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どうか原子力政策を転換してください――旧皇族出身の女性が3・11に思うこと
【くにさん】参照。
pp.267-269より全文引用
雅子妃殿下がご静養されはじめて、八年になる。原因の「適応障害」の発端となったのは、言うまでもなく「お世継ぎ問題」だった。なかなかご懐妊されないことから、「雅子妃はお子さまは欲しがらない」といった心ない声が出ていたことも無縁ではない。事実はもちろんちがう。両殿下は、様々な治療法を試みておられ、実は報じられている以外にも「懐妊の兆候があったのである。
愛子内親王のご懐妊の前に、国内のメディアは「不妊治療」「体外受精」といった記事を掲載していた。一九九六年、初の単独会見を行った雅子妃は次のように述べられた。
「事実に基づかない憶測というものを中心として議論を進めているもの、とてもセンセーショナルな見出しが付けられていることがよくございます」
「あの……今、脳内モルヒネとかというものがちょっと話題になっているようですけれども、そんなものも私の場合、それなりに出ているのか鬱状態とかそういうことは全くありませんので(笑)、どうぞそういう心配はしていただかないようにというふうに思います」
ユーモアと笑顔を交えながらも語気は強かった。当時はそんな会話が出来るほどお元気だったのだ。
最初に光明が差し込んだのは、一九九九年十二月三日、ベルギー皇太子の結婚式に参列するため皇太子殿下と出発する朝のことだった。実はご出発の前にご懐妊の可能性があることが分かったのだ。予想外だった。だが、あくまでも「可能性」で確認がとれたわけではなかった。侍医も判断を出せずにいたと言われている。
雅子妃が突然の欠席となれば非礼にあたる。両殿下はご出発されるまで行くべきか行かざるべきかを悩んでいたという。東宮職の幹部も焦っていた。出発まで時間が無い。宮内庁幹部を通じて両陛下に報告し情報が漏れないよう外務省には知らせなかったという。
皇太子ご夫妻は、いつもと変わらない笑顔で旅立った。雅子妃の体調に慎重を期するため通常は同行しない侍医が同行していた。
高さ六センチの青いハイヒールを履かれていたので、宮内記者たちも妊娠の兆候があるなら、そんな靴を履くはずはないと考えていたという。
真相はこのハイヒールを履いたのは、結婚式に参列する衣装に替えるまでの時間がなかったからだった。一般人とはちがって、皇族の結婚式の衣装やそれに合わせた帽子、バッグなどの小物を揃えるまでには時間が要る。訪問国に失礼の内容念を入れるからだという。ベルギーに着陸した飛行機から結婚式場に直行したわけでもないのに、「結婚式に参列する衣装に替えるまでの時間がなかったから」としている、非常に苦しい言い訳である。【ベルギー訪問】参照。
七日、両殿下は無事にベルギーから帰国された。そして雅子妃は十三日に宮内庁病院で超音波による検査を受けられた。この日、ご懐妊が確認できれば宮内庁は発表する予定だった。だが、直前の十日朝刊で、朝日新聞が「雅子さま、懐妊の兆候」と大々的に報道した。十三日夜、宮内庁は検査結果をご懐妊と「発表できる段階にない」と発表。後に稽留流産されたことは周知のとおりである。
だが、ご懐妊の可能性は宮内庁関係者によれば「幾度もあった」という。
二〇〇〇年七月、雅子妃が皇太后の本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席されたときだ。
前日の臨時会見で古川清・東宮大夫(当時)は「雅子妃は暑さで御疲れがたまり、[[夏バテのようなもの|夏バテのような状態]」と説明した」
皇室の儀式に皇太子妃が「[[夏バテのようなもの|夏バテ]」で欠席するとなれば前代未聞のことだ。宮内記者やマスコミから猛烈な批判が飛び出した。実相は「[[夏バテのようなもの|夏バテ]」などではなかった。東宮関係者が語る。
「この時も雅子妃にご懐妊の可能性があったといいます。[[ベルギー訪問|ベルギーご訪問]の時よりもその兆しは強く体調が思わしくなかったそうです。真夏という季節もあり、度重なる検査や治療で酷くお疲れになって、起き上がれなかったのです。事前に儀式を欠席したい、という意向を宮内庁側に伝えたところ理解されなかった。この対応に雅子妃は精神的にも孤独感を持たれて、この頃から以前のような肉声会見はおろか笑顔まで消えていったのです」
当時の東宮職の幹部の想像力の無さが露呈された事態でもあった。
一週間後の岐阜でのインターハイ開会式では、少し痩せられたもののお元気な姿を見せられた。だが、東宮御所に戻られると「食欲もなく泣いておられたのか瞼が腫れている事がよくありました」(東宮職関係者)という。
取材を重ねるうちに皇太子ご夫妻が沈黙しつつ悲痛に耐えておられるのが伝わってきた。
雅子妃の様子を当時の東宮職は「ご気分が沈みがちでお部屋にこもりがちという状態です」という。理由はご懐妊の情報が朝日新聞にリークされたことで、宮内庁幹部に不信感をお持ちになっている」というものだった。
だが、その後、雅子妃は不信感を持ち続ける気力さえなくなっていく。愛子内親王ご誕生の産後の肥立ちが悪いことが引き金となって「適応障害」が深刻化していったのだが、お元気そうに見えるときもあるので東宮職員ですら、これがご病気だと気付かなかったという。まさしく精神疾患の難しさがあったのだが雅子妃は適切な治療を受けられなかったことから「妃殿下としての自信をなくされていた」(元東宮職)という。
今は、愛子さまのご成長こそが希望に繋がっている。雅子妃の単独会見が再び開かれることを待ち望みたい。
【友納尚子】
陛下をお守りするためにできた「一カ月ルール」。周囲の配慮を踏みにじった暴挙に物申す。
「私のほうが父に似ている」20年の取材で見えてきた弟宮の腹の内
▼昭和天皇の重みを乗り越えて▼雅子妃と紀子妃のちがい▼「人格否定発言」の衝撃▼皇位継承はどうなる
pp.109-110より引用
保阪 素朴な疑問ですが、宮中のコミュニケーション回路は宮内庁の役員たちが作らないのですか。それが彼らの仕事でしょう。
高橋 東宮というのは一つの独立した役所なんですね。外務からみれば、宮内庁長官―東宮大夫という上下関係があるように考えてしまいますが、陛下側の代弁者と皇太子殿下側の代弁機関は独立した別のものと考えたほうがいい。だから情報も上ってこないし、錯綜する。宮内庁長官も皇室医務主管も、雅子さまの正確なご病状は把握していないでしょう。
岩井 本来なら東宮大夫、東宮侍従長が陛下との回路を作ったり、日程調整したりしなければならない。しかし皇太子ご夫妻が東宮職を信用なさらないんです。
高橋 皇太子ご夫妻とコミュニケーションラインを引こうと東宮職は努力してきたけれど、もうギブアップなんです。
岩井 新婚早々からその傾向はありました。東宮侍医長が基礎体温ぐらいは報告していただかなきゃ困りますと言った途端に更迭されたと聞いています。これでは誰も何も言えなくなってしまう。
香山 「これは慣例ですから」って提出を求められたから雅子さまは拒否反応を示されたんじゃないですか。きちんとこういう理由で体温が必要なんですと言ってもらわないと、プライベートなデータは出せませんと思ったのではないですか。雅子さま世代にとっては「慣例」で済ますことがいちばん納得できないことなんですよ。
岩井 それは僕も分かりますが、皇室の「最重要な任務」のために、当然の義務を果たしたつもりの侍医長にとっては納得いかなかったことでしょう。
櫻井 話が元に戻るかもしれませんが、皇室の最重要な任務のひとつがお世継ぎを産むということだと自覚されていないとすれば、やはり問題だとしか思えません。それがひいては東宮と千代田という皇室そのものの亀裂を走らせたのですから。
香山 皇太子さまの説明責任もあると思います。もしかしたらあまりにも嫁いでいただきたかったがため、魅力的なことばかり雅子さまに仰ってしまった可能性もあるのではないですか。
櫻井 愛するあまりですね。でもそういうふうに皇室全体の環境がよくない状況下でお育ちになる愛子さまのことも、私は心配になってしまいます。
高橋 さっき香山さんが言ったとおりで皇太子さまは説明責任を果たしていない。「新しい公務を目指したい」「皇室外交をやりたい」と発言しておきながら、具体的な意見は表明していないのだから。
岩井 雅子さまを守るのはいいんですけれども、雅子さまの希望通りにやっていたら結果的に雅子さまを守ることになってない、というのが構図なんです。これが歯がゆいわけです。
保阪 確かにそう思いますし、ここまで根深いものになった「人格否定発言」というのは雅子さまを「全力で守る」ためばかりでなく、東宮家の個人主義、宮中に対する依怙地なまでの反動、そうしたものを全部包有した、ある意味では革命的な言葉だったのではないでしょうか。
高橋 いや、あれは東宮の独立宣言ですよ。皇太子の人間宣言ですよ。昭和天皇の人間宣言に匹敵するくらいの皇室の一大事件としてこれからも記憶されるものになるでしょう。
後日、『文春新書742 皇太子と雅子妃の運命 平成皇室大論争』なる保阪正康、香山リカ、福田和也、友納尚子、斎藤環、櫻井よしこ、岩井克己、佐藤愛子、茂木健一郎、猪瀬直樹、御厨貴ほか17人のアンソロジーが文藝春秋から2010年2月20日発行される。→表紙宣伝広告
