ら政府関係者も参集した。
「雅子さまは、将来女性皇族のトップになられるお方です。式年祭は天皇の崩御後、三年、五年、十年、二十年など節目の年に行われる重要な儀式ですから、今回無事済まされたことは大きな契機になるのではないでしょうか」(同前) 十一時過ぎに半蔵門から出てこられた雅子さまは、冒頭の場面とは打って変わって柔和なご表情。集まった人々に手を振られる余裕すら見せられた。
だが、ここに至るまでの道程は平坦ではなかった。
東宮職関係者が明かす。
「この前日、雅子さまがお休みになったのは午前零時頃でした。普段よりずっとお早い時間です。ご意志の強さを感じました。
適応障害の治療に入られて十二年が経ちましたが、雅子さまの“昼夜逆転”生活は依然として改善されないままなのです。皇太子さまにはお一人で臨まれる様々なご公務もありますので、すべて雅子さまに合わせて生活されることは難しく、ご一家の起床・就寝の時間はお三方ともにバラバラ。どちらかというと、愛子さまは雅子さまに近いリズムなのです」
タヌキやハクビシンの森
雅子さまは夜遅くまで起きていることが多く、時には明け方までお休みにならないこともあるという。そのうちに、皇太子が起きてこられ、ご一家は“すれ違い”生活ともいえる状態なのだという。
「基本的に、皇太子さまは七時から七時半頃には御食堂にいらっしゃってご朝食を召し上がります。ご朝食は三殿下ご一緒のときもあれば、雅子さまが夕方頃まで何も召し上がらないこともあります」(同前)
一方愛子さまは学習院女子中等科からお帰りになると、しっかりとおやつを召し上がるという。
「今が一番の食べ盛りですからね。召し上がるのは、御料牧場から届いたヨーグルトや牛乳。それからフルーツジュースやクリームパンがお好きだそうです。おやつを召し上がった後は、夜まで“お昼寝”。週一回程度は家庭教師の先生がいらっしゃいますし、学校生活や勉強でお疲れになるのでしょう。おにぎりなどを軽く召し上がる時もあります。そうなると自然と愛子さまの夕食も雅子さま同様、遅くなりがちです」(同前)
そして、雅子さまは真夜中、すでに真っ暗となった赤坂御用地をお一人で散策されるという。
「週に二三回程度でしょうか。最近は二十三時か午前零時頃に、小一時間ほどかけて散策されています。園遊会の会場となる小高い丘、通称『三笠山』のあたりや、大池の方に向かって散策をされるのです。外灯もあるのですが、東宮御所の周辺など木々が生い茂った場所は大変暗く、足元は舗装されていない砂利道。雅子さまは懐中電灯を片手に歩を進められます」(別の東宮職関係者)
雅子さまの後方には皇宮警察の護衛官(側衛)が付くが、“プライベート感”を保つため、なるべく距離を開けて随従するという。
「あるとき、三笠山の麓に側衛さんがいたので『どうしたのですか』と訊ねると、声を潜めて『上に妃殿下がいらっしゃるのです』と言いました。仰ぎ見ると三笠山の頂に雅子さまのお姿がありました。
赤坂御用地は豊かな自然に恵まれ、タヌキやハクビシンが出るほどの“森”です。様々な山菜も採れます。夜間に車の音はほとんどしませんし、聞こえるのは虫の音や風の音ぐらいで都心とは思えないほどしんとしています。雅子さまはその静けさを愉しまれているようでした。
三笠山の頂上は見晴らしがよく、空が開けています。雅子さまはその芝生に座られ、月を眺めたりされるそうです。目線としては、大池を挟んでちょうど秋篠宮邸など各宮邸を見下ろすような形になります。今の季節は池の周りに綺麗な桜が咲いていますよ」(同前)
この真夜中の散策は、雅子さまの療養生活とは切り離せないものとなっている。
「東宮職医師団の勧めにより、運動を通して気力や体力の充実をはかるという目的でご散策が取り入れられたのです。当初は夕方頃にされることが多く、鉢合わせした職員に『何をされているんですか』と話しかけられることもありました。それが次第に夕食の時間なのに『雅子さまがご散策中』といったことも増えていきました。ご家族の生活時間がバラバラになっても皇太子さまはそれを許されている。それは、雅子さまがご自分に合った方法を探りながら、懸命にご体調を整えられているという地道なご努力を尊重されているからに他なりません」(同前)
