愛子の(_゚д゚)ポカーンな発言シリーズ

ページ名:愛子の(_゚д゚)ポカーンな発言シリーズ

敬宮愛子ちゃんがこんなことを言った、あんな言葉を口にしたなどと雑誌記事で流布されているが、読んだ人間が ( ゚д゚)ポカーン という感情を抱いてしまう、時に「どう考えてもそれ捏造じゃね?」と思われる発言をまとめたもの。

うさんくさいポイントとしては、愛子ちゃんが両親を呼ぶ際「お父さまorお母さま」と「パパorママ」の二通りがあり設定が統一されていないことや、「~だという」「~だそう」「~ようです」と伝聞が多く、中にはソース(証言者)もなく真偽の確認が不可能なものが存在することが挙げられる。

特に元女湯盗撮カメラマンにしてフリージャーナリストを肩書きとする友納尚子氏によって、嘘くさい言葉が多数発表されているのにも注目されたい。スレ住民奥様方からは度々「いったいどこでそんな会話の詳細を知り得たのか」「大正or昭和の少女小説のよう」「橋○壽○子脚本の台詞か」と、そのソースの怪しさと言葉遣いの古臭さが揶揄されている。今後の更なる充実は……いいかげんにしてほしいのが正直なところである。

関連項目:【優秀伝説】、【雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ
敬宮愛子ちゃんの発語・コミュニケーション関連:【ネ、ペ】、【ありがとうは言わないもん】、【やめろよ】、【向き合われた】、【ゴニョゴニョ】、【リーダーシップ】、【チィーッス】、【ごみ事件】、【Friend

目次

現実の愛子発語ニュース[]

かなり珍しい、敬宮愛子ちゃん発語(?)2008年10月25日現場取材ニュース。当時愛子は6歳10ヶ月である。

http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/081025/imp0810251108001-n1.htm(魚拓)

皇太子ご一家、写真展「皇后さまと子どもたち」をご鑑賞
2008.10.25 11:04
写真展「皇后さまと子どもたち」を鑑賞される皇太子さまご一家=25日午前、東京都中央区の日本橋高島屋(代表撮影)
 皇太子ご一家は25日午前、東京都中央区の日本橋高島屋で開催中の写真展「皇后さまと子どもたち」をごらんになった。
 ご一家は9時20分ごろ、車で開店前のデパートに到着し、会場の8階ギャラリーに移動された。
 皇后さまと皇太子さまが腕相撲をされるお写真(昭和39年2月撮影)の前では、皇太子妃雅子さまが「いつごろの(写真ですか)」と質問され、皇太子さまは「4歳かな」と答えられていた。
 また、敬宮愛子さまは雅子さまと手をつなぎながらご鑑賞。同じ年頃の皇太子さまのお写真を興味深そうに見て回り、「キャッ」と笑顔を浮かべられる場面もあった。
 写真展はお子様方と写られた皇后さまのお写真などを展示。皇太子さまは18日にも天皇、皇后両陛下、秋篠宮さま、黒田清子さんとごらんになっている。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00142966.html(魚拓)

皇太子ご一家、都内の百貨店で写真展「皇后さまと子どもたち」を鑑賞される
皇太子ご一家は、東京都内の百貨店で、写真展「皇后さまと子どもたち」を鑑賞された。
写真展は、両陛下の3人のお子さまが企画したもので、両陛下が撮影された子どもたちの写真などが展示されている。
幼稚園のころの写真について皇太子さまが説明すると、愛子さまが「きゃっ」と声を出して笑うなど、ご一家はおよそ30分にわたって鑑賞された。
(10/25 19:04)


同展鑑賞の秋篠宮ご一家と東宮一家新聞記事 悠仁親王殿下(当時2歳1ヶ月)について「ジイジ」「バアバ」「大きいパパ」の発語があったと複数報じられている。

写真展ご覧の秋篠宮ご一家と東宮家、それぞれの毎日新聞記事比較画像

愛子の発言シリーズ[]

原則、公式発表・報道からの引用。★印はレポによる報道概要。
グレー背景は、「パパorママ」使用等優秀伝説との落差が大きいもの。ピンク色背景は、一旦それなりの発語メディア報道が出たものの、後になってそれと矛盾する別報道が出てきた事例である。

2003年12月1日愛子2歳誕生日報道あたりから、「ネ、ペ」など、言葉を覚えはじめたことが報道される[]

★2004年12月誕生日発表、両親とのままごと遊びで「熱い湯気の出ているスープをどうぞ」と差し上げる。≪とくダネ! 愛子さま3歳誕生日≫

※「アツアツのスープを召し上がれ」のようなバージョンも。

お部屋には内線電話がありますが、愛子さまはその電話で直接、お料理を作る大膳に「ご飯、お願いします」とか「新聞を持ってきて下さい」等と言われるそうです。≪女性自身2004/9/21号 雅子さまを「助け」「励ます」愛子さまの「お手伝い電話」!≫
★2004年6月自閉症記事に不本意発表後、同年9月「うずらちゃん」と「ハープ」動画公表、パパママと呼ぶことについて言及。≪女性セブン2004/10/14号 異例ビデオ公開 愛子さま(2)皇太子さま(44)を「パパ」に波紋≫
(補足:2005年)12月1日、敬宮愛子さまは満4歳の誕生日を迎えられた。今春から週2回渋谷区にある児童施設『こどもの城』に通われているがこの1年の成長ぶりには周囲も目をみはるものがある。・・中略・・

集団生活にも慣れ、『こどもの城』の友達が風邪で休んだりすると、「来週は来れるかなあ」と心配されたりもするという。≪週刊女性2005/12/20号 スクスクのびのび4歳の愛子さまに 雅子さまの新たな「不安」! p.40≫

もうひとつ、最近ご興味があることは「お手紙ごっこ」だ。すでに平仮名は覚えて、お書きになれるという。愛子内親王は幼心にもお母さまを心配されているのか、雅子妃のお元気がないときの「お手紙ごっこ」では、こんなことが書かれていたという。

「ママへ きょうは、なにがたのしかったですか」≪友納尚子,雅子妃の明日p.202≫

私たちや周囲への心遣いもかいま見ることがあります。雅子が昨年の12月の誕生日の夕方に風邪で寝込んだ時も,その前に自分が風邪をひいたときによくしてもらったので,という意味のことを言って雅子の寝室にバースデーケーキを持って見舞いに行ったり≪2006/2/23徳仁46歳誕生日発表記者会見≫
「こどもの城」で,年下のお子さんに「愛ちゃんができないときにだれだれちゃんがしてくれたから」と言いながら手を貸したりすることがあるようです。≪2006/2/23徳仁46歳誕生日発表記者会見≫
2006年元旦に御所に上がる折に,門の所で一般の方や記者の皆さんが立っているのを見て「みんな寒い所で立っているからわんちゃんの手を振ってあげるの」と言っていたようです。≪2006/2/23徳仁46歳誕生日発表記者会見≫

