懐中電灯

ページ名:懐中電灯

東宮夫人雅子が赤坂御所内を深夜11時~0時頃ごそごそ散策する際、手にしているアイテムのこと。


目次

『サンデー毎日』2008年11月2日号<午前零時に散歩する雅子さま>[]

『サンデー毎日』2008年11月2日号<午前零時に散歩する雅子さま>

p.148より引用
 が、ある宮内庁関係者は「ちょっと気になることがあるんです」と声を潜める。
「雅子さまは時々、真夜中に一人で散策されるのですよ」
 皇太子ご夫妻のお住まいは、赤坂御用地内にある。元々のお住まいである東宮御所が配管工事などのために改修中で、8月末から同じ御用地内にある現在の東宮仮御所に引っ越した。夜になると東京ミッドタウンや六本木ヒルズの明かりが見える超一等地だ。
 だが、御用地内には街灯はほとんどなく、夜は真っ暗。草木が生い茂って、都心にもかかわらずタヌキが出没する。
 そんな中を、午後11時、時には午前零時過ぎに、雅子さまは散策するのだという。
「話によると、雅子さまは懐中電灯を片手に一人で数十分間、散策されるのだそうです」(前出・宮内庁関係者)
 もちろん、皇宮警察の護衛が少し離れながら雅子さまの後をついていくようだが、周りには侍従や女官はいない。皇太子さまもいない。
 宮内庁関係者は続ける。
「雅子さまは“散策”を治療の一環として考えられているのではないでしょうか。もちろん、昼間に散策されることが多いのですが、体調が悪かったり、都合がつかない時は真夜中になるみたいですね」
 だが、こうも言う。
「雅子さまは散策中に人に会われるのが嫌なのかもしれません。昼間の散策中に誰かがそばを通ると、帽子を深くかぶって目を合わせないようにすることもあるようです。真夜中なら人はいないし、落ち着くでしょうから」


深夜懐中電灯片手に用もないのに御用地内をふらふら出歩くという異様な内容がスレ住民奥様方に強い印象を残した記事である。ここでもお得意の「治療の一環」が理由付けに用いられている。「昼間散策することもあるが、“都合がつかない時は真夜中になる”」という箇所も、治療中であることを盾に公務をほぼ休んでいる状態における「都合」とは何であるかも気になるところである。

参考:【治療の一環

『週刊文春』2016年4月14日号<7年ぶり宮中祭祀も 昼夜逆転の「すれ違い生活」 雅子さま“真夜中のご散策”>[]

  • 週刊文春 2016年4月14日号<7年ぶり宮中祭祀も 昼夜逆転の「すれ違い生活」 雅子さま“真夜中のご散策”>中吊り【食卓
  • 週刊文春 2016年4月14日号<7年ぶり宮中祭祀も 昼夜逆転の「すれ違い生活」 雅子さま“真夜中のご散策”>記事

pp.30-31より引用
皇太子は早朝定時にご朝食。
愛子さまはおやつの後お昼寝。
そして23時、雅子さまは赤坂御用地を懐中電灯片手に歩き、三笠山の芝に腰を下ろし、ひとり夜空を眺める日々──。

 この日の朝は雨だった。冬のコートを羽織っても肌寒い花冷えの中、雅子さまは拝礼の準備のため誰よりも早く半蔵門を通られた。
「雅子さまは宮中三殿にほど近い『潔斎所』でお身体を清められました。装束にお召し替えになる前、湯殿に腰まで浸かって上からかけ湯をする潔斎がお苦手だと聞いたことがあります」(宮内庁関係者)

