着袴の儀

ページ名:着袴の儀

「ちゃっこのぎ」と読む。数えの5歳の年に行う宮中伝統行事。世間における七五三の5歳の行事に相当する。
子供が初めて袴を身につける儀式であって、大人二人に伝統衣装を着付けてもらうなど小さな子供にはそれなりに協力する態度が必要になる。
また親王(男児)は袴の上に童形服を着て碁盤の上に立ち髪先を少し削がれ、そして碁盤から飛び降りる「深曽木の儀」も併せて行われる(参照:2011/11/3秋篠宮家悠仁親王殿下の着袴の儀/深曽木の儀ニュース)。

敬宮内親王に関する大本営発表(優秀伝説)と時折流れる愛子TV映像とのギャップに、スレ住民奥様方は愛子3歳過ぎの頃から「着袴の儀はきちんとできるのだろうか?」と危惧していたのであるが、Part442スレッドにおいて平成8年秋篠宮眞子内親王と平成11年佳子内親王の着袴の儀装束調進そして平成13年敬宮儀式装束調進の事実が、宮内庁御用達である高田装束研究所HPから削除されていたことが明らかになった。
Part419スレッドでもこの削除について触れたレスが存在しており当時はまだそれほど問題視されていなかったが、この事実は宮中伝統行事を軽視しているだけでなく今後それを他宮家にまで押し付けるという何者かの意志が働いていることを意味しており、伝統を守る立場としての皇室の存在意義を忽せにするものである。
この削除に何らかの意図が働いているのは間違いないことであり、真相の究明が待たれる。

目次

着袴の儀、継宮(=今上陛下)・義宮(=常陸宮)・浩宮・礼宮・紀宮の参考画像等[]

『平成の皇室辞典』清水一郎・畠山和久監修(毎日新聞社、1995年)p.135からの日付・場所情報
・天皇陛下(継宮明仁親王)、昭和13年5月5日(満4歳4ヶ月)木曜日先負、旧宮殿の御座所にて。
 (継宮明仁親王着袴の儀画像)
・浩宮徳仁親王、昭和39年11月1日(満4歳8ヶ月)日曜日大安、当時の東宮御所にて。
 (浩宮着袴の儀画像)
 (髪を削ぐ「深曾木の儀」・碁盤から飛び降りる「着袴の儀」の浩宮、見守る当時の皇太子ご夫妻らの姿も確認できる映像キャプ連結画像
・礼宮文仁親王、昭和45年10月18日(満4歳10ヶ月)日曜日先負、当時の東宮御所にて。
 (礼宮着袴の儀画像、碁盤から飛び降りる場面等連続画像)
 (髪を削ぐ「深曾木の儀」・碁盤から飛び降りる「着袴の儀」の礼宮映像キャプ連結画像
・紀宮清子内親王、昭和48年12月17日(満4歳8ヶ月)月曜日先負、当時の東宮御所にて。
 (紀宮着袴の儀本番当日笑顔のcorbisモノクロ写真、カラー画像)
 袴や袿(うちぎ)を身に着け儀式のための装束姿が完成するまでの連結画像。扇が最初と最後で交換されているのに注目。
 
Part1750-126・350奥様ご紹介:『平成皇室辞典』(主婦の友社、1999年) p.281より引用
(袴を着せ装束を着付け「着袴」の部分は終了。一旦子供は退出し、再登場して「深曽木」に入る)
右手には桧扇、左手には小松2本と、山橘1本を持って再び式場に入られる。中央に置かれた碁盤の上に立たれ、東宮大夫が髪に櫛を入れ髪の毛先に鋏をあて三回切る、「髪置祝(かみおきのいわい)」を行う。次いで碁盤の上に置かれた明治神宮境内の清正の井戸から寄せられた二個の青石を踏みつけて「えいっ」と掛け声をかけて南に向かって飛び降り、一連の儀式は終わる。内親王の場合は碁盤の部分の儀式はない。なお飛び降りるという動作は大地に足をしっかりとつけることで石を踏むのは、禊の意味合いがあるという。
 
参考ようつべ:皇族方も沢山参列している浩宮・礼宮着袴の儀の映像(2:39~)
http://www.youtube.com/watch?v=-3pMhh8Evn0
参考ようつべ:礼宮「着袴の儀」動画(後ろに「うみへび」+「うずらちゃん」+竹田くんw)
http://www.youtube.com/watch?v=fia1nPzRBYw
 
・着袴の儀装束姿を並べたもの:継宮殿下・義宮殿下・浩宮殿下・礼宮殿下・紀宮殿下

宮中着袴の儀御儀服調進の記載削除[]

宮中装束の製作を受け持つ高田装束研究所HPの業績ページから、「秋篠宮眞子内親王・佳子内親王の宮中着袴の儀御儀服調進と敬宮愛子内親王の御儀式御装束調進」の記録が削除された事件。

削除前ページキャプチャ画像記録(2005年3月時点)
昭和35年 ○ 浩宮(皇太子)徳仁親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
昭和40年 ○ 礼宮(秋篠宮)文仁親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
昭和44年 ○ 紀宮清子内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成 8年 ○ 秋篠宮内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成11年 ○ 秋篠宮内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成13年 ○ 敬宮愛子内親王殿下御儀式御装束調進
現在の高田装束研究所HPの業績ページ平成18年 ○ 着袴の儀御儀服調進
 
(゚Д゚≡゚Д゚)キョロキョロ 最新の悠仁親王の分だけ? 浩宮・礼宮・紀宮・秋篠宮家内親王そして敬宮愛子ちゃんへの調進分はどこへ消えた?!


Part419-419 :可愛い奥様:2006/03/19(日) 23:57:13 ID:hFwfWhEX
着袴の儀、何で碁石を足の指に挟むんだろかと思って
ぐぐってたら(結局分からず)こんなのが出てきたので
ちょっと張ってみる、あまり関係ないけど・・。
皇族方の装束?を作ってる会社のようす。
ttp://www.takata-courtrobe.co.jp/gyouseki.htm
 
430 :可愛い奥様:2006/03/20(月) 00:09:09 ID:aJA651k7
>>419
以前はそのサイトに、眞子佳子さまの袴を納めた年が記録されていました。
 
434 :可愛い奥様:2006/03/20(月) 00:10:55 ID:0G44bmUL
>>430
今は削除されてしまったということですか?
 
436 :可愛い奥様:2006/03/20(月) 00:12:02 ID:aJA651k7
>>434
今は載っていないと思います。
 
438 :可愛い奥様:2006/03/20(月) 00:13:39 ID:oMyU6FiQ
>>430>>434今ざっとみたけど無くなってるね、何でだろ。
つーかここの会社が着袴の儀の装束も提供してたんだね。
浩宮礼宮紀宮、皆書いてある。
 
442 :可愛い奥様:2006/03/20(月) 00:14:22 ID:0G44bmUL
>>436
確かに載ってないですね。
何のために削除されてしまったのでしょう。

Part442-610 :可愛い奥様:2006/04/06(木) 18:21:00 ID:vyq6yu0h
話し豚切りですが、
他スレで「空中着袴は眞子ちゃん、佳子ちゃんもやってない」と書かれていた。
以前このスレでやっているとソースを示して書いてあったはず、と思い調べたら
なくなっていました。
 
平成 8年 ○ 秋篠宮眞子内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成11年 ○ 秋篠宮佳子 内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
と書かれていたはずなのに・・・・
リンク元を間違っただけ?それとも消された?
http://www.takata-courtrobe.co.jp/ins7.htm

Part419稼動当時の2006年3月20日時点ですでに削除されていたということは、2005年3月10日~2006年3月20日の期間に削除が実行されたと絞り込まれる。

なおこの年2006年10月20日、美智子皇后陛下はお誕生日発表文書にて、

皇后陛下お誕生日に際し(平成18年)宮内記者会の質問に対する文書ご回答
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。男の子の着袴(ちゃっこ)姿もそうですが,女児の裳着(もぎ)の姿も本当に愛らしく,清子,眞子,佳子のそれぞれの裳着(もぎ)の姿や所作は,今も目に残っています。

と公式文書にて態々言及しており、スレ住民奥様方からは「愛子ちゃんができるかどうか危うい着袴の儀をシカト・ブッチしようとしていた雅子に対する、美智子さまからの牽制だったのでは?」という説も上がっている。

ニュー速+板<【皇室】 両陛下、秋篠宮さま・眞子さま・眞子さまら、紀子さまをお見舞い>における、着袴の儀記録削除についての反応[]

  • ニュー速+板【皇室】 両陛下、秋篠宮さま・眞子さま・眞子さまら、紀子さまをお見舞いより

821 名前:名無しさん@6周年 本日のレス 投稿日:2006/08/29(火) 15:36:03 HJWCYwCl0

> そんな気配が濃厚。
> 眞子・佳子内親王の着袴の儀の衣装に関する記録も抹消されてると聞いた

最近見たら、以前は記載されてた紀宮着袴の儀御儀服調進についても削除されてたぞ。
http://www.takata-courtrobe.co.jp/ins7.htm


