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雅子夫人が平成12年(2000年)7月25日の香淳皇后葬儀である「斂葬の儀」を欠席した理由のようなもの。
皇室世界において最重要儀式の一つとして位置づけられる皇太后の葬儀を「夏バテ」で欠席というのは当時の女性誌でも大きく取り上げられた。但し「この暑い中雅子さまの体調を考えない東宮職が悪い」といったマンセー論調の記事である(参考:当時女性誌のグラビア画像)
2000年当時の記事集(後掲)を読むと、一見雅子夫人の体調不良が印象付けられるが、斂葬の儀の2ヶ月前である5月28日東京ローンテニスクラブのパーティーでは大好物の外国人も沢山いる環境に興奮でもしたのか、ゴーゴーダンスに熱狂しローストビーフにもありつくという元気いっぱい食欲いっぱいぶりを周囲に見せ付けていたことが別ソースから明らかになっている。
もちろんゴーゴーダンス熱狂事件から2ヶ月の間に急激に体調を崩した可能性も考えられるが、その割には「医者はもちろん医療関係者の相談もお受けにならない」状態で、これでは病気と診断することもできず虚偽発表も勿論できず、古川東宮大夫が「夏バテのような状態」と欠席理由発表するのも無理からぬ事態である。
なお『週刊文春』2000年8月3日号にコメントを寄せている宮内庁御用掛の坂元正一氏は、結婚から4年後あたりの時期に発生した「雅子、基礎体温提出拒否事件」にも関わっている人物であり、何か思うところがあったはずである。
嫁ぎ先の冠婚葬祭を「夏バテのようなもの」を理由に欠席するという、一般庶民奥様ですらありえないトンデモ振る舞いにより、「夏バテのようなもの」事件は雅子ブッチ伝説の筆頭として挙げられるものとなっている。なお父方祖父母の小和田毅夫(1993年10月)・静(1997年9月)の葬儀と、母方祖父母の江頭豊(2006年9月)・寿々子(2004年11月)の葬儀、これらに雅子は全て出席している。殊に江頭豊の弔問には夫皇太子と内親王である愛子を伴い、葬儀にも夫を連れて行ったことをきっかけに、2ちゃんねるニュー速+板では皇太子に「ヒロシ」という呼び方が与えられることになった。
『週刊文春』2000年8月17・24日号と同2006年3月23日号記事中に「せめて御所の南車寄せでの御棺のお見送りは可能だったのでは」とあるが、これは車椅子で不自由な身の桂宮殿下と幼い秋篠宮家眞子内親王殿下・佳子内親王殿下の3名が多摩御陵には移動せずお見送りをしたことを指す。車椅子利用者と学習院初等科3年生と幼稚園年長組が参加していることを「夏バテ」理由に出席しないというのは、雅子夫人の公務能力が彼らに到底及ばないことを示していると結論づけるのが妥当であろう。
参考画像:平成12年(2000年)7月25日香淳皇后「斂葬の儀」当日、御所南車寄せでお見送りをする桂宮殿下と秋篠宮家眞子内親王殿下・佳子内親王殿下 平成12年(2000年)7月25日香淳皇后「斂葬の儀」当日、御所南車寄せで車に向かい頭を下げる秋篠宮家眞子内親王殿下・佳子内親王殿下。桂宮殿下の乗られている車椅子が左端に見えている |
さらに問題は、2000年当時の欠席にとどまらず、5年後にも
香淳皇后五年式年祭の儀と欧州王族の差事件
として、問題が表面化している。
この「夏バテのようなもの」事件からざっと8年以上経過した平成21年(2009年)に入り、友納尚子が「化学的流産」を根拠とする反論記事を発表しているが、この論がどこまで説得力を持って世に受け入れられるか今後の見物である。
参考:【堤治】、【基礎体温】、【ゴーゴーダンス】、【健康診断】、【友納尚子】
『週刊文春』2000年8月3日号 pp.26-27より引用 蔵出し特集・嘘みたいな本当の話宮内記者会が問い詰めた雅子妃「皇太后さま斂葬の儀」欠席の理由 |
『週刊文春』2000年8月10日号<Catch up 雅子さまショートカットで笑顔満面 少しお痩せになられましたか?>モノクログラビア グラビア説明文引用 |
『週刊文春』2000年8月10日号<雅子妃本当に「夏バテ?」で記者奔走>記事 pp.31-32より引用 七月三十一日、東京駅ホームで混乱の一幕があった。 |
『週刊新潮』2000年8月10日号<雅子さまは欠席された皇太后さまの葬儀>モノクログラビア 皇太后良子さまの葬儀「斂葬の儀」が、25日行われた。追号は「香淳皇后」。「懐風藻」に収録されている二つの詩からとられたもので、日本の古典から追号がとられたのは初めてなのだそうだ。 |
