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窓から飛び込んだ羽獣
カンタービレの生活に突如として現れた小さな羽獣。その救助をする彼女だが、知らず知らずのうちに自身の心も救っていた。
あの女の子を助けて以来、まだ一度も会いに行っていない……
私なんかが、本当に正しい未来へ向かう助けになれるのか……それが不安で仕方ないから。
もし私のせいで……あの子がかえって……
[外勤オペレーター] カンタービレさん。ドクターとケルシー先生のお二方は、あなたの今の状態が外勤任務には相応しくないと判断なさいました。
[外勤オペレーター] なによりもまず、時間通りにきっちり食事をしてください。いいですね? あなたは感染者なんです。ただでさえ、そんなに長い間何も食べずにいると身体に深刻な害を及ぼすというのに。
[外勤オペレーター] あの人が負傷したのはあなたのせいじゃありません。あなたを外勤に向かわせないのも、任務でミスをしたからではなくて、そのミスに間違った方法で向き合おうとしているからです。
......
私は、自分のことすらろくに……
[外勤オペレーター] カンタービレさん、聞こえてます? ……はぁ。とにかくそういうことですから、しばらく養生してください。何が問題なのか一度よく整理してから、改めて外勤に復帰しましょう。お供しますから。
[外勤オペレーター] それと、どうしてあの後断食なんかしようと思ったのか、話してくれたら嬉しいです。今じゃなくても、あなたが話したいと思った時で構いませんので……
[カンタービレ] 私が話したいと思った時……
[カンタービレ] 「始末書――本任務の目標は、村人たちを脅かす強盗の撃退に協力することでした。」
[カンタービレ] 「しかし、私はあろうことか依頼人を負傷させてしまったのです。彼らを助けに来たはずなのに、逆に彼らに危害を加える側となってしまいました。」
[カンタービレ] 「説明をしますと……私は本任務において死傷者を出すまいとするあまり……強盗を殺めようとする村人を制止する際、誤って怪我を負わせました。」
[カンタービレ] 「あの村人の事情を……私は何も知りません。もし過去に強盗に酷いことをされた経験があったとしたら? 彼の背景を事前に確認してから行動すべきではなかったか――」
[カンタービレ] いえ、違うわ。隊長は、間違っていたのはそこじゃないと……
[カンタービレ] 間違っているのは、ミスに対する私の向き合い方だって……だけど私の知ってるやり方は……
[カンタービレ] それに、ロドスの主な使命は人員救助と病の治療だというのに、私は助けるべき相手を傷つけてしまった……それが間違いじゃない上に、罰を受ける必要もないって……一体どうして……
1437、これが今回の食事だ。しっかり食べて体力を付けろ。食べきれば、明日からお前に先生が付くぞ。音楽と教養について教わるんだ。
……食事? でもこれ……まだ生きてるんじゃ――
いいや、それがお前の食事だ。お前はそれを食らうのだ。ここへ来た最初の日を忘れたか? 食事で腹を満たした時、どんな気分がした?
力が湧いてくる……感じがしたわ……
力があれば、立ち上がり、駆け回り、跳び回ることだってできる。痙攣しながら胃液を吐き散らして、全身の苦痛に顔を歪めるようなことはない。そうだろう? お前はまたそんな目に遭いたいのか?
……でも……でも……
[カンタービレ] うっ……
カンタービレは目の前の始末書をぐちゃぐちゃに丸めた。これ以上書こうという気が起こらなかった。
それからもう一枚紙を広げて、自分のミスの原因についてまとめようとするが、何度努力を繰り返しても、丸めた紙くずが増えるだけだった。
[カンタービレ] 自分がなぜそうしたのか、よく分かっているはずだというのに……それを文字に起こしたくない……私はなんて最低なの……
[ドアの外の声] カンタービレさん、いらっしゃいますか? ご飯の時間ですよ。自分は医療部の者です。ここしばらくは食事の時間を知らせに来ることになってますからね。
[ドアの外の声] 朝食はきちんと食べましたか?