829 名前:名無しさん@6周年 本日のレス 投稿日:2006/08/29(火) 15:40:52 Enk2cqVy0
>>821
見てきた。
ヒロノミヤや礼宮の記事もなくなってるね。。。
どういうことだよーーーヽ(;´Д`)ノ


840 名前:名無しさん@6周年 本日のレス 投稿日:2006/08/29(火) 15:47:38 HJWCYwCl0
2005年3月までは記載されてた

昭和35年 ○ 浩宮(皇太子)徳仁親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
昭和40年 ○ 礼宮(秋篠宮)文仁親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
昭和44年 ○ 紀宮清子内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成 8年 ○ 秋篠宮内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成11年 ○ 秋篠宮内親王殿下 宮中着袴の儀御儀服調進
平成13年  ○ 敬宮愛子内親王殿下御儀式御装束調進

これらの情報がごっそりカット。実に薄気味悪いことこの上ない。この情報を隠してなかったことにして、
得するのはあそこしかないじゃん。

『週刊朝日]』2006年6月23日号<週刊誌で報じられた「紀子妃第3子は男の子」説は本当か>より、“同(高田装束)研究所HPには、かつて1991年生まれの秋篠宮眞子さまは96年に、94年生まれの佳子さまは99年に、「宮中着袴の儀御儀服調進」との記載があった。”“高田装束研究所のHP上の記述が削られてしまった”[]

『週刊朝日』2006年6月23日号<週刊誌で報じられた「紀子妃第3子は男の子」説は本当か>
pp.26-27より引用
「男の子説」はどこまで信憑性があるのだろうか。
 両誌(『週刊現代』2006/6/17号と『女性自身』2006/6/20号を指す)がともに注目するのは、誕生後まもなく執り行われる「賜剣の儀」だ。新宮の健康を願い、天皇陛下が新宮に「守り刀」を贈る儀式だが、女児の場合、刀に加え袴が贈られる。数え年で5歳のときに行われる「着袴の儀」で身に着ける衣装である。
「男の子説」の論拠は▽袴を9月末の出産に間に合わせるには、いまから発注しないと間に合わない▽しかし関係者によれば、宮内庁から発注があったという話は聞かない▽よって生まれてくるのは男の子ではないか……といったものだ。
 だが、5歳時に着る袴を誕生前にあつられる必然性はあるのだろうか。01年12月1日、敬宮愛子さま誕生時の「賜剣の儀」を、朝日新聞は次の表に報じている。
「渡辺允侍従長から古川清東宮大夫に刀と袴(目録)が渡され、東宮女官によって赤ちゃんのまくら元に置かれた」
 少なくとも「賜剣の儀」では実物の袴は贈られなかった。では、宮内庁が愛子さまの袴を発注したのはいつか。皇族がたの宮中装束の製作に携わる高田装束研究所に尋ねたところ、「宮内庁に関することはお答えできかねます」とのことだった。が、同研究所HPには、かつて1991年生まれの秋篠宮眞子さまは96年に、94年生まれの佳子さまは99年に、「宮中着袴の儀御儀服調進」との記載があった。袴の発注は新宮の誕生後、女の子だとわかってからと考えるのが自然だろう。
「週刊現代」は紀子さまの出産を担当する医師らにも「男の子説」の真偽をただしているが、回答は得られていない。結局、推測の域を出ないのである。
 実は愛子さまの誕生前にも似たようなことがあった。
 一例を挙げると、「週刊新潮」01年7月26日号。「雅子妃殿下『男児』出産説で現代医学の胎児性別鑑定法」という記事の中に、「(宮内庁関係者や永田町のあいだで)男児出産説は、ほぼ確実な情報として定着しているようである」という記述がある。
 ある女性週刊誌記者が当時を振り返る。
「恥ずかしい話ですが、私は何の根拠もなく男の子だと思いこんでいたんです」
 たとえば、同時期に妊娠していた夫人と安産のお願いをしに湯島天神へ行ったとき、ひいたおみくじが二人とも「男、安産」だった。その後、自分の子が男の子であることがわかった。それだけで皇太子ご夫妻の赤ちゃんが男の子と確信した、といった具合だ。
 こうした予測をしなければならないほど、雅子さまが出産に至るまでの取材は困難を極めた。取材が及ぶのを警戒してか、宮内庁は医師チームの陣容を伏せ、「賜剣の儀」など出産後の一連の儀式についてもなかなか詳細を発表しなかったという。その経験を踏まえて前出の記者が言う。
「いまの宮内庁のピリピリ度はすごい。愛子さまのとき以上に情報が漏れにくくなっている。内親王か親王かについては、愛子さまのとき以上に国民の関心が高まっているんですが」
 高田装束研究所のHP上の記述が削られてしまったのも、「ピリピリ」ぶりの表れかもしれない。

2006年11月7日敬宮愛子内親王習礼の儀(=リハーサル)と、11日着袴の儀ニュース[]

愛子様 着袴の儀1(お昼のニュース):2006年11月7日敬宮愛子内親王習礼の儀(=リハーサル)と、11日着袴の儀当日昼のニュース映像(NNN→FNN→ANN→NHK)
http://www.youtube.com/watch?v=UAD6FvdRqN4
愛子様 着袴の儀2(夕方ニュース):夕方のニュース映像(FNN→NNN→JNN→NHK) 参考:【補助輪付き自転車
http://www.youtube.com/watch?v=oLl6N198Sis

当日夜7時のNHK NEWS 7より、謎のピンク装束姿で東宮御所玄関前にて口と舌をれろれろさせる愛子gif動画
当日配信画像については、【マコオタ画像集(雅子関係)07】参照。
ttp://www.asahi.com/national/update/1111/TKY200611110114.html
愛子さまが着袴の儀 成長と健康願う
2006年11月11日10時50分
着袴の儀を終えた愛子さまと皇太子ご夫妻=11日午前10時26分、東京・元赤坂の東宮御所で、代表撮影
天皇、皇后両陛下から贈られたはかまを着た敬宮愛子さま=東宮御所日月の間で、宮内庁提供
 皇太子ご夫妻の長女・愛子さま(4)が初めてはかまを身につける「着袴(ちゃっこ)の儀」が11日午前、お住まいの東宮御所で行われた。一般の七五三にあたり、成長と健康を願う伝統行事。儀式の後、はかま姿で正装した愛子さまは皇居を訪れ、賢所仮殿に参拝した。
 儀式は午前10時、皇太子ご夫妻が見守るなかで始まった。愛子さまは女官から紫色に似た濃色(こきいろ)の小袖やはかまなどの童形(どうぎょう)服を着せてもらい、手に扇を持って正装した。
 宮内庁によれば、愛子さまは幼稚園に元気に通園し、雅子さまが弁当を作る際に手伝ったり、友だちとも楽しく交流したりしている。また、自転車の練習や乗馬も経験し、日本の昔話を通じて「せっしゃ」「わらわ」といった古来の言葉に興味を持ち、口にしているという。

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061111-00000030-jij-soci
愛子さま、「七五三」=東宮御所で着袴の儀
皇太子ご夫妻の長女、愛子さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」が11日午前、東京・元赤坂の東宮御所で行われた。
一般の七五三に当たる宮中の伝統行事で、5歳になる前後に天皇、皇后両陛下から誕生の際に贈られた童形(どうぎょう)服を着る習わし。
皇太子ご夫妻が見守る中、愛子さまは女官によって濃い紫色の小袖とはかま、紅色の袿(うちき)を着けられた。
愛子さまは12月1日、5歳の誕生日を迎える。宮内庁によると、最近は補助輪を付けて自転車の練習に励んでいるほか、一人で乗馬を体験したこともあるという。 
(時事通信) - 11月11日11時1分更新

ttp://www.nikkei.co.jp/news/main/im20061111NN000Y20511112006.html
愛子さま「着袴の儀」・元赤坂の東宮御所で
 皇太子家の長女愛子さま(4)の「着袴の儀」が11日、東京・元赤坂の東宮御所「日月の間」で行われた。
 一般の753に当たる皇室行事。童形服で正装した愛子さまは皇居・宮中三殿に参拝し、天皇、皇后両陛下にあいさつされる。
 童形服は誕生の際天皇陛下から贈られた。皇太子ご夫妻が見守る中、女官らの手で、紫色のはかまや赤色の袿を身に着け、衵扇を手にして儀式を終えた。
 愛子さまは12月1日が5歳の誕生日。宮内庁東宮職によると、最近は庭の花を生けて両親や自分の部屋に飾ったり、遠足の芋掘りで使った布袋に自分で名前を刺しゅうするなど、元気に育っている。昔話の紙芝居で覚えた「拙者」「わらわ」などの言葉を使って遊ぶこともあるという。 (11:29)