内容は全て過去『文藝春秋』本誌掲載記事の再録で、序文や結論や編者名はなし。但しスレにて突っ込まれていたトンデモ擁護を含む含む文は除外されているとPart1729-688奥様ご報告。
例:「東宮家から皇居まで携帯電話の電波が届かなかったので連絡できなかった」(友納尚子)→【江頭2:47】
「香淳皇后の葬儀に出なかったのは化学的流産のため」(友納尚子)
「基礎体温提出を求めた侍医をクビにしたのは提出理由を説明しなかったから」(香山リカ)
次代を担う姫君たちが初めて語る生い立ち、仕事、そして結婚
彬子女王「“アルデンテ”な男性がタイプです」
瑤子女王「会社には電車通勤。居酒屋にも行きます」
三笠宮家姉妹女王インタビュー
輝くような24歳の女性が日本に希望を与え皇室を変えた――
初めて明かされる正田家母と娘の心のきずな
平成十二年の皇太后葬儀。なぜ欠席を余儀なくされたのか
pp.202-203より引用
「斂葬の儀」欠席の真相
平成十二年七月二十五日、香淳皇后の本葬にあたる「斂葬の儀」に雅子妃がご欠席された。
東宮大夫はご欠席の理由について、
「[[夏バテのようなもの|暑い日が続いておりお疲れが溜まっている]。お体を大切にしていただくという見地から出席をお取りやめになった」と発表した。
前年の暮れ、雅子妃は稽留流産という悲しい経験をしたばかりだった。当然、宮内記者から御懐妊の可能性について質問があったが、大夫は、
「昨年末のようなこと(ご懐妊)が今回の背景にあるというようなことは全くありません。お疲れの集積であることは間違いないことで、推測をたくましくされないようよろしくお願い致します」と断言した。
「斂葬の儀」とは文京区・豊島岡墓地で両陛下と皇太子、各宮家の皇族方、政官関係者、各国駐日大使など千百人が参列する重要な儀式である。
皇室関係者からは「皇室の大事な儀式を疲れくらいで欠席するとはとんでもない。せめて棺のお見送りには出られなかったのか」「両陛下のお悲しみを考えれば、皇太子妃としての自覚がないとしか言いようがない」と非難されたのだった。
当時、私の取材でも「お疲れが溜まっているというのは表向きの理由で、実は引きこもりのような感じになっておられる。側で仕える者にも何も話されないし部屋から出てこられない」「理由はわからないが、うつ病のようなふさぎ込む感じだ」と話す東宮職がいた。
今に至るまで、雅子妃が皇室になじめない、わがままだ、祭祀を重んじていないといった批判の根拠として、しばしばこの「斂葬の儀」の欠席事件が語られているのである。
だが、事実は違った。ご欠席の理由は、ご懐妊の可能性があったため医者に無理をしないよう止められていたのだ。
「妊娠初期の特徴のひとつとして、体温が上がっておられたため熱っぽい感じだったといわれています。しかし、まだ妊娠五週目にも入らず胎嚢が確認されていない段階で、公表することもできない。このためお身体の大事をとられたんです」(元宮内庁関係者)
その後も遠方への公務などを控えられたが、結果的に胎嚢が発見されず、化学的流産になったという。
「おそらくご自身も、妊娠したかもしれないという身体の変化はさほどお感じにならなかったのではないでしょうか。稽留流産は胎児の成長が止まって体内に留まっているので処置が必要ですが、[[dosukono/d/%b2%bd%b3%d8%c5%aa%ce%ae%bb%ba">化学的流産]はごく初期なので自然に流れてしまう。珍しいことではなく、特に原因もないといいますか、前年暮れの残念な結果につづき妃殿下は深いお悲しみだったため、お言葉も控えられていたのでしょう」(同前)
雅子妃は十二月のお誕生日会見で、当時のことをこう延べられている。
「(体調を崩したのは)その時一時的なことでございましたけれども、日程の変更などがありましたことなどから、一部で誤解を生じてしまったように思いますけれども、その後は体調も戻り、お陰様ですっかり元気にしております」
正式検査の前の段階で、朝日新聞に「懐妊の兆候」とスクープされたばかりだけに、雅子妃の御身体を考えて事実を伏せたのは理解できなくはない。
だが、私は今回あえて、この「斂葬の儀」ご欠席の裏にあったご懐妊の可能性について書こうと決意した。それは、皇太子ご夫妻がご自身では決して反論されないことを盾にとって、「お世継ぎへの自覚がなかった」という歪んだ情報を流し続けることは許されないと考えるからだ。こうしたご懐妊の可能性を示す出来事は稽留流産の前後にあったが、両殿下はお世継ぎ誕生を信じて、公務を緩やかにするなど調整しながら御懐妊にむけた積極的な体制を組んできた。当時の宮内庁幹部もそれを認識していたはずである。
役人の無責任体制が事態を悪化させた
皇室への不安を解消するのは皇太子の言葉しかない
皇室と開拓地が結ぶ心の交流。そこには昭和史のドラマがあった――
【友納尚子】【[[dosukono/d/%b7%e8%b0%d5">決意
日本を代表する総合誌の一つであるが、皇室記事については近年元女湯盗撮カメラマンフリージャーナリスト友納尚子を重用するなど、その編集態度については疑問がある。
Part3272-720 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/09/08(金) 18:10:19.74 ID:PS2R+XuhO
文藝春秋の友脳テンテーによると、八ヶ岳林間学校が悪天候だったために風邪を引き、
豆記者接見に出れなかったそうですw
新情報ってほどでもないけど学習院の高校野球の応援しに神宮球場に行ったって
962 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/09/09(土) 14:29:59.78 ID:BjWNLT100
文藝春秋
愛子さんは中等科から成績はトップクラス
学習院女子ではトップクラスの生徒は他大学に進学するので それに倣うなら愛子さんも他大学目指すことに
だが東宮夫妻は愛子さんのお身体と頑張り過ぎる性格を考慮し 学習院大学進学を希望している
その場合おそらく文学部史学科
愛子さんの希望で他大学目指すなら東大一橋大筑波大、私学なら慶應上智を検討
Part3176-392 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/09(金) 08:21:52.69 ID:I7L4GHbjO
>>385
めざましの6時台で三回くらいやってた>雅誕生日
赤黒い顔に気持ち悪い目付きで正視に耐えなかった
文藝春秋の友脳文によると、
愛子は自分の弁当箱が他の子よりもいい素材で大きめなのを気にしてアルミ製に変えたんだってさ
海苔弁が好物なのに層を薄くしても残したというのがオキャワイソーエピのつもりらしい
497 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/09(金) 10:33:25.97 ID:91wbqJXN0
お弁当箱問題
確か、香淳皇后の幼少時代にそういうエピソードがあったよ
今手元に本ないから、以下うろ覚えだけど書くよ
良子さんと妹さん、女子学習院で、
他の生徒(と言ったって華族さんのお嬢さんだろうけど)は
アルミのお弁当箱を朝から持って来るけど、
久邇宮家からは、出来たてを温かく食べられるようにと、
昼食時間の直前に侍女が「紫の風呂敷に包んだお重箱」を届けるんだって。
でも良子さんはお友達と一緒のものがいいと言って
アルミ製にしてと言った・・・
というエピソードです。
この内容をパクっ・・・
683 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/09(金) 16:56:10.14 ID:mejqmob80
文藝春秋の友納作文によると愛子さんの身長は現在163㎝だそうです
780 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/09(金) 20:39:48.03 ID:7//LSyF80
文芸春秋
愛子さんがダイエットを始めたのは九月から
夏休み中のお出ましの際に出迎えの人や東宮御所への来訪者などから
「ほっそりしてきれいになった」などと絶賛され、さらに学校が始まると
友人らからも同様の賛辞
痩せると皆が喜んでくれると感じた愛子さんはダイエットを開始
徳雅が食事の大切さを説いても効果なく、遂には体調不良に
友納は激ヤセの原因をこう説明してるんだけど
そもそも夏休みの時点ですでに痩せていた点の説明は一切無いんだよね
まあ言えない理由があるんだろうけど
Part3177-374 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/11(日) 22:29:27.96 ID:Lnarg5en0
ものすごーくざっくりと、文藝春秋友脳作文レポ。
長くなりそうなので、分けます。
まず、愛子さんが「過剰な食事制限」を始めた理由。
①夏休みに両親と一緒にあちこち出かけた際、行く先々で愛子さんは、
・大人っぽくなってとても美しくなった
・ほっそりしたのでワンピース姿が似合う
などなど褒められ、両親は目を細めて笑顔で応えていたという。
両親が喜ぶ姿をうれしく感じていたことは、想 像 に 難 く な い。
②新学期になり、「水を考えるつどい」に出席した際の水色野ワンピース姿について、同級生たちが
・細く見えて素敵だった
・似合っていた
・瘠せた、瘠せた
と言われた。