[カンタービレ] え……ええ、ちゃんと食べたわ。
[ドアの外の声] 分かりました、その言葉を信じましょう。だからあなたも私たちの信頼に応えて、栄養をしっかり摂ってくださいね。数日後に定期健診を行います。いいですか?
[カンタービレ] ええ。
[カンタービレ] ふぅ……
[カンタービレ] 何の音かしら?
[ケガした羽獣] ピィ、ピィ。
[カンタービレ] え……この子、一体どこから? 窓が開いてたのかしら?
[ケガした羽獣] (机の上のご飯をついばむ)
[カンタービレ] こんにちは……あなた、誰かのペットなの?
[カンタービレ] ごめんなさい。ちょっと聞いてもいいかしら? あなたはその……羽獣をペットとして飼ってたりする?
[スノーズント] え、いえいえ! ペットを飼うようなお金の余裕なんて、わたしには……
[スノーズント] もしペット用品の修理でお困りなら、力になれますけどね。
[スノーズント] バニラさんのペット用給水機だって、この間わたしが直したんですから!
[カンタービレ] あなたがバニラさんね? ちょっといいかしら。私の宿舎に羽獣が迷い込んできたのだけれど、あなたのペットだったりしない?
[バニラ] いいえ、私が飼ってるのはオリジムシたちです。とっても可愛いんですよ。
[バニラ] どうです? あとで見学していきませんか?
[カンタービレ] い、いえ、結構よ!
[バニラ] そうですか……でしたら、ジュナー教官あたりに聞いてみてはいかがでしょうか? 子供の患者さんたちのために、こっそり飼ってたりするかもしれません。
[バニラ] それか、オペレーターのみなさんはペットを連れて療養庭園へ散歩に行きますよ。最近は特によく見ますから、パフューマーさんか、ビーンストークさんに聞けば何か知ってるんじゃないでしょうか?
[ビーンストーク] 羽獣? 何よ、前はハガネガニ飼いたいって言ってくれてたのに、気が変わっちゃったの?
[カンタービレ] 違うわ、この子は私が飼ってるわけじゃなく、たまたま宿舎に迷い込んてきただけで……こんなか弱い命のお世話は、やはり私にはできそうにもないし、軽々しく引き取るべきじゃないと思うの。
[カンタービレ] 羽獣にしろハガネガニにしろ、一方的に飼うことを決めるのって、本当に正しいの……? きちんとお世話できないかもしれないし、そもそも私に飼われることを望んでない可能性だって……
[ビーンストーク] もう、何でそんな風に考えるの? ロドス中を探し回っても飼い主は見つからなかったんだから、この子はわざわざ君の宿舎に飛び込んで君に助けを求めたわけ。つまり君はこの子に選ばれたんだよ。
[ビーンストーク] ハガネガニちゃんが荒野であたしを助けてくれた時みたいにね。
[ビーンストーク] 試しに飼ってみればいいじゃない。君なら良いご主人様になれると思うよ。上下関係がいやなら良き友人でもいいし。
[カンタービレ] 「ご主人様」?
[ビーンストーク] ちょっと、どうして震えてるの? そんなに全身を強張らせて……もしかして羽獣が怖い?
[カンタービレ] いえ、こんな小さい羽獣が怖いなんてことは……ただ――
[ビーンストーク] あ、経験がないから怖いとか? ペットの飼育ならあたしの得意分野だよ、任せて!
[ビーンストーク] ほら、こんな風に優しく撫でて、傷つけるつもりはないんだよって伝えてあげれば、信頼を得られるから! 全然難しくないでしょ?
[ビーンストーク] ぴーちゃんみたいに臆病なハガネガニでも、敵意がないってことが分かれば、向こうから近寄ってきてくれるよ。
[カンタービレ] けど、ビーンストークさん……小動物の世話なんて、私、したこともないから……どう接すればいいのか分からないわ。それに、私が見たことあるのは……死んで冷たくなった動物の姿だけ……
[カンタービレ] こんな私がこの子の世話なんてしたら……すぐ、死なせたりしないかしら?