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061111-00000032-mai-soci
<愛子さま>健康と成長願い「着袴の儀」
 皇太子ご夫妻の長女愛子さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」が11日午前、東京・元赤坂の東宮御所で行われた。おおむね5歳の時に健康と成長を祈って行われる一般の七五三にあたる皇室の儀式で、平安時代から伝わるという。
 愛子さまは、皇太子ご夫妻が見守る中、女官から濃い紫色の小袖(こそで)と袴(はかま)をつけてもらい、その上に菊の模様をあしらった赤色の袿(うちき)を着て、手に扇を持ち、儀式を終えた。
 小袖や袴などは天皇、皇后両陛下が贈ったもので、愛子さまは皇居内の賢所(かしこどころ)仮殿に拝礼後、御所で皇太子ご夫妻に連れられ、両陛下にあいさつした。
   ◇  ◇
 愛子さまは12月1日、5歳の誕生日を迎える。宮内庁によると、幼稚園では友達と楽しく交流し、行き帰りの車の中で「どんぐりころころ」などを歌ったり、しりとりを楽しんだりしている。先月中旬の秋の遠足では、掘った芋を入れて帰る布袋に、自分の名前をローマ字で刺しゅうした。母親の皇太子妃雅子さまの弁当作りを手伝うこともあるという。
 また、住まいの東宮御所では、庭で花摘みやかけっこ、家の中でぬいぐるみを相手に「お世話ごっこ」を楽しみ、摘んだ花をご夫妻や職員の部屋に生けて飾ることも。最近は補助輪の付いた自転車の練習に励み、昔話の紙芝居では「拙者」や「わらわ」といった昔の言葉に関心を持ち、使ったりしているという。【桐野耕一】
(毎日新聞) - 11月11日11時51分更新

ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061111i505.htm
愛子さまも「七五三」…東宮御所で「着袴の儀」
 皇太子ご夫妻の長女、愛子さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」が11日、東京・元赤坂の東宮御所で行われた。
 皇室のお子さまが5歳を迎えるころに健康を願って初めて袴(はかま)をつける儀式で、一般の七五三に当たる。愛子さまは、皇太子ご夫妻が見守る前で、紫色の袴に赤い袿(うちき)を着せてもらい、6色の組みひもがついた扇を持ってご夫妻に一礼した。
 この後、皇居の賢所仮殿に参拝し、ご夫妻と一緒に天皇、皇后両陛下にあいさつされた。
 宮内庁によると、愛子さまは最近、補助輪が付けられた自転車の練習を東宮御所の庭で始め、ぬいぐるみを相手に「お世話ごっこ」で遊んでいるほか、昔話の紙芝居で「せっしゃ」や「わらわ」などの言葉を覚え、ご夫妻などとの会話で使っているという。
(2006年11月11日12時6分 読売新聞)

ttp://www3.nhk.or.jp/news/2006/11/11/d20061111000064.html
愛子さま 着袴の儀
着袴の儀は、平安時代から伝わる皇室の儀式で、子どもが5歳を迎えたころに健やかな成長を願って、天皇皇后から贈られたはかまなどを身に付けるものです。愛子さまは、来月1日の5歳の誕生日を前に、11日午前、東京・元赤坂にあるお住まいの東宮御所で、皇太子ご夫妻が見守る中、儀式に臨まれました。愛子さまは、側近の女性の介添えで紫色のはかまの上から鮮やかな朱色の織物を羽織り、6色の組ひもが巻かれた扇を手に皇太子ご夫妻に一礼して儀式を終えられました。このあと、皇居の賢所に拝礼するため、車で皇居に向かわれました。ご夫妻に見送られた愛子さまは、少し緊張気味で、カメラを向けられると恥ずかしそうに雅子さまの方を振り向かれていました。宮内庁によりますと、ことしの春、幼稚園に入園した愛子さまは、雅子さまが弁当を作るのを手伝ったり、行き帰りの車の中で童謡を口ずさんだりして楽しく通園されています。また、お住まいでは、摘み取った花を皇太子ご夫妻の部屋に飾ったり、ぬいぐるみを相手に「お世話ごっこ」をしたりするなど、健やかに成長されているということです。
11月11日 12時20分

ttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20061111/20061111-00000158-fnn-soci.html
皇太子ご夫妻の長女・愛子さま、一般の七五三にあたる「着袴の儀」に臨まれる
皇太子ご夫妻の長女・愛子さまは11日、一般の七五三にあたる「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨み、はかま姿の盛装で皇居を訪問された。
11日午前10時30分ごろ、愛子さまは、皇太子ご夫妻に手を引かれ、東宮御所の車寄せに姿を見せ、うちき姿で、少しはにかんだ様子で取材に応じられた。
着袴の儀は、一般の七五三にあたる宮中行事で、午前10時から東宮御所で行われた。愛子さまは、儀式終了後に、ご一家そろって御所で両陛下にあいさつをされた。
[11日13時29分更新]

ttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20061111/20061111-00000026-jnn-soci.html
健やかな成長祝い、愛子さま「着袴の儀」
 皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが、一般の七五三にあたる「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨まれました。
 「着袴の儀」は平安時代から皇室に伝わる儀式で、子どもが5歳を迎えたころに、健やかな成長を祝って行われます。
 午前10時からお住まいの東宮御所で行われた儀式では、愛子さまがご誕生の際に天皇・皇后両陛下から贈られた濃い紫色のはかまに赤い袿(うちき)を羽織り、扇を手に皇太子ご夫妻に一礼されました。
 来月1日に満5歳の誕生日を迎える愛子さまは最近、自転車の練習をしたり、昔話の紙芝居で「拙者」「童」などの言葉を覚えるなど、元気で過ごされているということです。(11日13:56)
[11日16時5分更新]

紀宮と愛子、「着袴の儀」当日発表画像に見られる「髪の毛」の違い[]

1973年12月17日紀宮の着袴の儀当日発表画像髪が少しくしゃっとなっているのは、頭・髪の毛は神聖なものとされ、儀式当日には触れたり櫛を通してはいけないというしきたりによる。
2006年11月7日愛子の習礼(リハーサル)画像2006年11月11日愛子の着袴の儀当日、謎のピンク色道中着画像習礼・儀式本番とされる当日の愛子は、いずれもハーフアップ形式で髪を結ってしまっている。伝統的な装束に合致しない髪型であるし、髪に触れてはいけないというしきたりに違反する姿形である。

友納尚子記事に見られる、愛子着袴の儀に関する疑問点:「碁盤の目の上にお立ちになった」「(着袴の儀の)翌12日、愛子さまの内祝いのため、両陛下をはじめ皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、黒田ご夫妻が久しぶりに勢ぞろいされた」[]

『週刊現代』2006年11月25日号 友納尚子署名記事 雅子妃「私の本当の気持ち」―オランダ静養後の知られざる素顔ありがとう殿下、ありがとう愛子さま
p.41より引用
 11日に行われた宮中伝統行事「着袴の儀」では、愛らしい袴姿で碁盤の目の上にお立ちになった愛子さま。5歳をお迎えになるお祝いで、七五三のもとになったとも言われる。
・・中略・・
(補足:2006年11月11日着袴の儀の)翌12日、愛子さまの内祝いのため、両陛下をはじめ皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、黒田ご夫妻が久しぶりに勢ぞろいされた。皇太子ご夫妻は両陛下のご理解とご配慮に心から感謝されたという。愛子さまはとても嬉しそうなご様子で、眞子さまや佳子さまとお過ごしになられた。

Wikipedia「週刊現代」の項、概要より引用
発売日
毎週月曜日に発売。一部地域では日曜日に前倒し発売する地域もあれば、火曜日-水曜日に遅れて発売する地域もある。

本号は2006年11月13日(月)発売、コンビニなどでは午前0時に並ぶところも珍しくない。発売前日の12日内宴の様子を記事にすることは編集・印刷・製本・運送のスケジュールから言っても不可能であり、友納尚子は事実を確認せずに記事を書いたものと断定できる。なお後に友納尚子が『週刊文春』で長編連載した「ザ・プリンセス雅子妃物語」では2006年11月11日東宮家愛子内親王着袴の儀そのものを全く記述しないという異様な事態となっている。

また着袴の儀について、「碁盤の上に立つ」儀式は内親王(=女児)にはないという記述あり。明らかにそれと矛盾している。

Part1750-126 可愛い奥様 sage 2010/03/12(金) 19:32:03 ID:zVzOLZ6f0
今更ですが、碁盤のソース見つけました。

平成皇室辞典(主婦の友社) P281
(袴を着せ、一旦子供は退出する)右手には小松2本と、山橘1本を持って
再び式場に入られる。中央に置かれた碁盤の上に立たれ、東宮大夫が髪に櫛を入れ
髪の毛先に鋏をあて三回切る、「髪置祝」を行う。
次いで碁盤の上に置かれた毎時神宮境内の清正の井戸から寄せられた二個の青石を
踏みつけて「えいっ」と掛け声をかけて南に向かって飛び降り、一連の儀式は終わる。
内親王の場合は碁盤の儀式はない。←←←注目
なお飛び降りるという動作は大地に足をしっかりとつけることで
石を踏むのは、禊の意味合いがあるという。

だそうです(ちなみに上記の記述の親王はナルちゃんのことです)。
他に「十二単のはなし」という装束の本に江戸時代の高倉家での
若君の着袴の様子が紹介されてますが、やはり碁盤は深曽木の儀式で
髪を切っているときに載るようです(ここでは男女の違いは明記されてないのですが)。
たしかサーヤの深曽木の様子は動画で残っていたと思うのですが、
そこに碁盤がなければ、女子に碁盤は用いないということで確定していいのではないでしょうか。

それからちょっと関係ないのですが、礼節の七五三写真として出回ってるものは
雅子8歳のお誕生日当日のもので七五三ではないようです。
数冊の本で、そのように日付入りで紹介されていたので、間違いないと思います。


307 可愛い奥様 sage 2010/03/12(金) 21:21:29 ID:nkGcsZPV0
>126 
宮内庁に電話で確認したところ、
・愛子さんも紀宮様と同じように行われているはず
・周りの人にも確認したが、碁盤は男のお子様のみ
とのことでした

友脳記事のことを話し、
「《愛子さんは特別》だから男のお子様と同じように
 儀式されたのかと思っていました」
と、言ってみたところ
「それはないはずです」

・・・ないはずって??