これらのことから、「痩せる」 ことが両親だけでなく、こんなにも周囲を喜ばせることにつながるのだ、
と 思 わ れ た の か も し れ な い。
「友脳」の妄想によれば、愛子さんは周囲を喜ばせるために過剰なダイエットに励んだということになる。
401 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/11(日) 23:27:56.56 ID:Lnarg5en0
文藝春秋友納作文レポ、続き。
(前のレポの最後の行は私の感想です)
新学期が始まってからの愛子さんの様子と両親、周囲の対応。
愛子さん、新学期から炭水化物を抜くダイエットを始める。
・朝食 ヨーグルト、ジュース、パン一口
・昼食 替えてもらった小さなアルミの弁当箱の物も残す
・鶏肉、サラダ、煮物、お浸しなどをごく少量口にする
皇太子や雅子がそれぞれたしなめたり注意したりしたが、愛子さん聞く耳持たず。
雅子、大膳に少量で栄養のある食べ物を要望
9月下旬のある日、愛子さん 下校後、体がだるいと訴える、夕食は食べない
雅子は運動会の練習疲れだろうと思う
9月25日 「日本臨床獣医学フォーラム」出席
愛子さん 終始笑顔。雅子に食欲不振の理由を尋ねられるがはっきり答えない
雅子 様子を見ることにする
このころには水分もあまりとらず、食事をほとんど食べなくなっていたようだ
10月6日、愛子さん、雅子の付き添いで宮内庁病院へ
検査の結果は、体重5㎏ほど減少、血糖値、血圧が標準値より低下
疲労は「過剰な食事コントロール」が原因だが、そ れ ほ ど 心 配 は な い
侍医たちは栄養価の高いものを少しづつ食べて体力回復を目指す方針を決める
激しい運動は禁止
以後一か月間、愛子さんは外へは出られなかった
11月8日、愛子さん 6時間目から登校
以上、できるだけ時系列に沿って、ざっくり「愛子さん激やせの流れ」を書きました。
たったこれだけでも突っ込みどころ満載ですね。
406 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/12/11(日) 23:33:04.86 ID:Lnarg5en0
401です。重要なことを書き落とした。
9月26日、愛子さん起床して立ち上がった時眩暈、階段を降りるときにふらつく。
雅子、侍医に連絡、愛子さんの学校欠席が決まる
この日から10月6日に宮内庁病院に行くまでの10日間について、何も書いてありません。、
天皇は二〇一〇年の参与会議で初めてご意思を伝えられた。皇后をはじめ出席者はみな反対したが、天皇のお気持ちは揺るがなかった。六年間に及んだ議論はどのように推移していったのか――。
(1)「奥」で働く女官の世界
(2)知られざる皇居内の建物
(3)皇室のお金――本家と宮家の格差
(4)宮中の職人――庭園課、大膳課、編修課
(5)現代の藩屏――霞会館と菊栄親睦会
Part3140-510 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/09/09(金) 15:20:34.27 ID:FvG595ZO0
文藝春秋レポ
『天皇家と宮内庁徹底研究』(本誌編集部)
10ページにわたって細かい情報があり、組織図や珍しい写真もあるので、購入をお勧め。
私が面白かったところだけ、つまみ食い風に書きます。
・新東宮女官長の西宮幸子さんは雅子と相性が良い。元中国大使故・西宮伸一氏の未亡人。
「妃殿下がオンタイムで動いてくださるようになり、仕事がやりやすい」と東宮職員の士気があがる。
・皇后に仕える女官長は旧華族からの登用が多い(井上和子・浜本松子は木戸孝允の子孫、伊藤典子は大久保利通の曾孫)
・東宮女官は外務省人脈(木幡清子は元シリア大使夫人)
・今年度、宮家をお世話する宮務課に、宮務参事官ポストが新設。
・霞会館の会員資格は旧皇族・旧華族の当主と嫡男(成年)。現在の会員数は750名。
・菊栄親睦会は旧皇族やその子孫の当主が会員。年始と天皇誕生日のほか、皇室の慶事(結婚・出産など)に開く。
以上、ほかにも興味深いところは沢山あるので、ご一読を。
すこし疲れたので、レポはここまでとします。
【岩井克己】
文藝春秋 2014年5月号<悠仁天皇へ、秋篠宮家の布石-伊勢神宮も沖縄もご訪問(毎日新聞・江森敬治)>記事
参考:
女性自身 2012年12月25日号<ご療養10年目「笑顔回復」への提言! 雅子さま(49)「公務はできなくても、私は皇太子妃として祈り続けたい」“推敲”4時間…「お誕生日のご感想」2千21字に込めた雅子さまの“心の叫び”とは――精神科医香山リカさんが解読! 田原総一郎(78)ジャーナリスト「ご体調問題“悪循環の原因”は宮内庁です!」 山折哲雄(81)宗教学者「雅子さまを守るため、皇太子さまは“ご退位”の検討を!」>記事【復帰】
新潮45 2013年3月号<皇太子殿下、ご退位なさいませ(山折哲雄)>記事その1 / その2 / その3
週刊現代 2013年3月9日号<本当にそんなことできるのか? 山折哲雄「皇太子ご退位のすすめ」その現実味>記事
朝日新聞夕刊 2013年4月9日<文芸批評 論議呼ぶ皇太子退位論 山折提言に批判・反響>記事
【山中湖事件】参照。
「陛下に三つのご心労があると拝察します」雅子妃治療体制への疑問、皇后陛下の深い悲しみ。お側に仕えた18年8カ月の真実
異例の誕生日会見中止。天皇の心痛と怒りの核心は? 皇室の危機に浮上する皇位継承ナンバー2――
新証言、秘話満載 崩御から二十年――初めて明らかになる病室の真実、偉大なる君主の実像
批判の嵐にさらされる東宮一家。孤立無援の両殿下は今、何をなすべきか――
1「愛子に会いたい」天皇の怒り 2マイホーム皇太子でいいのか 3雅子妃病状と美智子皇后 4抜本的解決策はあるのか
衝撃の長官発言が伝えられた時、お二人は……
少しずつ回復するご病状。静養後初めて両陛下と共に…
【友納尚子】【復帰】【ピッピとまり】【電車でGO!】【ご進講】【緊張】
ノモンハン事件、三国同盟、真珠湾攻撃から敗戦まで苦悩する天皇が語った重大証言が記録されていた――
公務直前によみがえる“過去の記憶”に苛まれて……
雅子にとっての負担である「冬の寒いところ」での「フラッシュバック」、そして先月号の岩井克己氏「マサコズ・ワールド」に対する反論など友納尚子珍主張満載。
当記事は「新発見昭和史の超一級資料!独占掲載一挙73頁『小倉庫次侍従日記』昭和天皇戦時下の肉声(解説:半藤一利)」pp.118-190と1ページ宣伝を挟んでpp.192-200に配置されるという、昭和天皇記事目当てに購入した読者も目を通しやすい構成となっている。
美智子皇后から雅子妃への厳しい御言葉、憔悴する天皇。鍵を握る皇太子の決断は――
雅子フォロー姿勢を取り続ける福田氏に対し、バッサバッサと鋭い表現を連ねる岩井克己氏にスレ住民奥様方*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*
岩井:(美智子皇后陛下の)「自分を大切にする」とは、我がままとか我を通すということではなく、困難に挑戦するチャンスを自分に与える事なのでしょう。皇太子ご夫妻に、自分を大切にすればこそ、自身の言動や考え方について厳しくあることを期待します、と言外にこめておられるのだと思います。
岩井:治療が4年目に入るにもかかわらず、根本的な見通しが立たないとわかったためでしょう(何故、東宮夫妻にたいして諦めや距離感があるのか?という質問に対して)。主治医から詳細な報告は無く、何年経っても「良くなっておられるが、まだ治療が必要」としか説明がない。これまで両陛下は、マサ子妃の回復を最優先として、皇室の作法から見れば首をかしげるような事態にも眼をつぶってこられましたが、臨界点かもしれません。
岩井:かつて皇太子に添い寝するほど近くで仕えた老人が、「いったいどうしてしまったのか。東宮御所にうかがったら、側近はみな、妃殿下の顔色ばかりうかがってピリピリしている。あれでは駄目です」と悲嘆にくれていましたから。
岩井:お医者さまも苦しい立場なのではないかと思います。雅子妃の信頼を得ることは難しく、現在の主治医である大野裕慶応大教授までに、何人かの医師が交代しているようです。問題は、そのために医師が雅子妃の論理のなかにつかり込んでしまい、いわば「マサコズ・ワールド」の住人になってしまっているということではないか……。
「結婚の相手は皇太子自身が決めたこと」赤十字教授が伺った家族のこと、国民への想い
1皇位継承はどうなる 2秋篠宮の決断と覚悟 3雅子妃「オランダ静養」の衝撃 4皇太子一家の未来はどこに
【高橋紘】参照。
赤坂御所から院長の携帯へ胎児のデータが――
初の海外ご静養でいかなる治療が行われたのか
【オランダ静養】参照。
皇太子は緊張の面持ちで雅子妃に語りかけた――
愛子が秋篠宮家佳子殿下から神宮でスケートを教えてもらったという眉唾情報、とにかく長い目で第2子を見守る必要といった内容あり。
皇位継承の不安定さは兄弟宮の間に齟齬を招く
【高橋紘】参照。
魔都上海を舞台に展開する意外なコネクション
男女産み分けは秋篠宮家ではしていないと、金澤一郎皇室医務主管が語った言葉で〆。
バッシング記事を目にした目にした雅子妃は倒れられた
側室を廃し民間妃を歓迎した昭和天皇だが――
1なぜ雅子妃離婚説が 2女系天皇の是非 3陛下のご意志は?