『週刊新潮』2000年8月10日号<ワイド特集人生「崖っ淵」の綱渡り 雅子さま「休養」」で伝えられた「真相」>記事 pp.134-135より引用 雅子さま(36)が皇太后さまの本葬に当る「斂葬の儀」を欠席された。宮内庁は理由を“夏バテ”と発表したが、信じ難い。スワご懐妊かと周囲が色めき立ったのも当然だった。ところが、そのわずか1週間後には高校総体にご出席。いったい何があったのか。 宮内庁の古川清・東宮大夫が臨時記者会見を開き、雅子さまが、皇太后さま(香淳皇后)の葬儀に欠席されると発表したのは「斂葬の儀」前日の7月24日のことである。 理由は「暑い日が続いており、お疲れがたまっている」というもので、要するに夏バテのためだというのだが、 「皇太后さまのご葬儀はその程度の理由で欠席できるような行事ではありません」 と皇室記者の一人は言う。 「今回のご葬儀には、皇族方はもちろん、森首相や三権の長や、各国の駐日大使、またタイからは特別にシリントン王女まで参列して執り行われました。皇室行事としての位置付けよりも、春秋の皇霊祭や新嘗祭よりはるかに重く、たとえ少しぐらい体調が優れなくても、まず欠席は許されない極めて重要なものなのです」 ましてや皇太子妃である雅子さまは、将来、わが国の皇后になられる立場である。 かつて雅子さまが勤めた外務省の幹部もこう話す。 「葬儀に出席した各国の大使からも、84歳の三笠宮崇仁殿下が参列されているのに、なぜ、プリンセス・マサコは夏バテぐらいでお休みになるのか教えて欲しいと言われて困りました。しかも、その1週間後には、もうお元気になられて、岐阜の高校総体にご出席。これでは、私たちも説明の仕様がありません」 皇室関係者が真相を語る。 「実は、葬儀の2日前の7月23日夜。ご夕餐といって、天皇ご一家が御所に集まって食事をする会がありました。雅子さまも、皇太子殿下と出席されたのですが、その時、雅子さまは、急に具合が悪くなり、殿下と一緒に途中で帰られてしまったのです。 「可能性」があった 雅子さまは、昨年のご懐妊時の騒動後、毎月欠かさず検診を受けられているが、この時は、微熱があったという。 いずれにせよ、皇太后さまの葬儀に欠席したのは、この出来事が直接の原因だった。 「しかし、雅子さまのご体調には、この時点で、もう一つ気掛りなことがありました」 と皇室関係者が続ける。 「これは、申し上げにくいのですが、どうやら、雅子さまはこの時、もしかしたら“ご懐妊”かも知れないと思われる状況にあったのです。つまり女性としての、月のご体調の変化がその可能性を示していた。それで、万が一にも、と大事を取って、朝から晩まで屋外で過ごさなければならないご葬儀には欠席し、とりあえず、ご休養をとっていただくことにしたのです」 もっとも、古川東宮大夫がそれを“夏バテ”と発表したのは余りにもお粗末だった。 「おそらく、宮内庁は昨年暮のような事態は絶対に招いてはいけないと、必死になっていたのでしょうが、それにしても、もう少し他に言いようがなかったのかと思います」 とは、ある皇室記者。 「24日の緊急会見では、当然記者から“ご懐妊では?”という質問が出ましたが、それに対しては“全くない。想像を逞しくしないで欲しい”と言いながら、28日の定例会見では“今後の行事には、皇太子殿下お一人で出席することになるかもしれない”などと思わせぶりなことを言っていた。[[ドタ出|結局8月1日の高校総体に雅子さまが出席されると発表されたのは、その直前の7月30日のことでした]が、この間、雅子さまをめぐってはやっぱりご懐妊だ、いやストレス性のご病気だと、様々な憶測が乱れ飛びました」 が、結論から言えば、やはりご懐妊はなかったようだ。 先の皇室関係者が言う。 「それがハッキリしたので高校総体にも出席されたということです。ただ、雅子さまがここへきて、相当な重圧を感じておられることは間違いない。宮内庁も、その辺りをもう少し考慮して差し上げないと、本当にお気の毒ですよ」 |
『週刊文春』2000年8月17・24日号<深層憂慮レポート 孤独の人雅子妃> p.208より引用 雅子妃が皇太后の本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席されてから約二週間――。 当時、小誌は、雅子妃のご体調を不安視する宮内庁関係者の証言を紹介した。 「雅子妃はこのところ、ご気分が沈みがちでお部屋にこもりがちという状態なんです。昔、美智子さまが第二子を流産し、心身ともに疲れ果てこもりがちになられた時期がありましたが、それに近いぐらい深刻な状況なんです」 「斂葬の儀」前日の臨時会見で、古川清・東宮大夫は、「雅子妃は暑さでお疲れがたまり、夏バテのような状態」と説明したが、その一週間後の岐阜でのインターハイ開会式に、雅子妃は少し痩せられたものの元気な姿をお見せになった。