[ビーンストーク] え?
[ビーンストーク] ――まさか! この子は羽をちょっとケガしちゃってるから、今は飛べなくなってるけど、ただそれだけだよ。気にし過ぎだって!
[ビーンストーク] 宿舎に戻ったら巣を作ってあげて、エサと水を用意してあげてね。それと、この子が自由に飛び回れる空間を確保するのを忘れずに。だいたいそんな感じよ。それじゃ頑張ってね!
[カンタービレ] ……ええ、わかったわ。
[ケガした羽獣] (机の上で腹ばいになっている)
[カンタービレ] あら、まだそこにいたの?
[カンタービレ] ここにはあなたの飼い主もいないし、窓も開けておいたのに、お腹がいっぱいになっても出て行かないのね。
[ケガした羽獣] (カンタービレの方へ近寄ろうとする)
[カンタービレ] ……そこでじっとしてて! この部屋にはまだ武器が色々と置いてあるの……それにあなたみたいな子を世話したこともないから、不安なの……も、もしかしたらあなたを……
[ケガした羽獣] (縮こまる)
[カンタービレ] ハァ……ハァ……ごめんなさい、私……
[カンタービレ] そ、そうだ、羽……ビーンストークさんが炎症を抑える薬を塗ってあげてって言ってたわ。それから包帯を巻いてあげなきゃ。
[カンタービレ] こんなのやったことないけど――
[カンタービレ] そう、おとなしくしててね。今塗ってあげるから……
羽獣はカンタービレが助けようとしてくれていることを感じ取り、体を動かして彼女の指に近付こうとする。
[カンタービレ] ……きゃっ! 急に動いたりしてどうしたの? 薬が染みて痛いのかしら?
[ケガした羽獣] (自在に羽を伸ばす)
[カンタービレ] 大丈夫みたいね……薬は塗り終わったわ。
[カンタービレ] エサを用意するわね。
1437、なぜ食事を摂らない?
だって……この子はまだ生きてるのでしょ?
任務を遂行できないのなら、ここから出て行くがいい。
……嫌、それは嫌!
食らうか、さもなくばここから出て飢え死ぬか、選ぶがよい。これを食らうのなら、明日は普通の食事を出してやろう。それから教習を全うすることができれば、部屋を出て庭園へ行くことも許そう。
ずっと、外のブランコを羨ましそうに眺めていただろう?
同級生たちとはどうしているのかね。なぜ会話に加わろうとしないのだ。
それは……私は人と話してはいけないはずでは……?
いいや、もっと会話すべきだ。お前は彼らと交流し、その輪に加わる必要がある。異端と見なされてはならないのだから。
……分かりました。
友人を作り、交友を深めたまえ。彼らから新しい友人だと、頭脳明晰な優等生だと認識されるように振舞うのだ。
よくやった、1437。
……はい。
今後は荘園内を自由に動いても構わない。入学手続きも済ませておいたから、来月になったら文学科と音楽科へ行って勉強を続けなさい。家庭教師もお前について行くことになっている。
……ありがとうございます。
あの葬儀に参列した奴らは泣いていた。お前も涙を流していたな。お前はあの時、何を思っていた?
葬儀は単に私が任務を首尾よく完遂できたという証明。あの時涙を流したのは……ただ、そうすべきだったというだけ。
そうだ。素晴らしいぞ、1437。
[カンタービレ] あなたが傷付いたら、私は涙を流すべきなのかしら――それとも、心を痛めるべきなのかしら?
[カンタービレ] けど今の私の心には……何の感情も湧いてこない。
[カンタービレ] 私には何も感じられないの。
[ケガした羽獣] (近寄ろうとする)
[カンタービレ] ……来ないで!
[カンタービレ] 私が怖くないの? どうしてそんな簡単に……近付こうとするの?