四月二十七日には春の園遊会が控えている。十二年ぶりのご出席となった昨年秋に続き、三笠山に堂々とお立ちになる雅子さまのお姿を拝見したい。
http://www.jprime.jp/articles/-/9485
愛子さま、学習院女子高等科に進学されるも授業初日にいきなりのご欠席
週刊女性2017年5月2日号2017/4/19
授業開始2日目、少しふっくらとした愛子さまは元気よく登校された(4月14日)
4月11日、外交関係樹立60年を迎えたマレーシアへの親善訪問に先立つ記者会見でのこと。
長女の愛子さまの「国際感覚」についての質問に、「今後とも、愛子にはできるだけ若いうちに国際感覚を身につけていってもらいたい」「実際に外国に行ってみるということは極めて大切だと思います」とお答えになった皇太子さま(57)。
学習院女子高等科での3年間が始まった愛子さまにとっては、そんな外国への訪問や留学が大きなテーマのひとつになるのかもしれない─。
「愛子さまの女子高等科の入学式は、4月8日に行われました。
昨年の激やせぶりも改善し、直前まで長野で楽しまれていたスキー焼けした顔で、“先生方やお友達と一緒に、充実した高校生活を過ごすことができればと思っています”とおっしゃいました」(宮内庁担当記者)
翌9日の日曜日には、皇太子ご夫妻に連れられて皇居・御所を訪問し、天皇・皇后両陛下に高校入学の挨拶をして、昼食をともにされた。
「週明けの10日からは、学校ではガイダンスなどが行われました。この日は、両陛下の結婚58年の記念日で夕食会が御所であり、愛子さまも同席されました。両陛下も、愛子さまの成長ぶりに安心されたのではないでしょうか」
授業開始は、皇太子さまのマレーシア出発の13日からだったが、実はこんな心配もささやかれていた。
「3年前の6月、中学に入学されたばかりの愛子さまは、皇太子さまがスイスを訪問されたころから、ご登校が不規則になりました。お父さま不在の間に、雅子さまの夜型生活に引きずられるかたちで生活リズムを崩したからです。
今回も、高校入学直後という新しい環境で皇太子さまがお住まいを空けられたので、同様なことにならないか心配はありました」(皇室ジャーナリスト)
中1の前半は午後2時に登校したり、定期試験を欠席されるなどの不規則な登校が続いた時期があった愛子さま。
「3年生の秋には、胃腸の不調やふらつきで、1か月半ほどご欠席。登校再開後も“激やせ”ぶりから『摂食障害』(拒食症)の疑いも出たほどでした」(宮内庁担当記者)
そんな心配もあるなか、授業初日だった13日、愛子さまは、桜吹雪が舞う校門に姿をお見せになることはなかった─。“激やせ”の影響がまだ続いているのではという見方もあったが、
「東宮大夫会見では、風邪で欠席されたとの説明がありました」(宮内庁関係者)
それほど重くはなかったようで、愛子さまは翌14日と15日土曜日の午前授業には、朗らかな表情で元気よく登校された。
18日までの予定でマレーシアを訪問していた皇太子さまも、励ましの電話などをされていたのかもしれない。
お顔や手足も細くなり、1年前とは別人のように面変わりされた愛子さま。食事を残す姿に皇太子さまは「作った人のことも考えて…」と優しく諭し、雅子さまは心配が募り、強く叱ることも――。
http://www.jprime.jp/articles/-/9171
愛子さま“緊迫の食卓” 雅子さまから厳しい叱責「青いものだけでも食べなさい!」
週刊女性2017年3月14日号2017/2/27
キーワード:愛子さま 雅子さま 皇太子さま 母親 激ヤセ 拒食症
皇太子さまの57歳のお誕生日の写真などが公開され、その“激ヤセ”ぶりで話題になっている愛子さま。そもそもなぜ、ここまでのお姿になってしまったのか。
新谷医院院長で摂食障害に詳しい精神科医の新谷太さんと、パークサイド日比谷クリニック院長で摂食障害が専門の立川秀樹さんは拒食症の可能性を指摘しているが、もしそうだとしたら……。