※2006年元旦雅子&愛子参内映像キャプチャ画像で、愛子が手にしているのは小さな犬張子であると確認できる。「わんちゃんの手を振ってあげるの」という台詞には合わないと感じられてならない形状である。

2006年正月、御所に上がる際、犬のぬいぐるみを手にした愛子さまは「みんな寒いところで待っていてくれるから、ワンちゃんの手を振ってあげましょうよ」と、沿道の人にさりげない気配りを見せた。≪サンデー毎日2006/6/4号 優しさに包まれて 愛子さまとっておきのエピソード(学習院幼稚園新宿御苑遠足に向かう雅子&愛子1pカラーグラビア)≫
※だーかーらー、2006年元旦雅子&愛子参内映像キャプチャ画像からして、愛子が手にしているのは小さな犬張子では? 「ぬいぐるみ」というのは、2005年12月1日愛子誕生日参内車内におけるダールンお手振りと勘違いしている可能性大。当記事のいい加減さが窺い知れるものである。

大相撲中継で旭天鵬と玉乃島の対戦を見て「あっ、これ小結同士ね」と言う≪友納尚子『雅子妃の明日』p.202≫

※2006年1月場所を指しているかと思われる。


2006年4月、愛子学習院幼稚園入園[]

2006年4月11日学習院幼稚園入園式で、愛子が「ごく自然で すばらしい お嬢様です」と当日参加年配女性から評される事件発生。それが具体的に何を指しているかは不明だが、2ちゃんねる書き込みで「ばうあい/あ"う!あい!/あ"ぅ~ぅわぃ!」なお返事をしたというものがある(後掲)。

2006年5月学習院幼稚園遠足当日はあいにくの空模様だったが、雨脚がやや強くなった帰り際、傘を忘れてきたある親子に「ふたつあるからひとつ貸してあげましょう」 そう愛子さまが雅子さまにおっしゃったという。≪サンデー毎日2006/6/4号優しさに包まれて 愛子さまとっておきのエピソード(学習院幼稚園新宿御苑遠足に向かう雅子&愛子カラーグラビア)≫
2006年9月6日紀子さまが悠仁殿下をご出産されたとき、愛子ちゃんは「ママのお腹にも赤ちゃん出来るの?」と聞いたそう。≪週刊新潮2007/11/29号 愛子さまお気に入り「御料牧場のブタ」の運命≫
★2006年9月国技館大相撲観戦から帰って夕食の時に「本当に国技館に行ったの、夢じゃなかったのかしら」。弓取り式も「きれいだった」と喜び、観戦後は「ああ、おもしろかった」と感想を述べた。≪2006/9/15野村東宮大夫定例会見→日本経済新聞≫
雅子の心を痛める砂場事件が発生。ある昼下がり、学習院幼稚園の園庭で遊ばれていた愛子さま。お友達のところに駆け寄ろうとされて、お砂場で尻餅。お尻のあたりが砂だらけになってしまわれた。「それで先生が、その砂を払おうとしたのですが愛子さまは“ママじゃなきゃ~”とむずかられて…」学習院幼稚園関係者。≪女性セブン2007/7/19号 「ママじゃなきゃ」にご腐心 バスの次は電車。“さまざまな体験を”とお忍びで 雅子さまのひとりっ子教育――山手線とお砂場事件≫

幼稚園のとき、友達のところに駆け寄ろうとして尻餅をついてしまった愛子ちゃん。砂を払ってあげようとした先生に「ママじゃなきゃ…」とおむずかり←原文ママ
学習院関係者『(水遊びで)お尻が濡れた時、今までなら「ママーーー!」と叫ぶなど大変だったが、今回はそれもなく、そのまま昼食を食べていた。成長なさってる』≪女性セブン2008/6/5号 愛子さま芽生えたリーダーシップ自立心育てられた雅子さま流“お仲間教育”≫

愛子は引っ込み思案で母から離れると「ママはどこ」不安がったりするとの言及あり。≪女性セブン2007/10/11号 雅子さま1月完全復帰!2つの理由-極秘シナリオ進行中≫
2007年10月学習院初等科運動会御遊戯の後、

愛「ママ見てくれた?」
雅「楽しそうだったわね」
愛「ほんとに見てくれた?見てくれた?」
と何度も念押しと確認したという。≪女性セブン2007/10/25号 ドキドキしてたの忘れちゃった-皇太子ご夫妻、運動会でご声援/悠仁さま葉山の海岸ふわふわの手・愛子さま安堵の運動会はじける笑顔≫

愛子ちゃんはお友達のお母さんに駆け寄られ、人懐こい笑顔で「○○くんのお母さま、おはようございます」とご挨拶なさるそう。≪女性セブン2007/12/6・13合併号 愛子さま お手ふり5秒間のご成長―お友達のママにも自分からごあいさつを≫
運動会の際、緊張している様子のお友達に「○○くん、おゆうぎがんばろうね」と声をかけられる場面もあったそう。≪女性セブン2007/12/6・13合併号 愛子さま お手ふり5秒間のご成長―お友達のママにも自分からごあいさつを≫
★2007年12月26日は雅子一人で銀座にショッピングにお出かけの予定だった。直前になり愛子が「私も一緒に行きたい」と言って 二人のお出かけになった。ママにおねだりして実現したショッピング(原文ママw)。行ったのは老舗の百貨店。≪女性セブン2008/1/24号 愛子さまママにおねだり 銀座・青山満喫の冬休み≫
天皇も心配する「子育て」(段落タイトル)

「ありがとうは、言わないもん」
愛子内親王の養育担当者が幼稚園の送迎などの際、「ありがとうは?」と挨拶代わりの感謝の気持ちを相手に伝えるよう促したところ、内親王の口からこんな答えが返ってきた。
居合わせた園児の母親たちらは「一瞬凍りついた」という。一般的な礼儀作法はもちろん、常に周囲に感謝の気持ちを伝え、相手の気持ちや立場を忖度することが、皇族だからこそより強く求められるが、少なくともいまの内親王には、そうしたことが日常的な行動として身についていないのではないか、「しつけ」が十分になされていないのではないか、というのだ。園児の時から「聖人君子」像を期待するのは時代錯誤だが、天皇は気に掛け、側近らにそれとなく内親王の養育について相談しているというのだ。それほどまでに皇太子家の子育てが気になる状態、と天皇が捉えているところに問題の本質がある。
 愛子内親王が学習院幼稚園に入園する際、皇太子夫妻は、名前を「敬宮愛子」と表記するよう園側に要請した。これまでの例なら愛子内親王となっていただろう。愛子内親王の「公園デビュー」を試みたこともあった。一家揃ってディズニーランドや上野動物園に遊びに行き、東京駅周辺の年末のイルミネーションを見学している。こうした一連の行動は、皇太子夫妻が愛子内親王の養育を特別なものではなく、多くの一般家庭と同じような形で養育しようとしているように見受けられる。
 三年前に公開されたプライベートビデオに「パパもー」という愛子内親王の声を聞いて、「一般家庭となんら変わらない」とショックを受けた古参の宮内庁職員もいた。国民は皇室に対して、近づきがたい昭和天皇のイメージより、テーマパークに行ってぬいぐるみのミッキーマウスと戯れる一家により親しいイメージを持つ時代なのだろう。だが、それでいいのか、という思いを天皇は抱いているのではないか。≪選択2007年2月号 これでよいのか皇太子家の「変容」―両陛下もさぞや気掛かりのはず― p.111より引用≫