2012年10月23日放送TBSテレビ「もてもてナインティナイン」<【最強の御曹司&ご令嬢】(1)大好評!明治天皇の玄孫…「皇族の知られざる世界」(2)TV初登場!日銀初代総裁の子孫…「お金・お札のヒミツ」(3)ご先祖は藤原家のお公家様登場>より、悠仁殿下着袴の儀・深曾木の儀紹介、「皇室の男子は七五三の時碁盤の上から飛び降りる」字幕あり

着袴の“疑”or“偽”、両陛下による「敬宮」から「愛子」という呼び方への変化[]

平成18年(2006年)10月20日美智子皇后陛下お誕生日発表文書
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。男の子の着袴(ちゃっこ)姿もそうですが,女児の裳着(もぎ)の姿も本当に愛らしく,清子,眞子,佳子のそれぞれの裳着(もぎ)の姿や所作は,今も目に残っています。

皇后陛下の2006年お誕生日発表文書は上記のような着袴の儀に触れた内容となっており、これは雅子夫人に対し「敬宮の着袴の儀はちゃんとやってあげなさい」という皇后陛下からのメッセージではないかという推測が飛んでいる。この時点において敬宮着袴の儀の日程は決定していなかったという説もある。

なんにせよ2006年11月11日(土曜日・大安)に敬宮愛子内親王着袴の儀はとり行われた模様で、とりあえずスレ住民も落ち着いたのであるが、その翌日12日夜のご一家大集合で開く内宴の開催状況がいまいち不明、その更に翌日である13日発売『週刊現代』11月25日号における友納尚子署名記事では12日内宴の様子をまるで見てきたかのように書かれ、雑誌発売スケジュールからしてどう考えても記事が出せるわけないタイミングと断定でき、胡散臭いことこの上ない内容となっている。

これから数ヶ月経過した2007年4月1日、山陽新聞が「少し古い話になりますが」と前置きしつつ、以下のような記事を唐突に発表した。

ttp://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2007/04/01/2007040110005559008.html
愛子さまの写真
 少し古い話になりますが、昨年十一月十一日に皇太子家の長女愛子さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」が行われました。この日は社会面の担当でしたが、写真の選択で迷いました。一つは当日の儀式を終えられ皇太子ご夫妻と一緒の写真ですが、愛子さまは着替えられていました。もう一つは、七日の「予行演習」の写真。こちらは儀式用の童形服(どうぎょうふく)を女官らの手で、身に着けているところです。「本番」の写真はありません。通常は、記事と同じ日の写真を使うのですが、愛子さまの表情がよかったことと、記事の内容に合う正装姿ということで、朝刊では四日前の写真を掲載しました。写真説明には「7日、東宮御所(宮内庁提供)」とあるのですが、読者に当日の撮影と誤解されるのではないかと悩みました。新聞が刷り上がってからも差し替えようかと思ったほどです。
 記事の選択についても、なかなか決定できないことがあります。同じ会見や法案でも通信社によって、記事の書き方が違います。強調するところや視点が異なるからです。時には、見出しが正反対になることもあります。裁判物などでは、両論の談話やサイド記事を掲載して、偏った紙面にならないようにしています。
 紙面が出来上がった後、机の上には、気になった原稿がいくつか残っています。何を選択するかについては、微妙な個人差があると思いますが、バランスの取れた紙面になるよう心掛けています。難しいことですが、バランス感覚は新聞製作に大切なことだと考えています。
 (整理部・平松恭輔)

着袴の儀当日11/11東宮御所玄関前にて披露したピンク色の謎の装束と、11/7行った予行演習の「習礼」公開映像についての解説記事である。紀宮さまについては前掲の通り着袴の儀本番当日の笑顔の写真が公開されているのに愛子についてはそれがなかったということ、本番当日は玄関前の映像のみで本番情報は伝聞のみであることなどから、「着袴の偽」「着袴の疑」といった表現も冠せられている。

そしてこの「着袴の疑」後に開かれた2006年12月天皇陛下お誕生日記者会見で、陛下が東宮家内親王に対して従来用いていた「敬宮」から「愛子」と呼び換える変化が生じている。皇室にとって大事な儀式を胡散臭いものにした代償はあまりに大きいと考えられている。

2006年11月11日当日マスコミ撮影が許された謎のピンク色装束と、雅子が着用していたただのスーツについて[]

・東宮御所玄関前東宮一家の姿:衣装裾の高さがバラバラでアシンメトリーな着付け。あと上に着る物が足りやしませんか?これじゃ言わば長襦袢姿で表に出てきてしまったようなもの。皇太子はモーニングの正装姿であるのに対し、雅子夫人はただのスーツ姿というアンバランスさも異様。
・文化学園装束研究ページより参考画像その1
・文化学園装束研究ページより参考画像その2

・画像左=2011年11月3日秋篠宮家悠仁親王殿下の「着袴の儀」「深曽木の儀」を赤坂東邸にて行われた後のご一家画像。モーニング姿の秋篠宮殿下、紀子妃殿下は訪問着、姉内親王殿下お二方は振袖という、格式ある服装であることに注目。

2015年11月11日着袴の儀当日愛子が着用して登場した謎のピンク&イエロー衣装について「注文主はこういう発色が「とても良い」という感覚なので、本染めになったそうです。(注文主からオーケーが出ないと本染めはしないそうです)」[]

Part1706-166 156 sage 2010/01/03(日) 07:11:59 ID:Vh09cdZm0
>>160さま
>着袴の儀のピンクと黄色の道中着
これも身内からの伝え聞きですが、布地は良いのだそうです。
ただ、皆さんが違和感を感じられたように、あの黄色とピンク色は
古代色(というのですか?)の台帳には無い色で、
蛍光が入っているか化学繊維が入っているか、または特別な色配合か、
絹の光り方ではないペカペカ感が写真では強く出たそうです。
注文主はこういう発色が「とても良い」という感覚なので、本染めになった
そうです。(注文主からオーケーが出ないと本染めはしないそうです)
私も家族も織物関係ではなく身内からの情報漏れですので
裏づけはできませんが、全体的に雅子さんなら「さもありなん」と
思えます。
音楽の世界も狭いらしいですが、織物・染色もすごく狭い世界らしいです。
そのため競争もうわさも激しい、ということです。
 
それをごまかす為のケープでは、と思います。
見る人が見たら生地の艶・刺繍・発色ですぐわかりますから。
(小さな写真でフラッシュがたかれていても絹地は見分けがつきます)

書き込み全体の流れは【御地赤】参照のこと。


皇后陛下古希記念写真展「皇后さまと子どもたち」@日本橋高島屋における異様な展示構成、東宮家着袴の儀はやはり着袴の“偽”だったか?[]

2008/10/15~27日本橋高島屋ギャラリーにて開催の皇后陛下古希記念写真展「皇后さまと子どもたち」において、皇族ゆかりの品々が展示されていた。その中で着袴の儀に関連するものとして、浩宮・礼宮・紀宮そして秋篠宮家眞子・佳子両内親王の扇は展示されていたが、愛子ちゃんの扇だけが存在せず代わりに「犬張子」が置かれていた(同写真集にも扇等の写真が掲載されている)。
この事実は2006年11月11日愛子着袴の儀の異様さを改めて示す証拠として、スレでは注目を集めている。

Part1350-547 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 21:34:25 ID:y51PDqVB0
㌧切り失礼します
今日、仕事を終えたあと日本橋高島屋に行ってまいりました。
平日の午後7時頃、人出はまぁまぁありましたが、ほど良くゆっくり回れました。
ところで、お子さま方の着袴の儀のお品が並べてあったのですが
会場から
「あら、愛子さまのだけ、ないのねぇ」という声が聞こえました。

ナル、秋篠、清子、眞子、佳子、悠仁(着袴はまだなので初節句の兜)のは
あるんです。お品には簡潔に年代と「両陛下から戴いた」旨が書かれてありました。
代わりに愛子のところには、生まれたときに両陛下から戴いたという犬の置物が
置いてあったのですが、
「なんだかこれ気持ち悪い」って言ってる声も聞こえましたワロス

557 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 21:49:08 ID:Gn2Y21wr0
>>547
おかしいよね。
愛子さんのお扇子と巾着はどうしちゃったんだろ。

