長い目

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皇太子誕生日会見(2011/2/23)

 愛子の学校のことも,もうすぐ1年がたとうとしています。この問題では,これまで,天皇皇后両陛下を始め,多くの国民の皆様にお気遣いを頂いておりますが,温かくお見守りいただいてきたことに,この場をお借りして感謝申し上げたいと思います。
 この1年近く,親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで,雅子と共に考え,歩んできました。愛子は,学校で怖い思いや辛(つら)い体験をしましたが,それを乗り越えようと,前向きに頑張ってきており,私たち親としても,精一杯支えてあげたいと思ってここまできております。学校の先生方とご相談をしながら,雅子の付添いの下での登校という形が現在も続いておりますが,幸い,愛子が学校で過ごす時間も随分と長くなっており,運動会,初等科祭,校外学習など,そういった行事にも元気に参加するなど,良い方向に向かってきていると思います。
 ご質問にあった,今後何が必要か,との点については,本人の気持ちを大切にしながら,学校の理解と協力をお願いしつつ,周りの助けも借りながら,元の状況に戻れるよう,環境づくりを引き続き行っていくということが必要であると考えております。愛子が,静かな環境での通学が可能なように,引き続き静かに見守っていただければ幸いです。

 雅子の病気治療は長期にわたっておりますが,東宮職医師団見解にありますように,その間,長い目で見ますと着実に快復に向かっており,公務についても,昨年の阪神・淡路大震災15周年追悼式典出席のための兵庫県への訪問や,それ以前も神奈川県,長野県,徳島県への訪問,また,都内での公務出席など,限られた形であってもできるだけの努力をしてきているのが事実であり,このことは皆さんもよくご承知のことと思います。皆さんからのご質問に関してですが,昨年2月の東宮職医師団見解において,「患者さんが治療に取り組み,それが実を結びつつあるときには,できていないことではなく,小さなことでもできたこと,あるいは努力していることが認めてもらえるような,安心できる温かい環境が不可欠です。妃殿下の治療に関しても,ぜひ,その点を皆様にご理解いただければと考えます。」と指摘されております。報道関係の皆様には,この点につき,より一層のご理解とご配慮を頂けますよう,改めてお願いしたいと思います。
 そのことを申し上げた上で,ここ1年ほどは,愛子の通学への付添いを含めて,愛子が元どおりの通学に戻るために母親として可能な限りの努力を払ってきているのが現状であり,私自身傍(そば)で見ていて,大変だと思いますし,雅子自身の体調が万全でない中で,毎日本当によく頑張っていると思います。そのため,公務などの活動は限られたものとならざるを得ない状況にあり,東宮職医師団もこの点を指摘の上で皆さんの理解をお願いしているわけです。雅子の並々ならぬ努力を身近に見ている私としても,国民の皆様がこのような状況をご理解の上で温かく見守っていただきますことをお願いしたいと思います。

補足:徳仁会見で「雅子がやった公務」の例として取り上げているもの:
昨年の阪神・淡路大震災15周年追悼式典出席のための兵庫県への訪問=2010年1月16-17日
神奈川県への訪問=2009年4月19日、第20回全国「みどりの愛護」のつどい。当初欠席予定とされていた雅子がドタ出することになりパンフレット刷直し、105万円の損失発生。
長野県への訪問=2008年1月25-26日、第63回国民体育大会冬季大会(長野かがやき国体)開会式等。大野裕医師同行。なお女子フィギュアスケート観戦はドタキャンしている。【とんかつ弁当と牛肉弁当】【アッカンベー事件】参照。
徳島県への訪問=2007年10月26-28日、国民文化祭開会式等。大野裕医師同行。関係者との昼食会を欠席して自分だけホテルのカレーを食べたりしている。

