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小和田雅子が徳仁皇太子との婚約内定にこぎつけた当時、伝蓋時代の同級生をソースに様々なマスコミにて報じられた小学校・中学校・高校時代の行為。雅子の場合、小学生レベルのいたずらを高校生になってまでやっていたり、また時に単なるいたずらの域を越えてしまって学校教育に支障を与えるほどの悪質なものがあることが分かる。後掲の通り伝蓋同級生を中心にろくでもないエピソードが出るわ出るわ状態なのだが、これに対する小和田雅子の反応は次の通り。
『フライデーSPECIAL』1993年6月26日増刊号<明るくお茶目で面倒見がいい 雅子さまクラスメートと共有する「青春の日々」>記事と2/28六本木の国際文化会館での田園調布雙葉学園第28回生学年会記念集合写真グラビア p.15より引用 同級生の何人かが、雅子さまの逸話をマスコミに話してしまったことを詫びると、「私は、しゃべられて困ることはないから、別に気にしていないわよ」と笑っていたという。 |
友人に対し笑って済ませるという一見良い話のように感じられるが、小和田雅子(当時29歳)自身による「しゃべられて困ることはない」という言葉は、スカートめくりや消しゴムかす背中入れやツアコン閉じ込めや非常ベル鳴らして授業妨害やホスチア盗み食い等々は一切悪いことではない、表に出ても別に外聞が悪いことではないと当人が認識していた、若しくは自分に都合の悪い過去はきれいさっぱり全部忘れちゃったことの証左であろう。
「消しゴムのかす」とは、小和田雅子が学校の授業中友人の背中に入れて悪戯したもの。なんとこれは小学生時代にしていたことではなく、 高 校 1 年 生 にもなってやっていたことである。
『毎日グラフ臨時増刊 皇太子さまと小和田雅子さん 1993年2月6日ご婚約特別記念号<恩師・学友が語るお2人の素顔 殿下「オワちゃん」に恋やつれ!?>小坂部元秀さん(皇太子さまの恩師)・岸田泰則さん](雅子さんの恩師)・賀陽正憲さん(皇太子さまの学友)・池田政俊さん(皇太子さまの学友)・前川真広さん(皇太子さまの学友)・伊東晴美さん(雅子さんの同級生)・梅田加奈子さん(雅子さんの同級生)座談会記事
p.54より引用
――雅子さんの少女時代のエピソードを。
岸田 子供にしては出来過ぎるくらいに、ものごとを理屈通りに考え、受け答えもキチット出来る生徒でした。特に生物は大好きでして、よく皆さんが気持ち悪がるようなイモリをペットにして、生物室の中で飼っていました。ニワトリとかウサギですとかの飼育も大変好きでした。
私、天皇家のことはよく知らないのですが、生物のご造詣が深いようですので、そういう面でも話が合うんじゃないかなと思いますね。
梅田 高校一年の時の席が、私の後ろでした。授業中の雅子さんは、教科書の真ん中あたりをパッと開いて机の上にパタッと置いたまま、一見、ボーっとしているような感じで先生のお話を聞いていらっしゃるんですね。
この人、授業を聞いているのかしら、それとも何かほかの事を考えているのかしら と思って「オワちゃん」と声かけると、急に思い立ったように、私の背中に消しゴムのカスを入れたり。そんな茶目っ気があります(笑)。それでいて、試験の時には、大体 トップの成績でいらっしゃいます。
『女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて!』 p.118より引用
田園調布雙葉学園時代を通じての友人である梅田可奈子さん証言:
小学生の頃から容姿端麗、頭脳明晰を絵に描いたようなあなたでしたけれど、静かに先生の声に耳を傾けているかと思えば、次の瞬間には前の席の私の背中に消しゴムを入れては三日月形の目をして笑っている、そんなお茶目なあなたでした。
pp.17-18より引用
「言葉が適切かどうかわかりませんが、“姐御肌”のところがありました。たとえば、先生の授業の進め方が早く、私たちがカゲで不満を言っていると、雅子さまが手を挙げて、『先生、もっとゆっくり進めてください』とはっきり言ってくださったこともあります(鷹森彩さん)
「美術の時間に多摩川土手に写生に行ったとき、雅子さまが、途中で巨人軍のグラウンドに、練習を見に行ってしまったのを覚えています。休み時間にも、プロ野球の話をよくしていましたね」(伊藤美雪さん)
イタズラ好きだったことも皆の印象に強く残っている。
「授業中に手紙を回したり、合宿で、夜遅くまで起きておしゃべりをしていて、先生に怒られたりしたのもいい思い出ですね」(鮫島幸子さん)
「女子校で男性の目がないということもあって、スカートめくりが流行ったのですが、雅子さまは率先してやっていました」(同級生の一人)
中学2年で関西に行ったとき、宿で、ツアーコンダクターの男性をからかってやろうと計画を立て、「急病人が出たので来てください」と呼んで、部屋に閉じ込めたことがある。そのとき、先頭に立って呼びに行ったのも雅子さまだったとか。