558 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 21:49:19 ID:FFouhR1W0
東宮のは着袴の偽だと思う。
両陛下をはじめ皇族方はご存知だと思う。
だからこそ、「愛子」になってしまったと自分的には思っている。
もし、ちゃんと行われていたら、皇后陛下がまったく言及なさらないはずがない。

561 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 21:53:17 ID:y51PDqVB0
>>555
会場の空間や展示物の空間は程よくとってあったし、入り口には長椅子がたくさん
置かれていました。あと、出口を出ると目の前がカフェですw
警備や案内の人もあちこちにいるし、シーンと観覧するふいんきでもない(なごやか)ので
時間帯によっては大丈夫だと思います。土日とかは混むかも知れませんね。
個人的には皇后様のお小さい頃のワンピースの実物とか、ボンボニエール各種に
感動しました。あと、観にいかれた方がほとんど書かれていますが、出口にある
雅子ドアップ写真にはほんと魂を抜かれますのでご注意ください。

574 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:01:16 ID:y51PDqVB0
>>557>>558
「皇后様とこども」がテーマの展覧会で、御自らのお子さまとお孫さまの中で
愛子の扇だけが飾ってないだなんて、本当に異様(と言い切ってしまう自分)です。
眞子さま佳子さまの扇は閉じられた形の展示ですが、とても立派な細工のものでした。

580 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:05:08 ID:Xvy2bYIkP
丼とowdは、このスレを読んではじめて
他の子は着袴のお祝いに
両陛下から扇子をもったと知ったのではないかしら。
今頃火病ってるかしら。

583 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:08:45 ID:iBYTZbvS0
チャッコの偽のリハーサルの時に扇を手にしていたけど、あれは?

584 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:11:14 ID:7/o6s2Ip0
>>583
両陛下から贈られた扇のブツは存在している。でも展示会で
「これが敬宮愛子内親王殿下の着袴の儀に使われた扇です」と説明つきで出すのは拒絶したってことでしょう。
だって、嘘になってしまうから。

585 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:11:30 ID:cql7YQjN0
>>583
ごまかせないぐらい汚したか壊したとか?
冗談抜きで、他の内親王も扇をもらってたことを知らないんじゃないか

588 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:12:49 ID:+STORIEI0
>>583
本物の扇は売り飛ばしてしまったので手元にない。
あれは外国人観光客向けの土産でよくある、
「日本一」などと書いてある扇・・・

だったら困るなあw

589 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:16:04 ID:UuQsu9v60
>冗談抜きで、他の内親王も扇をもらってたことを知らないんじゃないか

ありえそうだから困るw

590 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:16:16 ID:sunjKQNM0
そういえば着袴本番の日、カメラの前にでてきたピンク愛ちゃんは普通の扇子を手にしてたから
両陛下は愛ちゃんが本物の桧扇を持った姿は
ご覧になってないんだよね。

592 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:16:32 ID:iBYTZbvS0
>>584
それは悲しいかも 涙
でもあのあたりからトシノミヤと呼ばれなくなってしまったし。
やってないのは本当なのかな。

605 可愛い奥様 sage 2008/10/16(木) 22:36:24 ID:zo+FjE1s0
>592
御地赤の着物を着ている時がリハーサル映像だけだったり、
本番映像が流れてこなかったり、立会いをつとめたと発言する皇族ご親族が誰もいなかったり、
とどめに天皇皇后両陛下揃って直後とその翌年から「愛子」発言で、
今回の高島屋でも、他の内親王方と違ってお品が展示されなかったり、
なんか「やってない」のを匂わせるような状況証拠しかないってのが悲しいですよね。
これはもうそう思わざるをえないかな。

写真集『皇后さまと子どもたち』毎日新聞社(2008年)、浩宮・礼宮・紀宮・眞子内親王・佳子内親王の着袴の儀で使用された檜扇写真が掲載されているのに愛子だけが掲載されず、代わりに犬張子写真使用[]

  • 『皇后さまと子どもたち』毎日新聞社 平成20(2008)年10月15日第一刷宮内庁侍従職監修 宮内庁旧奉仕者会協力 毎日新聞社出版企画室編集

pp.198-199より引用
皇太子様の御台人形「老松二犬、鶏」 初御誕生日につき昭和天皇・香淳皇后よりお戴きのお品料で両陛下がお作らせになった 昭和36(1961)年2月
皇太子様御着袴の儀「お扇子」「巾着」 御着袴につき両陛下よりお戴き 東山魁夷作 お印の「梓(あずさ)」が描かれている 昭和39(1964)年9月
秋篠宮様御着袴の儀「お扇子」「巾着」 御着袴につき両陛下よりお戴き 杉山寧作 お印の「栂(つが)」が描かれている 昭和45(1970)年10月
紀宮様(現在の黒田清子さん)御着袴の儀「お扇子」「巾着」 御着袴につき両陛下よりお戴き 小倉遊亀作 お印の「未草(ひつじぐさ)」が描かれている 昭和48(1973)年12月

pp.202-203より引用
愛子様の「犬張子」1対 御誕生日につき両陛下よりお戴き 両陛下のご希望で長らく途絶えていた製法のものが復活した記念の一作 平成13年(2001)12月
<注:愛子着袴の儀は先述の通り、平成18(2006)年11月11日であり、この写真集刊行の約2年前である>
眞子様の御着袴の儀「檜扇」 御着袴につき両陛下よりお戴き 平成8年(1996)年10月
佳子様の御着袴の儀「檜扇」 御着袴につき両陛下よりお戴き 平成11年(1999)年11月
悠仁様の「檜兜」 御初節句につき両陛下よりお戴き 平成19年(2007)年5月
<注:平成18(2006)年9月6日生まれの悠仁親王殿下は、まだ着袴の儀を迎えていない>

 

秋篠宮家悠仁殿下について「着袴の儀やらないやらない詐欺」の書き込み例[]

産む産む詐欺】も参照されたい。

Part2098-119 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 10:31:31.38 ID:8G0RfF+8O
着袴の儀は行いません。残念なことです。

震災に配慮しています。
ごく内輪の、お祝いのみです。

290 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 16:54:39.82 ID:8G0RfF+8O
ID変わっているかも知れませんので嵐認定されてしまったら申し訳ありません。

着袴の儀は行いません。
内輪のお祝いについて例えて申し上げますと、私たちが七五三で神社へいかず、正装も特にせず、家族だけでスナップ写真を撮りケーキをいただき祝うようなものです。

震災に配慮せよとのご意向です。

東宮の親王さまではなく、かつ甚大な震災被害との事で行わないとのご意向がありました。

重ね重ね申し訳ありません。これ以上は控えさせていただきたく、お詫び申し上げます。

308 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 17:16:22.42 ID:fYpfraRm0
着袴の儀をやらないということは、愛子内親王の脱落を意味すると同時に、
悠仁親王に「厳しい修行」という条件を課したことを意味します。
皇室は現在そのように再編されています。

399 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 19:18:01.36 ID:fYpfraRm0
私も着袴の儀の位置づけはあまり知らないのですか、国家の中枢が
悠仁親王に何を望んでいるのか、今の皇室のカルチャーが再編成される時期に
あまやかさないという意思表示をしたのか、といろいろ考えたのです。
「皇族として認められる条件」は「生まれること」だと思うのですが、
全部、中枢が判断しています。

471 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 21:25:39.98 ID:fYpfraRm0
まあ、医者の健康診断を受けて「おそらく立派に成人するだろう」という判断がつくのが
どの子どもも6歳の11月の健康診断だから、悠仁親王も「着袴の儀」をやるのかやらないのか
は重要な問題だね。
やらなかったら皇統からは早々から脱落という意味にはなりそうだ。
秋篠宮家としては「震災による自粛」でごまかして求心力を先延ばしにしたいかもしれない。

474 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 21:28:42.19 ID:fYpfraRm0
みなさんも「着袴の儀」は最重要テーマだよ。
震災による自粛という「ごまかし」が行われたら「障害児」だと思ったほうがいい。
秋篠宮家としてはごまかしたいんだよ。
でも、みなさんは「どうしても断行する」という立場で運動したほうがいい。
それでもだめなら「天皇」への可能性はこの時点で消滅だ。

497 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 21:46:24.03 ID:fYpfraRm0
これは次世代の編成を行う私からのメッセージですが、
悠仁親王の着袴の儀がその日のうちに大きく報道されないのならば、
私は早々に「戦力外通告」をしますよ。
頭の整理は早い方がいいです。

504 可愛い奥様 sage 2011/07/14(木) 21:53:11.95 ID:fYpfraRm0
紀子さま周辺は「着袴の儀」の話はしたくもないという空気ですよ。

Part2100-584 可愛い奥様 sage 2011/07/17(日) 09:22:41.76 ID:CidVcU6k0
着袴の儀はおそらく9月までには執り行われると思います。
しかし、悠仁親王は障害をお持ちです。
障害をもったことを承知したうえで皇族として迎え入れるのです。
紀子さまが障害児とどう向き合うか、これが今後の皇室のテーマになります。
皇室の力量が日本を振り回すのはまだまだこれからですよ。