2008年4月、愛子学習院初等科入学[]

お手紙ごっこも好きで、最近では雅子に「○○へ行きたいですね」という内容の手紙を書いている。平仮名だけではなく、文末には「愛子より」と書いてあり、その上には東宮御所の住所が記入されている。≪週刊文春2008/4/24号 雅子さま「愛子さま育児日記」-「お言葉が少ない」バッシング報道への苦悩 学習院初等科ご入学までのご家族の「絆」 友納尚子記事≫
愛子が美智子さまからのプレゼントに喜んで「これ、ばばさまから頂いたのよ、嬉しいな」と職員に自慢≪週刊文春2008/6/12号 雅子さま再び囁かれるご病状 「新聞は読めるようになったけれど…」皇太子ご夫妻の日常 友納尚子記事≫
雅子がベッドで横になっている時は、父徳仁と過ごしたり、落ち着いて一人で遊ぶ時もある。「早く良くなりますように」「気分が悪いの飛んでけ~」と、可愛らしい声で雅子を励ましている。≪週刊文春2008/4/24号 雅子さま「愛子さま育児日記」-「お言葉が少ない」バッシング報道への苦悩 学習院初等科ご入学までのご家族の「絆」 友納尚子記事≫
学習院初等科学校行事では、愛子さまが離れたところからも雅子さまの姿を認めると、「ママ、ママ」と呼びかけることもあるという。≪週刊朝日2008/7/11号 ブラジル公式ご訪問 皇太子さまの「違和感」と雅子さまの「不在感」≫
別の宮内庁関係者が語る。

「愛子さまに『宮さま、学校は楽しいですか』とある職員が尋ねると 『私も忙しいの、だって、算数もやらなければならないし、国語の漢字でしょ、音読だってたくさんしなければ上手にならないのよ。ああ、忙しい、忙しい』とお答えになったそうです。可愛らしくて、思わず微笑んでしまいます」≪週刊文春2008/10/23号 愛子さま初等科六ヶ月「全情報」友納尚子記事p.153≫

ご静養中の雅子妃にとっても、愛子さまは背中を押してくれる存在になっているようだ。ご家族でお出かけになる時もお支度を早くすまされる。「お母さま行きますよー」と声を掛けられると、雅子妃もお気持ちが前向きになるという。≪週刊文春2008/10/23号 愛子さま初等科六ヶ月「全情報」友納尚子記事p.153≫
ご静養中の雅子妃にとって、愛子さまの子育ては回復に向けての目標でもある。雅子妃は(補足:2008年度)この一学期の学校行事に、すべて参加することができた。

愛子さまもそのご努力を知っておられるのか「うちのお母さまは本当にすごいのよ」と同じクラスのお友達に自慢されているそうだ。≪週刊文春2008/10/23号 愛子さま初等科六ヶ月「全情報」友納尚子記事p.153≫

この1年間で大きく成長された愛子さま。身長も高くなられ、クラスで背の順に並ぶとうしろから3番目だという。寒い日が続く中でも、愛子さまは休み時間には率先して校庭へ。「一緒にやりましょうよ」とお友達に声をかけられて、いまいちばん夢中なのが、なわ跳びだという。「うまく跳べたのよ」などと愛子さまは声を弾ませられているという。≪女性セブン 2009/3/19/号もうすぐ2年生、愛子さま(7)リボンえんぴつのリーダーシップ≫
(注:「6年生をおくる会」の練習にて)「この練習でも愛子さまは“少し斜めに差してあげると格好よく見えるのよ”、などとお友達に教えてあげたりされて、それは熱心に取り組まれているようです」(前出・学習院関係者)≪女性セブン 2009/3/19/号 もうすぐ2年生、愛子さま(7)リボンえんぴつのリーダーシップ≫

※2009年3月11日学習院初等科にて6年生を送る会実施。愛子ちゃんが恒例行事として6年生の胸ポケットにリボン鉛筆を差してあげたら、「ありがとう、これからも頑張ってね」と6年生から声を掛けられ泣き出してしまった事件発生≪『週刊新潮』3/26号、『女性セブン』4/2号、『女性自身』4/7号≫
前掲『女性セブン』3/19号<もうすぐ2年生愛子さま リボンえんぴつのリーダーシップ>のお子様と同一人物とは信じがたい振る舞い。「練習時になかった予想外の事態でパニックを起こしてしまったのでは?」とのスレ住民奥様お察しの声が上がる。

 現在のご夫妻の関係について、共通の知人は語る。

「ご夫妻は、特に日常では、アイコンタクトといいますか、お互いの目をよくご覧になっていると思います。
 そういった見つめ合いは愛子さまがお生まれになって以降、さらに頻繁になっています。お茶会にお2人が両側から手をつないで愛子さまを連れてこられて、愛子さまが何かゴニョゴニョ話されているのを、
『今、歯が抜けて聞きづらいでしょう。愛子は○○○○と言ってるんですよ』
 と殿下がフォローされるのを、笑顔の妃殿下が嬉しそうなまなざしで見ていらっしゃったこともありました」
 いま雅子さまを支えているもの……。それは3つの危機を乗り越えたことで築かれたご夫妻の絆と、愛子さまのご成長だった。 ≪女性自身2009年6月23日号<ご成婚16年 交流20余年の知人が明かす“最大の危機”と“苦悩の真実”! 雅子さま(45)「心が折れたあの日」軽井沢別荘「おこもり1ヶ月の異変」がご夫妻を変えた――> p.41≫

(補足:2009年)11月28、29日に行われた文化祭「初等科祭」で、愛子さまの硬筆習字を見た父兄は、口々に冒頭のような感嘆の声を上げたという。

 「筆圧の強い字が升目いっぱいに書かれていて、力強さを感じました。また、玉ねぎとびわの木の葉で染めた毛糸で作った六角形の『秋色のかざり』も話題。だって、たちどころに愛子さまの好物がわかってしまうんです」(さる父兄)
 下に貼られた「毛糸をそめて気がついたこと」。愛子さまはこんな感想だった。
 “みょうばんはナポリタンみたいでオレンジ色”
 “あくはたらこスパゲッティーみたいでピンク色”
 “おはぐろはそばみたいでグレー色”……。
「よっぽど麺類がお好きなんだ、と思わず笑ってしまいました。でも、他の児童の場合は“毛糸がきれいに染まってびっくりした”みたいな感想が多かっただけに、愛子さまの表現は目立っていました」(同)
 29日には、皇太子殿下、雅子さま御夫妻が、初等科を訪れた。お目当ては、正堂で行われた2年生の劇『もしものうた』である。
「人間の子供が、魔法使いの子供に願いを叶えてもらうという話。愛子さまの役は、魔法使いの子供の一人でした。黒のトンガリ帽子とマントを羽織って、星のマークを先に貼ったスティックを“こっちゃ”なんていう呪文を唱えながら、振り下ろしていたのが可愛らしかった。2日間とも愛子さまは“次、何する?”“○○に行きたい人?”などと聞きながら、お友達の中心になって校内を走り回っていました」(別の父兄)
 10月の運動会でも「かけっこ」で一等賞と“文武両道”の愛子さま。12月1日には8歳のお誕生日を迎えられ、ますます初等科生活を満喫されそうだ。≪週刊新潮 2009/12/10号 TEMPOタウン 愛子さまの「好物」がわかった学習院「初等科祭」≫