「…とは言っても、誰もがこの種のしつけを受けて育ったわけではないし、引き受けたからには責務は果たすという覚悟も、誰にでも期待できるとはかぎらないのである。だからこそ民間から皇室に入った方々の中に、異和感をふっきれないでいられる方も出てくるのだろう。」
雅子妃を案じ皇后を讃える紀宮「文書回答」の意味
【ロー・ノルトの詩】
あの会見は天皇、皇后への「降伏」ではなかった
なぜ皇室は大切なのか。存続のみを論じるなかれ
お二人の発言の齟齬。その原点は一体何なのか
天皇制の大転換点をめぐってカギを握るのは
【岩井克己】
お婿さんの大本命、旧宮家には適齢男子が八人
皇居にうかがうと悪化するご体調――初めて明かされるご病状と苦しみの原因
pp.95-99より引用
私は昨年来、雅子妃のご体調にかかわる取材を続けてきた。皇太子殿下とのご成婚のある日、沿道を埋め尽くした国民の祝福を受けて、晴れやかな笑顔で手を振っていた雅子妃はどこへ行ってしまったのか。何が雅子妃を追い詰めたのか。
そして皇太子会見(補足:2004年5月徳仁による「人格否定」発言がなされた会見)の後、宮内庁関係者の取材を重ねていた私のもとを両殿下のお側近くにつとめた人物が深刻な面持ちで訪ねてきた。仮にX氏とする。
X氏は両殿下をご結婚前から知り、今も多くを知り得る関係にある。皇室の将来を憂う人物でもある。X氏は皇太子のご学友、ある皇族の相談役、両殿下と親しい知人ら数名と話し合ったうえで、彼らを代表する形で私に対面したのだという。この証言が公にされれば「守秘義務」という観点から責めを負う可能性もあるが、多くの国民に危機意識を共有して欲しいとの思いから私のもとを訪れたのだと、X氏は説明した。
「皇太子の会見でのご発言に対するとまどいの声もあるようですが、あれは止むに止まれぬ気持ちから出たお言葉だと思います。それだけ雅子妃のご病状は悪いのです。このまま手をこまねいていては雅子妃が立ち直られることはないかもしれません」
以降、私とX氏とのやりとりは数十時間に及んだ。「菊のカーテン」という言葉があるが、その内側の人物が、雅子妃が置かれている状況をこれほど率直に語ったのは初めてのことだろう。
その核心証言に入る前に、X氏が危惧する雅子妃のご病状を改めて振り返りたい。
・・中略・・
皇室典範は「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めているのだから、宮内庁がお世継ぎを何よりも優先するのは当然のことだろう。皇室の存続がかかる親王のご誕生は国民の誰もが待ち望んでいることだ。しかし、お世継ぎか、外国訪問か、という二者択一論はいささか短絡すぎるのではないか。いうまでもなく親王の誕生を誰よりも祈っていたのは、ほかならぬ雅子妃だからだ。前出のX氏は、雅子妃のお立場をこう代弁する。
「妃殿下がお世継ぎのことをお考えにならないはずがありません。お世継ぎをお産みになるという責務が皇太子妃にあるということを自覚し、早く授かりたいと、誰よりも願っていらしたのは妃殿下です。しかし、こればかりは自然なもので“コウノトリのご機嫌”に任せるしかありません。ご夫妻はご懐妊に向けて、頭が下がるほど前向きでした。妃殿下も細かい検査を何度もお受けになられた。その結果が正常だと分かると安堵して、『検査の苦しさよりも私が[[dosukono/d/%bb%d2%b6%a1%a4%f2%bb%ba%a4%e1%a4%eb%bf%c8%c2%ce">子供を産める身体]だと、両陛下にご理解をいただいてほっと致しました』とおっしゃったと聞いています」
それほど雅子妃にかけられたプレッシャーは大きかったのだ。
「宮内庁の幹部は顔をあわせればお世継ぎの話ばかりです。妃殿下が『(皇太子と)もう少し二人だけの時間を過ごしてみたい』と述べられても、『高齢出産はお身体がきつくなります』などと周囲がたしなめたそうです。また、宮内庁の関係者は妃殿下ご本人だけではなく、ご家族やお父様がつとめておられた外務省にも『とにかく一人産んでくれればいいんですから』『これは国事行為ですから妃殿下に産んでいただくよう諭してください』『産んでくれれば日本経済のGDPも三パーセント上がるんだから』などと露骨な言い方で迫りました。不謹慎な発言は、妃殿下の耳にも届いたようです。妃殿下が求められているのは世継ぎを産むことだけ、皇室外交なんてとんでもないといわんばかりでした。天皇皇后両陛下が強くお世継ぎを望んでいる、ということも毎日のように聞かされたそうです。愛子さまが生まれてからも日をおかずに、医師から『二人目のお子さま』について相談がありました。
妃殿下は決してそういうことをおっしゃるような性格ではありませんが、これでは何のために外務省を悩んで辞めたのかわからない、世継ぎを産むための機械ではないと思っても人間として当然です。繰り返しますが、誰よりも妃殿下こそがお世継ぎの誕生を一番望んでいるのです。しかしまた、皇太子妃のおつとめはそれだけではないはずです。親身に聞いてくれるのがお世継ぎの話題だけでは、ご自分の存在に疑問を持たれるのは当然ではないでしょうか」(同前)
底冷えのする残雪の軽井沢には母優美子さんが
海外の公務が少ないから国内の公務が多いかといえば、そうではない。「お二人の公務が少なすぎるのでは」という質問が宮内記者からあったほどである。
皇太子ご自身が会見で「天皇皇后両陛下が皇太子時代に第一回からかかわっておられる身体障害者スポーツ大会は、現在では知的障害者も加わった障害者スポーツとして大きく花開いていますが、これはまさに両陛下が皇太子、そして皇太子妃時代に新たに公務を通して育てられた」と述べられたように、公務は自らつくり育てるものである。先の関係者は言う。「天皇ご夫妻は、軽井沢などご静養先でも御所でも、地元の文化人や知識人を招いて積極的に会われる。その積み重ねの中から民間の希望を知り、人格的にも幅を広げていらっしゃるように見受けられます。それは同時に、ご自分達のことを理解してくれる『皇室の藩屏』を民間のなかに築くことでもある。一方で皇太子ご夫妻は、小さなお子様がいらっしゃるせいか、静養に出かけられても、家族三人で家の中におられることが多い。たまに侍従を連れて近くにお出かけになるぐらいです」
ためしに、宮内庁のHPで平成16年度7月から12月までの公務をカウントすると秋篠宮よりもはるかに少ない。そして、那須(何故かお気に入りのよう)御用牧場でのご静養が多い。
皇太子計 78日(会釈のみの公務6回含む)静養16日
秋篠宮計109日 静養2日
紀子妃計 96日 静養2日
転地療養になぜ軽井沢だったのか、4回で終了した公園デビュー、小和田優美子たびたびの御所訪問
女帝論議を抜きにして、もはや皇位の安定はない
【高橋紘】参照。
【工藤雪枝】
【[[ベルギー訪問]】参照。
明治、大正、昭和、今上
「東京大学から外務省に入ったキャリアウーマンが皇室の因習の中で…でも私が見た雅子さまの実像は全然違う」
工藤雪枝(キャスター・ジャーナリスト)
●友人が妃殿下になった日
1993(平成5)年の一月初旬、当時の小和田雅子が皇太子妃に内定したというニュースが発表となった日、私の家の留守番電話はパンク状態となってしまった。たまたまその日は、私は地方に出かけており、「内定」のニュースさえも気づかないでいた。そんな中、家に戻ってくると、日本のテレビ各局、また様々な新聞社、雑誌社からのメッセージが入っていた。
どれも「もう既にご存知でしょうが、今回の件について、コメントをいただきたい」という非常にあいまいなものだったので、何だろうと思いつつテレビをつけて、私は大学時代の仲のよい友人が皇太子妃に内定したというニュースを知ったのだった。
そのとき、既にテレビのキャスターとして、またジャーナリストとして仕事をしていた私にとって、職業的理由を鑑みても、その日を境に、これまでの「友人」は、もうお会いできない存在となった。またもちろん、現雅子妃殿下にとっては、その日を境に、自らの一挙手一投足が、世間の注目を浴びることになった。友人として、その幸せなニュースを心から祝福すると同時に、その日から、雅子妃殿下と私はもう気軽にお話ししたり、お会いできなくなるのかと一抹の寂しさを感じた日だった。
雅子妃殿下と私がはじめて出会ったのは、86(昭和61)年、私が東大の法学部の学生だった頃、雅子さまが米国のハーバード大学を卒業されて、東大の法学部に学士入学されたのがきっかけだった。当時の私の親友が、学士入学組で、雅子さまと同じ系列の学校に高校まで通っていたこともあり、我々三人、また時にはもう一人加わって四人で食事をしたりしていた。その頃は、雅子さまが皇太子妃になられるという噂さえ出ていなかった。雅子さまは既に外交官試験に合格されたばかりだった。
私達は雅子さまのことを、「オワ」というニックネームで呼んでいたのだが、外交官試験に受かって外交官として、様々な土地に赴任していくであろう彼女の結婚相手を心配して、「外交官になったら、やはり芸術家と結婚するしかないんじゃない。もし相手が作家とか画家だったら、オワの赴任するところに、どこにでもついてきてくれるわよ。」などと、今から考えると大変失礼極まりない「提言」までしていた。オワはそんな私達の提案を「そうね」といいながら、半ば面白そうに、微笑みながら聞かれていたのを思い出す。
その後、オワが雅子妃殿下になられてから、大変な量の情報がメディアによって流された。私自身も、当時はテレビ朝日でフリーのキャスターとして仕事をしていたこともあり、テレビ朝日の皇室関係の特番やご成婚の際のニュース番組など数多くの番組の取材を受けたり、友人として出演もした。他の民放はもちろんのこと、海外のメディアでもアメリカの三大ネットワークのCBS、NBCをはじめ英国のBBSの取材を受けた。他にもニューズウィークの国際版が「静かなプリンセス」(原題「サイレントプリンセス」)という特集を組んだときにも、文章を寄稿した。しかし、雅子妃殿下に関する報道や記事を目にしたり、自分自身が取材される中で、次第に疑問に感じるようになったのは、雅子妃殿下の本当の姿がマスコミの都合で歪められていることだ。