「拒食症の原因は、母子関係に問題があることが多いです。それは決して親からの愛情不足ということではありません。
子どもは母親に対して、無意識に仕草や表情を通して“情緒信号”と呼ばれるものを発信します。“こうしたい、ああしたい”という信号を母親がきちんと受け取れていないことで、子どもに不満が募っていくことが拒食症につながることがあるのです」(立川医師)
母親によっては信号に敏感ではなかったり、仕事に没頭していたり、家族の誰かが問題を抱えていることで気づけないことがあるという。
「雅子さまは適応障害という心のご病気ということもあり、余裕がない状態だったのかもしれません」(立川医師)
療養から13年がたって最近は復調ぎみではあるものの、公務に出られない時期も長く、愛子さまの機微をとらえる余裕を持てなかったこともあったのかもしれない。
一方で、愛子さまが学習院初等科時代にいじめが起こった際には、1年半以上も一緒に登校したり、校外学習にも付き添われこともあった。
その「過保護」ぶりからは、娘との意思の疎通ができているようにも思える。
「先日の『冬季アジア大会』は“寒さ”と“日程の長さ”が理由で欠席されましたが、愛子さまのご体調を心配した面もあったのではないでしょうか」(宮内庁担当記者)
“激ヤセ”はいじめ問題の影響か
しかし、立川医師によれば母娘の密着が問題ではないという。
「雅子さまが愛子さまの登校に付き添われていたのは、母子が一体となっているということなので、いいことだと思いますよ。しかし一緒にいるだけではあまり意味がなく、信号を受け取ることが大事なのです」
子どもからの信号に気づけないことで母子のすれ違いが生まれると、子どもの“自我形成”がうまくいかなくなることにつながるのだという。
「自我がなければ、他人の発言に影響されやすくなります。愛子さまが昨年の夏ごろからおやせになっているところを見ると“やせていることが素晴らしい”という周りからの言葉に影響されたのかもしれません。自分が好かれるために相手の好きなことをするという意識になってしまうのです」(立川医師)
愛子さまの“激ヤセ”について、初等科時代のいじめ問題が影響しているかもしれないと前出の立川さんは指摘する。
「いじめというのは理不尽で、自分ではコントロールできないものです。対して“やせるという行為”は、思春期の子どもにとって唯一、自分でコントロールできる行為であることも、やせ方を加速させてしまった原因なのかもしれません」(立川医師)
昨年からの“公務”が増えたことも拒食症の原因のひとつではないかと話すのは、前出の新谷さん。
「お出ましになられた際に“きれいになられた”“大人っぽくなられた”などといった声がうれしくて“もっとやせよう”という気持ちになられた可能性はありますね」
再来年には両陛下が退位される見通しが強いだけに、しっかりと公務をやり遂げる“内親王としてのプレッシャー”が生まれたのかもしれない。
そんな中、お住まいでの“緊迫の食卓”の様子を東宮職関係者が明かしてくれた。
「昨年11月の2〜3日間ほど、愛子さまはほとんど食事を召し上がらない時期がありました。皇太子さまは“作ってくれる方もいるのだから”と食べるように諭したのです。
しかし、愛子さまは“それはわかっています”とお返事しただけで、なかなか食がすすまなかったそうです」
両陛下や皇太子ご一家のお食事は、宮内庁の「大膳課」という料理担当者が調理するので皇太子さまとしては見過ごせなかったのだろう。
父親の言葉にも耳を貸さない愛子さまに対して、ついに雅子さまも業を煮やされたようで、
「雅子さまは“青いものだけでも食べなさい”などとおっしゃったそうです。それでもなかなか言うことをお聞きにならず、厳しく叱ったこともあったとか……」
例えば献立に「肉じゃが」が出た際に、ねぎや白滝はお召し上がりになっても、じゃがいもとお肉には手をつけられなかったという。
また、愛子さまがなかなか自分の部屋から出てこられなかったこともあったという。
「11月のころを底だとしたら、現在は食べるようにはなりましたが、それでもおそばなどの食べやすいものだけを召し上がっています。お肉は今も口にされないそうです」(前出・東宮職関係者)