『週刊文春』2011年10月6日号<東宮大夫「大荒れ会見」をスッパ抜く! 雅子さま愛子さま校外学習に宮内記者が「税金泥棒」「異様な母子」>

pp.142-143より引用
 午後五時、いつものように宮内庁二階の報道室に集まった記者たちは、細長いテーブルをコの字型に囲んだ黒い革張りのソファに座り、小町大夫にどう切り込むか考えていた。大夫の席から見て左奥、ソファ席から離れた所にはベテラン記者数名が囲む年季が入った麻雀卓があり、彼らは煙草を燻らせながら、会見前の時間を過ごすという。
「昔は赤坂の東宮御所で定例会見が開かれていたのですが、妃殿下が、報道関係者が御所内に入るのを負担にお感じになるということもあったそうで、千代田の本庁舎・報道室に会見場が変更されたのです。大夫会見には、記者約二十名が出席し、東宮大夫を囲む。横には東宮侍従が控え、他にも東宮職職員、総務課報道室職員など、宮内庁側は十名弱が会します」(同前)
 定刻、小町大夫を記者たちが囲み、会見は始まった。目の前のテーブルには新聞記事のスクラップ帳を作るため、カッターでつくった傷が無数に刻まれている。普段、取材が制限される事の多い独特な慣習を持つ宮内庁記者クラブにとって、定例会見は主戦場の一つである。
「三殿下はお変わりなくお元気でお過ごしになっておられます」
 会見の冒頭、定型句となったこの言葉を皮切りに、小町大夫が書類を手にしながら、皇太子ご一家のご日程について報告した。前出・宮内庁担当記者が話す。
愛子さまの校外学習について、大夫は『富士山五合目ハイキング、富士山レーダードーム館の見学……』と立ち寄られた場所を列挙して、『有意義な校外学習だったと拝察します。妃殿下は距離を置いて見守られました』と話しただけでした。
 小町氏はあっという間にペーパーを読み上げ、いつも通り、こう締めくくった。
「以上です」
 予想し得たこととはいえ、あまりにすげない発表に会場は一瞬、脱力感に包まれたという。そして、ある記者が口火を切った。
<妃殿下と宮さまが山中湖で接触することはなかったのですか>
「はい」
 この質問は明らかに「週刊新潮」で報じられた、青木々原樹海ハイキングで雅子さまと愛子さまが「鉢合わせ」されたという件についての確認だった。大夫は言下に否定したのである。
 記者たちは念を押すようにこう聞いた。
<現地で接触することはなかったんですね>
<お二人が話をしたこともなかったんですね>
 すると小町大夫は急に前言を翻したのだ。
「まったく偶然に、出会い頭に接触したことが一度だけあったようです。それ以外にはなかったと」
 質疑開始早々に自らの発言を撤回した大夫に、記者たちは唖然としたという。
<接触がなかったとなると、妃殿下が行かれた目的は何なのか>
「宮さまの希望もあって、妃殿下の付き添いのもとで、ご通学という状況が続いている。現地でも宮さまのご様子から、結果的に距離をおいて見守ることになったと理解している……」
 小町東宮大夫は今年(=2011年)七月に就任したばかり。会見の回数は十回に満たない。五年三ヵ月務めた前任の野村一成|野村一成]氏と比較するのは酷かもしれないが、
「野村さんは都合の悪い質問には声が小さくなる。小町大夫は、声は聞きやすいが、まだおどおどしていて、ペーパーを読みながら、答に窮すると、隣に座っている侍従がささっと書いたものを渡す。それを小町大夫が政治家の答弁のように読むんです。癖なのか、困ると時々、にやつくような表情を見せるのです」(別の宮内庁担当記者)
 もともと外務省出身の小町大夫は、野村氏の六期下にあたる。「外務省は伏魔殿」と言い放った田中真紀子外相(当時)の下では、省内の総務を統括する官房長に就いていた。かつての部下がこう話す。
「当時、小町さんが国会答弁するために想定問答集を作ったのですが、かなりテンパった様子で、緊張のため用意した回答を使いこなせていませんでした。小心で、典型的な役人タイプに見えました」
 この日も、十分な想定問答を用意しておけばよかったのだろうが、小町氏は要を得ない回答を繰り返し、どんどん墓穴を掘っていった。記者も苛立ちを隠せず質問は次第にヒートアップしていったという。
 そして痺れを切らした記者が痛烈な一撃を放ったのが、冒頭の「茶番」発言。これで完全に火蓋は切って落とされた。
<世間の常識がある。一人の社会人として東宮大夫はどう考えているのか>
<付き添いの形があまりにも異様です。親が子を思う気持ちはわかるが、大夫からの説明、支える者の方針がなければ、“異様な母子”に映る>
<皇室に対する国民の見方にも影響する。今のやり方は適切か>
「異様な母子」とまで言われた小町大夫は、
「ポイントを十分踏まえつつ、良い状況に持って行きたい。“長い目”で見ていただければありがたい。今の状況は正常だとは思わない……」
 と返すのが精一杯。
<ポイントというのは、学校や周囲に迷惑をかけている状況を指すのですか>
 と更なる質問を浴びた。そして、あるベテラン記者は厳しく懸念を表明した。
<『長い目で』と言うが、国民は既に長い目で見ている。
(東日本大)震災から半年、国民が大増税の時代を迎えようとしているその時期に妃殿下は校外学習でインペリアルスイートに泊られた。常識的に考えられない出費。“税金泥棒”との批判を受けるかもしれません。それを許した(皇太子)殿下はどうお考えなのですか>
 通常、東宮大夫の定例会見は録音され、記録される。そして発言者や内容も余すところなく、両殿下に報告が上げられるという。