私自身は、たとえ短い期間であったとはいえ、親密なお付き合いを通じて、雅子妃殿下のお人柄や、本当の姿にいろいろな形で触れることができた。ところが、日本の、そしてまた海外のマスメディアは彼女の本当の姿を知らずに、多くの面で勝手に誤解し、また造られたイメージに振り回されているように思う。私自身、そういった面を少しでも是正できたらと考えて、これまで数多くのメディアの取材に応えてきた。メディアを通して伝えられる雅子妃殿下の情報が少しでも正確なものになるようにと、自分なりに使命感のようなものを感じて、できるだけそのような依頼に応じてきたつもりだ。
しかし、テレビの場合でも、また活字の場合でも、私自身が言いたいこと、雅子妃殿下の人となりといったものが、「編集」という作業を経てみると、歪んで伝えられるということを身をもって体験するようになった。事実に近いことを話せば話す程、その部分は編集でカットされ、「不幸せで、かわいそうなプリンセス」というマスコミの望むイメージにそったコメントが部分的に使われるということを、嫌と言うほど経験した。
たとえば、某民放の取材を受けたときなども、「雅子妃殿下はお幸せだと思いますか?」という問いに対して、私は「お会いしていないので、詳しいことは分かりませんが、いろいろな方から伺うところによると、お幸せだということですよ」と答えた。しかし、結局、番組で使われていたのは、「お会いしていないので、詳しいことは分かりません」というパートだけだった。その後の場面は、「友人にも会えない妃殿下、友人達も、妃殿下の今の生活がお幸せかどうか分からない」といった流れで作られた。
私が結婚後の妃殿下にお会いしていないのは、自分がジャーナリストであることからこちらからご遠慮しているのが一つ。また宮内庁記者クラブの「慣習」で、マスコミ一社が代表して皇族に会うことは許されないという制約があるからで、決して、今の妃殿下が友人にも会えない閉ざされた環境にいらっしゃるということではない。
そういう点も含めて、少なからず雅子妃殿下の素顔を見知った者として、また数多くのマスメディアの取材を受けてきた者として、我々日本人が、否、世界の人々が雅子妃殿下に対して抱いている幻想や誤解を少しでも改めるべく、この文章を書くことを決意した。雅子妃殿下を擁護するための文章を書こうとしている積りはなく、妃殿下に関する報道のあり方に疑問を感じる一ジャーナリストとして、様々な報道と事実の違いを明らかにしたいという一心から筆を執った次第である。
●ご結婚に至るプロセス
多くのメディアの論調に見られるものだが(特に海外のメディアに多いような気がするが)、雅子妃殿下が「不幸」である理由の一つとして、そもそもご結婚にいたるプロセス自体が、周りからお膳立てされたもので、雅子妃ご自身の意志を無視したものではないか、ということを挙げている。
皇太子殿下と雅子妃殿下との関係が結婚へと発展していくにあたっては、外務省関係者など、いわゆる「仲人」のような方々の存在があったことは、事実である。
しかし、たとえそのような状況から始まったご関係であっても、雅子妃殿下は、「皇族の方に求婚されて断れないから」という理由で、ご結婚を決められたわけでは決してない。ご自分の意志でお断りしてもかまわないということは、最後まで自覚しておられた。プロポーズをお受けするにあたっては、周りのプレッシャーから決められたのではなく、あくまでご自身の意志で決断された。
そもそも、雅子妃殿下が、皇太子殿下とのご結婚を承諾されたのは、92年12月12日のことだとうかがっている。その直前の11月、共通の友人の結婚式で、私と雅子さまとは席が隣同士となり、久々に、ゆっくりとお話することができた。
その日は丁度アメリカの大統領選挙の結果が出る日と重なっており、二人で「クリントンが勝つとどうなるか?」などと話をしたのを覚えている。私が気軽な気持ちで、「オワは結婚はどうするの?」などと質問を差し向けると、「私はまだまだよ」などと屈託なく答えておられた。
でも、あとでうかがったところでは、雅子さまにはその半年ほど前から、皇太子殿下からプロポーズの意志が表明されていたという。それから半年程の間に、雅子さまは皇太子殿下の誠実なお気持ちに対して、ご自身も誠実にお応えしようという気持ちに次第になっていかれたとのことだ。
学生時代から、雅子さまはどちらかというと、積極的に、あるいは自分から主体的に行動するタイプではなく、周りから何かを望まれて行動に出るとか、周囲の期待にご自身の気持ちを協調させていくというタイプの方だった。おそらく殿下の心からのお気持ちに応えるように、ご自身の気持ちを熟成されていかれたのだと思う。短いながらもしっかりとした殿下とのお付き合いを通して、雅子さまの心の中に殿下に対する深い尊敬と信頼の念が芽生えたともうかがっている。
正直なところ、私も突然の「内定報道」には、「オワの女性としての気持ちはどうなのだろう?」などと心配したこともあった。
でも、実際、結婚のご内定が明らかになり、報道陣の前に姿を見せた雅子さまは、私達友人がこれまで見たこともないような、幸福な女性でなければ見せられないすばらしい笑みを浮かべていた。それを見て、私は、「オワは本当に幸せなんだな」とホッとしたのを今でもよく覚えている。また、ご成婚の時のパレードでも、雅子妃殿下は本当に輝いていた。今、お二人の、仲睦まじいご様子をテレビなどで見るにつけても、お二人の気持ちはしっかり繋がれていると確信している。雅子妃殿下は、皇室の中での振る舞いその他のことでも、皇太子殿下の適切なアドバイスを最も頼りにされており、折りにふれ相談されていると聞く。
●「キャリアウーマン志望」は間違い
これも多くのメディアで語られていることだが、雅子さまは外務省のキャリア外交官としての華々しいキャリアをお持ちでありながら、もったいないことにそれを捨てて皇室に入ったという、彼女の「職業上の選択」を嘆く(?)議論がある。
私は、この点で、マスメディアも、そして一般の人々も最も大きな誤解があると思う。多くのテレビ映像や、写真で報道された颯爽としたキャリアウーマンの雅子さまは、キャリア指向の強い、バリバリの働く女性としての印象を与えたかもしれない。でも、私が知る実際の雅子さまは、一般に流布している、いわゆる「男勝りのキャリアウーマン的資質」を、ほとんど持ち合わせていない。
こう書くと、外務省時代の雅子さまに対して失礼かもしれないが、大学時代から、雅子さまほど、今では化石となってしまった感がある「大和なでしこ」のような方はいないというのが、友人達皆の意見だった。私達が数人で、お茶を飲んでいる時も、いつも話をしているのは私かもう一人の友人で、ご自分のほうから何か話をされるということはあまりなかった。雅子さまほどの聞き上手はいないというくらい、どちらかというと大変おっとりして、のんびりしたタイプの女性だった。
雅子さまは、世界各地で教育を受けた国際人でありながら、「自分はやはり日本人として、日本のために生きたい」と考えて、帰国を決意されたと聞く。私が見るかぎりでも、自分の考えを胸の中でしっかりと捉えて、表面的に大騒ぎしたりしない安定感を持っておられたという印象が強い。当時の東大の女子学生はキャリア指向を強く持ち、自分を全面的に打ち出していくようなタイプの女性が多かった中で、雅子さまはとても自然体だった。キャリアウーマンというよりも、いい母親になるのではという感じさえ私は持っていた。同時にどんな環境にも自然に馴染む柔軟性を持っていらした。
そんな雅子さまの資質を考えると、外務省のバリバリ外交官よりも、むしろ皇太子妃のほうがあっていらっしゃるように思える。流れる水のごとくどんなシステムにも、自分を合わせていく類まれなる資質をお持ちだったからだ。人を押しのけるようなアグレッシブな面とか我の強さといったことは、全くといっていいほど持っておられなかったので、私たちは雅子さまとお話ししていると、自然な安らぎを感じられた。外務省のキャリアを捨てたのがもったいないという感覚は、私たち友人には当時も今も基本的にない。
また私の友人等から聞いた話では、何よりもご本人が、外務省の仕事に関しては、このまま続けていくと、体力的にも精神的にも疲れてしまうのではないかという気持ちを持たれていた時期もあったという。そういった意味でも、雅子妃殿下ご自身の後悔はないと確信している。東大法学部から外務省=キャリアウーマン志向というマスコミの見方は、あまりに短絡的ではあるまいか。別の見方をすれば、皇太子妃という「仕事」のスケールの大きさを考えると、雅子さまは外務官僚以上の、重大な仕事につかれた訳でもある。
大学時代から、雅子さまは不思議なオーラをお持ちで、ほんの短時間しか彼女とお話ししたことのない人をも、あっというまに魅了する素晴らしい能力をお持ちだった。その資質は、むしろ皇太子妃として、よく生かされるのではないかとも考えている。彼女が教室にいらっしゃっただけでも、雅子さまを取り囲む空気は何となくよそと違っているような存在感があったと記憶している。
私は、当時から、雅子さまは将来何か凄いことをしてくれるに違いないと、心の中で何となく確信していた。皇太子妃になられるとは予想していなかったが、今から振りかえって考えると、雅子さまは初めからそう運命付けられていたのではないかという気もするくらいだ。
●ハーバード大学と日本の皇室
これは主にアメリカのメディアを中心として海外のメディアが指摘することであるが、何故ハーバード大学まで卒業した才媛が、日本の皇室のように伝統的な、そして外からみると不可解な世界に入るのかという疑問がある。