一部では“炭水化物ダイエット”をしているという報道もあったが、肉類もお控えになっているとは……。
今後も偏った食事を続けていると、いつか愛子さまのお身体にも支障をきたすことがあるだろう。拒食症ならば、どんな治療法があるのか。
「一般的に薬が処方されたり、精神療法が行われます。治療の基本は、まず家族面談という形でお話をうかがいます。親子関係に潜む病理をあぶりだし、家族が原因を共有することで団結して病気を治していけるように医療がお手伝いします。治療期間は10年、20年にわたる場合も珍しくありません」(新谷医師)
昨春の『オール学習院の集い』では、友達と気軽に焼きそばやアイスクリームを買い、召し上がっていたが、そのころの愛子さまに戻ることはできるのだろうか─。
Part3227-851 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/04/26(水) 07:40:55.90 ID:UObYpVSU0
文春ざっと
愛子さん記事、ある意味想像通り
過剰な食事制限は、愛子さんが成長したから
食べられない人もいるのだからとの雅子の説得
広島、戦後の食糧難を持ち出してのナルの諭し
拒食症を否定しつつ、激やせを美談にしてる
紀子さまの記事は、園遊会で紀子さまが丁寧に招待客に対応し、
秋篠宮殿下との間が開き、眞子さまから後ろが詰まり紀子さま待ち状態だったと
これ、前に信子さま叩きにも使われたよね
959 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/04/26(水) 16:07:16.09 ID:Tgq+a07M0
レポあがっているようなので紀子さまのレポの方を。
週刊文春
5月4日・5月11日ゴールデンウィーク特大号
187ページ
雅子さま13年ぶりの和装
紀子さまは〝牛歩〟
午後2時過ぎ、僊錦閣跡と呼ばれる丘に天皇皇后両陛下、皇太子さまに続いて雅子様がお出ましになられた。
報道陣の間には衝撃が走る。雅子さまには体力的負担が大きいとされてきた
お着物姿で実に13年半ぶりに公の場にお出ましになられたから。
雅子妃は冒頭、両手を前でギュッと揃えられ、こわばった笑顔を浮かべられた。
雅子さまは過去二回と同様、式典行事が終わると数十メートルの距離をお歩きになり、
浅黄幕の切れ目で中座された。
(10分ほど招待客の一部と懇談をされている。)
先立つ16日には雅子さまはオール学習院の集いに足を運ばれた。
屋外ではキプロスと日本のハーフのイケメン男子学生と親しく歓談された一幕も。
体調は上向きのよう。
雅子さまが退出された後の紀子さまの存在感は抜群だった。
「例年にも増して紀子さまは招待客一人一人とじっくり話し込まれていました。
美智子さまさながら、相手のプロファイルを記憶されていて、感激する人も多いのです。
前を歩く秋.篠宮さまとは数メートル離れ、眞子さまや三笠宮家、高円宮家の女性皇族が詰まって紀子さま待ち
状態になるほど。〝未来の皇嗣妃〟のご覚悟が滲んでいるようでした」(皇室担当記者)
所功
「秋.篠宮さまを皇位継承第一位を意味する皇嗣とお呼びして筆頭宮家のままとするのならば公的活動や
宮中祭祀での役割を明確にしておくべき。
皇太子さま同様に祭祀をなさるならば大祭では秋篠宮ご夫妻は正装を召され殿上でのお務めを果たされます。
秋.篠宮家はより大きな責務を負うことになるのです」
962 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/04/26(水) 16:15:58.95 ID:Tgq+a07M0
まず、愛子さんが炭水化物とカロリーの摂取を減らした。
朝もほとんど食べなくなってお弁当も残す。夕食は食べなくなった。
肉もほとんど食べず、サラダや煮物おひたしなど野菜中心に。(次がツッコミどころですよ皆様!!!)次の二行ほとんど
原文ママで行きますよ。
雅子妃は愛子さまにきちんと食べて痩せる方法を説いたというが(←!!!!!!!!!!!)