2012年[]

皇太子誕生日会見(2012/2/23)
 雅子については,天皇陛下から,一昨年の陛下のお誕生日のご会見で「皇太子妃の公務のことがよく言われますが,何よりも健康の回復に心掛けるよう願っています。」とのお言葉を頂いております。まずは,健康の回復を最優先にして,体調を整えながら,焦ることなく徐々に,活動の幅を広げていってほしいと思っております。
 いずれにしても,雅子は病気療養中でありますので,引き続き,皆様方には,ご理解とご配慮をお願いするとともに,温かくお見守りいただきたいと思います。

<関連質問>
問1 昨年12月の妃殿下のお誕生日に際しての[[[東宮職医師団

東宮およびその周辺が、国民に対して求めているもの。東宮職医師団によれば雅子夫人は、体調に波があるにも関わらず、非常に前向きに努力し順調で着実な回復過程にあるのだが、情報遮断などに苦しんでいるので私的外出・私的海外訪問を求めている。なお皇族としての立場・責任も深く認識しているとのこと。

彼らが「長い目で見守れ」という主張を始めてからもう何年も経過しているが、一向に状況が改善される気配はない。それどころか雅子に対してだけでなく、不登校問題を引き起こしている愛子についてまで「見守れ」主張が追加されているのが現在である。
ほぼ10年間同じことを言い続けているので、会見作文も面倒くさくなったのか近年はコピペ状態に陥っていることも注目される。

東宮本人・関係者の求める「長い目で見守れ」主張[]

2006年[]

週刊女性(2006/8/15/号)

「今回、ご一家を招待された女王の配慮を思うと、国内の雅子さま回復への環境づくりは恥ずかしい限り。雅子さまへの心ない非難が飛び出したりするのは、そもそも宮内庁が病状について可能な範囲で正確な情報公開をしないから。2週間程度の海外静養で画期的な回復が実現するとも思えない。長い目で見守ってさしあげる必要もあると思いますよ」(政府高官夫人)

雅子さま、ご公務は「引き続き体調を考慮」(2006/9/8 産経新聞)*リンク切れ
宮内庁の野村一成東宮大夫は8日、オランダ静養を終えられた皇太子妃雅子さまの状態をふまえ、ご公務は「引き続きご体調を考慮して決めていく」とする東宮職医師団の見解を明らかにした。
見解では、オランダ王室との交流が雅子さまの「自信につながる体験で、今後の治療を進めていく上で有意義だった」とご静養を総括。ただすぐ目に見える成果として表れるものではなく、「これからも長い目で見守っていただきたい」とした。
また今後の海外ご静養について、野村東宮大夫は「私の頭の中にはまったくない。計画もない」と語った。