740 可愛い奥様 sage 2011/07/17(日) 14:56:03.57 ID:CidVcU6k0
悠仁殿下の着袴の儀は、行うかどうかで暗黙の裡に「障害の有無」の公表がなされます。
行われない可能性が高いです。
しかし、障害児の研究を現在皇室は進めており、
世界ランキング第四位のスタンフォード大学の論文を調査しています。
今の日本は完全にスタンフォードの論文に対応できておらず、あらゆる分野が翻弄されています。
そこに目を付けた皇室が研究を進めているのです。
愛子内親王にせよ、悠仁親王にせよ、深い哲学によって立場が守られるのです。
着袴の儀が行われなかったら、それが「メッセージ」であると受け止めてください。

Part2101-56 可愛い奥様 sage 2011/07/18(月) 11:30:37.23 ID:kLYyanC1O
着袴の儀を行わない事に疑心暗鬼の方々へ。
もう少しだけ詳しく申し上げます。
もともと御尊父である殿下のお召し物で、一切公開せずに執り行う予定でした。
まだ女帝論が消えてはいないのです。公開することにより、身の危険が生じます。
そこにあの震災。
国民が苦しんでいるときにお祝いは控えるようにとの強いご意向があり、儀そのものも無期限延期、ほぼ中止になりました。
ごく内輪のみのお祝いにせざるを得ませんでした。
健やかにお育ちの殿下のお祝いを行わないのは国民に対するアピールに他なりません。紀宮殿下の御式が延期されたり、あまりに質素だったのも同様です。
本当に残念でなりません。

201 可愛い奥様 sage 2011/07/18(月) 18:12:27.54 ID:kLYyanC1O
ここの奥様方は宮内庁にお電話ないしメールをされ、着袴の儀についてお尋ねになったことがあると伺っております。
宮内庁はどう回答したでしょうか。

やります、やる予定ですと話していましたか?

Part2109-142 可愛い奥様 sage 2011/08/03(水) 17:30:58.68 ID:G/7dME0d0
悠仁親王も障害児です。しかし、秋篠宮家は他にかわいい女子がいるので、
秋篠宮夫妻は、「悠仁は見捨てる」というのが本心です。
着袴の儀は行われません。

Part2115-109 可愛い奥様 sage 2011/08/15(月) 01:38:35.36 ID:dRIFUH7M0
親王殿下の着袴の儀さえ行われない。
すくなくとも国民には知らされていない。
せっかく授かった跡取りなのに、と年寄りたちは訝っている。

それを書くと、ここでは「日取りを知りたいのだろう」などと反論される。
どうかしている。

Part2116-520 可愛い奥様 sage 2011/08/17(水) 12:04:17.22 ID:LR88mSa1O
このような記事が出て残念です。
繰り返します。
着袴の儀は行われません。予定すらありません。
上からの強いご意向です。

本当に残念でなりません。
平成の次はもうありません。

『週刊文春』2011年11月10日号にて悠仁殿下着袴の儀が11月3日予定だと記事になり、当日その通りニュースが報道されました。物凄く電波がかっているこれらの書き込み、全て「悠仁殿下着袴の儀やらないやらない」詐欺と判明しました。「雅子が第二子男児を産む産む詐欺」を連想させる、雅子擁護派が見せる動きでもあります。障害云々については、愛子のスライドかとお察しされます。


2011年11月3日秋篠宮家悠仁親王殿下「着袴の儀」「深曽木の儀」ニュース[]

ttp://www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011110300212
悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり
 秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(5)は3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で、「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」に臨まれた。皇室のお子さまの成長を祝う儀式で、秋篠宮さま以来41年ぶり。春に予定されていたが、東日本大震災を受け延期となっていた。
 落滝津(おちたぎつ)の服を着た悠仁さまは、ご夫妻と姉の眞子さま、佳子さま、祖父母の川嶋辰彦さん夫妻が見守る中、畳の上に南を向いて立つと、宮内庁御用掛が白のはかまをはかせ、ひもを結んだ。
 続いて悠仁さまは童形服(どうぎょうふく)姿で、右手に扇、左手に小松2本と山橘(やまたちばな)1本の枝を持ち、皇太子さまと秋篠宮さまのときも使われた碁盤の上で、黒っぽい「青石(あおいし)」2個を踏み南を向いて立った。御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、悠仁さまは約27センチの高さから「ピョン」と飛び降りた。
 式後の午前10時40分すぎ、悠仁さまは落滝津の服を着て、ご家族と赤坂東邸の玄関前に姿を見せた。報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声が掛かると、「ありがとうございます」と話し、笑顔を見せて歩いた。
 この後、悠仁さまは皇居・宮中三殿で参拝し、ご夫妻と一緒に御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。悠仁さまがこの日着た装束は、両陛下から贈られた。(2011/11/03-12:50)

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111103/imp11110313000001-n1.htm
5歳悠仁さまが「着袴の儀」
2011.11.3 12:57
「深曽木の儀」の碁盤に立つ悠仁さま=10月28日、赤坂東邸(宮内庁提供)
 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。皇室のお子さまが5歳になるころ、健やかな成長を祈って行われる伝統行事で、宮内庁によると、両儀式で身につけられた着物は天皇、皇后両陛下が贈られた。
 男子皇族が両儀式に臨まれるのは、昭和45年の秋篠宮さま以来、41年ぶり。
 ご夫妻と、姉の眞子さま、佳子さま、秋篠宮妃紀子さまの両親が両儀式を見守られた。着袴の儀では、たたみの上に吉方を向いて立ち、白いはかまを着用された。
 童形(どうぎょう)服姿で臨んだ深曽木の儀では扇を持って碁盤の上に乗り、髪を整えて足元の青石を踏んだ後、元気に飛び降りられた。儀式は平安時代から皇室に伝わるともされるが、詳しい意味は不明という。
 終了後、悠仁さまはご家族と一緒に赤坂東邸の車寄せに姿を見せ、報道関係者の「おめでとうございます」という声に、「ありがとうございます」とにこやかに話された。続いて皇居・宮中三殿を参拝し、両陛下にあいさつをされた。
 儀式は今春に予定されていたが、東日本大震災のため延期されていた。
 宮内庁によると、悠仁さまはお茶の水女子大付属幼稚園の年中組で元気に過ごしており、年下の子が困っているときには助けることがあるという。最近は恐竜に興味を持ち、図鑑をよくご覧になっている。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/11/03/kiji/K20111103001952880.html
悠仁さま着袴の儀 健やかな成長祝う
「深曽木の儀」の碁盤に立つ悠仁さま=10月28日、赤坂東邸(宮内庁提供)
Photo By 提供写真
 秋篠宮家の長男悠仁さま(5)の「着袴の儀」と「深曽木の儀」が3日、東京・元赤坂の皇族共用邸宅「赤坂東邸」であった。どちらも健やかな成長を祝う皇室の儀式で、一般の七五三に当たる。男子だけがする深曽木の儀は、1970年の秋篠宮さま以来41年ぶりとなった。
 白いはかまをはく着袴の儀に続き、童形服姿で右手に扇、左手にマツとヤマタチバナの若木を持ち、高さ約30センチの碁盤上から畳に飛び降りる深曽木の儀に臨んだ。
 両儀式後、東邸前に姿を見せた悠仁さまは、報道陣が「おめでとうございます」と声を掛けると「ありがとうございます」とはにかんだ。秋篠宮ご夫妻に伴われて皇居に出向き、宮中三殿を参拝。御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。
 ことし春にする予定だったが、東日本大震災で延期していた。
[ 2011年11月3日 11:55 ]

http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011110301000259.html
悠仁さま着袴の儀 健やかな成長祝う
 「着袴の儀」と「深曽木の儀」を終えた悠仁さまと秋篠宮ご夫妻、眞子さま(左)、佳子さま=3日午前、赤坂東邸(代表撮影)
 秋篠宮家の長男悠仁さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の皇族共用邸宅「赤坂東邸」であった。どちらも健やかな成長を祝う皇室の儀式で、一般の七五三に当たる。男子だけがする深曽木の儀は、1970年の秋篠宮さま以来41年ぶりとなった。
 白いはかまをはく着袴の儀に続き、童形服(どうぎょうふく)姿で右手に扇、左手にマツとヤマタチバナの若木を持ち、高さ約30センチの碁盤上から畳に飛び降りる深曽木の儀に臨んだ。
 両儀式後、東邸前に姿を見せた悠仁さまは、報道陣が「おめでとうございます」と声を掛けると「ありがとうございます」とはにかんだ。
2011/11/03 15:07 【共同通信】