[カンタービレ] こんなに大勢の人がいる中で、どうしてわざわざ私の宿舎に入ってきたの? ここには私なんかより良い人も、優しい人も、温かい人もたくさんいるのに。彼らは……
[カンタービレ] 平和な環境に生まれ育った彼らは……残酷な光景なんて見たことがない彼らなら、あなたの面倒だってよく見てくれるはずよ……分かるかしら? 私、怖くて震えているの。
[カンタービレ] あなたを傷付けてしまうかもしれないから……だからあなたは……こんなところにいてはダメなのよ!
[カンタービレ] そもそも私には……どうすればいいのか……どうやって向き合えばいいのかすら分からないんだもの……
[カンタービレ] ……どうして出ていかないの?
[カンタービレ] 大した傷じゃないはずよ。私の宿舎なんかに入らなければ……それかすぐここから飛び去って、甲板にでも降り立てば、誰かが見つけて助けてくれるはずなのに……
[カンタービレ] それとも勇気が足りないのかしら……なら、手伝ってあげるわ……
[ケガした羽獣] (不審げに身を縮める)
[カンタービレ] 自由に……なりたくないの?
[カンタービレ] ふぅ……
[カンタービレ] さぁ、ここから飛べばいいのよ……
[休養中の患者] 先生、ちょっと傷口を診てもらえませんか? 何だか背中の辺りの感覚がなくて……
[体の弱い患者] ゲホッ……ゲホッ……
[体の弱い患者] なぁ先生、正直に話してくれ。俺の体の石はもうどうにもならねぇんだろ?
[カンタービレ] (ここは……医務室? いつの間にこんなとこまで来てしまったのかしら……あの羽獣は……)
[カンタービレ] (……結局、逃がしてやれなかったわ。無理やり追い出してやろうかと思ったけど……逆に私の方が逃げ出してきちゃったみたい。)
[カンタービレ] (でも本当に追い出したりなんかしたら、私はきっと自分のことを……外に捨てるなんて、やはりできない。)
[カンタービレ] (今は宿舎に戻りたくない……ビーンストークさんのところは今日訪ねたばかりだし、むやみに迷惑かけるわけにもいかないわ。ドクターはいつも忙しいし、こんなくだらない用事なんてきっと……)
[カンタービレ] (先生……私を助けてくれたあの先生なら……)
[カンタービレ] ……
[カンタービレ] ごめんなさい、一つ尋ねてもいいかしら。どうして今日はこんなに人が少ないの?
[医療オペレーター] この先の航路上で、地盤沈下が起こってる場所をエンジニア部が発見したんですよ。近くに住む村人が大勢生き埋めになってるみたいで、医療部の人員は半数近くが救出に向かいました。
[医療オペレーター] 誰かお探しですか? それとも定期健診?
[カンタービレ] いえ……ロドスに来たばかりの頃に、私の治療を担当してくれた先生を探しに来ただけで……彼女とお話ができたらと思って。
[カンタービレ] その方たちはいつ戻ってくるかご存知ないかしら? その、急に会いたくなって……
[医療オペレーター] 私も現場の状況を詳しく把握しているわけじゃないので、何とも言えませんけど、早くても明日になるんじゃないでしょうか。
[カンタービレ] そう……じゃあまた来るわ。ありがとう。
[医療オペレーター] ちょっと、宿舎はそっちじゃありませんよ?
[カンタービレ] ……
[カンタービレ] ええ、そうね……ちょっとぶらぶらしたくなって。
[医療オペレーター] ねぇ、あなた大丈夫?
[カンタービレ] だいじょうぶ……いえ、私……
[休養中の患者] お嬢さん、ちょっと待って! さっきは見間違いかと思ったけど、背中に羽獣がしがみついてるわよ!
[休養中の患者] てっきりあえて乗せてるものだと思ってたけど、全然気づいてない様子だから。その子、落っこちそうになってるから、はやく支えてあげて!
[カンタービレ] ええっ?
カンタービレは慌てて自分の背中を探る。すると服の襟首の後ろに羽獣が爪を引っかけて、危なっかしくぶら下がっていた。
[休養中の患者] ああっ、落ちちゃう!