2007年[]

皇太子誕生日会見(2007/2/23)
 雅子も体調を見ながらできるだけの努力をしており,それに伴い,少しずつ活動の幅が広がり,徐々に快方に向かっておりますが,お医者様が,個々の活動の後に疲れが残ることがあると指摘されているように,活動をどのくらいまとめて行うことができるかその時々で判断せざるをえない状況です。今後大切なことはお医者様のご指導の下,公務であるかどうかを問わずに更に活動の幅を広げていき,そして,個々の活動に自信を深めていくことであると考えます。活動に自信が持てるようになれば,公的な性格のある活動を行う幅もおのずと広がっていくものと思います。
 国民の皆さんにも状況をご理解いただき,長い目で見守っていただきたくお願いいたします。
皇太子モンゴル訪問会見(2007/7/6)
徐々に回復に向かっておりますが,まだ回復の途上であり,お医者様の判断では,事前の準備も含めて,外国訪問が可能になるまでにはまだ時間が必要と伺っております。雅子も皆様の期待は有り難く思っておりますが,そのような状況ですので,長い目で見守っていただきたくお願いいたします。なお,質問にありました「適応障害」については,6か月以内に治るのは,医学的には急性の場合とお医者様から伺っております。

2008年[]

皇太子誕生日会見(2008/2/23)
雅子は,依然として体調に波がある中,自分でもいろいろと工夫をしながら,公私を問わず活動の幅を広げるよう努力してきており,公務についても少しずつではありますが,頻度が増えてきています。以前に比べ,公務の後の疲れからの回復も早くなってきているようには思いますが,頑張り過ぎて疲れることなどもありますので,お医者様からは内容を慎重に考えながら活動の幅を広げていくよう指導を受けております。公務については,回復に伴って少しずつ積み重ねていくことにより,徐々に復帰していくことになると思います。現状では,公私を問わず,心の触れ合いを大切にしながら,負担の少ないところから活動の幅を広げることが治療のために必要とのお医者様の見解をご理解いただき,引き続き長い目で見守っていただきたくお願い申し上げます。
皇太子スペイン訪問会見(2008/7/11)
雅子の公務への復帰についてのご質問ですが,これまでもできることを一つずつ積み重ねてきており,このような積み重ねで,徐々に復帰していくことになると思います。雅子が周囲からの助けを得ながら一生懸命努力を続けていることをご理解頂き,引き続き長い目で温かく見守っていただきたくお願いいたします
東宮職医師団の見解(2008/12/9)
最後に、国民の皆様の温かいご理解を賜り、これからも長い目で見守っていただきますよう、お願い申し上げる次第です。

2009年[]

皇太子ベトナム訪問会見(2009/2/5)
今後の外国訪問については,ケース・バイ・ケースでお医者様と相談しつつ判断することになろうかと思います。基本的には,前からお話ししているように外国訪問は我が国と諸外国との友好親善を増進する上でも良い機会であり,今後とも大切にしていきたいと考えております。いずれにしましても,雅子としては少しでも多くの公務ができるように頑張っておりますので,長い目で温かく見守ってくださるようお願いいたします。

参考:第2日テレ ノーカット工房にて、都合の悪い質問に答えまいと牛歩回答をしている、おどおどよれよれ徳仁映像が視聴できます。


2010年[]

東宮職医師団の見解(2008/12/9→12/25→2010/1月中旬→2010/2/5)

従いまして、妃殿下には決して焦られることなく、現在のご活動を時間をかけて着実に継続していっていただきたいと考えております。その過程では、妃殿下が一つ一つ努力され、工夫され、試行錯誤を繰り返される場面もあるかと思いますが、これはご快復に向けてのご治療を進めていく上で必要なものでもあります。国民の皆様におかれましては、こうした治療上の配慮と、前向きにかつ真摯に努力しようとされている妃殿下のお気持ちをぜひご理解いただき、引き続き長い目で温かく見守っていただくようご協力をお願い申し上げます。