ところが、八月後半の公務は欠席と発表される。 一貫性のない公務出席状況の発表に、皇室担当記者たちも戸惑いの色を隠さない。 ある皇太子の学友は、 「いいニュースの“前兆”かもしれない。ならば、たとえ宮内庁が嘘をついていても、いいじゃないですか」 と話すが、一般国民も宮内庁の発表に、一種の期待さえ抱いている。しかし実際には、「期待」だけでは済まない事態が進行しているのだ。 少し考えて頂きたい。 普通の国民であっても、祖母の葬儀にその家の嫁が参列しないというのは重大な事態なのだ。ましてや、皇室における儀式・祭祀の重要性は、我々一般国民の感覚とは、大きく異なっている。 本葬までは殯宮(ひんきゅう)伺候という儀式が連日続く。皇太后のご遺体が安置されている宮殿でお香をたき、三十分ほどすごす。皇族や宮内庁職員が、二十四時間交代でお側に付く。百五十日の喪服期間中は、歌舞音曲は一切禁止。 ある皇室関係者も率直に話す。 「皇太子妃のご欠席は前代未聞です。ありえないことが起きてしまった、と驚きました。武蔵野御陵まで行く皇族関係者のバス車内でも、欠席の話題には触れられない雰囲気でした。せめて御所の南車寄せで、柩のお見送りにだけでも、いらっしゃることはできなかったのでしょうか、それともよほど体調が…」 もし、本当に「夏バテ」だとすれば、宮内庁の健康管理の責任が問われるが、以前から雅子妃のお疲れの色は、記者たちの目にとまっていた。 「四月の『みどりの日』の集いで、香川県を訪問されたのが、ご懐妊報道以来、五カ月ぶりの公務復帰でした。この時、初めは頬に影があるのかと思うような、目の下に大きな隈ができていたんです」(皇室担当カメラマン) 別の宮内庁関係者も、こう証言する。 「雅子さまが、沈みがちなことは間違いありません。食欲も落ちていらっしゃいますし、眠れないということもあるようです」 国民が雅子妃の体調を気遣うのは当然のこと。「夏バテ」という宮内庁の説明は、「事態の重大さ」に対して適切だったのだろうか。 |
『文藝春秋』2005年3月号 岩井克己朝日新聞編集委員署名記事 <特集平成皇室の命運・私はこう考える「雅子妃を抱きしめた皇后さま」> |
『週刊文春』2006年3月23日号 悲劇のプリンセス「不適応」の理由 雅子さま友人・恩師・同僚…50人の証言(下) p.50より引用 |
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「Madeleine」(マドレーヌ)とは、Amazonで池田礼子・渋谷節子共訳『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』(トーマス・バーゲンソール著、朝日新聞出版2008/10/21)のレビュ...
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2008年1月25日長野県小布施町にある美術館「北斎館」にてを「駿州江尻」を見た雅子夫人が発した言葉(スレでは「ぅ~」を付与した形で定着している)。ttp://sankei.jp.msn.com/cu...
雅子夫人について夫徳仁が主張していること。「頑張り過ぎる」というのがお得意のフレーズである。同日シリーズやら翌日シリーズやらで雅子夫人の振る舞いを観察しているスレ住民奥様方からすれば( ´_ゝ`)フー...
平成24年(2012年)2月18日天皇陛下心臓冠動脈バイパス手術は世に大きく伝えられたが、その後のお見舞いを巡って、まともに打診もせずぐずぐずしていた東宮家の雅子が、秋篠宮妃殿下からのお見舞いスケジュ...
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学習院幼稚園に通っていた敬宮愛子ちゃんとその母雅子とが偶にやっていたこと。タイトー制作の電車運転シミュレーションゲームソフトのことではなく、雅子・徳仁夫妻の「(娘愛子に)一般の子供たちと同じ経験をさせ...
]No.日付見出し注目内容2131.7元日にも陛下のご負担軽減策年末の表参道…東宮大夫「良かった」の理由は?新年行事について新年ご一家撮影会裏話、一同並んで撮影している場面ではしりとり新年一般参賀、女...
広義では「東宮家雅子夫人に関する様々な問題事」を表す。この単語は『週刊新潮』2008年4月10日号<男の担任も「横ヤリ交代」 学習院初等科「愛子さまご入学」シフト>記事中にて「雅子さまマター」で登場し...
Part826スレッドのとある奥様(レス番号371・377・379)が、以前ここに書かれていた「迷惑外交武勇伝」という言葉が気に入ったとのことで、海外における雅子のgdgd振舞い事件を端的にまとめてく...