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY201111030231.html
悠仁さま5歳「着袴の儀」 男子皇族は41年ぶり
2011年11月3日16時54分
 秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さま(5)の健やかな成長を願う儀式「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。一般の七五三にあたる皇室の行事。
 秋篠宮ご一家が見守る中、悠仁さまは着袴の儀に落滝津(おちたぎつ)の服で臨み、宮内庁職員らに白い袴を着けてもらった。深曽木の儀では童形服(どうぎょうふく)の正装で髪をすきそろえて切ってもらった後、扇や木の枝を両手に持って碁盤から飛び降りた。
 儀式を終え、ご一家で赤坂東邸玄関に現れた悠仁さまは「おめでとうございます」と記者団に声をかけられ、「ありがとうございます」とはにかんだ。その後、皇居・宮中三殿で参拝し、御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。
 着袴の儀は皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)も2006年11月に行ったが、深曽木の儀は主に男子皇族の儀式とされ、父親の秋篠宮さま(45)が1970年10月に行って以来41年ぶり。数え5歳の春にあたる今春に予定されたが、東日本大震災で延期された。

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C889DE1E4E0E3E0EAE0E2E2E1E3E3E0E2E3E39180EAE2E2E2
悠仁さま「着袴の儀」、男性皇族41年ぶり 健やかな成長願う
2011/11/3 23:47
 秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。いずれも健やかな成長を願って5歳ごろに行われる平安時代から続く皇室行事で、男性皇族では秋篠宮さま以来41年ぶり。
 着袴の儀は初めて袴を着ける儀式。悠仁さまは天皇、皇后両陛下から贈られた滝の流れをあしらった落滝津(おちたきづ)の服に白い袴を着けられた。
 続く深曽木の儀で悠仁さまは、童形服(どうぎょうふく)姿に。皇太子さま、秋篠宮さまも儀式に使った碁盤の上に乗り、宮内庁御用掛がはさみで髪の毛を3度切ると、悠仁さまは少し緊張した表情を浮かべながらも、盤上に置かれた2個の黒い小石を踏んで元気に飛び降りられた。
 儀式を終えた悠仁さまは、赤坂東邸前で報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声をかけられると、少しはにかみながらも「ありがとうございます」とはっきりとした声で答えられた。
 儀式は当初、春に予定していたが、東日本大震災の発生などを踏まえ、延期していた。
 宮内庁によると、幼稚園年中組の悠仁さまは友達と遊んだり、年少組の子の手助けをしたりして2学期を元気に過ごしているといい、最近は虫などの生き物だけでなく恐竜にも関心を持たれている。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111103/t10013708041000.html
悠仁さまが“着袴の儀”
11月3日 12時13分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、3日、健やかな成長を願って行われる皇室の儀式、「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨まれました。男子の皇族がこれらの儀式に臨むのは、昭和45年10月の秋篠宮さま以来41年ぶりです。
「着袴の儀」は、平安時代から伝わる皇室の儀式で、子どもが5歳を迎えたころに健やかな成長を願って行われます。ことしの9月6日で5歳になった悠仁さまは、3日午前、お住まいのある東京の赤坂御用地の施設で、秋篠宮ご夫妻や姉の眞子さま、佳子さまが見守るなか、儀式に臨まれました。はじめに天皇皇后両陛下から贈られた袴を身につける「着袴の儀」が行われ、滝の模様が入った織物を着た悠仁さまは、側近の職員に白いはかまをはかせてもらいました。続いて「深曾木の儀(ふかそぎのぎ)」と呼ばれる儀式が行われ、亀甲や菊の柄の織物を羽織った悠仁さまは、碁盤の上に立ち、髪の毛をくしでそろえてはさみで切ってもらったあと、碁盤から飛び降りられました。この動作は、元気な成長ぶりを示すものとされていて、悠仁さまはこれで儀式を終えられました。男子の皇族がこれらの儀式に臨むのは、昭和45年10月の秋篠宮さま以来41年ぶりです。儀式を終えた悠仁さまは、ご家族とともに記者団の前に姿を見せ「おめでとうございます」と声をかけられると、少し照れくさそうにほほえんで「ありがとうございます」とこたえられていました。悠仁さまは、このあと皇居の宮中三殿に参拝し、両陛下にもあいさつをされたということです。

http://www.news24.jp/articles/2011/11/03/07193799.html
悠仁さま「着袴の儀」と「深曾木の儀」
< 2011年11月3日 13:40 >
 秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは3日、一般の七五三にあたるとされる「着袴(ちゃっこ)の儀」などの儀式に臨まれた。
 着袴の儀は平安時代から皇室に伝わる儀式で、子供の健やかな成長を祝う、一般の七五三にあたるともいわれている。3日、悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻や眞子さま、佳子さまらに見守られる中、天皇・皇后両陛下から贈られた袴を着けられた。
 その後、悠仁さまは「深曾木(ふかそぎ)の儀」と呼ばれる儀式に臨まれた。悠仁さまは伝統に倣い、碁盤の上に立って髪の毛の先を切りそろえた後、碁盤から飛び降りられた。近年では深曾木の儀は皇族の男児のみが行う儀式のため、行われたのは秋篠宮さまのとき以来、41年ぶりとなった。

http://www.news24.jp/articles/2011/11/03/07193809.html
日テレにこにこアルバム
悠仁さま 「着袴の儀」に臨まれる
< 2011年11月3日 16:17 >
 秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは3日、一般の七五三にあたるとされる「着袴(ちゃっこ)の儀」などの儀式に臨まれた。悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻や眞子さま、佳子さまに見守られる中、両陛下からおくられた袴(はかま)を着けられた。

h ttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4868320.html
最終更新:2011年11月3日(木) 12時29分
悠仁さま、「着袴の儀」「深曾木の儀」に
 秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまが、一般の七五三にあたる皇室伝統の儀式「着袴の儀」と「深曾木の儀」に臨まれました。
 平安の時代から伝わる「着袴の儀」は、数え年が5歳になったころに健康と成長を祈って初めて袴を着ける儀式です。秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さまが見守る中、悠仁さまは天皇・皇后両陛下から贈られた着物と白い袴を着せてもらい、最後に紐を結んでもらいました。
 続いて行われた「深曾木の儀」では、碁盤の上に立ち、髪にくしを通した後、はさみで毛先を切り、両足で小石を踏んだ状態から南の方向に向かって碁盤を飛び降ります。石を踏むのはみそぎのため、碁盤から飛び降りるのは「大地にしっかり足をつける」ためとされます。この「深曾木の儀」は、近年は親王のみが行っているため、秋篠宮さま以来41年ぶりです。
 悠仁さまは儀式を終えられた後、笑顔で手を振っていました。(03日10:54)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4868424.html
悠仁さま「着袴の儀」「深曾木の儀」に
 男子の皇族としては、41年ぶりの儀式が行われました。秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが一般の七五三にあたる「着袴の儀」と「深曾木の儀」に臨まれました。
 「おめでとうございます」(記者)
 「ありがとうございます」(悠仁さま)
 儀式を終えたあと、ご家族と一緒に姿を見せられた悠仁さま。大勢の報道陣に少し驚かれた表情でしたが、笑顔でしっかりと挨拶をされました。
 今年5歳になった悠仁さまが3日、臨まれた伝統の儀式とは、平安の時代から伝わる「着袴の儀」。数え年が5歳になった頃に、健康と成長を祈って初めて袴を着ける儀式です。
 秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さま、紀子さまの両親が見守る中、悠仁さまは天皇・皇后両陛下から贈られた着物と白い袴を着せてもらい、最後に紐を結んでもらいました。
 続いて行われた「深曾木の儀」。右手に扇、左手には長寿を祈って伊勢神宮から献上された小松と山橘を持ちます。
 碁盤の上に立って髪に櫛を通したあとはさみで毛先を切り、最後に足元の石を踏んだ状態で南の方向に向かって碁盤を飛び降ります。石を踏むのはみそぎのため、碁盤から飛び降りるのは「大地にしっかり足をつける」ためとされます。
 こちらは1970年、悠仁さまの父・秋篠宮さまが4歳当時の「深曾木の儀」の映像です。この深曾木の儀は近年は親王だけが行っているため、秋篠宮さま以来41年ぶりとなりました。
 報道陣に向かって、トコトコ歩き出すなど活発な悠仁さま。このあと宮中三殿で拝礼したのち、秋篠宮ご夫妻とともに両陛下に挨拶をされ、悠仁さまの記念すべき1日は終わりました。(03日17:05)

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00210826.html
秋篠宮家ご長男・悠仁さま、初めてはかまを着ける「着袴の儀」行われる
秋篠宮家の長男・悠仁さまは3日午前、初めてはかまを着ける宮中儀式「着袴の儀」を赤坂御用地で行われた。
男性皇族の着袴の儀は、秋篠宮さま以来41年ぶりとなる。
着袴の儀は午前10時から、赤坂御用地内の赤坂東邸で行われ、悠仁さまのはかま姿の着付けは、5分ほどで終了した。
引き続き「深曾木の儀」と呼ばれる儀式が行われ、悠仁さまは、右手に扇、左手に小松と山橘を持ち、髪を切られたあと、碁盤から飛び降りられた。
悠仁さまは、少し緊張の表情を見せられたが、練習同様、3日もおよそ27cmの高さから元気に飛び降りられたという。
儀式のあと、悠仁さまは、報道陣から「おめでとうございます」と声をかけられると、「ありがとうございます」と笑顔で応えられた。
悠仁さまは最近、恐竜に関心を持ち、よく図鑑を見られているという。
(11/03 12:07)