東宮職医師団の見解(2010/12/9)
 ご病状の不安定さが残る中で、妃殿下は、愛子内親王殿下が安心してご通学になれる環境づくりに向けて非常に努力され、多くの時間とエネルギーを注いでいらっしゃいます。それだけに、その他のご活動は、公的な色彩のあるものを含めて、限られたものにならざるを得ない状況にあります。国民の皆さまには、こうした現状をご理解いただき、これまでと同じく長い目で温かく見守っていただきますようお願い申し上げます。

2011年[の見解なんですが,その中で週刊誌を中心とした報道に対して「専門家として憤りを覚えるものであり,この状況が改善されない限り順調なご快復は望めないと考えております。」という文言がありました。医師団の見解としては異例とも言える内容だと思ったんですけれども,問4の質問にあったように,国民の間からもいろいろな意見が出ました。この医師団の見解について,殿下はどのようにお感じになりましたでしょうか。
皇太子殿下 これは医師の先生が思われたことを率直に述べられたことですし,また雅子にとってもそのようなことが治療の上でも障害になっているとの見解でもありましたので,それはそのように私も受け止めましたし,先ほどもお話ししましたように,まだ雅子も治療の段階でありますので,引き続き皆様には温かく見守っていただきたいというふうに私からもお願いしたいと思います。

※「長い目」というフレーズ自体は使用していないが、言っている内容は同じである。

2013年[]

皇太子誕生日会見(2013/2/21)

 雅子は,確かに快方に向かっておりますが,更に療養が必要です。雅子には,健康の回復を最優先にし,お医者様からご助言いただいているように,体調を整えながら,焦らずに,少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。引き続き皆様方にも,安心できる環境作りの面でご協力をお願いいたしますとともに,雅子の回復を長い目で温かく見守っていただければと思います。


2014年[]

皇太子誕生日会見(2014/2/21)

 このように,雅子は,確かに快方に向かっておりますが,これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。お医者様からもご助言を頂いているように,体調を整えながら,まずは,できることから少しずつ時間を掛けてやっていってほしいと考えております。国民の皆様より私たちに対して温かいお気持ちを寄せていただいておりますことに改めて心より感謝の気持ちをお伝えいたします。

※「長い目」というフレーズ自体は使用していないが、言っている内容は同じである。
2013年徳仁誕生日会見とほぼ同じ、ほぼコピペ状態なことが注目される。


2015年[]

皇太子誕生日会見(2015/2/20)

 このように,雅子は,確かに快方に向かっておりますが,これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。お医者様からもご助言を頂いているように,体調を整えながら,引き続き,焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思っています。

※「長い目」というフレーズ自体は使用していないが、言っている内容は同じである。
2014年徳仁誕生日会見とほぼ同じ、ほぼコピペ状態なことが注目される。


報道機関が求める「長い目」[]

朝日新聞社社説「皇室問題―長い目で見守りたい」(2008/2/23)

(前半略)天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻のどちらの立場に寄り添うかは、それぞれの世代や環境、価値観などによって違うだろう。週刊誌などでは、それぞれの立場からの意見や批判がにぎやかである。
 だが、こんなふうには考えられないだろうか。皇室の歴史をひもとけば、いつの世も悩みを抱えていたはずだ。皇室の中で様々なきしみがあり、いつも理想的な家族を演じてきたわけではない。
 いま憲法で日本国と国民統合の象徴と位置づけられている天皇は、多くの国民の理解と支持なしにはありえない。しかし、皇室に対して国民が期待することは時代によって変わるし、国民の家族観も親子のあり方も変化していく。
 そうした時代と社会の移り変わりの中で、伝統を後世に伝えつつ、新たな伝統をつくろうと苦しんでいるのが、いまの皇室ではないだろうか。
 長く複雑な歴史を背負ってきた皇室である。ここは穏やかな日々が戻ることを、長い目で見守っていきたい。



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