※硬筆習字画像にある「サンゴの海には~」で始まる文章は、小学2年生国語教科書に用いられている本川達雄著「サンゴの海の生きものたち」である。

愛子ちゃんには学内イベントで一緒にお弁当を食べるなど5~6人の仲良しがおり、休み時間には「誰が走るの?」「三角ベースは?」と次々に提案するなどリーダーシップを発揮。≪女性自身2010/3/2号 雅子さま・愛子さま「新としちゃんチーム」作りへ母心サポート!≫
たしかに、愛子さまには引っ込み思案な面はおありになるそうだが、実はこれまでも“やんちゃ伝説”に事欠かないのだ。ある学習院関係者は、

「昨年の初等科祭で、数人の友人と遊んでいらっしゃる愛子さまをお見かけしましたが、“次に何するか決めるよ”と仕切られ、“お弁当を食べるか、展覧会を見に行くか、選んで”とおっしゃって手を挙げさせると、“わかった、じゃ次はこうしよう”とご自分でお決めになった。グループの中でもリーダー格でしたね」
 と、頼もしい逸話を披瀝する。
≪週刊新潮2010/3/18号 やんごとなき学習院のベールが覆い隠した「愛子さま」不登校の全真相≫


2010年3月5日、学習院初等科2年3学期に、愛子の不登校が東宮大夫定例会見にて発表[]

2010年3月5日大々的に公式会見発表された愛子不登校の理由について、野村一成東宮大夫が波多野敬雄学習院院長に語ったとされる諸々の台詞。詳しくは【愛子さまが怖いと言ったら怖いんだ】参照のこと。

「困った、困った。愛子さまが、怖いと言っている」
「ご本人(=愛子)が怖いと言われるんだからしょうがないじゃないか」
「愛子さまは、怖いと思う度合いが強いのだから」
「愛子さまがそう言っている話なんだから、しょうがないじゃないか」
「普通の子なら危険と思わないことを、愛子さまは危険と思ってしまうんだよ」

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00173863.html(FNNニュース魚拓)

皇太子ご夫妻、愛子さまについて「皆さまにご心配をおかけし、心を痛めております」
皇太子ご夫妻は19日、長女・愛子さま(8)が通学への不安感を訴えていることについて、「国民の皆さまにご心配をおかけし、心を痛めております」とのコメントを発表した。
宮内庁によると、皇太子ご夫妻は今後について、学校と「よく相談しながら良い解決を見いだしていかれれば」と述べられたという。
また、18日、両陛下との昼食に愛子さまが同席したことについて、愛子さまが「わたしもご一緒に」と希望したことから実現し、「和やかに楽しいひとときを過ごされた」と説明した。
(03/19 17:06)

 (補足:2014年)三月まで愛子さまが通っていた初等科関係者が、忸怩たる内心を打ち明ける。

「愛子さまの現状を拝見していると、初等科時代に“宮さまシフト”が出来あがったことにより、女子中等科にも同じ程度の対応を求めているように見えるのです。学習院側は『ここまでなら対応してもらえる』という間違ったお墨付きを皇太子ご夫妻に与えてしまった。学校側もマスコミには『特別扱いしない』などとコメントしておきながら、雅子さまのお付き添い登校や、山中湖への校外学習のご同行も、結局は許可してしまっている。普通ならあり得ない迎合です。
 最大の問題は、愛子さまご自身が、自分の直すべきところを全然分かっておられず、環境的にも気付く機会がないままにお育ちになっているということです。
 実はお付き添い登校が続いていた頃にこんなことがあった。主管のU先生が、愛子さまに事情の聞き取りをしたことがあったが、「その際、愛子さまは『初等科の先生大嫌い』とおっしゃったのです。呆然としつつも、U先生が理由を聞くと、『私の言うこと聞かないから』とあっけらかんと答えられたのだそうです。私もさすがに驚きました。
 愛子さまは廊下で先生とぶつかっても、『ごめんなさい』の一言もおっしゃらず、『ぶつかったらごめんなさいじゃないの?』と注意されても、ジロッと見るだけで終わりです。効果がない。皇族とはいえ一生徒なのですから、先生方はもっと毅然とした態度で対応すべきだった。ただ、家に帰ればご両親や職員は愛子さまの言うがままで、甘やかされ放題なのだろうと感じたのも事実です。
 東宮側もご自分たちの言動が周囲にどう影響するか、もっと認識すべきです。野村大夫に“乱暴な男児”と言われた生徒の一人は、他県の中学に進学しています。学習院に居づらくなったのでしょう」(同前)
 小誌は当時の主管であるU氏を直撃した。「先生大嫌い」というご発言の有無を尋ねたところ、U氏はこれを否定せず、「私は何もお話しできない」と顔を伏せたまま足早に去った。
≪週刊文春2014年7月10日号 学習院関係者が悲痛告白 愛子さま衝撃のお言葉「先生大嫌い。私の言うこと聞かないから」皇太子・雅子さま“叱らない子育て“の果てに…(同号中吊り)≫

「ジューンブライドのお嫁さんは幸せになれるんですって。やっぱりね」

「愛ちゃんは幸せ?」
 雅子妃が問いかけると、愛子さまはこうお答えになったという。
「うーん、幸せよ。学校が楽しければ、もっと良いんだけどなー」
 六月九日、皇太子ご夫妻はご成婚十八年目を迎えられた。愛子さまはこの日を以前から楽しみにしておられ、「ジューンブライドのお嫁さん」の話を雅子妃にされていたようだ。≪週刊文春2010/6/17号 p.150 友納尚子署名記事≫

 初等科ご入学と同時に、学習院幼稚園の園長から請われて入った東宮女官が、愛子さまのお世話をするときもあるが、基本的には雅子妃が行っているという。遅れがちな学校の勉強も教えられているそうで、愛子さまは「家のお父さまとお母さまは何でも答えられるのよ」と自慢げにお友だちに話されている。≪週刊文春2010/6/17号 p.151 友納尚子署名記事≫
愛子さまは、主管に夏休みの絵日記を渡す時、「海で思いっきり泳いできました」≪女性セブン2010/9/23号 新たなお気持ちで…愛子さま、悠仁さまそれぞれの9月6日≫