「たべたくない」と言って席を立たれてしまうことがままあった。
雅子の口からため息が漏れる日々が続いた。
愛子さんのいない食卓では皇太子ご夫妻がお二人だけで静かに食事をなさる日もあった。
続きます。
965 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/04/26(水) 16:19:54.33 ID:Tgq+a07M0
(続きです)
どうやら、「緊迫の食卓」というのは↓のことを指しているのだと思いました。
レポ
雅子妃は愛子さまと食べる食べないの押し問答の末「いい加減にしなさい!」と叱責されて緊迫する瞬間もあった。
雅子妃はまた
「出されたものに感謝して丁寧に残さずいただかなくては人の気持ちなどわからないとおっしゃられたそうです。」
また
「食べたくても食べられない人が与野な垢にはたくさんいる」とも話されたそうで、その時に
愛子さまは涙ぐまれたそうです。
966 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/04/26(水) 16:22:29.83 ID:Tgq+a07M0
あああ。すみません。965です。
>「食べたくても食べられない人が与野な垢にはたくさんいる」→×
「食べたくても食べられない人が世の中にはたくさんいる」→○
です。
968 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/04/26(水) 16:28:26.28 ID:Tgq+a07M0
ざっと読んだ感想。
雅子という存在は愛子さんにとっては、まあ害悪でしかないってこと。
愛子さんにとって大切な存在はご学友、父である皇太子、幼少の頃からの内科専門の主治医らしい。
拒食症から立ち直ったのはこの人たちの力が大きいみたいな感じ。
雅子の叱責から追い詰められて余計食べ物を受け付けられなくなった時
父である皇太子が少しずつでいいからバランスよく食べることの大切さを教えたから、らしい。
なんだかなー。
ttp://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091107/imp0911070701002-n1.htm
【皇室ウイークリー】(105)愛子さま、御料牧場の自然をご満喫 眞子さま、お誕生日にICU合格の朗報 (1/5ページ)
2009.11.7 07:00
(前略)
野村一成東宮大夫の6日の定例会見によると、御料牧場では、愛子さまは以前からお気に入りのブタと再会された。このブタ、すでに体重は200キロを超えているようだ。また、牛舎で乳搾りを見たり、小さな牛にミルクをあげるなどされた。このほかにも長ネギ、キャベツといった野菜の栽培の様子も観察するなど、牧場ならではの自然との触れ合いを満喫されたそうだ。
皇太子さまは公務のため、一足早く4日に帰京された。雅子さまと愛子さまも、近く帰京される見通しだ。
また、野村東宮大夫はこの日の会見で、ご一家が1月に保護していたタヌキが、先月29日に自然に返されたことを明らかにした。
タヌキは雅子さまが赤坂御用地を散策中、けがをして衰弱しているのを発見したもので、十分に回復したという。自ら自然に返るのを促すため、保護した場所でタヌキのかごのとびらを開ける際には、ご一家3人がそろって見守られたという。
『週刊文春』2009年12月17日号<深層レポート 皇太子殿下を守って差し上げたい 雅子妃の復活 これまで書けなかった全真相>友納尚子
p.26より引用
今年一月、雅子妃はご散策中に交通事故で怪我をしていた狸を保護され、病院で治療を続けていた。十ヶ月ぶりに治ったので、赤坂御用地の敷地に戻すことになったそうだ。皇室関係者が語る。
「雅子妃殿下は、なかなかケージから出てこない狸に『いつでもいいよ。安心して出てきてごらん』とやさしく声を掛けられたといいます。愛子さまは狸がお母さんやお友達に会えるかなとずっと心配されていたようですが、雅子妃殿下は『信じて。きっと会えますよ』と頷かれていたそうです。
一時間半ぐらいしてご散策中の雅子妃が偶然に、斜面を登っていく狸を見送られ、御所でその様子を殿下と愛子さまにお話しになったといいます。『待つといいことがたくさんありますね』と雅子妃殿下は良いご表情をされていました」
この光景を友納尚子に伝えたとされる「皇室関係者」が一体どこの誰であるか全く不明であるが、一家がタヌキを放す場面で雅子が語ったとするその言葉や、散策していた雅子がタヌキが坂を登る場面を目撃したとか、御所で雅子が「待つといいことがたくさんありますね」と語ったその「良い表情」まで見て分かるという、まるで雅子に非常に近い係累としか思われない書きっぷりである。この記事は「負傷したタヌキに愛情を注がれる雅子妃殿下と皇太子殿下と愛子さま」という、歯の浮きそうな美談記事として書かれているのは疑いないが、なかなかケージから出てこないタヌキを見送るのは諦め、徳仁は愛子を連れて東宮御所へ戻り、雅子は一人勝手に庭の散策へ出かけているという、およそ「仲睦まじい東宮ご一家」という理想像からかけ離れていることが察せられる。