pp.34-35より引用
教室での雅子さまは、むしろもっとも中学生らしい中学生だったかもしれない。
「中学3年のときの現代国語の先生は私たちのジョークをよくわかってくださる先生だったので、みんなでよくいたずらをやりました。
授業が始まる前の黒板に、“現代国語は体育に変更になりました”と書いて、みんなで窓側のベランダに隠れてしまったんです。机の上にはちゃんと着替えたように、風呂敷のようなものまで置いて、カムフラージュも完璧なんです。“先生が私たちを探して体育館まで行っちゃうよ”と笑ったこともあれば、あらかじめ録音しておいた非常ベルのテープを授業中に鳴らして“火事だ、火事だ”と大騒ぎをしたこともありました。
そんないたずらのとき、雅子さまはいつも中心にいた記憶があります。私たちが思いつく“いたずら”は単純なものばかりでしたが、雅子さまのアイデアは、こんな頭を使った“いたずら”が多かったんですよ」
ご結婚によせて 田園調布雙葉学園の学友が語る小学校・中学校時代の雅子さん]
出席者 鷹森彩さん 渡邊薫子さん 池田眞紀子さん 村岡ルリ子さん 山下悦代さん
pp.177-178より引用
村岡 いたずらでは数え切れないほどのエピソードがありますよ。
鷹森 中学三年の時に印象的なことがありました。クラスで団結していたずらをするのです。たとえば授業中にクラス全員がいなくなったらおもしろいね、と誰かがいいます。そうすると、おもしろいといって実行するのが雅子さんなのです。私たちは口だけですが、雅子さんは実行力がありますから。
女子だけの学校ですから更衣室がありません。体育のときは教室で着替えていくのですが、次の授業が怖くない現代国語の先生の時、体操服に着替えてみんなで出て行ってしまう。制服は机の上に置いて、みな屋上に行って教室を見ているのです。先生がいらして「おや? みな体育にいったのかな」って、その声が聞えてくる(笑い)。
渡邊 ベランダにかくれていたのかな、みんなで逃げて……。
鷹森 下準備のいるいたずらもありましたよ。テープに目覚ましの音だったと思いますが、入れておいて授業中に鳴らすのです。みんなで打ち合わせておいて、二十分経ったら鳴らすから「火事だ」ってさわごうというわけです。案の定二十分経つと雅子さんがテープレコーダーのスイッチを入れる、それをみんなでうきうきして待っていましたね。
でもこの時はテープの音だということがばれてしまって、「なんだ、こんどは手のこんだことをしたな」って先生にいわれて……。
だれかがいい出して、雅子さんがいいアイディアを出して実行する、そんなパターンが多かったように記憶しています。
池田 いたずらではありませんが、中三の文化祭でしたか、「お化け屋敷」というのをやりましたね。クラスごとに演し物が違うのですが、三年A組は代々お化け屋敷をやることになっていました。本格的にNHKの制作課に行って道具をお借りしたり、たまたま近くの遊園地が廃園になったのでそこで借りてきたりしました。雅子さんも大張り切りで集めていました。
鷹森 驚かせようとこんにゃくにひもをつけて、人が来るとぺたぺた顔にくっつけたりね。そういうことをかなり綿密に計画してやる方でしたね。
村岡 夏休みの宗教合宿でもよくみんないたずらしてましたね。信者でなければ食べられないワインをつけたパンを食べてしまったり……。まずいんですけどね。こんなまずいものだったら食べなければよかったなんて、二人で話したこともありました。あれも中学の時でした。
・・中略・・
池田 リーダーシップといいますか、みなさんに慕われていましたね。
鷹森 私たちの学年は上の学年にいい意味で対抗意識があったんです。生意味な学年で、先生からも目をつけられているというか、あっと驚くようなことをする。生徒会のときでしたが、上の学年が仕切っていまして、何か困らせたいとみんなが考えていました。そこは意見をいう場ではないんですが……。
池田 「何か質問は?」と形式的に聞くんですね。何か困らせたいけれど、どうしていいのか分らない。そんな質問をさっとまとめて雅子さんが手を上げる(原文ママ)。私たちの学年からのすごい拍手と声援に送られて発言なさるのです。驚いた生徒会長を「やった!」という感じで見たこともありました。
鷹森 どんな内容の発言かまるで覚えていませんが、簡単ではない知的な質問でした。当時の私たちにはそんなことでもとてもすばらしいことだったんですよ。
村岡 私たちの学年は感情表現の豊かなことでは際立っていました。悪いことも先頭切ってやるといったような、雅子さんもそんな一員ではありました。
別項【ホスチア】も参照されたい。 |
pp.17-18より引用