この疑問の背景には、皇室自体を何か神秘的でミステリアスで合理的でないものとする、一種、エキゾティズムの上に乗っかった思想があると思う。こうした議論をする人々にとって、ハーバード大学は、自由、合理性、そして西洋的なものの象徴であり、一方日本の皇室は、不自由、非合理性、そして東洋的なものの象徴なのである。
さまざまな伝統やしきたり、そして独自の文化など、海外メディアにとって、日本の皇室というのは、「わけのわからない日本」の象徴として格好の材料になっている感がある。その理由として、皇室や日本についての知識の欠如が挙げられる。
たとえば、アメリカのCBSが製作した世界の皇室や王室を取材する特別企画の「シックスティ・ミニッツ」の中で、アメリカ人特派員が、皇太子ご夫妻がお住まいの赤坂御所ではなく、お堀の前で皇居のほうを指差しながら、「この多くの緑と塀に囲まれた敷地の中で、いったい雅子妃殿下は何をしているのか、我々には少しも窺い知ることはできません。」という、事実誤認の記者リポートを行なっていた。
加えて、これがまさにアメリカ的価値観であると思うのだが、事実がすべてクリスタルのようにクリアーでなければ、問題を感じるという「情報開示の国」アメリカと、一方、物事はすべてを明らかにするところに本質があるわけではないとする「隠しの美学」を持つ国日本のカルチャーギャップがある。
海外メディアの多くが、ハーバード大学まで出た女性が、どういう理由か、何の価値もない生活に自分の身を置いているという発送で、今の雅子妃殿下を捉える。日本の皇室に対する、変な意味での神秘主義、そして実態がわかっていないのに、自分たちの価値観でだけそれを捉えようとする態度が感じられる。
実際、皇太子妃というのは、インテリジェンスと感受性を必要とする職掌であると考える私にしてみれば、ハーバード大学を出たからこそ、皇室に嫁ぐというのももっともだという意見の一つぐらいあってもいい気がするのだが・・・。
●「かごの中の鳥」は本当か?
ニューズウィークが大々的に雅子妃殿下の特集を組んだときにも、「かごの中の鳥」という言葉が比喩として使われていた。「かごの中の鳥」論は内外両方のメディアによってなされている議論で、雅子妃殿下は自由に買い物をしたり、赤坂御所の外に出たりすることができない、それが可哀相であり、雅子さまご自身も不自由に思っていらっしゃるに違いないというのである。
このような報道は、私にはマスメディアの無責任さが感じられるところだ。故ダイアナ妃の場合は少し違ったかもしれないが、たとえば、英国王室のメンバーが自由に外出したり、また99年6月に結婚したエドワード王子やその妻ソフィーのようにそれぞれが職業を持つというのは、王室をある一定の距離を持って見つめるという、成熟したマスコミと一般国民の存在を前提にしていると思う。果たして、日本のワイドショーなどのメディアを見ていると、そうしたいい意味での皇室への「距離感」が可能であるかどうかは、はなはだ疑問である。
ニューズウィークがとりあげた「沈黙するプリンセス」というテーマにしても、そうした状況を作り上げたのは、宮内庁もさることながら、今のマスメディアにも責任があるのではないだろうか。
たとえば、お二人が、ご結婚内定後、初めて開いた記者会見の中で、雅子さまが、わずか数十秒ながら皇太子殿下よりも長くお話しになったというので、批判を受けたということがあった。こうしたことにもっと寛容にならなくては、皇室のドアは、我々に向けてますます閉じられてしまうだろう。
もう一つ疑問なのは、雅子妃殿下ご自身が、こうした状況にフラストレーションを感じておられるかのような論調である。大学時代以降に私が知っている妃殿下のご性格を考えると、マスコミが言うような不自由さを妃殿下が感じておられるとは私には思えない。雅子さまは皇室に入る際に、さまざまな制約があることを十分理解して、ご結婚を承諾されたはずだし、「沈黙」といってももともと自ら積極的にお話しされるご性格でもない。
現在の雅子妃殿下はご自身の妃殿下としての立場を全うしようと尽くされておられるとうかがっている。そこは、英国の故ダイアナ妃が、二十歳という若さで、王室のメンバーになることの責任と自覚の欠けたまま結婚し、後になって「こんなはずはなかったのに」とがっかりされたのとは、全く異なっている。妃殿下は責任と義務のためには、自分の自由を犠牲にして尽くすことを潔く行える方だと思う。
たとえのレベルが違うかもしれないが、雅子さまが、まだ小学生だった頃、クラスの「動物係」に選ばれたことがあった。その際、雅子さまは毎日誰よりも朝はやく学校に出かけては、動物の面倒を熱心に見ていたという。また、その後、大学時代も、外交官試験に受かってからは、私達と一緒によくお茶を飲んだり食事をしたりされていたが、私よりも歳が上で早く試験を受けられる状況にあったので、試験が済むまでは、お茶などに立ち寄ることなく毎日、授業が終わるとすぐに自宅に戻られて勉強をされていた。そうした意味でも、責任感と達成意欲の大変高い方であると常々思っていた。
雅子さまはちょっと不思議なところというか、浮世離れしたところがあって、当時から、私や友人が語る大学の授業やシステムに対する不満なども全く感じない、いい意味での鈍感さをお持ちだった。普通、人間は誰でも、自分の置かれている環境に対して、「これがもっとこうだったらいいのに」とか、「これはこうあるべきだ」という考えを持つものだ。
だが、雅子妃殿下の場合は、どんな理不尽なことが起ころうとも「柳に風」とばかりに、サラリと受け止めるという能力を持っておられた。最初に雅子さまが妃殿下に内定したというニュースを聞いたとき、私ともう一人の「仲良しグループ」の友人は「大丈夫かしら?」と心配した。しかし、二人で考えれば考えるほど、雅子さまの「柳に風」スタイルは、日本の皇室の妃殿下という難しい立場にお成りになるのに相応しいのではないかという結論に達したのだった。
そのような雅子妃殿下の性格をよく表しているのが、これほど多くの報道がされているにもかかわらず、妃殿下はご自身に関する記事をほとんどお読みにならないということだ。故ダイアナ妃が、マスコミの取材対象となることを嫌がりながらも、一方で自分のことを扱った記事や新聞をチェックし、また時には自分の書いて欲しいことを書いてもらえるように、マスコミや友人に情報をリークしたり、新聞の記者やテレビのプロデューサー達をケンジントン宮殿に招いていたのとは大きな違いだと思う。
日本の皇室でも美智子皇后は、ご自分の記事や番組をご覧になり、またご友人達にもご自身の気持ちをよくお話しになっているという。そのことで、美智子様のご様子が我々国民に比較的伝わりやすいということもあるようだ。
しかし、幸か不幸か、雅子妃殿下にはそうした「欲」のようなものが一切ない。それがマスメディアや一般の国民からすると「不自由な、外界との接触が断たれた環境にいる」ように見えてしまう。
そこに一般の人々が想像する「雅子妃殿下」像と実像との、大いなるギャップがあるのではないか。また、雅子妃殿下をよく知る方のお話によると、妃殿下は自分の妃殿下としての任務と責任を果たすことに懸命で、不自由や窮屈を感じるようなメンタリティではないとのことだ。
●お世継ぎ誕生のプレッシャー
最近の女性週刊誌などは、皇室の「お世継ぎ問題」を抜きには存在しないというようなありさまだ。
このテーマから抜け出せないところに、「キャリアウーマン」出身の妃殿下が、皇室に革命的な変革をもたらすことを期待しながら、一方で日本古来の家族制度的価値観から抜け出せないという、マスメディアの自己矛盾を感じる。
お二人の間にお子様がまだ生まれていないことで、「もしかして夫婦として仲がよくないのでは?」という疑問を差し挟む向きもあるようだが、お二人に実際にお会いしている人々から話をきくと、雅子妃殿下は心から殿下のことをご尊敬しているし、お二人が一緒に(公の席ではなく、プライベートに)いらっしゃるときも、大変仲睦まじいご様子であるという。
現在の雅子さまは、カメラ、音楽、テニス、山登りなどを殿下と共に愉しむというご様子で、お二人にお会いしている方の話によれば、「ご結婚前は、充分時間があってしょっちゅうお会いしていたお二人というわけにはいかなかった分、ご結婚生活の中で恋愛感情をお育てになっている」とのことだった。そうした意味でも、ご結婚されて数年間はお子様がいないお二人の生活の中で、お二人の関係をさらに育んでいかれているのは、むしろ望ましいことで、夫婦仲のよろしいことの証左ではないか。
ただ、お子様のことについては、雅子妃殿下ご自身もプレッシャーを感じておられるようだ。宮内庁関係者によると、天皇・皇后両陛下もお子様を早くと期待されている。また、宮内庁でも、お世継ぎができるまでは、外国訪問の行事は入れにくい空気があるらしい。
実際に外務省には海外から招聘の申し込みが数多く届いているようなのだが、宮内庁にまわってきた段階で、なるべく控えるという結論を出さざるをえないという。たとえば99年は、ドイツで「ドイツにおける日本年」という国をあげてのイベントが始まっている。その名誉総裁でいらっしゃるのが皇太子殿下なのだが、そうした背景があってか、ドイツの招きを受けて、9月の開会式典に出席されたのは秋篠宮殿下だった。
こうしたことは、日本にとってもまた諸外国にとってももったいないことであろう。いっそのこと、お世継ぎが生まれるまでという考えを改めて、積極的に外国訪問を行っていってはいかがだろう。
皇太子殿下と妃殿下の魅力と資質をもってすれば、素晴らしい仕事をされると思うし、お二人ともまだ若く体力もおありになるのだから、以前にも行かれた中東だけでなく、いわゆる発展途上国にも行かれて、日本の皇室外交を充実していただきたいと願うものである。