プール授業全欠席の設定をすっかり忘れているようである。

 楽しい夏休みの後の憂鬱な新学期。学校に行かなければならないというお気持ちと、行きたくないというお気持ちの葛藤を宮内庁関係者が明かす。

「6日の朝、ギリギリまで何度か説得されたのですが、あまり無理にするのも……ということで、妃殿下がお付き添いになったのです。
 愛子さまは学校に行きたくないことを、独特の言い回しで訴えます。“お友達に給食を食べられない子がいるけど、無理やり食べさせるのはよくないと思うの”などと、友人の話を自分に置き換えるような言い方をされるそうです」
 始業式の朝も、「学校に行くのが嫌だ」という言葉がでたわけではなく、周囲が察したのだという。
≪週刊女性2010/9/28・10/5合併号 愛子さま 雅子さまに付き添い“おねだり”も2学期4日目から「不登校」! p.33より引用≫

「(補足:2010年9月6日)始業式当日の朝、愛子さまは『学校に行きたくないの…』と、雅子さまに涙ながらに訴えたのです」≪女性自身2010/9/28号 愛子さま「ママ、運動会が怖い…」雅子さま母心砕けた“涙の訴え”≫

※一方、週刊女性2010/9/28・10/5合併号では、始業式の朝も「学校に行くのが嫌だ」という言葉が出たわけではなく周囲が察したと記し、自身記事とは矛盾することに。

★愛子さま「観光バスの人たちに見つめられて怖くなったの…」知人に打ち明けた「2学期の不安」 !

9月16日、2学期で5日目の欠席をされた愛子さま。心配した皇太子ご夫妻の知人に、愛子さまは密かに胸中を打ち明けられたという。始業式の下校時、近くにいた観光客たちが、愛子さまに気付き、携帯電話やカメラで写真を撮り始めた。それに驚かれた愛子さまは『見つめられて怖くなったの……』とトラウマ体験を……。そして、“同級生男児に再び乱暴を受けるかもしれない”とも明かされたという。「2学期の不安」の真相を独占キャッチ!≪女性自身2010/10/5号記事タイトル・広告≫
2010年9月6日始業式の日の下校の際、迎賓館の近くに観光バスが。「バスの観光客たちは愛子さまの方を注目し、携帯電話やカメラで写真を撮り始める人々も。
「突然のことだからということもあったのでしょうが、愛子さまは観光客たちの様子にとても驚かれたそうです」(東宮関係者)
愛子を心配した皇太子夫妻の知人が2学期スタート後に東宮御所に参内。その知人に愛子は『バスの人たちに見つめられて怖くなったの…』。その後の2学期連続欠席の陰にはこのときのトラウマがあったようだ。≪女性自身2010/10/5号記事要約≫

★2010年9月1日、那須静養から帰京する際、皇太子夫妻は見送りの人々への挨拶を愛子に促したが、愛子は車の陰に隠れてしまった。皇太子夫妻の知人は、この時、車の陰に隠れた理由も愛子に尋ねた。

「すると愛子さまは『…だって、怖かったの…』とお話しになったそうです。そのうえ学校では“同級生男児に再び乱暴を受けるかもしれない”という不安を感じていることも明かされたそうです」(東宮関係者)≪女性自身2010/10/5号記事要約≫

 愛子さまと三角ベースをやった職員から聞いた関係者の話では、

「塁を踏み忘れたところ、“スポーツマンシップがないですねえ”と可愛らしいお叱りを受けたといいます。これには職員達も苦笑いで“宮様のおかげで東宮職は和ませていただいている”と話していました」
・・中略・・
 今月の運動会が終わって東宮御所に戻られたご一家は、皇太子(原文ママ)が撮影したビデオをご覧になられた。
 愛子さまは映像画面をご覧になりご夫妻に説明されながら再び歓喜されるなど興奮冷めやらぬご様子だったという。
そして、「スポーツマンシップにのっとりみんなで頑張ったのよ」と微笑まれたという。≪週刊女性2010/11/2号 愛子さまご自宅で三角ベース中職員のズルに「スポーツマンシップに反します!」発言友納尚子署名記事p.39≫

友納尚子署名記事三角ベースエピソードについて、翌週発売の『女性自身』2010/11/9号がそんな事実はまったくない、誤報だと記す。三角ベース話が捏造なら、それと関連する運動会後ビデオを見ながらの愛子発語も同様に捏造の可能性が高いと見て然るべきだろう。
 また、美智子さまのお誕生日の前日(補足:10/19)、ある女性週刊誌は愛子さまが東宮職員たちと三角ベースをされたという記事を掲載した。これについても東宮侍従は苦言を呈した。
「三角ベースをやっているという記事は誤報なのです。私が職員たちに確認したら、そんな事実はまったくなかったのです。
それなのに愛子さまのセリフまでついて記事になっているなんて……」 ≪女性自身2010/11/9号 雅子さま(46)美智子さま(76)お言葉に奮起の秋――「愛ちゃん、学校へ行きましょう!」p.42≫

★まだまだ不規則な通学が続いているが、最近の愛子さまは(2010年)11月27日と28日に開かれる『初等科祭』に向けて忙しい日々を過ごしている。

・「初等科祭は各児童の絵や工作が展示され、体験プログラムなども企画されるなど、遠足や運動会などと並んで大きな行事のひとつ」(学習院関係者)
・愛子さまが発表した、一昨年の紙粘土の作品や絵、昨年のタペストリーや土器、硬筆の書写などの作品は注目を集め、劇では魔法使い役も務め盛大な拍手も受けていた。(学習院関係者)
・去年(=2009年)は次のような光景も。
「初日は女の子の友達数人とにぎやかに校内を見学されていた。(以下太字)口に手を当てながら“え~やっだ~うそ~”と普通の小2の女の子と変りない会話をされていたり、“次は何を見る?お弁当にする?”とリーダーシップをとられていたり、その後の不登校問題が信じられないほど、のびのびと楽しそうなご様子だった」(保護者のひとり) ≪週刊女性2010/12/07号 愛子さま運動会に続き「文化祭」の合奏と工作でさらに自信を取り戻す!≫

「これ持ってて!」と、お友達に自分のプログラムを預ける愛子さま。それが自分のものではないと気づくと、「これ、あたしのじゃないじゃん!」 と、ハキハキとした、とても元気そうな声が周囲に響いた。