「言葉が適切かどうかわかりませんが、“姐御肌”のところがありました。たとえば、先生の授業の進め方が早く、私たちがカゲで不満を言っていると、雅子さまが手を挙げて、『先生、もっとゆっくり進めてください』とはっきり言ってくださったこともあります(鷹森彩さん)
「美術の時間に多摩川土手に写生に行ったとき、雅子さまが、途中で巨人軍のグラウンドに、練習を見に行ってしまったのを覚えています。休み時間にも、プロ野球の話をよくしていましたね」(伊藤美雪さん)
育ちの良い子女は買い食いなんて品の無い行為は普通(学校での活動中はまして)やらないものだが、ちゃっかりこういった食い物エピソードが紹介されるあたり、さすがは「大食い雅子さま」の片鱗がこの時期から見えていたと言えよう。食欲を抑えることができない傾向がこの当時からあったことが窺い知れる。
『小和田雅子さん 素顔の29年』永井雄一、データハウス(1993)
pp.100-101より引用
「上品でまじめ」という反面、本当の雅子さんは無邪気で遊び心がいっぱいだった。
学校で日光へ旅行にいったとき、華厳の滝の前で記念写真を撮っているスキに、そっと抜け出した雅子さんはみたらし団子を買って食べていた。それを見た友人に
「あ、ずるい。ひとりで食べてる!」
と言われてしまったが、発見されて動揺するどころか
「フフフッ……」
「どこで買ったの?」
「いまそこで売ってたから」
「じゃあ、わたしも買ってくる」
と二人で肩を並べて歩いたという。
もちろん、しつけの厳しい学校のことだから買い食いはご法度。でも、決して厳格さにしばられているだけではなかった。 学校でスカートめくりが流行ったときは、率先してやったのが雅子さんだった。地味でどことなくおとなしかった小学校 時代とはちがって、中学のころから、目立っていたずらっぽくなった。笑いの中には必ず雅子さんがいたということから、 キャリアウーマンというイメージからちょっと想像もできない。
『週刊読売増刊・麗しのPrincess』1993年1月25日号
p.16より引用
ちゃめっけもこの当時からなかなかのものだった。中学二年の秋、学校の文化教室で京都へ二泊三日の旅行をしたときのこと。消灯後の部屋で雅子さんは、缶詰やパン、マヨネーズなどを広げ“宴会”を開いた。
友人の一人は「みんなドキドキしているのにオワ(雅子さんの愛称)だけは堂々としていて、すごく肝っ玉の座った人だなあと驚きました。」
Part2387-403 可愛い奥様 sage 2012/07/08(日) 13:00:00.52 ID:q47+TsGX0
『週刊読売増刊・麗しのPrincess』1993年1月25日号
p16より引用
ちゃめっけもこの当時からなかなかのものだった。中学二年の秋、学校の文化教室で京都へ二泊三日の旅行をしたときのこと。
消灯後の部屋で雅子さんは、缶詰やパン、マヨネーズなどを広げ“宴会”を開いた。
友人の一人は「みんなドキドキしているのにオワ(雅子さんの愛称)だけは堂々としていて、すごく肝っ玉の座った人だなあと驚きました。」
雅子中二当時は1977年。 この頃、ミニサイズのマヨネーズってまだなかったよね?
家庭用の素の大きさのマヨやらパンやらをバッグに詰めてる姿考えると、滑稽で仕方ない。
409 可愛い奥様 sage 2012/07/08(日) 13:05:10.55 ID:Y3eIR3vw0
よくよく考えてみるとあの当時はツナの缶詰ってカンキリでギコギコやらないと開かないタイプだったんじゃないか?
修学旅行先で他のお嬢さんたちがあっけにとられてるところで
ギコギコやってたんか?
447 可愛い奥様 sage 2012/07/08(日) 13:42:25.89 ID:KlBjMhB00
>>403
キユーピーマヨネーズ50グラムは1979年(昭和54年)発売だそうです
持参したのは200グラムか…
当時のシーチキンって175グラム缶が主流ではなかったかな
シーツを油まみれにして知らん顔していそうで非常にイヤンな感じですね
授業サボって抜け出し巨人軍見物、買い食い、パン・マヨネーズ・缶詰(恐らくツナ缶)持参宴会、いずれも「いたずら」とは異なるが、学校教育現場で好ましくない行動なのは明らかである。「いたずら」行為と合わせて、その集団における規律を守る気が全くない傾向が小和田雅子には顕著なことがよく分かるだろう。 |
週刊朝日 1993年1月29日号<母たちが明かすデンフタ伝説「先生の背中に紙を張った優美子さん」>記事【伝蓋】
p.34より引用
柏谷 私は席が近かったので、優美子さんは、割に思い切ったことをしていらしたような印象があるのですが。授業を受けたくないときに、先生に「お話をしてください」と注文をつけて困らせるぐらいのことですけど。先生の背中にいたずらして紙をペタッと張ったことがありましたが、その文章がユニークで、ああ、頭がいいんだなと思ったことはあります。
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