●皇室の在り方
最後に皇室の在り方について思うところを述べさせていただきたい。それは、いわゆる先例主義を廃止して、新しい皇室像を作り上げるために、皇太子殿下と妃殿下という若いカップルの資質をもっと生かしていくべきではないかということだ。
今の皇室では、さまざまなことが、先例主義で規定され、先例がないものはなかなか実現にいたらないと宮内庁関係者から聞いた。
確かに先例では、お子様を生む前に積極的に外国訪問に出るべきではないということになるのかもしれない。
しかし、世の中は刻々と変化している。たとえば夫婦が共に仕事を持ち、あえて子供をつくらないという人々も確実に増えている。国全体でいえば、そうした夫婦の増加が少子化傾向に拍車をかけるという問題点はある。しかし、だからといって、若いカップルがお世継ぎ問題のことばかりクローズアップされるのはお気の毒である。常に国民と共にありたいと願う皇室を実現していくのであれば、皇室の有する価値観も過去の歴史にばかりとらわれるのではなく、同時に将来も見据えていく必要がある。
皇太子殿下、妃殿下については、新しい時代に合った新しい価値観を作り上げる役割を担っている方々であると、私は認識しているし、マスメディアそして国民もそうした意味で彼らを暖かく見守っていくべきではないだろうか。
私が、特に妃殿下にご期待申しあげるのは、たとえ地味でも構わないから、ご公務のなかからご自分が共感できるテーマを見つけられて、それと共に歩んでいっていただきたいということだ。今の、「お子様ができるまでは……」といった風潮の中では、難しいことなのかもしれないが、雅子さまの人間的器の大きさを知る者として、大いに期待したいところだ。
雅子さまは、婚約後の記者会見の中で、「後悔のない、良かったと思える人生にしたい」とおっしゃった。果たしてそのために妃殿下は何を突き詰めていくのか、具体的に何を追及していかれるのか、もし私が雅子さまにインタビューできるとしたら、その点をぜひうかがってみたい。
単に家柄がいいなどの理由ではなく、雅子さまのお人柄、そしてご自分で努力して手にいれたキャリア等を皇太子殿下が誰よりも評価したからこそ、お二人はご結婚されたと思う。そうした意味で、お二人のご結婚は日本人の意識を大きく変革したといえよう。今後も、皇太子殿下そして妃殿下の生きる姿勢が我々を勇気づけ、意識を共有しあえるものであってほしいと心からご期待申しあげたい。
ご成婚以来、緊張から生まれるぎこちなさはあっても、笑顔を絶やさなかったお二人だったが、その笑顔が消えたのが、翌平成七年一月の第二次中東訪問だった。
クウェート・アラブ首長国連邦、ヨルダンに出発する三日前。阪神大震災が発生したのだ。宮内庁では、残された僅かな時間、そして混乱した状況下で、藤森長官ら幹部が外務省や官邸と頻繁に連絡を取り合い、訪問の是非について協議を重ねた。外務省の態度はハッキリしていた。
「過去に二度にわたって訪問を取り止めている経緯があるだけに、直前の中止は外交儀礼上、どうしても避けたい」――。
宮内庁サイドもぎりぎりまで検討を重ねたが、結局、結論は外務省と同じだった。震災の様子を伝えることで、暗に訪問相手国からの「取りやめの申し出」に期待をかけてもみたが、そうした動きはなかった。皇太子自身は、訪問に消極的だった。ある宮内庁関係者は、「殿下はかなり躊躇されていた。行くべきか、止めるべきか、苦しまれたようです。ですが、訪問は国と国との交渉事であって、そもそも殿下目身が判断できる性質のものではなかったのです」
「成婚以来、思うところあり発言を差し控えてきたが、今日という今日は黙っていられない。言うべきことを言わぬのは不忠の臣だからだ」
「皇嗣とその妃が国家国民の一大事に、外国をふらつくとは何事」
「畏れながらながら両陛下も、両殿下も、さながら外務省特別職員のごとし」
「皇太子殿下が会見で、どうしても行かねばならなくなったという意味の発言をした。とするとごり押ししたのは外務省となる。宮内庁はそれを押し切れず、外務省の意のままで、どうするのか」
「関東大震災の際、折衝の宮は俊敏に指示を出し、非常に国民を心配された。各宮家では家を開放し、炊き出しをして救済をした。妃殿下方も手仕事で参加された。」
「昔、皇室とはこうだった。だからこそ国民は支持し、皇族はまた、こうしなくては国民の信頼を勝ち得ないことをしっていたから、ここまでなさった。今は一体どういう関係になっているか」
「国家に何か会ったとき、やはり支えとなるのは皇室と軍。ずっとそういう伝統で保ってきた国柄なのに、戦後の左巻きの風潮のなか、どんどんおかしくなり、国の根幹にかかわっている。そして今回のようなこと(皇太子夫妻の、阪神大震災後の外遊)が平然とおこっている」
「今一度、日本にとっての皇室と軍の重要性をしっかり考える機会をもたないと、日本は今後、もっと大変なことになるぞ」
水や食料にも事欠き、寒さと余震の不安に苛まれている多くの民を余所目にして、ベドウィンの踊りを御観賞になり、身を乗り出してサッカーを観戦しラクダレースをご覧になる。 これは一体何なのでしょうか。
見るべきはサッカーなのか。われわれ国民が皇室に見ていただきたいのはそんなものではない、
神戸の被災者たちの姿です。即刻苦しんでいる人々の傍近くに寄って、彼らを励ますことこそ皇室の義務なのではないでしょうか。
【ショコラ】参照。
画像まとめ職人さん注記「OWD\小和田夫妻とショコラの散歩画像が最終頁ですが、編集の都合で、2頁目に入れました。」
無責任な批判は皇室存続を危うくするものだ
皇后様をお苦しめしてしまった忸怩たる思い
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“紀子さま”に続いて“雅子さま”とご成婚ごとに“お嬢さま”ブームに沸く日本だが、元祖“お嬢さま”といえば酒井美意子さん。
加賀百万石で知られる前田侯爵家の長女に生まれ、百七十人もの召使に囲まれて育つ。幼少期はロンドンで過ごし、エリザベス女王が幼なじみという“究極”のお嬢さま。
「エリザベス女王と私は同い年でございまして、ハイド・パークでボール投げなどして遊んだこともございます。
母は帰国してからも毎月、英国の王室雑誌を取り寄せ、その中でプリンセス・エリザベスがお召しになっているのと同じドレスを仕立てさせて、私に着せておりました」
雅子さまについては、
「レディーの条件とは生まれではなく育ち。その点、雅子さまは申し分のないレディーでいらっしゃいます。
これほど理想的な方をお選びになった皇太子殿下は本当にお幸せでしょう」
皇族のお務めとは何か。なぜ社会福祉とスポーツの道に進まれたか。皇族と国民の望ましい繋がりは? 日常語で語られた皇室観――
皇室こそ日本の適応力の象徴なのだ
マスコミの同情ブリッコこそ要らぬお節介だ
賀陽正憲氏が証言する、昭和62年(1987年)小和田雅子が招かれた東宮御所お茶会についてなど。
p.135より引用
「皇太子殿下がお茶会をなさいますので、おいでいただけませんか」
という連絡が東宮職の侍従の方からあったのは、昭和六十二年の十月でした。
お茶会というのは、宮様が御所に女性の方をお呼びになって一緒にご歓談されるという会で、私も以前、ご一緒させていただいたことがありました。宮様お一人では、ちょっと気詰まりだし、同窓だった私を同席させて、話をはずませようということだったんでしょう。その時は、女性二人と宮様、そして私という顔触れでした。ですから、これが二回目になります。
「どなたがいらっしゃるんですか」
と聞くと、
「小和田雅子さんという外務省の方がお一人です」
ということでしたが、それを聞いて「アレッ」と思ったんですね。というのは、宮様はたいへん慎重な方ですから、女性を一人だけ呼ぶというのは、「これはちょっと特別だな。前回とは違うな」という直感が働いたんです。
そのお茶会が東宮御所で開かれたのは、昭和六十二年の十月二十四日の土曜日でした。私はその時、雅子さんに初めてお目にかかりましたが、雅子さんは、同じ年頃の女性に比べれば身のこなしにスキがなく、お話のされ方もとても丁寧で、宮様の話にじっと耳を傾けていらっしゃいました。
宮様も、学生時代に何をやっていたとか、どこに旅行されたとか、いつになく積極的にお話をされていました。
むしろこの時、雅子さんがあまりに魅力的な方なもので、私がずいぶん口を挟みまして、今になれば宮様には悪いことをしなたと申し訳なく思っているんです(笑)。
その後すぐに私はイギリスに留学することになり、帰国したのは平成三年の二月ですので、この間、お妃問題についてどのような動きがあったのかはまったく知りません。
完璧すぎる小和田雅子さん、「せめてテニスぐらいはヘタであってくれ!」と祈ってしまいますという、超ベタボメ寄稿。
新聞社から解説依頼された雅子唯一の「テニス」写真について、「雅子さんのバックハンドのフォーム、まるでプロのようでした。ただテニスは一枚の写真では判断できませんが、もしかしたらお上手そうでがっかりしてしまいます(というのは冗談です)」と、これまたべったべたの褒め様。
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「殿下にはどう申し上げるの?」と訊ねますと、ニコニコしながら「それは秘密」。これはお受けするつもりと思いました。
小和田恆&優美子夫妻インタビュー:樽ネズミ事件の母優美子本人の証言、「名刺を出しなさい」指差し恫喝事件についての[[OWD]サイドからの言い訳、87年の非公式の打診、皇太子プロポーズについて母優美子が「どういう風に申し上げるの?」と訊ねたら雅子は「それは秘密」とニコニコ顔で結婚にノリノリだった風の証言。
信頼厚い相談相手が明かすご婚約までの胸中
お妃選びの中で浮かび上がった問題点とは?