 (補足:2010年)11月27日、28日に行われた学習院初等科の「初等科祭」(文化祭)でのひとコマだ。活発な3年生の愛子さまをSP(警備)が必死になって追いかけていたという。
 学習院関係者の話。
「上級生が野球やテニスのボールを投げて、それを打つ『チャレンジコーナー』がありました。野球は人気で、愛子さまも15分ぐらいお友達と並んでいました」
 2日間の初等科祭の最中に愛子さまは、お友達と一緒に食堂で給食を召し上がったそう。これは今年の3月以来のことだという。
 午後は、演劇クラブの出し物『トイレの花子さん』を楽しまれたという。
「愛子さまは手を叩かれながら、大きな口を開けてゲラゲラと笑われていましたよ。
 校内を活発に動かれて、やっぱりかなりお元気なんだな、なんでまだ同伴登校しているのかと思いました」(同・関係者) ≪週刊女性2010年12月21日号 47歳お誕生日直前 雅子さま決意の「マスク着用」 p.34≫

http://www.cyzowoman.com/2010/12/post_2740.html
サイゾーウーマン:噂の女"神林広恵の女性週刊誌ぶった斬り!【第56回】より抜粋
3位「雅子さま 決意の『マスク着用』!」(「週刊女性」12月21日号)
 ちょっと驚いた。この皇室記事の内容は、運動会以降お元気になった愛子さまと、彼女に同伴する雅子さまが、インフルエンザ対策なのか白いマスク姿だったということを紹介したもの。その中で愛子さまと友人との元気なやりとりが、記述されている。
「これ、あたしのじゃないじゃん!」
 "じゃん"か!" じゃん"言葉は、現在かなり普通に使われている。しかしかつては、神奈川県地方の方言であり、日本語の乱れだと眉をひそめる人もいた。それが今や、皇室でも使われているのだ。時代を感じた。

 この(補足:2014年中等科に進学して遅刻が急増した)愛子さまの“異変”について、別の学習院関係者はこう分析する。
「愛子さまはコミュニケーションがお上手とは言えないんです。たとえば、初等科の卒業式のときも、報道のカメラを前にちゃんとご挨拶もお辞儀もなさらなかったでしょう。環境の変化について行けていないのではないでしょうか。 中等科の新しいお友達とは積極的に仲良くしようとはされていません。登下校では、梅雨の蒸し暑い天候でも、顔を隠すように肌色のマスクを着けていて、ご表情もわからない。クラブ活動もなさっていないようですから共通の話題が少ないのかもしれません。
 一方で、初等科で六年かけて慣れ親しんだお友達に対しては、ちょっとぶっきらぼうとも見えるほどの態度をなさるんです。たとえば、隣にいたお友達に突然、ご自分の持ち物を持たせて、自分がしたいことを始めてしまったりされるんです」
≪週刊文春2014年7月3日号 皇太子訪欧直後の「非常事態宣言」! 雅子さまと愛子さま 「登校拒否」再発と「23時の食卓」p.37≫

 加えて、(補足:2010年)11月27、28日に行われた初等科祭(文化祭)での愛子さまのご様子を皇室ジャーナリストが続けてこう話す。

「野球クラブが催した、フリーバッティングの体験コーナーがあって、そこに愛子さまがお友だちとやって来ました。愛子さまはお友だちに“ちょっと、これもってて”とパンフレットを手渡すと、[左手|左バッターボックスに入った]]。愛子さまは右利きのはずなんですがね。上級生が投げる球をずっと空振りし続けていましたが、ようやくセカンドゴロを打ち返すとはしゃいでいましたよ」
≪週刊新潮 2010年12月30日・2011年1月6日合併号 女性皇族3人の深刻なる懸念▼『ウィリアム王子』結婚式参列に意欲という『雅子妃』に吹いた北風 p.36≫

★愛子不登校についての異変を感じたのは侍医。風邪を引いた愛子を診ている時、「もう学校に行けますね」との問いに、愛子は「学校に行くと食欲がなくて給食が食べられないから今日はお休みするの」

 愛子は静養中の母雅子に気をつかい、「あんまりお母さまには心配をかけたくないの。だって、ご病気でしょう。可哀そうになってしまうから」
 最近の愛子は相撲よりも野球に夢中で、プロ野球選手名鑑を愛読している。東宮職員たちと三角ベースをすることもあり、ベースを踏み忘れた職員が「スポーツマンシップに反します」と叱られた。愛子さんの笑顔が続くことが、雅子の回復に繋がっている。 ≪文藝春秋2011年1月号友納尚子署名記事 雅子妃は愛子さまを甘やかしているのか≫

≪週刊女性2010/11/2号 愛子さまご自宅で三角ベース中職員のズルに「スポーツマンシップに反します!」発言友納尚子署名記事p.39≫に書かれた「スポーツマンシップ」再登場。≪女性自身2010/11/9号 雅子さま(46)美智子さま(76)お言葉に奮起の秋――「愛ちゃん、学校へ行きましょう!」p42≫との齟齬について知らぬ存ぜぬポーズを取り続ける友納尚子である。

★2010年12月7日学習院初等科3年生の神奈川県かまぼこ工場社会科見学について。

・(以下太字)そもそもこの社会科見学には、学習院と皇宮警察による超異例ともいえる“愛子さまシフト”が敷かれていたという。
・かまぼこ工場見学は、ここ数年、初等科3年生の恒例行事となっているが、児童たちは大型バスで東京から小田原まで移動する。当日の集合場所は例年、学習院の目白キャンパス。なぜなら、四谷にある学習院初等科の敷地内には車両の乗り入れが出来ないからだ。
・しかし今年は、四谷の初等科が集合場所になった。
「初等科前の道路にバスを止めて、児童たちはそこに集合することになりました。というのも、(以下太字)当初は、愛子さまも他の児童と一緒にバスで行かれるという予定になっていたからです。愛子さまの負担にならないようにと、お住まいの東宮御所に近い初等科前に集合という措置がとられたわけです」(別の学習院関係者)
・初等科3年生は東西南北の4クラスからなるが、用意されたバスは3台。
(以下太字)「通常なら4クラスを3台に振り分けるのですが、今年は愛子さまが在籍される南組以外の3クラスの児童たちが、2台のバスに分乗し、南組だけが1台のバスに乗ることになりました。これも愛子さまがリラックスできるようにとの配慮からではないでしょうか」(前出・学習院関係者)
・(以下太字)皇宮警察は、愛子さまもバスで移動されることを想定して、入念な事前調査を行い警備シフトを組んでいたという。特に今回は東京、神奈川と二つの都県をまたぐため、神奈川県警とも連携をとり、幾度もシュミレーションを重ねて、万全の警護体制を敷いていた。
・ところが出発の直前になって予期せぬ事態が皇宮警察、学習院初等科を慌てさせることになった。通常、社会科見学には保護者は同行しないため、宮内庁も、雅子さまが同行されるという予定は立てていなかった。だが前日になって愛子さまが雅子さまにひと言こうお願いされたという。
(以下太字)「ママが行ってくれるなら、一緒に行きたい。ママも行こうよ」
・このあと、関係者は右往左往することに。≪女性セブン2011/1/1号 皇太子妃雅子さま皇宮警察も大混乱「かまぼこ事件」≫