[カンタービレ] ……あっ! この子、どうして……
[カンタービレ] 先生、お願いがあるの。この子、羽をケガしてるせいで飛べなくて……塗ってあった薬も包帯も取れてしまったみたい。何とか助けてあげられないかしら?
[カンタービレ] わ、私……
[カンタービレ] 前に、死にかけの羽獣を見たことがあって、あの子たちの羽もこんな風に垂れていたわ……この子、死んでしまうの? 私がちゃんとお世話してあげられなかったから――
[医療オペレーター] え? いえ、大丈夫ですよ。羽のケガも大したことありませんし、恐らくエサを食べ過ぎたせいで立ってられないんでしょう。何日か安静にしてれば治りますよ。
[カンタービレ] ……本当? それだけなの?
羽獣はカンタービレの手の上で寝っ転がり、顔をうずめていた。心地の良い姿勢を探したいのか、ぐりぐりと頭をその手のひらに何度も押し付ける。
[医療オペレーター] 大丈夫です、慌てる必要ありませんよ。そんなに緊張しちゃって、どうかしたんですか?
[カンタービレ] ……
[休養中の患者] あらあら……可愛いおチビちゃんだこと。
[体の弱い患者] お嬢ちゃん、ずいぶんその子に信頼されてるねぇ。うちで飼ってる老いぼれの循獣にそっくりだ。
[体の弱い患者] その子と一緒に、こっちに座ってくれねぇか? こういうちっこいのを見るのは久しぶりなもんでねぇ。
[休養中の患者] 毎日天井ばかり見てて、もう飽き飽きなのよ……
[カンタービレ] その……
[カンタービレ] えっ? ちょっと……!
羽獣は羽ばたいて、ベッドの上に飛び乗った。
[回復中の幼い患者] わぁ、羽獣さんだ! 触ってもいい?
[医療オペレーター] カンタービレさんに聞いてみなさい。
[回復中の幼い患者] お姉ちゃん、触っていい?
[カンタービレ] あっ、あなたは……
[回復中の幼い患者] あ、助けてくれたお姉ちゃんだ! ……ねぇ、私はお姉ちゃんが初めて助けた人なんだよね? いっぱいお見舞いに来てくれるって約束したのに、結局一回も来なかったじゃん……
[カンタービレ] それは……さ、最近ちょっと……
[回復中の幼い患者] 羽獣のお世話で忙しかったとか? フン、だったら、許してあげないこともないかな。
[回復中の幼い患者] 先生がね、ちゃんとお薬飲んでご飯食べれば、私も動物を飼っていいんだって!
羽獣は、柔らかい布団に心地よさを見出したようで、元気にその上を跳ね回っていた。
何人かの患者がベッドから身を起こして目を輝かせ、思わず笑みをこぼしながらこちらを見ている。
[カンタービレ] ごめんなさい、ここは病室だったわね。お休みの邪魔をして申し訳ないわ。すぐに出て行くから――
[休養中の患者] あら、行ってしまうの? もう少しここにいてもらえないかしら……こういう元気な姿をもっと見ていたいわ……
[体の弱い患者] お嬢ちゃん、俺も触っていいかい? 家を出てからだいぶ経つもんだから、うちの老いぼれの循獣の背中を……もう長いこと撫でてやれてないんだ。
[カンタービレ] もちろん……それに、この子とはたまたま出会っただけで、私が飼い主ってわけじゃないから。
[体の弱い患者] そうなのかい! いやぁ、うちの循獣との出会いもそんな感じだったなぁ……ははっ……
[休養中の患者] あなたは優しいのね。この羽獣みたいに、日々傷付いてる子たちは山ほどいるけど、それを助けようとする人はほとんどいない。私が病気で死なずに済んでるのも、あなたたちに出会えたおかげよ。
[休養中の患者] あなたたちはみんな、心優しいお人よ……
[カンタービレ] 「優しい人」……
カンタービレは羽獣に目を向けた。くりくりとした丸い目が彼女を見返してくる。
それからよろよろとした足取りで近づき、傷の手当をしてくれた人間に甘えようとする。
[回復中の幼い患者] あのね、病気が治った後もここに残って、何でも知りたいことを勉強していいって先生が言ってくれたの。みんなが手伝ってくれるからって!