これまでの皇太子妃候補について紹介
隠密取材から小和田邸前の騒乱までの全内幕
平成皇室が迎えた比類なきキャリアの“背景”
【小和田毅夫】
「彼(小和田恆)はなにごとにおいても一番でなくては許さない」
「おばあさま、浩宮さまって、そんなにお偉いの?」
外務省内でのあだなは「お嬢」だった等々内容あり。
国民の心をとらえる「生命のリズム」の不思議
ttp://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/312.htm
皇太子・美智子妃の結婚を記念して、横浜市緑区に「こどもの国」が開園したのは一九六五(昭和四十)年だ。(略)
ここを作るきっかけになったのは、ふたりの結婚を祝して一般人から寄せられたお祝い金、一千七百万円である。都市サラリーマンの平均月収が二万六千円の当時、これはかなりの額だった。(略)
「殿下は工事の途中にも視察にこられ、牧場を作ろう、と提案されたり小鳥の巣箱をご自分で取りつけたり、とても積極的でした。寄贈していただいたものもかなりあるのですが、『皇太子殿下寄贈』と書かないように言われておるんです。お目立ちになられるのが嫌なようで」
夫妻は浩宮、礼宮などを連れて、しばしば遊びにきた。警備上からは貸し切りにするなり、園内を車で回ってもらったほうが楽なのだが、そういうことは一度もないという。子供たちがゲーム用乗物に乗るときも、一般客に混じって順番を待つように言う。
進行中のお妃選び、その選考基準を徹底解剖
【浩宮徳仁伝説】参照。
文藝春秋臨時増刊 1971年5月号「天皇陛下の70年」カラーグラビア
文藝春秋臨時増刊 1971年5月号「天皇陛下の70年」モノクログラビア
文藝春秋臨時増刊 1971年5月号「天皇陛下の70年」<お元気な礼宮さま>モノクログラビア
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「Madeleine」(マドレーヌ)とは、Amazonで池田礼子・渋谷節子共訳『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』(トーマス・バーゲンソール著、朝日新聞出版2008/10/21)のレビュ...
2002年の雅子夫人誕生日会見冒頭で飛び出した、彼女の愉快な日本語感覚をスレ住民奥様方全員に印象づけた言葉。そんじょそこらのお笑い芸人でもなかなかこうはいかないものである。なお宮内庁HPには当会見の英...
画像説明文で皇太子徳仁の後ろに添えられる言葉。転じて、東宮一家の移動車両における徳仁の座席位置を示す表現。2007年3月11日東宮一家奥志賀スキー旅行前の両陛下へのご挨拶ワゴン車移動ニュースでよく知ら...
東宮夫妻を何かに喩えた書き込みをした後に、その比喩に使われたものに謝れとレスがお約束のように続くことを示す。ex.「床に胡坐かいて手掴みで物を食べるなんて、まるでゴリラみたい」→「ゴリラはそれが自然な...
雅子夫人がグルメやショッピングやドライブなど、私的外出をする際に警護として必ずつくSP集団のこと。『週刊新潮』2005年10月27日号にて報じられた。特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC...
駐日大使夫妻らを宮内庁が管理する鴨場(埼玉県越谷市「埼玉鴨場」と千葉県市川市「新浜鴨場」の2箇所がある)に招き、皇族方が接待すること。「外交団鴨場接待」のように表現されることが多い。国を代表して訪日し...
東宮家を巡り雑誌等で発言が多く見られた、元・共同通信記者の経歴を持つ静岡福祉大学教授・高橋紘(ひろし)氏のこと。高橋氏は「象徴天皇にふさわしい皇位継承とは、国民に広く支持されるかどうかが基本」との考え...
先ずこの「雅子による見苦しい下手糞抱っこ」まとめ画像を参照されたい:手の甲乗せ、おマタ鷲掴み、お尻鷲掴み、お股おっぴろげ全開、駅弁抱っこ等々オンパレード画像(日付入り)まとめ画像その2:問題点指摘入り...
東宮家の中の人、徳仁・雅子・愛子がほとんど共にしないと報じられているもの。心凍るブリザード家庭としか思われないのだが、それでもなお一家円満を主張し続けているところが奇妙というか、必死すぎである。結婚当...
2008年1月25日長野県小布施町にある美術館「北斎館」にてを「駿州江尻」を見た雅子夫人が発した言葉(スレでは「ぅ~」を付与した形で定着している)。ttp://sankei.jp.msn.com/cu...
雅子夫人について夫徳仁が主張していること。「頑張り過ぎる」というのがお得意のフレーズである。同日シリーズやら翌日シリーズやらで雅子夫人の振る舞いを観察しているスレ住民奥様方からすれば( ´_ゝ`)フー...
平成24年(2012年)2月18日天皇陛下心臓冠動脈バイパス手術は世に大きく伝えられたが、その後のお見舞いを巡って、まともに打診もせずぐずぐずしていた東宮家の雅子が、秋篠宮妃殿下からのお見舞いスケジュ...
MasakoCalendar作成奥様が組んでくださった、1993年1月婚約発表時期からの【雅子さまワクワク☆静養カレンダー】もご参照ください。雅子夫人についてのニュースにおいて、一緒に使われる確率が非...
自らの知識・技術を活かしたいと考える青年を発展途上国に派遣する[ JICA(独立行政法人 国際協力機構)]の事業のこと。「エリート外交官家庭に生まれ育った私が発展途上国なんてpgr」という意識があるの...
2011年7月21日付で愛子養育担当東宮家出仕となった女性。それまで愛子養育担当出仕には福迫美樹子氏、筒井美奈氏がいたが、霜鳥氏は3人目となる。ほぼ同時期に愛子養育担当人員として雇用された存在として、...
学習院幼稚園に通っていた敬宮愛子ちゃんとその母雅子とが偶にやっていたこと。タイトー制作の電車運転シミュレーションゲームソフトのことではなく、雅子・徳仁夫妻の「(娘愛子に)一般の子供たちと同じ経験をさせ...
]No.日付見出し注目内容2131.7元日にも陛下のご負担軽減策年末の表参道…東宮大夫「良かった」の理由は?新年行事について新年ご一家撮影会裏話、一同並んで撮影している場面ではしりとり新年一般参賀、女...
広義では「東宮家雅子夫人に関する様々な問題事」を表す。この単語は『週刊新潮』2008年4月10日号<男の担任も「横ヤリ交代」 学習院初等科「愛子さまご入学」シフト>記事中にて「雅子さまマター」で登場し...
Part826スレッドのとある奥様(レス番号371・377・379)が、以前ここに書かれていた「迷惑外交武勇伝」という言葉が気に入ったとのことで、海外における雅子のgdgd振舞い事件を端的にまとめてく...