雅子が語ったとされる台詞『待つといいことがたくさんありますね』についても、「どういう意味? それも“たくさん”って何を指してるの?!」と訝る奥様方が多い。
ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00223731.html
天皇皇后両陛下、金環日食ご鑑賞 皇太子さまは愛子さまと共に
21日に日本で観測された「金環日食」。
イギリスからお帰りになったばかりの天皇皇后両陛下も、庭でそろってご覧になったという。
また、FNNの取材では、皇太子さまも愛子さまと一緒に、御所の庭で観察されたという。
(05/21 17:03)
http://mainichi.jp/select/news/20120526k0000m040038000c.html
皇太子さま:「アフリカ・シンポ」に出席
毎日新聞 2012年05月25日 19時37分
皇太子さまは25日、東京都渋谷区の国連大学であった「アフリカ・デー・シンポジウム」に出席した。在京アフリカ外交団と国連大学の共催で、電力などのインフラ不足の現状や日本の役割などが話し合われた。皇太子さまは開会式に出席後、基調講演も聴いた。この日は、アフリカ統一機構(OAU)が1963年に発足した記念日。
また、宮内庁の小町恭士東宮大夫はこの日の定例記者会見で、皇太子ご夫妻と長女愛子さまが21日朝、お住まいの東宮御所で金環日食を観察したことを明らかにした。日食グラスを使い、2階のベランダや庭で観察したという。【真鍋光之】
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/120526/imp12052607020001-n3.htm
【皇室ウイークリー】(231)歴史的!英国午餐会詳報 王子、キャサリン妃も両陛下にあいさつ…おせんべいも登場
2012.5.26 07:00 (3/4ページ)
一方、宮内庁の小町恭士東宮大夫は25日の定例会見で、皇太子ご一家が21日朝の金環日食を観察されたことを明らかにした。観察用のグラスを3つ使い、お住まいの東宮御所のベランダと庭でご覧になったという。
宮内庁の風岡典之次長は21日の定例会見で、両陛下も金環日食を皇居で観察されたことを明らかにしていた。
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先ずこの「雅子による見苦しい下手糞抱っこ」まとめ画像を参照されたい:手の甲乗せ、おマタ鷲掴み、お尻鷲掴み、お股おっぴろげ全開、駅弁抱っこ等々オンパレード画像(日付入り)まとめ画像その2:問題点指摘入り...
東宮家の中の人、徳仁・雅子・愛子がほとんど共にしないと報じられているもの。心凍るブリザード家庭としか思われないのだが、それでもなお一家円満を主張し続けているところが奇妙というか、必死すぎである。結婚当...
2008年1月25日長野県小布施町にある美術館「北斎館」にてを「駿州江尻」を見た雅子夫人が発した言葉(スレでは「ぅ~」を付与した形で定着している)。ttp://sankei.jp.msn.com/cu...
雅子夫人について夫徳仁が主張していること。「頑張り過ぎる」というのがお得意のフレーズである。同日シリーズやら翌日シリーズやらで雅子夫人の振る舞いを観察しているスレ住民奥様方からすれば( ´_ゝ`)フー...
平成24年(2012年)2月18日天皇陛下心臓冠動脈バイパス手術は世に大きく伝えられたが、その後のお見舞いを巡って、まともに打診もせずぐずぐずしていた東宮家の雅子が、秋篠宮妃殿下からのお見舞いスケジュ...
MasakoCalendar作成奥様が組んでくださった、1993年1月婚約発表時期からの【雅子さまワクワク☆静養カレンダー】もご参照ください。雅子夫人についてのニュースにおいて、一緒に使われる確率が非...
自らの知識・技術を活かしたいと考える青年を発展途上国に派遣する[ JICA(独立行政法人 国際協力機構)]の事業のこと。「エリート外交官家庭に生まれ育った私が発展途上国なんてpgr」という意識があるの...
2011年7月21日付で愛子養育担当東宮家出仕となった女性。それまで愛子養育担当出仕には福迫美樹子氏、筒井美奈氏がいたが、霜鳥氏は3人目となる。ほぼ同時期に愛子養育担当人員として雇用された存在として、...
学習院幼稚園に通っていた敬宮愛子ちゃんとその母雅子とが偶にやっていたこと。タイトー制作の電車運転シミュレーションゲームソフトのことではなく、雅子・徳仁夫妻の「(娘愛子に)一般の子供たちと同じ経験をさせ...
]No.日付見出し注目内容2131.7元日にも陛下のご負担軽減策年末の表参道…東宮大夫「良かった」の理由は?新年行事について新年ご一家撮影会裏話、一同並んで撮影している場面ではしりとり新年一般参賀、女...
広義では「東宮家雅子夫人に関する様々な問題事」を表す。この単語は『週刊新潮』2008年4月10日号<男の担任も「横ヤリ交代」 学習院初等科「愛子さまご入学」シフト>記事中にて「雅子さまマター」で登場し...
Part826スレッドのとある奥様(レス番号371・377・379)が、以前ここに書かれていた「迷惑外交武勇伝」という言葉が気に入ったとのことで、海外における雅子のgdgd振舞い事件を端的にまとめてく...