[回復中の幼い患者] それって「学校に通う」のと同じだよね? それと、カンタービレお姉ちゃんみたいな人のことを「恩人」って言うんだってさ。読んだ本に書いてあったよ!
[カンタービレ] 「恩人」……?
[休養中の患者] ふふっ、学校に通いたいだなんて、とっても勉強熱心なのね!
[回復中の幼い患者] でしょ! あとね、お姉ちゃんはたくさんの言葉を知ってるし、本も読めるし、リラも弾けて、とってもすごい人なんだよって、別の先生が前に言ってたよ!
[休養中の患者] あら、リラが弾けるだなんて本当なの?
[カンタービレ] リラは、少しだけなら……
[回復中の幼い患者] お姉ちゃんは昔、リラを人に教えてたことがあるんでしょ? 先生に聞いたよ! お姉ちゃん、私にも教えてくれる?
[回復中の幼い患者] 私、カンタービレお姉ちゃんみたいな人になりたい!
[カンタービレ] ……いけないわ。あなたは自分らしくいれば、それで……
幼い患者は、自分の枕元に置いてあった小さな楽器を手に取ると、拙い手つきで弦を弾き、調子の外れた音を鳴らした。
羽獣がまるで歌を歌うかのように、ピィピィと鳴き声を上げる。
[休養中の患者] あらあらこの子ったら、かなり練習してるってのに、まだそんな音しか出せないのね。
[体の弱い患者] 何言ってんのさ……教えてくれる人もいないんだから、音が出せるだけ大したもんじゃねぇか。
[体の弱い患者] 曲になってなくたって、たまに聞けば少しは気分が晴れるってもんだよ……
幼い患者の小さな手の上に、手が重ねられた――
カンタービレが優しく弦を弾くと、静かな病室の中をメロディーが流れ出す。それは彼女が今までに弾いたことのない曲だった。楽譜はなく、ただ、今の自分の心情に沿った音を自然に奏でるだけ。
[回復中の幼い患者] わぁ……
[回復中の幼い患者] お姉ちゃん、私もいつかリラを弾けるようになりたい!
[医療オペレーター] ほらほら、晩ご飯の時間ですよ。一人ずつ配るから、ひとまず自分のベッドに戻ってくださいね。
[医療オペレーター] ちびっ子も、ちゃんとベッドに戻りなさい。
[回復中の幼い患者] お姉ちゃん! 私たくさんご飯を食べていっぱい元気になるから、お姉ちゃんもしっかり食べて、一緒に元気になろうね!
[体の弱い患者] お嬢ちゃん、あんたさえよければ、暇な時にその子と一緒に遊びに来てくれよ。
[カンタービレ] 私は……
[カンタービレ] ふぅ……
[カンタービレ] 「恩人」、「お嬢ちゃん」。
[カンタービレ] 今までそんな風に呼ばれたことなんてなかった……
[ケガした羽獣] ピィ、ピィ。
[カンタービレ] あの綺麗に着飾った人たちは、私のことを「お嬢ちゃん」だなんて呼ばなかった。子供たちが私を何と呼んでいたのかは、まともに聞く勇気もなかった。
[カンタービレ] あの人たちが呼んでいたのは私じゃなく、見せかけの……私ですら知らない私だったから。
[カンタービレ] でもさっき彼らは……私のことを恩人って、お嬢ちゃんって……
[カンタービレ] そんな風に呼ばれたのははじめてだわ……
[ケガした羽獣] (机の上を跳ね回る)
[カンタービレ] ねぇ、聞いてくれる……?