 四月三日に執り行われた、初代天皇とされる神武天皇の没後二千六百年の式年祭。朝八時半頃に半蔵門をお一人で通過された雅子さまのご表情は強張って、お顔の色も優れないようだった。雅子さまが宮中祭祀に臨まれるのは実に七年ぶり。最後にお出ましになったのは、二〇〇九年、昭和天皇二十年式年祭。病気療養中の雅子さまにとっては最もハードルが高く見える宮中祭祀だが、今回ばかりは避けられない事情があった。
「今年は大正五年以来、百年に一度の式年祭でした。この日、天皇皇后両陛下は奈良県橿原市の神武天皇陵で厳かに拝礼されました。随従皇族として秋篠宮ご夫妻も同行されています。
 皇太子ご夫妻は遠く奈良にいらっしゃる両陛下に代わって、両陛下のご名代として拝礼されたのです。歴代天皇や皇族の霊が祀られている皇居・皇霊殿での祭祀は皇太子ご夫妻にお任せする他ないという状況でした」(宮内庁担当記者)
 儀式が始まる十時に合わせ、車両が次々に半蔵門を通過。菅義偉官房長官ら政府関係者も参集した。
「雅子さまは、将来女性皇族のトップになられるお方です。式年祭は天皇の崩御後、三年、五年、十年、二十年など節目の年に行われる重要な儀式ですから、今回無事済まされたことは大きな契機になるのではないでしょうか」(同前) 十一時過ぎに半蔵門から出てこられた雅子さまは、冒頭の場面とは打って変わって柔和なご表情。集まった人々に手を振られる余裕すら見せられた。
 だが、ここに至るまでの道程は平坦ではなかった。
 東宮職関係者が明かす。
「この前日、雅子さまがお休みになったのは午前零時頃でした。普段よりずっとお早い時間です。ご意志の強さを感じました。
 適応障害の治療に入られて十二年が経ちましたが、雅子さまの“昼夜逆転”生活は依然として改善されないままなのです。皇太子さまにはお一人で臨まれる様々なご公務もありますので、すべて雅子さまに合わせて生活されることは難しく、ご一家の起床・就寝の時間はお三方ともにバラバラ。どちらかというと、愛子さまは雅子さまに近いリズムなのです」

タヌキやハクビシンの森
 雅子さまは夜遅くまで起きていることが多く、時には明け方までお休みにならないこともあるという。そのうちに、皇太子が起きてこられ、ご一家は“すれ違い”生活ともいえる状態なのだという。
「基本的に、皇太子さまは七時から七時半頃には御食堂にいらっしゃってご朝食を召し上がります。ご朝食は三殿下ご一緒のときもあれば、雅子さまが夕方頃まで何も召し上がらないこともあります」(同前)
 一方愛子さまは学習院女子中等科からお帰りになると、しっかりとおやつを召し上がるという。
「今が一番の食べ盛りですからね。召し上がるのは、御料牧場から届いたヨーグルトや牛乳。それからフルーツジュースやクリームパンがお好きだそうです。おやつを召し上がった後は、夜まで“お昼寝”。週一回程度は家庭教師の先生がいらっしゃいますし、学校生活や勉強でお疲れになるのでしょう。おにぎりなどを軽く召し上がる時もあります。そうなると自然と愛子さまの夕食も雅子さま同様、遅くなりがちです」(同前)
 そして、雅子さまは真夜中、すでに真っ暗となった赤坂御用地をお一人で散策されるという。
「週に二三回程度でしょうか。最近は二十三時か午前零時頃に、小一時間ほどかけて散策されています。園遊会の会場となる小高い丘、通称『三笠山』のあたりや、大池の方に向かって散策をされるのです。外灯もあるのですが、東宮御所の周辺など木々が生い茂った場所は大変暗く、足元は舗装されていない砂利道。雅子さまは懐中電灯を片手に歩を進められます」(別の東宮職関係者)
 雅子さまの後方には皇宮警察の護衛官(側衛)が付くが、“プライベート感”を保つため、なるべく距離を開けて随従するという。
「あるとき、三笠山の麓に側衛さんがいたので『どうしたのですか』と訊ねると、声を潜めて『上に妃殿下がいらっしゃるのです』と言いました。仰ぎ見ると三笠山の頂に雅子さまのお姿がありました。
 赤坂御用地は豊かな自然に恵まれ、タヌキやハクビシンが出るほどの“森”です。様々な山菜も採れます。夜間に車の音はほとんどしませんし、聞こえるのは虫の音や風の音ぐらいで都心とは思えないほどしんとしています。雅子さまはその静けさを愉しまれているようでした。
 三笠山の頂上は見晴らしがよく、空が開けています。雅子さまはその芝生に座られ、月を眺めたりされるそうです。目線としては、大池を挟んでちょうど秋篠宮邸など各宮邸を見下ろすような形になります。今の季節は池の周りに綺麗な桜が咲いていますよ」(同前)
 この真夜中の散策は、雅子さまの療養生活とは切り離せないものとなっている。
東宮職医師団の勧めにより、運動を通して気力や体力の充実をはかるという目的でご散策が取り入れられたのです。当初は夕方頃にされることが多く、鉢合わせした職員に『何をされているんですか』と話しかけられることもありました。それが次第に夕食の時間なのに『雅子さまがご散策中』といったことも増えていきました。ご家族の生活時間がバラバラになっても皇太子さまはそれを許されている。それは、雅子さまがご自分に合った方法を探りながら、懸命にご体調を整えられているという地道なご努力を尊重されているからに他なりません」(同前)
 四月二十七日には春の園遊会が控えている。十二年ぶりのご出席となった昨年秋に続き、三笠山に堂々とお立ちになる雅子さまのお姿を拝見したい。

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