 皇室ジャーナリストがこう言う。

「大抵、3時間目の授業から登校されていますが、学校の滞在時間が長くなり、6時間目の授業を受けてから帰宅されることも多くなった。先生から聞いた話では、休み時間になると校庭に元気よく飛び出して、ドッジボールなどを楽しんでいるそうです」
 さらに、こう続ける。
「愛子さまは福岡ソフトバンクの内川聖一選手のファンで、そのモノマネを披露されたり、お笑い芸人のように“なんでやねん”とツッコミを入れて、おふざけになっていることもあると聞きました」
≪週刊新潮2010/12/30・2011/1/6号 女性皇族3人の深刻なる懸念 「ウィリアム王子」結婚式参列に意欲という「雅子妃」に吹いた北風 p.36≫

★皇太子夫妻が公務で不在となると、愛子さまの登下校が気がかりだが、東宮職員の間では意外な効果を期待する声もあるという。

「愛子さまも近ごろ“ひとりで行ってみようかな~”と、ぽつりと漏らすことがあるそうです。雅子さまも訪問をきっかけに、親離れ子離れできればとお考えでは、と職員は話していました。皇太子さまも、そろそろ母娘がひとり立ちしたほうがよいとの考えをお持ちだそうです」(元・東宮関係者)≪週刊女性2011/2/22号 英国訪問検討の波紋早くも心配される雅子さま「帰国後のバッシング」!≫

 東京では、前日からの雪が雨になった(補足:2011年2月)12日。天皇陛下が退院された日の午前、皇太子ご一家は都内にあるスケート場(補足:江戸川区スポーツランド付属リンク)に向かわれた。

「愛子さまはマイシューズをご持参で、ご夫妻が見守られる中、お友達と軽く準備体操をされていました。何でも以前ご利用になっていた明治神宮外苑のリンクよりも“ここの氷がいい”といわれているようで、お帰りのときも笑顔でした」(宮内庁関係者) ≪週刊女性2011/3/1号 天皇陛下「心臓異常」入院で改めて「公務軽減」を! p.41≫

 雅子さまは愛子さまの登校問題で、1年以上にわたって登下校に付き添い授業を参観。今年9月中旬には山梨県での2泊3日の校外学習に同行した。しかし愛子さまは9月27日、1年半ぶりに雅子さまの付き添いなしで登下校。10月8日の学習院初等科の運動会では皇太子ご夫妻が保護者席から応援した。雅子さまはこの日、近くの席の保護者と会話し、笑顔が見られた。

 学習院関係者が話す。
「愛子さまは学校で元気にご学友と遊んでいます。休み時間には愛子さまが『みんな、集まって!』『今日はドッジボールをしまう』と皆に声をかけるなど、リーダー的な存在になられてきているようです」
 その後の愛子さまの入院に、同級生の父母の一人が言う。
「11月上旬の初等科入試の際に、学校が約1週間お休みになります。同級生らが御所に招かれる『お楽しみ会』が予定されていましたが、愛子さまのご入院で中止になりました」
 関係者によると、ある日、愛子さまのクラスで「将来どんな仕事をしたいか」という話題になった。子どもたちは「大学に行った後、ケーキ屋さんになりたい」「プロ野球選手になってホームランを打つ」「宇宙人がいるかどうか確かめるために宇宙の研究者になる」と盛り上がった。だが、愛子さまはほとんど発言しなかったという。
「それはそうかもしれませんね。自由に職業を選べるわけではないご自分の立場を分かっておられるでしょうから、おつらい気持ちだったのかもしれません」(学習院関係者) ≪サンデー毎日2011/11/20号p.125より引用≫

★2011年11月5日東大病院退院時、愛子さまは病院からうさぎのぬいぐるみが飾られたピンクの花束をプレゼントされ、「あ、うさぎちゃん、かわいい」ととても喜んだ。マスクはしていたが、車までの足取りはスキップするように軽やか。(病院関係者)≪女性セブン2011/11/24号≫
★2011年12月3日学習院で行われた「小さな小さな音楽会」。チェロ担当の愛子さまは、ほかの部員たちとともに「上を向いて歩こう」「世界に一つだけの花」を演奏。その打ち上げで集った父兄ひと組ずつに、頭を下げて回るマスクをつけた雅子妃。「『風邪気味なもので、マスクのままで失礼します』、『いつも仲良くしてくれてありがとうございます』と、何度もお辞儀をされていました」(学習院管弦楽部関係者)

雅子さまは1時間超の打ち上げの間、ずっと他の保護者らと時には声をあげて談笑。ただ、お疲れのためか、その後は別室で1時間ほどお休みになってから愛子さまと帰られた。
「(演奏後)愛子さまは、年下の女の子を見つけると、『あ~!』と声を上げて笑顔でハイタッチされていました。『聴いてた?聴いてたかい?』と満足そうに笑顔を見せられていました」(同関係者)≪週刊文春2011/12/15号 雅子さま「離婚説」も出た不適応10年「噂の全真相」―「聴いてたかい?」演奏会の後ハイタッチで喜んだ愛子さま。公園デビュー、ディズニーランド・ジャック、校外学習お付き添い…母と子の「事件史」完全版≫

 六歳のころには雅子妃と歩いて近所の動物病院にお忍びでお出かけになった。

 この外出は、愛子さまがまだ見たことのない動物病院を見学させるという社会教育も兼ねていた。愛子さまは目を丸くしながら病院内をご覧になって「動物のにおいがする」というと雅子妃は「何の動物かしら?」と質問した。愛子さまははにかみながら「ワンちゃんかなあ。でも私、ワンちゃんよりお母さまの良いにおいのほうが好き」とおっしゃったという。 ≪文藝春秋2012年1月号 雅子「皇后」は公務に耐えられるのか(友納尚子署名記事)p.112≫

 最近、こんなことがあったという。

 5年生になると、授業内容も高度になってくる。専科の先生が担当する算数のテスト問題に対し、愛子さまはこう発言した。
「先生、このテスト、ちょっと難しいです。難しすぎると思います」
 その後に行われた父母会で学校側から、次のような説明があったという。
「算数のテスト問題について子どもたちから指摘があり、配慮が足りない部分が確かにありました。今後はもう少し、児童の理解できる内容に改めます」
 その後、テストの問題数は一気に半分に減った。≪サンデー毎日2012年7月22日号 いまだに授業参観「子離れ」できない雅子さまpp.26-27より引用≫
※なお当サンデー毎日同号発売当日、宮内庁東宮職名義で宮内庁HPにて抗議・訂正要求発表がされている。

 (補足:2013年)夏休みにも、この英語セミナーとは別のセミナーも受講されている。これは4日間の短期集中型のセミナーで、朝から午後まで、みっちり英語を学ぶ。

 このセミナーは4年生から受講可で、愛子さまは3年連続で参加されており、今年のセミナーでは、愛子さまの英語力の高さを物語るシーンがあった。
「最終日に受講生たちはグループに分かれて英語劇を披露しました。愛子さまたちのグループは“入国審査を受ける家族”という劇でした。愛子さまは審査官に家族を紹介する母親役だったんですが、“マイ サン!(my son)”と大きな声で紹介した男の子が明らかに愛子さまより背の高い男の子で、観劇していた他の受講生や保護者からは大きな笑い声があがっていました。見学にいらしていた雅子さまもとてもお喜びでしたね」(前出・学習院関係者)≪女性セブン2013年12月5日号≫

愛子優秀伝説の一環であると思われるが、小6なら単語でなく“He is my son.”“This is my son.”といった文にできないのか?というスレ住民奥様感想あり。

2014年3月13日キッザニア東京をお忍び訪問 入館者が限定される「卒業おめでとうナイト」(小学6年生とそのご兄弟、及び保護者の方限定)か?