[カンタービレ] 私……人を殺したことがあるのよ。
[カンタービレ] ドクターにも、私を助けてくれた先生にも話したことはないわ。
[カンタービレ] 幼い頃に私を拾った人たちは……住処を与え、食事と水を与えてくれた。
[カンタービレ] あの人たちの言うとおりにすることだけが、生きていく術だと思ったの。どうしてなんだろうね。怖かったのかしら……死にそうなくらいにひもじい思いは、本当に辛かったから……
羽獣は、カンタービレがまだ手を付けていないご飯から、ご飯粒を一粒ついばみ、首を伸ばしてゴクリと飲み込んだ。
[カンタービレ] 標的は標的に過ぎず、生きた命じゃないって自分に言い聞かせて、何人も殺してきたわ……連れられて参加した標的たちの葬儀の時に聞く泣き声も、ただの音だと思うようにしていた。でも……
[カンタービレ] あれは最後の殺しだった。私の……標的の妻は、息子の先生として信頼する私に懇願してきたの。せめて夫の遺体だけでも――私が仕留めたばかりの標的を、瓦礫の下から掘り出してほしいと。
[カンタービレ] それから、彼女は……
羽獣は、ご飯をもう一粒くわえてカンタービレの前に置くと、顔を上げて彼女を見つめた。
[カンタービレ] 彼女は……
[カンタービレ] 強いショックを受けた彼女は、私の……
[カンタービレ] 私の目の前で……
[カンタービレ] ……赤ん坊を……泣き声をあげる赤ん坊を、産み落としたの……
羽獣は、動かないカンタービレを見てまたご飯をついばむと、自分で飲み込んでから、彼女の目の前にもう一粒置き、首をかしげた。
カンタービレは、自分の腕の源石結晶にそっと触れた。
[カンタービレ] わ、私は……爆発で、負傷した私には……どうにも……彼女の手当てをひとまず済ませたら、もう離れるしかなかった……だってあの石の粉が何だったのか知っていたから、もうあれ以上は……
[カンタービレ] そして突然気づいたの……「生きて」いたのよ。私の標的たちはみんな、「生きて」いた……
[カンタービレ] 私は自分を騙してたのよ! 私が仕留めたターゲットたちも、私が食べたあの子たちも、ただの標的と食料に過ぎないんだって自分に言い聞かせてごまかしてきたの。
[カンタービレ] ……でもそうじゃなかった。彼らはみんな「生きて」いたわ。
[カンタービレ] 私が生きていくための代償だとか……体力を維持するための存在に過ぎないだなんて、そんな風に考えるべきじゃなかったんだ……
[カンタービレ] 彼らはそんな存在じゃない。私だって……
羽獣がカンタービレの目の前に持ってきた米粒は、いつの間にか小高い山のように積み上がっていた。
羽獣は、彼女に食べてもらおうと、また一粒くわえてくる。
カンタービレはそれを受け取り、自分の口の中に入れた。
[カンタービレ] ……難民区で死ねず、ここの人たちに命を救われた以上、私はもう……
[カンタービレ] もう二度と、昔みたいに生きちゃダメね……
[ケガした羽獣] (米粒をついばむ)
[カンタービレ] あなたのこと……撫ででみてもいい?
[カンタービレ] 一つの……「命」として。
カンタービレは、おずおずと羽獣に手を伸ばす。
羽獣は少しずつ彼女の手に近づき、ぴったりと寄り添う。
その柔らかな羽毛を、カンタービレの手が優しく撫でた。
[カンタービレ] もうごまかすのはやめにしなきゃ。そうよね?
[カンタービレ] それから……過去のやり方で自分に向き合うのも、これで終わり。意味のない事だって、もうわかったから。
[カンタービレ] なにがあったのか、全部書いてみたわ。
カンタービレは書き上げた始末書をファイルに綴じた。
[カンタービレ] これでロドスの人たちは、私の過去を知ることになる……そして私は……
[カンタービレ] 自分がこれから何をすべきなのか、もっとはっきり分かるようになるはずだわ。
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