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/211103017.html
悠仁さま“着袴の儀”と“深曾木の儀”に(11/03 11:51)
 秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまが、一般の「七五三」にあたる「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曾木(ふかそぎ)の儀」に臨まれました。「深曾木の儀」は主に皇室の男子が行う儀式で、秋篠宮さま以来、41年ぶりに行われました。
 悠仁さまは、3日午前10時から、白い袴(はかま)を身に着けて袴のひもを結ぶ「着袴の儀」に臨み、続いて行われた「深曾木の儀」では、天皇皇后両陛下から贈られた童形服を着て碁盤の上に立たれました。宮内庁の職員が悠仁さまの髪をくしでそろえて毛先を切ると、高さ約30センチの碁盤から飛び降りて儀式は終了しました。悠仁さまは9月に5歳の誕生日を迎え、幼稚園では友達と長い竹ざおでカキを取るなど元気に過ごされているということです。

宮内庁公式HP日程記録ページにおける、2006年11月11日愛子「着袴の着」/2011年11月3日秋篠宮家悠仁親王殿下「着袴の儀」「深曽木の儀」の違いについて[]

http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h18/gonittei-2-2006-10.html
平成18年11月11日(土)
皇太子同妃両殿下 愛子内親王殿下ご着袴の儀につき諸行事(東宮御所)
皇太子殿下 ご臨席(青少年育成国民運動発足40周年記念式典)(国立オリンピック記念青少年総合センター(渋谷区))

このたった一行のみである。「諸行事」が何を指しているか不明。「ご着袴の儀」という強引な尊敬表現の作出にも注目。


http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/03/h23/gonittei-3-2011-4.html
平成23年11月3日(木)
文仁親王同妃両殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下 悠仁親王殿下着袴の儀及び深曾木の儀(赤坂東邸)
悠仁親王殿下 着袴の儀及び深曾木の儀お済ませにつきご参拝(宮中三殿)
文仁親王同妃両殿下並びに悠仁親王殿下 天皇皇后両陛下にご挨拶(御所)

「諸行事」と曖昧に済ませることなく、悠仁殿下が主体となって行われたことも分かる記名、宮中三殿のご参拝、両陛下へのご挨拶まできちんと記録されている。


2013年1月1日新年を迎えるにあたり発表された天皇皇后両陛下の和歌8首、その中に「着袴の儀で碁盤の上に立たれる悠仁殿下」を題材にしたものが含まれている件[]

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130101/imp13010109070002-n1.htm
天皇、皇后両陛下のお歌8首を発表
2013.1.1 09:06 [皇室]
 新年に当たり、宮内庁は天皇、皇后両陛下が平成24年に詠まれたお歌のうち、計8首を発表した。両陛下とも、東日本大震災の被災者、被災地復興へ思いを寄せたお歌や、11月の沖縄県訪問のお歌を詠まれた。
 陛下は、人々が弾を避けてアダンの木に隠れたという沖縄戦を思い起こして歌にしたほか、5月に訪問した英国で、昭和28年にエリザベス女王の戴(たい)冠(かん)式に参列した思い出を詠まれた。
 皇后さまは、平成23年11月、秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが5歳のときの儀式で碁盤に立たれた姿も詠まれた(原文のまま、ルビも)。
【天皇陛下】(5首)
 《心臓手術のため入院》
 手術せし我が身を案じ記帳せるあまたの人の心うれしき
 《仙台市仮設住宅を見舞ふ》
 禍(まが)受けて仮設住居に住む人の冬の厳しさいかにとぞ思ふ
 《即位六十年に当たり英国の君に招かれて》
 若き日に外(とつ)国(くに)の人らと交はりし戴冠式をなつかしみ思ふ
 《沖縄県訪問》
 弾を避けあだんの陰にかくれしとふ戦(いくさ)の日々思ひ島の道行く
 《明治天皇崩御百年に当たり》
 様々の新しきこと始まりし明治の世しのび陵(みささぎ)に詣づ
【皇后さま】(3首)
 《復興》
 今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ失(う)せたるものの面影の上(へ)に
 《着袴の儀》
 幼な児は何おもふらむ目見(まみ)澄みて盤上(ばんじやう)に立ち姿を正す
 《旅先にて》
 工場の門(かど)の柱も対(つい)をなすシーサーを置きてここは沖縄(ウチナー)

着物専門雑誌『美しいキモノ』2013年春号特大別冊付録における、2006年11月愛子ピンク色着物についてのコメント「愛子様の衣装は格式高い有職織物に見受けられます」、一方2011年11月3日着袴の儀悠仁殿下の装束についての非常に具体的なコメントとの対比[]

愛子の装束については「~に見受けられます」と曖昧な表記、一方悠仁殿下の装束については具体的な説明に徹している書き方を比較されたい。

『美しいキモノ2013年3月号(243号)特別別冊付録 お手本にしたい気品ある着こなし 皇室のきもの』 監修 清水ときpp.15-17より引用
平成18年11月、愛子様の「着袴 ちゃくこ の儀」を終えて笑顔の皇太子ご一家。この儀式は一般の七五三にあたるもので愛子様が5歳のときに行われました。愛子様の衣装は格式高い有職織物に見受けられます。東宮御所で
 
平成23年11月3日、悠仁様の「着袴 ちゃくこ の儀」と「深曾木 ふかそぎ の儀」が元赤坂の赤坂東邸で行われ、車寄せにお出ましになった秋篠宮ご一家。悠仁様は天皇皇后両陛下から賜った伝統装束で式に臨まれました。紀子さまは松模様の訪問着に金地華文の袋帯を合わせた気品あるお姿です。眞子様は愛らしい花熨斗模様の振袖、佳子様は御所解模様の振袖の優美な装いです
 
「深曾木の儀」では「童形服 どうぎょうふく」姿で臨まれました。右手には扇、左手には伊勢の神宮から献上された小松2本と山橘1本を持たれています。碁盤の上の青石を踏み、碁盤から飛び降りました
 
「着袴の儀」には古式ゆかしい装束で臨まれました。黒紅の地色に刺繍で滝の流れを表した「落滝津御服 おちたぎつのごふく」に「白御切袴 しろのおんきりばかま」を着け、右手には「御雪洞 おぼんぼり」とよばれる扇を持たれています

  • 『美しいキモノ2010年冬号(234号)特別別冊付録美智子様・雅子様・紀子様・清子様の品格ある装い皇室のきもの』(愛子・悠仁親王殿下ページ大き目画像)より引用

平成18年11月。着袴の儀を終えられた愛子様。この儀式は一般の七五三にあたるもので、愛子様が5歳のときに行われました。伝統に則った着袴の儀の衣装はしっかりした錦織物に見受けられます。東宮御所で。
 
平成21年9月。秋篠宮家にはじめて誕生した男子、悠仁様の満3歳を祝うお誕生日に。波模様の綸子地に、鶴や橘、波濤が刺繍で表された豪華な祝い着をお召しです。悠仁さまの楽しげなご様子がうかがえます。

Part2520-453 可愛い奥様 sage 2013/02/20(水) 13:23:30.50 ID:mOjF8as9O
既出でしょうか?
本日発売の美しいキモノの付録は皇室の着物という写真冊子です
今まで皇族の女性方がお召しの着物を紹介しています
一部「う・・」というのもありますが、ページをめくると「あら(にっこり)」となりますので、我慢なさって下さい

以上、書店員のホネホネからでした
では、また仕事に戻ります


682 可愛い奥様 sage 2013/02/20(水) 19:09:53.74 ID:cp4uBUTZ0
>>453さんも書いてますが、美しいキモノ最新号に別冊付録「皇室のきもの」があります
皇后陛下の御歌や紀子さまと華子さまが着物について詠んだ和歌も載っています
http://www.hearst.co.jp/product/utsukushiikimono/magazine/node_6505
雅子の写真より華子さまの写真の方が沢山載ってます
彬子さまや瑶子さまは載っているのに信子さまは載ってないのが残念
高円宮家は絢子さんが着物を着た公務が無いせいか載ってなかった気がします
久子さんの隣に雅子が居る写真(雅子は洋服)ははっきり言って不要
愛子の着袴の偽の裏側に秋篠宮家の着袴の儀の写真は明暗分かれすぎ

Part2524-378 可愛い奥様 sage 2013/02/24(日) 21:48:45.35 ID:qatC0fpu0
>>278
マサカルト図法ww

書店で「美しいキモノ」見た。付録は眼福なんだけど、
秋篠宮家とARERAがページの表と裏なのが残念すぎる。切り取れないじゃないの。
ただ愛ちゃん着袴の儀の時のピンクの道中着の写真の下にあった
「由緒ある有職文様と見受けられる」という説明文、これって
なんか怪しげなモン着てはりますなぁって言ってるのと同じことかしら。


383 可愛い奥様 sage 2013/02/24(日) 21:51:10.83 ID:69GzmKdZ0
>378
>「由緒ある有職文様と見受けられる」
有職文様特集を組むことも多い美しいキモノ編集部を持ってしても特定できない(しない)って、よっぽどですよねw



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