「『Good evening! My name is Aiko!』楽しそうな女の子の声がスピーカーを通じて館内に流れた。しかしこの“Aiko”が皇太子さまご夫妻のご長女・愛子さまだと気づいた人はほとんどいなかっただろう。愛子さまに同行したのは2人のお友達とそのお母さんたちのみで、皇太子ご夫妻もいらっしゃらなかった。護衛も必要最少人数だったため、館内でも愛子さまに気づく人は、あまりいなかったという。90種類以上の職業や習い事が体験できるこのテーマパークで、愛子さまが特に体験されたがったのは、ラジオDJ。ブースでは十数種類ある台本から1つ選び、まずリハーサルを。本番ではディレクターの合図で、台本を読んだりコメントしたりするが、その声は実際に“キッザニアの街”に流れるのだ。」≪女性自身4/1号≫

2014年3月18日学習院初等科卒業式<「学習院初等科」卒業式に「宮内庁記者」と激しい冷戦「愛子さま」お言葉の機会を断固拒否した「雅子妃」>≪週刊新潮3/27号≫

「「卒業式」と書かれた看板の前で記念撮影した。報道陣から「ご卒業おめでとうございます」と声がかかると、愛子さまは、はにかんだ様子で会釈した。皇太子さまは「ありがとう」と応じた。」≪毎日3/18≫【緊張
「報道陣から「卒業おめでとうございます」と声をかけられると一礼して応え、はにかんだような表情でご夫妻と記念撮影に臨まれました。そして、皇太子さまが「ありがとう」と笑顔で祝意に応えられました。卒業式ではご夫妻が見守るなか「敬宮愛子」と名前を呼ばれると、「はい」と答えて壇上に進み、初等科の校長から卒業証書を受け取られたということです。」≪NHK3/18≫
「卒業式では「敬宮愛子」と名前を呼ばれると、はっきりした声で「はい」と返事をし、卒業証書を受け取ったという。」≪NNN3/18/魚拓≫
「愛子さまは初等科の正門前で記者団から初等科生活について問われると、「楽しかったです」と答えた。」≪朝日3/19≫
「愛子さまは卒業式に向かう際、初等科生活について聞かれ、「楽しかったです」と答えられた。」≪読売3/18≫

~~これら「楽しかったです」返答報道は後付け捏造だったと後日判明~~
「お声が聞けずに落胆する記者会に対し、卒業式が終わった頃、東宮職からご様子メモが配布された。『楽しかった』はメモで追伸。残念ながらあの場ではそのお言葉はまったく聞き取れませんでした。(宮内庁担当記者)今回の卒業式のご様子は国民に良い印象を与えませんでした。愛子さまはご挨拶もきちんとなさっていなかった」≪週刊文春4/3号≫
「初等科卒業式では我々の“いかがでしたか”との問い掛けにはお答え頂けず、愛子さまの肉声を6年間聞けずじまい」≪週刊新潮4/17号≫


2014年4月、愛子学習院女子中等科入学[]

スタッフも呆れた「ごみ」事件

 中等科進学直後の日曜日にはこんなことがあった。目白の学習院大学で行われた「オール学習院の集い」に愛子さまが参加されたときの出来事だ。その場にいたスタッフが話す。
「愛子さまは射的や輪投げが楽しめる『お楽しみ縁日』にお友達といらしてました。するとベンチがあるにもかかわらず、マスクを胸のポケットに入れて、お菓子を立ち食いし始めたのです。そしてそのベタベタした包み紙を、愛子さまは近くのスタッフへ差し出し、たった一言『これ』と仰った。スタッフが『捨てたいの?』と尋ねると声もなくうなずきました。それだけではありません。次に愛子さまはご自分の鼻をかんだあとのティッシュを、『ごみ』とだけおっしゃり、またスタッフに差し出したのです。引っ込み思案の裏返しなのかもしれませんが、スタッフは呆れ顔でした」
 こうした愛子さまのご様子を傍で見ている東宮侍従ら側近もいるのだが、教育掛ではないため、その場で愛子さまに注意をすることはできないという。
≪週刊文春2014年7月3日号 皇太子訪欧直後の「非常事態宣言」! 雅子さまと愛子さま 「登校拒否」再発と「23時の食卓」 pp.37-38より引用≫

(補足:2014年)五月二十七日に高円宮家の次女・典子さまと、出雲大社の宮司の長男・千家国麿さんの婚約会見が行われた。

 皇太子と典子さまは幼少の頃から音楽の演奏をともにされるなどのご交流があり、雅子妃も高円宮家には思いが深いと言われた。
 雅子妃は会見のご様子をテレビでご覧になられて、若々しいお二人を微笑ましく思われたといわれた。その横で愛子さまも「とてもお幸せそうね」とおっしゃったという。≪週刊文春2014年10月30日号 ザ・プリンセス雅子妃物語特別編 愛子さまの「反抗期」と雅子さまの葛藤(友納尚子)p.43より引用≫


学習院幼稚園入園式にて愛子が「ばうあい/あ"う!あい!/あ"ぅ~ぅわぃ!」なお返事をしたというその「自然」ぶりについて[]

  • 愛子ちゃんが心配PART7スレより<

401 可愛い奥様 sage 2006/04/23(日) 14:46:52 ID:BLyq0Y0s
>元気良く「はい。」と答えた。

正確には「ばうあい」だったとか。未確認情報ですが。
あれだけ入園式に人がいて、なに一つ情報もなし。

690 :可愛い奥様:2006/04/25(火) 02:09:09 ID:cgZh34wF
返事は「ばうわい」というより、「あ"う!あい!」という感じでした。

式の間、愛子ちゃんはリズムを取るように身体をゆらしていて(お顔は見えませんでした)、
ひときわ大きな声で「としのみやあいこちゃん!!」とお名前が呼ばれると、となりに座っていたお付の人が何か耳元で囁くやいなや、
愛子ちゃんは何故か立ちあがって大きな声で返事をなさいました。
とても可愛らしいご様子でした。

767 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/04/25(火) 12:00:21 ID:cgZh34wF
ネタというか…実際聞いた人にも信じられない光景だった<立って「ばうあい(あ"う! あい!)」

それ以外にもシーンとした中で何かブツブツしゃべったり、きちんとしつけられた他のお子様たちとは完全に異質でした。良く言えば、飼いならされていない自然な感じのお子さん]



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